ジョン・デンバーの「カントリーロード」は私が高校生のころの曲ですが、「耳をすませば」を見る人達はずーっとお若い方たちなので日本の「カントリーロード」になって曲だけ使用させていただいた。ということでしょう。我々の年代はジョン・デンバーの歌の歌詞で理解しています。アメリカの「北国の春」というところかな。
大変面白かったです。
アナ雪もレリゴーは日本語訳は「自分らしく生きよう」という感じだったけど、本当は「あたい闇落ちして引きこもるからほっといてよね」という感じの意味だったよね。
田舎の故郷の無い東京近郊に生まれ育った主人公の歌ですからね。帰るべきカントリーロードは最初っから無いのです。
違う。「生まれ育った故郷は近い。いつでも帰れる。然しやるべき事を見つけ、その為に都心に来た。それを成し遂げる迄は帰らぬ』という事ですわ。それは原曲の『やるべき事があって都会に来たが、いつしか道び迷って意に背く事をやってしまった。その時にふと故郷を思い出し、それも今や交通網の発展でいつでも帰る事が出来る。ならば一旦帰ろうでは無いか! 我が愛する故郷に!我が誇り高い故郷に!そして今一度我が人生を見直そうでは無いか!』という非常に前向きなものと根本的には同じなんですな。何方も「いずれにか故郷に帰る」という歌であると考えます。しかしながら世間一般にはそれとは真逆の事として受け止められてしまったという事を指摘されているのでしょうね。東京都心に生まれ育った人にとっての田舎・故郷は生まれ育った都心部なのですよね。帰るべき里は東京都心部のそれなんです。それ故のカントリーロードですよ。
現在叔父さんの家にある祖母の家があった為に、立川駅北口にある国営病院で出生した。ふるさと立川市。叔父さんち行く事が無い。そう云うことですね。
@@MisterShu
なるほどなー!このコメントこそスレッドの中のコメントのひとつではなく思い切り表に表示されて欲しい内容に思えるほど感銘を受けました。
この話って当時もありましたね。面白ければ良いんじゃないが大勢だった気がします。ジブリ作品は一作目からリアルタイムで見てましたが、ナウシカ、ラピュタ、魔女宅、紅の豚位まで子供時代の名作で夏になるとDVDで流し続けます😄
耳をすませばのEDは、作中で雫たちが取り組んでいたカントリー・ロードの訳詞、それに雫の3年間と天沢聖司くんとの思い出を込めて書いた(ほぼ)オリジナルの完成版。その証拠に、ED歌うのは雫役の本名陽子さん。
いいじゃないですか、中学生らしく青臭くて背伸びしたような歌詞。
実際考えたのが宮崎駿と鈴木敏夫の娘ってリアルを考えるのアレですけど笑
ジョン・デンバーのカントリー・ロードは、ラスト・トレインホームのように郷愁に胸を締め付けられる名曲だけど
耳をすませばのカントリー・ロードは未来に向かう中学生が考える歌詞なんだから、あれでなきゃいけないんだよね。
そうそう、確か劇中のセリフかパンフレットこ解説か何かにも原曲の歌詞との齟齬というかわざと違う歌詞にしてある旨は言ってたと思うんですよね。
都会の新興住宅地で生まれ育った自分達にとっての「カントリーロード」とはなんなんだろう?みたいな事を言ってたような
作中で原曲がある事はそれを知らない人に向けてもはっきり明言されているし、原曲の英語も中学生レベルで簡単に分かるのに誤解しているのは流石に調べる気がないんだろうと
確かに。
天沢聖司君はもちろん、イタリアでヴァイオリン職人の修行をするって決めたわけで、
簡単に挫けて帰国なんてしないぞって覚悟があるはずですしね。
雫も彼女なりに、小説を書いてみよう、挑戦してみようって話ですから、「やっぱやーめた」なんて簡単に諦めない、諦められない、なわけですもんね。
ジブリ版は、描いた中学生の想いというより経済発展で日本が思いきり変わってしまった宮崎らのおじさん世代の想い
もう帰れないとうたうジブリ版の方が切ないと思う。エンディングに流すことで、しずくに感情移入してた大人を現実に送り返す機能がある
近所のじい様が言っていた「軍隊の生活というのは嫌だったと思ってたけど今から思うと青春だった」というのが
何故かわかったような気がしたような感じがした・言葉が足りなくてごめんなさい・
物語中でも雫は最初翻訳しようとしてたけど苦戦する描写があって、最終的には「自分の気持ちを素直に書いた」みたいなセリフを言ってた気がするから、耳をすませばのカントリーロードは翻訳っていうより作詞なのでは。
確か柊あおいさんが、自分が翻訳したので「間違っていたらごめんなさい、大目に見てください」みたいな感じのコメントを単行本に載せていた記憶があります。
自分で訳したのすごいって、当時思っていました。
作品はそれぞれ話もテイストも主人公も違うけど、色んな意味で繋がってるんだなーと感じました。カントリーロードだけで紐解けるのがすごいです!!
耳をすませばver.の歌詞は個人的に童謡「故郷」の『志を果たしていつの日にか帰らん』という詩を彷彿とさせるなと感じていました。
『挫けそう』なのも、『帰りたい、帰れない』のも、「まだ志を果たしていないから」という解釈で、故郷に対する想いとして、とても日本人らしい歌詞だな、と感じていました。
いやあ~凄く良い話が聞けて、で出くる言葉を聴き入りました。楽しくて夢がある、アニメ大好きです。ありがとうございました。
原曲で(John Denver )しか聴いてなかったので「どうしてこうなった⁉️」ってずっと訝しく思ってました😩
ジョンデンバーのカントリーロード小さい頃から好きで今でも聴いてます。
還暦過ぎの爺にとってリアルに聴いていました。当時邦題はそのまま「故郷へ帰りたい」ですよね。
カントリーロードの歌詞だけでこれだけ解説できるのがもう凄すぎる
この歌は、岡田さんにとって思春期のリアルタイムで聞いていたはずなのに、その時代感がまったく伝わってこない。
すこしズレた解説に感じた。他の音楽の解説でも同様に感じたのだが、洋楽はあまり得意でないのかな?
あれって訳ってか替え歌だと思ってたわ
童謡のグリーングリーンとか見たいな全く別物としてそれはそれとして認識してた
ジブリはただ作品を作っているんじゃなくて
「アニメ」のあり方をスタジオ内で作品を武器に
観客を巻き込んで戦争しているという京アニもビックリな高度な論争が隠れているから面白い
映画の公開直後、監督でもない宮崎駿は幾つものインタビューで、「ジョン・デンヴァーの曲と歌詞に惚れ込み、作中で『カントリーロード』を使わせて貰いました!」とドヤ顔で語っていましたが、ヒロインたちが歌っていた日本語の歌詞は、原典の英語の歌詞とは似ても似つかない全くの別ものだったので、かなり驚きました。「ウェストヴァージニアは何処へ消えた? シェナンドーリヴァーは何処へ消えた?」本当に驚愕でした。
この動画で長年の謎が解けました。ぶっちゃけた言い方をするなら、鈴木敏夫が娘可愛さに映画を私物化し、それに何故だか宮崎駿は逆らえなかったのですね。
日本語で、馴染みのない土地の地名や文化の違う情景を並べられても何も感情移入できないし、だったら英語バージョンで歌う/聴くでいいじゃないってなる。
現実の裏事情は別として、まだ親元を離れたことのない中学生が、故郷を振り返って何を思うんだろうと想像したとき、という設定なら、故郷を飛び出してすでに十数年経っている大人とは逆の感性であるというのもリアリティがあって良かった。
John Denver版は、最後のフレーズのコーラスの間で、「Now」 ではなく、「Down」 と歌っていると思いますが。
聞き取ってきました。100%間違いなくdownです。変な話ですかアメリカでも都会から田舎に向かう時にdown と言います。downtown も値段の高い丘の上か下に行くというイメージがあります。
このDownは “down the road” (道の先に)とか、”two doors down”(この先、二つ目のドア)のような言い回しで言うdownです。英語話者には「今いる地点から進んでいく様子」と「そこへ道がつながっているニュアンス」が感じられます。go straight down this way. この道をまっすぐ行ってね。
私もネットが普及して原曲を聞いてこりゃオカシイと思った口です。私は、もういい年したおっさんなので、ジブリ版の歌詞はまぶしすぎて、干上がってしまいますw
しょっぱくて、ろくな思い出もないのにでてくる望郷の念が染み出るジョンデンバー版が一番好きです。
@@wai-hasegawa
失礼。
ちなみに、北海道民(しかも道東)の出身の自分にとっての「母なる山」は、やはり、雄&雌阿寒岳なのです。阿寒富士という山も有りますが、ソレは雌阿寒岳のカルデラの中にあって実家からは見えないのです。
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検索したところ、岩手山は「南部片富士」と呼ばれ、県のシンボルとされているそうなので、岩手県民の母なる山と言えそうですね。
岩手県の人に聞かないと分かりませんが。
オリビア・ニュートンジョンに追悼します。
カントリーロードの歌は映画が公開される以前に、高校の英語の授業で習っていて歌詞も訳も原曲の方(ジョン・デンバー)で知っていました。
耳をすませばバージョンもいいのですが、原曲の方が好みです。
宮崎バージョン、なんかふと見つけた長い道に、別れた故郷を思い出したみたいな感じ
明日は〜帰れない…挫けそうになるけど、まだ胸を張って帰れない・やるべきことが残っているから、帰りたい気持ちをぐっと堪えて(今はさよならと心の中で呟き)むしゃらにでも進んでいく様子を浮かべていました。後に雫と聖司の関係にこの歌詞がかぶってくるのがぐっときます。
全く意味合いが違うかと言われたらそうじゃない、故郷を温かいところだと思う気持ちは同じ。再スタートを切るため故郷を思う原曲と、道半ばの若者の気持ちを歌う耳をすませば版、どちらもいいと思います。
一瞬だけ故郷に帰りたい気がした〜明日になったらそんなことはないという印象をもつこともあるんですね…
自分にとってはオリビア版が一番のカントリーロードでした。聖蹟桜ヶ丘の夜にかぶさって、京王線(劇場版では京玉線😀)が見えて来るオープニングが地元としてはとても嬉しい。
ただ、昼間の描写はジブリが描くと多摩の田舎も南フランスの様になってしまいました。
故郷へ帰るカントリーロードは疲れた大人の曲だから、希望に燃える若者が帰らないバージョンに改変するのはとても自然で似つかわしい。
ジョンデンバーのカントリーロードのラストの女性コーラスはnowではなくdownらしいですよ。
take me home (down) countryrode
田舎道(を下って)家まで連れていって
ジョン・デンバーのカントリーロードしかほぼ聞かなかったので、逆に新鮮です(笑)
確かに、「耳をすませば」大好きで、他の作品と比べることはなかったのですが、どうして好きなのかを改めて感じさせてもらったような気がします。ルパン三世はアルセーヌルパンの「カリオストロ伯爵夫人」、ナウシカは「堤中納言物語」、ラピュタは「ガリバー旅行記」、という様々な小説を自分なりに、嚙み砕いて咀嚼して、自分の価値観を丁寧に入れこんでいるという風に感じています。
中学生の時、金曜ロードショーで耳をすませば見た後に ウォー!ってなって好きな子に告白して振られたことを思い出しましたww
憧れたけど、恥ずかしい。めっちゃ分かりますw
歌詞は別としてあのバイオリンアレンジとおじいさん達の古楽器アンサンブルは神アレンジだった。
あのシーンだけでもあの映画の価値はあったしイバラードの作家さんの絵も良かったな。
英語の歌詞しか知らんわ。だって「耳を澄ませば」を知らないものw
まるで、夏の思い出の、中田喜直さんが尾瀬に行ってないけど、依頼で書いていたと、生前ラジオで言ってました。
同じですね。
へー!ということで
オリビアのカントリーロードと聴き比べていたら
まさかの訃報…
こんなことが…
なるほどなー。高畑先生が散財することでハングリー精神が生まれ名作が産まれていったんだなと思うとジブリはやっぱり2馬力である必要があったんだなあと思った。
1976年発売のシングル オリビアニュートンジョン盤
カントリーロード 副題は、故郷に帰りたい でしたよ
そのレコード今も持っています
オリビアのカントリーロードを英語で聴いていた身としてはこの映画の日本語訳の歌詞が苦手で子供達がこの映画を見る度に拒否反応が酷かったです。若い頃から和訳音楽、和訳映画が苦手でした。この動画を見れて良かったです。
5:58 Shenandoah River (シェナンドア川) ですが、確かに West Virginia 州の東のごく一部を経由しているだけですが、それでも 50 m なんてことは無く、2~30 kmは通っていますよ。
オリビア・ニュートン・ジョンの追悼企画かと思ったら、
偶然、彼女の逝去と収録タイミングが重なってしまっただけかよ…
すごいめぐり合わせ
ジョンデンバーのオリジナル聴いてました。レコードについてた英文の詩みてもよくわからなかったとこ、なんと50年たってやっと解決しました。ありがとうございます。
オリヴィアがカントリー・ロード歌いたいってジョン・デンヴァーにお願いしたら、その代わりに彼のレコーディングに参加してくれって頼まれてそこでコーラスやったのが「Fly Away」、名LP”Windsong”の一曲。
👨ジョンデンバーを知っている中高年たちにとっては、最初から違和感MAXだったのです。
🏔東京都多摩市聖蹟桜ヶ丘と、バージニアの大自然とのスケールの違いも。
🔓ジブリの横暴(笑) よくぞ炙り出していただきました!
何となくですが、あおげば尊しを刷り直したような歌詞の様に感じました
いつか帰る田舎と言う歌
もう帰らない田舎と言う歌
帰りたい田舎に実家も家族も古い友人もない僕にはどっちもピッタリ(*´ω`*)
ジョンデンバーのオリジナルバージョンが好き。日本語の歌詞を付けるとメロディーに合うように変えられちゃうのでは。特にジブリだと映画のイメージに合うようにするのではないかな。岡田さんは間違った思い込みときどきあるね。自分なりの解釈はいいけど正しい歌詞をお願いします。
コンクリートロード好き
弾き語りでよく歌うけど、絶対英語版の方を歌う
かっこいいし好きだから
父が大好きで、オリビア版カントリーロード一曲をず〜っとドライブのときかけてましたので、耳をすませば版にはそこまで傾倒しませんでした。
中学時代って雫さんが小説にチャレンジするような、ワクワク感があって人生ナメてたように思います。耳すま版のカントリーロードは、子供の頃の期待感と焦燥感が混じる居心地のいい時代には戻れない、振り返らず未来へ向かって進む決意!!ってことかなあと思っていました。
私的には80年代アニメの傑作だと思います。大人になってから観たほうが面白く、懐かしく感じます。映画自体がカントリーロードなのかもしれません。
ジョンデンバーの楽しそうに・楽しみそうに歌うカントリーロードが大好きなので耳をすませばのは苦手です
ジョン・デンバー版が一番良いが、オリビア版の、女性コーラスの後のアコギ3フィンガーがフェードインするのも爽やかで良い
dark and dusty …… の部分は、「暗くて埃っぽい」今住んでいる都会のことを、故郷のウエストヴァージニアの対比して、「涙が溢れる」という心情を表しているのかと思い、ドヤ顔してたんですが、炭鉱のことまでは知りませんでした。
なるほど……
原詩と異なる訳詞がつけられている歌は日本には沢山あるので、この曲が特別ではない。日本ではよくあることであり、日本の慣習と言ってよいだろう。
山脈と川が微粒子レベルで存在していて草
父親のギターこっそり弾いてた時に埃被ったコードブックにカントリーロードがあった。そっちは当然英語だったから、当時中学生の自分は一生懸命訳したけど、確かに耳をすませば見て、歌詞に違和感あったなぁ。訳全然ちがうなぁって。
これは耳をすませばとは関係無くやるべきですね。これは元の歌詞の訳の解説だから。映画で使われた歌詞は雫が考えた設定だから元の歌詞は全く関係ないですね。訳でもない
ある意味厨二病的演出としての歌詞だよね、あの映画のカントリーロードの翻訳
似たような話を布施明のマイウェイに思いました。
原曲は過去を振り返る歌なのに未来を語る歌になっちゃってる。
今ではいいお年なので、原曲準拠版を出しても似合いそう。
先にデンバー版を知ってたので、ジブリ版は哀愁がなくてなんだかなと思ってました。
耳をすませば、の歌詞は、日本語訳ではなく、新しい詩を書いたと言うべきでしょうね。私は、大学生の頃、JohnJohn Denverのオリジナルで歌詞を覚えた世代です。いい曲、いい歌詞だと思います。あの頃とは違って、人生も終わりが見えて、田舎に帰りたいと思うようになりました。(笑)
opに英語の歌流れてるし、作中で替歌作ってるシーンちゃんとあった気する。
岡田斗司夫さんは時期がズレてるから知らないかもしれないけど、平成から今の小学生はこの歌を学校でちゃんと本家のそのかっこいい派手なバージョン英語版で習うところが多いです。だからこの日本語の歌はジブリの改変だってこと分かってる人も多いです。
オリジナルに対して別物過ぎる。何にも共通点が無い、、。
耳をすませばなんてそこまで影響はない。一部の日本人にそういう傾向があるだけ。
この曲は思い出があります。香港に旅行会社の添乗員として行った時に、生バンドが演奏していて司会者から「きょうは日本人のグループの方がお見えです。皆さんの中で歌を歌っていただける方はおりませんか?」と無茶振りされました。そこで日本人のプライドとして添乗員である私がカントリーロードを歌いました。突然の選曲だったし普段歌ってはいない曲ですしバンドとはいきなりのセッションなんですが上手く歌えました。場内大歓声となったことが思い出です。
オリビアがお亡くなりになられました。
UA-cam俳諧していてこの動画に。
耳をすませばのカントリーロードは変な日本語略だと思っていました。
日本語のこの歌が学校などで歌われているのを聞くと、
大丈夫か日本?って思えます。
そう言えばおはよう720(700だったかもしれない)で挿入歌だったのがONJのカントリーロードだったな。
ビューティフルサンデーとかもあったなぁ。泳げたいやきくんの天下を終わらせた番組でした。
>おはよう720(700だったかもしれない)
どちらも正解です。
1970年代の、TBS系の朝のニュースショーですが、
当初は7時20分開始で「720」、その後7時00分開始に早まったので「700」となりました。
試しに、ジョンデンバ-版と、オリヴィア版聴き比べたら、自分には圧倒的に、ジョンデンバ-の方が良かった。
つくづく、「声質」に合った歌という物が有るんだなぁ、,,,
ギタ-と、バンジョ-と、多少のコ-ラスのみのシンプルな歌なんだけどね。
そういえば、日本のフォ-クルも、ギタ-とベ-スと、バンジョ-とメンバ-のコ-ラスだけだったなぁ、,,,
この歌歌詞をよく見ると、望郷の歌だね。帰りたくても帰れない故郷の風景を思い出しながら、でも、いつか帰りたい。そんな感じ。
1965生まれですが
朝の番組のおはよう720?辺りで
カントリーロードが使われたん
ですよね
私はこの指摘は当たらないと思う。
歌詞のとらえ方は違うが「逆」ではない。
あの歌詞はしずくがイタリアに旅立って修行するせいじが迎えるであろう試練や気持ちを唄ってる。
イタリアで一人で修行するのは大変だろうし、ホームシックもかかるだろう。
でも、挫けそうでも頑張るんだ。と、言う気持ちを唄っている。
だから、カントリーロードは日本の故郷を指していて決して田舎ではない。
後半の歌詞には「僕」とあるから男の子の思いと分かる。
そして最後の「さよならカントリーロード」はせいじからしずくへの言葉でもあり、作詞したしずくからせいじへの言葉でもあり、修行が終わっても交えることはないことを示唆していると思う。
一度、せいじの立場になって、イタリアで修行していると想像しながら歌詞を読めば分かると思う。
ただ「耳をすませば」を全く知らない人が聞く場合と、知ってる人では「逆」のイメージを生むかもしれない。
オリビア・ニュートン・ジョンさんの ご冥福を・・・
これわ主人公の作詞だという設定だからね
ジョン・デンバーと南こうせつがライブで歌ってましたね。
意外なイデオロギーメッセージのやり取り
カントリーロードを聞くと岩佐芳紀さんの生き様を思い出して号泣するベマニアのわい
#戦術君
宮崎の映画で歌がおかしいのはいつものこと。
魔女の宅急便のルージュの伝言。これ浮気する夫をこらしめようとする女性の歌だよ。魔女の宅急便のテーマと全く関係ない。まあ、とりあえず、のりがよければなんだって良いんだよ。
岡田先生のジブリ解説いつも面白くて好きなんだけど、聞けば聞くほどつまり私たち視聴者は宮崎さん、高畑さん、鈴木さんの3人のオッサンの盛大な痴話喧嘩に何十年もかけて付き合わされてるのかい!ということになってきてすごい。
オリビアの英歌詞で
刷り込まれてたんで、
日本語歌詞の違い知らんかった
似たような話は『絶対に負けられない戦いがそこにはある』
BGMで使われているquestion of honorの歌詞で言ってることは真逆で、
勝敗よりも名誉・・・的な歌詞
知らんかった😮
ジブリ版のカントリーロードは、室生犀星の小景異情になっちゃってるんですね^^;
『海がきこえる』が全く無視されている。宮崎・高畑抜きで若手が作ったジブリ作品で最も完成度が高いのが『海がきこえる』で、それに嫉妬した宮崎監督が対抗してラブストーリーを作ったのが『耳をすませば』。なぜ『海がきこえる』以降、若手が育たなかったのだろうか。
ジョンデンバー版が好きだな。というかガキの頃のキャンプファイヤーで歌ったという思い入れもあるかな。
オリビア版は「ほら、このメロディいいだろ感動するだろ?」みたいに聞こえちゃうんだよなぁ
行ってしまえば「作為的」な感じ。
いろいろ勉強になります。
ほんとに久しぶりに原曲を聴いてみました。ご指摘の最終リフレインのところですが、私には"‘ --now country roads"ではなく、どうしても" --down country roads"に聞こえますがいかがでしょうか。意味的にもその方が繋がる気もします。down the roadみたいな表現は結構いろいろな歌詞で聞くので、割とよくある表現なのだと思います。本歌詞中にも" driving down the road"と歌ってる箇所がありますね。
そんなに英語できるわけではないのですが、もともとは呼びかけというか単に連れてってという意味だったセンテンスに、今まさに向かってるというやや能動的なニュアンスを表現したものかなと思ったりもします。
私もdownだと思います(私は高校の英語教員です)。Nowだと、あの位置では不自然だと思います。だとすると、岡田氏の「あれは女性声、山の声」説は信じられません。たくさんおっしゃっている事の一部なので気にする事もなさそうですが、全て信用できるわけではないということでしょう。
私ももう一度聴き直しましたが、確かにdの発音成分が入ってる気がしますね…
私は言語学者とかの発音に詳しい人では無いのであれですが…
「down the road」は確か「まだこれから先のことは分からないが、いずれ何かが起きる」みたいな意味でしたね…(間違ってたらすみません)
サブスク(ラインミュージック)の歌詞をみると、確かにnowになっていますが、一方ネットで検索すると、downとしているのもあり、なんとも難しいです。英語で検索すると、どうもdownが多いようです
この映画自体は好きなんだけど、カントリーロードの日本語版(歌詞内容は全然違う)なんてものが存在する事自体
この作品で初めて知った俺はオッサン確定。
昨夜この動画を観たばかりなのに、たった今、オリビア・ニュートン・ジョンの訃報を聞きました(;;)ノ R.I.P. 私が大学1年の時に初めて買ったLPレコードが彼女のものでした。 捕鯨問題の誤解は解けたのかな???^^;
秋元康/伊武雅刀の「子供達を責めないで」(原曲:サミー・デイヴィスJr. )みたいなもんか
作詞は架空の場所をイメージして作られたと聞きました
私は洋楽が好きでジョン・デンバーもオリビア・ニュートン・ジョンもどちらも好きで聞きますが、ちょっと歌詞を見るとずいぶんジブリと違うな。と感じていました。ジブリ版は故郷との訣別の歌ですね、洋楽の方は故郷への望郷、郷愁の歌だと思います。後ろの棚にあるロッキードF104Gスターファイターの模型は素晴らしいですね。モノグラムかな。
日本人も、TV地方局で懐かしくなる。
ジョン・デンバーのカントリーロードを聞き直しました、 Take Me Home down Country road と歌っていました down なんて全く気が付きませんでした。映画を見た時「カントリーロード」の訳詞はへんてこで歌も下手だと聞き流していました。
そういえば上條恒彦版の「思い出のグリーングラス」と言う歌好きですが、原曲の詞が随分と違っていて驚きました。
逆の意味じゃないかもしれない、原曲に隠された意味で、聞く手が歌詞の通りにとるか逆にとるかは聴き手次第。
逆にとったほうが切なくて涙がでるし、歌詞が逆(ジブリ版)なら薄っぺらと思います。
それは深い考察ですね……確かにジョンもオリビアもウェストヴァージニアに行ったことがなくて、架空の土地に対しての都会の人のフェイクの郷愁の歌なのは間違いないんですよね。駿さんは自分の設定は絶対に語らないのに、人の作品の中身はベラベラ喋っちゃう人というとしおさんの分析に当てはめてみると、ここはまさにその通りなのが驚愕します。歌の内容を説明すると薄っぺらくなる。でもそのチープさがかえって作品に合っていると言う不思議なバランスだと思うのです。ビギナーズラックだと思います。
昔auのポケットWiFi契約した時自分の住んでる所も圏内と店のポスターには書いてあったけど実際調べたら本当ちょっとしかかすってしか無かった事を思い出した。
冒頭のbgmはなんという曲名ですか?
酷評の嵐だけど、思春期に訳したと考えると鈴木敏夫の娘なかなか上手いんじゃないですか?本当に娘がやったかは怪しいですが(笑)
訳で内容が全然別なモノになる... のは「いたって普通」のことです 「カントリーロード」に限ったコトではありません
自分はジョン・デンバーの原曲が好きだけど...原曲は故郷を長く離れていた人が「故郷へ帰りたい」と郷愁にかられる歌だけど、映画の『カントリー・ロード』は中学生の雫が翻訳(翻案?)したという設定なので、映画にはあの歌詞でマッチしてると思う。
物語的にもこれから旅立つ聖司を応援する雫に「故郷へ帰りたい」と歌わせるわけにはいかないし。