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NA、MT、FR、子供のころは普通にあった車。工業高校教員で機械が専門だった父。一緒に車をいじった想い出とともに、むしろ懐かしさを感じます。
昔、2000のRS乗ってた友人と走ってたら。信号待ちで車屋さんが手招きするから行ったらこれが売ってた!!当時でもRSすらマニアックな車だったので、おじさんが喜んで色々話聞かせてもらって助手席に乗せてもらってめちゃくちゃ早くてカッコ良かったなぁ。
40年程前になるかな近所の日産にサファリラリーにでた240RSが展示してありました当時は警備は厳しくなく夜中(午後10時)に友人と見に行った触ってもきました足回りはガチガチでした懐かしいです
S110 シルビア・ガゼールの市販車のエンジンはZ18またはFJ20 あたりで240RSはFJ24だと思いきや違うエンジンだったらしい!
このBGMが一番好き。
おお〜懐かしい。できれば200SXもお願いします。スープラやパルサーより結果だしてるのに知られて無いのですよ。
この年代の人が、当時のことをUA-camに上げてくれるのって、デジタル遺産的にかなり価値がある。ちゃんと残さないと、本当に潰えちゃうからね。
このシルビアが大好きだったので発表の時は嬉しかった。確かに設計は古いけどエンジン自体は間違えた位に感じる凄いスペックですね。パワーを出すとトルクもついて来る本当に公道を走るあれデスね🙇
冒頭に「厳つい」と表現していましたが当時240RSのラリー開発ドライバーを務めていた長谷見昌弘御大や星野一義御大に「ダサい。」と言わしめました。
パルサーの前にVG30積んだ240SXで参戦したと思いますが・・
この車の開発に星野さんも関わってました。メーカーからダートを容赦無く車を壊す走りをしてくれと頼まれていたようです。
この時代の競技車両に使うインジェクションってルーカスやクーゲルフィッシャーの機械式が主流だったけど、燃調が難しかったしよく壊れたから、キャブにすることで信頼性を確保したかったんだと思う。当時の日産のスーパーシルエットのエンジンのLZ20Bターボがこの機械式インジェクションとターボの組み合わせだったけど、勝つか壊れるかどっちかというレースが多かったから、信頼性を考えてインジェクションターボを選択しなかったのだろう。
タイヤ以外四角いエクステリア。たまりません。
二十年前の 群馬日産の横のドブに240RSが 放置されてたなぁ…
9:50 ヒューランドパターンというのは「直結5速」という変速段の割り振り方のものです。 5速の減速比が1.000でオーバードライブになっていないもの。(普通のHパターンのは4速が1.000で5速が0.なんぼのオーバードライブ)1速から5速までを近づけたいわゆるクロースミッションになっているのです。
ヒューランドパターンは動画の説明であってますよ。左上がリバースになっている配置のHパターンのマニュアルシフトの通称がヒューランドパターンって呼ぶだけです。(ヒューランド社がこの配置のものを製造してたから)コーナリングワーク時に2速3速を多用するから、競技車輌でこのシフトパターンがこのまれた。トランスミッションの減速比は関係ありません。自動車紙のWEB版でもヒューランドパターンはシフト配列のこと、5速直結がヒューランドパターンだという説明してるの見たことないですね。
@@南無夜須 あのですね、2-3速の入れやすさを狙ってそうしてるわけではないのですよ。ドライブードリブンギヤを1セット省略するために1変速段分はメンドラ(インプット)ーアウトプットシャフトを直結にしてかつ全体をクロス配分にするとなると最上位段を直結にするという配置になってるのですよ。FF(MR)用の横置きトランスミッションは2軸型だから直結段はありませんよ。
@@南無夜須 ちょっと説明が足りない部分があるので補足しますと、フォークの機構上、右手前が直結選択になるのです。そこが5速になるので「直結5速」そうでない(普通の)車だと4速がその位置になり、あえて言えば「直結4速」になります。FRが普通の時代のカタログを見てもらうと、4速の変速比が1.000になっていると思います。直結段の優位点は、ギアかみ合いのロスを無くす事ができることです。直結を最上位段にもってくれば最高速も若干延びると思われます。そもそもですが、ヒューランド社はフォーミュラーカー用のギヤセット、ギヤボックスをつくっているのですから、2-3速のチェンジを重視してつくったって話はおかしいと思いませんか?
二輪でいう市販レーサーを日産が販売したお陰で多くのプライベーターはお世話になっている 日本人もかなりの数のプライベーターが240RSでサファリなどの海外ラリーに挑戦したいやこの車のおかげで挑戦しやすくなった弱者のグループBとしては貴重な一台
ん?ヒューランドパターン?って違うんじゃ?って思ったら案の定コメントで違うって指摘されててワロタドッグレッグ(1速がローギアードでゴルフのドッグレッグホール/犬の足のように曲がっている)からですよねヒューランド社がそのギアパターンを作ってたからそう言われていたのもあるようですが・・・
240RSはまんま競技車両を販売していましたが、その後に販売されたセリカGr.Bは,どノーマルの完全ベース車両でしたねえ。少し後のプレイドライブ誌の売りますコーナーにはセリカGr.Bばかりでしたよ。あそこまで徹底していたのはトヨタだけだったかもね。
やっと、出てきました。25年くらい前に実物をオーナーさんに見せて貰ったことがありますが(しかもこちらは仕事中でお客様の所へ移動しているところ。阿保ですね)、ほんと時代を感じ無骨としか言い様が無い車でした。それから10年後にランチアラリー037、暫くしてランチアフルビアクーペを地元の外車取り扱い店で見れて、狂喜乱舞した事があります。Gr.B Gr.4を立て続けに同じ県内で見れるなんて博物館以外ではないでしょう。
日産のしくじり始めw、元車?のシルビア&ガゼールRSはこのモデルでは何故かハードトップだけの設定でしたね。
ターボが普及する直前のラリー。インジェクションを選択せずに、あえてキャブを選択した理由はレスポンスであると考えます。軽量化とキャブでのレスポンス向上で、コーナーの脱出速度を上げようとした開発者の意図を感じます。
240RSの開発秘話を読んだことが有りますが、その件は少しも触れていなかったですね…。240RSの用途として日産が考えていたのは、フォードエスコートやオペルアスコナ、後のマンタ400の様なプライベーター参戦型の市販グループBカーの販売でした。それ故にラリー競技用のOpカタログまで作成して、購入者が予算に応じて日産純正のレースパーツでメンテナンスやバージョンアップが可能になり長く使用できるマシンにする事でした。インジェクションではなくキャブレターを選択したのは、240RSの性格上出場するラリーはサファリやアイボリーコーストを中心とした耐久力の求められるラリーが中心に使用されると予測していて、実際にも国際格式や国内大会含めてその通りでした。そして当時の途上国での使用を考慮すると技術レベルの高いインジェクションより、既存技術のキャブレターの方がユーザーにはメリットがあると踏んでの選択だった。との事でした。動画で240RSの戦績で抜けていますが、1985サファリでは、1.2位を独占したセリカに続き3位でした。この時のワークス240RSは、対ターボ車を想定した改良仕様の280PSモデルと当時の記事で読んだ気がします。海外チームの購入者は予想より伸びなかった様ですが、同時期に市販Bマシンでヨーロッパで人気の有ったオペルマンタ400は奇しくも240RSと同じNA2.4LDOHCのFRマシンであり、多くのユーザーがヨーロッパ地域のWRC戦や各国内選手権へ参戦していますので、『読みが外れた』とかでは無く『そう云う仕様』と理解すると良いのだと思います。
キャブの選択はカスタマー仕様の為、一般ユーザーでも扱えるようにとの事。街のショップでもいじる事が出来、即競技OKにする為。ワークスではインジェクション仕様あります。300馬力届かずの仕様。レース、ラリー出場は不明。あと、日産の上層部はサファリの栄光を引きずっていたから4WDターボに理解が無かったから。しっかし標準車のタイヤサイズが14インチって言うのには笑い転げた。
200SXもよろしく!
当時はノーマルキャブ→インジェクション→スポーツキャブでした大衆車はノーマルキャブ高級車はインジェクションチューニング車はスポーツキャブでした当時のノーマルキャブ車に現在の常識は通用しませんエンジン始動に手順が必須です暖気運転は必須です(暖気運転しないと走りませんでした)ラフなアクセル操作でエンジン不調を起こしたりしました(急な上り坂などは顕著でした)インジェクション車はノーマルキャブ車の上位的な存在でしたセルを回すだけの簡単エンジン始動暖気運転せずに走行可能なエンジン制御ラフなアクセル操作でもOKなエンジン制御若干燃費が良く、若干ハイパワーな高級車ですインジェクション車はあくまでノーマルキャブ車の改良でしかなくインジェクター容量やECUの燃調MAPが拡大・変更できないなどの物理限界の為に高出力化は困難でしたNA車はインジェクションを取り外してスポーツキャブに交換するのが常識であり王道と言われていましたターボ車は水温情報などを偽装してECUの低温時燃調データを使うことで高出力化を行っていましたが当初は邪道と言われていました当時はスポーツキャブより高性能なインジェクタや高性能なECUはありませんでしたので常識的なな選択だったと思いますインジェクション車は燃調コントローラ→サブコン→追加インジェクタ→高性能ECU→高性能インジェクタと進化しています
完全にラリーの潮流を読み違えたクルマでしたね。似たもの同士と言われた、セリカターボとも全く違ったスタンスで、トヨタに出し抜かれたクルマ。Gr.Bは余りにも狂気な時代で、誰も先の潮流を読めなかったのも事実ですが…(アウディですら潮流に乗れたのは1・2年位でしたから)80年代のモータースポーツは人間のアツさが感じられましたよね。安全性は全く褒められたもんじゃなかったですが。
これサファリのホロモゲーション車ですねー❗左ハンドルと右ハンドル仕様が有るね。
日産がWRC最後に入賞したS12型200SXを忘れてます(^-^;とは言え私が詳しい経緯を知ったのは今年になってからですが…
240RSからパルサーの間にS12型シルビアにVG30(ターボなし)エンジンを載せた200SXというクルマが活躍してましたよ🤔200SXのライバルはなんと70スープラ😂😂😂
87,88年辺りのサファリでワークスが走らせてましたね。乾いた抜けるような高音サウンドでギャラリーを沸かせてましたw日産の狙いはハッキリしていて、出場するのはサファリやアイボリーコースト等の耐久性が必要なラリーに特化してましたよね。この頃若林さんが監督を務めると良い成績を納めますが、柿本さんが監督の時は沈みましたよね。
@@7lara415 なるほど、トヨタの70スープラも同じ立ち位置だったような…
新谷かおるの『ガッデム』のストーリー前半の頃ですね。サファリのレッキ走行時に70スープラと200SXがすれ違うシーンがあったような。
なんかコメントみていると、シルビア, ガゼールって言ってる方が多いですが 240RSと一緒にしてほしくないなあ。 2015年11月に東名高速足柄SAで240RS発見。DELTAを隣に停めて写真撮らせて貰いました。オーナー様と色々お話しさせていただきました。実はその7,8年前に荒川沿いのマンションの駐車場に240RSが居て、最近見ないんですよ。って言ったら「あ、その人知っている人ですよ。」だって。オーナーさんはその翌日の、お台場旧車天国に愛車を展示する為に移動中とのことでした。
漢のえふあーる!日産がんばれー!!
この貴重な240RS、私も以前運転させてもらったことがあります。キャブ車経験の乏しい私にはとても難しい車でしたが現代の車にはないマシーンと呼べる車でした。エンジンサウンドは最高でした。私が現在参加しているBRIGヒルクライムにも240 RSで参加している方がいます。
鈴鹿の山崎自動車さんでいっぱい見れますし、全国の240RSオーナーが繋がってるそうです。
日産が240RSでのラリーの活動を終了したころ格安で一部が一般に放出された事がありました2~300万円だったそうです当時これを逆輸入車として8~1000万円のプライスをつけていたショップがありましたね
昔、泊まったペンションが所有してたんですよ。その当時興味なかっあけどもっとよく見とけばよかった(泣)
そうそう、確か当時わりと安価で中古車として売買されてたのを覚えてる。地元でも乗ってる人がいて、知り合いが助手席に乗せてもらったら、スペック以上に速く感じたとか。
240RSが発表された時。なんでキャブ仕様のノンターボ?って思いましたよ。 海外メーカーのグループBは物凄い予算で化け物みたいな車を造ってましたから、当時の日産は販売数でトヨタに水を開けられて、開発予算の問題もあったのかと思います。ボディはカッコ良かったんですけどね。
年がバレるけど、免許をとって初めて買った車が、このシルビアだったww
240RSと聞けば岩下良雄サンがまず頭に浮かびますね。
プライベーターだが、マシンはセミワークス。日本のプライベーターの憧れ、岩下 中原組。
日本ラジエターのスポンサーでエアコン付き車両だった! おかげで体力消耗が少かったとか
もうかなり前に手放しちゃったそうですが昔エンケイの社長が乗ってました✨主の解説でギャランVR-4やレガシィRS typeRA、ファミリア ラリー・スポルトの動画観てみたいです!
30数年前に知り合いから400万で買わないか?って言われた事あったな…新車を・・・買いたかったけど先立つ物が無くて断念した・・・orz知り合いのタイヤ屋の店長が240RSの部品のカタログを持ってて自分の車のエンジンは240RSと同じ仕様にしていたww
240RSでなくても欲しかった一台。ただノーマルは排ガス規制のせいかメチャ遅い。
地元にあった趣味かブローカーみたいな個人経営の小さなクルマ屋さんに置いてあって丁度クルマを乗り換えようとしてた時に出会ってしまって真剣に購入するつもりで居た普通の新車扱いではなく流れてきた車体で案外安かった印象で当時で250万円くらいどっちかの価格帯だけど乗り出しには保安基準がそのままでは通らずフロントガラスやリアガラスがポリカーボネイトだったので市販のシルビアのものに交換が必要だった今となっては失敗したかな例え250万円+ガラス交換ならお釣りが来るくらい魅力的あのごっついブリスターフェンダーはもぅキュンキュンしちゃうかっこ良さ動画で知ったけどキャブ仕様だったのかぁ当時乗ってたのはダルマセリカLB 1600GTでこいつも純正でソレックスキャブでいい音してたんだよねー
この型のノーマルシルビアと130Z造ってました。この型はハッチバックの方が人気でしたね。
喋り方からして霊夢と魔理沙が逆じゃねぇか?
昔、中古車屋で見つけた、ガゼールRSを買わなかったことを、かなり後悔しております…(´;ω;`)
烈火のパワー
またレアなマシンを持ってきましたねw 是非FDもやって下さい♪
FJエンジン積んだ奴ね。まだプリンスの血が流てた頃の車だね。シルビアとガゼール、ガゼールは純正でボンネットに貼る独特なシールが有ったなぁアメリカンチックな。この頃の競技ベース車は三代目セリカ(半リトラ目)なんかも面白い、ツインプラグの18RG載ってて。最近じゃあまり見られないけど、競技ベース車両は面白い!
こんな最高~🙂の車を紹介してくれてありがとうございます。私のスマホの待ち受け画面が240RSですめっちゃカッコイイ車ですよね。
「ヒューランド パターン」は、通称「ドッグレッグ Dog Leg 」と言います。同僚のイギリス人メカが申してますので間違いは無いと思います。他の連中(多国籍軍)もそのように言ってますし。日本では「レーシング( シフト) パターン」って確か言ってましたよね? 70~80年代の 911やM3, アルピナも採用してました。
この頃はサファリはターボも4WDもかてなかったからサファリに関しては戦力あった、後日本ラジエーターのエアコンが付いていた5馬力しかロスしない当時では優れもの。吊るしでレースに出られるとか、ポルシェと同じ考え方も有り、当時の日産は好きでした。リアサスが車軸なのは、耐久性と整備性を考えてかな?セリカの4発もセミトレをわざわざ車軸に変えてホロモゲ取っていたし
ノーマルは悲しくなる位レスポンスはスポンジ-でプアだった…
シルビアというよりもガゼールっぽいな
ワークスチームの規模が小さい国や地域のラリー選手権に出場しているプライベーターが勝てる車として240RSや911SCRSを使っていたね。競技車両への改造に金かからないし。
何度かポートメッセなごやで見たことある。確か最近アオシマ(BEEMAX)でプラモが出たんだよな。
同じグループBのFRモデルながらセリカは4連スロットルEFIのターボ、240RSはNAキャブレターと違う道を選んだのは興味深い。240RSのテストは星野さんも関わったそうだけど「あの四角いオーバーフェンダーはダサかったなぁ」と気に入らなかったらしい。
セリカは4TG-T、3TG-Tのボアを0.5mmアップさせただけのシングルスロットルですよ。
市販バージョンについては不明ですが、オベ・アンダーソンの強い要望でワークスカーは4スロットルに変更されたとトヨタの鳩谷和春氏が証言していました。
角バーフェン=80年代前半の日産は何故かソレでしたね、310に移行したサニーも。
ランタボもお願いします。
霊夢と魔理沙の口調が雑すぎる
時代的には4WDの絶対優位が確定する間際の車両でしたから、言うほど無理筋では無かったと思います。雪が降ればアウディクワトロが勝つけど、晴れればランチアが勝つという程度に、まだフルタイム4WDが完成する前、特にサファリではトヨタもTA64はFRが有利と目論み結果を出しています。GT-RのS20型以来市場になかった、DOHC 4VALVE市販エンジンであるFJ搭載車で競技参戦することも狙いのひとつだったのではないでしょうか?スーパーシルエットのスカイラインRSはFJ型を積んでいない”なんちゃってRS”でしたし、モータースポーツ用にあえて6発を捨て4発にしたFJ型の真価を示したかったのではなかったのでしょうか。
FJが4発になったのは、当時の日産のお家事情で労使紛争の具にされないようにH20エンジンの生産施設を使うことでカモフラージュする必要があったため。元々バイオレットのLZ16Bの置き換え目的のエンジンだから、4発である必要もあったし。頑丈なのはいいけど、重かったのが弱点。
@@司裕次郎FJはF3のホモロゲ取得も視野に入れてましたね、若き日の亜久里が乗ってました。しかし、SR311のU20と「歳の離れた兄弟」のエンジンだからもう少し評価が高くてもよさそうなもの。
シルエットフォーミュラの話は??(シルビアってだけで)
ヒューランドパターンは、今の国産2tトラックのミッションパターンどS🤣昔は、4t〜10tトラックの5MT仕様車は全てこのパターンでした。(UDやいすゞのトラックは年式やグレードによって、乗用車のパターンが存在します。)因みに、自衛隊のトラックは73式小型トラック以外、全てこのパターンが主流でしたね。
エンジンとミッションだけ欲しい!それをハコスカHT1800GLに載せたい!
トラック乗りにはすぐ慣れそうな車笑笑
[西部警察]を思い出した!
そっちは「ガゼール」な。🙄
NA でFR のマシンが此処までがんばれたのはニッサンのシルビアだったからだが結果が残せなかったのは残念😭
後にこのデザインがトヨタソアラになって、バカ売れする事になるんだよな~、
この車は欲しいー。買えないけど。
スカイライン鉄仮面ターボの2.4リットル、ラリーバージョンなのか~!(´・д・`)....
240RSだと‼まぢご馳走じゃねえかwでも、あくまでスペックはグロス値だから、残念!
シルビア、カッケー!w
P110のシルビア2000ZSE-X乗ってたわーー‼️角目4灯で好きだったけど、弟に貸したら全損した……
この車のライバルと言えば、トヨタ TA64 セリカ GT-TSしか、思いつかないな…。
240RS欲しかったけど高くて全然手が届く金額じゃなかったので、普通のRSに乗ってました。でも普通っていってもFJ20搭載でかなり高かったです。そのくせに、エンジンが気まぐれで。
警察霊が疼くね✨✨✨✨
足りない。リヤは、わざわざリジットにしたとか、ラリー走り終わるとBピラーが膨らんでたとか。オーバーフェンダーの裏は板金切りっぱなしだったとか。語る事はたくさんあるでしょ。続いて300SXで、汚名返上してください。
240RSは無理!と感じて車体も中身もそれなりに似てる(失礼)FJ20を積んだシルビアRSを一時期探してたな。後から知ったけどガゼールにも設定あったのね。そっちの方が240RSよりレアなのかも(笑)
マジで知らなかった・・・・年代的にバイクにはまってクルマから離れてた頃昭和53年規制でキバを抜かれたはずなのに、各社がんばってたんですね
一昨年、富士へ向かう途中の道の駅で休んでいる時に240RSがやって来て「おぉーーっ!!今までドコにおったん?!」って結構テンション上がりましたね。まぁ、その時自分が乗ってきたバイク…カワサキのGPZ250Rなんですけどね(ばくおん読めば分かるやつ)
あえて言いたい。こいつの名は「ガゼーーーール」だ。
240RSはグループB前のグループ5じなかったかな❓その当時はグループ5とグループBの混走でやかったかな❓基本的にコンセプトが古いからサファリしか勝負にならない‼️少ない予算・手弁当をかついで1l弱ターボでシャレード‼️最小ワークスダイハツも素晴らしい‼️いまのダイハツは全く違う会社に成り下がった
Gr.5ではありません、Gr.Bで間違いありませんよ。更に、ラリーでGr.5は走りません。Gr.5は、サーキットのレース車両ですね。
グループBの前はグループ4ですね。 1982年までが混走時代だったと思います。1982年にはベースのS110シルビアにLZ20を搭載した車(実質PA10のガワをシルビアに替えた車)でサファリにでてますね。それを見て仰っているのかもしれません。
せっかくの内容なのに、漫画と声を変えるのは残念。
実車はかなりのオーラを放ってます。実物見た時は、かなり興奮しましたね。他の方が仰ってますが、エンケイの社長が所有していた240RSを譲ってもらった方と、一時期色々やりとりした事が有ります。240RS方面では、有名な方みたいですが、未だにお元気にされているのかなぁ?少し前から全然連絡が取れません。
いまの若者さんはFFしかのったことがないはず
中古の「FR」だって有るだろ。🙄
ラリーの日産の末期の頃だね星野和義がサーキットならラリーは長谷見昌弘、って感じだったかなあ?それにしてもダッツンのトリコロールカラーがキモだよなあ
長谷見さん、サファリ用のバイオレツトのテストしていた。❓️
「えふあーる」とか「えふえふ」という駆動方式を示す言葉は和製英語。自分は前輪駆動とか後輪駆動とか総輪駆動とかいうな。英語の略語では、RWDとかFWDとかAWDとかね。燃料供給がツインチョークキャブレターというのは、解説されているとおり信頼性重視の設計であるのだけど、当時ノウハウを得ていたサファリラリーの勝ち方を、時代が急速に加速していたのにそのまま持ってきて「しまった」のが敗因だったのかも。あの当時の日産ワークスは、サファリなどは追浜オペレーションによるチームだったことも大きい。逆にプライベーターには人気車種で、各国選手権ではそれなりに活躍していた。あの当時セリカがやたら速かったのは、チーム自体が完全にヨーロッパのやり方で突き進んで、当時は黎明期だった電子制御のエンジンとターボチャージャーを見事に使いこなしたのが勝因だと思う。
NA、MT、FR、子供のころは普通にあった車。工業高校教員で機械が専門だった父。一緒に車をいじった想い出とともに、むしろ懐かしさを感じます。
昔、2000のRS乗ってた友人と走ってたら。信号待ちで車屋さんが手招きするから行ったらこれが売ってた!!当時でもRSすらマニアックな車だったので、おじさんが喜んで色々話聞かせてもらって助手席に乗せてもらってめちゃくちゃ早くてカッコ良かったなぁ。
40年程前になるかな
近所の日産にサファリラリーにでた240RSが展示してありました
当時は警備は厳しくなく夜中(午後10時)に友人と見に行った触ってもきました
足回りはガチガチでした
懐かしいです
S110 シルビア・ガゼールの市販車のエンジンはZ18またはFJ20 あたりで240RSはFJ24だと思いきや違うエンジンだったらしい!
このBGMが一番好き。
おお〜懐かしい。できれば200SXもお願いします。スープラやパルサーより結果だしてるのに知られて無いのですよ。
この年代の人が、当時のことをUA-camに上げてくれるのって、デジタル遺産的にかなり価値がある。ちゃんと残さないと、本当に潰えちゃうからね。
このシルビアが大好きだったので発表の時は嬉しかった。確かに設計は古いけどエンジン自体は間違えた位に感じる凄いスペックですね。パワーを出すとトルクもついて来る本当に公道を走るあれデスね🙇
冒頭に「厳つい」と表現していましたが当時240RSのラリー開発ドライバーを務めていた長谷見昌弘御大や星野一義御大に「ダサい。」と言わしめました。
パルサーの前にVG30積んだ240SXで参戦したと思いますが・・
この車の開発に星野さんも関わってました。メーカーからダートを容赦無く車を壊す走りをしてくれと頼まれていたようです。
この時代の競技車両に使うインジェクションってルーカスやクーゲルフィッシャーの機械式が主流だったけど、燃調が難しかったしよく壊れたから、キャブにすることで信頼性を確保したかったんだと思う。
当時の日産のスーパーシルエットのエンジンのLZ20Bターボがこの機械式インジェクションとターボの組み合わせだったけど、勝つか壊れるかどっちかというレースが多かったから、信頼性を考えてインジェクションターボを選択しなかったのだろう。
タイヤ以外四角いエクステリア。
たまりません。
二十年前の 群馬日産の横のドブに240RSが 放置されてたなぁ…
9:50 ヒューランドパターンというのは「直結5速」という変速段の割り振り方のものです。 5速の減速比が1.000でオーバードライブになっていないもの。(普通のHパターンのは4速が1.000で5速が0.なんぼのオーバードライブ)
1速から5速までを近づけたいわゆるクロースミッションになっているのです。
ヒューランドパターンは動画の説明であってますよ。左上がリバースになっている配置のHパターンのマニュアルシフトの通称がヒューランドパターンって呼ぶだけです。(ヒューランド社がこの配置のものを製造してたから)
コーナリングワーク時に2速3速を多用するから、競技車輌でこのシフトパターンがこのまれた。
トランスミッションの減速比は関係ありません。
自動車紙のWEB版でもヒューランドパターンはシフト配列のこと、5速直結がヒューランドパターンだという説明してるの見たことないですね。
@@南無夜須 あのですね、2-3速の入れやすさを狙ってそうしてるわけではないのですよ。ドライブードリブンギヤを1セット省略するために1変速段分はメンドラ(インプット)ーアウトプットシャフトを直結にしてかつ全体をクロス配分にするとなると最上位段を直結にするという配置になってるのですよ。
FF(MR)用の横置きトランスミッションは2軸型だから直結段はありませんよ。
@@南無夜須 ちょっと説明が足りない部分があるので補足しますと、フォークの機構上、右手前が直結選択になるのです。そこが5速になるので「直結5速」そうでない(普通の)車だと4速がその位置になり、あえて言えば「直結4速」になります。FRが普通の時代のカタログを見てもらうと、4速の変速比が1.000になっていると思います。
直結段の優位点は、ギアかみ合いのロスを無くす事ができることです。直結を最上位段にもってくれば最高速も若干延びると思われます。
そもそもですが、ヒューランド社はフォーミュラーカー用のギヤセット、ギヤボックスをつくっているのですから、2-3速のチェンジを重視してつくったって話はおかしいと思いませんか?
二輪でいう市販レーサーを日産が販売したお陰で多くのプライベーターはお世話になっている 日本人もかなりの数のプライベーターが240RSでサファリなどの海外ラリーに挑戦した
いやこの車のおかげで挑戦しやすくなった弱者のグループBとしては貴重な一台
ん?ヒューランドパターン?って違うんじゃ?って思ったら案の定コメントで違うって指摘されててワロタ
ドッグレッグ(1速がローギアードでゴルフのドッグレッグホール/犬の足のように曲がっている)からですよね
ヒューランド社がそのギアパターンを作ってたからそう言われていたのもあるようですが・・・
240RSはまんま競技車両を販売していましたが、その後に販売されたセリカGr.Bは,どノーマルの完全ベース車両でしたねえ。少し後のプレイドライブ誌の売りますコーナーにはセリカGr.Bばかりでしたよ。あそこまで徹底していたのはトヨタだけだったかもね。
やっと、出てきました。25年くらい前に実物をオーナーさんに見せて貰ったことがありますが(しかもこちらは仕事中でお客様の所へ移動しているところ。阿保ですね)、ほんと時代を感じ無骨としか言い様が無い車でした。それから10年後にランチアラリー037、暫くしてランチアフルビアクーペを地元の外車取り扱い店で見れて、狂喜乱舞した事があります。Gr.B Gr.4を立て続けに同じ県内で見れるなんて博物館以外ではないでしょう。
日産のしくじり始めw、元車?のシルビア&ガゼールRSはこのモデルでは何故かハードトップだけの設定でしたね。
ターボが普及する直前のラリー。
インジェクションを選択せずに、あえてキャブを選択した理由はレスポンスであると考えます。
軽量化とキャブでのレスポンス向上で、コーナーの脱出速度を上げようとした開発者の意図を感じます。
240RSの開発秘話を読んだことが有りますが、その件は少しも触れていなかったですね…。
240RSの用途として日産が考えていたのは、フォードエスコートやオペルアスコナ、後のマンタ400の様なプライベーター参戦型の市販グループBカーの販売でした。それ故にラリー競技用のOpカタログまで作成して、購入者が予算に応じて日産純正のレースパーツでメンテナンスやバージョンアップが可能になり長く使用できるマシンにする事でした。
インジェクションではなくキャブレターを選択したのは、240RSの性格上出場するラリーはサファリやアイボリーコーストを中心とした耐久力の求められるラリーが中心に使用されると予測していて、実際にも国際格式や国内大会含めてその通りでした。
そして当時の途上国での使用を考慮すると技術レベルの高いインジェクションより、既存技術のキャブレターの方がユーザーにはメリットがあると踏んでの選択だった。との事でした。
動画で240RSの戦績で抜けていますが、1985サファリでは、1.2位を独占したセリカに続き3位でした。
この時のワークス240RSは、対ターボ車を想定した改良仕様の280PSモデルと当時の記事で読んだ気がします。
海外チームの購入者は予想より伸びなかった様ですが、同時期に市販Bマシンでヨーロッパで人気の有ったオペルマンタ400は奇しくも240RSと同じNA2.4LDOHCのFRマシンであり、多くのユーザーがヨーロッパ地域のWRC戦や各国内選手権へ参戦していますので、『読みが外れた』とかでは無く『そう云う仕様』と理解すると良いのだと思います。
キャブの選択はカスタマー仕様の為、一般ユーザーでも扱えるようにとの事。街のショップでもいじる事が出来、即競技OKにする為。ワークスではインジェクション仕様あります。300馬力届かずの仕様。レース、ラリー出場は不明。あと、日産の上層部はサファリの栄光を引きずっていたから4WDターボに理解が無かったから。しっかし標準車のタイヤサイズが14インチって言うのには笑い転げた。
200SXもよろしく!
当時は
ノーマルキャブ→インジェクション→スポーツキャブでした
大衆車はノーマルキャブ
高級車はインジェクション
チューニング車はスポーツキャブ
でした
当時のノーマルキャブ車に現在の常識は通用しません
エンジン始動に手順が必須です
暖気運転は必須です(暖気運転しないと走りませんでした)
ラフなアクセル操作でエンジン不調を起こしたりしました
(急な上り坂などは顕著でした)
インジェクション車はノーマルキャブ車の上位的な存在でした
セルを回すだけの簡単エンジン始動
暖気運転せずに走行可能なエンジン制御
ラフなアクセル操作でもOKなエンジン制御
若干燃費が良く、若干ハイパワーな高級車です
インジェクション車はあくまでノーマルキャブ車の改良でしかなく
インジェクター容量やECUの燃調MAPが拡大・変更できないなどの物理限界の為に高出力化は困難でした
NA車はインジェクションを取り外してスポーツキャブに交換するのが常識であり王道と言われていました
ターボ車は水温情報などを偽装してECUの低温時燃調データを使うことで高出力化を行っていましたが当初は邪道と言われていました
当時はスポーツキャブより高性能なインジェクタや高性能なECUはありませんでしたので常識的なな選択だったと思います
インジェクション車は
燃調コントローラ→サブコン→追加インジェクタ→高性能ECU→高性能インジェクタと進化しています
完全にラリーの潮流を読み違えたクルマでしたね。
似たもの同士と言われた、セリカターボとも全く違ったスタンスで、トヨタに出し抜かれたクルマ。
Gr.Bは余りにも狂気な時代で、誰も先の潮流を読めなかったのも事実ですが…
(アウディですら潮流に乗れたのは1・2年位でしたから)
80年代のモータースポーツは人間のアツさが感じられましたよね。
安全性は全く褒められたもんじゃなかったですが。
これサファリのホロモゲーション車ですねー❗左ハンドルと右ハンドル仕様が有るね。
日産がWRC最後に入賞したS12型200SXを忘れてます(^-^;
とは言え私が詳しい経緯を知ったのは今年になってからですが…
240RSからパルサーの間にS12型シルビアにVG30(ターボなし)エンジンを載せた200SXというクルマが活躍してましたよ🤔
200SXのライバルはなんと70スープラ😂😂😂
87,88年辺りのサファリでワークスが走らせてましたね。
乾いた抜けるような高音サウンドでギャラリーを沸かせてましたw
日産の狙いはハッキリしていて、出場するのはサファリやアイボリーコースト等の耐久性が必要なラリーに特化してましたよね。
この頃若林さんが監督を務めると良い成績を納めますが、柿本さんが監督の時は沈みましたよね。
@@7lara415
なるほど、トヨタの70スープラも同じ立ち位置だったような…
新谷かおるの『ガッデム』のストーリー前半の頃ですね。
サファリのレッキ走行時に70スープラと200SXがすれ違うシーンがあったような。
なんかコメントみていると、シルビア, ガゼールって言ってる方が多いですが 240RSと一緒にしてほしくないなあ。
2015年11月に東名高速足柄SAで240RS発見。DELTAを隣に停めて写真撮らせて貰いました。オーナー様と色々お話しさせていただきました。実はその7,8年前に荒川沿いのマンションの駐車場に240RSが居て、最近見ないんですよ。って言ったら「あ、その人知っている人ですよ。」だって。オーナーさんはその翌日の、お台場旧車天国に愛車を展示する為に移動中とのことでした。
漢のえふあーる!
日産がんばれー!!
この貴重な240RS、私も以前運転させてもらったことがあります。キャブ車経験の乏しい私にはとても難しい車でしたが現代の車にはないマシーンと呼べる車でした。エンジンサウンドは最高でした。私が現在参加しているBRIGヒルクライムにも240 RSで参加している方がいます。
鈴鹿の山崎自動車さんでいっぱい見れますし、全国の240RSオーナーが繋がってるそうです。
日産が240RSでのラリーの活動を終了したころ
格安で一部が一般に放出された事がありました
2~300万円だったそうです
当時これを逆輸入車として8~1000万円のプライスをつけていたショップがありましたね
昔、泊まったペンションが所有してたんですよ。その当時興味なかっあけどもっとよく見とけばよかった(泣)
そうそう、確か当時わりと安価で中古車として売買されてたのを覚えてる。
地元でも乗ってる人がいて、知り合いが助手席に乗せてもらったら、スペック以上に速く感じたとか。
240RSが発表された時。なんでキャブ仕様のノンターボ?って思いましたよ。
海外メーカーのグループBは物凄い予算で化け物みたいな車を造ってましたから、
当時の日産は販売数でトヨタに水を開けられて、開発予算の問題もあったのかと思います。
ボディはカッコ良かったんですけどね。
年がバレるけど、免許をとって初めて買った車が、このシルビアだったww
240RSと聞けば岩下良雄サンがまず頭に浮かびますね。
プライベーターだが、マシンはセミワークス。
日本のプライベーターの憧れ、岩下 中原組。
日本ラジエターのスポンサーでエアコン付き車両だった! おかげで体力消耗が少かったとか
もうかなり前に手放しちゃったそうですが昔エンケイの社長が乗ってました✨
主の解説でギャランVR-4やレガシィRS typeRA、ファミリア ラリー・スポルトの動画観てみたいです!
30数年前に知り合いから400万で買わないか?って言われた事あったな…新車を・・・買いたかったけど
先立つ物が無くて断念した・・・orz
知り合いのタイヤ屋の店長が240RSの部品のカタログを持ってて自分の車のエンジンは240RSと同じ仕様に
していたww
240RSでなくても欲しかった一台。
ただノーマルは排ガス規制のせいかメチャ遅い。
地元にあった趣味かブローカーみたいな個人経営の小さなクルマ屋さんに置いてあって
丁度クルマを乗り換えようとしてた時に出会ってしまって真剣に購入するつもりで居た
普通の新車扱いではなく流れてきた車体で案外安かった印象で当時で250万円くらい
どっちかの価格帯だけど乗り出しには保安基準がそのままでは通らずフロントガラスや
リアガラスがポリカーボネイトだったので市販のシルビアのものに交換が必要だった
今となっては失敗したかな例え250万円+ガラス交換ならお釣りが来るくらい魅力的
あのごっついブリスターフェンダーはもぅキュンキュンしちゃうかっこ良さ
動画で知ったけどキャブ仕様だったのかぁ当時乗ってたのはダルマセリカLB 1600GTで
こいつも純正でソレックスキャブでいい音してたんだよねー
この型のノーマルシルビアと130Z造ってました。
この型はハッチバックの方が人気でしたね。
喋り方からして霊夢と魔理沙が逆じゃねぇか?
昔、中古車屋で見つけた、ガゼールRSを買わなかったことを、かなり後悔しております…(´;ω;`)
烈火のパワー
またレアなマシンを持ってきましたねw 是非FDもやって下さい♪
FJエンジン積んだ奴ね。
まだプリンスの血が流てた頃の車だね。
シルビアとガゼール、ガゼールは純正でボンネットに貼る独特なシールが有ったなぁアメリカンチックな。
この頃の競技ベース車は三代目セリカ(半リトラ目)なんかも面白い、ツインプラグの18RG載ってて。
最近じゃあまり見られないけど、競技ベース車両は面白い!
こんな最高~🙂の車を紹介してくれてありがとうございます。私のスマホの待ち受け画面が240RSですめっちゃカッコイイ車ですよね。
「ヒューランド パターン」は、通称「ドッグレッグ Dog Leg 」と言います。
同僚のイギリス人メカが申してますので間違いは無いと思います。他の連中(多国籍軍)もそのように言ってますし。
日本では「レーシング( シフト) パターン」って確か言ってましたよね? 70~80年代の 911やM3, アルピナも採用してました。
この頃はサファリはターボも4WDもかてなかったからサファリに関しては戦力あった、後日本ラジエーターのエアコンが付いていた5馬力しかロスしない当時では優れもの。吊るしでレースに出られるとか、ポルシェと同じ考え方も有り、当時の日産は好きでした。リアサスが車軸なのは、耐久性と整備性を考えてかな?セリカの4発もセミトレをわざわざ車軸に変えてホロモゲ取っていたし
ノーマルは悲しくなる位レスポンスはスポンジ-でプアだった…
シルビアというよりもガゼールっぽいな
ワークスチームの規模が小さい国や地域のラリー選手権に出場しているプライベーターが勝てる車として240RSや911SCRSを使っていたね。競技車両への改造に金かからないし。
何度かポートメッセなごやで見たことある。確か最近アオシマ(BEEMAX)でプラモが出たんだよな。
同じグループBのFRモデルながらセリカは4連スロットルEFIのターボ、240RSはNAキャブレターと違う道を選んだのは興味深い。240RSのテストは星野さんも関わったそうだけど「あの四角いオーバーフェンダーはダサかったなぁ」と気に入らなかったらしい。
セリカは4TG-T、3TG-Tのボアを0.5mmアップさせただけのシングルスロットルですよ。
市販バージョンについては不明ですが、オベ・アンダーソンの強い要望でワークスカーは4スロットルに変更されたとトヨタの鳩谷和春氏が証言していました。
角バーフェン=80年代前半の日産は何故かソレでしたね、310に移行したサニーも。
ランタボもお願いします。
霊夢と魔理沙の口調が雑すぎる
時代的には4WDの絶対優位が確定する間際の車両でしたから、言うほど無理筋では無かったと思います。
雪が降ればアウディクワトロが勝つけど、晴れればランチアが勝つという程度に、まだフルタイム4WDが完成する前、特にサファリではトヨタもTA64はFRが有利と目論み結果を出しています。
GT-RのS20型以来市場になかった、DOHC 4VALVE市販エンジンであるFJ搭載車で競技参戦することも狙いのひとつだったのではないでしょうか?
スーパーシルエットのスカイラインRSはFJ型を積んでいない”なんちゃってRS”でしたし、モータースポーツ用にあえて6発を捨て4発にしたFJ型の真価を示したかったのではなかったのでしょうか。
FJが4発になったのは、当時の日産のお家事情で労使紛争の具にされないようにH20エンジンの生産施設を使うことでカモフラージュする必要があったため。
元々バイオレットのLZ16Bの置き換え目的のエンジンだから、4発である必要もあったし。
頑丈なのはいいけど、重かったのが弱点。
@@司裕次郎
FJはF3のホモロゲ取得も視野に入れてましたね、若き日の亜久里が乗ってました。
しかし、SR311のU20と「歳の離れた兄弟」のエンジンだからもう少し評価が高くてもよさそうなもの。
シルエットフォーミュラの話は??(シルビアってだけで)
ヒューランドパターンは、今の国産2tトラックのミッションパターンどS🤣昔は、4t〜10tトラックの5MT仕様車は全てこのパターンでした。(UDやいすゞのトラックは年式やグレードによって、乗用車のパターンが存在します。)因みに、自衛隊のトラックは73式小型トラック以外、全てこのパターンが主流でしたね。
エンジンとミッションだけ欲しい!それをハコスカHT1800GLに載せたい!
トラック乗りにはすぐ慣れそうな車笑笑
[西部警察]を思い出した!
そっちは「ガゼール」な。🙄
NA でFR のマシンが此処までがんばれたのはニッサンのシルビアだったからだが結果が残せなかったのは残念😭
後にこのデザインがトヨタソアラになって、バカ売れする事になるんだよな~、
この車は欲しいー。買えないけど。
スカイライン鉄仮面ターボの2.4リットル、ラリーバージョンなのか~!
(´・д・`)....
240RSだと‼まぢご馳走じゃねえかw
でも、あくまでスペックはグロス値だから、残念!
シルビア、カッケー!w
P110のシルビア2000ZSE-X乗ってたわーー‼️角目4灯で好きだったけど、弟に貸したら全損した……
この車のライバルと言えば、トヨタ TA64 セリカ GT-TSしか、思いつかないな…。
240RS欲しかったけど高くて全然手が届く金額じゃなかったので、普通のRSに乗ってました。
でも普通っていってもFJ20搭載でかなり高かったです。
そのくせに、エンジンが気まぐれで。
警察霊が疼くね✨✨✨✨
足りない。リヤは、わざわざリジットにしたとか、ラリー走り終わるとBピラーが膨らんでたとか。
オーバーフェンダーの裏は板金切りっぱなしだったとか。
語る事はたくさんあるでしょ。
続いて300SXで、汚名返上してください。
240RSは無理!と感じて車体も中身もそれなりに似てる(失礼)FJ20を積んだシルビアRSを一時期探してたな。
後から知ったけどガゼールにも設定あったのね。そっちの方が240RSよりレアなのかも(笑)
マジで知らなかった・・・・年代的にバイクにはまってクルマから離れてた頃
昭和53年規制でキバを抜かれたはずなのに、各社がんばってたんですね
一昨年、富士へ向かう途中の道の駅で休んでいる時に240RSがやって来て
「おぉーーっ!!今までドコにおったん?!」
って結構テンション上がりましたね。
まぁ、その時自分が乗ってきたバイク…カワサキのGPZ250Rなんですけどね(ばくおん読めば分かるやつ)
あえて言いたい。
こいつの名は「ガゼーーーール」だ。
240RSはグループB前のグループ5じなかったかな❓
その当時はグループ5とグループBの混走でやかったかな❓
基本的にコンセプトが古いからサファリしか勝負にならない‼️
少ない予算・手弁当をかついで1l弱ターボでシャレード‼️最小ワークスダイハツも素晴らしい‼️
いまのダイハツは全く違う会社に成り下がった
Gr.5ではありません、Gr.Bで間違いありませんよ。更に、ラリーでGr.5は走りません。Gr.5は、サーキットのレース車両ですね。
グループBの前はグループ4ですね。 1982年までが混走時代だったと思います。
1982年にはベースのS110シルビアにLZ20を搭載した車(実質PA10のガワをシルビアに替えた車)でサファリにでてますね。それを見て仰っているのかもしれません。
せっかくの内容なのに、漫画と声を変えるのは残念。
実車はかなりのオーラを放ってます。
実物見た時は、かなり興奮しましたね。
他の方が仰ってますが、エンケイの社長が所有していた240RSを譲ってもらった方と、一時期色々やりとりした事が有ります。
240RS方面では、有名な方みたいですが、未だにお元気にされているのかなぁ?少し前から全然連絡が取れません。
いまの若者さんはFFしかのったことがないはず
中古の「FR」だって有るだろ。🙄
ラリーの日産の末期の頃だね
星野和義がサーキットならラリーは長谷見昌弘、って感じだったかなあ?
それにしてもダッツンのトリコロールカラーがキモだよなあ
長谷見さん、サファリ用のバイオレツトのテストしていた。❓️
「えふあーる」とか「えふえふ」という駆動方式を示す言葉は和製英語。
自分は前輪駆動とか後輪駆動とか総輪駆動とかいうな。
英語の略語では、RWDとかFWDとかAWDとかね。
燃料供給がツインチョークキャブレターというのは、解説されているとおり信頼性重視の設計であるのだけど、
当時ノウハウを得ていたサファリラリーの勝ち方を、時代が急速に加速していたのにそのまま持ってきて「しまった」のが敗因だったのかも。
あの当時の日産ワークスは、サファリなどは追浜オペレーションによるチームだったことも大きい。
逆にプライベーターには人気車種で、各国選手権ではそれなりに活躍していた。
あの当時セリカがやたら速かったのは、チーム自体が完全にヨーロッパのやり方で突き進んで、
当時は黎明期だった電子制御のエンジンとターボチャージャーを見事に使いこなしたのが勝因だと思う。