なぜか人生が虚しくなる理由とは【ブッダの教え】
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- Опубліковано 5 жов 2024
- 重篤に陥った60代のコロナ患者が回復した後にこんなコメントを残しました。
「ICU(集中医療室)に運ばれ、人工呼吸器を装着され、呼吸困難で意識も混濁し始め、「オレはこのまま死ぬのか」とうろたえた。その時、死ぬのがとてつもなく怖くなり、なんて孤独なんだろうと思った」
蓮如上人の御文章の有名な一節「死出の山路の末、三塗の大河をば、ただ一人こそ行きなんずれ」の一節を思い出すコメントでした。
家族全員乗せた車が事故に遭い、全員一緒に死亡した時もやはり独りぼっちです。
一人一人行く世界は違います。
「オレはこちらに行かねばならない」「私はこっちだ」と親子、兄弟、みな散り散りになり、めいめいの方角に散っていく。
業(カルマ)に応じてみなそれぞれの世界へと旅立っていく、と仏教では説かれています。
来世で一緒になろうと帯で二人の体をぐるぐる巻きにして入水自殺しても、二人はそれぞれ違った方角に旅立っていく。
この世、いろいろな人と心を通わせ合っても、一人旅の途中に一夜の宿を共にしたということであり、朝が来れば、まためいめいの方角へと旅立っていくのです。
そんな一人旅であることを薄々感づいているから、私たちは何を手に入れても誰と一緒にいても、いつも寂しく、虚しいのです。
昨年101歳で亡くなった中曽根康弘元首相は、卒寿(九十歳)を迎えた際、今までの人生を振り返ってこう述懐しています。
「長い間、けんかしたり、仲良くなったり、倒閣をやったり、倒されたりしてきたが、まだ何も分かっちゃいない。夢の中を、さまよっているような感じだな」。
これこそ大義だとやってきたことが、虚しく感じられるのも、独りぼっちで旅立たなければならない旅路の仮の宿がこの世だと、人生の晩年にふと感じたからなのかもしれません。
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(自己紹介)
1988年早稲田大学を中退し、仏教講師の道を目指す。
浄土真宗親鸞会で仏教講師の資格を取得、全国各地で公開講座を始める。
2010年からメールマガジンをはじめ、読者12000人の仏教最大級のメルマガ執筆
2014年からは全国をつなぐオンライン講座の動画レクチャーでも活動中。
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私たちが生きているこの一生は泡沫のようにはかなくてあっという間に過ぎ去ってしまうものなんですね。また丸太ん棒や板切れに過ぎないこの世のあらゆる物事にすがるよりはもっと頼りがいのあるものを当てにしていたほうがよさそうです。人生におけるむなしさのもとは先の見えない今にあります。いつ死ぬともわからないこの世界で仏教の教えを学ぶ心より確かなものはないわけです。菊谷先生、今日も大事な教えをありがとうございました。
今日もありがとうございました。
人生は虚しいものだと気付いた時に、生きている意味を問うものだと思います。
そして、それが結局無いのなら、
なんかもう死んでしまいたいなと思ってしまいますが、
そこで仏教に出会えた自分は幸せだなと思わされます。
今日も勉強させていただきありがとうございました。死を合わせ持って生きているから幸せという話をきいたことを思い出しました。
ちょうど虚しいと感じているところでこちらの動画を拝見させていただきました。
ありがとうございます。
今年で56歳になりましたが、今日のお話を聞いている時、本当に心臓が何かで撃ち抜かれるような感覚がありました。
人の人生の真理ですね。
今日一日を大事に生きたいと静かに思いました。
今日も大変わかり学びになりました。
ありがとうございました。
昨日も、ありがとうございました。
今日もありがとうございます🙇
2024年8月3日(土曜日☁16時18分)人生は丸太や板切れにつかまって生きていますね。最後は夢とかして終わりですね。死はいつ来るのか想像がつきませんが必ず来ますので考えたらむなしく感じますね。菊谷先生、本日も貴重な大切なお話を学ばせて頂きました。ありがとう御座いました\(^o^)/✌🛕
不幸中の幸い。
人は某か、不幸がなければ相対的に幸せを感じることもありません。
何不自由ない順調な人生を歩んだ人ほど、そんな虚しさを覚えたりします。
そのため仏教は適度に不自由さを設け求道します。
しかし、生涯でこの求道する心(菩提心)を起こせたなら、その人生は何よりも恵まれています。
私の生涯も日が傾いた今、信心獲得して、本当の幸せになりたい。
本当にあっという間です。
ついさっき、3歳
ついさっき、13歳
ついさっき、23歳
働き始めて、、
あっと言う間に、、
もう、60代半ば、、
もう働きたくないし、働けない、、体も辛いし、、
頑張ったけど、
無事に来たけど、
いつかは、終わる身。
もうすぐ終わる、覚悟。
ありがとうございます。
本当に心の連れ合いがいない、死ぬ時には、一人、、
お金も、ものも、体も全て
無くなる。
今を大事に
そして
早く亡くなりたいです。
菊谷先生、いつもありがとうございます。
最近やたらと「むなしさ」を感じます。
このような話はいくら仲のいい友人であっても話すことを躊躇します。
自分がおかしいのかと思うことがありましたが、そうではないんですね。
今まで過ごしてきたことを振り返ると
「反省文」ばかり……。
upありがとうございました。
ゆうパックのCMもメチャメチャおもしろかったですが、一炊の夢も今日のお話も素晴らしかった♪
先生のお話しは、全ての人の希望です‼️
本当にありがとうございます。素晴らしいお話感謝致します。先生‼️
先月自分の身内に不幸がありました。
まだ生きたいと思っても遅かれ早かれ死んでいくんですね、虚しさと後悔でいっぱいです、今までいつも通り過過ごしていた人がひっくりかえって他界しました、何処へ行ったんだろう、人生虚しく儚いものなのでしょうか一年はあっという間だが10年13年も早いなと思いました週より年が経つのがつくづく早いと思いました
菊谷先生いつも大切なお話と大変尊い有り難い説法に心より深く感謝申し上げます。〜あわれというもなかなかおろかなり〜一切の滅びる中に滅びざるまこと求めてただひたすらに〜弥陀の不思議の救いに値い広大難思の慶心を味わうためにも聞法正精進していきます。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。釈尊出世の本懐の中の本懐〜大無量寿経〜阿弥陀仏の御本願〜一向専念無量寿仏〜信心正因称名報恩〜南無阿弥陀仏〜三戸拝🙏🙏🙏
むなしいなか数年生きてましたがなんとか開き直ってきました
いつも聴聞させていただきありがとうございます。今回の法話とは関係ないのですが、1つお願いがあるんです。全ての菊谷先生の法話を聞かせてもらってますが、たまになんですが、健康に見離された時の例として癌を例に出されることがあります。実は私自身癌患者なものですから、それを例に出されると大変辛く、耳を塞いでしまうのです。以後は癌という言葉を使わず、難病とか不治の病というような言葉で説法いただけないでしょうか?
とても心深く考えさせられるお話しでした。ありがとうございます。
私はお迎えが来るまで、毎日を一生懸命に生きると言う結論に辿り着きました。 菊谷さんはどうお考えですか?
人生には上り坂、下り坂そしてまさかがあるととある監督さんが言っていましたね。聴聞していたかどうかは存じませんが。
今、ただ生きているという事
この世に生まれたという事
それがどんなにありがたいことか、、
3年お話を聴き続けながら、だんだん分ってきました。
南無阿弥陀仏😊
そうですね普通の皆さんは自分が死ぬと言う事が自覚がないように思います。私も数年前までそうでした。😅
自分が先に死ぬという視点。今まで他人の言葉や私に対する意見に何か不満があった深いものがこれだと思えました。私は一酸化炭素中毒で死のうかと考えたことがあり、実行して途中で思い止まってから、自分の死と向き合っていますが、そのことがわかってる方とわかってない方の落差が激しいなと思い返せます。
ありがとうございました
なにをどうしたところで、永遠に続くものはないから虚しいですよね。人はつい意味を求めちゃうから尚更かな…
例えるなら、人生も夏休みも同じようなものかな。七月はワクワク。でも、お盆を過ぎた頃から終わりが見え始め、何をしても寂しい感じがする。そんな中、最終日まで楽しく過ごせる人は幸せだと思う。充実させるヒントはそこにあるのかも。
入学、卒業、就職、結婚って、その人なりの一つの時代の終わりと始まりで、人生の節目でもあるから、ある意味でこれは、人生における生と死を疑似的に体験してるとも言えますね…一つの時代をどう終えるかってのは、次の時代を迎える上で凄く重要になってくると思います。
「道教」の話ですね、人生の富、成功、褒章とは何か、貧乏、飢餓、軽蔑とは何か、病、天災、など「生病老死」とは何かを考えて道を求めたのがお釈迦さまです。
「喜怒哀楽」は一瞬の事、「生病老死」が人生の姿と認識した時「諸行無常」を感じます。
「喜怒哀楽」は一瞬の慰めであり幻に過ぎない、やがて死を迎え「後生の一大事」が来る。
喜怒哀楽は人の「業」であり、業の重さによって「輪廻転生」するとき慌てない方法が仏教の教えです。
「善行を積み重ねたつもり」が自分の煩悩の判断であると勘違いが混ざっている。
「施しをした」時自分の煩悩の判断と受けた人の煩悩の判断が同じなら「施し」になる。
「こんな奴でも施せば善行になる」「こんな極悪人から施されても、どうせ誰かからかすめ取ったもの、返してもらうだけ、恩に着せるなよ」と違えば善行を積んだことにはならない。
仏教の修業に目的や成果を求めてはならない、「布施」に煩悩の判断を入れてはならない。
「煩悩を捨てようとしても捨てられない」これが「自力本願」
「なぜ出家をしなければならない」とした理由も煩悩に振り回されてはならない「業を作ってしまう」「自力」
出家しない衆生が「業を積み重ねない方法」を法然上人は「絶対他力」と教えられた。
煩悩が「判断」を作った時、「南無阿弥陀仏」と唱えて阿弥陀如来に判断をして導いていただく、「絶対他力」は「業」を作らない衆生のために阿弥陀如来が業を引き受けてくださる、「絶対他力」を親鸞上人は実践して見せた。
今回のお話には、どこか諦めたような、主体性の欠如を感じました。本来、人は好奇心に満ちており、何かをやりたいという気持ちを持っているはずです。しかし、人生の主導権を他人や社会的価値にゆだねると虚しさを感じるのは当然です。しっかりと運動し、食事をとり、十分な睡眠をとることで、健康的に活力が湧き、ふと振り返っても楽しい人生を送ることができるのではないでしょうか。
ある程度生きてると活気が無くなるんですよ。身体的にも精神的にも。
道端ですれ違う高校生見てたらもう活力の違いは明らかですもんね。
そう言った老いに伴う色んな苦悩も受け止めて、どうするかと言う話であると私は解釈致しました。
横から失礼しました。
@@sti6885 おっしゃる通り、老いに伴う身体的・精神的な変化は避けられないですね。しかし、年齢と共に知識や経験が増え、何歳になっても活力がゼロになることはないと、80歳を超えた祖父母を見て感じています。過去は記憶でしかなく、生きている今が心身の全力です。来世があるかどうかは分かりませんが、少なくとも現世を全力で健康的に生きることが重要だと思います。そのため、『人生は泡沫、幸せは儚い』という考えは少し虚しすぎるのではないかと感じました。人生の道の途中にいくつもの幸せがあったこと、儚いそれを忘れずにいたいです。
諸行無常というやつですね😅
1年52週あるのが1週間が子供の時の1日くらいの早さで過ぎていきます。砂を噛むような何も味のしないものを口に入れて生き続けているような。身内がいつまでも生きているわけではなくやがては自分の身も焼かれて骨になる…(ペットを含め4体の遺骨を見てきての虚しさです…)
ありがとうございます
ありがとうございました。
仏教に説かれている本当の幸福とはどんなものか、20日間の無料メール講座で話しをしています。
peraichi.com/landing_pages/view/reiwamail
人生は、夢のように儚く虚しいものである。まるで、食事ができるまでの間のうたた寝のように短い。
命短し恋せよ乙女なんて言葉もありますが、やはり空しいんでしょうか。
まさに空の思想、仏教ですね。
でも仏教の教えが本当に永遠なのでしょうか?永遠って何なのか??
宇宙が生まれてエントロピーで時間停止するまでだろうが、永遠に比べれば一瞬以下のゼロです。
むなしい人生の中にも、小さな「お!」というものがあります。赤信号につかまらなかった。ブックオフで探していた本が見つかった。そうした小さなことを喜ぶ生き方をすることです。宝くじが当たった、素敵な人に出会えた、などは欲です。そんな都合のいいことはありません。オシッコ、もらさなかった、セーフ!そんなことでも喜べる自分になれば、むなしさはありません。
私も死んだら悪夢から覚めるのでしょうか… 。?😢
虚しさを感じた時、仏教が役立つことは分かるのですが、虚しい理由が未だ不明です。理由を教えて下さい
菊谷先生は偉人のヘレンケラーさんの信じた宗教と五体不満足の女性の方で中村久子という歎異抄に影響を受けた方をご存じでしょうか。
はい、親鸞聖人によって救われた方のお一人ですね
菊谷さん、あなたも、あなたもしぬのになんで、伝えるのか?
私は何をしても虚しいなどと言う気持ちになった事は一度もない。必死で働いてきて、余裕があるほどの資産を作り、子供や孫と旅行に行ったり、趣味の楽器やバイクや車に時間を費やし、虚しいなどと思っている暇などない。こんな楽しい余生になるとは自分でも思ってもなかったが、また、いずれ病気にもなり、動けなくなり、死んでいくのだろうけど、十分に楽しい人生だった。虚しいなどと思う者は、人生を楽しむ能力のない情けない人間だったと、そう言う事だ。私は親鸞も歎異抄もしっかり勉強した上で言っている。後生の事など考える必要などない。幸せな素晴らしい一生であったと思いながら死んでいけばそれで良いのです。
虚しいと思う人間が情けないなんて、傲慢だよ、君
@@清熊川 私もそう思います!あなたは人生の成功者だ!
@@清熊川 貴方の言うとおりだ!
死の滝つぼを目の前にしたときに、果たして幸せな素晴らしい一生であったと思えるでしょうか。これまで楽しい人生だったなら、逆にその人生と別れねばなりませんから、いっそう苦しくなるのではないでしょうか。
平生業成・早く、阿弥陀如来の他力により信心逆得を急ぎたいが。