「創られたキリシタン像―資料からみるキリシタンへのまなざし―」展 @國學院大學博物館

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  • Опубліковано 6 вер 2024
  • 開催概要↓
    【國學院大學博物館】
    相互貸借特集展示(西南学院大学博物館資料) 「創られたキリシタン像―資料からみるキリシタンへのまなざし―」
    会期:令和5年(2023)11月10日(金)~ 令和6年(2024)2月18日(日)
    ※本特集展示は、博物館の一角で行っている小規模展示です。
    本学博物館と協定を結んでいる西南学院大学博物館(福岡県福岡市)が所蔵する資料を展示します。
     西南学院大学博物館では、キリスト教文化にかかわるさまざまな資料を収集し、調査研究をおこなっています。学生や地域の方々にキリスト教文化について理解を深めていただくために、それらの研究成果をもとにしたさまざまな展覧会や講座、ワークショップなどをおこなっています。
     
     今回の相互貸借特集展示では、「創られたキリシタン像」というテーマで展示をおこないます。江戸時代の初期から現代にいたるまで、人々がいだいているキリシタンに対するイメージを、資料を通して紹介します。
     本展示を通して、人々がキリシタンというマイノリティにいだいていたまなざしとその変化を知っていただけますと幸いです。
    *本展示は、2021 年度西南学院大学博物館企画展「創られたキリシタン像―排耶書と実録のなかのキリシタン―」をもとに再構成した小展示です。
    *本展示の内容に関するお問い合わせは、下記連絡先までお願い致します。
    【お問い合わせ】
    西南学院大学博物館事務室 〒814-8511 福岡県福岡市早良区西新3 丁目13-1
    TEL 092-823-4785 FAX 092-823-4785 Mail seinanmuseum@yahoo.co.jp
    museum.kokugaku...
    長文解説の文字起こし文
    ①開催概要
    (上記の概要と同文のため省略)
    *本展示は、2021年度西南学院大学博物館企画展「創られたキリシタン像―排耶書と実録のなかのキリシタン」をもとに再構成した小展示です。
    *本展示では、今日では差別や偏見にある表現、価値観を扱っています。資科の解説は、資料の表現や当時の価値観をそのまま反映したもので、主催団体の考えを示すものではありません。
    ②排耶書(はいやしょ:反キリスト教書) の出現
     キリスト教は 1549 (天文18) 年の伝来以降、 約半世紀の間日本国内に拡大していき、国内には多くのキリシタン (キリスト教徒) がいた。 一方、すでに日本国内で信仰されていた仏教などの宗教の観点から、キリスト教の教理に反対意見を述べた「排耶書」 が、16世紀末~ 17世紀初頭にあらわれはじめた。
     排耶書は教理的な内容であり、はじめは知識人の間でのみ読まれていたが、やがて一般民衆にも理解しやすいような物語風に仕立てられたものが刊行されるようになった。排耶書は、多数のキリシタンが棄教した後も江戸時代を通して刊行されつづけていた。特に幕末では、開国後におこった排耶運動 (キリスト教の排斥運動) において利用された。
    ③キリシタン実録の出現
     18世紀中ごろから、実録という小説が主に貸本屋を通して人々に読まれた。実録の主題は多岐にわたり、お家騒動や軍記物、怪談などがあっ た。そして、排耶書を種本とした「キリシタン渡来」に関する実録 (「キリシタン実録」) も存在した。
     キリシタンやその子孫がほぼ途絶えたと考えられていた 18世紀中ごろには、「キリスト教の拡大抑止」という排耶書の当初の目的はほぼ失われていた。そのため、「キリシタン」という外来のものに対する当時の人々の興味関心を盛り込みながら、物語の虚構化が進んでいったと考えられている。
     キリシタン実録は、かつて日本を訪れていた 外国人宣教師や日本人修道士を悪役とした勧善懲悪物語で、当時の人々が事実とは異なるキリシタンイメージを持つ要因の一つであったことが考えられる。
    ④キリシタン実録に描かれたキリシタン
     本書をはじめとしたキリシタン実録のなかでは、もともとキリシタン(外国人宣教師)たちは、日本人の心を妖術で惑わせて日本を占領しようとやってきたとされていた。そして、イルマン(修道士) となった日本人たちは、もともと皮膚病を患った人や金遣いが荒く困窮した人々で、南蛮寺(教会)で治療を受けた後にキリシタンとなったという過去が描かれている。
     本場面では、そのような経緯でイルマンとなった「ゴウスモウ」と「シュモン」が、豊臣秀吉の前で妖術を使っている。水を入れた鉢に紙を入れると魚に変身する、こよりに呪文を唱えると大蛇になる、といった妖術であるが、これらは当時の手品指南書にも説明されているような手品の類であった。
     つまり、皮膚病を患った者たちが邪教の宗教者となり、手品師(大道芸人)のような活動をしているという状況を描くことで、日本人イルマン達を共同体の周縁に置かれた存在として描いているのである。本場面も含め、キリシタン実録の内容からは、当時の日本人たちのキリシタンに対するまなさしが見て取れる。
    ⑤新しいキリシタンのイメージと創られた 「キリシタン遺物」
     1858(安政5) 年の開国後、日本国内の外国人居留地とその周辺に各教派の宣教師が滞在するようになり、1865(元治2)年には長崎の大浦天主堂で潜伏キリシタンが信仰を告白したことで、潜伏キリシタンの存在が発覚した。キリスト教禁止の制札が撤廃された1873(明治6)年以降、長く厳しい「受難」の時代を耐え抜いたキリシタンに対するイメージが新たに誕生した。
     特に昭和20年代以降は、外国人向けのお土産品や個人の利益のために、潜伏キリシタンが信仰のために使っていたとする偽物の「キリシタン遺物」がつくられ、流通した。偽物の 「キリシタン遺物」 は、古美術商などを通して日本国内の博物館や美術館、資料館などに所蔵され、本物のキリシタン遺物として扱われていた。
     潜伏キリシタンに対する学術的な研究が進んでいる現代においても、上記のような偽物の 「キリシタン遺物」 がインターネットオークション等で販売されている状況がしばしば見られる。
    ⑥「キリシタン遺物」 の捉え方
     この「キリシタン仏像」に代表されるさまざまな偽物の 「キリシタン遺物」 は、かつて本物として扱われてきた。キリシタンに関する研究が進んできた現在では、これらは偽物であることが判明しており、「近代の人々のキリシタンイメージが具現化されたモノ」という観点から研究や調査が進んでい る。
     しかしながら、こうした「キリシタン遺物」は、単なる興味関心の範疇を超えて、時には新しい誤解を生みだすものともなりえる。キリシタン遺物であることを裏付けるような文字記録(史料)がある 場合や、キリシタンに関連する遺跡などから出土したという状況、そのほか類例などから明らかにキリシタンが使用していたという根拠がない限りは、十字文様やキリシタンに関わる意匠があったとしても、キリシタン遺物と断定するべきではない。
    ⑦おわりに―マイノリティへの目線を考える―
     本展示では、江戸時代から明治時代、そして現代に至るまで、人々がいだいていたさまざまなキリシタンへ対するイメージを紹介した。キリスト教を信仰することが禁止されていた江戸時代や、信仰が許されて間もない明治時代において、キリシタンたちはマイノリティであった。またそれは現代にお いても同様で、2021年12月31日現在キリスト教系の信者数は1.967,584 人*1であり、 総数に対する割合は約 1% *2 である。
     私たちがキリスト教やその信者、あるいはキリシタンに対して無自覚のうちに抱いているイメージはどのようなものがあるだろうか。実態を知ることをせずに、世間的なイメージだけを持つということは、マイノリティに対しての誤解や差別を生み出すことにつながりやすい。本展示が、キリシタンをはじめとしたさまざまなマイノリティに対するイメージを見つめなおす契機となれば幸いである。
    *1 文化庁宗務課「宗教統計調查」(www.bunka.go.j.... 2023年10月11日参照
    *2 この数値は各宗教団体の自己申告制のため、厳密に正確な数値とはいえない。
    展示品について↓
    1 『破提宇子(はでうす)』
    文化6(1809)年/ハビアン [著]/紙本木版、和装本/西南学院大学博物館蔵
    元日本人修道士ハビアンが、棄教したのち1620年(元和6年) に刊行した排耶書。全7段に分けて、キリスト教の教理について批判をおこなっている。なかでも外国人宣教師については、高慢である、煎餅 (パン) と酒 (葡萄酒) に呪文を唱えキリストの肉と血に変えるといった非理性的 で不合理なことを行っている、日本人を蔑視しているなど、 様々な視点から痛烈に批判した。
    2. 『切支丹(きりしたん)宗門来朝実記』
    1798(寛政10)年/沙門質量〔写❳/紙本墨書、和装本/西南学院大学博物館藏
     1639(寛永16) 年に成立した「吉利支丹物語(きりしたんものがたり)」 という排耶書をもとに、虚構を交えながら話を膨らませ、小説に仕立て上げたもの。ローマ法王とされる 「南蛮国王」と宣教師が、日本へ来る前にキリシタンの術を使って日本を占領しようと話し合う場面や、「ゴウスモウ」 「シユモン」という日本人修道士が豊臣秀吉の前で奇術を披露する場面が追加されている。
    3.キリシタン仏像
    昭和20(1945) ~昭和 25 (1950) 年か/作者不明/鉄製/西南学院大学博物館藏
    十字架の形は19世紀にヨーロッパで流行していた新ゴ シック風で、禁教期のキリシタンが使用していたものとはいえない。昭和20 (1945) ~昭和 25 (1950)年ごろ、愛知県海部郡美和町で約300個鋳造されたことや、それらが海外や日本各地に出廻ったことが判明している。かつ て、日本各地の博物館などで 「キリシタン遺物」 として所蔵され、紹介されていたことも知られている。
    4.十字文様壺
    明治時代以降か/作者不明/白磁染付/西南学院大学博物館蔵
    十字文様はキリシタンと結び付けられやすいが、十文字の意匠はキリスト教伝来以前の日本にも存在していた。本資料は、キリシタンが使用していたことを裏付ける証拠(史料)が存在せず、キリシタン遺物であると裏付けることができない。また、呉須の色調から明治時代以後に製作されたものである可能性が高いため、キリシタンの遺物とは考えにくい。
    音楽:
    FREE BGM DOVA-SYNDROME dova-s.jp/_mob...
    Castlevania
    written by こおろぎ
    素材種別:BGM
    Track:1/1
    再生時間:1:32
    ループ:disable
    DL:6903
    コメント
    直訳で「魔王城」。そんな雰囲気の邪悪で壮大なBGMです。
    パイプオルガンをメインに使ってみました。
    なかなか使う機会がなかったのですが、バランスが難しいですね。
    オルガンでよく聴くアプローチも盛り込んでみました。
    dova-s.jp/_mob...
    Created by InShot:inshotapp.page...

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