なぜ人生は底知れないほど寂しいのか.。ブッダに問うさびしさの正体。

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  • Опубліковано 2 жов 2024

КОМЕНТАРІ • 324

  • @sakusakusakusaku79
    @sakusakusakusaku79 3 роки тому +61

    自分を一番わかってあげられるのは自分でありたいなと改めて思いました!

  • @真月遼
    @真月遼 3 роки тому +12

    自分も他人のことはわからない
    他人も自分のことはわからない
    永遠に交わることのない無数の孤独

  • @福本和義-q4f
    @福本和義-q4f 3 роки тому +10

    配信有り難うございます。感謝いたします。

    • @byBuddhism
      @byBuddhism  3 роки тому

      ありがとうございます。

  • @achan2827
    @achan2827 3 роки тому +10

    菊谷先生、身近に感じる事例を織り交ぜながら、分かりやすく説明していただきありがとうございます。「魂の連れがいない」から「さみしい」という教えは、かなり考えさせられました。確かに人は、承認欲求があり、分かってもらおうとして、結果マイナスの感情がでる機会が多い気がします。時には、鈍感な面も必要なのかな。幸せになるために、人間の本質が見えると生き方も変わるような気がしました。

  • @junkosakura9307
    @junkosakura9307 3 роки тому +3

    本当にそのとうりです。
    何時もながらシンプルなお話しなのに 其れが出来ない。とても考えさせられました。
    為になりました。🙏

  • @PochioTamako
    @PochioTamako 3 роки тому +30

    自分の周りには、自分を分かってくれる人は1人も居ない訳ですね。
    もし、万が一いたとしても、それは神様に絶対に出逢わせて貰えないんでしょうねw
    自分を理解できる人は、自分しかいないし、自分を幸せにしてくれるのは自分しかいないと気づく。
    神様でも仏様でもなく、自分しか自分の寂しさを埋めてくれる人はいないと。
    だって、神様や仏様は自分自身なのだから。

    • @リリ子-p5d
      @リリ子-p5d 3 роки тому +1

      とても心打たれるコメント読めて良かったです。
      とても寂しくて堪らなかったけれど、考え方をこのようにして行こうと
      手帳にメモらせていただきました。
      ありがとうございます。

  • @fukutarosakamoto3044
    @fukutarosakamoto3044 3 роки тому +101

    もう何年も友達もいないし家族もいませんが、私は毎日楽しいですよ☺️

    • @小林弘-z4t
      @小林弘-z4t 3 роки тому +12

      それを言っちゃあおしまいよ。(笑)

    • @wrwatt
      @wrwatt 3 роки тому +25

      本当にそう思ってるならこんなタイトルの見ないでしょ笑

    • @あかいろ-w1o
      @あかいろ-w1o 3 роки тому +1

      @@小林弘-z4t
      それを言われなければ
      オシマイ
      です。

    • @遠藤さ-w5l
      @遠藤さ-w5l 3 роки тому +3

      真顔でこのコメント打ってそう

    • @けんちゃん0720
      @けんちゃん0720 3 роки тому +3

      @@wrwatt 同感です🤗

  • @reikomiyata578
    @reikomiyata578 3 роки тому +3

    話して理解することではありません。ただ一緒にいて言葉を交わす、信頼できる人の存在するだけで安心出来ます。

  • @risaei4863
    @risaei4863 3 роки тому +21

    私は友人はいなく独りですが、全く寂しくないです。
    独りでいる方が遥かに自由で幸せです。
    しかし、人は協力していく方が生きやすく、物もシステムも
    見えないところで人の協力を得て生きています。
    でも、基本独りで十分幸せです。
    なぜ、そう思えるか。
    私達の魂は、どこまで行っても
    完全な魂で、そのままで全く傷ついてもいなく
    全くの自由だと体感しました。
    すると、寂しいとかそんなものは存在しないのです。
    瞑想も17年してましたが、今は
    あるがままの状態を感じています。
    長らく仏教を学びましたが、今の私には仏教は暗く、自己否定の思考がスタートなので
    もう、仏教からはおりました。学べた事は感謝しています。

    • @あかいろ-w1o
      @あかいろ-w1o 3 роки тому +3

      そうですね。
      誰も寂しいとか言っていないのに
      何故寂しいのか?
      とか言うのが間違いだと思います。

    • @yohji538
      @yohji538 3 роки тому +1

      アイコン可愛いですね。自作ですか?

    • @risaei4863
      @risaei4863 3 роки тому +9

      @@あかいろ-w1o そうなんですよね。仏教は最初から「寂しい・苦しい」などネガティブを前提としているところがずっと疑問でした。私は自殺未遂3回しているんですが、そんな苦難にあったため、ヒットしてしまったんですよね、仏教が。
      私は最近ようやく仏教を離脱したんですが仏教は合う合わないがあると思います。自己否定を常にしなくてはいけない仏教。「怒りはいけない」とかね。感情は死ぬまであるんです。怒りを感じたら瞬間に発散すればいい。惡じゃない。仲良く付き合えばいい。アドレナリンを適切に解消してあげれば問題ない。悪業云々と言われると知らないうちに自己否定が滑り込み、潜在意識にそうインストールされるんです。なぜそう疑問に思ったか、それは指導者や瞑想参加者の人で怒りっぽい人や他人の悪口言う、マウントをとる人が多くておかしいなって思ってたんですよね。怒りは抑圧したり素人が変に理屈で抑える方が不健全だと思い至りました。三毒も別に否定せず、むしろそれが生きること、とした方が遥かに素直で清々しい、そう私は思います。例えば合わない洋服を「これが正しい服ですよ」と悟った人が言うからとずっと着ていて窮屈だったと、いう事で、結局私の無知のせいなのです。全世界がすごいっていうものこそ、疑う勇気を持って自分で考え判断して実践する必要があったなと。仏教が悪い教えではなく、私には合わないものだった、という事ですが最初から「なぜ寂しい」と決めつけるのはネガティブに訴えてモノを売るように思えてしまいました。「生きるのは無常である、苦しいものである」で?、という感じです。

    • @risaei4863
      @risaei4863 3 роки тому +1

      @@yohji538 ありがとうございます!はい♡iPadでアプリを使って描いてみました(*^_^*)

    • @byBuddhism
      @byBuddhism  3 роки тому +6

      仏教を聞く時期、聞く心の状態、いろいろです。また聞きたく思われることもあるかもしれません。

  • @入り鉄砲出女
    @入り鉄砲出女 3 роки тому +19

    二人は分かり会えないのだ。しかし、別れたらさらに孤独になる。
    これを知らないばかりに不幸になる。

    • @byBuddhism
      @byBuddhism  3 роки тому +1

      その通りですね。。。

  • @adampine607
    @adampine607 3 роки тому +64

    興味本位で見てみたけど、凄く論理的な教えなんだな。シンプルで強力な理屈を説いてくれるっていうのは、これだけで自分の人生へのアプローチの仕方を増やしてくれるから計り知れない価値があるよね。

    • @byBuddhism
      @byBuddhism  3 роки тому +10

      ありがとうございます。励みになります。

  • @Candy6046
    @Candy6046 3 роки тому +12

    人生って、昔の金曜ロードショーのエンディングみたいです。あのエンディングは凄くセンチメンタルになりました。けれど、気持ちを切り替えて頑張ろうという気持ちにもなれました。寂しさの中にも暖かく包みこんでくれる感じが良かったです❣️仏教の世界観に似ていたかも❓🌛✨

    • @byBuddhism
      @byBuddhism  3 роки тому +3

      確かに今から思えばセンチメンタルな思い出があります。

  • @マリ子-h9g
    @マリ子-h9g 3 роки тому +16

    真実の愛情で愛してくれる人が周りにいなくても、自分が そういう愛で子供でも誰かでも愛せたら、その愛で自分自身が満たされます。たとえその愛が相手に届かなくても

  • @昇天ドラゴン
    @昇天ドラゴン 3 роки тому +55

    青年期に宗教やら哲学に興味を持ち、本を読んだが解らずじまい。
    結局、就職し、家庭を持ち、子育てを終わり、忙しさで紛らわし今に至る。
    愛別離苦。出会いが有ればいつか別れが来る。妻に先立たれ、人生の儚さを知る。
    自分も後10年(?)もすれば、この世との解れの日がくる。
    妻が昨年亡くなってから、毎日、朝夕、仏壇に手を合わせている。1週間に3日、散歩がてらに近くの寺や地蔵菩薩、観音菩薩、不動明王、神社、祠に手を合わせている。仏教の本も読み直しているが、今一、理解できない。
    ”在るがままに生きよう”と、思う。
    ある本に、「今生きてる人も生命誕生から約2000万の生命体の命のリレーで、今存在している」と書いて有った。
    また、祖父(日露)、父(大東亜)が戦争に駆り出されたが、生きて帰って来たので、今、私は存在している。
    奇跡、偶然の連鎖でこの世に生を受けたので、残りの人生を”あるがままに生き抜こう”と思っている。
    この様な法話がユーチューブで視聴できることは、有難い。

    • @byBuddhism
      @byBuddhism  3 роки тому +2

      そう言っていただくとうれしく思います。ありがとうございます。どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。

    • @ユウユウ-e7q
      @ユウユウ-e7q 3 роки тому +3

      法句経は読まれましたか?

    • @昇天ドラゴン
      @昇天ドラゴン 3 роки тому

      @@ユウユウ-e7q 読んでみます。有難うございます。

  • @松島敏浩-f5r
    @松島敏浩-f5r 3 роки тому +15

    人間は社会的・共存的存在であり、自分個人のみの救済を求めているうちは救われることはない。他者の人生に貢献しようとする意思が働く時に 始めて自分個人も救われる道が開けてくる。

    • @byBuddhism
      @byBuddhism  3 роки тому

      大乗仏教の自利利他の精神ですね。

  • @根っこ-g9x
    @根っこ-g9x 2 роки тому +1

    たしかに自己の感情、思考、習慣、行動などへの理解が深まる寂しいと感じることが減っていたなー

  • @gosentry9620
    @gosentry9620 2 роки тому +6

    寂しいのは自由の代償なんだね^^

  • @seru8539
    @seru8539 3 роки тому +5

    心に神様が宿っていれば、寂しいはずはない。

  • @青海アヤコ
    @青海アヤコ 3 роки тому +12

    もっと胸を刺すものが聞けるとは思っていましたが、やはり誰も分かってもらえない世界なんだと...有難うございました。🙏

    • @byBuddhism
      @byBuddhism  3 роки тому

      ありがとうございました。

  • @user-vo6qr7iy3f
    @user-vo6qr7iy3f 3 роки тому +3

    最近疑問に思っていたことの答えの動画内容でした。
    どうもありがとう。

  • @XOXO-rd1ib
    @XOXO-rd1ib 3 роки тому +55

    人間皆、死ぬ時、一人で死んで行くのだと、思えば、本当に幸せで有っても、不幸で有っても、寂しいですね。

    • @byBuddhism
      @byBuddhism  3 роки тому +8

      そうなんですね。幸福でも不幸でもなく、寂しい、ということです。

    • @yoshihikosuwa1064
      @yoshihikosuwa1064 3 роки тому

      ???貴方は、今寂しいですか?何故死ぬ時寂しいと分かるの?

    • @五月の雨-d7u
      @五月の雨-d7u 3 роки тому

      できれば死は寂しくても 悲しいことではないと学びたい

    • @kazu.k.1828
      @kazu.k.1828 3 роки тому

      産まれた時も双子とかでない限り一人だった訳ですからこの世での役割を終えてそこに帰るものと考えたいですね。

    • @あかいろ-w1o
      @あかいろ-w1o 3 роки тому

      @@byBuddhism
      寂しいの一言で幸福でも不幸でも無くと人生を表現してしまうのですね。

  • @ロック宮崎
    @ロック宮崎 3 роки тому +11

    突然1人になると寂しさを感じる、寂しい寂しいと何かを求め彷徨い続けるが誰とも知り合わず寂しさから抜け出さない、どんどん孤立して更に寂しくなる。
    私も15年ぐらい前44歳で離婚、最初の10年ぐらいは寂しかったが金銭的な問題もあり休みでも家から出ることもなくご飯が食べれればの生活でした、でもここ5年ぐらいは諦めました、私生命線が長いんですよ、めったな事では死なないとずっと思ってるので私個人として人の親切=裏があると感じるので、なるだけ関わらないのが・・・といっても最低限は人のために動きますし自分のためにお金は使わなくても人のためなら使います、ただ人の親切は信用ができないので構えます、肉体的にある程度距離をとって接するだけですが、寂しさは感じなくなりました。

    • @byBuddhism
      @byBuddhism  3 роки тому +2

      さびしさからの解放が仏教に説かれています。続けて聞いていただければうれしく思います。

  • @なかむらてつお-q4j
    @なかむらてつお-q4j 3 роки тому +23

    愛する人を失った、二度と触れ合う事が出来ない。ただ後にお互い純粋に愛し合った。この愛だけは心深く残っている。この寂しさは大切にして生きていきたい❣️

  • @それがしかおちゃん
    @それがしかおちゃん 3 роки тому +5

    ほんとうに寂しいですね 死にたいくらいに寂しいです

  • @yuumetal2363
    @yuumetal2363 2 роки тому +2

    すごいためになりました。ありがとうございます。
    最後そのさみしさからどうやって解放されるのか聞きたかったです。

  • @DROPKICK914
    @DROPKICK914 3 роки тому +6

    孤独とか退屈とかにやたら拒絶反応する方は多いですよね。寂しいという単なる感情の一つを受け止められない時点から、まずは多難だなぁと思います。魂は経験を求めているとすれば観察しながらありがたい救いには素直に寄り添って行きたいです。良いお話をありがとうございました。

    • @byBuddhism
      @byBuddhism  3 роки тому

      このテーマは拒絶する人もあり、同時に気になるテーマだと思います。

  • @にょ助-d3g
    @にょ助-d3g 3 роки тому +21

    寂しさを受け入れてる。1人がよいし好きだ。そろそろ解脱かな。

    • @byBuddhism
      @byBuddhism  3 роки тому +4

      受け入れられるのはすごいです。

  • @tact2131
    @tact2131 3 роки тому +24

    あの愛情を注いでくれた人たち、楽しいことを分かち合った人たち・・・みんな私の人生から去っていく。
    あのときはあんなに熱中して生きてたのに、あれはいったい何だったの?ほんとに底知れなく寂しくて寂しくて、寂しさに押しつぶされそうになるときがあります。苦しい時のことさえ懐かしく、あの頃は良かったなと思えるほど過去の人生の道程が切なく迫ってきて胸が押しつぶされそうになるときがありますね。世の中を少しでも良くしてこの世をさっていければ、少しは誇らしい気持ちでこの世を去っていけるのかな。

    • @byBuddhism
      @byBuddhism  3 роки тому +1

      私が言わんとした寂しさがよく伝わってくる文章です。ありがとうございました。

  • @kichiemon2253
    @kichiemon2253 3 роки тому +22

    振り返ってみれば、私には友達はいなかったし、今もいない一人暮らしです。でも、それを孤独だとは思わないし、劣等感を感じたこともない。第一、だれに気兼ねすることもないし、自分のやりたい放題ができる。正直、誰かが欲しいと思う時もある。でも、あれもこれも良いとこ取りはできないんですよね。何かを掴むためには何かを離さないと。

    • @kloos-s.c.h-7163
      @kloos-s.c.h-7163 3 роки тому +1

      そうですね.私はケチだから自分を人にあげるのは絶対にしませんでしたしそして"寂しい"なぞと感じたこともなく 言葉そのものが好きではなく、です。まー そんな暇がなかったからなのか性格なのかわかりません。

    • @プリンスパール
      @プリンスパール Рік тому

      スマートな、凛々しい方なのですねぇ。

    • @hddKdh9
      @hddKdh9 Рік тому +1

      素敵ですね☺

  • @freeway104
    @freeway104 3 роки тому +3

    >「底知れないほどさびしいところが人生である」と仏教は説きます
    もし、そうなら、仏教は完全な邪教だな。
    キリスト教では、「人生は神と隣人との愛で満ちている」と説いてるからな。
    しかも、その「愛」は、自らが積極的に神と隣人を愛することで手に入る。
    したがって、「人生は底知れぬほど寂しい」と嘆く者は一人もいない。

  • @由紀子神田
    @由紀子神田 2 роки тому +3

    今年の3月に主人を亡くして毎日毎日泣かない日はありません。1週間の入院生活から帰って部屋に入る前に失神して、コンクリートの外廊下に頭から倒れそのまま即死でした。あまりにも突然の事で今でも亡くなった事が信じられません。それからというもの、後悔しきりで主人の居ない寂しさ、辛さ、苦しい思いでこれから先の生きる希望も無くなりました。 そんな時、先生の動画を観て少し楽になった様に思います。独り暮らしの寂しさに耐えれるか不安感は拭えません。これからも視聴させて頂きますね。貴重なお話、ありがとうございました。

  • @星野由美子-r3l
    @星野由美子-r3l 3 роки тому +6

    本当に、そうです。
    隣に夫は居るけれど、生きてる精神世界は違います。私は、美しい音楽を聴きながら
    食事をしたいのに、旦那のスマホから流れる動画の音を聴くのは、本当は辛い。

  • @風来坊-k8e
    @風来坊-k8e 2 роки тому +2

    結局、恋愛も、親子関係も、夫婦も、お互いにわかり合おうなんて言うけど、完全にわかり合うことは出来ないですよね。本当の心の中がわかれば、みんな喧嘩ですよね。

  • @ゴンジートロイメライ
    @ゴンジートロイメライ 3 роки тому +7

    何故寂しいのか?そのように感じるように人間が出来ているから。

    • @byBuddhism
      @byBuddhism  3 роки тому

      そう学んでも寂しい

    • @奥西洋介
      @奥西洋介 3 роки тому

      まったく、その通り。寂しさ背負って楽しい夢描き生きていきましょう。

  • @風来坊-k8e
    @風来坊-k8e 2 роки тому +4

    結局、わかり合うのでは無くて、許し合うことが大切なのではと思いました。

  • @tm3r905
    @tm3r905 3 роки тому +13

    私は、全てのしがらみを捨てて、やっと自分の思う方向へ進み始めて気づきました。
    やっぱり間違いではなかったと、感じています、やはり一人は怖くない。
    洗脳的な大きな力と乖離して、初めて気づく人生かなと思います。
    今、お悩みの皆さん、「お一人様」や「孤独」と言うマイナスの言葉に縛られないで下さい(笑)

    • @リリ子-p5d
      @リリ子-p5d 3 роки тому

      でも、一人は心細いしな。今、一人暮らしの60代です。

  • @いいじゃないの幸せならば
    @いいじゃないの幸せならば 3 роки тому +22

    寂しかったころも一瞬ありましたが、今はもう慣れました。寂しくなるのは寂しくない状態があったからで、寂しくない状態が長く存在しなければ、寂しい状態が常態となり、寂しさは感じなくなりますよ。

  • @Mitann-li8tf
    @Mitann-li8tf 3 роки тому +20

    孤独感をなくしたいと思っておりましたが、これは幻を求めて狩に出でいるものだと気がつきました。相手に期待しないで、求めないと考えると、人間関係が無味乾燥するようで寂しくもあります。しかし、人間とはそんなものであると割り切るなら、諦めの境地で気楽に生きられそうです。ありがとうございました😊

    • @kurohiro6528
      @kurohiro6528 2 роки тому

      人間とはそんなものではありません、楽しいものです、割り切ってあきらめたら君の成長は望めませんよ。

  • @すずらん-l6d
    @すずらん-l6d 3 роки тому +30

    夕暮れときは、寧ろ仕事が終わり、これから‼️というウキウキする♪時間🥳なので、分かり合えないだろう旦那をテキトーにおちょくりながら楽しんで生きて行きたいです。😌
    ありがとうございました😊

    • @byBuddhism
      @byBuddhism  3 роки тому +3

      すてきですね。今後ともよろしくお願いいたします。

  • @ayana0217
    @ayana0217 3 роки тому +6

    すごくすごく、納得しました。
    大切な学びになりました。
    ありがとうございます。

  • @okuto777
    @okuto777 3 роки тому +6

    寂しい=人間の贅沢病。自分の考えを知ってもらいたい(悲しかったこと、嬉しかったこと、感動したこと、辛かったこと)以前は積極的に人と人が密にならないと生活しにくい環境、しかし今は孤立しても生きていける環境。人に気を遣わなければ自分の話も聞いてもらえない・・・只いえることは、あなただけ寂しい、ではなく他の人も自分と同じくらい寂しい・・・人間は考えて考えて答えを出そうとすると、だいたい同じ考えに辿り着く、仏教と関係なくして人間という生き物。

    • @byBuddhism
      @byBuddhism  3 роки тому +5

      他の人も自分と同じくらいさびしい、そうなんですよね。。

  • @ちか-g1h
    @ちか-g1h 2 роки тому +2

    仏教の先生から
    ツインソール、ソールメイト!って
    ワードが出てくるとは思わなかったのでびっくり‼️しました〜
    仏教の世界でもツインソール、ソールメイトの存在はあるとされているんでしょうか?

  • @jumfgqz5qui7tnbp
    @jumfgqz5qui7tnbp 3 роки тому +12

    仏教やはり好き

  • @武森-t9x
    @武森-t9x 3 роки тому +3

    寂しいと感じれる人はまだ正常なんです。人生の最後はボケてしまう。
    アルツハイマーや血管性の脳梗塞などで人間性が失われまるで動物か赤ん坊のようになる。
    寂しさなんて微塵も感じなくなるんです。
    寂しいというのは正常な証ですよ。

  • @入り鉄砲出女
    @入り鉄砲出女 3 роки тому +23

    結婚は二人居ないと出来ないが、葬式は一人でも出来る。
    最後は孤独なのだ。

    • @byBuddhism
      @byBuddhism  3 роки тому +4

      かなりズバッとくる言葉ですね。

    • @あかいろ-w1o
      @あかいろ-w1o 3 роки тому +4

      葬式を一人でどうやってするのですか?

    • @kazu.k.1828
      @kazu.k.1828 3 роки тому +3

      本来は何時も孤独なのをただ紛らわしているだけかもですね。

    • @あかいろ-w1o
      @あかいろ-w1o 3 роки тому +1

      @@kazu.k.1828
      人生良いも悪いも紙一重、考え方次第で幸せにも不幸せにも生きていくことが出来ます。
      たった一度の人生を死ぬまで孤独を感じずに生きていくのも幸せなら、自らの孤独を紛らす方法を知って生きるのも幸せだとおもいます。
      そうやって健気にはかない人生を幸せに生きている人の心に孤独という不安を煽り立て植え付け、反論すれば更なる反論が帰ってくる。
      これが全ての国や宗派に共通する仏教その物の教えだと言うのなら、僕がこの先限られた命を幸せな気持ちで生きて行くうえでゴミ以外の何物でも有りません。
      これは僕の生き方に限っての問題であり、仏教その物を世間的に批判する意見では有りません。

    • @kazu.k.1828
      @kazu.k.1828 3 роки тому

      @@あかいろ-w1o ゴミだなんて言わず出来る限りエンジョイして下さい。
      返信有難うございました。

  • @入り鉄砲出女
    @入り鉄砲出女 3 роки тому +11

    人生は宗教と哲学のバランスで生き長らえる事が出来る。

    • @byBuddhism
      @byBuddhism  3 роки тому +1

      わかる気がします

  • @和田健司
    @和田健司 3 роки тому +9

    人生は死ぬまでの暇潰し
    死なない様に生きながら
    座して死を待つもよし
    苦楽を嗜み死を待つもよし
    独りとは「主観」
    楽しむも苦しむも何もしないも「主観」
    ただ、それだけの事

    • @入り鉄砲出女
      @入り鉄砲出女 3 роки тому

      人生は暇つぶし。これは若い頃から感じておりました、はい。
      真理だと思います。

    • @byBuddhism
      @byBuddhism  3 роки тому +1

      私も仏教を聞くまではそう思っていました。

    • @和田健司
      @和田健司 3 роки тому

      @@byBuddhism
      多分マイナスに取ってらっしゃる。
      だから、幸福。
      もっと言うと、脳が受ける電気信号の種類をコントロールできる。
      幸福とは電気信号の量、その質を選べる自由。

    • @前原房子-w1y
      @前原房子-w1y 3 роки тому

      「人生は
      死ぬまでの
      暇つぶし」
      ⬇️
      なるほど!
      若い頃は外に出て
      いましたが、
      最近は外にでるのが
      おっくうになり、
      暇つぶしに
      スマフォ📱が
      あるので有り難いと
      思っています。

  • @chiec7o6
    @chiec7o6 2 роки тому +12

    寂しいのが本来の人の姿であり、寂しさは死ぬまで自身と共にいることも分かりました。
    例え孤独でも、紛らわせて誤魔化したり、他責にしたり、偏屈な言い訳もつけず、生きるとはそんなものだとまるっと認めたら、不思議と気持ちが明るくなりました✨
    いつも先生のUA-camチャンネルで学ばせていただいてます✨
    ありがとうございます😊

  • @大塚雄三-u6q
    @大塚雄三-u6q 2 роки тому +2

    自分のこと、いろいろの場面で妻とは言い合い喧嘩するときがあります、如何に正常な判断をしてゆくかが課題です。
    このことを勉強するには、やはりいろいろと勉強の題材にチャレンジして自分を高めることが大事と思いますが、
    77歳になり、残された人生有意義にも過ごしたい、あれやこれやと悩んでいます。

  • @スッタニパータパパちん
    @スッタニパータパパちん 2 роки тому +3

    御釈迦様の言葉とは違うなぁ、

  • @kimurell509
    @kimurell509 3 роки тому +3

    パラレルワールドなどと言わることが有りますが、一人一人がその世界で暮らしていると考えれば腑に落ちました。出会う御縁や行動・思考によって自分の世界すら変化していく。因果であって諸行無常ですね。
     自分のことを聞いてもらえる人も居ないし、話せば皆逃げていく。実感です。うまい具合にこの動画シリーズを見せられているように感じます。有り難い。

  • @サラダ-e2e
    @サラダ-e2e Рік тому +2

    魂の連れがいない、寂しいです。
    優しい話し方が身に染みます。
    ありがとうございます。

  • @Dracula0425
    @Dracula0425 2 роки тому +1

    楽しいじゃんかよ。気楽にいこうぜ、ブラザー🤘秋の夕暮れより、夏の日の朝だよ。
    仏教はローテンションだわ。ハイテンションで派手な宗教の方が景気が良くなるんじゃないかな?
    しんみり禁止、ローテンション禁止。ノリのいい世界にしたいよね。

  • @vl3354
    @vl3354 2 роки тому +1

    結局は人生を生きる目的が自分探しの旅なんだったなあと50年生きてた感想だな

  • @三毛歩ち
    @三毛歩ち 3 роки тому +2

    自分は寂しさ侘しさ、時の流れ。いつ事故に遭っても、病気になってもおかしくない肉体。いつも危険にさらされている。安住の地なんてこの世に無い事を忘れたいが為に。悪戯に友達と話したり娯楽にふけったりしています。

  • @shuna9528
    @shuna9528 3 роки тому +3

    自称ツインソウルに聞かせてやりたい
    まぁ聞く耳もたんでしょうけど
    仏教は素晴らしいです

    • @リリ子-p5d
      @リリ子-p5d 3 роки тому

      同じ価値観がいいですよね。
      うちも聞く耳もたず。

  • @ebina0115
    @ebina0115 3 роки тому +19

    すべては思い出だけ、今現在も次の瞬間思い出になる、何かやるせない感じ。

    • @byBuddhism
      @byBuddhism  3 роки тому +4

      ふと感じるやるせなさに仏教は深く目を向けます。

  • @kimagurefoodboy4399
    @kimagurefoodboy4399 3 роки тому +22

    近付こうとすれぱするほど離れる感覚は解りますね😔

    • @byBuddhism
      @byBuddhism  3 роки тому

      難しいものですね。

  • @小平正彦
    @小平正彦 3 роки тому +3

    いつか、必ず、そのうち、きっと分かってくれると思ってた。時間が解決してくれると思ってた。だから辛抱だと思ってた。違う、そんなことはないと分かったのが俺、65才の時、母親の死ぬ1年前、淋しかったです。

  • @KUU555
    @KUU555 3 роки тому +12

    先生のお話し、とても勉強になります😊
    私も、最近同じような事を考えていました。
    優しい家族もいて幸せですが、それとは別に、自分と全く同じ経験をしている人間は私の他に誰一人居ない。
    自分の気持ちを全てわかってくれる存在はこの世の中には無いと思うと、人はどこまでも一人なんだなぁと思います。
    私は、阿弥陀仏とはどういう存在なのか良くわかりません。
    もしよければ動画で教えていただければありがたいです😌

  • @悩み坊や-v3y
    @悩み坊や-v3y 3 роки тому +4

    心の学びになりました😉👍️✨🙆🙇‍♂️

  • @Pacmania100
    @Pacmania100 3 роки тому +6

    その時のお釈迦様にとって自身の人生が「夕暮れの様でさびしい一人旅だ。」と感じた教えであると解釈しました。
    まあ現代でも、人生独りだと自由さよりもさびしさの方が大きいと思う時は多いよ。季節の冬に例えたい場合もある。
    なんだかんだ言っても、人に囲まれて関わりがある方が良いと感じるね。人間関係の煩わしもたかが知れると実感。

    • @byBuddhism
      @byBuddhism  3 роки тому +4

      孤独が寂しく、人と寄り添うと今度は煩わしい思いをする。ままにはならない世の中です。

  • @坂本龍馬-c1f
    @坂本龍馬-c1f 3 роки тому +7

    仏教系の短大で人間学学んでも、どこかの宗教に属しても、人生の寂しさというテーマに、頷き、拝見させてもらいコメントも全部見ました。様々な考え方はあるけど、同じように寂しいと思っている人がいるだけで、なぜか、慰められるような気もする。結婚して25年になるけどパートナーはただの同居人。愛し愛されて仲良し夫婦も、仮面夫婦も、既婚者も、独身者も、とにかく死ぬ時はひとりで死ぬしかなく。生まれてこない人はいても死なない人はいない。なんという平等なの。限られた時間の中で、常に変わっていく中で、生きている、いや、生かされている?抗うことが出来ないようで、なんだか、みんな、懸命に抗っているような。健気さたくましさを感じたり。よく、1日1日を大事に生きなさい!!って言うけど、それは背中合わせの死を身近に感じた時にしか、意識できない感覚だと思う。

  • @aogaki15
    @aogaki15 2 роки тому +3

    菊谷さん、初めまして
    本日令和4年5月24日に初めて動画を拝見いたしました。
    ものすごく人の心に寄り添った考えだなと感じました。
    また、菊谷さんの話す姿勢に、どことなく「虚しさ」を感じました。
    今、僕は42歳ですが、この歳になってようやく、人生とは孤独で虚しいものなんだなと実感して過ごしています。

  • @やすゆき-w7e
    @やすゆき-w7e 3 роки тому +9

    楽しさも寂しさも超えるところに仏教の目指すところがある

    • @byBuddhism
      @byBuddhism  3 роки тому +1

      究極的にはそうです。

  • @sanneko2397
    @sanneko2397 3 роки тому +3

    寂しさを感じる話は理解出来るけど、その解決法が仏教に頼るっていう非常に抽象的説明で安っぽい宗教話に感じた。
    仏教って意外と論理的発想が多い宗教だと思ってたんだけど。

  • @azimashunyam7939
    @azimashunyam7939 3 роки тому +11

    親鸞聖人の教えが、生きることの寂しさから救ってくれるとは!絶対の幸福が孤独地獄からの解放であることが、よくわかりました。ありがとうございました。

  • @tuki49660
    @tuki49660 3 роки тому +6

    寂しさ底なし設定は繫殖本能と人の心は空しゅうあれという教え。空しゅう心がなければ人の痛みもわからないし魂の成長もない。

    • @byBuddhism
      @byBuddhism  3 роки тому

      むなしゅう心ですか

  • @cufk1101
    @cufk1101 3 роки тому +4

    永久保存版にしたい位の 素晴らしい説法でした。
    余談ですが 私もティーンエージャーの頃 山口百恵さんの大ファンでした。
    菊谷先生 本日もありがとうございました。

    • @freeway104
      @freeway104 3 роки тому

      ハハハ、ガンバレよw

  • @sukoyaka369
    @sukoyaka369 3 роки тому +12

    いつも有り難うございます🙏
    寂しい時一番心和むのは子供達のが幸せそうに食べてたり、明るさ100%で笑っていたり、驚くほどの輝き魅せてくれる時..,,
    そして夫とゆったりしている時....
    宇宙はやっぱり愛もって最終子供達大事にせよって事なのかなぁ〜、愛こそ宇宙の法則に思う今日この頃🍂

  • @鳥居万字郎
    @鳥居万字郎 4 роки тому +14

    幼い頃に愛された記憶がなかったりすると分かってもらう事を求めたりしてしまいますね。それを求めてしまうから道に迷うのかもしれませんね

    • @byBuddhism
      @byBuddhism  4 роки тому +9

      「この人には知ってほしい」と思っても、その人がわかってくれない、これを「二人の孤独は一人の孤独より深い」といわれます。

    • @鳥居万字郎
      @鳥居万字郎 4 роки тому +1

      @@桜ゆな-j4o 人はわかり会えるというのは幻想のようなものですからね。だから受け入れてもらう努力がいるわけです。まずは相手を尊敬するところから始めなければなりません

  • @湘南の空
    @湘南の空 2 роки тому

    世界宗教には、大まかに言って二つのパターンがあると思いますね。それは外向的宗教と内向的宗教。外向的宗教はキリスト教やイスラム教といっていいでしょう。この外向的宗教には魂を互いに高揚させる手段を持っているようです。それは互いに讃美歌を歌い、モスクで礼拝する・・。ヒンドゥー教にも歌ったり踊ったり神との一体をたたえたりします。しかし、仏教には、あんまりそういうのは無いみたいですね。ブッダは、共に歩むものがいなければ一人で歩め・・とか元々、家族を捨て出家した人。寂しいというのは・・元々の教祖様の生き方からきているのかもしれませんね。

  • @片岡美代子-r3z
    @片岡美代子-r3z 3 роки тому +3

    ひとりひとりの業界があるんですね。なぜ何故どうしてこんな結果になるの?と自分に問かけてきました。阿弥陀仏の大慈悲で救われているんですね。有り難うございました。まだまだ聞かせて頂きます。🤗🌸

  • @pipi200071
    @pipi200071 3 роки тому +2

    『柔肌の熱き血潮にふれもみで 寂しからずや 道を説く君』ってありましたけど、仏陀は、柔肌に触れても、それでも満たされない寂しさを感じ、出家したわけですね。

  • @寺島敏幸-y9f
    @寺島敏幸-y9f 3 роки тому +1

    後生の一大事の解決をして極楽浄土に往生出来る身になった事は喜ばずには居られない事ですが、はてさて仏になるとは一体どうゆう事なんでしょうか?
    いきなり阿弥陀様の様な如来になれるはずもないが、弥勒菩薩と肩を並べ、亡くなったらお先ごめんと仏になれる、これほどの喜びはありませんが、私達がなる仏とはいったいどの様な仏になる事なんでしょうか?

  • @豊豊-s6t
    @豊豊-s6t 3 роки тому +15

    16年前に離婚し子供二人独立し現在90歳の母と二人暮らしです 【なぜ人生はさびしいのか】私の心が呼び寄せてくれたチャンネルでした
    数年前に買った本も【なぜ生きる】でした 【なぜ生きる2】もすぐに購入していた事にも 今回とてもご縁を感じでいます
    何年か前から「どうせ死ぬのになぜ生きる」その答え探しの旅を続けています
    分かりやすいお話に引き込まれております

    • @byBuddhism
      @byBuddhism  3 роки тому

      ありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。

    • @入り鉄砲出女
      @入り鉄砲出女 3 роки тому +2

      90歳の親と60歳の子供。親はいつ子供が帰宅しても良いように生きる。このご時世である。
      傷ついた子供が帰宅した時、親子は存在意義を自覚するのだ。

    • @kloos-s.c.h-7163
      @kloos-s.c.h-7163 3 роки тому +4

      なにもそんなに深刻に難しく考えないで、生きるために生まれてきたのだから死ぬまで " 生きる " でよいと.私はおもってます。

  • @平虚空蔵
    @平虚空蔵 3 роки тому +4

    寂しさを楽しめば
    寂しさは苦痛でなくなるよ!
    阿弥陀さんが理解してくれても
    もっともっとと!
    苦痛の元を作り出すよ!
    死を葬儀で飾る動物はヒトだけ!
    本来の死は
    子孫に自己の必要性がなくなったことを思い知らされ
    ゴミになって
    野垂れ死に
    この本来の死にこそ幸福があるのでは?
    子供が小さく 父ちゃん母ちゃんが必要な時に死んだら・・・
    種芋は親芋に吸収されて・・・
    洗脳されて価値観ずれてるから
    理解困難と思うけど!
    自然に学ぼうよ!
    葬儀を飾るのは金融資本家のたくらみだよ!
    たぶんね!

    • @byBuddhism
      @byBuddhism  3 роки тому

      さびしさを楽しめるような人はなかなかいないので、阿弥陀仏の本願があるのです。

  • @川上巧
    @川上巧 2 роки тому +1

    一人で居るから寂しい

  • @581625
    @581625 3 роки тому +2

    自分の世界に居る事(逃れられない事)を理解できないが故に、人の世界で生きたいと思う人ばかり。
    特別になりたいと思いながら、人と同じでないと不安になってしまう。
    「共感」と言うのは、自分を認めて欲しいと言う思いからくる、駄々かもしれません。
    それらが無くなる事はないのかもしれませんが、すべての人が隔たりを心から理解出来た時に
    「さびしい」を克服出来るのかもしれないと思います。
    しかし人は寂しさすらも「欲している」ので、きっとそれは無理なのでしょう。

  • @桑田諦命
    @桑田諦命 2 роки тому +2

    私が子供の頃、心の底で願っていたのは「無限の悪業」だったのか。

  • @高松ルミ子-z8v
    @高松ルミ子-z8v 3 роки тому +27

    素敵なお話しですね。

    • @byBuddhism
      @byBuddhism  3 роки тому +3

      今後も頑張りたいと思います。

  • @みかん-y4j1q
    @みかん-y4j1q 3 роки тому +9

    昔の金曜ロードショーの夕暮れみたいな、というコメントありましたが、同感です。なにか人生の本質があると子供の頃から思ってました。それは阿弥陀仏の本願に救われた後の世界なのだと動画を見ながら感激します。早く救われたいです。

  • @wanagaya
    @wanagaya 3 роки тому +10

    寂しいと思うほどに、未練が薄れて気持ちが晴れてくる。満たされるほどに後に来る寂しさは大きいものだ。

    • @byBuddhism
      @byBuddhism  3 роки тому +1

      花火の後の夜空は暗い、という言葉もあります。

  • @佐藤洋之-u3h
    @佐藤洋之-u3h 3 роки тому +4

    自分が楽しいと思えば良いだけ。
    自分が幸せと思えば良いだけ。

  • @PilgrImageピルグリメージ
    @PilgrImageピルグリメージ 3 роки тому +13

    サイの角のように一人歩め、という原始仏典にあるブッダの言葉が僕は大好きです。覚悟が決まってきます。この言葉を思い出すと、自分がサイの背中に乗り、前を見る自分の視界の中にサイの角が一本一人悠然と進んでいる、そんな光景が見えます。

    • @byBuddhism
      @byBuddhism  3 роки тому +2

      私もそのブッダの言葉は惹かれます。

  • @mission1934
    @mission1934 Рік тому +1

    仕事で壁にぶつかり、お話が身に沁みました。私はおばあちゃん子で困り事があると相談してましたが亡くなってしまい、相談相手も居なくなってしまいました。このお話に出会えて良かったと思います。

  • @峰松三枝子
    @峰松三枝子 3 роки тому +6

    人生の黄昏に(年を取ってからの)一緒に病を励まし合えて手を握るだけで、寂しさと言うのは少しは紛れるのでは??それさえ寂しいと感じる人生はなんなんでしょうね。手を握りしめてやれたら、相手は一人じゃないって、感じてくれないのかな??訳分からないコメントですみません、、

    • @byBuddhism
      @byBuddhism  3 роки тому

      すごくそういうことが大事だと思います。

  • @mocchy99
    @mocchy99 2 роки тому +2

    近づくほど分かりあえない…って分かる気がします(^^

  • @eikoyamamoto2146
    @eikoyamamoto2146 3 роки тому +5

    とても分かりやすく、歌っちゃうところもおもしろく、よかったです。
    たんにしょう、もう一度読みたくなりました。

    • @byBuddhism
      @byBuddhism  3 роки тому +4

      ありがとうございます。恥かいてもいいやと50にもなってUA-camしてます。

  • @三宅隆雄
    @三宅隆雄 3 роки тому +1

    魂の連れはいます。独りぼっちの旅ではなくて来世自分と入れ替わって地上に生まれ来る守護霊が今は自分の行いを見守る役割をしていて間違っていれば警告をインスピレーションでしてくれるのです。世の中の為になることをしていれば一段上の指導霊がつきます。常に色々と世話をやいてくれます。ですから独りさみしいということは絶対ないのです。しかし自分のことしか考えていない人には守護霊も指導霊も付きません。逆に悪霊が付いて人に迷惑をかけるインスピレーションを送り犯罪者になるようにそそのかす場合もあるのです。参考書籍は幸福の科学出版発行です。

  • @か路傍の石
    @か路傍の石 3 роки тому +7

    確かに虚しく寂しいと思う、人生に何の意味があるかと思う。

    • @byBuddhism
      @byBuddhism  3 роки тому

      そこから仏教はスタートします。

  • @ARATA0414
    @ARATA0414 3 роки тому +1

    カウンセラーと名がある方が、お気持ちよく分かります、とかよく使う言葉ですが半分信じない方がよいですよね。

  • @satoruchibana
    @satoruchibana 3 роки тому +2

    Sekai no shikumi ga Rifujin dakara dato omoimasu...Trump-san ni taishite
    no feaa puree(fair play) o mitara wakarimasu. Trump-san wa zettai ni katsu.
    Soshite Sekai wa atarashii Hatsumoode ga kimasu. Mina-san tanoshimi ni
    omachi kudasai ne. Stay Positive(kujikeru na) Ganbare Nippon !!!

  • @船迫佳子-i4c
    @船迫佳子-i4c 3 роки тому +1

    確かに、親しくなれればなれるほど、逆に寂しく感じられる人間界では・・・。心と心の触れ合いまでは得られないですよね~!? ありとあらゆる全てをさらけ出すことが逆に己を苦しめる結果になることに不安を覚えるようになりそうだからです。仏様に対してなら話せる、聴いてもらえる対象があれば心が救われ、寂しさや虚しさに苛まれることが無くなるのかな・・・・・・。いろいろな事に気づかされます。気付きのない人生そのもが虚しさや、寂しさを感じさせてるのでしょうか・・・・。そんな気がしました。

  • @hiroaki1014
    @hiroaki1014 3 роки тому +2

    何か昔から抱いていた心のもやもやが一つ理解できたような気がしました。チャンネル登録させていただきます。小冊子読んでみたいです。

  • @soundroot
    @soundroot 3 роки тому +1

    親鸞よりキクタニだろ今の時代w

  • @ぼやぼや-l6w
    @ぼやぼや-l6w 3 роки тому +2

    結局寂しさを紛らわしても最終的には孤独で解決には至らずと言う事ですか?

  • @simonsnabechi5277
    @simonsnabechi5277 2 роки тому +1

    こんなにズバリ当てられると、返す言葉もありません。楽しかった新婚生活、自身の子、親との確執、離婚。結婚してもひとりぼっちでした。すべてお金、貧乏のせいだと思ってましたが違いますね。少しだけ救われました。

  • @岡山の初老爺
    @岡山の初老爺 3 роки тому +3

    菊谷先生を以前どこかで見たような無いような印象でしたのでプロフにも目を通しましたが、分かりませんでした。私の気のせいだったかも知れません。フリーランスの講師をされてるのでしょうか?
    私は遠方に在住してますから多分直接合う機会は無さそうですが、菊谷先生は、どうやって誰から親鸞聖人の御教えを学ばれたのでしょうか?

    • @byBuddhism
      @byBuddhism  3 роки тому

      フリーランスの講師です。東京にずっと住んでいて、大阪や名古屋でも時々公開講座を開いていました。師は高森顕徹先生です。

  • @坂東美智子-g6z
    @坂東美智子-g6z Рік тому

    山口百恵の歌をすべて作詞作曲題名を書いたのは坂東美智子ですいい日旅立ちの歌を作詞作曲題名を書いたのは私が橋本中学校の2年生の時に書いた歌です秋桜の歌を作詞作曲題名を書いたのも私です2年生の時に書いた歌です教室で歌ってあります盗人が谷村新司です盗人がさだまさしです盗人作詞作曲者ばかりが住む東京です私は裁判所に行けない程暴力を受け暴力をふるい続けた宮崎柳原暴力犯罪者昭和25年暴力犯罪者集団が71年逮捕されませんでした