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高橋是清の家が小金井公園に移築されています。硝子窓も当時を再現して手造りです。板硝子も手造り😅今のように完全に平らに出来てなくて歪んでいます。これも何となく風情ありますよ。確か尾道の林芙美子の家も嘗てはそうでした(だいぶ行ってないから今はどうかな?)
60代ですが、子供の頃は田舎の商店街に住んでいて、殆どの家がお風呂がありませんでしたが、近くに銭湯がありました。郊外の家にはお風呂がありました。銭湯には2日間に一回くらい、家族総出で行ってました。銭湯は交流の場でもあったので、行くのが面倒だという感覚はなかったですね。
文化住宅って風呂無しの木造アパートのことだと思ってたけど、もともとはこういう建築様式のことを言ってたんですね。たしかに真ん中に長い廊下があって両側に区切られた和室の部屋が並んでる。
サツキとメイのおうちみたいなのとちびまる子ちゃんのおうちの間取りでてきて笑った
アルミサッシが普及するまで冬は隙間風が辛かったでしょうね。
生家が木枠窓でした。冬の朝、目を覚ますと布団や顔面に雪が積もってた事がありました。
その隙間風が通気性良くて良いのよ。雨戸あれば雨でも大丈夫!。寒さは厚着でオッケー
木の方が、アルミよりも断熱性能は上なのにね。
@@あほたん-y2p 木は痛みが早い&冬は乾燥して縮むから隙間風ふく。今の木材みたいな樹脂染み込ませて無いし。
@@著著 さんなるほど、材質そのものよりも、加工技術の話なんですね。イマドキはアルミサッシって無いと思うんですが、なんでプラサッシよりもアルミのほうが普及したんですかね?これも加工技術の問題ですかねぇ?
昔の田舎のおばあちゃん家がまさにそんな感じだった。農家だったから玄関とは別の裏口から入る土間は走れるくらい広くて、掘り炬燵があってトイレは汲み取り式。でも玄関横に一室だけ、上はシャンデリア、下はオレンジの絨毯、カーテンにはゴテゴテの装飾が施されていて分厚いソファーとか四角いピアノまである異様な空間の部屋があって、ここは秘密の部屋なのかと子供心に怖さとワクワク感を感じていた。今思えばそこは応接間で大正のトレンドだったんだな。今は廃墟と化しているけどもう一度入ってみたくなった。
麻生家の廊下では子供が徒競走できるくらいの長さとか。太郎さんが何かのインタビューで答えていたはずです。
銭湯に通うの面倒とされているが炊くのも面倒なんだが。水も燃料も今と違う。
集合住宅って、江戸時代の長屋が最初かと思ってたわ。
長屋は厳密に言うと集合住宅ではないのでは
@@Fukuro-Kakugari微妙ーーかなー。。江戸の場合は幕府公営の集合住宅ではあるよ。動画では日本最初の鉄筋コンクリートの集合住宅って言ってるよ。
@@著著 調べたら長屋もめちゃくちゃ集合住宅だったわありがとう
割と真面目に巨大なワンルームに住みたい
7:09こちらは東宮御所だった赤坂離宮ですよね?単なる華族の家じゃないですね?
サムネが叡智な絵に見えた
㍾時代の大理石風のものは全て日本の左官職人のこていっぽんで作る漆喰細工で彫刻じゃないからな
9:09 金カム鯉登家のモデルになった建物?明治村の
擬洋風建築の家として紹介されてる画像は、旧開智学校ですね😅
森鴎外が中流階級...?
華族ではなかったから一応中流なんでしょうね。中流階級は幅が広い
@@群咲-y8x なるほど、、華族は確かに上流階級ですね陸軍省からドイツ留学するくらいのエリートなので中流ではなく超エリートくらいのイメージしかなかった、、
日本の家はとにかく寒い。寒い。エアコンがきいている部屋しか温まらない。冬になると、ロシアのどんなヤスボロアパートより居心地よくナシ
う~~~ん。大正~昭和初期の中産階級と、昭和末期~バブル崩壊前の中流意識は、意味合いが全く違うと思うんだけど……動画中の「中流」って、多分、現在ではどっちかと言えば「富裕層」だと思うんだけどな。そこまで行かなくても正規雇用層みたいな?多分多数の一般庶民の住居はもっとチープだったんじゃないか?
高橋是清の家が小金井公園に移築されています。硝子窓も当時を再現して手造りです。板硝子も手造り😅今のように完全に平らに出来てなくて歪んでいます。これも何となく風情ありますよ。確か尾道の林芙美子の家も嘗てはそうでした(だいぶ行ってないから今はどうかな?)
60代ですが、子供の頃は田舎の商店街に住んでいて、殆どの家がお風呂がありませんでしたが、近くに銭湯がありました。郊外の家にはお風呂がありました。銭湯には2日間に一回くらい、家族総出で行ってました。銭湯は交流の場でもあったので、行くのが面倒だという感覚はなかったですね。
文化住宅って風呂無しの木造アパートのことだと思ってたけど、もともとはこういう建築様式のことを言ってたんですね。
たしかに真ん中に長い廊下があって両側に区切られた和室の部屋が並んでる。
サツキとメイのおうちみたいなのとちびまる子ちゃんのおうちの間取りでてきて笑った
アルミサッシが普及するまで冬は隙間風が辛かったでしょうね。
生家が木枠窓でした。冬の朝、目を覚ますと布団や顔面に雪が積もってた事がありました。
その隙間風が通気性良くて良いのよ。
雨戸あれば雨でも大丈夫!。寒さは厚着でオッケー
木の方が、アルミよりも断熱性能は上なのにね。
@@あほたん-y2p
木は痛みが早い&冬は乾燥して縮むから隙間風ふく。
今の木材みたいな樹脂染み込ませて無いし。
@@著著 さん
なるほど、材質そのものよりも、加工技術の話なんですね。
イマドキはアルミサッシって無いと思うんですが、なんでプラサッシよりもアルミのほうが普及したんですかね?
これも加工技術の問題ですかねぇ?
昔の田舎のおばあちゃん家がまさにそんな感じだった。農家だったから玄関とは別の裏口から入る土間は走れるくらい広くて、掘り炬燵があってトイレは汲み取り式。
でも玄関横に一室だけ、上はシャンデリア、下はオレンジの絨毯、カーテンにはゴテゴテの装飾が施されていて分厚いソファーとか四角いピアノまである異様な空間の部屋があって、ここは秘密の部屋なのかと子供心に怖さとワクワク感を感じていた。今思えばそこは応接間で大正のトレンドだったんだな。今は廃墟と化しているけどもう一度入ってみたくなった。
麻生家の廊下では子供が徒競走できるくらいの長さとか。太郎さんが何かのインタビューで答えていたはずです。
銭湯に通うの面倒とされているが炊くのも面倒なんだが。水も燃料も今と違う。
集合住宅って、江戸時代の長屋が最初かと思ってたわ。
長屋は厳密に言うと集合住宅ではないのでは
@@Fukuro-Kakugari
微妙ーーかなー。。江戸の場合は幕府公営の集合住宅ではあるよ。
動画では日本最初の鉄筋コンクリートの集合住宅って言ってるよ。
@@著著 調べたら長屋もめちゃくちゃ集合住宅だったわありがとう
割と真面目に巨大なワンルームに住みたい
7:09こちらは東宮御所だった赤坂離宮ですよね?単なる華族の家じゃないですね?
サムネが叡智な絵に見えた
㍾時代の大理石風のものは全て日本の左官職人のこていっぽんで作る漆喰細工で彫刻じゃないからな
9:09 金カム鯉登家のモデルになった建物?明治村の
擬洋風建築の家として紹介されてる画像は、旧開智学校ですね😅
森鴎外が中流階級...?
華族ではなかったから一応中流なんでしょうね。中流階級は幅が広い
@@群咲-y8x なるほど、、華族は確かに上流階級ですね
陸軍省からドイツ留学するくらいのエリートなので中流ではなく超エリートくらいのイメージしかなかった、、
日本の家はとにかく寒い。寒い。エアコンがきいている部屋しか温まらない。冬になると、ロシアのどんなヤスボロアパートより居心地よくナシ
う~~~ん。
大正~昭和初期の中産階級と、昭和末期~バブル崩壊前の中流意識は、意味合いが全く違うと思うんだけど……
動画中の「中流」って、多分、現在ではどっちかと言えば「富裕層」だと思うんだけどな。そこまで行かなくても正規雇用層みたいな?
多分多数の一般庶民の住居はもっとチープだったんじゃないか?