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シティーポップを日本語で分析出来るオーストリア人。しかも無茶苦茶美人!レアな人材だね❤
日本語歌唱も非常に自然な域に達してるのは凄い今は各ジャンルで欧米にも日本語の歌詞に抵抗なく聞いてもらえる…かえって日本語がウリにさえなってると思うよ
やなっちのシティポップの解説は、本当に新鮮で勉強になりました。最初は聞き流していたんだけど、えっ待てよ待てよ待てよって感じて、巻き戻して?聞き入ってしまいました。この子凄いな〜改めて、恐れ入りました。。時代背景と音楽までお話が拡がったかと思えば、コード進行の微妙な差がその曲全体のテイストを支配しているんですって素人にもわかるように教えてくれて、、このような話をもっと聴きたいです。
確かにシティポップは聴いていて何だかしみる感じがしますね😊
80年代のシティポップってめちゃ新鮮に聞こえるし、お母さんお父さんの青春ソングだからカラオケで一緒に歌えるから楽しいよね。
日本バブルの時代✨私は当時、中学生でしたが竹内まりあの『夢の続き』って曲が好きでよく聴いていました♪ やなちゃんも、良ければ聴いてみて‼️
日本の名曲を外国人が評価してくれるのは嬉しいね。🤗
今シティーポップと言われている曲は、昔リアルタイムで聞いていましたし、山下達郎なんかはとても好きでした。それが今になって世界中で聞かれているとは不思議な感じですがうれしいです。やなさんの動画は最近よく見させてもらってますが、今回もシティーポップについて外国人の視点から日本語で解説してくれるのでとても興味使いですし、弾き語りも本当に素敵ですね。
私の青春時代です。40年位かな良い時代でしたね🎉今は、定年して懐かしい時代ですね❗当然その同時の時代と歌もね🎵
1983かな、ちょうどそのころ、22くらいで田舎の親の家にはオメオメと帰れないし、アパートの家賃もヤバくなって、合コンで2回合ってしまった巨大なメスの怪獣のアパートに転がり込んで、ヤツのドメスの的になっても活力が湧いてこなくて、されるがままの半年間の蟄居。北関東なので1000円で東北線の切符買えたので、親の家に逃げ込んでアルバイトしてたら、養育費の件で赤羽の裁判所に呼び出されて、向こう12年の支払いを命じられてしまった。半年で何べんやったかな、ほんとに俺の子どもなんか?いやあ、どっから見てもオレにそっくりな黒いデコッパチの女の子が、絶対逃げらんない証拠物件として泣き喚いてました。ふんぎゃあふんぎゃあ、と。
やなっちがシティポップを語ってくれるとは思わなかった。弾いて歌ってくれました。勉強になりました。
もうすぐチャンネル登録者4万6千人ですね🎉日本の80年代のポップスが海外でヒットして本当に嬉しいですね、やなっちさん日本に永住して下さいね🇯🇵今日もスタイル良くて綺麗でやなっちさんしか勝たん👍やなっちさん愛してますよ❤毎日めちゃくちゃ暑いので小まめに水分補給をしっかりして熱中症で倒れないように気をつけて下さいね🥵いつもやなっちさんを応援していますよ📣
洋楽オタクの山下達郎や大瀧詠一などの人々が全力で好きな洋楽再現したら、どうにも消しようがない日本人の侘び寂びという感性が入ってしまったもの。それがシティポップだと思います。
それは言える。別の言い方をすれば、フィル・スペクターに憧れて歌謡曲を否定しようと思っていた彼らが、日本の歌謡曲を完成させたんです。
@@KohyuNishimura 概ね賛同だけど、大瀧も山下も歌謡曲を「隠し味」で使っていて否定してはないでしょう。クレージキャッツ・渡り鳥シリーズ時代の小林旭の楽曲を「再発見」したのは、大瀧。森進一・小林旭への提供曲は演歌の味を生かした曲で、「渚の石川五右衛門」という隠れた名曲もあります。山下の語尾の伸ばし方は結構、演歌ですよ。
@@神々の黄昏-e7f 納得です!
曲の魅力をあふれる笑顔で話してくれてとても、気持ちのいい動画でした。素敵です。曲も素敵だけど、案内するプロセスがとてもよかった。わかりやすいし、なにより、なつかしい。こんないい動画ありがとう。
耳に残るキャッチーなメロディーと打ち込みリズムが採用される以前の乗りの良さは時代を超えて愛される音楽ですね。やないもさんのコード進行解説はわかりやすかったよ。歌声についてはキーを下げたほうが大人の雰囲気が出るのではないかと思います。
80年代に青春期を過ごした私ですが、やなっちは、よく「シティーポップ」のツボをつかんでいるなぁーと、感心しちゃっています。じつに正確に認識していますネ。
やっぱやなっちは音楽の話してるときの熱量がすごいね!さすがミュージシャン!関ジャムとかに出て外国人目線でJPOPについて語って欲しいよ
やなっち日本語うまいですねシティポップと呼ばれてるのは知りませんでしたが私自身バブル時代から、今までずーっと好きで聴いているのでこんな風に評価されtるなんて嬉しいです。
当時 日本のチャートではアイドル、演歌、シィティーポップ、ロック、そして洋楽が上位を争うように混在していた時代でした。邦楽も洋楽も名曲で溢れてました。最近の曲も聞きますが、今でも70年代、80年代の曲は良く聴きますよ。
80年代は学生から就職して、給料も毎年上がって今よりもずっと豊かさがあったなぁ😊その頃は昨日よも今日、今日よりも明日が確実に豊かになっていく予感があって、音楽🎵もそんな感じのものが流行っていた感じ。
7th多用は60-70年代に入ってきたボサノバ、AORとかやっぱり洋楽の影響ですよねおしゃれ、都会的になりますボサノバ愛好家人口は本国ブラジルではなく日本が一番多いらしいので日本人の琴線に触れるコードであることは間違いないです欧米では主流じゃなかったので新鮮に聞こえるんでしょう
ヤナさんが歌うだけでメローな中に現代的な感じが加わってカッコいいですね!フルバージョンで聴いてみたいです〜❤
80年代の日本の音楽界は実力者揃いですよ。
制作者だけでも、売野さんや林哲司さん、織田哲郎さん。演奏で細野さん、小田さん、財津さん、坂本教授。好きな方だけでも100人に余ります。聖子ちゃんのアルバムに凝縮してますね。
1980年代の、いや70年代後半から、日本の音楽シーンは非常にレベルが高かったのです。ハッピーエンドやキャラメルママが歌謡曲を否定するアレンジを志向して新しい試みをしていたけど、当時歌謡曲のアレンジを始めた萩田光雄さんも同様に素晴らしいアレンジをしていた。日本のPOPSという次元では、同じ作業をしていたのだと思います。ユーミンの「飛行機雲」当時から「ニューミュージック」という言葉が出始めたけれど、ニューもオールドも、そういう区分は実はなかったのではないかと思います。
本当に、日本語上手ですね。
コーカソイドのハーフ人よりお顔が日本人の感じ。中身は実は在外日本人ではないかという説もあるようです。そうだとすればさすがに企画ものらしくて、オーストリアだかルクセンブルグなんていう謎に包まれた母国が設定されてます。インチキブロンドもいかにもそれらしい。
世界的に日本の音楽が流行ってきてるのは、やないも。にとって追い風ですね。外国人で自作の日本語の曲で世界に激震を走らせるという、今までに例のない偉業を成し遂げてほしいです。その伝説のはじまりは新宿ACBっスよ!カラオケ配信以来の松原みきさん良かったです!
やなさんはウイーン大学で、まるで美学や音楽理論、文化人類学まで勉強したような幅広い分野から、21世紀の今世界的人気になった1980年代のJ-pop、シティポップの分析を的確にしています。感心しました。音楽理論は好きじゃないって、正直に言っていますが、やなさんの音楽理論を自然に展開しています。エモいといった「Plastic Love」のコード進行は、実は歌謡曲にある日本人のメンタリティに根差した日本人の情緒を表現していると思います。
演奏しながら説明してくれるので、とてもありがたいです。
言葉の壁を越えて海外の方が時代背景を感じ取ってくれてる事実がエモすぎる。CityPopカバー集byやないも、いずれ聴いてみたい。
楽しい動画。いつもありがとうございます。歌ももちろん大好きです。
アイドルと対極にあった才能ある方々が自分の音楽を打ちだした。また、ミュージシャン達も一流でしたからボーカル無しでも楽器演奏オンリーも楽しめる。確かにお洒落だし情景が浮かぶ情緒もあるよね。私は単なる歌手、単なるバンドというよりも「職人」だと思っています。❤
バブル時代20代でしたが、よく働き、よく遊ぶという時代でした。”24時間働けますか”というコマーシャルを何の疑問もなく聞いていた時代。Discoにはダサい恰好をしていると入れてもらえない服装チェックもあり、皆はしごをしてましたね。City Popというと当時の夜の都会で繰り広げられる、ほろ苦くも甘酸っぱい恋愛を描いたものという印象があるのですが、時代も地域も違う人達に、リアルで聞いていた私たちと同じなつかしい印象を持たれるのは、驚きでもあり、うれしくもあります。
芸能界も一般の社会も潤っていましたよね!
80年代は日本だけじゃなく西洋音楽も素晴らしい。また日本も西洋もお互い影響し合ってた時代。そしてそれぞれが独創的な音楽を作ってた。それぞれ素晴らしい才能を持ったアーティストがいた。
そんなに海外で聞かれているとは知りませんでしたので、面白いお話でした
おもしろかった。そしてなによりかわいいーーーー
世界はリズムが主流。日本はメロディーが主流。だからか日本ではヒップホップが流行りにくい。世界からはよく日本の歌は古くさいとよく言われてた。でも日本は世界の流行について行かず、自分らしさを貫き通した国。ヾ(o´∀`o)ノ
いや、日本の歌が古臭い、と思われていたのは幻想だったんですね。
80年代にも生きてたおっさんからしても、キラキラしてた時代ですね。夢と希望しかなかった時代。
やなっちが80年代のシティーポップを語ってくれてとても嬉しいです。私もその頃バンド組んでました。松原みきさんの真夜中のドアは名曲ですね。これからっていう時に亡くなっしまったのが本当に残念でした。やなっちの真夜中のドアが聞けるとは思わなかった!感動!😢
やないも。さんの熱心なリサーチが素晴らしいです😁シティーポップの魅力が本当に良く伝わります!
1960年代生まれの自分には今も青春時代の輝ける想い出の曲です!!
音って言葉超えるなる当然の事認識できて感謝!
ドラマ「東京ラブストーリー」の頃大学生だった世代です。バブル崩壊直前期でした笑。右肩上がりが続くとは流石に思いませんでしたが我々にも責任がある少子化が此処まで(三分の1)とは想像出来ませんでした。確かに振り返ると80年代は幸せな時代だったかもしれません笑。
作曲された林哲司さんに着目して、彼の提供作品を追いかければ、いかにシティPOPの礎になっているか分かると思います。
リアルタイムで好きで聞いてた曲が、citypopって言われて外国で流行ってるって不思議な感覚だったけど、やなちゃんの話はわかりやすく納得できましたよ😉
あの頃の歌謡曲シティポップと言われる時代は日本が最強の時代だった😂サザンや杉山清貴&オメガトライブとかの夏の音楽好きやった😎👍
やなっちの「真夜中のドア」歌ってみたフルバージョンが観たいです。
やなっち、ギター上手いわ〜。惚れてもうたわ〜。
確かにあの頃は、洋楽のエッセンスがふんだんに取り入れられて、その中で日本らしさを創り出そうと懸命にもがいていた時代だったと思うよ。それが巡り巡って等身大で評価してくれてるのは、現代の日本人にとって本当にありがたい事ですよ。で、当時、自分は洋楽聴いてたねぇ。でも、もちろんラジオやTVでは邦楽が無料で流れてる訳だから、普通に聴いてたし、まぁ洋楽とは別口と言うか自然体に評価してたんだろうね。
1970年代前半に従来のフォークソングが徐々にニューミュージック系に進化していったあたりがキーポイントで、その辺りから日本の音楽は大きく変わって行き、その後所謂シティーポップにも繋がって行ったという流れだと思います。その転機に一番最初に決定的に大きな影響を与えたのは間違いなく井上陽水でしょう。1972年の「傘がない」1973年の「心もよう」がリリースされた時の強烈なインパクトは決して忘れることが出来ません。
なるほどねー。すごく深い考察!!! さすがプロシンガーですね。納得しました
シティポップって、70〜80年代に学生だったんですが、その頃よくかかっていた主に若者向け歌謡曲ですね。特に好んで聴いていたわけではありませんが、友達の部屋で「歌謡ベストテン」などのチャート番組がいくつも有って頻繁に聴かされました。ですので、今になって流されるとすごく懐かしさを感じてしまいます。ヤナさんの解説ウンウン言いながら拝見致しました。
やなっちのミニワンマンライブ感ある動画が夜に合いますね🌉✨最近は海外勢のGinger Rootがマイブームです🎧✨
三年前に、インドネシアのレイニツチちゃんが、日本語を耳で覚えてUA-camにUpして、バズりましたよ!。可愛らしい歌声は、日本人にも、メチャ、ササリました!。時々、聞いてますよ!。😽
日本の80年代の曲は欧米の60~80年代の影響を受けながら、日本独特のコード感や"間"もありますので、なんとなくの懐かしさや不思議さの共存が一定の興味を引いているんかなと思ってます。でもバブル期('87~'92)というよりはその少し前の"しらけ世代"が作った曲なんですよね。子供の頃に「共産主義者の暴動」と「ベトナム戦争」という、二つの虚しい光景を見てきた世代。曲も歌詞もノンポリ、恋はゲームを装います。
拓郎や、陽水の歌の世界が子供で分からなかったので、ひたすらロックやジャズのギターに打ち込みました。町内のアパートの大学生さんが柔道を教えに来てくれて、ついでにエレキやベースの構え方も教えてくれました。なつかしの1972。
この曲は子供の頃よく聴いていました。たしか当時のCMにも使われていたと思います。普通に巷で流行っていました。ヤナちゃんがこれを分析してくれるのはうれしいです。😊ヤナちゃん早く日本で成功するといいですね。応援してます😊
やなっちさん、今回の動画も良かったです。できたら70年代のフォークソングを外国人はどう感じるかの動画をたのんます
やなっちも年を重ねると、いつか竹内マリアさんの「人生の扉」を歌うんだろうなぁ⁉️🤔って、勝手に思ってる自分が居る今日この頃です。😅まぁ~やなっちは自分の娘みたいな感じ何だけどねぇ‼️🤭を
1990年頃、地元のレコード屋さんに行ったとき、ジャケット写真に惹かれて何気なく「Variety」というCDアルバムを買いました。その中で「Plastic Love」という曲が特に気に入って、あの頃は何回もリピート再生してました。最近になって、この曲が世界的に大ヒットしていてビックリ。あと、このアルバムの「シェットランドに頬をうずめて」という曲も好きです。
リアルタイムで大好きで聞き込んでた曲です。あの時代の曲は音を大事に作っていたから凄く綺麗でいまでも聞ける。いまの曲は使い捨て100円均一並みのモノだから後に残るモノじゃ無い。
ありがとうございます、シティポップが何故流行っているかよく解りました。日本語で解説してくれてる事にびっくりです。オーストラリアと言えば、私は80年代にスードエコーのファンキータウン好きでよく聴いていたのを思い出しました。シティポップではフライデーチャイナタウンや八神純子さんが良かったなあ
松原みきさんの「真夜中のドア Stay with me」は知らなかったのですが、いい曲ですね。松原みきさんついてちょっと調べていたら2004年に亡くなっていて、少し悲しくなりました。この曲を教えてくれてありがとう。
70年は歌謡曲が中心となり、そして70年代後半から登場したニューミュージックが、今でいうシティポップの源流かと思う。今ではニューミュージックなんて言わないけど、TV出演を拒みコンサートライブを中心に活動していた。またシンガーソングライターもその頃に増えてきたように思う。シンガーソングライターが作る楽曲は特にアーティスティックで音楽ファンが人気を支えた。ニューミュージック=シンガーソングライターという訳ではないが限りなく近いものかもしれない。一方、歌謡曲の方も職人的作家陣(作詞、作曲)が腕を奮って名曲を数多く生み出した。アイドルソングと言われる曲の中には今でも歌い継がれているものも少なくない。今のシティポップの次は日本の昭和アイドルソングが脚光を浴びると思う。
私はあなたの親の年代なので若い時からシティボップはリアルタイムで聞いてましたがその中でも山下達郎と竹内まりあの夫婦が一番好きで彼等が若い頃から聞いています。山下達郎は今年70歳になったばかりですがいまだに現役でつい最近も午後の紅茶のCMに使ってる新曲をリリースしたばかりですし夏の海にピッタリのノリの良い曲やバラードも最高なのでぜひ聞いてみて下さい。
日本の80年代は・・日本の絶頂期で有り・・全開で進んでいる・・空っぽでクリスタルでキラキラとしているものが求められていた・・また・・移動の時代で有ったため・・車で流す曲・・時代のBGMな曲・・リゾートな気分にしてくれる曲が流行っていた・・
ふ~ん、もともとは海外から入ってきた音楽なのにね。それを日本人が日本人の好みに改良した。今度は、それが海外で流行っているなんて不思議。
日本のシティポップは、森山良子にも源流の一つがあり、荒井由実(松任谷由実)などを経て、竹内まりや・松原みきなどで海外に認められるようになったとも言えるでしょう。私は、個人的には大瀧詠一の"A Long Vacation"というアルバムこそ70年代シティポップの極北だと感じますが…
大瀧詠一さんは、はっぴえんど(大瀧詠一・細野晴臣・松本隆・鈴木茂)で日本語のロックを追求していて、細野さんはYMO、松本隆さんは作詞家・鈴木茂さんはスタジオミュージシャン、大瀧詠一さんは作曲家ふくめ一人多重音楽を追求し良識なポップを作っていたけど、完璧主義者と音楽史の研究など寡作と一人で音楽を作るというよりポップ音楽の研究というオタク的で違った方向にいってしまった、
@@仁志飯野 大瀧さんはトニー谷の歌をリマスターしてますね。ジス・イズ・ミスター・トニー谷
皆が一緒に歌いたくなるところで英語が使われてて、欧米人でもそこは歌えるってのも良かったとか聞いた記憶があります。シティーポップは、何となくビーチ、車、カップル、夏、カクテル、ネオン、がイメージされるんですよね。そして当時を知ってる人なら、ビジュアル的には『ハートカクテル』なんだよなぁwあのイラストこそがあの時代のオシャレで軽やかな爽やかな陽キャ感を表してた気がします。個人的には岡村靖幸とか、シティーポップの少し後の時代がまたフューチャーされると楽しいんだけどなぁ。
私は子供の頃から少年時代にかけてリアルタイムですが、この頃のpopsやrockは今でも聴きますね。今の音楽も聴くけど。専門的な音楽の話は分からないけど、面白い解説動画でした😃
鋭い分析で勉強になりました。73歳の僕は、70年代のベンチャーズ頃の歌にはまっています。
オウヤンフィフィや渚ゆうこが大ヒットを飛ばしました。
二人の銀座とかね。
如何にもタツローヤマシタさんが好きそうな配信だなぁーと。
やなっちが関西人ではなく、singerということを再確認できました!
子供の頃、松原みきさんが DJ を務めていたラジオ番組で、ゴスペル等々の海外のいろいろな音楽を知りました。ルックスもチャーミングで「年上の憧れのお姉さん」の様に思っていたので、若くしてお亡くなりになってしまったのが残念です。
シティポップではありませんが、竹内まりやさんの曲では「人生の扉」(2007年)が一番好きです。心に染みる作詞が素晴らしいと思います。ところで 、竹内まりやさんのご実家が老舗旅館を経営しているのをご存知でしょうか?島根出雲大社前にある老舗旅館 「竹野屋旅館」です。旅行サイトのクチコミによれば、竹野屋旅館では朝に竹内まりや、夜に山下達郎の曲が流れるそうです。また、竹内まりやさんのグッズも販売されています。2020年から新型コロナウィルスの蔓延で、旅館業は辛い境遇に追いやられています。ある情報によると、竹内まりやさん本人がオーナーとなっており、運が良ければ 本人に会えるかもしれませんよ?是非、一度訪れてみて下さい!
まりやさんの実家の旅館、平凡明星その他の婦人雑誌でよく特集されてました。昔からご一家でカトリック教なんですね。また、ユーミンの実家の呉服屋さんとか。こちらは新興仏教の創価学会。
目を閉じて聴いていると日本人が喋ってるとしか思えない😊
やなっちが何回も口にした care free 本当にそうで 、 今 思うと 80年代は world wide の感覚として 奇跡の時代 だったと思う。
やなちゃん 今日も日本を元気にする動画ありがとう! オーストリア人は僕の心を日本人以上に高めてくれる。日本のポップはどうもピンと来ない。UA-cam でWolfgang Ambros のEs lebe der Zentralfriedhof 中央墓地よ永遠なれ を聴いて寝ます。 Guade Nacht und Guade Besserug ‼
欧米で流行したのは女性ボーカルですが、80年代のシティーポップは、日本ではNIAGARA TRIANGLEのVol.1とVol.2が一部の人に大流行してましたね。80年代後半からバブルで、80年代前半は高度成長が一段落したあたりですね。竹内まりやさんのアルバム「VARIETY」に、その時代80年代の女性アーティスが、ティーンエイジの頃に影響を受けた音楽が盛り込まれていて、80年代シティーポップ形成がわかりやすいと思います。NIAGARA TRIANGLE Vol.2参加の佐野元春さんは、日本語を高速ビートに乗せた偉人の1人ですが、佐野さんの影響が少ないシティーポップはゆったりしていて、懐かしい感じになりますね。
佐野元さんや吉川君の魅力も捨て難いです。いつまでたってもちっとも懐かしくなってくれません。ラジオで聴こえると音をデカくしてしまいます。元さんなら大ブレーク1曲前のナイトライフがイチオシ。
こんにちは、お元気ですか、とても素敵で素敵ですね
80年代は丁度私の20代でした。松原みきのstay with me は海外の曲を翻訳して歌ってると思ってましたね。当時はcity popという言葉はなかったな。ちなみに自分が初めてライブを見たのが松原みきでしたw。学園祭に来てたんです。
シティーポップで一つ言える事は、曲のクオリティが高いと言う事。なので、ボーカルに歌唱力が無くても曲が成立する所です。
ありがとう😊
やなさんのシティーポップいいですね。それこそTikTokでバズりませんか。
私も20代前半ですが、何度も転調したり聞いていて楽しいのがシティ・ポップだと思います。又、シンガーソングライターだと尾崎亜美と来生たかおが好きです。
最近の欧米のミュージシャンは日本の曲を参考にしていると聞いた、ファッションやメイクみたいに回り巡っているんだなと思ふ。
日本歌謡はあの時代まさにポピュラーソングの王道を歩んでました。ゲーンズブルの死去と同時のフレンチポップ亡き後、それを上回る揺るぎのない技法・技術・演奏が、我が国の世界第2の消費経済力をバックにして、東亜の沿海諸国を席捲いたしました。欧米なんかで売れなくたって人口の多い東亜だけで十分の人気を保持できたことがしっかりネット上に残っていて、普通に検索していれば、たとえエチオピアやヤクートサハとかに居てもアルファベットの部分一致で容易に検索ヒットしてしまう、不思議なピーチパイ~とかステイウィズミ~。
当時に青春時代を迎えてた自身の記憶から言うと・・・80年代中盤は特にMTVがめっちゃ流行ってて、大多数の若者が洋楽ばっか聴いてた時代だと思うのね。そりゃシティポップ(当時はニューミュージック)も流れてはいたけど・・・だからこそ、洋楽なんかに負けるもんかと様々な挑戦や工夫など、新しい物が曲も人も含め、どんどん生まれていったんじゃないかなぁ・・・とは個人的に思います。
竹内マリヤさんの曲の元にあるのは60年代のポップス(オールディーズ)なのです。タイトルからでも解ると思いますが「マージービートで唄わせて」とか「ブラックボード先生」などが60年代の雰囲気が出ていると思います。
日本のポップカルチャーとしては最初に演歌・歌謡曲⇒50~60年代のアメリカ曲のカバー(日本語訳)⇒第一次バンドブーム(GS)⇒フォーク~四畳半フォーク⇒NEW MUSIC(たくろう、陽水、ユーミン)⇒ニューミュージックの進化(79~84位)⇒第二次バンドブーム⇒JPOPになると思います。松原ミキさんは79年だし、まりあのプラスティックラブは85年なのでバブルより前かな(達郎&まりあは確かに時代を変えたと思うけど、同時代としては70~80年代の多様性のある音楽がもっと評価されてほしいと思います。まりあさんは当初は当時の一流作家(加藤和彦プロヂュース)で作家の曲を歌っていて、アイドル的な路線で売り出して本人の違和感と達郎との結婚により、ソングライターとしての才能を達郎が見出してシンガーソングライター主婦となりました。ちなみに、真夜中のドアの作家はまりあさんのアイドル時代の作家の作曲です。できれば、70年代後半から80年代前半のいわゆるNEW MUSICが多様性もあるので聞いてみてほしい。(達郎は当初からちょっと違ったアプローチをしていて洋楽ぽかった、)
70年代後半から80年代前半にかけてのロック、ポップス、歌謡曲など沢山のヒット曲が生まれ、日本の音楽がピークに達したことは間違いないですね。
¥@@goaheadmakemyday333 まあ化粧品・CM・映画等のタイアップやポプコン・スタ誕などのオーデションと各種レコード会社の推しもあり大衆に音楽が一般化したのと”凄腕”のアレンジャーもいたし。
どーも!で鼓膜やられました。某百貨店の1988年のCMに「日本で生まれたんですから日本が好きです!とかいう、完全に舞い上がったのがあって、バブル景気に湧く日本人の自信や誇りを表現するキャッチコピーだったそうですけど、その後、給料据え置きの「死に体」の30年が続き、今は、「日本で生まれたんですけど日本が危機です。オーストラリアへ出稼ぎです」の状態ですわ。盛者必衰、天人五衰、驕れる者久しからず…とはこのことか。高度成長ニッポンが最後の光芒を放っていた10年間のJポップが、30年以上も経った今頃、海外で受けるとはね。悲喜こもごもでありんす。
やないもっちの解説は全てその通り! 思わずうなずいてしまった。今度は70年代に大人気だったキャンディーズの解説して欲しいな、自分も大好きやったから。
音楽には流行り廃りがあるので、その世代の人にとっては懐かしく、そうじゃない世代の人にとっては新しくて…という一般論はあるものの、海外の人にとっては、それが日本語で歌われているということも魅力の一つになっているような気がします。CITY POPは日本語詞を巧みに昔の洋楽のメロディーにのせているので、歌詞の意味はわからないけどなぜか聴き心地がいいという不思議な感覚になるのかなと…勝手な想像ですけど。
あの頃はテレビの音楽番組も沢山あって皆「耳が肥えていた」のかもしれません。 制作する方も夢中で作っていたと思います。仕事しすぎですよ(笑)通称「シティポップ」はニューミュージックといわれるジャンルの一種で、アメリカ西海岸?のサウンドをベースにした軽めでオシャレな曲が多かったと思います。 文化人的な?意識高い系?の人たちが好んでいたように思います。「、、、気持ちはわかるけど、こんな曲売れるの?!」みたいな曲も多かったように記憶しています(笑)日本の社会も今よりポジティブだったかもしれません。
1980年代は昭和元禄と言われていて、あらゆる方面で花が開いた時代でした。
若いのに素晴らしい分析している。賢いね。
シティポップって朝の海岸沿いでも夜のネオン街でもどちらも合うような気がする
竹内まりやさんの歌は昔良く聴いて居ました😊懐かしいです😌👋
やなっち、良い分析してるね!素晴らしい!
でもホント不思議だよね、シティポップが日本で流行したのはやなっちが生まれるずっと前だったのに、今になってそれに魅力を感じるなんて。当時の印象としては都会的でオシャレで新鮮な音楽が生まれたなぁという感じでした。従来の歌謡曲に洋楽のサウンドをうまくブレンドした感じ。マイナーセブンスやメジャーセブンスのコードを多用してサウンドをマイルドにしていた特長があります。ボサノバもそういうコードを多用していましたよね。80年代は日本がリッチな時代でした。日本の大手保険会社がニューヨークの有名ビルやレコード会社、映画会社を次々と買収し、オークションでピカソやゴッホの絵を信じられないくらいの高値で落札していた時代です。サラリーマンの私でさえ当時は年収が1千万円以上ありました。でもここ 30年は昇給が殆ど無く、GDP では中国に抜かれ、一人当たり GDP では韓国に抜かれて貧しい国になってしまいました。リッチだった 80年代が懐かしい、今の若者がかわいそう。
やないもさんへ、いつも楽しく視聴させて頂いています。私は日本のバブル景気(1986年~1991)の頃に青春を過ごした男性です。日本が最も豊かだった時代です。TUBEと言う男性ボーカルグループが大ヒットしていました。当時の彼らの大ヒット作が今韓国の若者に大人気です。彼らにわせると「K-POPはダンスとアイドルしかいない。西洋化され過ぎている。それに比べて1980年代~1990年代のJーPOは哀愁がある」と言います。是非TUBEの代表作の「シーズン・インザサン」と「サマードリーム」を聴いてみて、番組でやないもさんの感想と解説をお聞きしたいです。
シティーポップを熱く語るTV番組がありまして、スージー鈴木&牧田スポーツ司会の 「カセットミュージック」なる番組で 二曲とも知ってました。シティーかアーバンか。 作曲家の林 哲二さんは バートバカラックから結構 影響受けたそうです
シティポップは今海外でそんな事になってたんですね。Y2K同様、今がちょうど再注目されるタイミングだったとは!私はその世代ではないのであまりシティポップの事は分かりませんが、昭和のアニメの曲に使われてるイメージです。聴いてみると確かに独特な感じがしますが、 洋楽を参考にした要素が入っていたんですね。 尚且つ,日本人ミュージシャンならではのアレンジが入ってる。 だから外国人からすると,親しみやすいし,新鮮さも感じる、とっても味のあるミュージックになってたんですね。ヤナちゃんの話しを聞くと、私達が知らない日本の音楽の魅力を知る事ができます。やっぱりこういう動画は大切ですねw今回の音楽解説動画もとっても勉強になりました。 次回も楽しみにしてます!!w
基音と基音から7度上がった音を組み合わせた、セブンス・コードに気付き、それに着目されている、やなっちさん。音楽家ならではの、微妙な感覚を感じ取っていらっしゃいます。さすがです。これにディミニッシュコードを挟めば、その曲の持つニュアンスが拡大されますね。
40代男性です。幼き日にラジオで「Romanticは止まらない」やキャンプファイヤーで「Rydeen」が流れていた記憶があります。
シティーポップを日本語で分析出来るオーストリア人。しかも無茶苦茶美人!レアな人材だね❤
日本語歌唱も非常に自然な域に達してるのは凄い
今は各ジャンルで欧米にも日本語の歌詞に抵抗なく聞いてもらえる…かえって日本語がウリにさえなってると思うよ
やなっちのシティポップの解説は、本当に新鮮で勉強になりました。
最初は聞き流していたんだけど、えっ待てよ待てよ待てよって感じて、巻き戻して?聞き入ってしまいました。この子凄いな〜改めて、恐れ入りました。。
時代背景と音楽までお話が拡がったかと思えば、コード進行の微妙な差がその曲全体のテイストを支配しているんですって素人にもわかるように教えてくれて、
、このような話をもっと聴きたいです。
確かにシティポップは聴いていて何だかしみる感じがしますね😊
80年代のシティポップってめちゃ新鮮に聞こえるし、お母さんお父さんの青春ソングだからカラオケで一緒に歌えるから楽しいよね。
日本バブルの時代✨
私は当時、中学生でしたが
竹内まりあ
の『夢の続き』って曲が好きでよく聴いていました♪
やなちゃんも、良ければ聴いてみて‼️
日本の名曲を外国人が評価してくれるのは嬉しいね。🤗
今シティーポップと言われている曲は、昔リアルタイムで聞いていましたし、山下達郎なんかはとても好きでした。
それが今になって世界中で聞かれているとは不思議な感じですがうれしいです。
やなさんの動画は最近よく見させてもらってますが、今回もシティーポップについて外国人の視点から日本語で解説して
くれるのでとても興味使いですし、弾き語りも本当に素敵ですね。
私の青春時代です。40年位かな良い時代でしたね🎉今は、定年して懐かしい時代ですね❗当然その同時の時代と歌もね🎵
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やなっちがシティポップを語ってくれるとは思わなかった。弾いて歌ってくれました。勉強になりました。
もうすぐチャンネル登録者4万6千人ですね🎉日本の80年代のポップスが海外でヒットして本当に嬉しいですね、やなっちさん日本に永住して下さいね🇯🇵今日もスタイル良くて綺麗でやなっちさんしか勝たん👍やなっちさん愛してますよ❤毎日めちゃくちゃ暑いので小まめに水分補給をしっかりして熱中症で倒れないように気をつけて下さいね🥵いつもやなっちさんを応援していますよ📣
洋楽オタクの山下達郎や大瀧詠一などの人々が全力で好きな洋楽再現したら、どうにも消しようがない日本人の侘び寂びという感性が入ってしまったもの。それがシティポップだと思います。
それは言える。別の言い方をすれば、フィル・スペクターに憧れて歌謡曲を否定しようと思っていた彼らが、日本の歌謡曲を完成させたんです。
@@KohyuNishimura 概ね賛同だけど、大瀧も山下も歌謡曲を「隠し味」で使っていて否定してはないでしょう。クレージキャッツ・渡り鳥シリーズ時代の小林旭の楽曲を「再発見」したのは、大瀧。森進一・小林旭への提供曲は演歌の味を生かした曲で、「渚の石川五右衛門」という隠れた名曲もあります。山下の語尾の伸ばし方は結構、演歌ですよ。
@@神々の黄昏-e7f 納得です!
曲の魅力をあふれる笑顔で話してくれてとても、気持ちのいい動画でした。素敵です。曲も素敵だけど、案内するプロセスがとてもよかった。わかりやすいし、なにより、なつかしい。こんないい動画ありがとう。
耳に残るキャッチーなメロディーと打ち込みリズムが採用される以前の乗りの良さは時代を超えて愛される音楽ですね。やないもさんのコード進行解説はわかりやすかったよ。歌声についてはキーを下げたほうが大人の雰囲気が出るのではないかと思います。
80年代に青春期を過ごした私ですが、やなっちは、よく「シティーポップ」のツボをつかんでいるなぁーと、感心しちゃっています。
じつに正確に認識していますネ。
やっぱやなっちは音楽の話してるときの熱量がすごいね!
さすがミュージシャン!
関ジャムとかに出て外国人目線でJPOPについて語って欲しいよ
やなっち日本語うまいですね
シティポップと呼ばれてるのは知りませんでしたが
私自身バブル時代から、今までずーっと好きで聴いているので
こんな風に評価されtるなんて嬉しいです。
当時 日本のチャートではアイドル、演歌、シィティーポップ、ロック、そして洋楽が上位を争うように混在していた時代でした。邦楽も洋楽も名曲で溢れてました。
最近の曲も聞きますが、今でも70年代、80年代の曲は良く聴きますよ。
80年代は学生から就職して、給料も毎年上がって今よりもずっと豊かさがあったなぁ😊その頃は昨日よも今日、今日よりも明日が確実に豊かになっていく予感があって、音楽🎵もそんな感じのものが流行っていた感じ。
7th多用は60-70年代に入ってきたボサノバ、AORとかやっぱり洋楽の影響ですよね
おしゃれ、都会的になります
ボサノバ愛好家人口は本国ブラジルではなく日本が一番多いらしいので日本人の琴線に触れるコードであることは間違いないです
欧米では主流じゃなかったので新鮮に聞こえるんでしょう
ヤナさんが歌うだけでメローな中に現代的な感じが加わってカッコいいですね!フルバージョンで聴いてみたいです〜❤
80年代の日本の音楽界は実力者揃いですよ。
制作者だけでも、売野さんや林哲司さん、織田哲郎さん。演奏で細野さん、小田さん、財津さん、坂本教授。好きな方だけでも100人に余ります。聖子ちゃんのアルバムに凝縮してますね。
1980年代の、いや70年代後半から、日本の音楽シーンは非常にレベルが高かったのです。ハッピーエンドやキャラメルママが歌謡曲を否定するアレンジを志向して新しい試みをしていたけど、当時歌謡曲のアレンジを始めた萩田光雄さんも同様に素晴らしいアレンジをしていた。日本のPOPSという次元では、同じ作業をしていたのだと思います。ユーミンの「飛行機雲」当時から「ニューミュージック」という言葉が出始めたけれど、ニューもオールドも、そういう区分は実はなかったのではないかと思います。
本当に、日本語上手ですね。
コーカソイドのハーフ人よりお顔が日本人の感じ。中身は実は在外日本人ではないかという説もあるようです。そうだとすればさすがに企画ものらしくて、オーストリアだかルクセンブルグなんていう謎に包まれた母国が設定されてます。インチキブロンドもいかにもそれらしい。
世界的に日本の音楽が流行ってきてるのは、やないも。にとって追い風ですね。
外国人で自作の日本語の曲で世界に激震を走らせるという、今までに例のない偉業を成し遂げてほしいです。その伝説のはじまりは新宿ACBっスよ!
カラオケ配信以来の松原みきさん良かったです!
やなさんはウイーン大学で、まるで美学や音楽理論、文化人類学まで勉強したような幅広い分野から、21世紀の今世界的人気になった1980年代のJ-pop、シティポップの分析を的確にしています。感心しました。
音楽理論は好きじゃないって、正直に言っていますが、やなさんの音楽理論を自然に展開しています。エモいといった「Plastic Love」のコード進行は、実は歌謡曲にある日本人のメンタリティに根差した日本人の情緒を表現していると思います。
演奏しながら説明してくれるので、とてもありがたいです。
言葉の壁を越えて海外の方が時代背景を感じ取ってくれてる事実がエモすぎる。CityPopカバー集byやないも、いずれ聴いてみたい。
楽しい動画。いつもありがとうございます。歌ももちろん大好きです。
アイドルと対極にあった才能ある方々が自分の音楽を打ちだした。
また、ミュージシャン達も一流でしたからボーカル無しでも楽器演奏オンリーも楽しめる。
確かにお洒落だし情景が浮かぶ情緒もあるよね。
私は単なる歌手、単なるバンドというよりも「職人」だと思っています。❤
バブル時代20代でしたが、よく働き、よく遊ぶという時代でした。”24時間働けますか”というコマーシャルを何の疑問もなく聞いていた時代。
Discoにはダサい恰好をしていると入れてもらえない服装チェックもあり、皆はしごをしてましたね。
City Popというと当時の夜の都会で繰り広げられる、ほろ苦くも甘酸っぱい恋愛を描いたものという印象があるのですが、時代も地域も違う人達に、リアルで聞いていた私たちと同じなつかしい印象を持たれるのは、驚きでもあり、うれしくもあります。
芸能界も一般の社会も潤っていましたよね!
80年代は日本だけじゃなく西洋音楽も素晴らしい。また日本も西洋もお互い影響し合ってた時代。そしてそれぞれが独創的な音楽を作ってた。それぞれ素晴らしい才能を持ったアーティストがいた。
そんなに海外で聞かれているとは知りませんでしたので、面白いお話でした
おもしろかった。そしてなによりかわいいーーーー
世界はリズムが主流。
日本はメロディーが主流。
だからか日本ではヒップホップが流行りにくい。
世界からはよく日本の歌は古くさいとよく言われてた。
でも日本は世界の流行について行かず、自分らしさを貫き通した国。
ヾ(o´∀`o)ノ
いや、日本の歌が古臭い、と思われていたのは幻想だったんですね。
80年代にも生きてたおっさんからしても、キラキラしてた時代ですね。夢と希望しかなかった時代。
やなっちが80年代のシティーポップを語ってくれてとても嬉しいです。
私もその頃バンド組んでました。松原みきさんの真夜中のドアは名曲ですね。これからっていう時に亡くなっしまったのが本当に残念でした。
やなっちの真夜中のドアが聞けるとは思わなかった!感動!😢
やないも。さんの熱心なリサーチが素晴らしいです😁
シティーポップの魅力が本当に良く伝わります!
1960年代生まれの自分には今も青春時代の輝ける想い出の曲です!!
音って言葉超えるなる当然の事認識できて感謝!
ドラマ「東京ラブストーリー」の頃大学生だった世代です。
バブル崩壊直前期でした笑。
右肩上がりが続くとは流石に思いませんでしたが我々にも責任がある少子化が此処まで(三分の1)とは想像出来ませんでした。
確かに振り返ると80年代は幸せな時代だったかもしれません笑。
作曲された林哲司さんに着目して、彼の提供作品を追いかければ、いかにシティPOPの礎になっているか分かると思います。
リアルタイムで好きで聞いてた曲が、citypopって言われて外国で流行ってるって不思議な感覚だったけど、やなちゃんの話はわかりやすく納得できましたよ😉
あの頃の歌謡曲シティポップと言われる時代は日本が最強の時代だった😂
サザンや杉山清貴&オメガトライブとかの夏の音楽好きやった😎👍
やなっちの「真夜中のドア」歌ってみたフルバージョンが観たいです。
やなっち、ギター上手いわ〜。
惚れてもうたわ〜。
確かにあの頃は、洋楽のエッセンスがふんだんに取り入れられて、その中で日本らしさを創り出そうと懸命にもがいていた時代だったと思うよ。
それが巡り巡って等身大で評価してくれてるのは、現代の日本人にとって本当にありがたい事ですよ。
で、当時、自分は洋楽聴いてたねぇ。でも、もちろんラジオやTVでは邦楽が無料で流れてる訳だから、普通に聴いてたし、まぁ洋楽とは別口と言うか自然体に評価してたんだろうね。
1970年代前半に従来のフォークソングが徐々にニューミュージック系に進化していったあたりがキーポイントで、その辺りから日本の音楽は大きく変わって行き、その後所謂シティーポップにも繋がって行ったという流れだと思います。その転機に一番最初に決定的に大きな影響を与えたのは間違いなく井上陽水でしょう。1972年の「傘がない」1973年の「心もよう」がリリースされた時の強烈なインパクトは決して忘れることが出来ません。
なるほどねー。すごく深い考察!!! さすがプロシンガーですね。納得しました
シティポップって、70〜80年代に学生だったんですが、その頃よくかかっていた主に若者向け歌謡曲ですね。特に好んで聴いていたわけではありませんが、友達の部屋で「歌謡ベストテン」などのチャート番組がいくつも有って頻繁に聴かされました。ですので、今になって流されるとすごく懐かしさを感じてしまいます。ヤナさんの解説ウンウン言いながら拝見致しました。
やなっちのミニワンマンライブ感ある動画が夜に合いますね🌉✨
最近は海外勢のGinger Rootがマイブームです🎧✨
三年前に、インドネシアのレイニツチちゃんが、日本語を耳で覚えてUA-camにUpして、バズりましたよ!。可愛らしい歌声は、日本人にも、メチャ、ササリました!。時々、聞いてますよ!。😽
日本の80年代の曲は欧米の60~80年代の影響を受けながら、日本独特のコード感や"間"もありますので、なんとなくの懐かしさや不思議さの共存が一定の興味を引いているんかなと思ってます。でもバブル期('87~'92)というよりはその少し前の"しらけ世代"が作った曲なんですよね。子供の頃に「共産主義者の暴動」と「ベトナム戦争」という、二つの虚しい光景を見てきた世代。曲も歌詞もノンポリ、恋はゲームを装います。
拓郎や、陽水の歌の世界が子供で分からなかったので、ひたすらロックやジャズのギターに打ち込みました。町内のアパートの大学生さんが柔道を教えに来てくれて、ついでにエレキやベースの構え方も教えてくれました。なつかしの1972。
この曲は子供の頃よく聴いていました。たしか当時のCMにも使われていたと思います。普通に巷で流行っていました。ヤナちゃんがこれを分析してくれるのはうれしいです。😊ヤナちゃん早く日本で成功するといいですね。応援してます😊
やなっちさん、今回の動画も良かったです。できたら70年代のフォークソングを外国人はどう感じるかの動画をたのんます
やなっちも年を重ねると、いつか竹内マリアさんの「人生の扉」を歌うんだろうなぁ⁉️🤔って、勝手に思ってる自分が居る今日この頃です。😅まぁ~やなっちは自分の娘みたいな感じ何だけどねぇ‼️🤭
を
1990年頃、地元のレコード屋さんに行ったとき、ジャケット写真に惹かれて何気なく「Variety」というCDアルバムを買いました。その中で「Plastic Love」という曲が特に気に入って、あの頃は何回もリピート再生してました。最近になって、この曲が世界的に大ヒットしていてビックリ。
あと、このアルバムの「シェットランドに頬をうずめて」という曲も好きです。
リアルタイムで大好きで聞き込んでた曲です。
あの時代の曲は音を大事に作っていたから凄く綺麗でいまでも聞ける。
いまの曲は使い捨て100円均一並みのモノだから後に残るモノじゃ無い。
ありがとうございます、シティポップが何故流行っているかよく解りました。日本語で解説してくれてる事にびっくりです。オーストラリアと言えば、私は80年代にスードエコーのファンキータウン好きでよく聴いていたのを思い出しました。シティポップではフライデーチャイナタウンや八神純子さんが良かったなあ
松原みきさんの「真夜中のドア Stay with me」は知らなかったのですが、いい曲ですね。松原みきさんついてちょっと調べていたら2004年に亡くなっていて、少し悲しくなりました。この曲を教えてくれてありがとう。
70年は歌謡曲が中心となり、そして70年代後半から登場したニューミュージックが、今でいうシティポップの源流かと思う。
今ではニューミュージックなんて言わないけど、TV出演を拒みコンサートライブを中心に活動していた。
またシンガーソングライターもその頃に増えてきたように思う。
シンガーソングライターが作る楽曲は特にアーティスティックで音楽ファンが人気を支えた。
ニューミュージック=シンガーソングライターという訳ではないが限りなく近いものかもしれない。
一方、歌謡曲の方も職人的作家陣(作詞、作曲)が腕を奮って名曲を数多く生み出した。
アイドルソングと言われる曲の中には今でも歌い継がれているものも少なくない。
今のシティポップの次は日本の昭和アイドルソングが脚光を浴びると思う。
私はあなたの親の年代なので若い時からシティボップはリアルタイムで聞いてましたがその中でも山下達郎と竹内まりあの夫婦が一番好きで彼等が若い頃から聞いています。山下達郎は今年70歳になったばかりですがいまだに現役でつい最近も午後の紅茶のCMに使ってる新曲をリリースしたばかりですし夏の海にピッタリのノリの良い曲やバラードも最高なのでぜひ聞いてみて下さい。
日本の80年代は・・日本の絶頂期で有り・・全開で進んでいる・・空っぽでクリスタルでキラキラとしているものが求められていた・・
また・・移動の時代で有ったため・・車で流す曲・・時代のBGMな曲・・リゾートな気分にしてくれる曲が流行っていた・・
ふ~ん、もともとは海外から入ってきた音楽なのにね。
それを日本人が日本人の好みに改良した。
今度は、それが海外で流行っているなんて不思議。
日本のシティポップは、森山良子にも源流の一つがあり、荒井由実(松任谷由実)などを経て、竹内まりや・松原みきなどで海外に認められるようになったとも言えるでしょう。私は、個人的には大瀧詠一の"A Long Vacation"というアルバムこそ70年代シティポップの極北だと感じますが…
大瀧詠一さんは、はっぴえんど(大瀧詠一・細野晴臣・松本隆・鈴木茂)で
日本語のロックを追求していて、細野さんはYMO、松本隆さんは作詞家
・鈴木茂さんはスタジオミュージシャン、大瀧詠一さんは作曲家ふくめ
一人多重音楽を追求し良識なポップを作っていたけど、完璧主義者と
音楽史の研究など寡作と一人で音楽を作るというよりポップ音楽の研究
というオタク的で違った方向にいってしまった、
@@仁志飯野 大瀧さんはトニー谷の歌をリマスターしてますね。ジス・イズ・ミスター・トニー谷
皆が一緒に歌いたくなるところで英語が使われてて、欧米人でもそこは歌えるってのも良かったとか聞いた記憶があります。
シティーポップは、何となくビーチ、車、カップル、夏、カクテル、ネオン、がイメージされるんですよね。
そして当時を知ってる人なら、ビジュアル的には『ハートカクテル』なんだよなぁw
あのイラストこそがあの時代のオシャレで軽やかな爽やかな陽キャ感を表してた気がします。
個人的には岡村靖幸とか、シティーポップの少し後の時代がまたフューチャーされると楽しいんだけどなぁ。
私は子供の頃から少年時代にかけてリアルタイムですが、この頃のpopsやrockは今でも聴きますね。今の音楽も聴くけど。
専門的な音楽の話は分からないけど、面白い解説動画でした😃
鋭い分析で勉強になりました。73歳の僕は、70年代のベンチャーズ頃の歌にはまっています。
オウヤンフィフィや渚ゆうこが大ヒットを飛ばしました。
二人の銀座とかね。
如何にもタツローヤマシタさんが好きそうな配信だなぁーと。
やなっちが関西人ではなく、singerということを再確認できました!
子供の頃、松原みきさんが DJ を務めていたラジオ番組で、ゴスペル等々の海外のいろいろな音楽を知りました。ルックスもチャーミングで「年上の憧れのお姉さん」の様に思っていたので、若くしてお亡くなりになってしまったのが残念です。
シティポップではありませんが、竹内まりやさんの曲では「人生の扉」(2007年)が一番好きです。
心に染みる作詞が素晴らしいと思います。
ところで 、竹内まりやさんのご実家が老舗旅館を経営しているのをご存知でしょうか?
島根出雲大社前にある老舗旅館 「竹野屋旅館」です。
旅行サイトのクチコミによれば、竹野屋旅館では朝に竹内まりや、夜に山下達郎の曲が流れるそうです。
また、竹内まりやさんのグッズも販売されています。
2020年から新型コロナウィルスの蔓延で、旅館業は辛い境遇に追いやられています。
ある情報によると、竹内まりやさん本人がオーナーとなっており、運が良ければ 本人に会えるかもしれませんよ?
是非、一度訪れてみて下さい!
まりやさんの実家の旅館、平凡明星その他の婦人雑誌でよく特集されてました。昔からご一家でカトリック教なんですね。また、ユーミンの実家の呉服屋さんとか。こちらは新興仏教の創価学会。
目を閉じて聴いていると日本人が喋ってるとしか思えない😊
やなっちが何回も口にした care free 本当にそうで 、 今 思うと 80年代は world wide の感覚として 奇跡の時代 だったと思う。
やなちゃん 今日も日本を元気にする動画ありがとう! オーストリア人は僕の心を日本人以上に高めてくれる。日本のポップはどうもピンと来ない。UA-cam でWolfgang Ambros のEs lebe der Zentralfriedhof 中央墓地よ永遠なれ を聴いて寝ます。 Guade Nacht und Guade Besserug ‼
欧米で流行したのは女性ボーカルですが、80年代のシティーポップは、日本ではNIAGARA TRIANGLEのVol.1とVol.2が一部の人に大流行してましたね。80年代後半からバブルで、80年代前半は高度成長が一段落したあたりですね。竹内まりやさんのアルバム「VARIETY」に、その時代80年代の女性アーティスが、ティーンエイジの頃に影響を受けた音楽が盛り込まれていて、80年代シティーポップ形成がわかりやすいと思います。NIAGARA TRIANGLE Vol.2参加の佐野元春さんは、日本語を高速ビートに乗せた偉人の1人ですが、佐野さんの影響が少ないシティーポップはゆったりしていて、懐かしい感じになりますね。
佐野元さんや吉川君の魅力も捨て難いです。いつまでたってもちっとも懐かしくなってくれません。ラジオで聴こえると音をデカくしてしまいます。元さんなら大ブレーク1曲前のナイトライフがイチオシ。
こんにちは、お元気ですか、とても素敵で素敵ですね
80年代は丁度私の20代でした。松原みきのstay with me は海外の曲を翻訳して歌ってると思ってましたね。当時はcity popという言葉はなかったな。ちなみに自分が初めてライブを見たのが松原みきでしたw。学園祭に来てたんです。
シティーポップで一つ言える事は、曲のクオリティが高いと言う事。なので、ボーカルに歌唱力が無くても曲が成立する所です。
ありがとう😊
やなさんのシティーポップいいですね。それこそTikTokでバズりませんか。
私も20代前半ですが、何度も転調したり聞いていて楽しいのがシティ・ポップだと思います。
又、シンガーソングライターだと尾崎亜美と来生たかおが好きです。
最近の欧米のミュージシャンは日本の曲を参考にしていると聞いた、ファッションやメイクみたいに回り巡っているんだなと思ふ。
日本歌謡はあの時代まさにポピュラーソングの王道を歩んでました。ゲーンズブルの死去と同時のフレンチポップ亡き後、それを上回る揺るぎのない技法・技術・演奏が、我が国の世界第2の消費経済力をバックにして、東亜の沿海諸国を席捲いたしました。欧米なんかで売れなくたって人口の多い東亜だけで十分の人気を保持できたことがしっかりネット上に残っていて、普通に検索していれば、たとえエチオピアやヤクートサハとかに居てもアルファベットの部分一致で容易に検索ヒットしてしまう、不思議なピーチパイ~とかステイウィズミ~。
当時に青春時代を迎えてた自身の記憶から言うと・・・
80年代中盤は特にMTVがめっちゃ流行ってて、
大多数の若者が洋楽ばっか聴いてた時代だと思うのね。
そりゃシティポップ(当時はニューミュージック)も流れてはいたけど・・・
だからこそ、洋楽なんかに負けるもんかと様々な挑戦や工夫など、
新しい物が曲も人も含め、どんどん生まれていったんじゃないかなぁ・・・
とは個人的に思います。
竹内マリヤさんの曲の元にあるのは60年代のポップス(オールディーズ)なのです。
タイトルからでも解ると思いますが「マージービートで唄わせて」とか
「ブラックボード先生」などが60年代の雰囲気が出ていると思います。
日本のポップカルチャーとしては最初に演歌・歌謡曲⇒50~60年代のアメリカ曲の
カバー(日本語訳)⇒第一次バンドブーム(GS)⇒フォーク~四畳半フォーク
⇒NEW MUSIC(たくろう、陽水、ユーミン)⇒ニューミュージックの進化(79~84位)
⇒第二次バンドブーム⇒JPOPになると思います。
松原ミキさんは79年だし、まりあのプラスティックラブは85年なのでバブルより
前かな(達郎&まりあは確かに時代を変えたと思うけど、同時代としては70~80年代の
多様性のある音楽がもっと評価されてほしいと思います。
まりあさんは当初は当時の一流作家(加藤和彦プロヂュース)で作家の曲を歌って
いて、アイドル的な路線で売り出して本人の違和感と達郎との結婚により、
ソングライターとしての才能を達郎が見出してシンガーソングライター主婦となりました。ちなみに、真夜中のドアの作家はまりあさんのアイドル時代の作家の作曲です。
できれば、70年代後半から80年代前半のいわゆるNEW MUSICが多様性もあるので
聞いてみてほしい。(達郎は当初からちょっと違ったアプローチをしていて洋楽
ぽかった、)
70年代後半から80年代前半にかけてのロック、ポップス、歌謡曲など沢山のヒット曲が生まれ、日本の音楽がピークに達したことは間違いないですね。
¥@@goaheadmakemyday333 まあ化粧品・CM・映画等のタイアップや
ポプコン・スタ誕などのオーデションと各種レコード会社の
推しもあり大衆に音楽が一般化したのと”凄腕”のアレンジャーもいたし。
どーも!で鼓膜やられました。
某百貨店の1988年のCMに「日本で生まれたんですから日本が好きです!とかいう、完全に舞い上がったのがあって、バブル景気に湧く日本人の自信や誇りを表現するキャッチコピーだったそうですけど、その後、給料据え置きの「死に体」の30年が続き、今は、「日本で生まれたんですけど日本が危機です。オーストラリアへ出稼ぎです」の状態ですわ。
盛者必衰、天人五衰、驕れる者久しからず…とはこのことか。
高度成長ニッポンが最後の光芒を放っていた10年間のJポップが、30年以上も経った今頃、海外で受けるとはね。
悲喜こもごもでありんす。
やないもっちの解説は全てその通り! 思わずうなずいてしまった。今度は70年代に大人気だったキャンディーズの解説して欲しいな、自分も大好きやったから。
音楽には流行り廃りがあるので、その世代の人にとっては懐かしく、そうじゃない世代の人にとっては新しくて…
という一般論はあるものの、海外の人にとっては、それが日本語で歌われているということも魅力の一つになって
いるような気がします。
CITY POPは日本語詞を巧みに昔の洋楽のメロディーにのせているので、歌詞の意味はわからないけどなぜか聴き
心地がいいという不思議な感覚になるのかなと…勝手な想像ですけど。
あの頃はテレビの音楽番組も沢山あって皆「耳が肥えていた」のかもしれません。 制作する方も夢中で作っていたと思います。仕事しすぎですよ(笑)
通称「シティポップ」はニューミュージックといわれるジャンルの一種で、アメリカ西海岸?のサウンドをベースにした軽めでオシャレな曲が多かったと思います。 文化人的な?意識高い系?の人たちが好んでいたように思います。「、、、気持ちはわかるけど、こんな曲売れるの?!」みたいな曲も多かったように記憶しています(笑)
日本の社会も今よりポジティブだったかもしれません。
1980年代は昭和元禄と言われていて、あらゆる方面で花が開いた時代でした。
若いのに素晴らしい分析している。賢いね。
シティポップって朝の海岸沿いでも夜のネオン街でもどちらも合うような気がする
竹内まりやさんの歌は昔良く聴いて居ました😊懐かしいです😌👋
やなっち、良い分析してるね!
素晴らしい!
でもホント不思議だよね、シティポップが日本で流行したのはやなっちが生まれるずっと前だったのに、今になってそれに魅力を感じるなんて。当時の印象としては都会的でオシャレで新鮮な音楽が生まれたなぁという感じでした。従来の歌謡曲に洋楽のサウンドをうまくブレンドした感じ。マイナーセブンスやメジャーセブンスのコードを多用してサウンドをマイルドにしていた特長があります。ボサノバもそういうコードを多用していましたよね。80年代は日本がリッチな時代でした。日本の大手保険会社がニューヨークの有名ビルやレコード会社、映画会社を次々と買収し、オークションでピカソやゴッホの絵を信じられないくらいの高値で落札していた時代です。サラリーマンの私でさえ当時は年収が1千万円以上ありました。でもここ 30年は昇給が殆ど無く、GDP では中国に抜かれ、一人当たり GDP では韓国に抜かれて貧しい国になってしまいました。リッチだった 80年代が懐かしい、今の若者がかわいそう。
やないもさんへ、いつも楽しく視聴させて頂いています。私は日本のバブル景気(1986年~1991)の頃に青春を過ごした男性です。日本が最も豊かだった時代です。TUBEと言う男性ボーカルグループが大ヒットしていました。当時の彼らの大ヒット作が今韓国の若者に大人気です。彼らにわせると「K-POPはダンスとアイドルしかいない。西洋化され過ぎている。それに比べて1980年代~1990年代のJーPOは哀愁がある」と言います。是非TUBEの代表作の「シーズン・インザサン」と「サマードリーム」を聴いてみて、番組でやないもさんの感想と解説をお聞きしたいです。
シティーポップを熱く語るTV番組がありまして、スージー鈴木&牧田スポーツ司会の 「カセットミュージック」なる番組で 二曲とも知ってました。シティーかアーバンか。
作曲家の林 哲二さんは バートバカラックから結構 影響受けたそうです
シティポップは今海外でそんな事になってたんですね。Y2K同様、今がちょうど再注目されるタイミングだったとは!
私はその世代ではないのであまりシティポップの事は分かりませんが、昭和のアニメの曲に使われてるイメージです。聴いてみると確かに独特な感じがしますが、 洋楽を参考にした要素が入っていたんですね。 尚且つ,日本人ミュージシャンならではのアレンジが入ってる。 だから外国人からすると,親しみやすいし,新鮮さも感じる、とっても味のあるミュージックになってたんですね。ヤナちゃんの話しを聞くと、私達が知らない日本の音楽の魅力を知る事ができます。やっぱりこういう動画は大切ですねw
今回の音楽解説動画もとっても勉強になりました。 次回も楽しみにしてます!!w
基音と基音から7度上がった音を組み合わせた、セブンス・コードに気付き、それに着目されている、やなっちさん。音楽家ならではの、微妙な感覚を感じ取っていらっしゃいます。さすがです。これにディミニッシュコードを挟めば、その曲の持つニュアンスが拡大されますね。
40代男性です。幼き日にラジオで「Romanticは止まらない」やキャンプファイヤーで「Rydeen」が流れていた記憶があります。