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私が高校を卒業した年に親父がパラオに行ってました。ものすごい親日国で、どこでも歓迎されて日本語で話しかけられたそうな😀
ご視聴ありがとうございます。いつまでもそうした関係が続くといいですね。
ちょっと大雑把になってしまいますが旧陸軍の話をさせていただきます。戦前・戦中は徴兵検査を受けてそれに「合格」した者はその県内に有る部隊に配属されていました。例えば、茨城県人で徴兵検査に合格した者は旧陸軍第14師団歩兵第2連隊(通称「水戸連隊」)に配属され、栃木県人で合格した者は旧陸軍第14師団歩兵第59連隊(通称「宇都宮連隊」)に配属され、群馬県人で合格した者は旧陸軍第14師団歩兵第15連隊(通称「高崎連隊」)に配属され、そこで軍隊生活を送っておりました。大東亜戦争末期、パラオのパラオ本島を守っていたのは高崎連隊所属の兵隊さん、平たく言えば群馬県人たち。ベリリュー島を守っていたのは水戸連隊所属の兵隊さん、アンガウル島を守っていたのは宇都宮連隊所属の兵隊さんでした。以上のような経緯を踏まえれば、平成27年4月、天皇皇后両陛下が慰霊のために初めてパラオを訪問されましたことは北関東3県の人々にとってはたいへん大きな「意義」のある筈のものでした。しかし、3県では県民はおろか地元のマスメディアでさえもその「意義」に殆ど気づきませんでした。「ベリリュー」と聞けば、茨城県民であれば、「それ、もしかして、我が郷土茨城の郷土部隊「歩兵第2連隊」が守っていた島であったんでないの。そこを両陛下がわざわざ訪問されて、慰霊をしてくれたんだ。(ありがたいことだ。)」ぐらいに思って当然。しかし、そういった声は皆無でした。戦争の記憶は思いっきり風化してしまっていたのです。なお、パラオ本島には高崎湾、ベリリュー島には水戸山や水府山、アンガウル島には那須岬や鬼怒岬や二荒山や野州ヶ浜と呼ばれていた場所が今も残っております。
コメントありがとうございます。貴重なお話しありがとうございます。稚拙な動画にこのようなご意見頂戴できることは、大変ありがたいことです。今後も、 皆さんのご意見を反映させた動画を作る機会が得られるようご指導戴ければ幸いです。
😅4
講談社刊『ベリリュー・沖縄戦記』(E・B・スレッジ著、伊藤真・曾田和子訳)などが参考になりますが、パラオのベリリュー島での戦いは一言で云えば、米第一海兵師団と旧陸軍第14師団歩兵第2連隊(通称水戸連隊)の戦いでした。それに参加した兵隊さんは「筑波の山は雲を衝き 霞ヶ浦の浦波や 春は変わど咲く毎に 香りは高き梅の花 あゝ我が水戸の二連隊 茨城健児のその名こそ 名はあめつちにかがやかむ」といういかにも茨城県人らしい歌詞の「連隊歌」を歌いながら死闘を繰り広げ死んで行ったのです。因みにパラオのアンガウル島で米軍と戦った歩兵第第59連隊(通称宇都宮連隊)の「連隊歌」の歌詞は「武運めでたき宇都宮 神風そよぐ二荒山 宝木原に屯せる 栃木歩兵の精鋭は (中略) 日光山や那須が岳 (中略)男体山や鬼怒の水」でした。なお、下野新聞社刊『日本陸軍の精鋭 第14師団史』や毎日新聞社刊『サクラ サクラ ベリリュー島洞窟戦』も参考になりますが、前者の著者は茨城県猿島郡の人、後者の著者は栃木県上都賀郡の人。2人ともあの戦争で郷土部隊「水戸連隊」や郷土部隊「宇都宮連隊」はどう戦ったのか。それを明らかにしてくれております。
戦略・戦術面で考えをコメントしてくれ。
今何かと、話題になってる2世の政治屋に頭押さえつけて見させてやりたい!
ご視聴ありがとうございます。日本人の心に 御仏に恥じないよう正しく生きる。人のために生きてこそ、美しい生き方だと後世に伝えたいものですね。
英霊のことを思うと現状の日本が情けなくて涙がでる
なにが情けなくなるの?具体的に教えてくれ。
@@tamotsusuzuki6473 う~ん具体的にですか、まあそう言うところなんです。とでも言っておきます
@@yamaokadennki 飽食時代生まれのヤスクニカブレの戯言。
@@yamaokadennki 死んだ爺様のヨタ話を聞き飽食時代に生まれ、育ったヤスクニカブレ野郎。
@@tamotsusuzuki6473 はいはい、さようでございますか
ご先祖様と英霊に感謝します。パラオの人たちも日本人のご遺体を丁寧に埋葬してくださりありがとうございました。
コメントありがとうございます。先達の生き方の恥じないよう生きたいものですね。
あほなコメントがこの種のもので多い。ところで陸海軍の初年兵相手の壮絶なリンチのこの連中は耐えられるかな?。
涙が止まらない。大日本帝国万歳
コメントありがとうございます。先人達の努力を汚さず生きていきたいものですね。
シュガーローフと硫黄島の戦いも検索してね( ☞ ・Д・)☞
歴史は勝者によって記される。学校で教えられる歴史は本当であったか?鵜呑みにせず調べ考えることが大切ではないでしょうか。文字通り捨て石となって、時間を稼ぎ、敵の戦意をそいでくれた英雄を埋葬してくれたパラオの人々には感謝しかない。そのパラオ独立の際に祝意を示さなかった日本の傀儡には失望しかない。
ご視聴ありがとうございます。平成16年にペリリュー島において、カナダのテレビクルーが無許可で壕を重機で開け、パラオ当局による取り締まりを受けました。またその後、遺骨収集活動の規制が強化されました。現在でも日本人の墓や壕を慈しみ守ってくれている証しだと思います。先達の戦士達が如何にパラオの人々の信頼を得ることが出来たか。これからも信頼を汚すような事があってはいけませんよね。
私が高校を卒業した年に親父がパラオに行ってました。ものすごい親日国で、どこでも歓迎されて日本語で話しかけられたそうな😀
ご視聴ありがとうございます。いつまでもそうした関係が続くといいですね。
ちょっと大雑把になってしまいますが旧陸軍の話をさせていただきます。戦前・戦中は徴兵検査を受けてそれに「合格」した者はその県内に有る部隊に配属されていました。例えば、茨城県人で徴兵検査に合格した者は旧陸軍第14師団歩兵第2連隊(通称「水戸連隊」)に配属され、栃木県人で合格した者は旧陸軍第14師団歩兵第59連隊(通称「宇都宮連隊」)に配属され、群馬県人で合格した者は旧陸軍第14師団歩兵第15連隊(通称「高崎連隊」)に配属され、そこで軍隊生活を送っておりました。大東亜戦争末期、パラオのパラオ本島を守っていたのは高崎連隊所属の兵隊さん、平たく言えば群馬県人たち。ベリリュー島を守っていたのは水戸連隊所属の兵隊さん、アンガウル島を守っていたのは宇都宮連隊所属の兵隊さんでした。以上のような経緯を踏まえれば、平成27年4月、天皇皇后両陛下が慰霊のために初めてパラオを訪問されましたことは北関東3県の人々にとってはたいへん大きな「意義」のある筈のものでした。しかし、3県では県民はおろか地元のマスメディアでさえもその「意義」に殆ど気づきませんでした。「ベリリュー」と聞けば、茨城県民であれば、「それ、もしかして、我が郷土茨城の郷土部隊「歩兵第2連隊」が守っていた島であったんでないの。そこを両陛下がわざわざ訪問されて、慰霊をしてくれたんだ。(ありがたいことだ。)」ぐらいに思って当然。しかし、そういった声は皆無でした。戦争の記憶は思いっきり風化してしまっていたのです。なお、パラオ本島には高崎湾、ベリリュー島には水戸山や水府山、アンガウル島には那須岬や鬼怒岬や二荒山や野州ヶ浜と呼ばれていた場所が今も残っております。
コメントありがとうございます。
貴重なお話しありがとうございます。稚拙な動画にこのようなご意見頂戴できることは、大変ありがたいことです。
今後も、 皆さんのご意見を反映させた動画を作る機会が得られるようご指導戴ければ幸いです。
😅4
講談社刊『ベリリュー・沖縄戦記』(E・B・スレッジ著、伊藤真・曾田和子訳)などが参考になりますが、パラオのベリリュー島での戦いは一言で云えば、米第一海兵師団と旧陸軍第14師団歩兵第2連隊(通称水戸連隊)の戦いでした。それに参加した兵隊さんは「筑波の山は雲を衝き 霞ヶ浦の浦波や 春は変わど咲く毎に 香りは高き梅の花 あゝ我が水戸の二連隊 茨城健児のその名こそ 名はあめつちにかがやかむ」といういかにも茨城県人らしい歌詞の「連隊歌」を歌いながら死闘を繰り広げ死んで行ったのです。因みにパラオのアンガウル島で米軍と戦った歩兵第第59連隊(通称宇都宮連隊)の「連隊歌」の歌詞は「武運めでたき宇都宮 神風そよぐ二荒山 宝木原に屯せる 栃木歩兵の精鋭は (中略) 日光山や那須が岳 (中略)男体山や鬼怒の水」でした。なお、下野新聞社刊『日本陸軍の精鋭 第14師団史』や毎日新聞社刊『サクラ サクラ ベリリュー島洞窟戦』も参考になりますが、前者の著者は茨城県猿島郡の人、後者の著者は栃木県上都賀郡の人。2人ともあの戦争で郷土部隊「水戸連隊」や郷土部隊「宇都宮連隊」はどう戦ったのか。それを明らかにしてくれております。
戦略・戦術面で考えをコメントしてくれ。
今何かと、話題になってる2世の政治屋に頭押さえつけて見させてやりたい!
ご視聴ありがとうございます。日本人の心に 御仏に恥じないよう正しく生きる。人のために生きてこそ、美しい生き方だと後世に伝えたいものですね。
英霊のことを思うと現状の日本が情けなくて涙がでる
なにが情けなくなるの?具体的に教えてくれ。
@@tamotsusuzuki6473 う~ん具体的にですか、まあそう言うところなんです。とでも言っておきます
@@yamaokadennki 飽食時代生まれのヤスクニカブレの戯言。
@@yamaokadennki 死んだ爺様のヨタ話を聞き飽食時代に生まれ、育ったヤスクニカブレ野郎。
@@tamotsusuzuki6473 はいはい、さようでございますか
ご先祖様と英霊に感謝します。パラオの人たちも日本人のご遺体を丁寧に埋葬してくださりありがとうございました。
コメントありがとうございます。先達の生き方の恥じないよう生きたいものですね。
あほなコメントがこの種のもので多い。ところで陸海軍の初年兵相手の壮絶なリンチのこの連中は耐えられるかな?。
涙が止まらない。大日本帝国万歳
コメントありがとうございます。先人達の努力を汚さず生きていきたいものですね。
シュガーローフと硫黄島の戦いも検索してね( ☞ ・Д・)☞
歴史は勝者によって記される。
学校で教えられる歴史は本当であったか?鵜呑みにせず調べ考えることが大切ではないでしょうか。
文字通り捨て石となって、時間を稼ぎ、敵の戦意をそいでくれた英雄を埋葬してくれたパラオの人々には感謝しかない。
そのパラオ独立の際に祝意を示さなかった日本の傀儡には失望しかない。
ご視聴ありがとうございます。平成16年にペリリュー島において、カナダのテレビクルーが無許可で壕を重機で開け、パラオ当局による取り締まりを受けました。またその後、遺骨収集活動の規制が強化されました。現在でも日本人の墓や壕を慈しみ守ってくれている証しだと思います。先達の戦士達が如何にパラオの人々の信頼を得ることが出来たか。これからも信頼を汚すような事があってはいけませんよね。