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すごいわかる、、、。子供時代は貧乏がコンプレックスでした。大人になって気がついたのは、幸せでないことがコンプレックスであったということでした。貧乏でも幸せな人はいるのに、自分のコンプレックスが浮き彫りになるから見ないようにしてた。
貧困と貧乏はちがいますよね。子供の頃、我が家は田舎でお金がないうえに子だくさんで貧乏でしたが不幸でも惨めではなかった。杉浦日向子さんが江戸時代は街角で面白いことをやれば投げ銭があり、その日暮らしができたというような事を仰っていました。今は、本当に貧困にまで落ちたんだなと思います。
骨董展示会で第二次対戦当時のドイツ軍のコートを試着した事がありました。何気なくポケットに手を入れたら、小さな紙片らしきものが手に触れ、手に取るとそれは切符でBERLIN 1945年とある日付がスタンプされていました。それを見た瞬間に全身が総毛立ち、息を呑むばかりで、声が出ませんでした。キャリコのお話でその事を思い出して、30数年ぶりにまた強烈な寒気に襲われました。
激戦地になる、またはなったベルリンに向かってその切符を買った主は、果たして生き延びたのだろうか。生き延びる事ができず、誰かに遺品として拾われたのだろうか・・・、はたまた地獄の続きのような戦後を必死に生きたか・・いまは誰も語る事はないのでしょう
貧困と貧乏の違いの説明に納得です、スッキリしました。何故なら、貧乏は不幸ではないと思っていたのですが、世間の貧困の問題についてはよく分からないままでした。貧乏=不幸ではない。その通りだし、貧乏でも幸せはある。有難うございます。
一つ訂正すると2畳の銀山の部屋は住居ではなく休憩室日の入りまでに麓に帰れない労働者のための安全のために一晩明るくなるまで待機する部屋なんですよね貧困とは関係ない
貧すれば鈍すると言うが、生きる知恵が貧して生存能力を失うのが貧困と。貧乏と貧困の区別、すごくわかりやすく、はっきり区別していただけてスッキリです。日本の「貧困対策」は、なにかズレてると思ってましたが、腑に落ちました。金を配っても解決できない。貧困自体が社会問ではなく、貧困が社会で起こす事象が問題なだけ。金は無意味でサポート機関が有効。しかし、機関にたどり着けないのが貧困。貧乏は金で緩和できるだろうけど、単に金が足りない人は、貧困とは違う。
字を見ればわかるけど「貧しく乏しい」と「貧しく困る」は全然違うモノですよね。
金の使い方がわからない人への頼り方がわからない本当にありえる話で納得しました
貧困と貧乏は違うためになりました。
北国の大地の端の方の、観光客も来ないような旧い鉱山街の集落に行きその集落から一生出ることなく、ずいぶん前に死んじゃった旦那とご近所のこと以外何にも知らなくてすっかりちいさくなって、しわくちゃになって生きてるお婆ちゃんを目にした時の感情に似ていると思う。街からは野山を遠く隔てていて、雪に閉ざされた季節には、人の行き来も長く途絶えて街に出た子供にも忘れられて毎日、ひとりで手毬歌を呟きながら、干柿作ったり、銭になってるのかも分からないような内職で侘しく生きる。影が長くなって、日が暮れる。そういう世界。でも、そのお婆ちゃんにはそれで良いわけです。かわいそうなんて言われて札束貰っても、当然使えるわけがない。振り込んでって頼まれたら、振り込んじゃう。この国にも、意外なほど近くに、そういう暮らしはあると思います。昔から今まで。
『恋愛』と『貧困』の話題になるとやたら怒る人やその話題から逃避する人がいるのも、日本が先進国から衰退国に転落しようとしている渦中にあって価値観の対立が激化してるからなんだと思いました。
@ハイビスカス 若者のの投票率のために行ってるけど票を入れたい政党が皆無だから困ってる優先順位つけるにしても同じくらい大事に思ってる政策2つがぶつかったり、8割推せても2割が致命的に避けたい考え方だったり、政党的に割と推せても致命的に推せない候補者がいる地区だったりするとしんどい
生活が貧しくなって精神的に余裕がなくなることと、教育レベルが低下することで国民全体のリテラシーが低くなることが同時に起きてるんでしょうね住み続けたくはないけど、国が衰退していく過程を見るのはなかなか楽しいものです
@ハイビスカス ちゃんと選挙行ってるので黙って欲しい
@@user-kh3yw9sg6s 空票って言う、どの政党にも入れないって言う選択肢もあるから悩んでいかないよりは行って空票にした方がいい。
@@麻薬五郎 田舎のためか、この後決めた一番推せそうな政党の候補者がそもそもいない地区でした…比例だけその党に入れました「最悪鉛筆コロコロで良いから」「あの紙の書き心地を味わうだけで良いから」「散歩のついでに行こう」って誘って面倒くさがってる家族と一緒に行ってきましたが、「空票でも良いから」をレパートリーに追加します(昨日は「暑いし帰りにアイス買おう」が効きましたw)
本当の感動をショックを受けて唖然とするだけって言語化すごい。
情報の濁流により処理速度が追いつかなくなる現象を僕は感動だと思っています。
確かに、実体験の感動は「わっ!凄い!」だもんな。
「貧乏でも幸せに暮らす」と言うことはできても、「貧困でも幸せに暮らす」とは言えないわけか。お金や物がない以上に精神的に貧しいとされ、心にゆとりがない状態が貧困かな?
素晴らしい!そのとおりですね
お金がいくらあっても貧困に陥ります。本人の意識次第です。
ゆとりがないと貧困になるよね
@@pmtwj お金があったら余裕はあるから貧困にはならないような。まあお金あっても病気で動けなかったら貧困になるかもしれないけど
@@noname-sf2kt その「お金があっても貧困」ってのがまさにこの切り抜きにある火垂るの墓の解説でしょう?お金があっても「使い方」が分からなかったから節子を助けられなかった。「貧困≠金がない」であって、お金“だけ”あっても何にもならないんですよ。
似たような心情を小学生の時に味わいました。この動画を見て、それを思い出せたので忘れないうちに書き残させてくださいなぁ。小学生時代の夏休み、うちでは母方の祖父母の家に泊まるのが恒例でした。飛行機を使って行くような場所であり、ウチの地域にはないものがいっぱいだったのと歳が近い従兄弟ら、兄弟と遊び回れたのと、夏休み。毎日がハレの日でした。8月の中盤に入り、その日も遊び回って疲れて従兄弟と同じ部屋で消灯。眠れそうになってきた深夜ごろ、おばあちゃんに静かに起こされ、中々顔を出さない怖いお姉ちゃん(血縁上はおば)の部屋に連れて行かれました。説教かな、何も悪いことしてなかったけどって思っていました。お姉ちゃんが何かをすごく言いづらそうな表情をしていました。連れてきたおばあちゃんも何か泣きそうに見えました。なんとなく、僕がやらかした訳ではないと感じました。でもほっとはできませんでした。それ以上に事が大きそうだからです。「あんたのお父さんとお母さんが離婚したって今連絡が」お姉ちゃんからです。お父さんは仕事が忙しく、旅行は一回も来れませんでした。でもお母さんは毎年来るのですが、今回は珍しく参加してないなって思っていました。お姉ちゃんもおばあちゃんも「ごめん」とだけ呟きます。口に出して止まらなくなったのか、抑えてた涙をぽろぽろ流し始めました。一方僕はどうでしょうか。泣きもせず、目を見開き口はだらしなく小さく開いています。力が抜け、俯いてしまいました。お姉ちゃんに泣いてもいいんだよと言われました。?。理解ができませんでした。おばあちゃんにも抱き寄せられました。オトウサントオカサアンは別れたから、下手したら毎年恒例の旅行ももうこれなくなっちゃうかもしれないのに。頭の中は考えが巡ってるようにも感じれたし、何もない…というよりは止まっているように感じました。情報が一気に入り、たくさんの問題提起が同時に頭の中でなされますが、そこから先の思考がまるでできなく、ただただ頭の中が埋められたことだけがわかる。そんな感覚です。辛いよねと聞こえました。辛いのかもわかりませんでした。あのときはたしか絶望もしてなかったと思います。頭が重く、自然と下を見て、瞬きもできず考えもできませんでした。表現しようとしましたが、もう感覚を忘れてしまいそして言葉も出なくなってしまいました。ここで終わろうと思います。重い話を突然展開してしまい申し訳ないです。オチもないけどここまで見てくれてありがとうございました。長文失礼しましたー
話してくれてありがとう。でもまだ私は当事者でないのでこうやって言葉にできる。傍観者だね。
@@keroyonvida90 快いコメントありがとうございます。僕の話に限れば、傍観者で本当に問題ないです。僕が味わったモノは、感覚は岡田さんのモノに近いですが、感情は完全に別方向でマイナスのモノなので出来るだけほかの人は同じ目にあってほしくないですからね...けろよんさんが何かいい物を見て、プラスの感情でこれを知れたら嬉しく思います!
火垂るの墓は"かわいそう"というよりは、見てるこっちが、どうしようもない絶望感に打ちのめされる辛さに耐えられない。という状態😞(変な表現だけど)
仰る通りです。私は二度と見る事が出来無く成りました、今だに見る事が出来ません。
来日した宣教師が、「不幸にあえぐ人々」が居ないので困った、というね。
日本はほんとそうですね。少ないです日本の布教は、今や不幸に喘ぐ人々の救済メインじゃなくて、自己実現が宗教の中心的な存在意義になってきていると友人が言ってました。
日本はやっぱりそのままで居ることが日本人らしさだったんだね。
一方、マザーテレサが来日した時の公演では経済的には豊かな日本において、心の貧しさを訴えた。「日本では路上で行き倒れて死んでいく人、膿にまみれてハエにたかられている人はいません。しかし、日本を歩きながら大変なショックを受けました。街はきれいだし、とても賑わっているのに、その街を歩く人たちの顔に笑顔がないのです。皆さんの悲しそうな表情が心に焼きつけられました。インドの貧しい人たちは体は病んで苦しんでいますが、日本人は心の中にぽっかり穴があいているのではないでしょうか。貧しい人たちの体をケアする必要があるように、寂しい思いをしている日本の人たちには、ちょっとした言葉をかけてあげてください、温かい笑顔を見せてあげてください。それは私がインドで貧しい人々にしているのと同じことなのです」
貧困の説明すごくわかりやすいです。どうしようもない状態って必ずありますね…環境条件の為に引越しするだけでも捉え方次第では失う行為と同じであり、金銭に代え難い個人の記憶を失う事にもつながる。そう言う執着が強いとある程度お金があっても貧困って言う条件が成り立つ可能性を秘めてますね…理想とする生活予算と現状に隔たりがあれば基本貧困ですよ。
ありがとうございます。意識というか感覚というか、私の中ですごく今回のお話で明確になった気がします。人生で使ってなかった感情の勉強になりました。
火垂るの墓を見ると、つい、はだしのゲンなどと比べてしまって複雑な気持ちになりました。感動するよりもせいたの至らなさが気になってしまって。こんなもんじゃない。この時代の人はもっと強かったぞ。生きるためにもっとできることはいろいろあったはずだ、と思ってしまって、製作者に無理やり感動を押し付けられてるような違和感を持ちました。せいたがコミュ障だった、という考察で腑に落ちました。討論番組で思い通りにならないと怒鳴り散らす原作者も嫌いでしたが、なるほど、コミュ障というくくりに考えるなら納得です。
アニメではなく小説判「火垂るの墓」を読んだ元海軍関係者の話ですが、「もし本当に主人公の子らが海軍エリートの子だったら、絶対に飢え死にするようなことはない。なぜなら海軍エリート達は互いに助け合うものであり、もしもの時に頼る相手を子供に教えていたはずだ」とのことです。
エリートだったけど嫌われものだったから実はそのエリート家族の天網恢々だったとしたら見方変わるな
高橋留美子先生の「貧乏が好きなんですね」は確かに貧乏の話であり、 良く報道される「カップラーメンしか食べられない」は確かに貧困だと言うことが分かりました。さすが岡田先生。
カップラーメンが高いと思えるのは既に一つの文化だ、って言葉をどこかで聞いて「顔が真っ青」になった記憶。
カップラーメン、健康コスパ悪い。贅沢嗜好品だと思う。何事も視点が低いのが貧困なんだろうと思う。
米や小麦粉の方がコスパいいよね。あと菓子パン
@@HI-mg7mj 惣菜パンならまだしもパンよりカップ麺の方がタンパク質やビタミンやミネラルは多いよ。。。
@@pcm298 お腹を満たせるなるべく安い物(、ある意味料理という発想がないのが貧困)ならと考えてしまいましたが栄養価で考えるならカップ麺の方がコスパいいかもですね
昭和でも貧乏でしたが、昔は近所で助け合って生きてました。今の隣の金持ちは、"努力不足が悪いのだ"とマウントとって気持ち良くなってる。"情緒と想像力と人間性"の貧困が問題なんだと思う。
そのあたりについては岡田さんも取り上げた事のあるマイケルサンデル『能力主義は正義か』で書かれてることですね能力主義による差別、逆に努力不足はある程度事実で成功者がそれなりに良い思いする権利もあるであろうこと。その関係の中のバランスや対立について書かれているので読んでみてはどうでしょうか
能力主義は弱肉強食と同じで自然の摂理としか考えてません。私が言いたいのは、昔は自分に余裕がなくても助けたもので、心が貧困になったことを嘆いているだけです。
感動でも嬉しくて泣きますよ。歌舞伎のワンピースでボンちゃん出てきた時、再現度すごくて嬉しくて泣いたし、三島原作の鰯売恋曳網のラストの幸せで泣きました。野坂昭如の本は文字に改行が無いので感動ができませんし、原作は妹はネズミに食われた記憶があります。篤志家って現代にはいませんね。うち、戦後の農地解放まではそこそこお金があったそうで絵描きさんのパトロンしたり、お金の無い家の子を帝大行かせたりしてたんですが、そういう話を聞かないですね。本来心が貧しい人がお金を持っちゃダメなのです。ファストファッションで良いという風習も絹の着物の中古より貧しいなと感じます。なので、私現在貧乏でもなんか箪笥の中は豊かです笑反物切って着物にしてあるだけで桁2つ違いますもん。見る目も豊かになってますね。
@@sallysallysarah >ファストファッションで良いという風習も絹の着物の中古より貧しいなと感じます。なんでだよ?
@@itirousuzuki9263 被服学かじったらわかるけど、洋服ってマイサイズで仕立ててなんぼの形してるんよ。それを「近いサイズ」で着ると不具合もあるわけで。また、素材面からも「そりゃあ乾燥肌になるよね」って素材ばかり。人と被るのも「あなたらそんなに制服好きでしたっけ?」に見えるわけです。それも体型にイマイチ合ってない。。。残念なんですよ、色々と。
野坂昭如は実際は、自分は妹をイジメていて、邪魔に思っていて、妹の分の食べ物を奪って食べ、おばさんの家で妹そっちのけでその家の娘に恋心をいただいて、妹のことなんて考えてなかった ってことを読みましたよ。妹を殺したのは自分だと。火垂るの墓という作品は妹への謝罪であると。おばさんはとても優しかったそうです。
受けを狙って書いた小説だったと野坂自身が言っってました。自己嫌悪に陥るんでしょうね、本人は嫌がっていました。
貧乏な状態で、他人との繋がりが薄くなればなるほど「貧困」になっていく気がする。
コロナ禍はよく出来た詰将棋。
こういう、記録に残りにくい世相をあぶり出すのが、本当の歴史学ですね。清太が人に頼ることができないのは、親が「立派」なことが原因ではあるが、単にプライドの高さのせいではなく、口答えできない厳しい教育を受けていたと思われるので、とっさのときに、ことばが出てこない口下手だったのだと考えられる。自分がそうだったから、その可能性が十分に考えられる。
貧乏→お金無くても人と繋がり心豊か貧困→お金無いから人を憎み心荒む私は日本古来の価値観が好き。
単純な一目惚れではなく、最後まで添い遂げることを大大大前提とした恋愛が「情」だと理解した
貧乏は暮らしかた次第で豊か、貧困はちょっとウツ入ってるイライラした暗いイメージでした。彼らが困っていたからなんですね。
貧乏でいることは自分の基準の中でなら耐えられる、他から見ると貧困に変わる...だから一人でいたいのだと思う、心の閉じこもり
広島の平和記念資料館に初めて入った時が、何も考えられなくなった瞬間でしたね。小学校ぐらいのときかな・・・・。
「火垂るの墓」何回か見ているのに、七千円のことは忘れていて、岡田さんの解説で、また見てみようと思いました。
火垂るの墓を始めて見た時は訳もわからず、感動もせずモヤモヤしてもう見たくも無いとなった少年期
僕は婆ちゃんから受け継いだ「貧乏なのと貧乏臭いのは別や、貧乏臭いことしたらアカン」を格言として今も楽しく貧乏しています。腹減った、もっと食いたいとねだる孫を「武士は食わねど高楊枝~」とスルーしていた婆ちゃんのスピリットは33歳になった今も僕の中に根付いているのだ。。。。
障子に浮世絵…!あの時代オシャレですよね。植物も斑入りのものが好まれたり、何気に観葉植物の文化も長いんですよね。
深いお話しでした。貧乏は状態、貧困は概念。明治に輸入されたものは本質的に人を不幸にするものが多いと思います。頑な心が誰かを追いやる、ほんとそうかもしれません。
深谷かほるさんの「エデンの東北」という漫画に「貧乏なのはいいけど、貧乏臭いのはイヤ!」という大好きなセリフがあります。 深谷さんは福島県出身で、この漫画は昭和40年代の福島県を舞台にしています。 1月に亡くなったウチの母も福島県出身なので、「エデンの東北」の登場人物達が話す福島弁が懐かし過ぎて、最近読めなくなりました。 もうちょっと気持ちが落ち着いたら、また読みたいな😢
福島県が舞台で昭和40年で貧困…磐城の炭鉱の話?
@@КВ-2-ф2к さんへ いえいえ、当時としてはごく普通にビンボーな、勤め人の家庭のホームコメディです。回りもみんなビンボーだったから、それを理由にいじめなんて起きません。まあ、ちょっと理想化されてはいますが、おとぎ話と思って楽しんでいただければ、ちょうど良いのではないかと(´▽`)ノ
一目惚れが多い私は日本人らしいことに気づけて良かった。情最高
ニュースや自分の身の回りを見てると貧しくても心が豊かな人が減ってきましたね。
散々馬鹿にしてるマスメディアにまんまと洗脳された傀儡が増えた。そら貧しくもなる。
明治生まれおばあちゃんが言ってた。最近の貧乏はやりにくい、昔は貧乏人ばっかりだったけど楽しかったって…貧乏と貧困の違いだったんですね
おもしろい。「貧困」は「困ってる」ことが主題。「貧乏は苦しいことだ」という固定観念があるとわからない。「あの金持ち有名人がなぜ自殺」みたいなのは逆に「富困」といえそう。
昔、野坂さんの原作を読み涙しました。生き残った自分への懺悔の念を吐露する姿を見て、恩師が焼夷弾の中、背中に妹を背負って逃げ惑って、気がつくと背中で妹が死んでいたという苦しむすがたと重なって辛かったです。その時だけは黒眼鏡の軽薄な作家にはみえなかったな。
その土地に合った自分の世界で幸せを感じて着の身着のまま暮らす幸せがあったのに世界を知って周りと比較して心が貧しくなったんだなぁ
火垂るの墓の話当時トトロと同時上映で、小さな子どもも多くざわついていたのに、火垂るの墓のエンディングの時には場内が本当に静まり返っていたことを思い出します。トトロが始まってもしばらくは空気が重いままだったなぁと。
トトロの後にホタルやればいい
分かる。日本人ってやたら感動するとか言うけど、本当の感動ってそんな簡単なものじゃないですよ。
まさに今の日本ですね。これ程環境の整った国で生活していながら貧困だのと謂われている理由が分かりました。日本は衰退してはいないが海外が成長してきたから感覚的に衰退していると心理的に貧しくなっているのですね。子供の頃から日本の様な整った環境で育っているとマイナス思考になってしまう気持ちも理解できなくはないですね。
人は不思議、環境も心の持ち方でそれぞれに変わります。微風に震える羽毛のように気弱な私、ずっと貧しいと信じていたけれど、違う、貧しいのは環境でなく、心なのだと知った時の感動は、心底嗚咽と、痺れるような覚醒の記憶が鮮やかです。つまり我が心の貧困に負けていたのだと。四半世紀経た今、貧しさも楽しめるだけには、成長したと❤😂素晴らしいお話でした。
「火垂るの墓」は「トトロ」と2本立てで、ロードショー公開されました。この2本の映画は、普通の人の悪意と善意の、コインの裏表の関係にありました。そういう意味で、この2本の映画は、2本立てでロードショーされた必然性があります。当時、私は友人に『映画館に行くときは、1本目は「火垂るの墓」を見て、2本目に「トトロ」を見て、映画館を出るようにしなさい。そうしないと後悔するよ』と語りました。
昔って2本立ては珍しくなかったですよね。地方だけかもしれないけどお得感。ルパンとアガサクリスティー物とかなってました。終わっても座って居ればもう一度観られる。
@@Ri-bl9hp この時代は、すでに東京は1本立てロードショーが標準でした。2本立ては珍しかった。
自分も廃屋に1人で取材しに行った帰り、ショックを受けた。それが切っ掛けで自分の仕事を頑張ろうって決心したことがある。自分がどうしていいか分からない人は廃屋を訪れるといい。何が大事か分かると思う。
なんか、、、まずは貧困から貧乏になってみようと思った。やっぱり心が体を動かすから、今がダメなら少しづつでも移動した方がいい。本当の感動を浴びて半強制的に考え方を変えられるのもアリかも…でも本当の感動を得る為には頭や心の中が潤沢じゃなきゃ理解もできない。
深いですね、ここまでのお話にビックリです。アメリカの町、銀山の部屋もそうですが蛍の墓のお話も。ただ、言えることは今の時代の常識で考えてしまう無礼を許してほしい。そしてそういった生活を体験をしたことはないけれど、そういった時代があったということを忘れてはいけないということ。
江戸時代こそ社会共産主義の理想型だと聞いた事があります。理論ではなく情けと縁と粋な生き方って素晴らしい。私は江戸時代ならとっくに死んでる現代医療で助かった人間ですがそれでも江戸時代に憧れはあります。
岡田先生の話しは!本当に!面白い!。
はなしし???
たしか、清太がスイカと米を買ったとき、「貯金全部おろしてきたで」って言ってたような…🤔なので当時の食料事情を考えると単に貧乏だったのか貧困だったのかは微妙な所ではありますが、節子を栄養失調で死に至らしめたのは、やはり清太のコミュ症とか共依存的な精神に問題があったと思いました。他人に預けるなり方法はあった筈なので…
子供の頃お金がないというのをひしひしと感じていました。でもそれよりも祖父母や父親が短気で口汚い言葉を吐くというのがとても嫌でした。そういう人間性の歪みも貧乏だった故の結果なら、それこそ「貧困」家庭だったのだなと岡田先生の解説を聴きながら腑に落ちました。そういう家族を持つ恥ずかしさはそのまま自分自身の存在を恥ずかしく思ってしまうという人生を生きてしまいました。火垂るの墓の清太のようにプライドだけは高く人に何かを訊ねるのができなくて損ばかりしています。
高度成長が始まって以降かつ自民による産業空洞化政策が軌道に乗る前だと、バブルを抜きにしても売り手市場でその日ぐらし感覚でもいけたし、今でも土建を嫌がらなければ結構なんとかなるところはあるね。
以前は日本にも「野宿労働者」というのがいて、公園のダンボールハウスに住んでそこから働きに行っていた。朝暗いうちから特定の場所に何百人も集合し、迎えの車に乗り込んで建設現場などに向かっていた。ダンボールハウスに何軒もお邪魔したことがあるが、広さは二畳もなかったよ。おしゃべりしているうちに、せっかく出してくれたコップの水をこぼしてしまい、床の段ボールが濡れて怒られたことも…最近渋谷でも公園から追い出された人達がいたね。結局また戻れたらしいけど。岡田さんも「言葉が出ない」ではなく、行って話してみてはどうかな。
小さい頃から、日本の地方の田舎の端っこのほうとか、海外の都心以外とかに特に「ここで一生を終えるのは怖いかも」と感じることがありました。なんでそんなこと思うのか上手く言語化できなかったんですが、キャリコの話をきいて、何か腑に落ちた気がします。(地方とか都心以外が貧困と思ってるわけじゃないです!)
貧乏と貧困の違い、よくわかりました。お金がなくても創意工夫を凝らして逞しく生きている人は、貧乏だけど貧困ではないですね。
要するに、「貧困」というのは人間同士の共同性から疎外、あるいは切断されていることが経済的困窮を呼び込んでしまっている状況とも言えそうですね。これは、個人だけではなく家族が、あるいはその内部には共同性を持っている地域コミュニティ自体が外の世界との共同性から疎外、切断されている状態にも言えそうです。
この映画を見て感じたことは怒りでした。 中学生にもなって一日中ノロノロとして働きに出ない。当時は皆が国のためといって自分の出来ることをしていたのにプライドが高く、物を分け与えるという気持ちもなく指輪を取られたいう感覚が強く被害意識につぶされ、その感覚が節子を死なせてしまったと感じ、とても悲しいなんて思えなかった。妹を守るためには自分を変えないと守れないと最後まで気づかずなくなっていった。 当時は縁が少しでもあれば主たる人を頼り、主たる人も受け入れていたが神戸では食べ物なんて手に入らない。5万円以上のお金があっても食べ物は手に入らず、顔の映るような重湯が一杯のみで餓死寸前な状態であった。労働によってのみ、その人の一食(ナンバキビのひげを茹でたもの程度)を労働先で配給してもらえたりはするが働かないと当然食べられない。 勝手に子ども二人で誰とも関わらなければ、当然のこと米穀手帳がないので配給は貰えない。そんな知識もなく物資自体がない大都会で生きていけるわけない。当時の中学生なら知っていて当たり前のことを知らずして起きた不幸は当然のことである。と考えると涙すら出ない。おばさんが悪いという風に捉えられ勝ちであるが時代背景が薄く描かれていたことに起因するものであろう。我儘坊ちゃんの心の貧しさかが、妹を死なせてしまった映画であったように思う。これがセツコだけであったなら死ななかった物語であろう。
だから大人になってみるとおばさんの立場がわかるんですよね。自分の子どもたちは学徒動員で工場とかではたらいてるのに、清太は妹をたてにして、せめて家の事くらいすればいいのに、なにもしないで偉そうな態度。いくら甥姪でも情を持てないから冷たくなる。戦争云々じゃなくて、清太の心が貧しかったから結果節子は死んだ。いつか解説で言っていたように、天国も地獄も行けず、現代の神戸の街を彷徨い歩くしかできなくなってしまったんだろう。
コミュニケーション障害ではなく、コミュニティ障害もなかなか根深い問題で、社会的に存在がコミュニティ内で認められているか否か(自らのコミュニティ内の役割があるかないか)はかなり重要かとコミュニティという建物の中で、この人要らないよねあの人要らないよね、と柱をどんどん抜いていくようなものは、本来のコミュニティのタフさが失われるところで、なんだかよくわからんけど色んな商売色んな人種がいるよね、といい寛容さがないと、さっき言ったコミュニティという建物が揺さぶられた時に、崩壊して残酷な自助社会になっちゃうんですよ
火垂るの墓、聞き齧りで見てかわいそうすぎて見れずにいましたが、純粋な戦争被害者ではなかったと聞いてちょっと救われました。
よく節約しなきゃと思っては心が貧乏になるって思って結局欲しいもの買ってしまうんだけれども、これは貧乏だが豊かに暮らしてるってことなんかな。節約してるときはほんと四六時中お金のことばっかり考えていろんなものに余裕無くなるから良くないなって思う。これが貧困かな。心は豊かでありたい。
そう捉えると貧困層と言うのは相手によってとても失礼な物言いだと言うのはよく分かりました。
視野が狭い、今の状況を打開する力がない、でも変なプライドはあるそんなあなたは要注意です
江戸の街がいかに安全だったか。自由だね〜ゆるゆる🍀火垂るの墓は嫌いな作品。岡田さんの解説を聞いて納得。
火垂るの墓はむかし一度だけ流し見だったか途中まで見たけど、単なるセンソウガーな映画ではなく、不器用な人間の心理が引き起こした悲劇だったんですね頼れる者がいない知恵をくれる者がいない中での貧困による死は現代でも通じるテーマですね
フーテンの寅さんや裸の大将を「住所不定無職」とは思わないな。「俺たちは貧しかった。だが自由があった」というのは貧困でなく「私たちは貧しく、そして自由もない」というのが貧困かな?と思いました。
火垂るの墓何回も見てます😮
ヨイトマケの歌の前半は貧困、後半は貧乏。紅白歌合戦で並み入る歌手たちの中で「どんなきれいな歌よりも、どんなきれいな声よりも、ぼくを励ましなぐさめた、母ちゃんの歌こそ世界一」と歌い抜けたのは岡田さんと同じく貧しさの本質をみたからでしょう。
話を聞いてて思ったのですが、江戸時代の解釈で江戸の7割が貧乏だけど豊かな自由人ということですがそれ以前に五体満足で動ける事がまずひとつの才能だった時代だったのではないでしょうか?とかく現代人は食事ができ風呂に入れて衛生的で健康な生活出来ていることが当たり前でそれ前提で考えがちですが7割の中にはそれが無く継続的に動くことが困難な人も一定数いて、ほそぼそと命を繋いでいた背景を想像すると7割という比率も社会構造的集団心理の観点からも解るような気がします。(動けない割合とそれを見て動かない事を許容される割合)
他の世界を見て比べるから泣けるし感動を勝手にしている
黒澤明監督の下りが面白すぎてお腹がよじれました苦笑
『感動』とは全く違うけれど『涙とか言葉って本当に安っぽいな』と感じた瞬間を1つそれは…ビートたけしさんの原付バイク後の記者会見コトバも感嘆符も、どういう顔をすべきなのかも何もかも全部忘れましたしばらくたって『死ななくて良かった』『生きてて良かった』と言葉が出ましたが…
心が固くなると貧困なんだ!?と改まりました!
こんにちは( ˶ˆ꒳ˆ˵ )☀️🍀無教養って 悲しいことだと思っています🙄学歴ではありません 教養です😊家柄がよくても お金があっても 学歴が高くても 無教養な人は 辛いだろうなあと思いますあと 芸術性と人間性は 全くの別もの ですかねぇ…いつも 楽しく観させて頂いてます岡田さんと共感できるところも 沢山 ありますありがとうございます🙇🏻
うーん、感動して泣くってもっと単純な事だと思うし、そこには色々な泣く理由があると思うから、としおさんの言う感動とはそもそも違う種類のものもある様に感じました。
多分それはとしおさんの言うスライスの話になるんじゃないですかね?知らんけど
ただの人のいない部屋見ただけでそこまでになる「感度」がないとそういう光景すら素通りさせてしまうのかもしれない。自分は「ただの狭い部屋だな」で感想終わるかもしれない。
自分もそれぐらいにしか思わない自信ある。岡田さんって自称サイコパスだけどぜんぜん感性豊かでまともだし羨ましい。
9:44この辺から見て、VRでAIのムーミンと戯れているのかと思ったw
情と恋愛か… いままで「一目惚れ」ってなんか嫌いだったけど、そか、日本人って一目惚れの社会だったんだな^^ うん、納得^^
Wmwxnmnzmwmwmmzz69xyzzmmmzy6mwzmwmnmwwmwmwmwwzwmzywmmwzw6mw66wmmmmwwwzzmzwzzwywymwyzwmzzwwmzmwmwwxwxwwwmzwwnymxymwmnwmw6mymzwmnywmwwmmywywwmwmwwwmw6wwxwmx9wmwywxzywwmwzwmwwwzwmmxxmymxwwwmwmmwmmwwz6nwwmwwwzwwwmwwy6wzzzwxwywxwwzyzzzxwmywzwyzmzyzzzmwzwzzzzwzzwmzwzzwmwwmwmzzzwmzwzzzzwwzwmwzmwzwxmz6wzzzzzwzzwzmwwmzzmzyyzzzmnwzzwwmw9znwzmzzxzzzwxwzzmz6wm6xmmnywmzzmwz6wyzwmmzzwmwzmwzwmyzzzwzzzyzzw!wzxywwwmzzywzywmwzwzzwwzzyzzzzzwzmzzMwny9wzwmzzzzzzzzzzzmzzmzzzmnwyzzwymzmzmzyzmzmzzwzzmwmzzzzzzzwz9wwzmzzmzwzzzzwzzzzwzmyzymwmwmzmyywzzwzwzzxwzzm9mzzzz6zzmwzyzywwmwzzwmwwxwzyzzzwzzxzzywzmzwwzzwm9ywwymyyzm9mw6ynzMNmyzz9wn6mw6zmzmyzmmmxmwxmzmzznzz6myzzmwz9nywzxwmywyMzzomzymwmzwzmwmzmnymmzzmz?zwwmyyyynxozwowywm9wmwzmmwNwzzozmmxmwymzmymymyymyw9mzMzmnznnwmmyomnymmwnynzmmMznyymmmnwmyymymym6mwyMmynxNwmzmnzNwnwyoymwnynzmm6mmwmmymnmmMmyOmzmnnz9mymzyMxm6wzmnwoymnmwzmoymwnymyozmwnzmmwm6nwmnmnmmmOwnymwmnwmwoynmwnw6xmzmwmnyynymyymyyxomwnmzwnwmnmwm9mowmmyzmymnyzmzmymy9mw9mmyMm6mwmwomywwmmmw6mwnyznp-
火垂るの墓が物凄く興味深い話だった。貧困は解釈というよりも価値観や知識量とか戦略と言った方がより尤もらしいのかな。
「お金はある。知識も溢れている。」のに幸せになれない日本人はまさに今「貧困」なんだろうなぁ。
一回目が理解できず、二回目にいわれぬ程の感動をする気持ちがやっと理解できました。大いなる悟りありがとうございました。
鬼滅の刃の堕姫・妓夫太郎の二人も貧困の中にいた、というのをどこかのブログかツイッターだったかで読みました。鬼になって強くなって、何処へだって行けるはずなのに生まれ育った遊郭という場所しか知らず、そこから出るという選択肢が思いつかない視野の狭いまま、自分の知っている世界だけで生き続けた二人やキャリコで銀を掘り続けた人たちのことを考えると、今の情報社会はとても恵まれていますねそれでもアルゴリズムによって得られる情報というのは偏っていくみたいですけど
うちも貧乏で色々諦めた(XXちゃんと同じ私立の学校、高い服、ピアノ等習い事)けどまあしょうがないよね、別に貧乏の何がダメなの?と思ってた。けど思い出した、その子は性格もどこかがおかしい、金持ちでイジメ等平気でやる倫理観ぶっ壊れてるイヤな奴とは違う、誰しも少しはもってるクレバーだったりズルさだったり論理的な考え方というのがごっそり抜け落ちてる感じ。家は物が散乱、遊びに行って親に挨拶しても世間の大人のようなやり取りにならない、貧困っていうのはこういう状態なのかなと思いました。
貧困の話はなる程と感じました 今はわからないけどかつて貧困国と言えば代表とも言えたアフリカはそんな感じでしたねせっかく各国が用意してくれた募金をどうすればいいか分からず、結果どこかの国や権力者に利用されて貧困のままなんて話や映像をよく聞き見てきました
感動が一種類の筈無いでしょ。斗司夫が銀山で見た感動はショック受けた方の感動で、富士山にツラい中登ってきて頂上でご来光みて受ける感動とは別物。色んな感動があるのに自分が感じたものが絶対とか言っちゃう斗司夫は本当にサイコパスだなあw
貧困は選択肢がないんだよね。
貧乏は状態→変化可能貧困はそこから自力では出られないのか…
貧困の「困」って「囚われ」だなって思う…
登場人物全員天才の謎エピソード好きや
江戸時代の仕事いいなーー
岡田さんの火垂るの墓の解説はちょっと違う様に思います。ご飯の量は少なくて済む節子が栄養失調になっている一方で、大飯喰らいの清太は走り回る程、元気。普通なら燃費の悪い清太が節子より早く栄養失調になるのが順当です。劇中の節子のセリフに、「何処にも行かんといて」と弱り果てた節子が兄に懇願するシーンがある。つまり、清太は自分だけたらふく食べて、たまに防空壕に帰る生活を繰り返していたのだと思います。更には、母親を見て貰える病院は隣町にあるのに対して、伯母さんの家は更に隣町よりも遠いところにある。つまり、母親を隣町の医者に見せる事は可能だったけど清太は遣らなかった事になる。伯母さんの家に行くのにリアカー借りて家財道具沢山載せて隣町の病院よりも遠いところには行く事は出来て、それよりも容易い母親を病院に運ぶ事はしないのが清太。それと、清太は母親を何日ほったらかしにしたか?は母親の遺体から落ちたウジ虫の大きさで容易に推測が可能です。火垂るの墓の清太は寓話の浦島太郎に良く似ている様に思います。何故、浦島太郎は海亀の肉を家に持って帰って母親と二人で食べなかったのか?何故、海亀を食べた後に高値で取引される甲羅を売ってお金にしなかったのか?昔の漁村に住む子供達が共通に懐く疑問だと思います。と言うか、子供の嘘を見抜けない大人は本当の意味での大人とは言えないと思います。浦島太郎のお話を何べんも婆様から聞かされた百年以上昔の子供達は13才にもなれば今の大人よりも大人の価値観と判断力の備わった大人になるのは当然の事だったのではと思います。
試写会から逃げた>なるほど、もう一人の自分、清太に見つめられたからか。。。高畑さん凄い!
火垂るの墓に抱いていたモヤモヤが晴れました
確かに感動して泣いたりするときは、感動という表現より、可哀そうで涙が出てる気がするが、それを感動だと思っていた。私、ほんとの感動したことないです。石の家を見てみたいです。
ホントかね?
@@itirousuzuki9263 多分。思い出せないだけかも。
節子をお医者さんに診せたとき、清太、ちゃんと声に出して「そんなもんどこにあるんですか!」と叫んでいましたよ?
江戸時代の話はあくまで「江戸」の話であって日本の大半の田舎は悲惨だった。
それは感動ではなくて、ショックを受けたて事だと思います。人が感動するというのは、その事象を理解できるから、その人の脳が判断できる範囲で感情が発生した結果です。映画をみてその内容を理解したら、その次にリアクションとして泣いたり・笑ったりする。人は自分が理解できない事に遭遇してショックを受けると、感情で判断しません・・・本能が反応するからです。暗闇を怖いと感じるのは、人間の本能です、暗闇には何か潜んでいて危ないと本能が教えているのです。
理解をしたが故にショックを受けて感動するという状態もあると思うけど。
なんか江戸時代の働き方を聞いてたら、渡哲也さんがやってたはぐれ雲を思い出した。あんな感じでしょうか
すごいわかる、、、。
子供時代は貧乏がコンプレックスでした。
大人になって気がついたのは、幸せでないことがコンプレックスであったということでした。
貧乏でも幸せな人はいるのに、自分のコンプレックスが浮き彫りになるから見ないようにしてた。
貧困と貧乏はちがいますよね。
子供の頃、我が家は田舎でお金がないうえに子だくさんで貧乏でしたが不幸でも惨めではなかった。
杉浦日向子さんが江戸時代は街角で面白いことをやれば投げ銭があり、その日暮らしができたというような事を仰っていました。
今は、本当に貧困にまで落ちたんだなと思います。
骨董展示会で第二次対戦当時のドイツ軍のコートを試着した事がありました。
何気なくポケットに手を入れたら、小さな紙片らしきものが手に触れ、手に取るとそれは切符で
BERLIN 1945年とある日付がスタンプされていました。
それを見た瞬間に全身が総毛立ち、息を呑むばかりで、声が出ませんでした。
キャリコのお話でその事を思い出して、30数年ぶりにまた強烈な寒気に襲われました。
激戦地になる、またはなったベルリンに向かってその切符を買った主は、果たして生き延びたのだろうか。生き延びる事ができず、誰かに遺品として拾われたのだろうか・・・、はたまた地獄の続きのような戦後を必死に生きたか・・
いまは誰も語る事はないのでしょう
貧困と貧乏の違いの説明に納得です、スッキリしました。
何故なら、貧乏は不幸ではないと思っていたのですが、世間の貧困の問題についてはよく分からないままでした。
貧乏=不幸ではない。
その通りだし、貧乏でも幸せはある。
有難うございます。
一つ訂正すると
2畳の銀山の部屋は
住居ではなく休憩室
日の入りまでに
麓に帰れない労働者のための
安全のために
一晩明るくなるまで待機する部屋
なんですよね
貧困とは関係ない
貧すれば鈍すると言うが、
生きる知恵が貧して生存能力を失うのが貧困と。
貧乏と貧困の区別、すごくわかりやすく、はっきり区別していただけてスッキリです。
日本の「貧困対策」は、なにかズレてると思ってましたが、腑に落ちました。
金を配っても解決できない。貧困自体が社会問ではなく、貧困が社会で起こす事象が問題なだけ。金は無意味でサポート機関が有効。しかし、機関にたどり着けないのが貧困。
貧乏は金で緩和できるだろうけど、単に金が足りない人は、貧困とは違う。
字を見ればわかるけど「貧しく乏しい」と「貧しく困る」は全然違うモノですよね。
金の使い方がわからない
人への頼り方がわからない
本当にありえる話で納得しました
貧困と貧乏は違う
ためになりました。
北国の大地の端の方の、観光客も来ないような旧い鉱山街の集落に行き
その集落から一生出ることなく、ずいぶん前に死んじゃった旦那とご近所のこと以外
何にも知らなくて
すっかりちいさくなって、しわくちゃになって生きてるお婆ちゃんを
目にした時の感情に似ていると思う。
街からは野山を遠く隔てていて、雪に閉ざされた季節には、人の行き来も長く途絶えて
街に出た子供にも忘れられて
毎日、ひとりで手毬歌を呟きながら、干柿作ったり、銭になってるのかも分からないような内職で
侘しく生きる。
影が長くなって、日が暮れる。
そういう世界。
でも、そのお婆ちゃんにはそれで良いわけです。
かわいそうなんて言われて札束貰っても、当然使えるわけがない。
振り込んでって頼まれたら、振り込んじゃう。
この国にも、意外なほど近くに、そういう暮らしはあると思います。昔から今まで。
『恋愛』と『貧困』の話題になるとやたら怒る人やその話題から逃避する人がいるのも、日本が先進国から衰退国に転落しようとしている渦中にあって価値観の対立が激化してるからなんだと思いました。
@ハイビスカス 若者のの投票率のために行ってるけど票を入れたい政党が皆無だから困ってる
優先順位つけるにしても同じくらい大事に思ってる政策2つがぶつかったり、8割推せても2割が致命的に避けたい考え方だったり、政党的に割と推せても致命的に推せない候補者がいる地区だったりするとしんどい
生活が貧しくなって精神的に余裕がなくなることと、教育レベルが低下することで国民全体のリテラシーが低くなることが同時に起きてるんでしょうね
住み続けたくはないけど、国が衰退していく過程を見るのはなかなか楽しいものです
@ハイビスカス ちゃんと選挙行ってるので黙って欲しい
@@user-kh3yw9sg6s 空票って言う、どの政党にも入れないって言う選択肢もあるから悩んでいかないよりは行って空票にした方がいい。
@@麻薬五郎 田舎のためか、この後決めた一番推せそうな政党の候補者がそもそもいない地区でした…比例だけその党に入れました
「最悪鉛筆コロコロで良いから」「あの紙の書き心地を味わうだけで良いから」「散歩のついでに行こう」って誘って面倒くさがってる家族と一緒に行ってきましたが、「空票でも良いから」をレパートリーに追加します
(昨日は「暑いし帰りにアイス買おう」が効きましたw)
本当の感動をショックを受けて唖然とするだけって言語化すごい。
情報の濁流により処理速度が追いつかなくなる現象を僕は感動だと思っています。
確かに、実体験の感動は「わっ!凄い!」だもんな。
「貧乏でも幸せに暮らす」と言うことはできても、「貧困でも幸せに暮らす」とは言えないわけか。
お金や物がない以上に精神的に貧しいとされ、心にゆとりがない状態が貧困かな?
素晴らしい!そのとおりですね
お金がいくらあっても貧困に陥ります。本人の意識次第です。
ゆとりがないと貧困になるよね
@@pmtwj
お金があったら余裕はあるから貧困にはならないような。まあお金あっても病気で動けなかったら貧困になるかもしれないけど
@@noname-sf2kt
その「お金があっても貧困」ってのがまさにこの切り抜きにある火垂るの墓の解説でしょう?
お金があっても「使い方」が分からなかったから節子を助けられなかった。
「貧困≠金がない」であって、お金“だけ”あっても何にもならないんですよ。
似たような心情を小学生の時に味わいました。
この動画を見て、それを思い出せたので忘れないうちに書き残させてくださいなぁ。
小学生時代の夏休み、うちでは母方の祖父母の家に泊まるのが恒例でした。
飛行機を使って行くような場所であり、ウチの地域にはないものがいっぱいだったのと歳が近い従兄弟ら、兄弟と遊び回れたのと、夏休み。毎日がハレの日でした。
8月の中盤に入り、その日も遊び回って疲れて従兄弟と同じ部屋で消灯。
眠れそうになってきた深夜ごろ、おばあちゃんに静かに起こされ、中々顔を出さない怖いお姉ちゃん(血縁上はおば)の部屋に連れて行かれました。
説教かな、何も悪いことしてなかったけどって思っていました。
お姉ちゃんが何かをすごく言いづらそうな表情をしていました。連れてきたおばあちゃんも何か泣きそうに見えました。
なんとなく、僕がやらかした訳ではないと感じました。でもほっとはできませんでした。それ以上に事が大きそうだからです。
「あんたのお父さんとお母さんが離婚したって今連絡が」
お姉ちゃんからです。
お父さんは仕事が忙しく、旅行は一回も来れませんでした。でもお母さんは毎年来るのですが、今回は珍しく参加してないなって思っていました。
お姉ちゃんもおばあちゃんも「ごめん」とだけ呟きます。口に出して止まらなくなったのか、抑えてた涙をぽろぽろ流し始めました。
一方僕はどうでしょうか。泣きもせず、目を見開き口はだらしなく小さく開いています。力が抜け、俯いてしまいました。
お姉ちゃんに泣いてもいいんだよと言われました。?。理解ができませんでした。
おばあちゃんにも抱き寄せられました。オトウサントオカサアンは別れたから、下手したら毎年恒例の旅行ももうこれなくなっちゃうかもしれないのに。
頭の中は考えが巡ってるようにも感じれたし、何もない…というよりは止まっているように感じました。
情報が一気に入り、たくさんの問題提起が同時に頭の中でなされますが、そこから先の思考がまるでできなく、ただただ頭の中が埋められたことだけがわかる。そんな感覚です。
辛いよねと聞こえました。辛いのかもわかりませんでした。あのときはたしか絶望もしてなかったと思います。
頭が重く、自然と下を見て、瞬きもできず考えもできませんでした。
表現しようとしましたが、もう感覚を忘れてしまいそして言葉も出なくなってしまいました。ここで終わろうと思います。
重い話を突然展開してしまい申し訳ないです。オチもないけどここまで見てくれてありがとうございました。
長文失礼しましたー
話してくれてありがとう。でもまだ私は当事者でないのでこうやって言葉にできる。傍観者だね。
@@keroyonvida90 快いコメントありがとうございます。僕の話に限れば、傍観者で本当に問題ないです。
僕が味わったモノは、感覚は岡田さんのモノに近いですが、感情は完全に別方向でマイナスのモノなので出来るだけほかの人は同じ目にあってほしくないですからね...
けろよんさんが何かいい物を見て、プラスの感情でこれを知れたら嬉しく思います!
火垂るの墓は"かわいそう"というよりは、
見てるこっちが、どうしようもない絶望感に打ちのめされる辛さに耐えられない。
という状態😞(変な表現だけど)
仰る通りです。私は二度と見る事が出来無く成りました、今だに見る事が出来ません。
来日した宣教師が、「不幸にあえぐ人々」が居ないので困った、というね。
日本はほんとそうですね。少ないです
日本の布教は、今や不幸に喘ぐ人々の救済メインじゃなくて、自己実現が宗教の中心的な存在意義になってきていると友人が言ってました。
日本はやっぱりそのままで居ることが日本人らしさだったんだね。
一方、マザーテレサが来日した時の公演では
経済的には豊かな日本において、心の貧しさを訴えた。
「日本では路上で行き倒れて死んでいく人、膿にまみれてハエにたかられている人はいません。しかし、日本を歩きながら大変なショックを受けました。街はきれいだし、とても賑わっているのに、その街を歩く人たちの顔に笑顔がないのです。皆さんの悲しそうな表情が心に焼きつけられました。
インドの貧しい人たちは体は病んで苦しんでいますが、日本人は心の中にぽっかり穴があいているのではないでしょうか。貧しい人たちの体をケアする必要があるように、寂しい思いをしている日本の人たちには、ちょっとした言葉をかけてあげてください、温かい笑顔を見せてあげてください。それは私がインドで貧しい人々にしているのと同じことなのです」
貧困の説明すごくわかりやすいです。
どうしようもない状態って必ずありますね…
環境条件の為に引越しするだけでも捉え方次第では失う行為と同じであり、金銭に代え難い個人の記憶を失う事にもつながる。
そう言う執着が強いとある程度お金があっても貧困って言う条件が成り立つ可能性を秘めてますね…
理想とする生活予算と現状に隔たりがあれば基本貧困ですよ。
ありがとうございます。
意識というか感覚というか、私の中で
すごく今回のお話で明確になった気がします。人生で使ってなかった感情の勉強になりました。
火垂るの墓を見ると、つい、はだしのゲンなどと比べてしまって複雑な気持ちになりました。感動するよりもせいたの至らなさが気になってしまって。こんなもんじゃない。この時代の人はもっと強かったぞ。生きるためにもっとできることはいろいろあったはずだ、と思ってしまって、製作者に無理やり感動を押し付けられてるような違和感を持ちました。
せいたがコミュ障だった、という考察で腑に落ちました。討論番組で思い通りにならないと怒鳴り散らす原作者も嫌いでしたが、なるほど、コミュ障というくくりに考えるなら納得です。
アニメではなく小説判「火垂るの墓」を読んだ元海軍関係者の話ですが、「もし本当に主人公の子らが海軍エリートの子だったら、絶対に飢え死にするようなことはない。なぜなら海軍エリート達は互いに助け合うものであり、もしもの時に頼る相手を子供に教えていたはずだ」とのことです。
エリートだったけど嫌われものだったから実はそのエリート家族の天網恢々だったとしたら見方変わるな
高橋留美子先生の「貧乏が好きなんですね」は確かに貧乏の話であり、 良く報道される「カップラーメンしか食べられない」は確かに貧困だと言うことが分かりました。さすが岡田先生。
カップラーメンが高いと思えるのは既に一つの文化だ、って言葉をどこかで聞いて「顔が真っ青」になった記憶。
カップラーメン、健康コスパ悪い。贅沢嗜好品だと思う。
何事も視点が低いのが貧困なんだろうと思う。
米や小麦粉の方がコスパいいよね。あと菓子パン
@@HI-mg7mj 惣菜パンならまだしもパンより
カップ麺の方がタンパク質やビタミンやミネラルは多いよ。。。
@@pcm298 お腹を満たせるなるべく安い物(、ある意味料理という発想がないのが貧困)ならと考えてしまいましたが
栄養価で考えるならカップ麺の方がコスパいいかもですね
昭和でも貧乏でしたが、昔は近所で助け合って生きてました。今の隣の金持ちは、"努力不足が悪いのだ"とマウントとって気持ち良くなってる。"情緒と想像力と人間性"の貧困が問題なんだと思う。
そのあたりについては岡田さんも取り上げた事のあるマイケルサンデル『能力主義は正義か』で書かれてることですね
能力主義による差別、逆に努力不足はある程度事実で成功者がそれなりに良い思いする権利もあるであろうこと。
その関係の中のバランスや対立について書かれているので読んでみてはどうでしょうか
能力主義は弱肉強食と同じで自然の摂理としか考えてません。私が言いたいのは、昔は自分に余裕がなくても助けたもので、心が貧困になったことを嘆いているだけです。
感動でも嬉しくて泣きますよ。
歌舞伎のワンピースでボンちゃん出てきた時、再現度すごくて嬉しくて泣いたし、三島原作の鰯売恋曳網のラストの幸せで泣きました。野坂昭如の本は文字に改行が無いので感動ができませんし、原作は妹はネズミに食われた記憶があります。
篤志家って現代にはいませんね。
うち、戦後の農地解放まではそこそこお金があったそうで絵描きさんのパトロンしたり、お金の無い家の子を帝大行かせたりしてたんですが、そういう話を聞かないですね。本来心が貧しい人がお金を持っちゃダメなのです。
ファストファッションで良いという風習も絹の着物の中古より貧しいなと感じます。なので、私現在貧乏でもなんか箪笥の中は豊かです笑
反物切って着物にしてあるだけで桁2つ違いますもん。見る目も豊かになってますね。
@@sallysallysarah
>ファストファッションで良いという風習も絹の着物の中古より貧しいなと感じます。
なんでだよ?
@@itirousuzuki9263
被服学かじったらわかるけど、洋服ってマイサイズで仕立ててなんぼの形してるんよ。それを「近いサイズ」で着ると不具合もあるわけで。また、素材面からも「そりゃあ乾燥肌になるよね」って素材ばかり。人と被るのも「あなたらそんなに制服好きでしたっけ?」に見えるわけです。それも体型にイマイチ合ってない。。。残念なんですよ、色々と。
野坂昭如は実際は、自分は妹をイジメていて、邪魔に思っていて、妹の分の食べ物を奪って食べ、おばさんの家で妹そっちのけでその家の娘に恋心をいただいて、妹のことなんて考えてなかった ってことを読みましたよ。妹を殺したのは自分だと。火垂るの墓という作品は妹への謝罪であると。おばさんはとても優しかったそうです。
受けを狙って書いた小説だったと野坂自身が言っってました。
自己嫌悪に陥るんでしょうね、本人は嫌がっていました。
貧乏な状態で、他人との繋がりが薄くなればなるほど「貧困」になっていく気がする。
コロナ禍はよく出来た詰将棋。
こういう、記録に残りにくい世相をあぶり出すのが、本当の歴史学ですね。
清太が人に頼ることができないのは、親が「立派」なことが原因ではあるが、単にプライドの高さのせいではなく、口答えできない厳しい教育を受けていたと思われるので、とっさのときに、ことばが出てこない口下手だったのだと考えられる。自分がそうだったから、その可能性が十分に考えられる。
貧乏→お金無くても人と繋がり心豊か
貧困→お金無いから人を憎み心荒む
私は日本古来の価値観が好き。
単純な一目惚れではなく、
最後まで添い遂げることを大大大前提とした恋愛が「情」だと理解した
貧乏は暮らしかた次第で豊か、貧困はちょっとウツ入ってるイライラした暗いイメージでした。彼らが困っていたからなんですね。
貧乏でいることは自分の基準の中でなら耐えられる、他から見ると貧困に変わる...だから一人でいたいのだと思う、心の閉じこもり
広島の平和記念資料館に初めて入った時が、何も考えられなくなった瞬間でしたね。
小学校ぐらいのときかな・・・・。
「火垂るの墓」何回か見ているのに、七千円のことは忘れていて、岡田さんの解説で、また見てみようと思いました。
火垂るの墓を始めて見た時は
訳もわからず、感動もせず
モヤモヤしてもう見たくも無い
となった少年期
僕は婆ちゃんから受け継いだ「貧乏なのと貧乏臭いのは別や、貧乏臭いことしたらアカン」を格言として今も楽しく貧乏しています。
腹減った、もっと食いたいとねだる孫を「武士は食わねど高楊枝~」とスルーしていた婆ちゃんのスピリットは33歳になった今も僕の中に根付いているのだ。。。。
障子に浮世絵…!
あの時代オシャレですよね。
植物も斑入りのものが好まれたり、何気に観葉植物の文化も長いんですよね。
深いお話しでした。貧乏は状態、貧困は概念。明治に輸入されたものは本質的に人を不幸にするものが多いと思います。頑な心が誰かを追いやる、ほんとそうかもしれません。
深谷かほるさんの「エデンの東北」という漫画に「貧乏なのはいいけど、貧乏臭いのはイヤ!」という大好きなセリフがあります。
深谷さんは福島県出身で、この漫画は昭和40年代の福島県を舞台にしています。
1月に亡くなったウチの母も福島県出身なので、「エデンの東北」の登場人物達が話す福島弁が懐かし過ぎて、最近読めなくなりました。
もうちょっと気持ちが落ち着いたら、また読みたいな😢
福島県が舞台で昭和40年で貧困…
磐城の炭鉱の話?
@@КВ-2-ф2к さんへ いえいえ、当時としてはごく普通にビンボーな、勤め人の家庭のホームコメディです。回りもみんなビンボーだったから、それを理由にいじめなんて起きません。まあ、ちょっと理想化されてはいますが、おとぎ話と思って楽しんでいただければ、ちょうど良いのではないかと(´▽`)ノ
一目惚れが多い私は日本人らしいことに気づけて良かった。情最高
ニュースや自分の身の回りを見てると貧しくても心が豊かな人が減ってきましたね。
散々馬鹿にしてるマスメディアにまんまと洗脳された傀儡が増えた。
そら貧しくもなる。
明治生まれおばあちゃんが言ってた。
最近の貧乏はやりにくい、昔は貧乏人ばっかりだったけど楽しかったって…
貧乏と貧困の違いだったんですね
おもしろい。
「貧困」は「困ってる」ことが主題。「貧乏は苦しいことだ」という固定観念があるとわからない。
「あの金持ち有名人がなぜ自殺」みたいなのは逆に「富困」といえそう。
昔、野坂さんの原作を読み涙しました。生き残った自分への懺悔の念を吐露する姿を見て、恩師が焼夷弾の中、背中に妹を背負って逃げ惑って、気がつくと背中で妹が死んでいたという苦しむすがたと重なって辛かったです。その時だけは黒眼鏡の軽薄な作家にはみえなかったな。
その土地に合った自分の世界で幸せを感じて着の身着のまま暮らす幸せがあったのに世界を知って周りと比較して心が貧しくなったんだなぁ
火垂るの墓の話
当時トトロと同時上映で、小さな子どもも多くざわついていたのに、火垂るの墓のエンディングの時には場内が本当に静まり返っていたことを思い出します。
トトロが始まってもしばらくは空気が重いままだったなぁと。
トトロの後にホタルやればいい
分かる。日本人ってやたら感動するとか言うけど、本当の感動ってそんな簡単なものじゃないですよ。
まさに今の日本ですね。
これ程環境の整った国で生活していながら貧困だのと謂われている理由が分かりました。
日本は衰退してはいないが海外が成長してきたから感覚的に衰退していると心理的に貧しくなっているのですね。
子供の頃から日本の様な整った環境で育っているとマイナス思考になってしまう気持ちも理解できなくはないですね。
人は不思議、環境も心の持ち方でそれぞれに変わります。微風に震える羽毛のように気弱な私、ずっと貧しいと信じていたけれど、違う、貧しいのは環境でなく、心なのだと知った時の感動は、心底嗚咽と、痺れるような覚醒の記憶が鮮やかです。つまり我が心の貧困に負けていたのだと。四半世紀経た今、貧しさも楽しめるだけには、成長したと❤😂素晴らしいお話でした。
「火垂るの墓」は「トトロ」と2本立てで、ロードショー公開されました。この2本の映画は、普通の人の悪意と善意の、コインの裏表の関係にありました。
そういう意味で、この2本の映画は、2本立てでロードショーされた必然性があります。
当時、私は友人に『映画館に行くときは、1本目は「火垂るの墓」を見て、2本目に「トトロ」を見て、映画館を出るようにしなさい。そうしないと後悔するよ』と語りました。
昔って2本立ては珍しくなかったですよね。
地方だけかもしれないけどお得感。
ルパンとアガサクリスティー物とかなってました。終わっても座って居ればもう一度観られる。
@@Ri-bl9hp
この時代は、すでに東京は1本立てロードショーが標準でした。
2本立ては珍しかった。
自分も廃屋に1人で取材しに行った帰り、ショックを受けた。それが切っ掛けで自分の仕事を頑張ろうって決心したことがある。
自分がどうしていいか分からない人は廃屋を訪れるといい。何が大事か分かると思う。
なんか、、、まずは貧困から貧乏になってみようと思った。
やっぱり心が体を動かすから、今がダメなら少しづつでも移動した方がいい。
本当の感動を浴びて半強制的に考え方を変えられるのもアリかも…でも本当の感動を得る為には頭や心の中が潤沢じゃなきゃ理解もできない。
深いですね、ここまでのお話にビックリです。アメリカの町、銀山の部屋もそうですが蛍の墓のお話も。ただ、言えることは今の時代の常識で考えてしまう無礼を許してほしい。そしてそういった生活を体験をしたことはないけれど、そういった時代があったということを忘れてはいけないということ。
江戸時代こそ社会共産主義の理想型だと聞いた事があります。
理論ではなく情けと縁と粋な生き方って素晴らしい。
私は江戸時代ならとっくに死んでる現代医療で助かった人間ですがそれでも江戸時代に憧れはあります。
岡田先生の話しは!本当に!面白い!。
はなしし???
たしか、清太がスイカと米を買ったとき、「貯金全部おろしてきたで」って言ってたような…🤔なので当時の食料事情を考えると単に貧乏だったのか貧困だったのかは微妙な所ではありますが、節子を栄養失調で死に至らしめたのは、やはり清太のコミュ症とか共依存的な精神に問題があったと思いました。他人に預けるなり方法はあった筈なので…
子供の頃お金がないというのをひしひしと感じていました。でもそれよりも祖父母や父親が短気で口汚い言葉を吐くというのがとても嫌でした。
そういう人間性の歪みも貧乏だった故の結果なら、それこそ「貧困」家庭だったのだなと岡田先生の解説を聴きながら腑に落ちました。
そういう家族を持つ恥ずかしさはそのまま自分自身の存在を恥ずかしく思ってしまうという人生を生きてしまいました。
火垂るの墓の清太のようにプライドだけは高く人に何かを訊ねるのができなくて損ばかりしています。
高度成長が始まって以降かつ自民による産業空洞化政策が軌道に乗る前だと、
バブルを抜きにしても売り手市場でその日ぐらし感覚でもいけたし、
今でも土建を嫌がらなければ結構なんとかなるところはあるね。
以前は日本にも「野宿労働者」というのがいて、公園のダンボールハウスに住んでそこから働きに行っていた。朝暗いうちから特定の場所に何百人も集合し、迎えの車に乗り込んで建設現場などに向かっていた。ダンボールハウスに何軒もお邪魔したことがあるが、広さは二畳もなかったよ。おしゃべりしているうちに、せっかく出してくれたコップの水をこぼしてしまい、床の段ボールが濡れて怒られたことも…
最近渋谷でも公園から追い出された人達がいたね。結局また戻れたらしいけど。岡田さんも「言葉が出ない」ではなく、行って話してみてはどうかな。
小さい頃から、日本の地方の田舎の端っこのほうとか、海外の都心以外とかに特に「ここで一生を終えるのは怖いかも」と感じることがありました。なんでそんなこと思うのか上手く言語化できなかったんですが、キャリコの話をきいて、何か腑に落ちた気がします。
(地方とか都心以外が貧困と思ってるわけじゃないです!)
貧乏と貧困の違い、よくわかりました。
お金がなくても創意工夫を凝らして逞しく生きている人は、貧乏だけど貧困ではないですね。
要するに、「貧困」というのは人間同士の共同性から疎外、あるいは切断されていることが経済的困窮を呼び込んでしまっている状況とも言えそうですね。これは、個人だけではなく家族が、あるいはその内部には共同性を持っている地域コミュニティ自体が外の世界との共同性から疎外、切断されている状態にも言えそうです。
この映画を見て感じたことは怒りでした。
中学生にもなって一日中ノロノロとして働きに出ない。当時は皆が国のためといって自分の出来ることをしていたのにプライドが高く、物を分け与えるという気持ちもなく指輪を取られたいう感覚が強く被害意識につぶされ、その感覚が節子を死なせてしまったと感じ、とても悲しいなんて思えなかった。妹を守るためには自分を変えないと守れないと最後まで気づかずなくなっていった。
当時は縁が少しでもあれば主たる人を頼り、主たる人も受け入れていたが神戸では食べ物なんて手に入らない。5万円以上のお金があっても食べ物は手に入らず、顔の映るような重湯が一杯のみで餓死寸前な状態であった。労働によってのみ、その人の一食(ナンバキビのひげを茹でたもの程度)を労働先で配給してもらえたりはするが働かないと当然食べられない。
勝手に子ども二人で誰とも関わらなければ、当然のこと米穀手帳がないので配給は貰えない。そんな知識もなく物資自体がない大都会で生きていけるわけない。当時の中学生なら知っていて当たり前のことを知らずして起きた不幸は当然のことである。と考えると涙すら出ない。おばさんが悪いという風に捉えられ勝ちであるが時代背景が薄く描かれていたことに起因するものであろう。我儘坊ちゃんの心の貧しさかが、妹を死なせてしまった映画であったように思う。これがセツコだけであったなら死ななかった物語であろう。
だから大人になってみるとおばさんの立場がわかるんですよね。自分の子どもたちは学徒動員で工場とかではたらいてるのに、清太は妹をたてにして、せめて家の事くらいすればいいのに、なにもしないで偉そうな態度。いくら甥姪でも情を持てないから冷たくなる。戦争云々じゃなくて、清太の心が貧しかったから結果節子は死んだ。いつか解説で言っていたように、天国も地獄も行けず、現代の神戸の街を彷徨い歩くしかできなくなってしまったんだろう。
コミュニケーション障害ではなく、コミュニティ障害もなかなか根深い問題で、社会的に存在がコミュニティ内で認められているか否か(自らのコミュニティ内の役割があるかないか)はかなり重要かと
コミュニティという建物の中で、この人要らないよねあの人要らないよね、と柱をどんどん抜いていくようなものは、
本来のコミュニティのタフさが失われるところで、なんだかよくわからんけど色んな商売色んな人種がいるよね、といい寛容さがないと、
さっき言ったコミュニティという建物が揺さぶられた時に、崩壊して残酷な自助社会になっちゃうんですよ
火垂るの墓、聞き齧りで見てかわいそうすぎて見れずにいましたが、純粋な戦争被害者ではなかったと聞いてちょっと救われました。
よく節約しなきゃと思っては心が貧乏になるって思って結局欲しいもの買ってしまうんだけれども、これは貧乏だが豊かに暮らしてるってことなんかな。節約してるときはほんと四六時中お金のことばっかり考えていろんなものに余裕無くなるから良くないなって思う。これが貧困かな。
心は豊かでありたい。
そう捉えると貧困層と言うのは相手によってとても失礼な物言いだと言うのはよく分かりました。
視野が狭い、今の状況を打開する力がない、でも変なプライドはある
そんなあなたは要注意です
江戸の街がいかに安全だったか。
自由だね〜
ゆるゆる🍀
火垂るの墓は嫌いな作品。
岡田さんの解説を聞いて納得。
火垂るの墓はむかし一度だけ流し見だったか途中まで見たけど、単なるセンソウガーな映画ではなく、不器用な人間の心理が引き起こした悲劇だったんですね
頼れる者がいない知恵をくれる者がいない中での貧困による死は現代でも通じるテーマですね
フーテンの寅さんや裸の大将を「住所不定無職」とは思わないな。
「俺たちは貧しかった。だが自由があった」というのは貧困でなく
「私たちは貧しく、そして自由もない」
というのが貧困かな?
と思いました。
火垂るの墓何回も見てます😮
ヨイトマケの歌の前半は貧困、後半は貧乏。
紅白歌合戦で並み入る歌手たちの中で「どんなきれいな歌よりも、どんなきれいな声よりも、ぼくを励ましなぐさめた、母ちゃんの歌こそ世界一」と歌い抜けたのは岡田さんと同じく貧しさの本質をみたからでしょう。
話を聞いてて思ったのですが、江戸時代の解釈で江戸の7割が貧乏だけど豊かな自由人ということですが
それ以前に五体満足で動ける事がまずひとつの才能だった時代だったのではないでしょうか?
とかく現代人は食事ができ風呂に入れて衛生的で健康な生活出来ていることが当たり前でそれ前提で考えがちですが
7割の中にはそれが無く継続的に動くことが困難な人も一定数いて、ほそぼそと命を繋いでいた背景を想像すると
7割という比率も社会構造的集団心理の観点からも解るような気がします。(動けない割合とそれを見て動かない事を許容される割合)
他の世界を見て比べるから泣けるし感動を勝手にしている
黒澤明監督の下りが面白すぎてお腹がよじれました苦笑
『感動』とは全く違うけれど『涙とか言葉って本当に安っぽいな』と感じた瞬間を1つ
それは…ビートたけしさんの原付バイク後の記者会見
コトバも感嘆符も、どういう顔をすべきなのかも何もかも全部忘れました
しばらくたって『死ななくて良かった』『生きてて良かった』と言葉が出ましたが…
心が固くなると貧困なんだ!?と改まりました!
こんにちは( ˶ˆ꒳ˆ˵ )☀️🍀
無教養って 悲しいことだと思っています🙄
学歴ではありません 教養です😊
家柄がよくても お金があっても 学歴が高くても 無教養な人は 辛いだろうなあと思います
あと 芸術性と人間性は 全くの別もの ですかねぇ…
いつも 楽しく観させて頂いてます
岡田さんと共感できるところも 沢山 あります
ありがとうございます🙇🏻
うーん、感動して泣くってもっと単純な事だと思うし、そこには色々な泣く理由があると思うから、としおさんの言う感動とはそもそも違う種類のものもある様に感じました。
多分それはとしおさんの言う
スライスの話になるんじゃないですかね?
知らんけど
ただの人のいない部屋見ただけでそこまでになる「感度」がないとそういう光景すら素通りさせてしまうのかもしれない。自分は「ただの狭い部屋だな」で感想終わるかもしれない。
自分もそれぐらいにしか思わない自信ある。岡田さんって自称サイコパスだけどぜんぜん感性豊かでまともだし羨ましい。
9:44
この辺から見て、VRでAIのムーミンと戯れているのかと思ったw
情と恋愛か… いままで「一目惚れ」ってなんか嫌いだったけど、そか、日本人って一目惚れの社会だったんだな^^ うん、納得^^
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火垂るの墓が物凄く興味深い話だった。
貧困は解釈というよりも価値観や知識量とか戦略と言った方がより尤もらしいのかな。
「お金はある。知識も溢れている。」のに幸せになれない日本人はまさに今「貧困」なんだろうなぁ。
一回目が理解できず、二回目にいわれぬ程の感動をする気持ちがやっと理解できました。
大いなる悟りありがとうございました。
鬼滅の刃の堕姫・妓夫太郎の二人も貧困の中にいた、というのを
どこかのブログかツイッターだったかで読みました。
鬼になって強くなって、何処へだって行けるはずなのに
生まれ育った遊郭という場所しか知らず、そこから出るという選択肢が思いつかない
視野の狭いまま、自分の知っている世界だけで生き続けた二人やキャリコで銀を掘り続けた人たちのことを考えると、今の情報社会はとても恵まれていますね
それでもアルゴリズムによって得られる情報というのは偏っていくみたいですけど
うちも貧乏で色々諦めた(XXちゃんと同じ私立の学校、高い服、ピアノ等習い事)けどまあしょうがないよね、別に貧乏の何がダメなの?と思ってた。けど思い出した、その子は性格もどこかがおかしい、金持ちでイジメ等平気でやる倫理観ぶっ壊れてるイヤな奴とは違う、誰しも少しはもってるクレバーだったりズルさだったり論理的な考え方というのがごっそり抜け落ちてる感じ。家は物が散乱、遊びに行って親に挨拶しても世間の大人のようなやり取りにならない、貧困っていうのはこういう状態なのかなと思いました。
貧困の話はなる程と感じました 今はわからないけどかつて貧困国と言えば代表とも言えたアフリカはそんな感じでしたね
せっかく各国が用意してくれた募金をどうすればいいか分からず、結果どこかの国や権力者に利用されて貧困のままなんて話や映像をよく聞き見てきました
感動が一種類の筈無いでしょ。斗司夫が銀山で見た感動はショック受けた方の感動で、富士山にツラい中登ってきて頂上でご来光みて受ける感動とは別物。色んな感動があるのに自分が感じたものが絶対とか言っちゃう斗司夫は本当にサイコパスだなあw
貧困は選択肢がないんだよね。
貧乏は状態→変化可能
貧困は
そこから自力では出られないのか…
貧困の「困」って「囚われ」だなって思う…
登場人物全員天才の謎エピソード好きや
江戸時代の仕事いいなーー
岡田さんの火垂るの墓の解説はちょっと違う様に思います。
ご飯の量は少なくて済む節子が栄養失調になっている一方で、
大飯喰らいの清太は走り回る程、元気。
普通なら燃費の悪い清太が節子より早く栄養失調になるのが順当です。
劇中の節子のセリフに、
「何処にも行かんといて」と弱り果てた節子が兄に懇願するシーンがある。
つまり、
清太は自分だけたらふく食べて、
たまに防空壕に帰る生活を繰り返していたのだと思います。
更には、
母親を見て貰える病院は隣町にあるのに対して、
伯母さんの家は更に隣町よりも遠いところにある。
つまり、
母親を隣町の医者に見せる事は可能だったけど清太は遣らなかった事になる。
伯母さんの家に行くのにリアカー借りて家財道具沢山載せて隣町の病院よりも遠いところには行く事は出来て、
それよりも容易い母親を病院に運ぶ事はしないのが清太。
それと、
清太は母親を何日ほったらかしにしたか?は母親の遺体から落ちたウジ虫の大きさで容易に推測が可能です。
火垂るの墓の清太は寓話の浦島太郎に良く似ている様に思います。
何故、浦島太郎は海亀の肉を家に持って帰って母親と二人で食べなかったのか?
何故、海亀を食べた後に高値で取引される甲羅を売ってお金にしなかったのか?
昔の漁村に住む子供達が共通に懐く疑問だと思います。
と言うか、
子供の嘘を見抜けない大人は本当の意味での大人とは言えないと思います。
浦島太郎のお話を何べんも婆様から聞かされた百年以上昔の子供達は13才にもなれば今の大人よりも大人の価値観と判断力の備わった大人になるのは当然の事だったのではと思います。
試写会から逃げた>なるほど、もう一人の自分、清太に見つめられたからか。。。高畑さん凄い!
火垂るの墓に抱いていたモヤモヤが晴れました
確かに感動して泣いたりするときは、感動という表現より、可哀そうで涙が出てる気がするが、それを感動だと思っていた。私、ほんとの感動したことないです。石の家を見てみたいです。
ホントかね?
@@itirousuzuki9263 多分。思い出せないだけかも。
節子をお医者さんに診せたとき、清太、ちゃんと声に出して「そんなもんどこにあるんですか!」と叫んでいましたよ?
江戸時代の話はあくまで「江戸」の話であって日本の大半の田舎は悲惨だった。
それは感動ではなくて、ショックを受けたて事だと思います。人が感動するというのは、その事象を理解できるから、その人の脳が判断できる範囲で感情が発生した結果です。映画をみてその内容を理解したら、その次にリアクションとして泣いたり・笑ったりする。人は自分が理解できない事に遭遇してショックを受けると、感情で判断しません・・・本能が反応するからです。
暗闇を怖いと感じるのは、人間の本能です、暗闇には何か潜んでいて危ないと本能が教えているのです。
理解をしたが故にショックを受けて感動するという状態もあると思うけど。
なんか江戸時代の働き方を聞いてたら、渡哲也さんがやってたはぐれ雲を思い出した。あんな感じでしょうか