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きたぐにの走る各地の風景描写がキャプション付きで丁寧に映し出されて魅力的でした♪列車編成や充当車輌の解説も勉強になりました。有難うございました☺️
みかちんさん ありがとうございます。長距離列車ですから、走る景色は刻一刻と変化します。また途中駅で機関車を交換したり、一部車両が切り離されたり連結されたりと、走る場所に応じて車両の組成が変わるのも長距離客車列車の魅力です。
初めてコメントします。私も12系客車のきたぐにを、中3の春休みに乗りました。座席も寝台も一杯で、通路に座って金沢駅迄乗った思い出があります。帰りは米原駅迄旧型客車で、6時間最後尾に座っても編成が長いので貸し切り状態だから今思えばと、デッキは開けたままで、できる列車はないですから、動画を見て懐かしいです。また動画をみたいです。
小学生中学年の頃がまさにこの編成で、山科駅でよく写真を撮ってました。懐かしい!
廻船問屋大黒屋さん関西では数少ないEF58牽引の客車急行列車ということで、多くの方が「きたぐに」にカメラを向けていました。(同時期に見られたEF58牽引のブルトレの方が被写体としてはよかったかもしれませんが…)
寝台急行きたぐに「たまには湖西線走りたい」新快速敦賀行き「わがまま言うたらアカンで😅」
私も12系と合わせてこの製品を購入しました。各車解説があるので、非常に助かります。最近は北陸系の車両の生産発表が多く私個人的に非常に嬉しいです。
hiroyasu tanakaさん最近の列車とは違い、一つの形式で統一されてない編成が昔の客車列車という感じです。それぞれの車両がどういう経緯を辿ってきたのかを紹介しています。今後も北陸系の製品が続々予定されていますね。TOMIXからはIRいしかわとあいの風の521系、スーパー雷鳥、475系北陸色。KATOからは485系200番代とC57が再生産されますね。
もうひとつは521系の増備版も模型化されるゾ☺️681系スノーラビットもな…
でも、KATOとTOMIXから413系と419系は発売されない......
個人的には座席車も10系(グリーン車はスロ62)が良いです。オシ17も連結した最盛期の「完全編成」ですが。専用編成セットが販売される前に集めてしまいました。トワイライトエクスプレスと対比すると何とも言えない印象です。
4:52 これだから客レは沼なのか……(カシオペアとトワイライトを除く)
これこそわたしの思い出のきたぐにです。583系ではなく。夜行客車体質改善の為12系客車となり旧型寝台車やスロ54やスロ62を連結した編成。武生駅は早朝4時でしたが大阪へは朝8時台に着ける便利な急行でした。立山やゆのくにに比べたら遅かったですが。ナイター観戦後夜遅く乗れる便利な急行でした。昭和50年代前半の姿のきたぐにを再現していただきありがとうございました。思い出でとともに良い目の保養となりました。
幹雄野田さん583系の「きたぐに」は分割民営化を2年後に控えた国鉄末期の1985年からなので、往年の鉄道ファンが思い描く「きたぐに」といえばこちらなんですよね。北陸地方を深夜に通過する「きたぐに」ですが、そこは急行ということでこまめに停まっていきますね。意外と使い勝手の良い列車でした。2000年代に入ってからでも「最終のサンダーバードに乗り遅れても金沢へ帰れる」「関空へ朝早く行けるので海外出張に便利」「USJの開園時間よりも早く着けるのでUSJを一日中堪能できる」などの声が聞かれました。
特別2等車というのは、リクライニングシートのある2等車のことです。
わざわざ「きたぐに」と特定せずに、、普通に単品で揃えられませんか?katoさん!普通に単品販売を望みたいですね!
Blue Waterさんこのセットには新規製作の車両が入ってないので、目新しさがないと批判の声もありました。しかし「きたぐに」セットと銘打つことで車番違いやサボ•表記類印刷済みとなっているところに価値観を見出だしているユーザーもいらっしゃいます。またKATOの担当者曰く 「単品ばかりだとどういうふうに編成を組んでいいかわからず、私どもや小売店に相談の電話が相次いでいた。485系リニューアル品の発売の際は編成例をHPに載せたり小売店に配りました。」とのことで、やはりネームド製品の方が余計な手間を減らせるようです。
北陸トンネル火災事故がきっかけで、24系客車が製造されましたね。
サンダーバード「ギャー😱出たー😱」しらさぎ「ギャー😱」寝台急行きたぐに「イヒヒ👻」
スロが好きでたまりません。
ち さん等級帯が入った車両はどことなく高級感がありますね。1950年代に特別二等車として製造され特急・急行で活躍していた車両が、1970年代の客車急行に使われていました。同時期に製造された車両が1960年代に荷物車へ改造されていく中、冷房化改造を受けたスロ54・スロ62・オロ11の3形式が主に使われていました。
やはり、紀勢線で見ることができたスロ62に思い入れがあります😁
昭和30年代、40年代初頭は上京する地方の知事、国会議員、市長や都市の有力者などがスロ、特別二等車の乗客でしたね。当時のアッパーミドルの車輌でした。
JR西日本の電車とコラボ
津軽などこの12系座席車プラス旧型客車ってのは好きです。
TYDEEN TETUOTAさん定期の客車急行で10系以前の旧型客車と12系の組み合わせが見られたのは「きたぐに」「音戸2・1号」「津軽」の3つですね。いずれも座席車の両数が12系の1単位である6両だったことから導入がすぐ進みました。変わったところでは12系にスニ41を連結した「八甲田」や、14系座席車にマニ37を連結した「雲仙・西海」「阿蘇・くにさき」もありました。ただこういう旧型客車と新系列客車の組み合わせで一番なのは、やはり「瀬戸1・2号」でしょう。1971年10月から1972年3月の半年間、編成内に4両組み込まれていたB寝台車を製造されたばかりの14系寝台車にして先行使用していました。
おおっ!オサレチ(大阪車掌区)泣かせの急行きたぐに! 12系座席は冷暖房自動調整で手間いらず・グリーンと寝台(寝台幅52cm!)の冷暖房は1両ずつ配電盤の強弱切り替えせなならんクッソ面倒くさい車両やった 暖房入ってイチャモン無くなった思たら「オイ車掌 背中熱うて寝られへんやんけ ワシャタイヤキちゃうでぇ」と中段寝台客からまたイチャモンと何でもかんでもイチャモンつく(車掌視点で)迷惑列車やったしかも田村の交直切替時はパンタシューが架線に焼き付くいうんで機関車交換中冷暖房切られる・極寒の北陸路走ってきた上りきたぐにはEF58に代わってからもガチガチ凍結の蒸気管に蒸気通らんよって車内はまさに冷蔵庫 大阪到着数分前から車掌は七つ道具持って用意→到着後「ソレッ」と車掌区目指して一目散(以上元国鉄車掌・坂本衛氏著作より)いう「早よ車両変われ~!」な列車でもあったんや 交直対応で冷暖房全自動かつ駿足の583系なったんは遅きに失した感あったナ
Kitamura5さん各車の空調管理も車掌(列車長)の大事な仕事でしたね。昔の車両だと各車の配電盤を操作しにいきますから大変な作業だったと思います。12系客車では空調装置の一括制御が可能になり、その後に登場した485系や14系・24系寝台客車にもその機能が引き継がれたことで車掌の負担は軽減されました。「きたぐに」の車両置き換えが12系投入後からなかなか進まなかったのは、座席車と寝台車の混結がそのままではできなかったからですね。14系や24系は特急型客車ということで急行に使うのは国鉄内で抵抗があった上、型落ちの20系客車は12系客車とブレーキシステムが異なっていて混結ができなかったんです。(後に20系側に改造を施すことで混結が可能になりましたが)1982年11月からは14系座席車と寝台車の混結になりましたが、国鉄内のしがらみがなかったらもう少し早く14系化していたかもしれないですね。
毎日毎日ぼくらは鉄板の🎵歌ってやる🎤😁
ちょっと時代は違いますが、米原田村間の非電化区間の牽引機をE10形やDD50形にしてみるのも面白いかと思いましたきたぐにのセットはちょっと心が動くところもありましたし
新快速長浜行き「幽霊列車😱」521系「新快速長浜行き、気絶しとる場合やないやろ💦」
やはりup主さんも北陸トンネル火災事故当時の編成を組まれていたんですね。私も単品·能登·つるぎ·みちのく·津軽などの車両で編成を組みました。話は変わりますが、今回のきたぐにのセットのオユ102051は調べた所によるとどうもあの北陸トンネル火災事故の際きたぐにに連結されていたらしいのでオシ172018同様katoはこれを知った上でこの車番を選んだのでしょうか?
特急あさまさん1972年11月5日大阪出発の501レを再現するにあたって、難関だったのが後部2両の郵便車と荷物車なんですよね。オユ10は「ニセコ」セットの発売で非冷房の完成品が出ましたが、未だにマニ37はそのものズバリがないんですよ。オユ10 2051は宮原区のオユ10の中でも冷房化改造がかなり遅く、1978年まで非冷房だったんですよ。このセットと組み合わせる座席車が12系でも旧型客車でも問題がないようにこの番号を選んだと思われます。
@@JNRkazu 返信ありがとうございます。確かに去年までは非冷房のオユ10を入手するとなるとニセコか荷物列車(東北)しかありませんでしたからね。マニ372013に関しては恐らく単品の金型を使い回せるという理由で選ばれたのだと思いますが、火災事故当日に連結されていたマニ372151は種車がスハ32なので再現するなら自己責任での改造しか無さそうです。
特急あさまさん4月に発売された旧型客車セット(ブルー)に非冷房のオユ10が入ったことで、かなり入手がしやすくなりましたね。(私はすでに非冷房のオユ10が3両もいるのでお腹いっぱいです…)宮原に在籍していた11両のマニ37の内、5両いて一番多数派だったのがスロ60からの改造車なので、今までの金型を使いまわせると踏んで2013を選んだのでしょう。(残り6両はスロフ53からの改造車が1両と、スハ32からの改造車が5両です。)マニ37 2151を作るには、KATOやTOMIXから発売されているスハ32改造のマニ36を青色に塗ればそれらしいものが出来上がります。
@@JNRkazu きたぐにセットの肝と動画内で仰っていたオシ17ですが2018以外にも2019~2021の3両が宮原所属なので、これ等の車両もきたぐにの運用に就いていた可能性が有るので車番を変更すれば再生産の可能性も有ると思います。(他にはオシ171·2も宮原所属ですが電気暖房改造された記録が無いのできたぐにの運用には就いていないと思われます。)
特急あさまさん最近発売された「安芸」や「かもめ」等でオシ17が入っているので、オシ17自体がタブーとなっているわけではないでしょう。(ただこれらのオシ17は喫煙室の非常口がある前期型なので、きたぐにに使うにはちょっと合わない)「きたぐに」とオシ17の組み合わせがタブー視されているので、もし今後客車急行シリーズでオシ17が入るとしたら「十和田」か「雲仙3号」でしょうか。「雲仙3号」ならスハフ43が入るので目玉にもなりそうです。
てことは、北陸トンネル火災事故の前を再現したいときは、旧型客車にすればいいのか。
横須賀総武の電子レンジさん1972年以前の編成にするには、座席車の部分に旧型客車を連結してください。この動画に編成例を紹介していますので参考にしてください。
新快速敦賀行き「幽霊列車😱」
@@JNRkazu ありがとうございます
12系の場合、両端の緩急車はやまぐち号みたく両方スハフ12でも片方スハフ12でもう片方オハフ13どちらかあったのでしょうか?。同じ旧客寝台車に12系の急行津軽とかは両方スハフ12みたいですが。
fukushima katumiさん客車はその日によって編成が変わるので、両端スハフの場合もスハフ+オハフの場合も両方ありました。12系の後期型である100番代が製造された1978年以降は発電エンジンのトラブルに備えて両端スハフとなる場合が多かったですね。
ひぃ~😱出たー😱
自分もオユ10の件については疑問を感じていたのですが…12系化直後であれば非冷房でも問題無さそうですかね?
Na 2 L3505さんこのセットに入るオユ10 2051は冷房化改造をされたのがかなり遅く、1979年に冷房化改造と極寒地対策をされて2582へ改番されます。したがって1978年までという設定ならこのままでもOKです。KATOは座席車が旧客時代でも12系時代でも問題がないようにこの番号を選んできたのでしょう。もし冷房車がいいのであれば単品のオユ10を用意してください。
@@JNRkazu様なるほど… 了解しました。情報感謝します。
冷房車は青函連絡船乗れたのでしょうか。
冷房付きの郵便車は発電エンジンをつけているので青函連絡船には乗せられないと聞いたことがあるけどな?
TYDEEN TETUOTAさん 幹雄野田さん青函連絡船へ載せる際には発電エンジンを切るので問題はありません。上野からの急行「八甲田」から継走されてきた郵便車を連結する急行「ニセコ」を写した写真には、冷房改造をされたオユ10を連結しているものがありますよ。
81は敦賀2区・富山2区・東新潟区かな?酒田と長岡は無いだろうと思うが…
mkrsknkarkwさん当時の「きたぐに」を牽引していたのは富山二区(富山~新潟)と酒田区(新潟~秋田)のEF81ですね。東新潟区にEF81がやってくるのはもう少し後の1978年です。当初から前面窓上にひさしを設けた137号機~152号機が配属され、新潟県内の直流区間で活躍していたEF15を置き換えました。
新快速敦賀行き「日本海もトワイライトエクスプレスも懐かしいな😄ふわぁ💤」
サムネを見ましたが、RM MODELを購読しているのでしょうか?
【公式】JIMMY クリエイティブチャンネル さん定期購読はしていませんが、この付録がついてきた号は買いました。使い勝手はいいんですが、私のレイアウトは壁にくっついている箇所がないので、これを設置するためにわざわざストラクチャーをどけて背景を設置して、ってのが少し面倒でした。
オロネの隣のオハネフ12は、スハネ16が良かったと思う!
パフパフ大佐さん1975年まではスハネ16の割合が高かったですが、76年以降はオハネフ12の割合が高くなっていきました。理由は軽量客車ゆえの老朽化の早さもありますが、スハネ16は自重が重くて機関車の性能を圧迫していたのと、編成中間にしか入れない融通の利かなさから、1976年の「銀河」20系化をきっかけに一気に淘汰が進みました。座席車が旧型客車の時代ならスハネ16が多数入るのが自然ですが、KATOが今回すすめているのは座席車が12系になった後なのでオハネフ12が多数入るのが自然です。
@@JNRkazu さんへ 自分、新潟駅で、寝台の増結、解放を実際に見た時に、スハネ16が入っていたので12が4両より16も入っていた方が良いなぁと思いまして!!
その点旧客時代の銀河の寝台車は、スハネ16比率が高く、オハネ12やオハネフ12は少数派。さらに指定席座席車がスハ44とスハフ43の超重量級編成をEF58が東海道線を引っ張っていた。しかもスハ44系には電気暖房はなく、冬季はEF58にある蒸気暖房装置が必須だった。仮に旧客時代のきたぐにの座席車にスハ44系だったらこんな重量級では済まなかったかも。
@@JNRkazu オレも重さが嫌われたって思ってけど対策が進んでた難燃化に旧客改造のスハネ16は床が木やから良くなかったらしいおが、鳥海、きそにスハネ16が残ったから矛盾する気もするけど
Masaru Kawabataさんオハネ12には電気暖房を搭載できなかった(電暖化するとオ級からス級へ形式が変わる)ので、東北・北陸方面へ向かう夜行急行には電気暖房を搭載したスハネ16が長らく使われていました。かといって安全上の理由で全部オハネフ12やオハネフ13にするのは車両数の関係上難しいです…
きたぐにの走る各地の風景描写がキャプション付きで丁寧に映し出されて魅力的でした♪
列車編成や充当車輌の解説も勉強になりました。有難うございました☺️
みかちんさん ありがとうございます。
長距離列車ですから、走る景色は刻一刻と変化します。また途中駅で機関車を交換したり、一部車両が切り離されたり連結されたりと、走る場所に応じて車両の組成が変わるのも長距離客車列車の魅力です。
初めてコメントします。
私も12系客車のきたぐにを、中3の春休みに乗りました。座席も寝台も一杯で、通路に座って金沢駅迄乗った思い出があります。
帰りは米原駅迄旧型客車で、6時間最後尾に座っても編成が長いので貸し切り状態だから今思えばと、デッキは開けたままで、できる列車はないですから、動画を見て懐かしいです。
また動画をみたいです。
小学生中学年の頃がまさにこの編成で、山科駅でよく写真を撮ってました。懐かしい!
廻船問屋大黒屋さん
関西では数少ないEF58牽引の客車急行列車ということで、多くの方が「きたぐに」にカメラを向けていました。(同時期に見られたEF58牽引のブルトレの方が被写体としてはよかったかもしれませんが…)
寝台急行きたぐに「たまには湖西線走りたい」
新快速敦賀行き「わがまま言うたらアカンで😅」
私も12系と合わせてこの製品を購入しました。各車解説があるので、非常に助かります。
最近は北陸系の車両の生産発表が多く私個人的に非常に嬉しいです。
hiroyasu tanakaさん
最近の列車とは違い、一つの形式で統一されてない編成が昔の客車列車という感じです。それぞれの車両がどういう経緯を辿ってきたのかを紹介しています。
今後も北陸系の製品が続々予定されていますね。TOMIXからはIRいしかわとあいの風の521系、スーパー雷鳥、475系北陸色。KATOからは485系200番代とC57が再生産されますね。
もうひとつは521系の増備版も模型化されるゾ☺️
681系スノーラビットもな…
でも、KATOとTOMIXから413系と419系は発売されない......
個人的には座席車も10系(グリーン車はスロ62)が良いです。オシ17も連結した最盛期の「完全編成」ですが。専用編成セットが販売される前に集めてしまいました。トワイライトエクスプレスと対比すると何とも言えない印象です。
4:52 これだから客レは沼なのか……(カシオペアとトワイライトを除く)
これこそわたしの思い出のきたぐにです。
583系ではなく。夜行客車体質改善の為12系客車となり旧型寝台車やスロ54やスロ62を連結した編成。
武生駅は早朝4時でしたが大阪へは朝8時台に着ける便利な急行でした。立山やゆのくにに比べたら遅かったですが。
ナイター観戦後夜遅く乗れる便利な急行でした。
昭和50年代前半の姿のきたぐにを再現していただきありがとうございました。
思い出でとともに良い目の保養となりました。
幹雄野田さん
583系の「きたぐに」は分割民営化を2年後に控えた国鉄末期の1985年からなので、往年の鉄道ファンが思い描く「きたぐに」といえばこちらなんですよね。
北陸地方を深夜に通過する「きたぐに」ですが、そこは急行ということでこまめに停まっていきますね。意外と使い勝手の良い列車でした。2000年代に入ってからでも「最終のサンダーバードに乗り遅れても金沢へ帰れる」「関空へ朝早く行けるので海外出張に便利」「USJの開園時間よりも早く着けるのでUSJを一日中堪能できる」などの声が聞かれました。
特別2等車というのは、リクライニングシートのある2等車のことです。
わざわざ「きたぐに」と特定せずに、、普通に単品で揃えられませんか?katoさん!
普通に単品販売を望みたいですね!
Blue Waterさん
このセットには新規製作の車両が入ってないので、目新しさがないと批判の声もありました。
しかし「きたぐに」セットと銘打つことで車番違いやサボ•表記類印刷済みとなっているところに価値観を見出だしているユーザーもいらっしゃいます。
またKATOの担当者曰く 「単品ばかりだとどういうふうに編成を組んでいいかわからず、私どもや小売店に相談の電話が相次いでいた。485系リニューアル品の発売の際は編成例をHPに載せたり小売店に配りました。」とのことで、やはりネームド製品の方が余計な手間を減らせるようです。
北陸トンネル火災事故がきっかけで、24系客車が製造されましたね。
サンダーバード「ギャー😱出たー😱」
しらさぎ「ギャー😱」
寝台急行きたぐに「イヒヒ👻」
スロが好きでたまりません。
ち さん
等級帯が入った車両はどことなく高級感がありますね。
1950年代に特別二等車として製造され特急・急行で活躍していた車両が、1970年代の客車急行に使われていました。同時期に製造された車両が1960年代に荷物車へ改造されていく中、冷房化改造を受けたスロ54・スロ62・オロ11の3形式が主に使われていました。
やはり、紀勢線で見ることができたスロ62に思い入れがあります😁
昭和30年代、40年代初頭は上京する地方の知事、国会議員、市長や都市の有力者などがスロ、特別二等車の乗客でしたね。
当時のアッパーミドルの車輌でした。
JR西日本の電車とコラボ
津軽などこの12系座席車プラス旧型客車ってのは好きです。
TYDEEN TETUOTAさん
定期の客車急行で10系以前の旧型客車と12系の組み合わせが見られたのは「きたぐに」「音戸2・1号」「津軽」の3つですね。いずれも座席車の両数が12系の1単位である6両だったことから導入がすぐ進みました。
変わったところでは12系にスニ41を連結した「八甲田」や、14系座席車にマニ37を連結した「雲仙・西海」「阿蘇・くにさき」もありました。
ただこういう旧型客車と新系列客車の組み合わせで一番なのは、やはり「瀬戸1・2号」でしょう。1971年10月から1972年3月の半年間、編成内に4両組み込まれていたB寝台車を製造されたばかりの14系寝台車にして先行使用していました。
おおっ!オサレチ(大阪車掌区)泣かせの急行きたぐに! 12系座席は冷暖房自動調整で手間いらず・グリーンと寝台(寝台幅52cm!)の冷暖房は1両ずつ配電盤の強弱切り替えせなならんクッソ面倒くさい車両やった 暖房入ってイチャモン無くなった思たら「オイ車掌 背中熱うて寝られへんやんけ ワシャタイヤキちゃうでぇ」と中段寝台客からまたイチャモンと何でもかんでもイチャモンつく(車掌視点で)迷惑列車やった
しかも田村の交直切替時はパンタシューが架線に焼き付くいうんで機関車交換中冷暖房切られる・極寒の北陸路走ってきた上りきたぐにはEF58に代わってからもガチガチ凍結の蒸気管に蒸気通らんよって車内はまさに冷蔵庫 大阪到着数分前から車掌は七つ道具持って用意→到着後「ソレッ」と車掌区目指して一目散(以上元国鉄車掌・坂本衛氏著作より)いう「早よ車両変われ~!」な列車でもあったんや 交直対応で冷暖房全自動かつ駿足の583系なったんは遅きに失した感あったナ
Kitamura5さん
各車の空調管理も車掌(列車長)の大事な仕事でしたね。昔の車両だと各車の配電盤を操作しにいきますから大変な作業だったと思います。
12系客車では空調装置の一括制御が可能になり、その後に登場した485系や14系・24系寝台客車にもその機能が引き継がれたことで車掌の負担は軽減されました。
「きたぐに」の車両置き換えが12系投入後からなかなか進まなかったのは、座席車と寝台車の混結がそのままではできなかったからですね。14系や24系は特急型客車ということで急行に使うのは国鉄内で抵抗があった上、型落ちの20系客車は12系客車とブレーキシステムが異なっていて混結ができなかったんです。(後に20系側に改造を施すことで混結が可能になりましたが)
1982年11月からは14系座席車と寝台車の混結になりましたが、国鉄内のしがらみがなかったらもう少し早く14系化していたかもしれないですね。
毎日毎日ぼくらは鉄板の🎵歌ってやる🎤😁
ちょっと時代は違いますが、米原田村間の非電化区間の牽引機をE10形やDD50形にしてみるのも面白いかと思いました
きたぐにのセットはちょっと心が動くところもありましたし
新快速長浜行き「幽霊列車😱」
521系「新快速長浜行き、気絶しとる場合やないやろ💦」
やはりup主さんも北陸トンネル火災事故当時の編成を組まれていたんですね。私も単品·能登·つるぎ·みちのく·津軽などの車両で編成を組みました。
話は変わりますが、今回のきたぐにのセットのオユ102051は調べた所によるとどうもあの北陸トンネル火災事故の際きたぐにに連結されていたらしいのでオシ172018同様katoはこれを知った上でこの車番を選んだのでしょうか?
特急あさまさん
1972年11月5日大阪出発の501レを再現するにあたって、難関だったのが後部2両の郵便車と荷物車なんですよね。オユ10は「ニセコ」セットの発売で非冷房の完成品が出ましたが、未だにマニ37はそのものズバリがないんですよ。
オユ10 2051は宮原区のオユ10の中でも冷房化改造がかなり遅く、1978年まで非冷房だったんですよ。このセットと組み合わせる座席車が12系でも旧型客車でも問題がないようにこの番号を選んだと思われます。
@@JNRkazu 返信ありがとうございます。確かに去年までは非冷房のオユ10を入手するとなるとニセコか荷物列車(東北)しかありませんでしたからね。マニ372013に関しては恐らく単品の金型を使い回せるという理由で選ばれたのだと思いますが、火災事故当日に連結されていたマニ372151は種車がスハ32なので再現するなら自己責任での改造しか無さそうです。
特急あさまさん
4月に発売された旧型客車セット(ブルー)に非冷房のオユ10が入ったことで、かなり入手がしやすくなりましたね。(私はすでに非冷房のオユ10が3両もいるのでお腹いっぱいです…)
宮原に在籍していた11両のマニ37の内、5両いて一番多数派だったのがスロ60からの改造車なので、今までの金型を使いまわせると踏んで2013を選んだのでしょう。(残り6両はスロフ53からの改造車が1両と、スハ32からの改造車が5両です。)
マニ37 2151を作るには、KATOやTOMIXから発売されているスハ32改造のマニ36を青色に塗ればそれらしいものが出来上がります。
@@JNRkazu きたぐにセットの肝と動画内で仰っていたオシ17ですが2018以外にも2019~2021の3両が宮原所属なので、これ等の車両もきたぐにの運用に就いていた可能性が有るので車番を変更すれば再生産の可能性も有ると思います。
(他にはオシ171·2も宮原所属ですが電気暖房改造された記録が無いのできたぐにの運用には就いていないと思われます。)
特急あさまさん
最近発売された「安芸」や「かもめ」等でオシ17が入っているので、オシ17自体がタブーとなっているわけではないでしょう。(ただこれらのオシ17は喫煙室の非常口がある前期型なので、きたぐにに使うにはちょっと合わない)
「きたぐに」とオシ17の組み合わせがタブー視されているので、もし今後客車急行シリーズでオシ17が入るとしたら「十和田」か「雲仙3号」でしょうか。「雲仙3号」ならスハフ43が入るので目玉にもなりそうです。
てことは、北陸トンネル火災事故の前を再現したいときは、旧型客車にすればいいのか。
横須賀総武の電子レンジさん
1972年以前の編成にするには、座席車の部分に旧型客車を連結してください。この動画に編成例を紹介していますので参考にしてください。
新快速敦賀行き「幽霊列車😱」
@@JNRkazu
ありがとうございます
12系の場合、両端の緩急車はやまぐち号みたく両方スハフ12でも片方スハフ12でもう片方オハフ13どちらかあったのでしょうか?。同じ旧客寝台車に12系の急行津軽とかは両方スハフ12みたいですが。
fukushima katumiさん
客車はその日によって編成が変わるので、両端スハフの場合もスハフ+オハフの場合も両方ありました。
12系の後期型である100番代が製造された1978年以降は発電エンジンのトラブルに備えて両端スハフとなる場合が多かったですね。
ひぃ~😱出たー😱
自分もオユ10の件については疑問を感じていたのですが…
12系化直後であれば非冷房でも問題無さそうですかね?
Na 2 L3505さん
このセットに入るオユ10 2051は冷房化改造をされたのがかなり遅く、1979年に冷房化改造と極寒地対策をされて2582へ改番されます。したがって1978年までという設定ならこのままでもOKです。KATOは座席車が旧客時代でも12系時代でも問題がないようにこの番号を選んできたのでしょう。
もし冷房車がいいのであれば単品のオユ10を用意してください。
@@JNRkazu様
なるほど… 了解しました。情報感謝します。
冷房車は青函連絡船乗れたのでしょうか。
冷房付きの郵便車は発電エンジンをつけているので青函連絡船には乗せられないと聞いたことがあるけどな?
TYDEEN TETUOTAさん 幹雄野田さん
青函連絡船へ載せる際には発電エンジンを切るので問題はありません。
上野からの急行「八甲田」から継走されてきた郵便車を連結する急行「ニセコ」を写した写真には、冷房改造をされたオユ10を連結しているものがありますよ。
81は敦賀2区・富山2区・東新潟区かな?
酒田と長岡は無いだろうと思うが…
mkrsknkarkwさん
当時の「きたぐに」を牽引していたのは富山二区(富山~新潟)と酒田区(新潟~秋田)のEF81ですね。
東新潟区にEF81がやってくるのはもう少し後の1978年です。当初から前面窓上にひさしを設けた137号機~152号機が配属され、新潟県内の直流区間で活躍していたEF15を置き換えました。
新快速敦賀行き「日本海もトワイライトエクスプレスも懐かしいな😄ふわぁ💤」
サムネを見ましたが、RM MODELを購読しているのでしょうか?
【公式】JIMMY クリエイティブチャンネル さん
定期購読はしていませんが、この付録がついてきた号は買いました。
使い勝手はいいんですが、私のレイアウトは壁にくっついている箇所がないので、これを設置するためにわざわざストラクチャーをどけて背景を設置して、ってのが少し面倒でした。
オロネの隣のオハネフ12は、スハネ16が良かったと思う!
パフパフ大佐さん
1975年まではスハネ16の割合が高かったですが、76年以降はオハネフ12の割合が高くなっていきました。理由は軽量客車ゆえの老朽化の早さもありますが、スハネ16は自重が重くて機関車の性能を圧迫していたのと、編成中間にしか入れない融通の利かなさから、1976年の「銀河」20系化をきっかけに一気に淘汰が進みました。
座席車が旧型客車の時代ならスハネ16が多数入るのが自然ですが、KATOが今回すすめているのは座席車が12系になった後なのでオハネフ12が多数入るのが自然です。
@@JNRkazu さんへ
自分、新潟駅で、寝台の増結、解放を実際に見た時に、スハネ16が入っていたので12が4両より16も入っていた方が良いなぁと思いまして!!
その点旧客時代の銀河の寝台車は、スハネ16比率が高く、オハネ12やオハネフ12は少数派。さらに指定席座席車がスハ44とスハフ43の超重量級編成をEF58が東海道線を引っ張っていた。しかもスハ44系には電気暖房はなく、冬季はEF58にある蒸気暖房装置が必須だった。仮に旧客時代のきたぐにの座席車にスハ44系だったらこんな重量級では済まなかったかも。
@@JNRkazu オレも重さが嫌われたって思ってけど
対策が進んでた難燃化に旧客改造のスハネ16は床が木やから良くなかったらしい
おが、鳥海、きそにスハネ16が残ったから矛盾する気もするけど
Masaru Kawabataさん
オハネ12には電気暖房を搭載できなかった(電暖化するとオ級からス級へ形式が変わる)ので、東北・北陸方面へ向かう夜行急行には電気暖房を搭載したスハネ16が長らく使われていました。
かといって安全上の理由で全部オハネフ12やオハネフ13にするのは車両数の関係上難しいです…