#お墓から見たニッポン
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- Опубліковано 29 лис 2024
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『腐敗した江戸幕府を“世直し” 大塩平八郎』江戸末期の大坂町奉行所の与力だった平八郎(1793-1837)は、敏腕与力で名をはせたが38歳の若さで辞職。
当時、天保の大飢饉で米の値段は6~7倍に跳ね上がり、餓死者は一冬で5千人にも達していたが、腐敗しきった幕府は無策のまま放置していた。
平八郎は何度も奉行所に窮状を訴えたいたが無視され続け、ついに死を覚悟の上で世直しを決意。弟子や貧しい農民とともに反乱を起こす(大塩平八郎の乱)。
幕府の直轄地で元役人が反乱を起こしたことで、幕府に大きな動揺が走る。
そして平八郎は計画通り、用意していた火薬に火をつけ爆死という壮絶な最期を遂げる。
そして、火の海にされた大坂の庶民ではあったが、自分たちのために戦った彼を愛し、立派な墓を建てている。