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後世、曹操が世に埋もれた人材を求める際に、「陳平のように兄嫁に手を出したり、袖の下を取ったりした過去がある者でも、才能がある者ならば、そのようなことを気にするな。未だ魏無知に出会えずにいる者よ、自分の下に仕官せよ」と言った。
匈奴は女性も強い。陳平は冒頓単于の正妻に漢の美女の絵を送った。妻は「このまま冒頓が漢を征服したら、美女を大量に我が物にし、自分は顧みられなくなる」と嫉妬し、夫に帰郷させるように言った。そして貢ぎ物を送る事を条件に、匈奴を兄、漢を弟とした和睦が成立。…と読んだ記憶があります。
司馬遼太郎の小説は何度も読んだけど、中盤で突然現れて劉邦の危機を救う陳平は印象深いです漢成立後の宮廷闘争でも生き延びて最後は文帝の治世を安定させたというのは、凄い業績ですねそしてその陳平を見出し、古参幹部たちの反発を抑えてまで重用した劉邦、元はゴロツキの親分だった程度の経歴で、教育も受けてないはずなのに、何でそこまで見通せたのだろうか、改めて不思議に思う
教育だけで人が育つとは限りません。劉邦は苦渋をなめた日々が長かったおかげで人の苦労が分かり、聞き上手になったのだと思います。人物を見極める最大のカギはとにかく相手の話を聞く事ではないでしょうか。
軍師にして策士、有能過ぎるぞ。劉邦はここまで凄い家臣を揃えているから凄すぎると思うね。
有能な部下がゴロゴロいた劉邦に対し、戦いの上では圧倒的に押していた項羽ですが、徐々に押し返されて最後は四面楚歌に追い込まれる…歴史のドラマを感じます。
夏候嬰やショウカもいたし。
韓信や陳平はかつては項羽に仕えていましたが、やがて項羽の元を去って劉邦に仕えるようになります。項羽には范増もいましたし、項羽が彼らを信任し使いこなせていれば、あるいは劉邦よりも人材に恵まれていたのかもしれません。
張良以外は全部項羽陣営にいたんだよなー、ほんと項羽の用兵の下手くそさはすさまじいものがあったw人並みの脳みそがあれば余裕で天下取ってただろうな。RPGですべての能力値を力につぎ込んだ感じ
@@ponpon3202 陳平、蕭何、韓信キャラっていたっけ?
張良は計略の達人ですが、陳平は人間力に長けた謀略の達人といったイメージですね。どちらの方が優れているとかでは無く、どちらも当代一流の軍師だったのでしょう。
この人は天下統一後の立ち回りがすごすぎる。稀代の謀臣でありながら忠臣の恐るべき英傑。
「龍帥の翼」に出てくる陳平の描写がいかにも「食えない奴」感が出ていてすげぇ好き。
あのマンガ、全ての策を主人公が立てたことになるのがなあ。陳平は主人公じゃないから、離間の計も、実は主人公が陳平に授けた策だった、て展開になるんじゃないかと不安
@@user-mdjawu4sl3hbez9 出番すら無かった「赤龍王」よりは…。
権謀の智将・陳平と天才軍師・張良を同時に相手しなきゃいけない范増(70歳超)って……。そりゃ病気にもなるわ。加えて主君はあの覇王だもの。
ストレスMAXになってそりゃ出ていきますわ(そして泊まった宿で病死
太公望でもキツそう😣
加えて項伯が…😓
人類の歴史上、一番吹っ飛んだ脳筋項羽がトップで、その相手が中華史上最強の3人衆+最高の策士を相手にしてたからね。それでも、紀元前205年から204年滎陽の戦いにわたって少しずつ劉邦軍の補給路や周辺諸侯をを追い込んで、実際には相当押してたんだよね。そこで辞任。そのあと、実は項羽が一気に負けたような描写が多いけど、実際には紀元前202年末の垓下の戦いまで2年間、両社は広武山あたりでず~~~っと渡り合ってた。項羽一人で2年以上もやりあってたのだから、もうこの人やばいなんてレベルじゃない。
個人的にはもっと評価されるはずの人物かと
劉邦は陳平を大いに用いましたが「陳平は知、あまりあり。もって一人任じ難し。」と、欠点も見抜いていましたね。
呂氏が外戚として力をふるっていたら新の王莽のようになっていたかもしれない、漢を守り作り直した陳平が世界史に与えた影響は大きいであろう。
後世に陳平と改名する人物が二人も出て来たのをみても陳平の有能さが分かる。しかも三傑に比べて、その二人共ビミョーなのも陳平を名乗るっぽくて良い。
陳平「これは呂氏の目を欺くためだから!(ウッヒョヒョーイwww)」部下「丞相、呂后が亡くなりました」陳平「(もうちょっと続けたかった・・・(´・ω・`))」
未練タラタラじゃねえかww
演技が本当に?
ずっと左が上だと思っていたけど,この頃は右が上だったのね.勉強になりましたありがとうございます😊
中国では右が上ですが、日本では古来から左が上ですね。私の勝手な解釈ですが、天皇の方から見た右腕は、臣下側から見れば左だからだと思っています。
ずっと右が上だぞ
確か唐代………違ったり
呂雉は悪女というより女傑という方がふさわしい。
やはり陳平も出さないとダメでしょうなあ。呂氏を追放して、漢帝国の礎を見事に築いて見せたその手腕は張良にも匹敵する業績かと。呂薙も解ってはいたんだろうけど、殺せなかった。多分、どっちが先に死ぬか争いしてたんだろうな……
軍師というよりも策士、謀略家という方が正解。銀英伝でいうと「人間味のあるオーベルシュタイン」
まあ、オーベルシュタインの方が陳平や賈詡、北宋の趙普をモデルにして作られたんでしょうけどね。
@@thor0610102 その割にはオーベルシュタインは人間味が無さすぎないか?キャラ的にはオーベルシュタインよりルビンスキーの方が近い気がする(´・ω・`)
すみません。私は田中芳樹先生のファンですが、歴史上の人物や現実に生きている方とフィクションを比較する趣味はありません。田中芳樹先生もヤンや「創竜伝」の竜堂始さんの台詞を借りて仰っていますよね。「現実とフィクションを混同するな」と。私の周囲にも時々「銀河英雄伝説」の登場人物に歴史上の人物を当てはめて語る方が現れます。その度に「田中芳樹先生は作品の登場人物に、歴史上の特定のモデルを使うことはないし、特定登場人物の台詞を借りたり、エッセイや対談で幾度も『フィクションと歴史上や現実の人物や出来事を当てはめたり混同しないように』と言っている作家さんですよ。」と言っているんですけどね。なかなか聞いてはもらえません(苦笑)
一つ、実際に田中芳樹先生のエッセイに書いてあった話を。ラインハルト・ローエングラムについて『第二次世界大戦時のドイツの士官にラインハルト何とかという士官がいた。ラインハルトのモデルは彼だ。」という人がいたそうなんです。それについて田中芳樹先生は「ドイツ人の名前を集めて姓と名を切り離し、響きの良い名前を組み合わせただけ」とはっきり仰っていました。「ヤン、キルヒアイス、オーベルシュタインらメインキャラクターにも特定のモデルはいません。」と書いてありました。小説「銀河英雄伝説」についても「初版の売り上げが悪かったら1巻のみで終わる予定だった。キルヒアイスが死ぬ時でさえ3巻で終わる予定、人気が出てあわてて物語の構成を練り直したら今度はヤンが8巻まで生き残ってしまった。結局、本伝が10巻になったことで出る予定のなかったキャラクターが創作されたり、より深くキャラの性格肉付けができて出番が増えたキャラクターがたくさんいます」と。最近はこうした裏話を知らないファンも増えたのでしょう。歴史上の人物と「銀河英雄伝説」のキャラを当てはめる人達が増えてきたのは。
@@thor0610102 いや、誰も銀英伝のキャラのモデルが誰かなんて話はしてなくて、銀英伝のキャラと性格的に近いのは誰かという話をしてるんだと思ってたんですが(´・ω・`)?
秀吉の軍師黒田官兵衛と似たタイプ。秀吉は偶然にも劉邦と同じように黒田官兵衛、竹中半兵衛という陳平、張良に匹敵する軍師を手に入れていたんだよな。
10:13足を踏んだっていうのは表現なんだろうけど、劉邦ってガチ物理で足踏まれてそうw
帝が周勃に税や治安の細かい質問をした時、周勃はほとんど返答出来なかったが陳平は各責任者の名前を言って彼らに尋ねるよう返答したエピソードがある。周勃は陳平をなじったが陳平は『君は各省の全てに精通するつもりか?我々は各責任者を・・・把握していれば良いのさ。』と言った。周勃は自分が陳平に遠くおよばないのを悟り職を辞した。(海音寺文庫)
それでも、わからないことをわからないというあたりが周勃のいいところだと拙者は思うでゴザル。ここらへん姦臣だとすぐにごまかして、ありもしないことをいったりするからなぁ
この頃の逸話ってみんなケレン味があって面白い
劉邦といい韓信といい陳平といいニートおおすぎぃ!
離間の計だけでMVP級なのに、匈奴からの高祖救出、呂一派追放までやってる。鴻門の会くらいしか目立った功績が無い誰かさんより上だと思う。
頭がいいひとのウヒョヒョ状態は油断ならない。
司馬仲達も!
陳平を知る良い動画だと思う。他の人物も動画にして、最終的にまとめた動画作って欲しい。
この時代の人物解説を聞くと、ピックアップされた人物の周りの人物もやべー奴ばかりなのを思い知らされて、いつも草生える
陳平の秘匿された策は、公開されると漢にとって大変不都合なものだったと想像します。滎陽の時は、部下の紀信が身代わりになりましたが、おそらく親族の誰かが犠牲になった(しかも本人の承諾なし/呂氏の一族など)、もしくは屈辱的な和議をしたかと(公開されていないので、和議とは呼べませんが)。それにしても政治家、策略家としての呂薙は超一級品。もし彼女が男で家臣だったら、楚漢戦争ももう少し早く終わったかもしれません。
結局、長生きはするものだということですね···
張良=全盛期のヨーダ 陳平=きれいなシディアスって感じですかね。
曹操が賈詡を配下に加えたときに「我が陳平を得たり」といって喜んだとか(適当)。
横山光輝の史記と項羽と劉邦では、デザインが違い過ぎて残念(史記はイケメン)。ちなみに、漫画になる際は、陳平のスッポンポンは見所の一つ(笑)。連載中の月マガ『龍師の翼』では、見開きでデカデカと陳平のスッポンポンが正面からページ中央に堂々と描かれています(笑)。
当時の中国は見た目も才能の一つとして評価されていたので、どれだけ能力があっても見た目が悪いと評価してもらえないのが当たり前な文化だから、この辺の歴史に名を残している人たちってみんな当代のイケメンの筈なんですよね(´・ω・`)
イケメン イズ ジャスティス!
「仁徳一切問わず、いまだ魏無知に会えぬ者よ、我が下に集え」曹操が求賢令出したときにこんなこと言ったらしいけど今まさに、ひたすら有能なだけの人物が求められてるのかも分からんわね
郭嘉を弾劾しようとした陳羣を見て両方出世させる人物眼の怪物の曹操だからこそこれ言って効果ある、ともいえるんですけどね
そして、周勃の息子である周亜夫は、彭越の親友であった欒布(らんふ)と共に呉楚七国の乱で活躍するのであった
この動画楽しみにしてました。この人も漢を建国するのに絶対必要な人だったので漢の三傑と並び評されるだけのことはありますわ。呂雉との駆け引きが豊臣秀吉と徳川家康みたいで面白かった(長生きを武器に戦う所が)妖夢にしっかりしろお前しかいないんだぞってメッチャ期待されてるとこ草生えまくりWWW
誰かがこの人について「功績と能力の割には雑魚っぽい名前」だと言っていました。確かにシンプルな名前ですね。現代日本のキラキラネームとは対照的です。
三国志にいたら大体郭嘉や程昱や法正あたりと一緒に伝立てられてそうな人だ…
最低でその格。魏なら二荀、呉なら周瑜クラスかと。
投稿お疲れ様です!1司馬遷からも「奇策を出し、困難の免れさせ劉邦を救った。呂后の時代も多事多難であったが、漢王朝を安定させ、優れた宰相と讃えられた。始め良く、終わり良くと言える。知謀の士でなくて、これがやりとおせただろうか」と言われた人ですね!
なにがすごいって呂公の妹があることないこと吹き込んで失脚させようとしたら、「酒飲んで政務をおろそかにしてると噂してるだと?よし、これからはそう過ごそう」と仕事に手を抜いてわざと地位に満足してるという態度をとって腑抜けになったと思わせて難を逃れるとか。とにかく危機を回避するのが上手い
@@あぼぼです うつけになった奴をころしたり貶める価値はないと見せかけるのは凄いですよね。
肉屋というのは案外大事な役職にいたりするので現在の価値観でみてはいけない
信陵君の食客で、邯鄲の救援において大きな活躍をした朱亥も肉屋でしたね。
そもそも宰相の宰が包丁で肉の切り分けは重大な行為でしたからね
成りたくても成れない立ち回りだよなぁ。
愚かなふり、ボケたふりをして政敵の脅威をやり過ごす。簡単なようでいて実は至難の業だと思う。陳平や司馬懿はそれができたから最後に勝ちを収められたんだね。(*・・)σ
陳平、史上最強の政治家という感じ。時がくるまで何十年でも警戒されながらも討伐されず力を温存し続ける・・徳川家康とちょっと似た印象を感じたり。
後の司馬懿、李勣も同じ感じを受けました「食えないやつ」感満載
「この辺りは三国志の賈詡に通じるものがあるな」「詳しくは「賈詡」を見てね」この流れで笑ってしまったwこう評価待ったなしですw
めちゃくちゃ良い動画でした!!
張良が竹中半兵衛なら陳平は黒田官兵衛という構図になってしまう
両兵衛のイメージは、やはり先達にあたる張良と陳平に対応して作られたって印象がある。ただ、清廉で無欲な半兵衛に対して、どこか欲深く、油断ならない官兵衛という対比像は後世の脚色なのであって、実際半兵衛が清廉だったかは同時代の資料に見られず、文献による裏付けが難しいらしいです。とはいえ、竹中家の領地が黒田家のそれに比べて少なかったのは事実なので、土地をもらっていないのは本当のようですが(逆を言えば故郷の美濃周辺から領地変更にならず、ずっと故郷から離れることはなかったといえます)。
陳平って生きるために裸族になったんだな
閻魔大王:来世は周恩来な陳平:魂すり減らすからやめて~
冒頓単于のところに出てくる韓王信は韓信とは違う人ですよ...
中国史あるあるだよなぁ。一文字加わったり、一文字違ったり、読みが同じでも、篇が違うから別人だったりorz
陳平好きめっちゃ型破りだよね
陳平は頭の良いのは当たり前で、真にすごいのは空気を読んで決断する能力だよな。
陳平さんは、漢朝の立て直しについてどうすればいいのか悩んでいたけど、それにアドバイスした人物がいます。陳平さんが(先生)と呼び、師と崇めた人物…。陸賈と言う人物です。高祖死後、呂后のやり方にいや気が差して、病気を理由に隠居してしまったのです。その陸賈先生に相談した陳平さんは呂氏が帝位簒奪を企てていることを陸賈先生に相談したら、陸賈先生は、人間の欲望は限度がない!。と言っていました。
「面従」という言葉は表面的にはペコペコしてるが腹の中では別の心がある状態をいう。呂后独裁時代の陳平はまさにこの面従を徹底して馬鹿のふりを徹底して自分の命を守った。「私の気分」を地球で最も大事にしている呂后から身を守るにはそれしかなかったのだろう。激動の楚漢時代を勝ち抜いた本物の勇者であり、オバハンに引っ張り上げられただけの呂氏のボンボン達が陳平に敵うはずもない。
暗い部分がある参謀…漫画でありがちな設定な気がする…長生きだったり無能の一芝居うつところは司馬懿がよぎる司馬懿は将軍に近いけど
後の李勣も陳平や司馬懿と同じく「処世術最強」でしたね
野末陳平の名前のもとになった人物ですよね。
歌舞いてますなぁ
谷村新司のあだ名でもなければ、野末陳平でもなく、オリジナルの方か!
劉邦の後陳平が本当の統一まで推し進めたんだな。それにしても夏侯嬰も生きてたのか
韓信を見出したのは夏侯嬰と蕭何だけど、陳平を見出したのは完全に劉邦なんだよな。能力を見抜いたのか高身長の美男子だったかは分からんけど。
色々ありがとう
「うっひょひょ~い❣️」し放題で寿命を縮めた隋の楊堅「…」
ボソッ 「谷村新司のニックネーム……」
劉邦もそうですが、出自のよく分からない人物たちが大活躍で良い 笑こういう連中が項羽を倒してしまうんだから世の中面白いよね。
何となくだけど、カエサルと劉邦って気が合うような気がする
劉備配下でいえば、張良は諸葛亮 陳平は法正といったところかねぇ
面白いことに、正史「三国志」の陳寿は、諸葛亮を「蕭何」と称しており、張良、陳平にあたる人を蜀では誰とはいってません。それどころか、諸葛亮に関しては、政治的な手腕を絶賛したものの、軍人としての才能に関しては疑問視してややぼかしています。ただし、劉備が生涯で爆発的に領地を拡大させたのは、龐統、そして法正が前線で献策していた時期なので、法正を陳平とみても誤りではないと思います(実際性格の悪さや経歴が法正はあんまりいいほうではなく陳平に似てるし)。
要領よすぎ。
晩年の周勃とのコンビがええのよな陳平は周勃を立てて、周勃は陳平には敵わないと良いなりの良き夫婦関係
日本の戦国時代の軍師に例えるなら、タイプ的には張良は竹中半兵衛、陳平は黒田官兵衛って感じかな。まあ官兵衛は陳平のように天下統一後は秀吉からはあまり信頼されず、むしろ韓信のように警戒されてましたが。
呂一族が急拡大をしていなければ、逆に急拡大をして三国志の司馬懿の様な役割を演じていた可能性もあるね
歳がばれそうだけど、昔、谷村新司って「チンペー」って呼ばれてましたよね。関係あるのかな?まあ、それほどの関心がないのでググってないんですけどね。
陳平さんともあろう人物が、これからどうすればいいのかわからないからアドバイスくださいと、陸賈先生に相談していたんですよ。陸賈先生は周勃さんとは親しくないですな。と言われ。これからは親交を深める事ですね。と言われています。士人は、太平の世には宰相に期待して、天下危うければ将軍に期待するものなのです。その宰相と将軍が力を合わせれば士人は皆ついて来ます。士人の支持がある限り帝室の崩壊はありませね。今は宰相と周勃将軍に漢朝の運命がかかっています。と言っています。
陳平が右丞相になった経緯はれーしさんの動画でも載っています。
チン平といえば、カン太とトン子の三人組を思い出す(´・ω・`)
サリーちゃんの友達ヨシ子の弟たちかな?トン吉チン平カン太でトンチンカンだったか?おそ松くんと同じでほとんど見分けがつかない三人
学研の漫画ですな。とんちんかん化学教室。懐かしい。
俺も・・・遊びたい。
ここで出てきた中で呂雉が最強ということがよく分かったわ。
漢文の文法で項王都尉陳平をして沛公を召さしむってあったなあ
劉邦って正直各異民族がいる状態なのにもかかわらず猜疑心の虜になっているから「楚漢戦争に勝った程度で天下統一の気分は早すぎだろ」って正直思うけど、当時の中華思想じゃあのエリアだけが唯一の全世界だったからしょうがないんだろうけど・・・気が早すぎだよね
殷?ってこの時代にあったの?
他の方の同じ質問には応えたのにこちらには気づかずすみません。結論から言うとありました最初は返信で書こうと思っていたのですがすごく長くなったので別にコメントします自分のコメントを探してください
@@とりことりこ-k4f ありがとうございます!
サムネの陳平の名前が「陳手」もしくは「陳毛」に見えた
もし呂氏が天下を取っていたらこのような評価はされていなかってでしょうね
三国志の賈詡に近いかもしれない(´・ω・`)
完全にゲーム楚漢戦争のDLCの主人公やんけ
ナニ、長身でイケメンに神をも欺く智謀の士とか。生家は良くなくとも、後天的には恵まれすぎだろう。
多分、楚漢戦争ほど劇的な逆転劇はないと思う…
手に入れるのは難しいけど扱えば最強の杖ってイメージの張良気付かぬうちに敵にデバフをかけてくる回復魔法のイメージな蕭何取手に刃物がついてる最強の剣ってイメージの韓信最強だけど扱いがとても難しい魔導書ってイメージの陳平項羽さえいなければ蕭何ともう一人いれば皇帝になれただろうと言える偉人達ほんと項羽って何者なの?
性格といい、謀略といい、頭脳といい、タレーランに似ている気がする。
張良は官房長官、陳平は参謀総長って感じなのかな。
統一後の活躍が凄い。
魏無知って子孫は魏延になるの?
張良≒藤原鎌足 陳平≒本多正信
16:07 呂雉は陳平の態度に怒り、王陵を太傅の位に昇進させた??? 自分の意見に同意したら怒って、反対したら昇進させるの???
美人画を匈奴の后に贈り、中華の地にはこんな美人が沢山いる。ゼンウもそれに目が眩んで后であるあなたの地位が危ないでしょう。と言ったらしい。
周勃は太尉
…さらばースバルよー🎵
軍師って中国にしかいないよな基本半兵衛とか官兵衛はいるけど
生き残った者が勝ち
呂雉の命日は豊臣秀吉と同じ日だ!
逸話のせいがあるのはわかるけどサムネAV男優にしか見えないww
葬儀は張氏の娘の亡夫じゃなかったはずだが・・・
なんとなく、語尾が「やんす。」になってそうな名前だ
殷?秦でしょ
秦の滅亡後、劉邦と項羽の戦いが始まる前に項羽が(義帝の名前を使って)諸侯の爵位と封地を定めたのですがその中に殷王もいました。なので殷で合っています。
@@my-eg8ge そうなんですね。ありがとうございました。up主失礼しました。基本的なことだから間違えるはず無いのにおかしいなとは思って書くの躊躇したんですけど。勉強になりました。
@@闇の戦士香山リカさん ちなみに項羽によって任じられた殷王こそ、項羽の配下時代の陳平に攻め落とされた司馬ゴウ(司馬懿の祖先)です
というか元々殷って地方名なんですよ殷という地方に住む、自らを殷人と名乗る人々が支配層だった都市国家連合王国が、間違いなく存在したことが分かっている中では中国最初の王国だったってことで便宜上王国名も殷って読んでるんだけど、実際のところ王国名はどうだったかよく分からない商人という言葉の元になった商というのも殷王朝の別名みたいになってますが、こっちはその王朝の時々変わっていた王都の1つ(かつ最後の王都)、及びその周辺地域のことで殷の一部って感じですその殷地方に項羽が新たに封じた王国がこの場合の殷ですね
@@とりことりこ-k4f 確か父親がキングダムで話題の趙の司馬尚だったけ?
陳平もチート爺だったのかもね。寿命以外の敵は居なかったか。
余計な事なんだけど…w陳平は、実は兄嫁さんと姦通…なんて話もあるんだよねwそれとどうも行動をみると、他人の顔色を見る日和見が多く、それが異常に的確だった節もある。
後世、曹操が世に埋もれた人材を求める際に、「陳平のように兄嫁に手を出したり、袖の下を取ったりした過去がある者でも、才能がある者ならば、そのようなことを気にするな。未だ魏無知に出会えずにいる者よ、自分の下に仕官せよ」と言った。
匈奴は女性も強い。
陳平は冒頓単于の正妻に漢の美女の絵を送った。
妻は「このまま冒頓が漢を征服したら、美女を大量に我が物にし、自分は顧みられなくなる」と嫉妬し、夫に帰郷させるように言った。
そして貢ぎ物を送る事を条件に、匈奴を兄、漢を弟とした和睦が成立。
…と読んだ記憶があります。
司馬遼太郎の小説は何度も読んだけど、中盤で突然現れて劉邦の危機を救う陳平は印象深いです
漢成立後の宮廷闘争でも生き延びて最後は文帝の治世を安定させたというのは、凄い業績ですね
そしてその陳平を見出し、古参幹部たちの反発を抑えてまで重用した劉邦、元はゴロツキの親分
だった程度の経歴で、教育も受けてないはずなのに、何でそこまで見通せたのだろうか、改めて不思議に思う
教育だけで人が育つとは限りません。劉邦は苦渋をなめた日々が長かったおかげで人の苦労が分かり、聞き上手になったのだと思います。人物を見極める最大のカギはとにかく相手の話を聞く事ではないでしょうか。
軍師にして策士、有能過ぎるぞ。
劉邦はここまで凄い家臣を揃えているから凄すぎると思うね。
有能な部下がゴロゴロいた劉邦に対し、戦いの上では圧倒的に押していた項羽ですが、徐々に押し返されて最後は四面楚歌に追い込まれる…
歴史のドラマを感じます。
夏候嬰やショウカもいたし。
韓信や陳平はかつては項羽に仕えていましたが、
やがて項羽の元を去って劉邦に仕えるようになります。
項羽には范増もいましたし、項羽が彼らを信任し使いこなせていれば、
あるいは劉邦よりも人材に恵まれていたのかもしれません。
張良以外は全部項羽陣営にいたんだよなー、ほんと項羽の用兵の下手くそさはすさまじいものがあったw人並みの脳みそがあれば余裕で天下取ってただろうな。RPGですべての能力値を力につぎ込んだ感じ
@@ponpon3202 陳平、蕭何、韓信キャラっていたっけ?
張良は計略の達人ですが、陳平は人間力に長けた謀略の達人といったイメージですね。
どちらの方が優れているとかでは無く、どちらも当代一流の軍師だったのでしょう。
この人は天下統一後の立ち回りがすごすぎる。
稀代の謀臣でありながら忠臣の恐るべき英傑。
「龍帥の翼」に出てくる陳平の描写がいかにも「食えない奴」感が出ていてすげぇ好き。
あのマンガ、全ての策を主人公が立てたことになるのがなあ。
陳平は主人公じゃないから、離間の計も、実は主人公が陳平に授けた策だった、
て展開になるんじゃないかと不安
@@user-mdjawu4sl3hbez9 出番すら無かった「赤龍王」よりは…。
権謀の智将・陳平と天才軍師・張良を同時に相手しなきゃいけない范増(70歳超)って……。そりゃ病気にもなるわ。
加えて主君はあの覇王だもの。
ストレスMAXになってそりゃ出ていきますわ(そして泊まった宿で病死
太公望でもキツそう😣
加えて項伯が…😓
人類の歴史上、一番吹っ飛んだ脳筋項羽がトップで、その相手が中華史上最強の3人衆+最高の策士を相手にしてたからね。
それでも、紀元前205年から204年滎陽の戦いにわたって少しずつ劉邦軍の補給路や周辺諸侯をを追い込んで、実際には相当押してたんだよね。そこで辞任。
そのあと、実は項羽が一気に負けたような描写が多いけど、実際には紀元前202年末の垓下の戦いまで2年間、両社は広武山あたりでず~~~っと渡り合ってた。
項羽一人で2年以上もやりあってたのだから、もうこの人やばいなんてレベルじゃない。
個人的にはもっと評価されるはずの人物かと
劉邦は陳平を大いに用いましたが「陳平は知、あまりあり。もって一人任じ難し。」と、欠点も見抜いていましたね。
呂氏が外戚として力をふるっていたら新の王莽のようになっていたかもしれない、漢を守り作り直した陳平が世界史に与えた影響は大きいであろう。
後世に陳平と改名する人物が二人も出て来たのをみても陳平の有能さが分かる。
しかも三傑に比べて、その二人共ビミョーなのも陳平を名乗るっぽくて良い。
陳平「これは呂氏の目を欺くためだから!(ウッヒョヒョーイwww)」
部下「丞相、呂后が亡くなりました」
陳平「(もうちょっと続けたかった・・・(´・ω・`))」
未練タラタラじゃねえかww
演技が本当に?
ずっと左が上だと思っていたけど,この頃は右が上だったのね.勉強になりましたありがとうございます😊
中国では右が上ですが、日本では古来から左が上ですね。
私の勝手な解釈ですが、天皇の方から見た右腕は、臣下側から見れば左だからだと思っています。
ずっと右が上だぞ
確か唐代………違ったり
呂雉は悪女というより女傑という方がふさわしい。
やはり陳平も出さないとダメでしょうなあ。
呂氏を追放して、漢帝国の礎を見事に築いて見せたその手腕は張良にも匹敵する業績かと。
呂薙も解ってはいたんだろうけど、殺せなかった。
多分、どっちが先に死ぬか争いしてたんだろうな……
軍師というよりも策士、謀略家という方が正解。銀英伝でいうと「人間味のあるオーベルシュタイン」
まあ、オーベルシュタインの方が陳平や賈詡、北宋の趙普をモデルにして作られたんでしょうけどね。
@@thor0610102 その割にはオーベルシュタインは人間味が無さすぎないか?
キャラ的にはオーベルシュタインよりルビンスキーの方が近い気がする(´・ω・`)
すみません。私は田中芳樹先生のファンですが、歴史上の人物や現実に生きている方とフィクションを比較する趣味はありません。
田中芳樹先生もヤンや「創竜伝」の竜堂始さんの台詞を借りて仰っていますよね。
「現実とフィクションを混同するな」と。
私の周囲にも時々「銀河英雄伝説」の登場人物に歴史上の人物を当てはめて語る方が現れます。その度に「田中芳樹先生は作品の登場人物に、歴史上の特定のモデルを使うことはないし、特定登場人物の台詞を借りたり、エッセイや対談で幾度も『フィクションと歴史上や現実の人物や出来事を当てはめたり混同しないように』と言っている作家さんですよ。」と言っているんですけどね。なかなか聞いてはもらえません(苦笑)
一つ、実際に田中芳樹先生のエッセイに書いてあった話を。
ラインハルト・ローエングラムについて『第二次世界大戦時のドイツの士官にラインハルト何とかという士官がいた。ラインハルトのモデルは彼だ。」という人がいたそうなんです。それについて田中芳樹先生は「ドイツ人の名前を集めて姓と名を切り離し、響きの良い名前を組み合わせただけ」とはっきり仰っていました。「ヤン、キルヒアイス、オーベルシュタインらメインキャラクターにも特定のモデルはいません。」と書いてありました。
小説「銀河英雄伝説」についても「初版の売り上げが悪かったら1巻のみで終わる予定だった。キルヒアイスが死ぬ時でさえ3巻で終わる予定、人気が出てあわてて物語の構成を練り直したら今度はヤンが8巻まで生き残ってしまった。結局、本伝が10巻になったことで出る予定のなかったキャラクターが創作されたり、より深くキャラの性格肉付けができて出番が増えたキャラクターがたくさんいます」と。
最近はこうした裏話を知らないファンも増えたのでしょう。歴史上の人物と「銀河英雄伝説」のキャラを当てはめる人達が増えてきたのは。
@@thor0610102 いや、誰も銀英伝のキャラのモデルが誰かなんて話はしてなくて、銀英伝のキャラと性格的に近いのは誰かという話をしてるんだと思ってたんですが(´・ω・`)?
秀吉の軍師黒田官兵衛と似たタイプ。秀吉は偶然にも劉邦と同じように黒田官兵衛、竹中半兵衛という陳平、張良に匹敵する軍師を手に入れていたんだよな。
10:13
足を踏んだっていうのは表現なんだろうけど、劉邦ってガチ物理で足踏まれてそうw
帝が周勃に税や治安の細かい質問をした時、周勃はほとんど返答
出来なかったが陳平は各責任者の名前を言って彼らに尋ねるよう
返答したエピソードがある。周勃は陳平をなじったが陳平は『君は
各省の全てに精通するつもりか?我々は各責任者を・・・把握して
いれば良いのさ。』と言った。周勃は自分が陳平に遠くおよばない
のを悟り職を辞した。(海音寺文庫)
それでも、わからないことをわからないというあたりが周勃のいいところだと拙者は思うでゴザル。ここらへん姦臣だとすぐにごまかして、ありもしないことをいったりするからなぁ
この頃の逸話ってみんなケレン味があって面白い
劉邦といい韓信といい陳平といいニートおおすぎぃ!
離間の計だけでMVP級なのに、匈奴からの高祖救出、呂一派追放までやってる。
鴻門の会くらいしか目立った功績が無い誰かさんより上だと思う。
頭がいいひとのウヒョヒョ状態は油断ならない。
司馬仲達も!
陳平を知る良い動画だと思う。
他の人物も動画にして、最終的に
まとめた動画作って欲しい。
この時代の人物解説を聞くと、ピックアップされた人物の周りの人物もやべー奴ばかりなのを思い知らされて、いつも草生える
陳平の秘匿された策は、公開されると漢にとって大変不都合なものだったと想像します。
滎陽の時は、部下の紀信が身代わりになりましたが、おそらく親族の誰かが犠牲になった(しかも本人の承諾なし/呂氏の一族など)、もしくは屈辱的な和議をしたかと(公開されていないので、和議とは呼べませんが)。
それにしても政治家、策略家としての呂薙は超一級品。もし彼女が男で家臣だったら、楚漢戦争ももう少し早く終わったかもしれません。
結局、長生きはするものだということですね···
張良=全盛期のヨーダ 陳平=きれいなシディアスって感じですかね。
曹操が賈詡を配下に加えたときに「我が陳平を得たり」といって喜んだとか(適当)。
横山光輝の史記と項羽と劉邦では、デザインが違い過ぎて残念(史記はイケメン)。
ちなみに、漫画になる際は、陳平のスッポンポンは見所の一つ(笑)。
連載中の月マガ『龍師の翼』では、見開きでデカデカと陳平のスッポンポンが正面からページ中央に堂々と描かれています(笑)。
当時の中国は見た目も才能の一つとして評価されていたので、どれだけ能力があっても見た目が悪いと評価してもらえないのが当たり前な文化だから、この辺の歴史に名を残している人たちってみんな当代のイケメンの筈なんですよね(´・ω・`)
イケメン イズ ジャスティス!
「仁徳一切問わず、いまだ魏無知に会えぬ者よ、我が下に集え」
曹操が求賢令出したときにこんなこと言ったらしいけど
今まさに、ひたすら有能なだけの人物が求められてるのかも分からんわね
郭嘉を弾劾しようとした陳羣を見て両方出世させる人物眼の怪物の曹操だからこそこれ言って効果ある、ともいえるんですけどね
そして、周勃の息子である周亜夫は、彭越の親友であった欒布(らんふ)と共に呉楚七国の乱で活躍するのであった
この動画楽しみにしてました。
この人も漢を建国するのに絶対必要な人だったので漢の三傑と並び評されるだけのことはありますわ。
呂雉との駆け引きが豊臣秀吉と徳川家康みたいで面白かった(長生きを武器に戦う所が)
妖夢にしっかりしろお前しかいないんだぞってメッチャ期待されてるとこ草生えまくりWWW
誰かがこの人について「功績と能力の割には雑魚っぽい名前」だと言っていました。確かにシンプルな名前ですね。現代日本のキラキラネームとは対照的です。
三国志にいたら大体郭嘉や程昱や法正あたりと一緒に伝立てられてそうな人だ…
最低でその格。魏なら二荀、呉なら周瑜クラスかと。
投稿お疲れ様です!1
司馬遷からも「奇策を出し、困難の免れさせ劉邦を救った。呂后の時代も多事多難であったが、漢王朝を安定させ、優れた宰相と讃えられた。始め良く、終わり良くと言える。知謀の士でなくて、これがやりとおせただろうか」と言われた人ですね!
なにがすごいって呂公の妹があることないこと吹き込んで失脚させようとしたら、「酒飲んで政務をおろそかにしてると噂してるだと?よし、これからはそう過ごそう」と仕事に手を抜いてわざと地位に満足してるという態度をとって腑抜けになったと思わせて難を逃れるとか。とにかく危機を回避するのが上手い
@@あぼぼです うつけになった奴をころしたり貶める価値はないと見せかけるのは凄いですよね。
肉屋というのは案外大事な役職にいたりするので現在の価値観でみてはいけない
信陵君の食客で、邯鄲の救援において大きな活躍をした朱亥も肉屋でしたね。
そもそも宰相の宰が包丁で肉の切り分けは重大な行為でしたからね
成りたくても成れない立ち回りだよなぁ。
愚かなふり、ボケたふりをして政敵の脅威をやり過ごす。簡単なようでいて実は至難の業だと思う。
陳平や司馬懿はそれができたから最後に勝ちを収められたんだね。
(*・・)σ
陳平、史上最強の政治家という感じ。時がくるまで何十年でも警戒されながらも討伐されず力を温存し続ける・・徳川家康とちょっと似た印象を感じたり。
後の司馬懿、李勣も同じ感じを受けました「食えないやつ」感満載
「この辺りは三国志の賈詡に通じるものがあるな」
「詳しくは「賈詡」を見てね」
この流れで笑ってしまったwこう評価待ったなしですw
めちゃくちゃ良い動画でした!!
張良が竹中半兵衛なら陳平は黒田官兵衛という構図になってしまう
両兵衛のイメージは、やはり先達にあたる張良と陳平に対応して作られたって印象がある。ただ、清廉で無欲な半兵衛に対して、どこか欲深く、油断ならない官兵衛という対比像は後世の脚色なのであって、実際半兵衛が清廉だったかは同時代の資料に見られず、文献による裏付けが難しいらしいです。とはいえ、竹中家の領地が黒田家のそれに比べて少なかったのは事実なので、土地をもらっていないのは本当のようですが(逆を言えば故郷の美濃周辺から領地変更にならず、ずっと故郷から離れることはなかったといえます)。
陳平って生きるために裸族になったんだな
閻魔大王:来世は周恩来な
陳平:魂すり減らすからやめて~
冒頓単于のところに出てくる韓王信は韓信とは違う人ですよ...
中国史あるあるだよなぁ。一文字加わったり、一文字違ったり、読みが同じでも、篇が違うから別人だったりorz
陳平好き
めっちゃ型破りだよね
陳平は頭の良いのは当たり前で、真にすごいのは空気を読んで決断する能力だよな。
陳平さんは、漢朝の立て直しについてどうすればいいのか悩んでいたけど、それにアドバイスした人物がいます。陳平さんが(先生)と呼び、師と崇めた人物…。陸賈と言う人物です。
高祖死後、呂后のやり方にいや気が差して、病気を理由に隠居してしまったのです。その陸賈先生に相談した陳平さんは呂氏が帝位簒奪を企てていることを陸賈先生に相談したら、陸賈先生は、人間の欲望は限度がない!。と言っていました。
「面従」という言葉は表面的にはペコペコしてるが腹の中では別の心がある状態をいう。呂后独裁時代の陳平はまさにこの面従を徹底して馬鹿のふりを徹底して自分の命を守った。「私の気分」を地球で最も大事にしている呂后から身を守るにはそれしかなかったのだろう。
激動の楚漢時代を勝ち抜いた本物の勇者であり、オバハンに引っ張り上げられただけの呂氏のボンボン達が陳平に敵うはずもない。
暗い部分がある参謀…
漫画でありがちな設定な気がする…
長生きだったり無能の一芝居うつところは司馬懿がよぎる
司馬懿は将軍に近いけど
後の李勣も陳平や司馬懿と同じく「処世術最強」でしたね
野末陳平の名前のもとになった人物ですよね。
歌舞いてますなぁ
谷村新司のあだ名でもなければ、野末陳平でもなく、オリジナルの方か!
劉邦の後陳平が本当の統一まで推し進めたんだな。それにしても夏侯嬰も生きてたのか
韓信を見出したのは夏侯嬰と蕭何だけど、
陳平を見出したのは完全に劉邦なんだよな。
能力を見抜いたのか高身長の美男子だったかは分からんけど。
色々ありがとう
「うっひょひょ~い❣️」し放題で寿命を縮めた隋の楊堅「…」
ボソッ 「谷村新司のニックネーム……」
劉邦もそうですが、出自のよく分からない人物たちが大活躍で良い 笑
こういう連中が項羽を倒してしまうんだから世の中面白いよね。
何となくだけど、カエサルと劉邦って気が合うような気がする
劉備配下でいえば、張良は諸葛亮 陳平は法正といったところかねぇ
面白いことに、正史「三国志」の陳寿は、諸葛亮を「蕭何」と称しており、張良、陳平にあたる人を蜀では誰とはいってません。それどころか、諸葛亮に関しては、政治的な手腕を絶賛したものの、軍人としての才能に関しては疑問視してややぼかしています。ただし、劉備が生涯で爆発的に領地を拡大させたのは、龐統、そして法正が前線で献策していた時期なので、法正を陳平とみても誤りではないと思います(実際性格の悪さや経歴が法正はあんまりいいほうではなく陳平に似てるし)。
要領よすぎ。
晩年の周勃とのコンビがええのよな
陳平は周勃を立てて、周勃は陳平には敵わないと良いなりの良き夫婦関係
日本の戦国時代の軍師に例えるなら、タイプ的には張良は竹中半兵衛、陳平は黒田官兵衛って感じかな。まあ官兵衛は陳平のように天下統一後は秀吉からはあまり信頼されず、むしろ韓信のように警戒されてましたが。
呂一族が急拡大をしていなければ、逆に急拡大をして三国志の司馬懿の様な役割を演じていた可能性もあるね
歳がばれそうだけど、昔、谷村新司って「チンペー」って呼ばれてましたよね。関係あるのかな?まあ、それほどの関心がないのでググってないんですけどね。
陳平さんともあろう人物が、これからどうすればいいのかわからないからアドバイスくださいと、陸賈先生に相談していたんですよ。陸賈先生は周勃さんとは親しくないですな。と言われ。これからは親交を深める事ですね。と言われています。士人は、太平の世には宰相に期待して、天下危うければ将軍に期待するものなのです。その宰相と将軍が力を合わせれば士人は皆ついて来ます。士人の支持がある限り帝室の崩壊はありませね。今は宰相と周勃将軍に漢朝の運命がかかっています。と言っています。
陳平が右丞相になった経緯はれーしさんの動画でも載っています。
チン平といえば、カン太とトン子の三人組を思い出す(´・ω・`)
サリーちゃんの友達ヨシ子の弟たちかな?
トン吉チン平カン太でトンチンカンだったか?
おそ松くんと同じでほとんど見分けがつかない三人
学研の漫画ですな。
とんちんかん化学教室。
懐かしい。
俺も・・・遊びたい。
ここで出てきた中で呂雉が最強ということがよく分かったわ。
漢文の文法で
項王都尉陳平をして沛公を召さしむ
ってあったなあ
劉邦って正直各異民族がいる状態なのにもかかわらず猜疑心の虜になっているから「楚漢戦争に勝った程度で天下統一の気分は早すぎだろ」って正直思うけど、当時の中華思想じゃあのエリアだけが唯一の全世界だったからしょうがないんだろうけど・・・
気が早すぎだよね
殷?ってこの時代にあったの?
他の方の同じ質問には応えたのにこちらには気づかずすみません。
結論から言うとありました
最初は返信で書こうと思っていたのですがすごく長くなったので別にコメントします
自分のコメントを探してください
@@とりことりこ-k4f ありがとうございます!
サムネの陳平の名前が「陳手」もしくは「陳毛」に見えた
もし呂氏が天下を取っていたらこのような評価はされていなかってでしょうね
三国志の賈詡に近いかもしれない(´・ω・`)
完全にゲーム楚漢戦争のDLCの主人公やんけ
ナニ、長身でイケメンに神をも欺く智謀の士とか。
生家は良くなくとも、後天的には恵まれすぎだろう。
多分、楚漢戦争ほど劇的な逆転劇はないと思う…
手に入れるのは難しいけど扱えば最強の杖ってイメージの張良
気付かぬうちに敵にデバフをかけてくる回復魔法のイメージな蕭何
取手に刃物がついてる最強の剣ってイメージの韓信
最強だけど扱いがとても難しい魔導書ってイメージの陳平
項羽さえいなければ蕭何ともう一人いれば皇帝になれただろうと言える偉人達
ほんと項羽って何者なの?
性格といい、謀略といい、頭脳といい、タレーランに似ている気がする。
張良は官房長官、陳平は参謀総長って感じなのかな。
統一後の活躍が凄い。
魏無知って子孫は魏延になるの?
張良≒藤原鎌足 陳平≒本多正信
16:07 呂雉は陳平の態度に怒り、王陵を太傅の位に昇進させた???
自分の意見に同意したら怒って、反対したら昇進させるの???
美人画を匈奴の后に贈り、中華の地にはこんな美人が沢山いる。ゼンウ
もそれに目が眩んで后であるあなたの地位が危ないでしょう。と言ったらしい。
周勃は太尉
…さらばースバルよー🎵
軍師って中国にしかいないよな基本
半兵衛とか官兵衛はいるけど
生き残った者が勝ち
呂雉の命日は豊臣秀吉と同じ日だ!
逸話のせいがあるのはわかるけどサムネAV男優にしか見えないww
葬儀は張氏の娘の亡夫じゃなかったはずだが・・・
なんとなく、語尾が「やんす。」になってそうな名前だ
殷?秦でしょ
秦の滅亡後、劉邦と項羽の戦いが始まる前に項羽が(義帝の名前を使って)諸侯の爵位と封地を定めたのですがその中に殷王もいました。なので殷で合っています。
@@my-eg8ge そうなんですね。ありがとうございました。up主失礼しました。基本的なことだから間違えるはず無いのにおかしいなとは思って書くの躊躇したんですけど。勉強になりました。
@@闇の戦士香山リカさん ちなみに項羽によって任じられた殷王こそ、項羽の配下時代の陳平に攻め落とされた司馬ゴウ(司馬懿の祖先)です
というか元々殷って地方名なんですよ
殷という地方に住む、自らを殷人と名乗る人々が支配層だった都市国家連合王国が、間違いなく存在したことが分かっている中では中国最初の王国だったってことで便宜上王国名も殷って読んでるんだけど、実際のところ王国名はどうだったかよく分からない
商人という言葉の元になった商というのも殷王朝の別名みたいになってますが、こっちはその王朝の時々変わっていた王都の1つ(かつ最後の王都)、及びその周辺地域のことで殷の一部って感じです
その殷地方に項羽が新たに封じた王国がこの場合の殷ですね
@@とりことりこ-k4f 確か父親がキングダムで話題の趙の司馬尚だったけ?
陳平もチート爺だったのかもね。寿命以外の敵は居なかったか。
余計な事なんだけど…w
陳平は、実は兄嫁さんと姦通…なんて話もあるんだよねw
それとどうも行動をみると、他人の顔色を見る日和見が多く、それが異常に的確だった節もある。