ぶっちゃけどうなの邪馬台国朝倉説!其の弐 ルーツを辿る編

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  • Опубліковано 29 лис 2024

КОМЕНТАРІ • 2

  • @ghryt2884
    @ghryt2884 5 місяців тому +1

    魏志倭人伝・(磯上乃)古事記を正しく解釈出来ていますか?
    魏志倭人伝の記載は邪馬台(たい)国(邪馬台国は新井白石が名付けた)でなく、邪馬壹(臺)国(やまと国)であるとご存じですか?
    邪馬台国は存在しません。下記にピッタリするのが邪馬壹国で阿波で正解です。九州・近畿等他説はピッタリしますか?
    ---------------------------------------------------------------------  
    候補地は魏志倭人伝記載通りに、山から丹(辰砂)がでますか? 真珠青玉(原石:青石)が取れますか?
    帯方郡から12000里ですか? さらに狗耶韓国から7000里ですか?
    会稽東治(豫洲・下相城)の真東にあたりますか?
    壱岐から松慮国迄1000里ありますか? 宗像が松慮国ではないですか?
    東に開けた海と山が近くにありますか?
    1000里隔てた東海の先には別の倭人が住んでいますか?
    山間部(高天原)にあり周りに21国ありますか? 牛馬はいませんね?
    卑弥呼および後継者に関する伝承が残っていますか?
    古事記(倭・やまと)との深い関連が認められますか?
    古い神社(延喜式神社)や初期古墳等遺跡が多数ありますか?

  • @wajin5695
    @wajin5695 8 днів тому +1

    なんか里数の解釈は不自然だな。1日漕いで千里なんて何処かに出典がありますか、馬なら見かけるけど。
    七千余里は、7日で徒歩は無理、船でも動力なし、しかも地乗り航法だろうから1日30から40kmだろう。陸路は周里なのか、まさか半日歩いたら500里なのか。
     しかも萬二千餘里は合計と書いていない。里を知らない倭人がなぜ、千里と里を使うのか、疑問多々。