秀吉の恩返しについては、別人からイジメを受けていた話もあって、その恨みを忘れていなかった秀吉は、後年その地域を通りかかったとき思い出して、秀吉をイジメた本人を探し出してクビを切ろうとしたが、本人も子も生きておらず、孫ならいると近所の人に言われて、孫なら仕方ないと報復をあきらめた話がある。
徳川家康は人質時代にイジメられてた時のことを根に持ってイジメっ子達を後で処刑したのは聞いた事があります。
その一方で今川氏真みたいにつるんで一緒に悪さしてた友達には城をあげたりしてます。
秀吉はその時その時の上司に恵まれてたんだよね。秀吉の才を認めよくしてくれる上司が多かった。
だからどんどん出世して更にとうとう上下関係が逆転しても良好な関係となることが多かった。
子供の頃読んだ秀吉偉人伝で、秀吉のこと認めてたのに家臣の妬みで解雇せざるを得なかった、いい主君だったのに、そのあと何も記述なかったので、
今回のこれで40年ぶりに心のつかえが取れてよかったです。
静岡県は松下さんが日本で一番多い (とはいえ鈴木さんが圧倒的に多い) のだが、この殿様は豊臣政権で早いうちに関東地方へ転封されて縁がなくなってんですよね。寄合旗本で江戸期を過ごしても領地はもう関東地方だったし。
江戸期には農民でも姓を持っていたのが通説らしいけど、戦国時代以前にすでに松下姓が多かったのかな。松下加兵衛之綱の地元は、別の寄合旗本の領地になってて、なんら崇敬の対象でもないので不思議です。天下分け目の合戦のたびに日和見行動して生き長らえた印象が強い。
昔放送した草なぎ剛が秀吉で中井貴一が松下嘉兵衛の「サルと呼ばれた男」というドラマが好きで今でも時々見てる
TVドラマ『柳生一族の陰謀』で母の実家で自分の育て親の爺が隠居している松下家を潰した父の柳生宗矩に十兵衛が抗議する場面がありました。大目付の柳生宗矩としては妻の実家だからと贔屓すれば秩序が守れない旨を言い、情に生きる十兵衛と法に生きる宗矩の対立が見えるシーンでした。
松下家は兄も弟もなんか人を助ける事ばっかしてんだな
16歳の秀吉と、同い年の松下之綱は友人だったのかな。よそ者の秀吉を親切に面倒みてやったのだろう。
それを忘れずに後年、取り立ててる事からして。
五大老や五奉行に次ぐ待遇だった、と聞いたことがある
一時、徳川家にも使えてたのにヒドイ
その後の子孫は二川宿の関所に。「二川猿ヶ馬場」ここでも秀吉との縁が感じられる!
孕石主水さんの話をお願いします
醍醐源氏から没落貴族だった秀吉の若き頃のエピソード良かったですね
昔の武士の家系は受けた恩は忘れないし没落しても親戚付き合いは無くならない
寧々の家系は光秀の親戚の家系で柳生と同族の家系だし繋がりが少しバレちゃった感じですね!
部下が天下人になってびっくりΣ(゚Д゚)
その松下の子孫が幕末、山内容堂に無礼を働いてぶん殴られたとか司馬遼太郎の「竜馬がゆく」であったな
山内容堂の親類に当たる旗本の松下嘉兵衛が土佐藩邸で「カボチャ頭を叩いてみれば 無能無能と音がする」とか言いながら吉田東洋の頭を叩いて吉田東洋が切れて松下嘉兵衛に無礼を働いて罰せられた逸話ですね。
明治になって山内家が松下家を華族に列するよう願い出ていますが、却下されています。
万石以上の陪臣が華族に列せられて、直臣の旗本たちが士族とは、旗本のお殿様たちにとっては屈辱だったと思います。
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大恩のある織田には何も恩返ししてないけどねw
@@bluestar_1213 信忠の長男三法師を
担ぎ上げたけど完全に無視してるけどw
信忠が生きていたって多分一緒だよ。
自分が頂点に立とうとしたと思う。
動画内で「松下家から鎧を買う代金を預かったまま、持ち逃げしたとも」と、ありますが、
私の読んだ本では、ある日、秀吉は長則から呼び出されて、
「これから他国へ出向き、この金で鎧を買い付けてほしい。何年掛っても構わない」と、言われ、
秀吉は彼の真意を悟り、その金を持って松下家を出た。と、あります。
(要は、彼は秀吉に自主退職を促した。預けた金は退職金&餞別の代わり)
めっちゃいい話やん…