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坊がつる讃歌大好きな歌です。元歌があるとは知りませんでしたが、貴重な歌をありがとうございます。
信州の中学生は学校登山が有ります、僕たちは八ヶ岳でした、もう一度あの頃に♯無理か、せめてこの歌を聴いて涙するか、ありがとうございます❗
いいな~ 今の 歌には この様な 純心な 歌は ないな~ 昔の 作詞家は 素晴らしいよな~ 心 和む 歌が 人間には 必要だろうな~
歌声心に残ります いつまでも 聴きたい 最高なんです
山は人生の浄化を助けてくれる場所でした。山が好きで好きで登りつめました。今、足が動かなくなり…この歌に山へ誘われています
全く同じ思い、同じ状態です。
この歌を聞いていると心があらわれます
元山岳部に居ました広大生です❗️この唄を聴くと涙が出て来ます❣️昭40年卒です❣️
こんばんは。コメント有難うございます。広島高師は良い歌を持っていましたね。
今日ここまでまたどうぞ宜しくお願いします❤🎀❤️💝🌈🇯🇵日本には。沢山良い⭕️⭕️唄あり❤ありがとうございます♪❤
心打たれます。素晴らしいです。
山の歌はいいですね、この山は九州の大分の山だそうですが、元歌は寮歌とか聞きました。涙を流す山男、確かミヤマキリシマという花の名が出ていたように記憶しています。歌声喫茶の人気曲だったそうです。
いい曲です。数十年前に北アルプス等歩きまわっていたのを思い出します。久しぶりにアルプスを歩きたい。
この曲は、「芹洋子さんの、坊がずる」として、カラオケでよく歌ってました!私の大好きな歌でした、ーーとてもいいですね、「毎日聞いても飽きません」聞かせてください!。
何回聴いても 心に響きます 目を閉じて聴いて 居たら そこに 自分が居る気になります ありがとう😊😭
こんばんは。この曲で作られた替え歌が幾つかあるようですね。曲が優れているからでしょうか。
紅孔雀を名乗っている方も歌っていますが9番までありますこの歌八洲先生は関係ないですよね?
山男大好きな素晴らしい限り。このひと言。山へ行きたい。
この歌を私もよく歌いました、昭和42年当時、私は白島高等師範学校の歌だとは、知らずに、山こい歌として、歌っていました、私も馬鹿でした、今聞いて大変いい歌だったと思います、これからも、元歌をお願いします。
こんばんは。コメント有難うございます。この歌は歌詞の一部を変えられたりして色々と歌われていたようです。「山恋歌」というタイトルも目にしたことがあります。
43年前 当時東京の大学病院に勤務していました。私が大分に新設される大学に赴任することを伝え、今後の治療は他にものに依頼した由を伝えました。その際にその方から坊がつる讃歌について、その由来についても、その方の父上が広島高等師範学校の山岳部で、坊がつるには足繁く通い、その時に作られたものが讃歌とのことでした。赴任した地の小学校から帰宅を勧めて流れる音楽が坊ガツル讃歌でした。3/4のワルツのスローテンポなリズム、郷愁を誘います。 由布市住人
この曲など、俺より1年早く生まれてる❤❤❤❤
広大、文、理、教育学部の同窓会である尚志会の集まりでは必ず最後にこの歌を唄っていました!今頃はどうなんでしょうね⁉️昔はよく先輩方からハッパかけられたものでしたね‼️
両親と,まだ物心着くか着かないかの頃、九重の売店で,確か,山男、、、🎵というフレーズ、記憶に、残っています。情緒豊かな歌詞,素敵です🎉
山男として最高の歌です。
この歌を聞くと広島師範出の優しかった義父を思い出します。この歌の様な義父でした。
義父の心がわかる貴方も同じですよ
@@修図師 有り難うございます。本当に良く出来たお方で大事に可愛いがってもらって実の父の様にしてもらい私も慕いました。今でも涙が出ます。
失礼ですが、広島師範ではなくて、広島高師「高等師範学校」です😅
私は、地元栃木県の、古賀志北尾根コースを、この歌を口ずさみながら、歩いています。坊がつる、九州とは知りませんでした。ぜひ、行きたい山です。日比野鮎美さんも訪ねたやまです。
稜線を歩く爽やかさ😊
30😊余年山登りをつ😊づけた男、今はさびしい毎日❗️。
懐かしい 山小屋でよく歌ったものです。
「坊がつる讃歌」は広く知られていますが、この歌をご存じの方は稀少ですね。
歌詞とメローディーが多少違いますが、広島大学での寮生活で酒を飲めば、最後にはみんなで肩を組んで歌ったことを思い出します。最近ではこの歌を歌い出すと、すぐに涙が出るのは年を取ったせいでしょうか?
えーっ、歌詞とメロディーが少し違うんですか⁉️本物を聴いてみたいです。出来れば男声コーラスで。
はい歳のせいです
私も広島県人です 坊がつる賛歌の元歌が広島大学の山岳歌であったと知り感激しています⛰
北海道函館東高等学校( 現函館市立高等学校)山岳部の歌がこれとよく似た歌詞とほぼ同じメロディで歌われていました。明らかに替え歌です。おそらく広島高師ご出身の先生またはそれに近い先生が山岳部の顧問をされていた時代に残されたものだと思われます。後年、「坊がつる讃歌」を初めて聴いた時に自分が高校生の時に歌った部歌とあまりにも似ていたので非常に驚いたものです。今になって繋がりが見えてまいりました。山岳部の歌を残された先生がどのような方なのか調べてみたくなりました。判れば良いのですが。
そ
地元栃木県の古賀志北尾根を、この曲を口ずさみ、歩きました。
学生時代、ワンダーホーゲル部に入り、この歌の変え歌を知りました。「同じ思いの憧れを、胸に抱いて行く道は、希望の道ぞ山男、いざ共々に進まなん。」だと思いました。うすら覚えですが、歌のタイトルは、山恋 だと思っております。どなたか、ご存知の方がいらっしゃいましたなら、歌詞を最後まで教えて頂けたなら、有り難く思います。私の青春時代のかけがえのない歌です。共有できる人がいたなら、さらに幸いに思います。偶然にして、この山男の歌に出逢えたのも、何かのご縁かと思っております。UA-camさんありがとうございます。
こんばんは。「山恋」は知りませんが、同メロディーであちこちの山岳部で替え歌が作られていたということを聞いたことがあります。この類でしょうね。
我がワンゲルでは「山恋」として代々継承していました。歌詞はほぼ一緒です。懐かしい山の歌です。TWV?
@@健次宮本-l5e 返信ありがとうございます。今はワンゲル部もなくなってしまったようですが、当時のあの頃の時代を懐かしく思い、再び、あの歌の全容を知りたく思います。ご存知でしたならお知らせ頂けたなら幸いに思います。
@@天元竜白雲 ①同じ思いの憧れを 胸にいだいてゆく道は 希望の道ぞ山男 いざ共々に進まなん ②人皆花に酔う頃は 残雪恋し山に行き 涙を流す山男 雪解の水に春を知る ③故郷の山は低けれど 夏はアルプス岩が呼ぶ 岩に寄すれば山男 無我を悟はこの時ぞ ④深山の紅葉 初時雨 テント濡らして暮れてゆく 心な君の山男 寂しさ知るはこの頃ぞ ⑤街の乙女ら思いつつ 尾根の処女雪けたてては シュテムボーゲン山男 創登嶺の域は 言いがたし それぞれ大学により異なるかと思いますが、我がWV部歌集より。
@@健次宮本-l5e ありがとうございます。WV当時の思いがよみがえって来ます。山恋 これからも我が心の歌にしておきます。
この曲を聴くと、栃木県釈迦ヶ岳を思い出します。さらば釈迦よ、また会う日まで。
TAK SI 様 こんばんは。お久しぶりです。やっとUA-camでこの曲をアップしました。宜しければ聴いてやってください。
高校の担任が広大山岳部。歌っていた。九大山岳部ワンゲル部がうたっていた。聞くと広大の曲に歌詞をつけたときいた。
広島高師の山岳部歌として作られ歌われていたもので、広島大学に入ったこの部員たちが歌い継いだものと言われています。歌詞は人により若干異なっています。
いやあ、この歌は、栃木県古賀志山に良く合います。相変わらずこの歌を口ずさみながら、北尾根、中尾根を歩いています。
「シーハイルの歌」と共に好きな歌です。
山岳部歌は山男のロマンを感じますね。
山男というとなぜか髭面を連想するのですが、山という大自然を相手にし、危険な場合も承知で挑む男達ですね。
広島高師出の親父がよく唄っていましたが、ここの歌だったんですね・・・
一昨年の戸定会という千葉大園芸の会報に詳しくかいてありますが、九大のこの詩を作った学生が千葉大の先生になったとき地元の松戸の園芸学部で歌う歌としてじゃっかん変えてつくったのが、いつか園芸学部の第二寮歌のようになって歌われています。山男の歌といわれていて、歌詞は3番までです。
私の乏しい知識では、千大園芸科卒の方による「青陵の山男」(山男の歌と同メロディー)によるメロディーと佐藤三郎氏の補作によるものが千葉大では歌われている、という程度ですが、これが第二寮歌のことでしょうか。
TAK SI様 私は広島の山奥の出身ですが、高校一年生の時に先生が歌唱指導して下さってすぐ覚えました。芹洋子さんの「坊がつる讃歌」を初めて聴いた時、「盗作だ!」と思いましたが、単にアレンジされた物ですね。それにしてもびっくりした事を覚えています。しかし9番まで歌詞があるとは知りませんでした。
Kazuakiさん、こんにちは。自分の知っている歌に詞を変えて歌う、いわゆる「替え歌」というやつですが、よくあることですね。悪く言えば「盗作」といえるかも。「坊つる讃歌」は昭和27年に3人の九大生により作詞されています。九大生と広島高師の歌との関係は、詳しくは知らないのですが、広島高師で歌を覚えた生徒が大分県日田市の高等学校の教師となりそこの生徒に教え、その生徒の中に作詞者の一人がいた。と記憶しています。私は福岡県在住で昭和32~33年頃近くの友人(登山とは無縁の人)が「坊がつる・・・」を歌って聞かせてくれました。ということはかなり広まっていたのですね。 昭和52年、熊本県で開催された野外コンサートの際に芹洋子が知り、翌年NHKで作曲者不明のまま歌って全国に知られるようになり、その後関係者の努力で作曲者が判明したわけです。元歌とは節回しが2か所違っています。
@@tak-si 様 色々と教えて下さり有難うございます。作詞、作曲者が判って良かったですね。実は私もUA-camで懐メロを中心に歌っています。「坊がつる讃歌」もいずれ歌ってアップしたいと思っています。Wikiで調べますと、戦前からあった歌なんですね。
@@kazuakigabychan8147 さん、こんばんは。ご存知かも知れませんが、インターネットで「廣島高師 山男の歌ー広島大学」で検索すれば、楽譜や合唱も聞かれます。
TAK SI様 今晩は。情報有難う御座います。今晩カラオケで「坊がつる讃歌」を歌ってきました。結構いい点が出ました。実は今オーストラリア、メルボルンから帰国中で、PCから音がでなくなりました。これから田舎の広島に帰りますので、PCが当分使えなくなりますが、又一月後半からは大丈夫です。
TAK SI様 おはようございます。今登録させて頂きました。いままで登録したと思い忘れていました。すみません。「坊がつる讃歌」、録音したのですが、今ひとつ気に入りませんので、再録音したいと思っています。曲は違いますが、先日「雪山に消えたあいつ」をアップしましたので、よろしければ是非聴いてやって下さい。メルボルンは急に暑くなり、30度以上の日が続いています。
昔から 広島師範と 聞くと 姿勢を正すのは 晴朗精神に 頭を垂れて 居たのか
失礼ですが、広島高等師範学校です❗️広島師範は別の学校(新制広島大学の前身の一つですが)
@@藤原重彦 有り難う御座います
変な歌手が歌うより人工音声の澄んだ声音がこの歌にはピッタリ。
こんばんは。コメント有難うございます。
先ほどの投稿、大変失礼致しました。お詫びの投稿、間違えて、待ちましょう、の歌の欄にしてしまいました。おっちょこちょいで本当にごめんなさい。改めて再投稿致します。まず、UA-camさんにお礼を申し上げます前に、この歌を流してくださった緑咲香澄様に感謝すべきでした本当にごめんなさい。
ご丁寧なコメント有難うございます。広島高師山男の歌-広島大学デジタル博物館の中にこの歌の合唱したものがあります。
1同じ山への憧れを 胸に抱いてゆく道は 理想の道ぞ山男 ああ高陵の山男2人皆花に酔う頃も 残雪恋し山に入り 涙を流す山男 雪解の水に春を知る3子持ちの山は低くとも 見れば故郷の山が待つ 山に帰すれば山男 無我を悟るはこの時ぞ4同じ理想の道を行き 瞼に浮かぶ山の道は 道は一つぞ山男 ああ高稜の山男 資料があったので、千葉大園芸学部で歌われていた歌詞をのせます。今は全体で歌われなくなったのであまり歌われなくなりました。戦後神尾(かんお)先生が広島高師から九州大学、千葉大にきて園芸学部のうたになりました。
わかれゎつらし、またさいごのそつぎようと なりしか?。さびしくおもふ。 なぉ いっまでも遺してください
山一人歩いて知った畏れ有りました。
登山の時は足元に注意。
山は怖い、頂上付近の岩が墓標に見えるんです。
この人の甲高い声は苦手だけど、この曲は坊がつるより好きだな
これ歌ったあとにチクサクコールして先輩の名前連呼してビールを飲ますという意味不明な風習があったのだがあれは一体何だったのだろうか
坊がつる讃歌大好きな歌です。
元歌があるとは知りませんでしたが、貴重な歌をありがとうございます。
信州の中学生は学校登山が有ります、僕たちは八ヶ岳でした、もう一度あの頃に♯無理か、せめてこの歌を聴いて涙するか、ありがとうございます❗
いいな~ 今の 歌には この様な 純心な 歌は ないな~ 昔の 作詞家は 素晴らしいよな~ 心 和む 歌が 人間には 必要だろうな~
歌声心に残ります いつまでも 聴きたい 最高なんです
山は人生の浄化を助けてくれる場所でした。
山が好きで好きで登りつめました。今、足が動かなくなり…
この歌に山へ誘われています
全く同じ思い、同じ状態です。
この歌を聞いていると心があらわれます
元山岳部に居ました広大生です❗️この唄を聴くと涙が出て来ます❣️昭40年卒です❣️
こんばんは。コメント有難うございます。広島高師は良い歌を持っていましたね。
今日ここまでまたどうぞ宜しくお願いします❤🎀❤️💝🌈🇯🇵日本には。沢山良い⭕️⭕️唄あり❤ありがとうございます♪❤
心打たれます。素晴らしいです。
山の歌はいいですね、この山は九州の大分の山だそうですが、元歌は寮歌とか聞きました。
涙を流す山男、確かミヤマキリシマという花の名が出ていたように記憶しています。
歌声喫茶の人気曲だったそうです。
いい曲です。数十年前に北アルプス等歩きまわっていたのを思い出します。久しぶりにアルプスを歩きたい。
この曲は、「芹洋子さんの、坊がずる」として、カラオケでよく歌ってました!私の大好きな歌でした、ーーとてもいいですね、「毎日聞いても飽きません」聞かせてください!。
何回聴いても 心に響きます 目を閉じて聴いて 居たら そこに 自分が居る気になります ありがとう😊😭
こんばんは。この曲で作られた替え歌が幾つかあるようですね。曲が優れているからでしょうか。
紅孔雀を名乗っている方も歌っていますが9番までありますこの歌八洲先生は関係ないですよね?
山男大好きな素晴らしい限り。このひと言。山へ行きたい。
この歌を私もよく歌いました、昭和42年当時、私は白島高等師範学校の歌だとは、知らずに、山こい歌として、歌っていました、私も馬鹿でした、今聞いて大変いい歌だったと思います、これからも、元歌をお願いします。
こんばんは。コメント有難うございます。この歌は歌詞の一部を変えられたりして色々と歌われていたようです。「山恋歌」というタイトルも目にしたことがあります。
43年前 当時東京の大学病院に勤務していました。私が大分に新設される大学に赴任することを伝え、今後の治療は他にものに依頼した由を伝えました。その際にその方から坊がつる讃歌について、その由来についても、その方の父上が広島高等師範学校の山岳部で、坊がつるには足繁く通い、その時に作られたものが讃歌とのことでした。赴任した地の小学校から帰宅を勧めて流れる音楽が坊ガツル讃歌でした。
3/4のワルツのスローテンポなリズム、郷愁を誘います。 由布市住人
この曲など、俺より1年早く生まれてる❤❤❤❤
広大、文、理、教育学部の同窓会である尚志会の集まりでは必ず最後にこの歌を唄っていました!
今頃はどうなんでしょうね⁉️
昔はよく先輩方からハッパかけられたものでしたね‼️
両親と,まだ物心着くか着かないかの頃、九重の売店で,確か,山男、、、🎵というフレーズ、記憶に、残っています。情緒豊かな歌詞,素敵です🎉
山男として最高の歌です。
この歌を聞くと広島師範出の優しかった義父を思い出します。この歌の様な義父でした。
義父の心がわかる貴方も同じですよ
@@修図師 有り難うございます。本当に良く出来たお方で大事に可愛いがってもらって実の父の様にしてもらい私も慕いました。今でも涙が出ます。
失礼ですが、広島師範ではなくて、広島高師「高等師範学校」です😅
私は、地元栃木県の、古賀志北尾根コースを、この歌を口ずさみながら、歩いています。坊がつる、九州とは知りませんでした。ぜひ、行きたい山です。日比野鮎美さんも訪ねたやまです。
稜線を歩く爽やかさ😊
30😊余年山登りをつ😊づけた男、今はさびしい毎日❗️。
懐かしい 山小屋でよく歌ったものです。
「坊がつる讃歌」は広く知られていますが、この歌をご存じの方は稀少ですね。
歌詞とメローディーが多少違いますが、広島大学での寮生活で酒を飲めば、最後にはみんなで肩を組んで歌ったことを思い出します。
最近ではこの歌を歌い出すと、すぐに涙が出るのは年を取ったせいでしょうか?
えーっ、歌詞とメロディーが少し違うんですか⁉️
本物を聴いてみたいです。
出来れば男声コーラスで。
はい
歳のせいです
私も広島県人です 坊がつる賛歌の元歌が広島大学の山岳歌であったと知り感激しています⛰
北海道函館東高等学校( 現函館市立高等学校)山岳部の歌がこれとよく似た歌詞とほぼ同じメロディで歌われていました。
明らかに替え歌です。
おそらく広島高師ご出身の先生またはそれに近い先生が山岳部の顧問をされていた時代に残されたものだと思われます。
後年、「坊がつる讃歌」を初めて聴いた時に自分が高校生の時に歌った部歌とあまりにも似ていたので非常に驚いたものです。
今になって繋がりが見えてまいりました。
山岳部の歌を残された先生がどのような方なのか調べてみたくなりました。判れば良いのですが。
そ
地元栃木県の古賀志北尾根を、この曲を口ずさみ、歩きました。
学生時代、ワンダーホーゲル部に入り、この歌の変え歌を知りました。「同じ思いの憧れを、胸に抱いて行く道は、希望の道ぞ山男、いざ共々に進まなん。」だと思いました。うすら覚えですが、歌のタイトルは、山恋 だと思っております。
どなたか、ご存知の方がいらっしゃいましたなら、歌詞を最後まで教えて頂けたなら、有り難く思います。私の青春時代のかけがえのない歌です。共有できる人がいたなら、さらに幸いに思います。
偶然にして、この山男の歌に出逢えたのも、何かのご縁かと思っております。
UA-camさんありがとうございます。
こんばんは。「山恋」は知りませんが、同メロディーであちこちの山岳部で替え歌が作られていたということを聞いたことがあります。この類でしょうね。
我がワンゲルでは「山恋」として代々継承していました。歌詞はほぼ一緒です。懐かしい山の歌です。TWV?
@@健次宮本-l5e 返信ありがとうございます。
今はワンゲル部もなくなってしまったようですが、当時のあの頃の時代を懐かしく思い、再び、あの歌の全容を知りたく思います。
ご存知でしたならお知らせ頂けたなら幸いに思います。
@@天元竜白雲 ①同じ思いの憧れを 胸にいだいてゆく道は 希望の道ぞ山男 いざ共々に進まなん ②人皆花に酔う頃は 残雪恋し山に行き 涙を流す山男 雪解の水に春を知る ③故郷の山は低けれど 夏はアルプス岩が呼ぶ 岩に寄すれば山男 無我を悟はこの時ぞ ④深山の紅葉 初時雨 テント濡らして暮れてゆく 心な君の山男 寂しさ知るはこの頃ぞ ⑤街の乙女ら思いつつ 尾根の処女雪けたてては シュテムボーゲン山男 創登嶺の域は 言いがたし それぞれ大学により異なるかと思いますが、我がWV部歌集より。
@@健次宮本-l5e
ありがとうございます。WV当時の思いがよみがえって来ます。山恋 これからも我が心の歌にしておきます。
この曲を聴くと、栃木県釈迦ヶ岳を思い出します。さらば釈迦よ、また会う日まで。
TAK SI 様 こんばんは。お久しぶりです。やっとUA-camでこの曲をアップしました。宜しければ聴いてやってください。
高校の担任が広大山岳部。歌っていた。九大山岳部ワンゲル部がうたっていた。聞くと広大の曲に歌詞をつけたときいた。
広島高師の山岳部歌として作られ歌われていたもので、広島大学に入ったこの部員たちが歌い継いだものと言われています。歌詞は人により若干異なっています。
いやあ、この歌は、栃木県古賀志山に良く合います。相変わらずこの歌を口ずさみながら、北尾根、中尾根を歩いています。
「シーハイルの歌」と共に好きな歌です。
山岳部歌は山男のロマンを感じますね。
山男というとなぜか髭面を連想するのですが、山という大自然を相手にし、危険な場合も承知で挑む男達ですね。
広島高師出の親父がよく唄っていましたが、ここの歌だったんですね・・・
一昨年の戸定会という千葉大園芸の会報に詳しくかいてありますが、九大のこの詩を作った学生が千葉大の先生になったとき地元の松戸の園芸学部で歌う歌としてじゃっかん変えてつくったのが、いつか園芸学部の第二寮歌のようになって歌われています。山男の歌といわれていて、歌詞は3番までです。
私の乏しい知識では、千大園芸科卒の方による「青陵の山男」(山男の歌と同メロディー)によるメロディーと佐藤三郎氏の補作によるものが千葉大では歌われている、という程度ですが、これが第二寮歌のことでしょうか。
TAK SI様 私は広島の山奥の出身ですが、高校一年生の時に先生が歌唱指導して下さってすぐ覚えました。芹洋子さんの「坊がつる讃歌」を初めて聴いた時、「盗作だ!」と思いましたが、単にアレンジされた物ですね。それにしてもびっくりした事を覚えています。しかし9番まで歌詞があるとは知りませんでした。
Kazuakiさん、こんにちは。自分の知っている歌に詞を変えて歌う、いわゆる「替え歌」というやつですが、よくあることですね。悪く言えば「盗作」といえるかも。「坊つる讃歌」は昭和27年に3人の九大生により作詞されています。九大生と広島高師の歌との関係は、詳しくは知らないのですが、広島高師で歌を覚えた生徒が大分県日田市の高等学校の教師となりそこの生徒に教え、その生徒の中に作詞者の一人がいた。と記憶しています。私は福岡県在住で昭和32~33年頃近くの友人(登山とは無縁の人)が「坊がつる・・・」を歌って聞かせてくれました。ということはかなり広まっていたのですね。
昭和52年、熊本県で開催された野外コンサートの際に芹洋子が知り、翌年NHKで作曲者不明のまま歌って全国に知られるようになり、その後関係者の努力で作曲者が判明したわけです。元歌とは節回しが2か所違っています。
@@tak-si 様 色々と教えて下さり有難うございます。作詞、作曲者が判って良かったですね。実は私もUA-camで懐メロを中心に歌っています。「坊がつる讃歌」もいずれ歌ってアップしたいと思っています。Wikiで調べますと、戦前からあった歌なんですね。
@@kazuakigabychan8147 さん、こんばんは。ご存知かも知れませんが、インターネットで「廣島高師 山男の歌ー広島大学」で検索すれば、楽譜や合唱も聞かれます。
TAK SI様 今晩は。情報有難う御座います。今晩カラオケで「坊がつる讃歌」を歌ってきました。結構いい点が出ました。実は今オーストラリア、メルボルンから帰国中で、PCから音がでなくなりました。これから田舎の広島に帰りますので、PCが当分使えなくなりますが、又一月後半からは大丈夫です。
TAK SI様 おはようございます。今登録させて頂きました。いままで登録したと思い忘れていました。すみません。「坊がつる讃歌」、録音したのですが、今ひとつ気に入りませんので、再録音したいと思っています。曲は違いますが、先日「雪山に消えたあいつ」をアップしましたので、よろしければ是非聴いてやって下さい。メルボルンは急に暑くなり、30度以上の日が続いています。
昔から 広島師範と 聞くと 姿勢を正すのは 晴朗精神に 頭を垂れて 居たのか
失礼ですが、広島高等師範学校です❗️広島師範は別の学校(新制広島大学の前身の一つですが)
@@藤原重彦 有り難う御座います
変な歌手が歌うより人工音声の澄んだ声音がこの歌にはピッタリ。
こんばんは。コメント有難うございます。
先ほどの投稿、大変失礼致しました。お詫びの投稿、間違えて、待ちましょう、の歌の欄にしてしまいました。おっちょこちょいで本当にごめんなさい。
改めて再投稿致します。
まず、UA-camさんにお礼を申し上げます前に、この歌を流してくださった緑咲香澄様に感謝すべきでした本当にごめんなさい。
ご丁寧なコメント有難うございます。広島高師山男の歌-広島大学デジタル博物館の中にこの歌の合唱したものがあります。
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同じ山への憧れを 胸に抱いてゆく道は 理想の道ぞ山男 ああ高陵の山男
2人皆花に酔う頃も 残雪恋し山に入り 涙を流す山男 雪解の水に春を知る
3子持ちの山は低くとも 見れば故郷の山が待つ 山に帰すれば山男 無我を悟るはこの時ぞ
4同じ理想の道を行き 瞼に浮かぶ山の道は 道は一つぞ山男 ああ高稜の山男
資料があったので、千葉大園芸学部で歌われていた歌詞をのせます。今は全体で歌われなくなったのであまり歌われなくなりました。戦後神尾(かんお)先生が広島高師から九州大学、千葉大にきて園芸学部のうたになりました。
わかれゎつらし、またさいごのそつぎようと なりしか?。
さびしくおもふ。 なぉ いっまでも遺してください
山一人歩いて知った畏れ有りました。
登山の時は足元に注意。
山は怖い、頂上付近の岩が墓標に見えるんです。
この人の甲高い声は苦手だけど、この曲は坊がつるより好きだな
これ歌ったあとにチクサクコールして先輩の名前連呼してビールを飲ますという意味不明な風習があったのだがあれは一体何だったのだろうか