わかる歴史【戦国列伝】長篠の戦い

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  • Опубліковано 5 жов 2024

КОМЕНТАРІ • 14

  • @eboardchannel
    @eboardchannel  11 років тому +1

    ありがとうございます。そう言って頂けると励みになります!

  • @まさ-k2h
    @まさ-k2h 4 роки тому

    分かりやすい講義内容でしたありがとうございます。

  • @龍之介-n4z
    @龍之介-n4z 11 років тому

    いつも分かりやすくて面白い講義で楽しみにしています。

  • @natu3791venefit
    @natu3791venefit 11 років тому +3

    こういう指導者に教わりたかったです

    • @たいへんよくできました-u9z
      @たいへんよくできました-u9z 5 років тому

      教育者じゃなくて?戦後63制教育は下層に合わせるから、教員に多大な負担を強います。今の学校でこんな内容重視の授業やったら半分も消化できないでしょうね。

  • @jiiji_jp
    @jiiji_jp 4 роки тому +1

    こんばんは。
    江戸時代以降の動画はないのでしょうか?
    関西弁でのわかりやすい解説。
    せめて昭和初期くらいまで欲しいです。
    先生!ぜひ、よろしくお願いいたします。

  • @Ixion1260
    @Ixion1260 10 років тому +2

    とても分かりやすいです

  • @Ambivalenz0x
    @Ambivalenz0x 5 років тому

    ありがとうとても面白かったです。
    この後に手取川の戦いで上杉にあっさり負けるの草

  • @私は元のら猫
    @私は元のら猫 6 років тому

    戦国時代におっさんになってからはまりました。そして鳥井強衛門さんにたどり着き、涙が止まりません。( TДT)

  • @syasin532
    @syasin532 5 років тому

    長篠城に残した兵わ300だったきがする

  • @新方敏幸
    @新方敏幸 9 років тому +3

    山家三方衆は作手の奥平氏、長篠の菅沼氏、田峰の菅沼氏の三家であったが、武田信玄が攻めて来ると、
    武田氏に寝返ったが、武田本隊が去り、信玄の死が明らかになり徳川家康に長篠城が攻め落とされた、
    長篠城の防備を厚くした家康は帰り新参の奥平貞能、貞昌父子を入れた、しかも貞昌には家康の長女を娶せた、
    そこへ、寝返った奥平父子を成敗するためと長篠城を攻め落とすため、医王山に布陣した、
    対する織田・徳川軍にたいして、連子川沿いに馬防柵を巡らした、
    戦いは信長の独創的な種子島銃の三段射ちにより武田軍は惨敗して信玄以来の股肱之臣を亡くした、
    奥平貞昌には信長から信の字が諱として贈られた、奥平信昌の誕生。

    • @jjqpepper6292
      @jjqpepper6292 6 років тому +1

      新方敏幸 分かりやすい解説に水を指すようで恐縮ですが、三段撃ちはどうやら江戸末期での創作説が濃厚だそうです。野戦築城と掘で一つの軍事施設を構築して打ち負かしたと考古学と新たに見つかった資料で裏付けられた模様です。失礼しました。

  • @DMZ37E
    @DMZ37E 5 років тому

    吹けば飛ぶ我が国で合戦する場所有るか?
    兵力盛り過ぎ。

  • @betelgeuse3125
    @betelgeuse3125 8 років тому +1

    でたらめだよな。
    鳶ヶ巣山砦を落としてからなのだが。
    授業をするなら知っておけよ!
    しかも「奥平信昌」?違うやろ。
    本当はあの当時は「奥平貞昌」やろ。