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清原は本塁打王は獲ってないけど、彼より本塁打を放った選手は歴代で4人しかいないし安定して成績を残せたことは凄いと思います。MLBのマイクトラウトは主要タイトルは打点王を一度しか取ったことがないけど安定したopsの高さから世界一の打者と評価されているのと同様に、清原も出塁率や長打率の高さが長所のタイプだから一流選手だったことに疑いの余地はないと思います。
清原選手は、現役後半にパワーを求めるあまり柔軟性を損ねたか?故障に悩まされたのが惜しかったと思っています。デビュー後数年の毎年osp0.900超えと1.000超え二度なんて「王さんの記録を破るとしたら清原」なんて言われてたのも、後年に振り返ったら無理もないと思えてきました。優れた競技成績を短期間残すだけでも困難かつ希少なのに、それを長期間持続ともなると、まさに奇跡的な存在なのですね。
先に200敗は東尾投手もやってるけど土壇場で勝ち越したんだよなー
西鉄の黒い霧事件による投手陣崩壊の時のデビューと、太平洋クラブ、クラウンライター時代の不遇のエースとしての負け越しを、西武ライオンズ時代の到来で一気に挽回でしたね。もしも西武にならなかったら、動画の梶本隆夫さんみたいな負け越し200勝投手とか、もっと不遇な、広島カープ弱小時代のエース長谷川良平さんみたいな200敗して200勝にギリギリ届かず、みたいなこともあり得たのかも?
今回は個人タイトル特集お疲れ様です!清原選手は本塁打王などタイトル獲得してないのが不思議。
西武時代は4番が中心で、当時秋山、デストラーデ、辻、石毛など豪華メンバーの中で、勝つための野球を求められた結果、繋ぎの打撃を中心に徹した。
今回も力作のアップ、本当に有り難うございましたm(_ _)m今回の動画のお陰で、実に様々な事が思い出された今年57歳になるゴリゴリの巨人ファン歴47年目のアラ還ジジイですm(_ _)m桑田・清原両選手(コレ又ゴリゴリの桑田ファンですので敢えてこう表記させて貰っておりますが)と同級生になる年代ですので、清原選手にも思い入れが十二分に有りますが、清原選手のまさに1年目の衝撃はマジで凄かった……😂😂この選手はこれから先、一体どれ程のビッグな選手になるんやろかと…あの時に味わった衝撃もこれから先も忘れませんし、松原誠選手も本当に懐かしい…最晩年は巨人でもプレーしてらっしゃいましたから、件のタコ足捕球もテレビでしっかりと見させて貰っております😂😂「松原誠選手が来てしもたから、山本功児選手、レギュラー取り損ねたな、可哀想😢😢(山本功児選手も結構好きでしたので)」と思ったり……。中日・田尾選手と大洋・長崎宣言との激烈な首位打者争いと巨人と中日とのコレ又激烈な優勝争い(中日は近藤貞雄監督、野武士野球を標榜されておられましたね)もマジで懐かしい……😢😢田尾選手がとんでもないボール球を無理くり空振りしたシーンもテレビでのスポーツニュースかなあ?しっかり見た記憶が有ります😂😂それと、中日が優勝した瞬間に、それを知らせる映像がテレビに差し挟まれた時に、何故かバックに萩本欽一・欽ちゃんが大映しになっていた事が今となっては不思議でしょうが無かったのですが、月曜日の21時過ぎで、既に野球中継が終わっていたフジテレビの試合だったんですね……何十年も経過した今になって得心が行きました😂😂書き出したら本当に止まりません😂😂改めて感謝しますm(_ _)m
土井さん、ドラゴンズ打撃コーチ時代に福田永将や平田良介といったスラッガー候補を覚醒出来なかった事が残念だったなぁ
王はローズの時もやったよな敬遠
藤本投手はその日登板予定でなく、別の投手がなげるはずが突如回避したため急遽体調不良のまま登板。大記録をたてた。ちなみに完全試合の写真はいっさいのこっておらず しかもそういうケースはありえないとおもわれていたから「完全試合」ということばがなかった時代。快挙のあとで あわててことばを世間が決めたらしい。
総集編お疲れ様です😇オレ的に無冠の帝王で思い出すのはやっぱ清原かなあ🙄
やっぱり清原選手でしょうね!一回はタイトル獲得してるのを見たかった。
@@森敬斗世代森田ひかる コーチ時代のお師匠さんな土井選手と似てる気もしますが清原は不思議な事に本当に打撃タイトル0ですからね🙄落合氏が残念がってたのも何か分かります·······
@@森敬斗世代森田ひかる清原は無冠だけど落合より多い通算歴代5位のホームランや打点を記録しているので球史に名を残すほどの名選手だったのでは?また通算出塁率3割9分、ops9超えは選手を統計学を駆使して評価するセイバーメトリクスが重視されている今ならもっと評価されているのではと思います。少なくとも育成失敗ではないと思います。
清原は今は表彰されないけど勝利打点王のタイトルをとってたので無冠ではないよ。そもそも昔は無冠とは本塁打、打点、打率が三冠王の要件であって、その3冠に縁がなかっただけで、今なら最高出塁率、盗塁、最多安打のタイトルだけで三冠王になるからね
清原は無冠の帝王として有名だけど、タイトルを狙うなら本塁打でなく打点の方が狙いやすかったと思う。本塁打を狙いだすとスランプになることが多かったし。
清原は無冠ですが、通算歴代5位のホームランや打点を記録しているので球史に名を残すほどの名選手だったのでは?また通算出塁率3割9分、ops9超えは選手を統計学を駆使して評価するセイバーメトリクスが重視されている今ならもっと評価されているのではと思います。少なくとも育成失敗ではないと思う。
@@似年名 私は別に清原が育成失敗に値する選手だとは書いていませんよ。私見にはなりますが、タイトルを狙うのであれば打点の方が清原には向いていたのではと思っただけです。
土井正博は400本塁打以上打った選手では3人しか居ない三振率一割未満の打者(8694打数で777三振)。後の二人は504本塁打の張本勲(9666打数で815三振)と444本塁打の長嶋茂雄(8094打数で729三振)
田尾と長崎同じチームだったことがあるのね
着眼点がいつも面白くて好きです。太陽の優勝は1960年ではないでしょうか・・・
❌ 太陽️⭕️ 大洋「太陽がいっぱい」は流行しましたが⋯
清原選手は、小久保選手が28本でホームラン王の年もあったからね。
あの年は別格のイチローを除けば打率2位は.309の堀幸一だったし、打点王も80打点今年のパリーグと状況が似てますね
清原は1995年は肩の脱臼の影響で故障者リストに入っていたので、仕方ないのでは?例年ならタイトルを取れた可能性は高いと思います。
@@akanaokdds7118 その次の96年も1本差で本塁打王逃してる、清原31、タイトルホルダーのニールが32。
打撃タイトルではないが盗塁王はほぼ打撃タイトルと同格でいいと思う。じゃないと福本ですら無冠という事になってしまうし、そう呼ぶのにはかなり違和感がある。
大映の年間57勝のうち29勝が三浦投手!!
『無冠の帝王』梶本隆夫が28勝を挙げた年に29勝を挙げて最多勝になった三浦方義が、その直後の『戦力外からタイトル獲得』で取り上げられたのは偶然では無いですよね。
主さんはどこ贔屓なんだろ?
投手の無冠の帝王と紹介された梶本隆夫さんについてですが、阪急ブレーブスが弱かった時代に後に通算350勝の米田哲也さんと阪急投手陣の両輪として活躍して「ヨネカジ」と呼ばれて阪急ファンから親しまれたそうです。全盛期には金田正一さんよりも速かった速球投手と言われて、当時パリーグ記録の9人連続奪三振も記録しておられます。私個人の記憶では現役の頃は記憶にありませんが、野球技術著書の名著としてマニアックに語られる村上豊 著「科学する野球」シリーズ(ベースボールマガジン社)の第二巻「投手編」において、金田正一さんと投球モーションを比較する連続写真と解説のページにて、金田正一さんは柔らかく身体を捻って胸を大きく張ったテイクバックが素晴らしいながらリリースからフォロースルーにかけて踏み出し足がつっかえ棒のようになって上体が前に突っ込む欠点があるのに対して、梶本隆夫さんは金田正一さんほどではなくとも柔らかくテイクバックした後のリリースからフォロースルー時に上体が突っ込まず、力みのないモーションから威力のある速球を投げることについて金田正一さん以上であり、このような投球動作で投げる投手が日本野球界に続々と誕生することを願って投手編を終えます、みたいな感じの締め方で著される大絶賛ぶりでした。後年に個人的に思ったのですが、MLBの剛腕左腕として名高いランディ・ジョンソン投手の投球動作になんとなく似ているように思ったことがあります。村上豊さんの「科学する野球」シリーズは昭和の終わり近くから平成初期にかけて打撃編、投手編、守備走塁編、実践編、実技篇,に加えてドリル編、トレーニング編と野球技術に関しての著作では類を見ない冊数でしたが、残念ながら現在は絶版で、Amazonをはじめ,幾つもの書籍通販で古書で見受けられるものの、電子書籍などは未整備のようです。著者の村上豊氏は戦前から野球について考察しておられ,社会人野球に参加しておられた時期もあったそうですが、かの広岡達朗氏も学んだと言われる新田恭一氏の理論に反論されるなど、野球技術にマニアックな方々には知る人ぞ知る存在であられたそうです。打撃編にある「空手打法」理論は、王貞治さんと親交のあった歌手灰田勝彦さんとの縁で、王さんが田淵幸一さんに本塁打王を奪取され連続本塁球王記録が止まった頃に紹介されて面会して、理論を最初に披露することになり、王さんは「なるほど空手打法の動作で打てば脇も自然に締まりますね」とお答えになったのだとか。しばらくして王さんがスランプ脱出し、灰田勝彦さんから「王さんは村上さんに感謝してますよ」と伝えられたそうです。戦前からの野球研究家だけに、プロ野球黎明期の選手写真なども多く収集しておられるそうで、科学する野球にも使用されて、理論の根拠を説明する際の具体例として用いられているのが、野球ファンとして、見る機会のなかったいにしえの名プレーヤーのプレーぶりを偲ばせるものとして見る価値もあると思いました。高めの球の打ち方として、バットを水平にすることに拘らず、前述の空手打法による自然な脇の締まりに伴って高めの球を打つにはバットの先だけ高く、という結論になり,それに合致した動作の名選手がいるはずだと写真を探したら、なんと初代ミスタータイガース藤村富美男さんの写真が、そういう動作だった写真を見つけた話とか、凄いとおもいました。残念ながら村上豊さんは1995年に逝去しておられ、晩年はどのような活動ぶりだったのか存じないのですが、MLBに負けないスピードとパワーに溢れた野球が日本人選手によってプレーされることを望んでおられたようで、今のMLB日本人選手の活躍を見たらどう語られたのか、著してもらいたかったです。
7:00❌ 伺える️⭕️ 窺える
清原は本塁打王は獲ってないけど、彼より本塁打を放った選手は歴代で4人しかいないし安定して成績を残せたことは凄いと思います。MLBのマイクトラウトは主要タイトルは打点王を一度しか取ったことがないけど安定したopsの高さから世界一の打者と評価されているのと同様に、清原も出塁率や長打率の高さが長所のタイプだから一流選手だったことに疑いの余地はないと思います。
清原選手は、現役後半にパワーを求めるあまり柔軟性を損ねたか?故障に悩まされたのが惜しかったと思っています。
デビュー後数年の毎年osp0.900超えと1.000超え二度なんて「王さんの記録を破るとしたら清原」なんて言われてたのも、後年に振り返ったら無理もないと思えてきました。
優れた競技成績を短期間残すだけでも困難かつ希少なのに、それを長期間持続ともなると、まさに奇跡的な存在なのですね。
先に200敗は東尾投手もやってるけど土壇場で勝ち越したんだよなー
西鉄の黒い霧事件による投手陣崩壊の時のデビューと、太平洋クラブ、クラウンライター時代の不遇のエースとしての負け越しを、西武ライオンズ時代の到来で一気に挽回でしたね。
もしも西武にならなかったら、動画の梶本隆夫さんみたいな負け越し200勝投手とか、もっと不遇な、広島カープ弱小時代のエース長谷川良平さんみたいな200敗して200勝にギリギリ届かず、みたいなこともあり得たのかも?
今回は個人タイトル特集お疲れ様です!清原選手は本塁打王などタイトル獲得してないのが不思議。
西武時代は4番が中心で、当時秋山、デストラーデ、辻、石毛など豪華メンバーの中で、勝つための野球を求められた結果、繋ぎの打撃を中心に徹した。
今回も力作のアップ、本当に有り難うございましたm(_ _)m
今回の動画のお陰で、実に様々な事が思い出された今年57歳になるゴリゴリの巨人ファン歴47年目のアラ還ジジイですm(_ _)m
桑田・清原両選手(コレ又ゴリゴリの桑田ファンですので敢えてこう表記させて貰っておりますが)と同級生になる年代ですので、清原選手にも思い入れが十二分に有りますが、清原選手のまさに1年目の衝撃はマジで凄かった……😂😂
この選手はこれから先、一体どれ程のビッグな選手になるんやろかと…あの時に味わった衝撃もこれから先も忘れませんし、松原誠選手も本当に懐かしい…最晩年は巨人でもプレーしてらっしゃいましたから、件のタコ足捕球もテレビでしっかりと見させて貰っております😂😂
「松原誠選手が来てしもたから、山本功児選手、レギュラー取り損ねたな、可哀想😢😢(山本功児選手も結構好きでしたので)」と思ったり……。中日・田尾選手と大洋・長崎宣言との激烈な首位打者争いと巨人と中日とのコレ又激烈な優勝争い(中日は近藤貞雄監督、野武士野球を標榜されておられましたね)もマジで懐かしい……😢😢
田尾選手がとんでもないボール球を無理くり空振りしたシーンもテレビでのスポーツニュースかなあ?しっかり見た記憶が有ります😂😂
それと、中日が優勝した瞬間に、それを知らせる映像がテレビに差し挟まれた時に、何故かバックに萩本欽一・欽ちゃんが大映しになっていた事が今となっては不思議でしょうが無かったのですが、月曜日の21時過ぎで、既に野球中継が終わっていたフジテレビの試合だったんですね……何十年も経過した今になって得心が行きました😂😂
書き出したら本当に止まりません😂😂
改めて感謝しますm(_ _)m
土井さん、ドラゴンズ打撃コーチ時代に
福田永将や平田良介といった
スラッガー候補を覚醒出来なかった事が
残念だったなぁ
王はローズの時もやったよな敬遠
藤本投手はその日登板予定でなく、別の投手がなげるはずが突如回避したため急遽体調不良のまま登板。大記録をたてた。
ちなみに完全試合の写真はいっさいのこっておらず しかもそういうケースはありえないとおもわれていたから「完全試合」ということばがなかった時代。快挙のあとで あわててことばを世間が決めたらしい。
総集編お疲れ様です😇
オレ的に無冠の帝王で思い出すのはやっぱ清原かなあ🙄
やっぱり清原選手でしょうね!一回はタイトル獲得してるのを見たかった。
@@森敬斗世代森田ひかる コーチ時代のお師匠さんな土井選手と似てる気もしますが清原は不思議な事に本当に打撃タイトル0ですからね🙄
落合氏が残念がってたのも何か分かります·······
@@森敬斗世代森田ひかる
清原は無冠だけど落合より多い通算歴代5位のホームランや打点を記録しているので球史に名を残すほどの名選手だったのでは?また通算出塁率3割9分、ops9超えは選手を統計学を駆使して評価するセイバーメトリクスが重視されている今ならもっと評価されているのではと思います。少なくとも育成失敗ではないと思います。
清原は今は表彰されないけど勝利打点王のタイトルをとってたので無冠ではないよ。そもそも昔は無冠とは本塁打、打点、打率が三冠王の要件であって、その3冠に縁がなかっただけで、今なら最高出塁率、盗塁、最多安打のタイトルだけで三冠王になるからね
清原は無冠の帝王として有名だけど、タイトルを狙うなら本塁打でなく打点の方が狙いやすかったと思う。本塁打を狙いだすとスランプになることが多かったし。
清原は無冠ですが、通算歴代5位のホームランや打点を記録しているので球史に名を残すほどの名選手だったのでは?また通算出塁率3割9分、ops9超えは選手を統計学を駆使して評価するセイバーメトリクスが重視されている今ならもっと評価されているのではと思います。少なくとも育成失敗ではないと思う。
@@似年名 私は別に清原が育成失敗に値する選手だとは書いていませんよ。
私見にはなりますが、タイトルを狙うのであれば打点の方が清原には向いていたのではと思っただけです。
土井正博は400本塁打以上打った選手では3人しか居ない三振率一割未満の打者(8694打数で777三振)。後の二人は504本塁打の張本勲(9666打数で815三振)と444本塁打の長嶋茂雄(8094打数で729三振)
田尾と長崎同じチームだったことがあるのね
着眼点がいつも面白くて好きです。太陽の優勝は1960年ではないでしょうか・・・
❌ 太陽
️⭕️ 大洋
「太陽がいっぱい」は流行しましたが⋯
清原選手は、小久保選手が28本でホームラン王の年もあったからね。
あの年は別格のイチローを除けば打率2位は.309の堀幸一だったし、打点王も80打点
今年のパリーグと状況が似てますね
清原は1995年は肩の脱臼の影響で故障者リストに入っていたので、仕方ないのでは?例年ならタイトルを取れた可能性は高いと思います。
@@akanaokdds7118 その次の96年も1本差で本塁打王逃してる、清原31、タイトルホルダーのニールが32。
打撃タイトルではないが盗塁王はほぼ打撃タイトルと同格でいいと思う。
じゃないと福本ですら無冠という事になってしまうし、そう呼ぶのにはかなり違和感がある。
大映の年間57勝のうち29勝が三浦投手!!
『無冠の帝王』梶本隆夫が28勝を挙げた年に29勝を挙げて最多勝になった三浦方義が、その直後の『戦力外からタイトル獲得』で取り上げられたのは偶然では無いですよね。
主さんはどこ贔屓なんだろ?
投手の無冠の帝王と紹介された梶本隆夫さんについてですが、阪急ブレーブスが弱かった時代に後に通算350勝の米田哲也さんと阪急投手陣の両輪として活躍して「ヨネカジ」と呼ばれて阪急ファンから親しまれたそうです。
全盛期には金田正一さんよりも速かった速球投手と言われて、当時パリーグ記録の9人連続奪三振も記録しておられます。
私個人の記憶では現役の頃は記憶にありませんが、野球技術著書の名著としてマニアックに語られる村上豊 著「科学する野球」シリーズ(ベースボールマガジン社)の第二巻「投手編」において、金田正一さんと投球モーションを比較する連続写真と解説のページにて、金田正一さんは柔らかく身体を捻って胸を大きく張ったテイクバックが素晴らしいながらリリースからフォロースルーにかけて踏み出し足がつっかえ棒のようになって上体が前に突っ込む欠点があるのに対して、梶本隆夫さんは金田正一さんほどではなくとも柔らかくテイクバックした後のリリースからフォロースルー時に上体が突っ込まず、力みのないモーションから威力のある速球を投げることについて金田正一さん以上であり、このような投球動作で投げる投手が日本野球界に続々と誕生することを願って投手編を終えます、
みたいな感じの締め方で著される大絶賛ぶりでした。
後年に個人的に思ったのですが、MLBの剛腕左腕として名高いランディ・ジョンソン投手の投球動作になんとなく似ているように思ったことがあります。
村上豊さんの「科学する野球」シリーズは昭和の終わり近くから平成初期にかけて打撃編、投手編、守備走塁編、実践編、実技篇,に加えてドリル編、トレーニング編と野球技術に関しての著作では類を見ない冊数でしたが、残念ながら現在は絶版で、
Amazonをはじめ,幾つもの書籍通販で古書で見受けられるものの、電子書籍などは未整備のようです。
著者の村上豊氏は戦前から野球について考察しておられ,社会人野球に参加しておられた時期もあったそうですが、かの広岡達朗氏も学んだと言われる新田恭一氏の理論に反論されるなど、野球技術にマニアックな方々には知る人ぞ知る存在であられたそうです。
打撃編にある「空手打法」理論は、王貞治さんと親交のあった歌手灰田勝彦さんとの縁で、王さんが田淵幸一さんに本塁打王を奪取され連続本塁球王記録が止まった頃に紹介されて面会して、理論を最初に披露することになり、王さんは「なるほど空手打法の動作で打てば脇も自然に締まりますね」とお答えになったのだとか。
しばらくして王さんがスランプ脱出し、灰田勝彦さんから「王さんは村上さんに感謝してますよ」と伝えられたそうです。
戦前からの野球研究家だけに、プロ野球黎明期の選手写真なども多く収集しておられるそうで、科学する野球にも使用されて、理論の根拠を説明する際の具体例として用いられているのが、野球ファンとして、見る機会のなかったいにしえの名プレーヤーのプレーぶりを偲ばせるものとして見る価値もあると思いました。
高めの球の打ち方として、バットを水平にすることに拘らず、前述の空手打法による自然な脇の締まりに伴って高めの球を打つにはバットの先だけ高く、という結論になり,それに合致した動作の名選手がいるはずだと写真を探したら、なんと初代ミスタータイガース藤村富美男さんの写真が、そういう動作だった写真を見つけた話とか、凄いとおもいました。
残念ながら村上豊さんは1995年に逝去しておられ、晩年はどのような活動ぶりだったのか存じないのですが、MLBに負けないスピードとパワーに溢れた野球が日本人選手によってプレーされることを望んでおられたようで、今のMLB日本人選手の活躍を見たらどう語られたのか、著してもらいたかったです。
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❌ 伺える
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