人間にとって宗教とはなにか?
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- Опубліковано 15 вер 2024
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#大愚和尚の一問一答 #大愚和尚 #仏教
ものすごく納得できました。いつも本当に心を込めて丁寧にお話ししてくださり、心が穏やかになっていくのがわかります。
宗教に従事する方でこういったグローバルな視点を持てるというのはいい事ですね。共存していくものだから。
Instablaster.
宗教に関して今まで抱いていた疑問が解決した思いでいっぱいです。大愚和尚様のお話に触れたことを幸せに思います。高齢者の仲間入りしてコロナ禍で巣ごもり生活をしながら、宗教が人間社会に与える影響や戦争の要因になっている現実を憂えています。仏教の非科学的な教えや土着信仰の迷信に固執した親の意見に反発した子供時代を振り返り、老後は仏教の原点であるお釈迦様の教えを学びたいと願っています。
非常に同感致します。
私の解釈では 自己を高め
人を救うための教えかな
考える機会を与えてくださり感謝しています 有り難うございました
とてもロジカルな説明で、素敵です。しかも人間の進化論を踏まえた解説で、独自な見解とは言え、とてもしっくりきました!宗教は、人間が進化した故の産物なのであれば、ある意味『文化』なんだな、と。宗教と聞くと、ネガティブなイメージもあったのですが、それが払拭されました😌
様々な宗教を比較するといろんな疑問が解けてくるんですね。
喧嘩へなる宗教はなくなればいいですね 導いてくださる教えはあってほしいです 有り難うございました
宗教は喧嘩の元?喧嘩の原因?
ほとんどの生き物には欲望が持っていて、その欲望を満たすために争いが起きています。
よって、宗教があったとしても喧嘩が必ず起きています。ただ、宗教は人間の欲望を抑える(コントロールする)ためにないといけない存在であります。
おっ日蓮系か?
無知の知 ソクラテス
@@mariaanderson2560 自分への戒め、流石です
@@user-qk4fh5pz2d ほんまやね
参りました(汗
それからご迷惑をおかけしたこと心よりお詫び申し上げます
宗教わ信ずるもの救われると有りますが私は信ずるものではありません、ただ自然の恵みに感謝して生きるのみです
和尚と宗教への解釈がほぼ同じでした。
同じ考えの人がいて安心しました。
自分は宗教って好きではないのですが、その理由は後半部分にあります。
後半部分の宗教でさえ暴走の理由にしている辺りの話が人間の未熟さと思います。
未熟さ故に宗教というルールを自分に課している
でもそのルールを守っていると自分は正しいのだと勘違いして教えを歪曲する
(他宗を認めないなど)
その辺をジョンレノンは言いたかったと思います。
分かりやすく教えてくださりありがとうございます
欲から離れ執着を手放す
「空」になり最後は自分も忘れる
ありがとうございます🙏🙏🙏
仏という字は、よく見るとにんべんに、合掌の合うを崩した字に見える。つまり俺の解釈としては、仏とは手を合わせようとする自分自身の心そのものではないかと。よく言われてる「信心」という言葉は、実際には「真心」なんじゃないのかとこの話を聞いて改めて思った。自分の心を知り、整え、他者を思いやり、安定と幸せを求める。それが仏教なのだと
理性をコントロール出来ない人間の業が宗教を作った、そうゆう解釈をしていいお話なんですねわ。もし理性を全人類がコントロールできたならば、やはり宗教なんて不必要。そうゆう事ですね。
空海は十住心論で最高(如来)の悟りを開いた。偉大な僧侶。
「群盲象を評す。」は我々にもえてしてありそうで、「戯論」でしょうか。仏教は日本では13も宗派がありますが、仏教のある面をとって、浄土系、法華系とかに別れておりますが、これが仏陀の教えを説いております。結局、象の身体の一部を触って、これが「象」であると説いているのでないかと考察しました。ただ宗教の立場でみれば、象の皮膚を触っただけで、根本は同じ象であっても、象の皮膚を触っただけで、象について追求しているのと同じでないかと察しました。ただし、経典は「対機説法」が元となって八千もの経典が発生したと伺っていますが。しかし、今回の説法は非常に勉強になりましたし、日常生活においても偏った情報で判断しては間違った行動をしてしまう恐れがあるのだと思いました。それこそ「戯論」であります。
私は、主人をなくして4年になります、毎日お紫葉さまの、コメントを、心の、支えに家族仲良く、くらしてます
宗教と人間の関係わ関連が大有り昔武士の多くわ禅宗であつて農民にわ浄土宗や浄土真しゆうであつたようですね空海様わ佛わ人間を直接にわ救うわ出来ないが最高の教えにみちびきか
少々本質とはかけ離れているかも……私自身どの宗派にも属してないが(身内の葬式は真宗)“ 臨終を迎えた幼子の枕元には無神論者は居ない ” と言う気がする。
宗教とはの答えは人それぞれだと思う。
2:40 群盲象を評す
説教とか教えとか導き、
こういう括りでは素晴らしいのですが、
表題への解答として、
これが御坊の宗教家としての本心でしょうか?
宗教とは死を恐れず転生する為の教えかと。。。
浅いよ
なんか学校のティーチャーみたい!
洗脳するとこうなるんやな。怖い!
やっとなっとくしました
日本には宗教を自由にする権利がありますし、多種多様な宗教があります。そんな中でなぜ宗教を布教しようとするんでしょうか?
こう生きなさいと説いていても、生き方なんて人それぞれが好きなように人生を謳歌することが生きると言う言葉においては相応しい思います。その人がそう思うのも勝手ですし、思わないのであればそれまでです。
なぜ教師はこんなにもお節介なのでしょうか?