琵琶湖周航の歌 加藤登紀子 Song of Biwako Shuukou Tokiko Kato
Вставка
- Опубліковано 14 жов 2024
- 作詞者 吉田 千秋
作詞者 小口 太郎
第三高等学校(現、京都大学)水上部(ボート部)の歌で1919年(大正7年)に発表されました。
Lyricist Chiaki Yoshida
Lyricist Taro Oguchi
It was announced in 1919 (Taisho 7) by the song of the third high school (currently Kyoto University) boat club.
亡き父も学生時代ボート部に所属していました。父の練習場は松島湾でした。私も子供の頃は父の漕ぐボートに乗りました。この歌を聞くと父との思いでが甦ります。父の青春はどんな日々だったのかと。
滋賀に生まれ滋賀で育ち30年。そして滋賀から転勤し20年。今は新潟在住。この歌を聞く度に昔に母親から聞いたことを思い出して懐かしく涙をする時もあります。この歌がなければ故郷を思い出すことは無いだろうとつくづく思います。この歌のお陰で故郷や親を思い出すことが出来てありがたいです。
こんないい歌が故郷にあることを羨ましく思います
この歌がお好きな方が滋賀と新潟にご縁があるとは、なんと羨ましい。
この歌の原曲「ひつじぐさ」の作曲者・吉田千秋は新潟の人です。
父親・吉田東吾の記念博物館が阿賀野市にあり、その中に吉田千秋の
コーナーもあるようです。「琵琶湖周航の歌」にまつわる壮大なロマン
が語られているかも、です。私も行きたいところですが、ちょっと遠い・・・。
@@夏子-m2b
@@夏子-m2b さん、こん〇〇は。先日琵琶湖周航の歌資料館を訪れましたが、記念館の情報をありがとうございます。私は、群馬県ですから高速を使えば楽に日帰りできます。時間を作り行ってみようと思います。
@@kitxvkit
この曲は たまたま偶然にできた珍しい曲なのです 普通 曲の完成は作曲→作詞 反対に作詞→作曲ですよね 大正6年6月27日 今津の丁子屋旅館 小口太郎が詩を作成→班長 中原次郎が集合命令→谷口謙亨が 寮歌ひつじ草(大正4年吉田千秋作)にあてはめると ピタリです 曲の完成です! 吉田千秋と小口太郎は一歳 面識はありません
また2人共 若くしてなくなりますが 天才と秀才ですよ!
翔んで埼玉 琵琶湖より愛を込めて からきました
この歌が登場します。かなり印象的なシーンで何度も出てきました。
コメント頂きありがとうございます。
加藤登紀子さんの歌唱で、この歌が輝きを増しています。
長浜市で生まれ、二十の半ばまで過ごしました。竹生島、伊吹山、彦根城、松原水泳場、姉川、マキノスキー場、余呉湖、長浜の慶雲閣、どれもこれも懐かしい思い出が一杯詰まった所です。父母亡きあと、この歌を聴くと泪が出てきます。故郷離れてはや50年、いつかは故郷に戻り琵琶湖を眺めて余生を過ごしたいと思っていましたが、はかない夢に終わりそうです。
コメント頂きありがとうございます。「ふるさとは遠きにありて思うもの」その通りですね。私は栃木県の那須町に生まれ、18歳でで大阪に就職で来てから早56年が過ぎます。琵琶湖は好きでよく行きました。特に湖西から湖北の風景が好きです。海津大崎の桜は絵になりますね。竹生島は西国三十三の巡礼で行きました。40代の頃、老後に暮らそうと現在の新旭町外ヶ浜近くに土地を購入しましたが、諸般の事情でとうとう行けず仕舞いでした。貴殿のコメントにて改めて遠い故郷を思い浮かべました。駅で見送る母を後に、列車が利根川の鉄橋を渡る時の夕焼が印象的で、今も瞼に浮かびます(大阪への就職は東京から夜行列車でした。)ありがとうございます。
亡くなった主人と、琵琶湖周辺 ドライブ行ったこと思いだし
この歌を聞くと寂しい時、何回も登紀子さんの歌聴きたくなる。
コメント頂きありがとうございます。ご主人様との深い思い出があられるのですね。本当に加藤さんの歌い方は思い出を掘り起こされます。どうぞご主人様との思い出をいつまでも大切にしてください。
天国のご主人も一緒に聴いていらっしゃると思います。
他界した母親の故郷は鳥取県の米子市と言う所なのですが他界する数ヶ月前によく琵琶湖周辺に車で連れて行きました。この詩を聞かせると涙を流し、綺麗な詩だね!と、言った事を鮮明に覚えています。戦後米子市から岐阜市に渡りとても苦労し故郷は違うけど米子市の葭津を走馬灯の様に思い出していたのかと思うと涙が止まりませんね!素敵な詩に感謝です。
コメント頂きありがとうございます。私は栃木の那須の生まれですが18歳で大阪に就職で来て、早56年になります。私はこの歌を聞くとなぜか、大阪に出発する日、小さな駅で母に見送られたことを今でも思い出します。列車が利根川の橋梁を渡る時、ちょうど日没で真っ赤な太陽が窓に眩しく、駅でいつまでも見送る母の姿が重なり涙ぐんだものでした。(大阪には東京から夜行列車でした。)そんなことで貴殿のお母さんの気持ちがよくわかります。私の母もきっと切なかったことでしょう。
@@yukion. お返事誠にありがとう御座います。若き日の思い出と言うのはその時は辛くても人間歳を重ねるといい思い出になるのですよね!一昔の母親と言うのは子供に対する感情を全身全霊で表現していたと思います。時には叱り、時には人目も気に掛けず愛情表現をし、その場は恥ずかしくとも今思えば愛情を全身全霊で表現していた偉大な母親に感謝、感謝の毎日です。ありがとう御座いました。
お登紀さん
いいですねー
なんか
泣きそうなくらい
いい歌です
京都に20年近く居ました。勿論琵琶湖には数えきれない程家族で行きましたよ。今は家族と離別して鹿児島にて生きています。当時の事を思い出すと、今の自分が哀しく思えてなりません。京都にいた時の何の変哲もない極々普通の生活が今思うと、人生で最良の日々でしたね。幸せって失って初めて実感するものですね!琵琶湖の湖畔で家族と遊んだ有意義な日々、この歌を聴くたびに当時の背景が浮かんできますよ。
ご視聴ありがとうございました♪
なくなった親父がだい好きな歌でした。今日月命日です!
コメント頂きありがとうございます。お父様にあなたの声で歌って聞かせてあげて下されば、喜ばれると思います。ご冥福をお祈りいたします。
福島県に暮らす60歳になった、ただの男です。大学時代の友達は、琵琶湖東岸の街の出身でした。37年間も会っていませんし、もう会うこともできないでしょう。だから、この歌が心に沁みます。加藤登紀子さんが歌うから、余計に沁みます。映画『紅の豚』で歌う『さくらんぼの実る頃』も心に沁みました。アップして頂き、ありがとうございました😂
コメント頂きありがとうございます。私も加藤登紀子さんが歌う寮歌や抒情曲の中の三つの好きな曲の一つです。私は栃木県の那須の生まれですが、高校卒業と同時に大阪に来ました。定年後、琵琶湖のほとりで暮らそうと高島市に土地を購入しましたが、成りませんでした。良いところです琵琶湖は。
”登紀子”さんの唱でしっくりくるのは、何故でしょうか・・・。コーラスも良いけど、オトキさんのしっとりとした
歌声はまたジーンと来ます。知床旅情の唱にしても同じような感じで心に染み入る歌い方。
ところで、「西国10番長命寺」と歌われますが、長命寺は西国霊場31番札所なんですよね(笑)
当時の住職からクレームがあったそうですが、第三高等学校在籍の小口太郎氏は、「三十一番」は長すぎて語調に合わないから
「十番」にしたと。この一言で、住職もおれたそうです。
面識も全く有さぬ「小口太郎」氏の歌詞と新潟の作曲者「吉田千秋」氏の”ひつじくさ”の曲が合体して、心に染み入る名歌として
歌われ続けるって、何か天からの贈り物のような気がします。
琵琶湖大橋を渡ると
タイヤ音が琵琶湖就航の歌でした
素敵な県でした
滋賀県ありがとうございます
コメント頂きありがとうございます。
悩んだり
苦しかったり
悩むことがある時には
遠方ですが…
高速道路に乗って
彦根ICへ
琵琶湖湖畔道路を走ります。
するとスッキリするんです。
琵琶湖は私の心を包んてくれます!😂
旧制第3高等学校のボート部の部歌ですね。大正時代後期に出来た名曲です。時代は移れど何時聴いても心にしみます。
琵琶湖の歌が大好きです、これからもずっと応援しておりますがんばつて下さいね。
彼女にぴったりのフイーリングこれだ!これだよ。いつでも聞きます
滋賀に学生時代に4年いました
この前、金沢から帰る時に余呉あたりでこの歌を思い出して
ふとこの歌が頭に過り、この歌を聴きました。
地元でもないけど何故が泣けてきました。
また、春に滋賀に行きます!
コメント頂きありがとうございます。
小口太郎さんの生まれた地域に住んでいるのですが小口太郎さんが琵琶湖にいる時に故郷の諏訪湖、諏訪の海を思い浮かべて出来た歌だと聞きました。😀
こう言う唄や寮歌は加藤登紀子さんの上を行く人が居ない✌✌✌
貴女の澄んだ声、そして、変わらぬ寂く綺麗な声、これからも、登紀子さんのファンで生きてる限り居続けます。
私はドイツ人で。。。妻が琵琶湖の大津出身です。この曲が何よりも大好きで、加藤登紀子さんの声も大好きです。なんという素晴らしい歌です、ね! アップロードしていただいてありがとうございます。*おじぎ*☺
この曲 古くても 良い歌ですよ 私は 52歳やけど 懐メロ大好きですよ💘
50年ぐらい前軽自動車で琵琶湖を時計周りで一周した事を思い出しました、楽しかったですね、タイムマシンがあれば戻りたいですね、歌が心に染ました。
コメント頂きありがとうございます。私は定年退職後に、スーパーカブで気ままに一周しようと思っていましたが、出来ないままに早14年が過ぎていまいました。もうだめでしょう。
でも車や徒歩で、一周とはいかないまでも何度も行きました。私は北琵琶湖が好きです。海津大崎の桜を眺めながら歩くのが何とも言えません。
良い歌ですよね 私
この曲🎵大好きです 何年か前に 母を連れて 琵琶湖で観光船にも乗りました 楽しかったです
いいことをされましたね。
昔、竹生島行きの観光船に乗ったのを想い出しました。
私も大津から
母と一緒に
船上しました。
もう他界しましたが…
琵琶湖には
何故か安心感とか
安らぎを感じます。
京都で産まれ、滋賀の亡き旦那さんと50年、滋賀のいろんな所を、行きました❤😊😊
日本国の名曲は民謡や浪花節とか詩吟や演歌や昨今流行っていた歌謡曲それに童謡唱歌やいっぱいあるけどなかでも加藤登紀子さんのこのどこか懐かしいこの一曲が好きです。または森繁久彌さんの名曲の知床旅情のあの感じも大好きですいつまでもいつまでもどこか懐かしくて何だか目頭が熱くなりやっぱり最高でいつまでも廃れないですよね
コメント頂きありがとうございます。そうですね。森繫久彌さんが歌う森繫節はなんともいえない哀愁がありますね。
加藤登紀子とポリドールオーケストラの組み合わせは最高です
10数年前まで、毎年の様に、夏に白髭浜ヘ泳ぎに行ってた頃を懐かしく思い出します。永遠に歌い継がれる名曲だと思います。
コメント頂きありがとうございます。
とてもいい曲です。私は琵琶湖をTVでしか見たことがありません。しかしその昔水上勉さんの作品で余呉湖などをしり是非行ってみたいと思っていたらお婆さんになってしまいました。🎙️😆🎵でもよく歌ったものでした。懐かしい。
コメント頂きありがとうございます。これからでも是非行ってください。私は大阪に住んでいますが、一度今津に別荘地を買ったことがありますが(別荘を建てることはかないませんでしたが)いい処です。私としてはどちらかと言えば、琵琶湖は湖東より湖西の方が情緒があるように思えます。
加藤さんの歌唱いいですね🎶…2回の旅をし琵琶湖の大橋を渡り流石~
日本一の湖!湖水に夕陽が映り火柱のように輝く光景は素晴らしかったです❤️
ところどころ音程を外すのが独特の味ですね。
この歌は原曲を少しアレンジしたメロデイになってますが、素敵な 曲になってますね😃大好きです😄
京都や大阪、兵庫などの関西圏に住む人は、水不足の苦労をあまり知らないのではないだろうか。それは、この琵琶湖の豊潤な水系があるからだと思う。併しながら、琵琶湖は関西の水がめとか貯水槽に喩えられるだけの存在ではないであろう。冒頭、比良山系を望む空撮映像の美しさに感嘆を禁じ得ない。夏の夕暮れ、湖面に映える美しい夕焼けに接し、こころ震えたのをいまも想い出す。高音質のUPに感謝。
度丁寧なコメントを頂きありがとうございます。
おっしゃられます通り、関東から関西に来て50年以上になりますが、水不足で困った経験はありませんでした。ひとえに琵琶湖の賜物と思っています。
一時は水質の悪化が懸念されましたが、最近では改善がみられほっとしています。
それにしても琵琶湖ほど哀愁を漂わせる湖はありません。特に夕暮れ時においては。そんな琵琶湖に、私もこの曲はピッタリ合っているかと思います。
私はインドネシアから参りました。今滋賀県長浜市に住んでいます。宜しくお願い致します🙇♂️
コメント頂きありがとうございます。日本の生活はいかがでしょうか。長浜にお住まいのようですが、海津大崎の桜は見られましたか。
@@yukion. 日本の生活はもう慣れました。楽しいです
Didien05 official : Welcome to Japan. 🥀 ☺🥀 We hope your stay in Japan will be a wonderful time.
Bagaimana anda tingal di kota Nagahama?
素敵な曲に仕上がってますよね😂😌😉
もちろん私が半年前に職場を退職した時に妻に目の前で歌ってあげましたょ😉
僕も琵琶湖の近くに昔3年程いたからこの曲は大変懐かしく涙が出ます。関西の人は本当に親切でした。
コメント頂きありがとうございます。
琵琶湖は約半世紀以上前の中学校の修学旅行で石山寺と比叡山に行った時に見て以来の数年前その中学校時代の同級生と共に比叡山に登りました。
その時竹馬の友で62
歳の若さで亡くなった
Y君が言ってた
近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのにいにしえおもおゆの和歌を思い出しました。
そのような思い出があったのですね。一番の歌詞の最後の「しがのみやこよ いざさらば」のところのバックは、西国三十三巡礼の際に訪れた石山寺の月見亭から撮ったものです。
滋賀県スキー連盟に加盟し指導員として幾度もスキーツアーやスクールで沢山の方々と触れ合っていた若き頃を思い出します。私は大阪在住でしたが、滋賀の指導員仲間たちは他府県の私にも仲間として受け入れてくれました。偉大なる琵琶湖のように。この琵琶湖周航の歌はそんなイキイキとした若き頃を思い出させてくれます。
私も京都にいた頃良く琵琶湖に夏涼みに行ってました
もう40年前の事ですけど
懐かしいですネ~
コメント頂きありがとうございます。なにか琵琶湖といいますと、哀愁を感じます。私も琵琶湖にはよく行きました。
加藤登紀子さんの唄う“琵琶湖・・”は、とても感じが出ていて、しっとりしますね。私は、この歌を聴くたびに、作曲者吉田千秋(新潟市新津市出身)のこと、彼が自らは知らずして、この曲の作曲者へとなって行く不思議なストーリーの事を想起します。
吉田氏が大正四年(1915年)雑誌『音楽界八月号』に投稿し、それが或る三高生の目に留まり、その後色々の経過を経て、小口太郎の詞と合体して出来上がったものらしい。元々は、詞と曲は別個に作られたものなのです。このことは、『「琵琶湖周航の歌」誕生の謎(作曲者・吉田千秋の遺言)』(小菅宏著)なる本を偶然に読んで知ったのですが、どの位人口に膾炙しているのでしょうか。と、要らぬことまで考えてしまいます。
コメント頂きありがとうございます。
このようないきさつは知りませんでした。大変勉強になりました。ありがとうございます。
京都に住んで居た時よく琵琶湖に行きました。まるで海ですね。この歌を聴く度に京都でがんばっていた時代を想い出しますねー。丁度阪神大震災が起きた頃でしたねー。やはりこの歌はおときさんが1番ですね。
コメント頂きありがとうございます。私も琵琶湖はよく行きます。比良の山の上から望む琵琶湖も素敵ですね。
琵琶湖周航の歌はいろいろ歌手の方々がアレンジして歌われていますが、やはり加藤登紀子さんの澄んだ声での叙情溢れる歌い方が素敵ですね。
カラオケで一番沢山歌いました(~▽~@)♪♪♪昔東京の映画館で聴いた記憶があります
昔「社長シリーズ」の作品の中で森繁久弥さんが歌っていたのを思い出す。いい歌です。
後世に歌い継がれてほしい。
コメント頂きありがとうございます。私も、この歌はいい歌ですので、きっと歌い継がれると思います。
精神安定には最高な曲です。
琵琶湖にヨットを浮かべ 大津マリーナから琵琶湖大橋を越えて 大海原にて
セーリングしたな 夏場の
土日は毎週々 飽きもせず
冷やした缶ビールは最高じゃったわい😋
UA-camでこの歌以外にも多くの歌を聴いていますが、時折りこの歌に帰ってきては和んでいます。(´∀`*)
KATO TOKIKO加藤登紀子💖👸
Great!🎼🎵🎸🎤📀🌟🤩👍👏
From Hong Kong🙋♀️🌏💝🌺🥰
Thank you for your nice comment.😀
先日、念願の琵琶湖周航の歌資料館を訪れました。 館内には〜Lefa〜さんの琵琶湖周航の歌が流れていました。
加藤登紀子さんも大好きですけれど、〜Lefa〜さんもまた旅情を感じられ好きです。次は琵琶湖を一周しようと思います。
コメント頂きありがとうございます。私も定年後、スーパーカブ(バイク)でゆっくりと琵琶湖一周しようと思っていましたが、15年たっても実現できませんでした。是非一周してください。
第三高等学校漕艇部部歌として誕生した名曲。
大正6年、当時三高学生だった小口太郎が合宿中の今津の宿舎で作詞し、級友の吉田千秋が作曲して愛唱され、
以来日本人の心の歌になりました。
コメント頂きありがとうございます。大変勉強になりました。
今琵琶湖汽船に乗りながら聞いてます。
🏝️🌊久しぶり琵琶湖就航の歌琵琶湖の横で毎日すみきつた🌊琵琶湖加藤さんのすみきつた声琵琶湖就航にビツタリ母と一緒に散歩したこと思い涙がありがとうございますコラスで歌った(~▽~@)♪♪♪懐かしい曲
コメント頂きありがとうございます。思いで深い曲なのですね。
なつかしいいい曲ですなあ。
コメント頂きありがとうございます。
聴いたことある古い歌ですが、覚え易い歌です。
🥀🌷琵琶湖周航の歌 / Biwako Shuko no Uta / Lake Biwa Rowing Song 🥀🌷
by 加藤登紀子 / KATO, Tokiko
京大に憧れた。琵琶湖周辺の観光地大好き❤😊
コメント頂きありがとうございます。北琵琶湖の海津大崎もよい処ですね。
@@yukion.
行ったことがありますが、桜にはまだ早過ぎました。でも大崎寺からの湖の景色は良かったです。
@@blissful912 様 ご丁寧な返信ありがとうございます。
この唄を聞くと、生きてきた己のをふりかえる。
男と女は、やっぱり思想や思考が違う生き物で、喧嘩もすりゃぁ慰め合う者さ。そんなこの詩が好きだ。
酔っ払いには最高の歌だね。
心が穏やかになる曲ですね、最近毎日聞かせて頂いております。とくに最後の、仏の卸手に抱かれて…という場面がいいです😅頑張ってずっと聞かせて下さいね♪。^_^
昭和46年夏、昼下りのMBSラジオ、グアムグアムリクエストで良く聞いた。
湖国、隠れ歴史的舞台のあった場所で西川貴教にも歌って欲しいな
聴いてみたい!
京都生まれ!
琵琶湖大橋通る時におんぷがあってそこ通るとこの歌が聞こえてくるのめっちゃ好き…あの音ほんと最高
滋賀県民だが、パッとしたモノは琵琶湖以外ないからねwww.電車で大阪京都はすぐ行けるし、そりゃあイジられるよ。有名な掛け合い「琵琶湖の水止めたろうか!」って京都に言うのは半分はネタやしねwww.
けど、それぐらい緩いところでもある。ムダに発展してるワケでもなければ、小ぎれいってワケでもない。発展してるなら京都大阪神戸行けばいいし、小ぎれいなら琵琶湖の湖西なんてドブやで。かと言って文化もないわけではないし、湖西は比叡山、湖東は安土城跡、湖南は甲賀、湖北は浅井などあるし、有名な郷土料理「フナ寿司」なんてwww.有名になった「サラダパン」の「行列のできる法律相談所」事件での島田紳助のイジりは西川貴教のライブだけではなく、滋賀県を起てた。
今時は唄うこと殆どない歌だけけど、
30年くらい前はときおり年配者が
カラオケでリクエストしましてね。
それに合わせ、同じ伴奏での
『真白き富士の峯』を
周囲の者が大声で歌ってね。
地元(近隣)なら字幕など見ずとも
大概は暗唱しているから(笑
そこそこ上手く収まちゃう。
’90年代、湘南のカラオケ酒場では、
時おりゴチャ混ぜで唄いました。
けっこうラフな作曲(?)ですよね 🐽=3
コメント頂きありがとうございます。
歌詞の中国語訳です。
「琵琶湖周遊之歌」
我是琵琶湖的孩子
流浪之旅感觸良深
霧靄冉冉漣漪盪漾的
滋賀都城啊就此告別
青翠松樹雪白細沙
據說雄松村落少女
在紅山茶花森林暗處
因短暫無常戀情哭泣
隨波逐流任意漂浮
懷念碼頭紅色燈光
行蹤不定以波浪為枕
今日前往今津或長濱
琉璃花園珊瑚宮殿
古老傳說的竹生島
被菩薩擁抱於手上的
少女請平靜安詳入眠
この歌これを見て歌いたくなりカバーしてみました。よければ。。。
すっぱらしいね!
コメント頂きありがとうございます。
今月に他界した祖父の思い出の歌でした。祖父を思い出しまず。
学生時代にゼミの教授が京大出身で酔うとこの歌を歌っていました。
コメント頂きありがとうございます。私も後期高齢者となり、その気持ちが分かるような気がします。
びわ湖花火から来ました〜
ビワの葉はアツシコーヒーの葉のように
河村通夫の大自然まるかじりライフ2022/03/08放送で流れてました。
利家とまつ 琵琶湖周航の歌 滋賀のほとりの 散歩道 2人が見たものは何ですか 高野山 神松寺 長浜城 もう 城はありませんよ 賤ヶ岳 柴田勝家と 前田利家はどうして もうとっくに死にました 柴田勝家は おいち と死んだか 37500年前ですか そうか まだまだあるな 五十川周りの海賊たちはどうして 急がば回れだ もう時代が違いますね なんちゃって こんな感じでもいいぞ 近江八幡 二宮 湖 首を切られた姫様は 最上 お姫様 なんでもいいよね ダイキン工業
ダイキン工業琵琶湖周航の旅栗東から瀬田西琵琶湖利家と松急がば回れ海賊船水の都近江八幡豊臣秀長右大臣豊臣秀次摂政関関白最上の姫の涙流流れて琵琶湖かな浅井朝倉姉川合戦もうすぐ先の賤ヶ岳勝家お市の最後の地まだまだあるよたくさんね辞めるかな用松吉保
😀🇯🇵 ♬🌹♬ 🌟🌟🌟🌟🌟
加藤登紀子さんは 幸せですね それは良かった 幸せな 幸せな人は 家族で歌わに決まってる あすみん プロの自由だけ プロテイン 逆襲 この歌 琵琶湖周航の歌 音声入力 だからね なかなかうまくいかなくて 神田イヤルガン リアルかな
おらも
へひへ
琵琶湖の歌が大好きです、これからもずっと応援しておりますがんばって下さいね。