この機体最初コックピット部分は何とあの韓国製でしてそれをフランスへ運んで継ぎ足す方法でした。しかし徐々に330型に変化させた段階でボーイング社は何故767屋757が売れないかを考えて、ボーイングが思いついたのはAirbusが売れている同じ機体を新型機として販売する787型にして事です。横幅長さが同じです。ところが軽量化の準備が全く出来ていないB社はカーボンファイバーの開発に3年が掛かり販売予定時期より2年半も遅れてしまった結果。膨大な罰金を支払う事となった。B社は車の流作業と同じ生産方法を使えば良いのではとB社は安易に考え、1200機もの注文を2002年に受けたが遅れた事で一挙に注文は減って800機まで落ちました。結果的にカーボンファイバー部分は日本に作ってもらうと言う形で何とか販売にこぎ着けた時にバッテリーからの煙問題がでて当時韓国製のバッテリーを止めて日本のメーカーに変更されました。なおAirbus350シリーズは外径は同じでも室内寸法は広げた事で Extra wide bodyのxwbだけを取ってのが350xwbでして、その長さを7.4メータ分長くしたのがb777と競合する機種350xwb1000です。
懐かしいなぁーよくエアシステムのA300-600rで鹿児島行ってました
JASのA300B2/B4は、内装が黄ばんでいて好きでは無かったけど、
600Rは清潔感があって良かったです。
現代の777、787やA350等の双発旅客機を実用化させるきっかけを作ったのが、このA300と言っても過言ではないと思います。信頼性、経済性が実証され、長距離運航まで出来るようになりました。
いまだにupsでは改装されて-600が使われていますよね。
息の長いモデルとなりました。
A300はとても好きな機体でした。
子供の頃は羽田に行けばそこら中にいたのに、気づけばあっという間に退役…
歴史の勉強になる動画を楽しませていただきました!
東亜国内航空でA300がデビューした時、
子供ながらに、TDAも垢ぬけたと思ったものです。
レインボカラーのJASがたくさん飛んでいた頃はJASが一番好きな航空会社でした。三沢に住んでいた頃に何度も乗っていたしよく見かけるカラーでした。A300のJASを見るだけであの頃を思い出します。A300以外も好きでしたが、A300は他の機種とは違う独特の形状(胴体後部の尻上がり、主翼の短めの形状、突き出たたくさんの主翼フェアリング、円筒形の胴体からそのまま突き出た格好の主翼の高い位置など)、少し独特なA300らしさも好きでした。
乗るだけでなく、北海道から東京に向かう途中の便を青森県から趣味で望遠鏡や双眼鏡を使って見送っていた事もありました。
尾を引いて銀色のエンジン光らせて青空に溶け込んだJASのA300Bの姿は今でもはっきり覚えてます
最近は機種の統一化もあってデザインも派手なものが少ないので、飛行機好きな自分としては物足りなさを感じています(^o^;)
レインボーカラーのJAS機は、上空を飛んでいても、判別できやすい色ですよね。
中学生だった時に休み時間になる度に絵を描くかトイレに行って窓から空を眺めるかして過ごしてました。中でもレインボーセブンは裸眼でも見えるのですぐに分かりました。
三沢市の航空科学館があるんですが、休みの日はよくそこに行って展望台から遠くの飛行機を待ちながら双眼鏡を構えてずっと空を眺めてました。
機種統一よりもJAS消滅が痛かった(当時東急グループ社員)😵
昔住んでいたところが田舎でJASが主力で就航してたからよく乗りました。懐かしいですね
JASは、意外ととシングルトラックを持っていたから、
ローカルだと、割とJAS乗る機会が多かったですよね。
社会人になりはじめての帰省。徳島から羽田まで飛行機はA300-600Rでした。馴染みある機体紹介ありがとうございました。もう乗れないと思うと寂しい。
ドアモードをアームドに...徳島にまたエアバスが飛ぶ日を待ち望んでおります。
いえいえ、こちらこそ、観て頂きありがとうございます。
自分も徳島~羽田は一度だけA300で乗った事があります。
当時、四国~羽田路線では、珍しく徳島線は、JASのシングルトラックだった様な気が。
大塚製薬と提携していたのか、ポカリスエット塗装の機体や、
ドリンクサービスにジャワティーなんてのもありましたね。
はじめて乗った時、既にアーク塗装だったのでJAS便に乗られたとは羨ましい。徳島はスカイマークがANAに代わって就航し数年で撤退、その後はJALのみ。今はANAも飛んでますが、やはり主力はJASを引き継いだJALです。大塚のジャワティとはいかにも徳島ですね。阿波おどり空港に是非ともまたお越しください。昔のターミナルは運転免許証センターになってますよ。
7歳頃に、お願いして連れてってもらった入間基地の航空ショーで、A300の展示アピールしてあった記憶があります。
その航空ショーに行かれた人からコメント頂けるとは、驚きです。
中学入学から大学卒業まで北海道のオホーツク海側に住んでおり、当時、女満別空港ではDC-9やMD-81が新千歳や羽田便として使われていましたが、女満別にワイドボディのA300が就航し、搭乗したときに広々とした機内を見たときの興奮は忘れられません。
いまではすっかり見かけることのなくなったA300シリーズですが、A300-600ST「ベルーガ」が飛び続け、エアバス社の航空機生産を支える存在として、今も生き続けていますね。
「ベルーガ」の後継機となる「ベルーガXL」が運用を始めたとのことで、あと数年でベルーガも退役となるようですが、それまで、無事故で活躍してほしいですね。
初めてA300を見たときに、単純にかっこいい!と感じてしまいました。
それからは、好きな機体でした。
エアバスの飛行機ってかっこいいですよね。
特に、A330とかA340の美しさは特筆すべきものがありますね。
その礎を築いたA300は偉大な飛行機だと個人的には思っています!
面白かった。
今はA330が主力だけど340含めて基本設計が300だったのは感慨深い。
大型機は300、小型機は後の320(318)が今のエアバスを支えてますね。
(先日、福岡→羽田でANAの321neoに乗りました。
モニターもあって新品で良い機体でした)
A321neo良いですね。
自分も好きな機体です。
AIRBUSのすごいところは結果的に当時に機材の隙間をぬって入ってきたところ、言ってみれば丁度いい機体サイズと二基エンジンの経済性のはしりと言えます。AIRBUSシリーズは座席配置も極めて良い配置でYクラスで2-4-2 配置は人気を呼びました。A310・A320・A330・A340と(A320型を除く)胴体径共通化しコクピットも2名体制を確立。現在では経済性から唯一の4発機 A340型は姿を消しつつありますが二基エンジンのA330シリーズが現役、さらにA330NEOが開発されまだまだ主要都市間で就航いています。その集大成がA350シリーズです。JALもこのA350-900・1000シリーズを導入します。(A350-900は一部国内線で就航中)
A300での苦労が実って、いまのエアバスがあるんですね。
当時幹線の運航をさせてもらえなかったTDAでしたが、長年の悲願で幹線運航の初ワイドボディ機と胸を張ったのが、このA300B2でした。
TDAが、誇らしげにCMをしていたのを思い出しました。
@@NORITOBI みつけました(^^)/
ua-cam.com/video/xVkY_e3teIw/v-deo.html
私はこの旅客機の形が好きでした。さらに当時一番利用していた日本エアシステムが3人乗務員と2人乗務員の600型、ワイドボディーですごく快適でしたね。エアバスはここから始まり今やたくさんの旅客機を飛ばすことになります。
離陸する姿が、B767より格好良かったです。
当時の中華航空機の名古屋空港事故を
思い出します。
あの事故も衝撃的でしたよね。
この動画を拝見して、1979年の入間の航空ショーに行ったことを思い出しました。当時はパイロット志望の高校生で、業界の見本市的なイベントだとは知らずに足を踏み入れてしまい、場違い感をひしひしと感じながら会場をうろついていました。当日は天候が非常に悪く、デモフライトは雲底ぎりぎりの高度をローパスするB747しか見られなかったように思います。A300は飛んだのかな?なにしろ大昔のことで記憶が曖昧です。
でも、当時の雰囲気が伝わってくるような文章でした。
ありがとうございます。
かなり昔に札幌に用事があり、羽田ー新千歳をJASで往復したときに乗りました。B4なのか600Rかまでは覚えてませんが。
帰りは悪天候で揺れに揺れてトイレに行ったらCAすらしゃがんでギャレーにつかまっていたくらい。
シートベルト着用サインは今なら間違いなくつきっぱなしのコンディションでしょうね。
羽田着陸時には照明落として真っ暗な機内に外での雷の光が飛び込むような天候の中着陸してました。
降りたらモノレールが運転見合わせてましたw
雷のさなかに、着陸とは、すごい経験でしたね。
懐かしい機体です、B4も600Rも.どちらも乗りました、今はなき、OAでBKK〜ATHに乗ったのが懐かしいです🎉
私はJASで良くお世話になりました。
子供の頃は米国のナショナルフラッグと言えばパンナムでした。羽田空港まで飛行機の離発着を観るために何回も親にせがんで連れて行ってもらっていました。好きな機体は断然DC-10です。優美でした。あとYS-11もプロペラが可愛くて一度乗りたかったのですが、大人になった時にはもう就航されていませんでした。残念。
確かにパンナムと言えば、世界一の航空会社ってイメージでした。
A300B2/B4の最後は広島便最終でして、最後にお世話になった機体です。
その他地方空港もカバーしてくれていて、ふかふかのレインボーシートは良かったです。
A300B2/B4の最終運航って調べたら2006年と割と最近なんですね。
何度か乗りました。
モニターのある600Rに対し、モニターの無いB2/B4で、
大型機にしては、当時でも珍しく、CAさんが実演をやっていた記憶があります。
@@NORITOBI しばらくは沖に放置されていて。JAS路線の自分としては大切な思い出の機材です。
クルーガーフラップの展開とか、格好良かったなあ。
秋田空港にも一時期はJASの大阪便で使用されていたのか来ていました
普段はMD-87でしたが
A300は結構色々な空港で見られたみたいですね。
日本エアシステムの代表機種でトリプルトラック路線であった伊丹羽田線で乗った事があります。しかも日本エアシステム自体1日1便しかなくその便に設定されてました。機内は広く乗り心地もよかったです。あと関空開港前に試験飛行があったのですがその時使われたのがA300600Rでした。
関空の試験飛行は、A3Rだったのですか、知りませんでした。
A300のボディライン好きでプラモデルを作りました。当時、伊丹空港ではJASと大韓航空とタイ国際航空のA300を見れました。あえて好きな機種に乗りたくてJASを予約してました。
以前は、そこそこの空港に行けば、JASのA300が見られたのですけどね。
今となっては懐かしい限りです。
今まで、2500回ほど
飛行機に乗ってますが
未だに一番乗った回数の多い機材です。
国内線も乗りましたけど
成田↔︎ソウル ・西安・香港
でも乗りましたよ。
JAL、ANAのB767より、大きくて立派な所が好きでした。
私が初めて乗った航空機はTDAのA300(エアバスカラー)でした。
あの頃は喫煙席とかあったりして…
そういえば、エアバスカラーのYS-11とかも乗ったな~
自分は、緑と赤のTDAカラーが好きでしたので、
このA300のカラーを見たときは衝撃的でした。
NORITOBI 様
実家が盛岡で、花巻空港への接続バスが有ったのですが就航便が全てTDA(JAS)だったのでバスもエアバスカラーで「TDA」のロゴが入っていました(後にJASに書き換え)
ただし、花巻への就航機材のほとんどはDC-9系列の機材でA300は経営統合直前の数年間、農産・海産物を関西地区にコンテナ輸送する目的伊丹線に充当されだけでした…
懐かしい✈️
北海道に行くとき、初めて乗った飛行機がコレだった
懐かしい機体ですね! 昔、ほんの一時期に広島ー札幌ー女満別という経由便があったような気がしますが、それがA300系での運行だった記憶があります。問い時時刻表を見て驚きました。
私が過去にA300系で乗った路線は東京ー徳島、東京ー旭川、東京ー女満別ですね。
広島ー札幌ー女満別なんて路線があったのですね。
広島と北広島のつながりなのか、広島~新千歳は、需要が多いのでしょうか?
ANAも、その区間にはB777-200を入れていましたし。
@@NORITOBIさん返信ありがとうございます。
1996年8月号の月刊エアラインによると広島ー女満別、女満別ー新潟の初便リレーレポートが巻頭特集にあるのですが、この年の6月2日にこの2つの路線が開設したとレポートされています。同年7月女満別ー仙台も開設され、20世紀末から21世紀初頭は北海道で乗降客数・路線数共に3位になり、東京線はトリプルトラック、千歳線はダブルトラックになってました。当時私も女満別空港には注目していて、観光がてらに撮影しにも行ってましたね。他に函館線、名古屋線、伊丹線、関空線、福岡線もあり、観光はともかく人口の少ない地域(鉄道が廃止するかどうかの)なので、その動向に注目していました。
前述の広島ー女満別線は21世紀初頭の早い時期に路線整理のため、広島ー札幌ー女満別線がA300で経由便のような運用をしていた時期がありました。当時の時刻表で札幌ー女満別線に1本だけA300が運用されていることに違和感を感じ、女満別空港のページを見ると女満別ー(札幌)ー広島という運用があって驚いた記憶があります。これが広島ー女満別直行便廃止後の代わりになっていたようです。
共に100万都市の札幌と広島を結ぶ路線をA300で運用するのは不思議ではないですが、札幌ー女満別線は数ある道内路線では一応最大の旅客数で当時はJASがMD81で4便、ANA系(当時はANK)はB3かYSで2〜3便だったと思いますが、A300のキャパ(283〜306)はMD81(161〜163)のほぼ倍ですから観光シーズン以外の搭乗率は悲惨だったでしょうね…
ワイはどこだろう?熊本→羽田と羽田→高松はスーパーシート乗った。羽田⇔徳島と羽田→女満別は普通席😁
JASの−600Rにて関西-香港を往復しました。飛行中コクピットにも入れて頂き良い思い出です😊
JASの国際線に乗られたとは、今となっては貴重な体験でしたね。
まさかエアバスが躍進して
マグダネルダグラスが衰退しボーイングに合併されるとは予想出来なかった
栄枯盛衰ですね~。
羽田~松山でA300の間接照明に癒やされたな
エアバス社の凄い所は「設立以来10年間の赤字の時期を乗り切ったことだ」と言う記事を、古い週刊エアークラフトで読んだ記憶がありますよ。
政府の補助とかもあったのでしょうが、
10年赤字で存続できたのは、確かにすごいですね。
羽田~松山に飛んでいて、帰りにA300の間接照明に癒やされた。ANAの青い冷たい内装はゲンナリ
A300は見たことがないですが、当時の最先端の技術を搭載していて凄いと思いました
特にA310,,A300-600は先進性が高かったですね。
私も初めてがA300でした。
しかも何かと話題のタイ国際(TG)しかも関空ができる前で伊丹・バンコク。(viaマニラ)
30年以上前の思い出です。
タイ航空でA300、伊丹線ですと、
トイレで手りゅう弾爆発させた事件を思い出してしまいました。
そう、あの事件の翌年でした。
A300-600R型は初めて乗った飛行機でもあるので思い入れがある機体ですね。独特なエンジン音もまた好きでした…。
あと、600R型に搭載されたウイングチップもまた独特で好きですね。
あの控えめなウイングチップ、私も好きでした。
@@NORITOBI 今のようなデカデカとではなく控えめだからこそ自然に翼に溶け込んでる感じがあって良いですよね!
ワイの「初めて」はYS11(福岡→対馬)😁
JASのレインボーカラーはDASH8のJA842Cが2017年4月まで現役でしたね。会社消滅から13年、よくぞ残ったものです。
そんなに最近まで、そのカラーで残ってたんですか?
知りませんでした。
私もJASのA300に乗った事ありますよ!
確か札幌に帰省の時と羽田〜小松線で乗った事ありますよ。懐かしいなぁー!👋🤓
幹線にもローカル線にも使える便利な奴って感じですね。
私は羽田~出雲、徳島でつかいました。
@@NORITOBIさんへ
私は普段はANA便がメインで実家の札幌に帰省していた頃にどうしてもANA便が取れず、急遽JAS便に何度か乗りましたがA300B4や東京〜小松線ではA300−600Rに乗りましたね‼️あとは羽田〜千歳便ではCAさんとおしゃべりできたときはラッキーでしたね。とにかくJAS便のA300に乗れたらラッキーでしたね🤓👍
JAS時代にはRJFFーRJFM でよく乗ってました。
短距離でなんと贅沢な機材でした。
そんな短距離でA300だったんですね。運用の都合上なのでしょうか?
NORITOBI 宮崎発最終便だったと思います。ボケーっとしてた当時学生だったので詳細は不明ですが(^^;;機内でタバコがプカプカ吸えてました🚬A300はこの距離だけしか乗った事ありません😅
1800m長の短い滑走路だった旧広島空港にB737やB767とともに就航していた数少ないジェット機の1つだったので懐かしいです。
広島西飛行場時代に、一度利用しましたが、
今は滑走路も無くなってしまったそうですね。
丘珠や、名古屋飛行場のように小型機でも運航出来たらよかったのですが。
羽田の拡張前でしたしLCCもまだこれからの時期でしたからタイミングが悪かったと思ってます。ロンドンのシティ空港のようにビジネスクラスのみの羽田線でも飛ばせてたら生き残る道はあったのではと思ってます。
運航は可能だろうけど需要ないんちゃう?😵
そうね・・・ いっぱい堕ちたものね。 でも私にとっては747-400の二階席たった一人で乗った事がある記憶は忘れもしませんw それに相当するA300の思い出は無いかな? でもJASがmiffyを当時キャラクターに採用してたのでmiffyのネクタイしてるとCAから絡まれた記憶が有ります。 いい時代でした。
JASのA300って、ミッフィの特別塗装機があったのですか。
自分はポカリスウェットの奴しか覚えていませんでした。
@@NORITOBI 特別塗装機は無かったと記憶してますがmiffyグッズが売っていたりって感じでした。 JASアテンダントの服着たmiffyとかミッフィーネクタイ等のグッズ売ってた位です。
国内ではじめて搭乗したA300は羽田-三沢だったと思うが、その当時JASであったか覚えてない。
後部ブロックの座席が末端へ向かって次第に高くなっており、船のようだという印象があった。
最近までA300-600はタイ国内線BKK-CNXで乗る機会があった。
後年になって評価された機体 俺はB6よりA0の方が好きだった
名古屋の墜落事故はありましたが、-600Rになって良くなった印象です。
@@NORITOBI あれは完全なる設計ミスとパイロットエラーでしたね
伊丹ー鹿児島ー福岡ー鹿児島ー伊丹で飛んでました。あの当時福岡ー鹿児島はYS11からDC9-41.DC9-81.A300まで全機種が飛んでました!
福岡~鹿児島は、バラエティー豊かだったんですね。
今は新幹線が開通してATRの1往復のみと、見る影もなくなってしまいましたね。
昭和60年くらいの話ですね‼️
B767「ごめんな」
A300「君がいなければ、もっと売れたのに・・・」
The
確かJASのMD-80などに塗られたレインボーカラーはフルカラーではなかったから許可が下りてたはず……
ですがDC-10はフルカラーだったようです
DC-10は、製造終了が決定していたから
フルカラーでもokだったのでしょうか?
JASのフリートでA300B4に一度だけJASの花巻→伊丹で乗りましたが、600Rは引退するまで乗れず終いでした…
自分も何度かA300乗りましたが、当時はB2/B4と-600Rの見分け方がわからず、
どちらに乗ったのかは、分からない状況です。
ただ、保安ビデオを放送する時に、天井から出て来るブラウン管モニターが、
落ちてくる様な勢いだったのが、怖かった印象があります。
NORITOBI JASのA300B2/B4はモニター無しでしたのでA300-600Rですね。
ワイの見分け方は、時刻表にスーパーシートがあれば-600R、なければB2.B4😁
エアバスでロールスロイスエンジンがついたのはA330で初となった
日本で最初にA300の免許を取ったパイロットを知っています。
モハベ空港にA300の試験機が置いてありました。
JASのあのカラーリングは、エアバス社の標準塗装で、その分安く導入できたそうです。
日本で最初にA300の免許を取った型ということは、TDAで教官的な立場の方だったのでしょうか?
いろいろ話を聞いてみたい気がします。
@@NORITOBI さん その際の話を伺いました。
フランスに行って訓練と試験をしたそうですが、試験官の方も一緒になって座学を受けたりしたそうで、試験と言う感じではなかったそうです。
初めての機種は、試験をするほうも何も知らないので、そういう感じになるんじゃないでしょうか。
まだ、いらっしゃるか判りませんが調布飛行場のプロペラカフェに行ってみてください。会えるかも知れません。
昔々、大韓航空で働いてましたが、大韓航空は貨物重視且つソウル(当時は金浦、今は仁川)ハブ方式だったので、中短距離の中型機はB767を一機も無く、ほぼA300-600でした。B767だと床下にコンテナをLD3が一列に2個置けないのがネックで、LD3が一列に2個並べられるA300-600を徹底して起用していました。
KALってB767を使っていなかったのですね。
いろいろな機種を満遍なく使っているイメージだったので意外でした。
コンテナの件は、確かにLD-3が使えるA300系統の方が優れていますよね。
流石イギリス、ここでも二枚舌は健在だったんだな!
まあ、イギリスですから。
JASが、東京-長崎線に就航させていたから、長崎空港✈️で、よく見ました。
幹線から亜幹線まで大活躍ですね。
JA8464そうTDAの初号機です。ツールーズから南回りでの空輸実況が30cmLP4枚組みで出てました。
普段国内線がメインの、ベテラン機長たちの苦労が手に取るように。
鹿児島のカンパニー無線の到達範囲に入ったときの喜びようが、音声だけでも伝わってきました。
タイトルは、ヨーロッパー東京16,000キロエアバスA300大空輸作戦です。
通常機体の引渡しは相手先でとなるので日本国内で待っていれば、まいど~と届くのですが。
TDAではD9なども含めて自分達の手でフェリーすると言う伝統があったようです。
そんな記録ビデオ?があったのですね。
未知の空域を飛ぶのは、さぞかし大変だったでしょうね。
@@NORITOBI 様
ごめんなさい、音声のみのアナログレコードです。1981年で上下巻8000円です。
ちょうどイラン・イラク戦争の時でエジプトのカイロからサウジとかなり迂回させられたりと。
キャセイのトライとかKLMの747、当時アナログレコードで販売されてました。
若い方には理解できないかもしれませんが、まだビデオは出始めでほとんど普及せず
映像は8ミリフィルムでお金持ちの趣味でした。
我々庶民はジャケット写真を見ながら、耳から入る音で色々想像を。
初期A300はDC10やL1011のライバル
5:40 コンコルドが時代を感じさせますね
あの写真で、コンコルドの小ささに驚きました。
アメリカ製の旅客機しか搭乗経験が無かったが…初めてA300-600Rに搭乗した経験
は…広いじゃん。客室設備も違和感無くてどんなものか興味津々で搭乗したな~。
入間基地でパンフレットもらったのを覚えている。コックピットは2マン乗務機だったけ
ど以外と広いイメージ。600R、好きな機体だったな~。利用可能時間帯に600Rが
使用機材だと600Rの便をチョイスした。懐かしいな~。
確かにA300-600Rは、いい機体でした。
後継のA330も乗って見たかったです。(国際線でしたら、まだ乗れますが)
@@NORITOBI スカイマークのA330に福岡→羽田で搭乗しました。
ワイドシートはかなり乗り心地が良くてこれはA330に今後はA330に
狙い打ちして乗ろうと思ったら機材統一で…。ミニスカのCAさんとA330
は儚い夢でしたね。
A330って意外と?乗りにくいですよね~!ワイも20年近く前に、意図的にOZでHND⇔GMPしただけ😁
この機体最初コックピット部分は何とあの韓国製でしてそれをフランスへ運んで継ぎ足す方法でした。しかし徐々に330型に変化させた段階でボーイング社は何故767屋757が売れないかを考えて、ボーイングが思いついたのはAirbusが売れている同じ機体を新型機として販売する787型にして事です。横幅長さが同じです。ところが軽量化の準備が全く出来ていないB社はカーボンファイバーの開発に3年が掛かり販売予定時期より2年半も遅れてしまった結果。膨大な罰金を支払う事となった。B社は車の流作業と同じ生産方法を使えば良いのではとB社は安易に考え、1200機もの注文を2002年に受けたが遅れた事で一挙に注文は減って800機まで落ちました。結果的にカーボンファイバー部分は日本に作ってもらうと言う形で何とか販売にこぎ着けた時にバッテリーからの煙問題がでて当時韓国製のバッテリーを止めて日本のメーカーに変更されました。なおAirbus350シリーズは外径は同じでも室内寸法は広げた事で
Extra wide bodyのxwbだけを取ってのが350xwbでして、その長さを7.4メータ分長くしたのがb777と競合する機種350xwb1000です。
レインボーカラーは東亜国内航空が気に入りカラーを購入したのは有名な話
それは良かったが後に東亜国内航空がマクドネルダグラスのDCー9を購入した時マクドネルダグラスからエアバスカラーなレインボーだけは塗らないでくれと言われ泣く泣くレインボーからオレンジ色を抜いた3色のレインボーになったのは有名な話
アメリカメーカーとヨーロッパメーカーの闘いは塗装にも現れた
ダグラスも、よそのメーカーの純正カラーでは、嫌がりますよね。
10年目ぐらい前は、幹線どころか、羽田の地方路線はほぼこの機体でしたよ
比較的,短い滑走路でも運用できましたから、使い勝手が良かったのかもしれませんね。
滑走路1800mの旧広島空港にも飛んでいたそうですね。2000mなら出雲空港便でA300に乗ったことありますが。
そういえば、旧広島空港だと、767か、A300でしたね。どうせ今は、738とか321ばかりだから、また旧広島空港に飛ばしてしまえばいいのに。まあ、騒音問題とかでできないのでしょうが。
320や738になったけど、便数は増えてるんですよね。利便性はよくなったわけです。
そもそも、国内線に747とか飛ばしてたのは日本ぐらい。しかも短距離で。
321neoは個人モニターとか付いているので良いですよ。767はもう老朽化だし。
A300-600RにJALに乗った事ありますが。良い飛行機です。
JASにお世話になりましたが、確かにいい機体でした。
前の音声の方が良かったなぁ~
色々と理由がありまして・・・。
エアバスのコーポレートカラーを東亜国内航空は譲って頂いたのは初めて知りました!!レインボーカラーが懐かしいです!!😊
MD81にあの色を塗る時は、擦った揉んだ有ったみたいですよ。
飛行機の販売には、機体の性能だけでなく。別の意味での営業努力も必要みたいですね。ロッキード社はそれがうまい具合行かなかったどうかは、分かりませんが。今は旅客機の製造、販売やっていませんよね。
L1011はDC10より完成度の高さなど、評価の高い機種ですが、
エンジンがRR限定なのと、長距離バージョンを作る拡張性が無かったのが敗因と言われていますね。
本で読んだでんすけど、開発に時間がかかったのが原因で。エンジン、電子装置など担当したメーカーの、経営にも影響が出たみたいですね。L1011はあまり販売台数が伸びなかったみたいですね。
A300は良かったなあ、日本の他にも米国内線で復活したパンナムのマイアミ~
ニューヨーク(JFK)間へも就航時で利用した機種。エアバス知名度低さが
需要低さになったかな日本では(当時のTV-CMは多かったのに)。
DC-9ばかりだったTDAが、A300を導入した時のCMを見て、
A300は初めて知った機体でしたが、
新カラーと相まってワクワクした覚えがあります。
@@NORITOBI TDA時代のYS-11にDC-9と利用、撮影の札幌行きで
このA300に遭遇は感激したのを覚えています。後のB767相当機材
でしたね当時、日本で乗り損ねた分は米国で楽しんだ機材です。
どうしてもA300に乗りたくていつも利用している便を変更して帰省したのを思い出す
乗りたい機体に予定をずらす気持ち、わかります。
この機種やA310はRB211エンジンがまったくない、GEかPWの2社
A300って今のエアバス機のグラスコックピット化される前の古い機体じゃのいこw
ダグラスはしぶしぶあのカラーにしたって話し聞いた覚えが有ります、だからA300と若干違うとか
でもDC10はまんまあのカラーですよね?
そもそもJASがDC10持ってたって最近まであんまり知らなかったんですけど
JASは、MD81/87/90/10と、色々買ってくれてるから、
断れなかったのかもしれませんね。
BGMつけた方がいいかと。探すの手間ですが
それは承知しているのですが、現段階ではここまでで精一杯なので、
もう少し動画作成スキルが上がったら、BGMつけます。
個人的にはBGMは不要ですね。付加するとしても、よくありがちですが、ナレーションの妨げにならないようにしてほしいです。ナレーションは前の声の方が堅苦しくなくて良かったなぁと。
NORITOBI 自分も今似た動画作ろうとしてます。お互い頑張りましょう。
A300-600は1983年、B767-300は1986年
DC10,L-1011,B747クラシックがライバル機だが、B747が大きく売れた
当時は、まだ効率一辺倒ではなくて、
大は小を兼ねる的な物だったのでしょうね。
少し前はエアバスあんま好きじゃなかったけど最近ボーイングが墜落事故起こしたりだとかドアが吹っ飛ぶだとか問題だらけだからエアバスの方がちゃんとしてるね。
サムネで思い出した。日本の会社でこのエアバスのコーポレート塗装で貫き通したJASですが、DC10を背伸びして買ったとき、ダグラスからウチの飛行機に対して他人んちの色を塗るなってめちゃくちゃ怒られたって話ww
まあ、他社のイメージカラーを自社の製品に塗れ!
と言われたら、普通は嫌がりますよね。
767よりは好きだったが後部が窓も徐々にせり上がってるデザインがあまり好きじゃない
ワイドボディー機だけあって767より、迫力がありますよね。
いまのエアバス社なんてボーイングより売れるようになったじゃない
飛行機✈️です。
短距離機なら737,DC9があるのに、A300はでかすぎでは、日本以外では単通路機および小型機が短距離機だが
イギリスはいちぬけするのか?テンペストでもやりそう。
A 300って貿易不均衡を理由にEU が無理やり売り付けた印象がある
米国もそうですが、航空機は価格が高い分、政治の道具にされやすいですよね。