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確かに、昔は熱くて当たり前でしたね😅初めて5000系に乗った時は感動しました。新車とクーラーの混ざった匂い❗たまらんかった🤗
子供時代からかなりの乗車経験がありますし、馴染みのある電車です。昔は神戸線御影に住んでいたので、通過していくWヘッドマークの特急が印象的でした。中間車の昔ながらの運転台、エアー解放音、ドアの開閉音、更新前のコンプレッサーがいかにも昔の阪急らしかったですし、最近では伊丹に住んでからは通勤、お出かけで伊丹線でお世話になりました。
阪急3000系長い間ご苦労様でした。
3000系は塚口の祖父母の家に行く時によく当たりました。方向幕化した車両は比較的コンディションが良好でした。あんなに沢山走っていたのに保存車両などなく全車解体されたのは残念でした。コロナ禍の引退だったためにお別れ運転のない寂しい幕引きとなってしまいましたね…
私の小さい頃から、伊丹線で3000系と3100系が走っているのを見ながら育ってきました。そして時間がたってインターネットを見ていると3000系が引退したというサイトを見つけたときは本当にショックを受けました。3100系が引退したのは知っていたのですが、これを見たときは本当にショックを受けました。今さら言うのもあれなんですが、ありがとう3000系。 by伊丹市民
館長旧1000系も語って❗大好きだったので!晩年はクーラー付けたり変化していきましたけど近代阪急の礎を築いた車両だと思います❗😊
阪急沿線に住んでて、電車を好きになった形式です☺️趣味の移行などで電車から離れた生活をしていましたので、いつの間にか全部いなくなってたのを知ってかなりショックでしたフルマルーンの5100や3300等走っていますが、やっぱり3000系が一番思い入れのある車両でしたパンフレット買いました☺️
明石方面からの通学の帰り、この3000系に乗り換えたくて、毎日のようにわざわざ山陽電鉄線の須磨浦公園駅で途中下車して、待っていた記憶があります。なつかしい。
3000系もさることながら、途中に現れた、本来宝塚線用のC#6104の須磨浦公園行き特急(しかも6連)の画像は貴重ですね
学生アルバイトでお世話になりました。担当の駅も住んでいた最寄り駅も、今津北線で3000系は学生ながら公私共に身近な存在でした。地方から出てきた私に御社の社員様は都市交通としての鉄道を教えていただき、その時のかけがえのない思い出の車両が3000系です。今は同業他社局で従事しておりますが、今でも当時の経験や思い出は活きております。この情勢で、さよなら運転も無く残念に思っておりましたがこのような動画を制作していただき、感謝しております。本当にありがとう、阪急電鉄3000系。
館長さんの思い出いっぱいの、3000系列電車なのですね!😉
この車両が幅をきかせていた頃、私は近鉄沿線に住んでいた(今は阪急沿線住まい)ため、あまり3000系のイメージは無いのですが、製造が1964年と聞き、同い年と言うことに感銘を受けました。阪急電鉄さんもそうですが、関西私鉄各社さん、非常に古い車両を大事に使われてますね。裏をかえすと、各鉄道会社さんの技術力が素晴らしいということですね。
2000系車両の中間車が組み込まれた編成に乗ったことが記憶に特に残っています。2000系側の妻面が3000系に合わせて一部埋められているところが印象に残っています。2013年あたりに神戸本線での運用が終わった記憶がありますが、その当時UA-cam上に公開されていたものに3000系で運用されていた特急を撮影しようと一時罵声大会の様相を呈していた当時の阪急梅田駅でのホームの様子を撮影されていた動画がありましたが、夕方のラッシュ時間帯だと順繰りで運用される列車が来ることもあり、待てば必ず撮影できるのにと感じたことがあります。その原理を使って、同じく神戸本線から撤退し今津北線に活躍の場を移した5000系や元2200系・元6000系の車両に乗れました。
自分が生きてなかったのに名車と思えるぐらい名車だと思う。伊丹で最後までありがとう。
私は、阪急京都線ユーザーでしたので、3000系はブレーブスの試合を観戦しに今はなき西宮球場に行くとき位しか利用する機会が無かったのですが、阪急沿線から離れる前の小学6年生や中学1年生の時は、月に何回か自分の小遣いを使い、最寄り駅の総持寺から高速神戸や新開地まで、阪急電車に乗る事を目的として往復していましたが、その当時は3000系も特急運用の主力として 冷房改造車、非冷房車が入り混じって活躍していたのを懐かしく想います。最後まで残ったC3054ですが、神戸線で8連で活躍した最後の編成でしたね。神戸線から引退する直前は、早朝から、有馬道踏切等で撮影しました。館長デザインのヘッドマーク、ファンミーティングの際、実物を拝見し手に取ることも出来、大変感動しましたが、実際に車両に掲出し走行している姿を目に焼き付けることが出来なかったのが残念でなりません。何らかの機会に展示等をしていただきたいですね。3000系は引退しましたが、ファンの方々の心にはいつまでも残っていると思います。素敵な動画をありがとうございました。次回作も期待しております。
大学時代の通学で伊丹線の3000系にはお世話になりました。子どもの頃はまだ1000系が走っており、2000系に世代交代、それから3000系の時代が長かったです。さよなら運転の企画がなくなってしまったのは残念ですが、今でも3000系が元気に走っている姿が目に焼き付いています。ちなみに運行標識板で最後まで運転していた3000系がいたのも伊丹線でしたね。
懐かしいなぁと拝見させて頂きました☺️もう30年くらい前になりますか…当時宝塚沿線に住んでおり、その日は父と宝塚ファミリーランドに遊びに行こう(個人的には当時園内に有った電車館がとても楽しみでした)と3000系の急行に乗っておりました。車掌室前でちびっ子カメラマンやってると、当時の車掌さんに「ぼく?特別やで😊」と車掌室内に案内されました…今この様な事は完全にアウトなのですが、当時はまだおおらか時代…緊張するのあまり車掌室内でキョロキョロしながら車掌さんの仕事されている姿をず〜っと見ていたのを今でもしっかり覚えております。ファミリーランドも無くなり、あの時神宝線にたくさん走っていた3000系も既に過去帳要り…今は全く別の場所で当時ぼく?特別やで😊と言って入れてくれた方と同じ様な仕事をしていますが、やり方は違えどお客様を大切にする と言う気持ちは忘れない様にしよう…と毎日励んでいるつもりです。阪急電車と3000系にとても大切な事を教えてもらった幼少期。沿線にいた頃はc#3054×8は平井所属。よく乗りました。3000系、本当にありがとう。長文失礼いたしました。
3000系の揺れは一癖も二癖もありましたね。ロデオマシーンのような印象すら受けました。
6000系のように行先標字幕、種別表示灯改造され他のを見たとき、一瞬「おぉっ‼」ってなった後、「何か違うなぁ、何だろう?」と感じたことを思い出しました。
8連口の晩期、当時販売されていたスルッと関西3dayパスを使ってよく撮りに行きました。2010年頃でしたかね。神戸線からぼちぼち落ちると聞いて朝ラッシュの西宮北口で8200なんかと一緒に撮影させていただきました。宝塚線のスカート付きや箕面線や伊丹線の原型顔も懐かしいですね。阪急神戸線は各駅停車でもかっ飛ばして走るので好んで3000や5000を狙って利用してました。
8歳程の時、発車よしで川西能勢口から先に進めず、川西能勢口駅の駅長さんにコツを聞きにいきました。駅長室に通して下さり、「お尻で感じる」とアドバイス頂きました笑2002年頃だと思いますが、今でもはっきり覚えています。社会人になりましたが、私も倣い、子供に夢を与えられる仕事を出来るよう、頑張って行こうと思います。
能勢電鉄のUA-camで,3120Fについて,導入当時,単車制御の1700・1500系(元2000系列)と違って,M-Mユニットで1制御器(いわゆる「おしどり制御」)だから,もし駆動系統で故障を起こしたら自走で車庫に戻れないので心配だったものの,運行を開始してから引退まで,しっかりと故障することなく走ってくれた,とコメントされてました.3000系のほうも,積んでいる170kW/基の阪急史上最強クラスの直流モーターからの含蓄ある響きは,今でも録音を聞くとあの力走と勇姿を思い出されます.
3000系はいろいろな意味で最後の車両でした。1 阪急在籍車で600ボルト走行した2 阪急在籍車で金属ばね台車3 神戸線宝塚線の大型パンタグラフ4 神戸線宝塚線の白色車番文字わたしとしては、600ボルト車もついに無くなったのが感慨深く感じていました。
箕面線に走っていた3100系によく乗りました。桜井から牧落に向かうカーブの音が印象的でした。懐かしい!
幼少期に非冷房車両2000系や3000系で須磨浦公園行き特急や高速神戸行きに乗車させて頂きました。窓を開けて爆走してましたからカナブンや蜂が車両に入ってきた時は悲鳴あげてました。
うわああああこの人の運転手時代子供の頃見てたあああああああ
興奮し過ぎました…実は3000に最後乗ったのは平日深夜の快速急行新開地行でした…それからは乗れる機会が無く、休みにスジで探すも見当たらなかったですね。いや、見付けられなかっただけであったかもしれません…。あとはどっちか忘れてますけど毎年4両がフェスティバル川西能勢口の日に爆走爆走爆走と面白すぎました笑。更に言えばあの頃はまだ看板車が多く、甲陽線の2000や8連の2300も見れてた事が良い思い出になりました。3300は恐らくリニューアルしたので淡路要塞が出来る頃…までは走ると思われますが、車齢的にごっそり減るかと思います。何なら6300の廃車も再開されそうかと。3000の56年間、お疲れ様でした、そして今まで沢山の乗客を輸送…ありがとうございました!!
扉が閉まった後に「プシュッ」っと鳴る音が好きでした。あと、芦屋川〜夙川の間で車両が縦に揺れて酔ってしまったのもいい思い出。
ありがとう3000系。1964年なので、僕と同じ歳です。伊丹線と箕面線乗りに行って写真も撮りました。
3000系は、仕事で伊丹市に行った時の通勤途中の伊丹線の往復で利用しました。
神戸高速沿線民にとって、水色の丸看板は懐かしいな・・・私も、3000.5000が幕付き顔に改造されるのはあまり好きではなかった口です、やっぱりスカートなしのすっきりした顔が好きだった。赤、黄、緑の特急、急行、準急の電光掲示も懐かしいですね。
水色の看板は、1980年代にはてっきり見なくなってしまいましたね。ほかにも区間各停の紺色の方向版もいつの間にかなくなった感じがあります…
1100系の非冷房や3000系の非冷房は懐かしい。自分が幼稚園の頃に6000系がデビューしたな。8000系が出た時にはまだ2100系がまだ走っていた。2000系なら能勢電にいるからいいけど。
僕は動画を全部拝見しました僕は関西なので阪急電車がとっても大好き❤です京都と行くにも神戸に行くにも阪急電車が乗れることがとってもだーいすきです
今津北線で走ってる3000系好きだったなぁ近々5000系系列も廃車されそうでちょっと寂しい
トップナンバーは、編成単位で廃車されてしまいましたね…
10年程前、朝ラッシュ時に、通勤特急や特急の優等種別に入る3052、3054を友人と撮影した思い出。一番の思い出は、幼少期に今津線の中間運転台で車掌ごっこしたことです~😆
阪急は古い車両もよくメンテして外装もピカピカでシートはフカフカ。私は小3で宝塚沿線に引っ越してきたので、国電との違いに驚いたのを覚えています。当時は3000系が一番多くて、旧1000系と5000系が続く感じ。夏場は5000系の冷房比率が高くて「当たり!」と思いました。(その後、3000系だけでなく1000系までも冷房化されましたが)ヘッドマークも懐かしいですね。売店でミニチュア売っていて、父親と梅田に出かけた時には毎回1枚ずつ買ってもらいました。お気に入りだったのが、もみじデザインの箕面準急でした。もし残していれば貴重だったなと思います。
伊丹線民です。3077と3054の最終日に立ち会えました。唸るCP、独特な緩解音、全てが体に染み込んでます。廃車回送で自分の目の前を去っていく愛車の姿は何か来るものがありました…ちゃんと見送ることが出来なかったのが唯一の悔みかな…車体はなくとも何かイベントが開催されてくれれば嬉しいです。長文失礼いたしました。
去年引退した能勢電3100系が神宝線の3000系統の大トリを務めたと理解してます。まだ先輩の2000系(能勢電1700系)が車齢60年の還暦を迎えてもまだまだ現役バリバリにやってるのは脱帽です😅🚃🛤
ちっちゃい頃は乗ったことあります 母の実家に行ったときに乗りました
神戸線運用の特急[須磨浦公園行]は4M2Tの強力編成~~加速力は抜群だった(当時高校生)。
3000系は真冬にシートが暖かく暖房がよく聴くイメージがありました。モーター音も良かったです!
神戸線沿線で育ったので3000系はすごく懐かしい私の中では3000系=the阪急電鉄です
西武新宿線と京王線の沿線で生まれ育ちましたが、3000系=the京王電鉄で有りました。1993年の神戸訪問の際には表題の3000系に混じりながらも山陽電鉄さんの3000系が六甲まで乗り入れていました。ちなみに京王線は1963年に1500ボルトに昇圧していました。
伊丹線は終の棲家線と言われたほど古豪が活躍していたあの頃が懐かしくてたまりません。首都圏の私鉄が30年満たないうちに廃車になるなど激しい世代交代にはついていけませんね。3000系は、土曜日の夕方に東京へ撮り鉄とサイクリング旅行にいく時に伊丹線で乗ったのが思い出ですね。
私1968年(昭和43年)生まれです。当時川西市にすんでいた私、この3000系は既に冷房改造されていました。小学生当時、豊中の歯科医院へ行く時3000系と一部の1100系が冷房化されていた中、能勢電鉄へ譲渡されるまで非冷房だった2100系に乗ったいやな思い出しかありませんでした。館長のコメントに3000系に表示幕はつけてもらいたくない気持ちはわかります。あの車両はそのままにしてもらいたかった、長年阪急沿線で育った私も同じ気持ちですね。
3000系は、よく揺れるが素直な電車なんですね!運転士目線の感想も聞けて楽しいです!ガタンゴトン♪
伊丹線で乗りました。ピカピカの電車に感激しました。
阪急電車のフロントマスクを見るとどうしても似て非なる東武2000系を思い出します。阪急と東武の社長が仲良しでその流れでアルナ工機に車両製造を依頼していたとどこかで読んだ記憶がありますが真実はどうなのやら。東武2万系列の窓配置が阪急2800系を彷彿とさせるものがあるのでやはりそうなのかなと。阪急公式グッズですけど車両の主張が強くて手が出しにくいかなと。ANAが販売しているような、座席の(ゴールデンオリーブ?)色の、タグを見て初めて阪急公式のものと分かるような、仮眠にも使える長めのブランケットがあれば多分買ってしまうと思います(保管兼予備を含めて最低2枚は)。いかがでしょうか。
惜別イベントができなかったのは残念です…3000系は自分も子供の頃によく乗ってお世話になった車両で完全引退が決まったときは寂しかったですが時代の流れかと…写真の幕が特急/須磨浦公園なのも感慨深いです‼️
同年代となる、京王電鉄の3000系は惜別イベントが行われており、幸せな車両でも有りました。
伊丹線で通学時に乗っていた記憶が懐かしく思い出されます素敵な動画をありがとうございます
はじめまして。関東在住のもので阪急には馴染みがあまりないのですが2006年の年末に神戸方面に行った時に今津線で運用してた3000系にまだ看板車が残ってたのかと思い撮影したのを覚えてます。
地元が塚口で、小学校の頃から登下校時に伊丹線を走る3000系を見ていましたいつの間にか少しずつ減っていき、いつのまにか3054Fだけになっていたのを覚えていますそして中学卒業と同じ年の2020年の5月の廃車回送を撮って最後のお別れをしたのを今でも覚えています
コロナ禍で惜別イベントがないなか動画配信、ありがとうございます。
同年代となる、京王電鉄さんの3000系は2014年に全廃となりましたが、この時は惜別イベントが行われており、有終の美を飾っていました。
半世紀以上に渡って活躍した3000系列だが最も輝いていた時期と言えば昭和50年代の半ばから昭和63年頃までの全編成が8連だった時期かと思います。それ以降は順次編成短縮されて支線へ転用が進んで更にその後新車投入で徐々に廃車されながらも細々と長く活躍していたのはすごいです。
山陽乗り入れの頃や、3100系が本線の優等列車に充当されていた頃が、輝いていた時代でしょうね。😃
宝塚線出身ですから.3016Fに良く乗車してました😊。ガタンゴトンではなく、「チャリンチャリン」と金属音を奏でながら走るのと、いつまでも耳に残る「プシユ~」と言う音が独特で大好きでした✨。
伊丹線で毎日お世話になりました。
3000系と言えば、電動車の梅田方の扉付近にいると、扉が開いたときに下から『コン』と音がして、閉まった時には『プシュ‼️』と音がしたのが好きでした車掌スイッチは頭の上にあり、ノールックで操作していたのが印象的でした
惜別。この読みを知るまでおしべつって呼んでた
阪急の歴史から見たらまだまだ若い私にとって3000系と言われて真っ先に出てきたのは、映画で力走し廃車になるまで原型顔で居続けた3058Fですかね。今津北(西宝)線で走っていた時代に乗れた事は今でも忘れません!
3000系そして3100系…子供の頃からお世話になった車両でした。3000系に対して3100系は女性的な優しいモーター音だったのも印象的でした。神戸線の特急でかっ飛ばしてる時の東芝製モーター音は、2000系同様これぞ阪急!とも思わされてました。非冷房で残ってた両系式が8連化される時に、運転台が残ったままの2021系先頭車が組み込まれてたことも覚えていて、特に3152Fと3154Fに組成された2028と2030は、電装解除しての組成でしたので印象が強かったです。夜学の高校生になって帰宅する時、大阪梅田から豊中市内へ帰宅する時に、決まって3000系が運用に入る各駅停車に乗ってたのも一つの思い出でしたし、2006年の秋に、箕面線沿線へ転居した時は、非表示幕の3100系に再びお世話になった事も…あの映画阪急電車~片道15分の軌跡~の撮影には、今津線の名優3058Fだけやなく、箕面線の3157Fに組成されてた、3554も使われてたとかでしたね。今回も素敵な動画をありがとうございました。
2021系編成が消滅する頃には2028と2030の他に2077と2079も運転台が残った状態で3000系列の編成に組み込まれていました。その後、2030は本来能勢電鉄に譲渡されるはずだった2154が六甲事故で大破した2050の代替えとなった為阪急で冷房改造されずに能勢電鉄に譲渡されています。その為2071系の2180は欠番となっており3154Fには2171が組み込まれました。
3054Fと言えば3000系最後の8連運用車でもありました。震災後に6連から8連化されて神戸本線運用に返り咲いたのは印象深かったです。パンタグラフの予備確保の為か暫くの間M車のパンタが片方撤去されたままの状態で本線運用されていて驚いたのを覚えています。高速運転時のあの爆走感は今の車両ではもう味わえませんね。
平成一桁生まれの3000系の思い出は映画阪急電車が一番印象に残っています。映画阪急電車が公開された頃はまだかろうじて本線系統にも走っていました。実際の車齢以上に綺麗で整備されている印象を持ちました。車掌スイッチは楕円形のタイプがお洒落で好きでした
3000系に限りませんが、非冷房車が当たり前の時代は他社では見られない鎧戸に感心していました。真夏の暑い日に窓を全開、眩しさよけに鎧戸を閉めても風邪が良く抜けて快適でした。小雨程度なら雨も降り込まずに風だけが車内に吹き込んでくるので梅雨時でも他の電車よりは快適でした。良い思い出です。
京王電鉄でも同年代となる3000系は途中の3714Fから冷房車となり、それ以前の編成も冷房改造を受けましたが、2014年までに全廃となりました。
DVDの私鉄沿線「阪急にのって」を昔自分が幼い時からよく見てて、その時は阪急3000系もまだ神戸線系統で映ってました(多分2008〜9年頃のやつです)今でもまだDVD持ってます もうそんな懐かしい時代になったのかと
3000系がなくなる伊丹線に何の要もなくなるホントに大事な存在を失ってしまった
3000系といえば、C#3058映画「阪急電車 片道15分の奇跡」の劇車でしたね。その模型をつくりたいなぁ…と思っていたところにCMコーナーのパンフに図面の付録が!えぇ、もちろん購入いたしました。う〜ん、館長さん買わせ上手。
宝塚線の車両にはスカートが付いていたのが印象的でした。5100系にはなくて3000系にはなぜあるのだろうかと思ってました。
3000系は神宝線の600V→1500V昇圧即応用として電動車2両がペアを組んで登場しましたね。2000系のような定速度制御といった特別な装備はありませんでしたが、170Kw、30%弱め界磁の大出力モータの高速域での加速は豪快で、遅れ気味になりやすいラッシュ時の各駅停車に使用されると、神崎川~岡本の駅間では簡単に110Km/hで恢復走行していたのを思い出します。後年、支線区で力を持て余してゆっくり走っているのを見ると、隔世の感がありました。京都線の6M1T編成の3300系とともに印象深い形式の車両でした。
3000系は高速走行時はモーターが爆音でしたね。
3000系は高校の頃友人と遊ぶために今津線でよく乗った思い出のある車両高校卒業してからは一気に数が減ってなんだか寂しく思えた…今でも今津線と言えば3000系のイメージが強いですね!
3000系がいないと今津線ぽくないな〜といつも思います。小4くらいまでほぼ毎日のように乗ってたので…5000が来た時は「新車が入った」と思いましたが、やっぱり今津線といえば3000のイメージが自分の中にまだ残ってるのかなと思いました。
私は世代ではないですが、UA-camの動画を見ていると今津線は南北分断前の、810系・1010系・5200系等々がいた頃が良かったと思います。😄
最後まで残った方向板車の3077Fが印象に残ってます。4両編成で3000系、3100系、2071系の三形式が混じった凄い編成でしたね。車両はなくなっても正雀工場でトップナンバー の3000号、3100号の貫通扉が保存されてるので、それで楽しむことができますね。
出来れば現在阪急最古参である3300系の動画も出してほしいですねー
3000系に最初に出会ったのは伊丹線ですね~生まれが平成ということもあり、3000系とは縁は浅いですが、とても貴重な車両だったんだなぁ…と今更思ってしまいました。😳
懐かしい、3000系電車!もの語ごろ付いた時からの、お馴染みの電車!近年まで、営業運転していたのですね!お疲れ様でございました。(ノД`)シクシク
宝塚線8連で前にスカート付きの走行シーンが懐かしいよ
3000系めっちゃ懐かしいね。僕は2016年6月、家族で箕面行ったときに箕面線の3066Fと3074Fに乗りました😄その後5100系の置き換えで引退した記憶もありました。箕面線に乗った頃は側面表示幕が3054Fとは違う位置にあったのが一番の印象でした🚃😃
側面方向幕の位置とクーラーの取り付け間隔は冷房改造と同時に取り付けた編成と冷房改造後に取り付けた編成とで異なります。3066Fと3074Fは冷房改造後の方向幕取り付けでクーラー間隔が広く3054Fは冷房改造と同時に方向幕を取り付けていてクーラー間隔が狭くなっています。詳細はレイルロード出版阪急3000に記されています。
3000系は宝塚線と今津線でお世話になりました。特に3078は思い出があり宝塚向きの車両が3029で自分の誕生日が3/29だったので嬉しかったです✨
阪急3000系は阪急2000系をべース車両ですね。連結部は初めて開き扉が付きましたね。表示幕は2300系と同じ位置にあった車両がありましたね。宝塚線はスカートも付いていましたね。最後は伊丹線でラストランしましたね。2020年に3000系、3100系は廃車になりましたが、能勢電鉄の3100系が唯一残っていましたが、2021年4月に3100系が引退されて正式に3000系、3100系グループは完全に引退しましたね。2300系と同じく保存して欲しかったですね。館長さん貴重な編集ありがとうございます。
原型顔で運行板掛けて走っていた頃に、何度も乗りました。本線を高速で駆ける優等運用、支線でゆっくりと各駅に停まる運用と、どちらもおなじみでしたっけ。側面には、2000系と同様の電照式種別表示。特急(赤)・急行(黄)・準急(緑)の表示は、当時精一杯の案内装置だったようですね。
阪急3000系は通学の時に今津北線で良く乗っていた思い出があります。今津北線と言ったら3000系のイメージが強かったりやっぱ阪急電車の片道15分の旅の主役の電車でもあり。思い出が詰まった車両ですよね(^^)
3000系乗ってましたよ!方向幕ではなくて、運行板のやつ。亡くなったのは寂しいですね。3300系がどうなるかですね。
3300系は現状8連2本と7連5本が在籍しますが、最近また1300系が増備されたようなので、また3300系に廃車が出そうな予感がします。😓
よく揺れたのは確か。宝塚本線のスピードではそうではないですが、神戸本線で乗ると半端じゃなかったです。モーター音も凄まじく。神戸本線のスピード感感じるなら最強の車両だったでしょう。阪急電車の近代化への功労者(車)ではあったが、5000系以降との格差は大きかったですね。21世紀に入ったあたりから、本線運用車はカッコいいものの、ここからは早く引退させて...とは思ってました。支線なら問題ないので。今津線で非表示幕車が映画のシンボルの一つになり、引退寸前に大人気を博したのは嬉しかったです。
決して批判じゃなくて、むしろ味があっていいと思ってるのですが(笑)「オシャレで垢抜けした阪急」イメージに比してのこの動画の垢抜け無さ、バンカラさ加減が逆にいいですよね。3000系は確かミンデンドイツ式台車を履いていて、標準軌と狭軌の差はありますが同じミンデンドイツ式台車を履いていたのは南海7000系電車との理解です。その同じミンデンドイツ式で南海のには空気バネがありましたが阪急のは空気バネではなくコイルバネでした。この決定は「阪急は線形がそんなに悪くはない」ことで「別に空気バネにしなくても乗り心地は悪くならない」判断があったと聞きましたが正しいでしょうか。3000系最後にちょっと不思議に思ったのが「LEDライトに装換された車両」が出ました。そう長くもなく廃車を見通す時期ならLEDにしなくとも従来ランプでとも思うのですが、この判断にはLEDは他車両にも転用が出来て無駄にはならない等々見通しがあってのことだったのでしょうか。
阪急は大手私鉄の中では空気バネ台車の採用には慎重な方だったと思います。2800系の一部編成で試験的に採用されてはいましたが、本格的に空気バネ台車の採用が始まったのは1967年、3300系のFS369台車からでした。3000系は10年前までは8連の本線運用編成もありましたが、館長も言うように高速運転時の揺れはなかなか凄まじく、つり革を持っていないと立ってられない程。お世辞にも乗り心地が良いとは言えないものでした。(軸バネが金属バネ+オイルダンパーからメンテナンス性を考慮したエリゴバネに交換されてから乗り心地が悪化した可能性もありますが)LEDヘッドライトへの改造基準は?ですね。未だに未改造のまま本線運用している編成もありますし。
3000系まで車掌スイッチ乗務員扉上にありましたね❗震災復興関連の組み替えで誕生した二代目3022も印象に残っています。
3000系はダントツな性能でしたね。170kwの大出力モータで近鉄特急と実際互角な性能でした。横揺れは阪急車の癖でしょう。
京都線3300系も、名車でした。
まだ現役なんで、過去形はやめてね💦
@@giantnioinoba2023 だいぶリニューアルされたり、7両に…
館長さん、こんばんは🤚😄今回、3000系の特集、特に「特急・須磨浦公園」の背景写真と運行表示版、懐かしく見せてもらいました🤚😄私は、3000系といえば、神戸線で、各駅停車で使われていたり、伊丹線や今津線の車両で使われていて、乗車したのが印象に残っています😊
神戸線で最後に見たのは確か平日朝の10両編成の通勤急行だったかな。もう10年くらい前だけど。当時まだ関西に住んでいて毎日阪急を見ていた。3000系も10両編成の通勤急行も今となっては過去のものになってしまったな。
3003、ひとつ前に引退した3007。整備が行き届いており古さを感じるどころか、なぜ引退するのかわかりませんでした。神戸線では最後のフルマルーン。阪急らしい電車でした。今は5000系の長い活躍を願います。
3000系といえば2000系列をブラッシュアップして阪急電車のイメージを形作る形式だったので寂しいです。
車両の冷房化と言えば、パイオニアとしては5200系のような気がしますね(試作車ですけど)3000系と言えば、3054が最後に廃車された車で、そのひとつ前に廃車されたのが3062でしたね。共にこの2編成は晩年、伊丹線運用を中心に3054は一度だけ乗務員訓練に充当したのが印象深いです。3000系全体としては、今津北線を6連で走ってるイメージがありますね...(3054の6連時代や、3074のイメージがあります)また3000系と3100系と言えば、独特なブレーキ緩解音ですね...廃車回送を撮影した時は涙が出そうでした...
3000・3100系で震災被害での廃車を除けば、一番最初に廃車した車両が能勢電に行き、結果的に阪急在籍の全車両が廃車解体される中、最後まで生き残ったのが、能勢電に移籍した3170(元3156)Fというのは、皮肉でしたね。3000系は私と同い年。無くさないで欲しかったけどね💦
素晴らしい動画ありがとうございます!僕の3000系の思い出は6012Fが約1年ぶりに伊丹線運用に復帰した日に臨時で伊丹駅から塚口駅まで回送された3054Fが幕を回しながら塚口駅に入線したので最後の三宮幕を撮れた事です!僕が最初で最後に撮影出来た三宮幕だったので凄く嬉しかったです!
歴史と言えば先日GWに池田市の小林一三記念館へ行って来たんですが一三さんの邸宅や展示物を見て改めて一三さんや阪急が我々の生活を変え街や文化を創って来た事を改めて復習させられました。あそこは阪急ファンならば訪れるべき場所やね🎵あと館長にリクエストとしてぜひ小林一三記念館の紹介をやって頂きたいッス🙏
神戸線で活躍していた3000系は迫力がありました。2011年頃ですかね。懐かしいです!!最後に乗ったのは2018年だったと思います。
館長さん、こんばんは3000系は阪急で一番好きな車両でした。学生時代、晩年は箕面線で過ごした3080Fは神戸線所属でしたが、宝塚線と神戸線を行ったり来たりしていて、特急で爆走していた時が懐かしく感じます。3054Fも阪神淡路大震災後でしたか、一時的に6両編成で今津北線で運用していましたが、須磨浦公園乗り入れ終了後の臨時運転で、3054Fが予備車に充てられていたとかいないとか?幕車になった、3000系の須磨浦公園乗り入れを一目見たかったです。
私は3000系の思い出と言えばよく揺れたことを覚えていますね。当時、私は北千里駅近くに住んでいて3300系をよく乗りました。 この二者はいろいろ違いがあって興味深いところです。できたら3300系も紹介して下さい。私の知っているところは台車が全然違うしモーター音の違いがわかっていますが他に何かあるのでしたらまた、教えてほしいですね。ありがとうございました😊
神宝線の3000系列と京都線の3300系とでは、車体の幅が違います。その為神宝線の3000系列は、検査明けの試運転等で京都本線を走れても、3300系は神宝線を走ることは出来ません。また、3300系は原型だと前面に手動幕が付いて、地下鉄堺筋線乗り入れ時に使用されていました。他には、3300系は地下鉄乗り入れ用に作られたため、地下線内での故障に備えてM車の比率が高く取られているのも、神宝線の3000系列との違いですね。😄
@@yoshi7927 いろいろ教えて頂きありがとうございました😊神宝線と京都線とは興味深いですね。同じ3000番台なのに中身は別物なんですね。ありがとうございました😊
アメリカ大使絶賛のシートの秘密紹介もお願いします。
神戸線、宝塚線の3000系は、惜しまれつつ引退、さよなら運転もコロナ禍出来なかったんですね、千里線は、まだ3300系が元気に走行していますが、内装も新型車輌のようになってるのも見かけます、いずれ、さよならする時が、来るのでしょうか❓️3300系、5000系、7000系、8000系、1000系が走る千里線、好きやわ~、
今津線で走っていた方向幕ではなく、板の車が印象に残ってます!3000系は味があって、好きでした!阪急はどの車両も好きです!!実家が宝塚線にありますが、帰省して阪急電車に乗りたくなりました笑
改造の時期によってクーラーキセの位置が違ったり側面幕の大きさが違ったりと趣味的にも面白い電車でした。”昭和の阪急”っぽさが残る方向幕未改造車保存して欲しかったなぁ…なんて思ったりもしてたけど2301がいるからいっか。(おい。)
趣味的に面白かったのは4両編成なのに4両とも出自が異なる3077の編成と2071系運転台撤去車2両含んでた3064の編成かなー。3072は見たことないです。2842も2代目3022も気づいた頃には廃車になってました。
2300も3000もいなくなってFS345の乗り心地を味わえるのは能勢電鉄1700系だけになってしまった。こっちもいつまで走るのやら。
中にはパンタ車で、パンタの下部分に非冷房時代の、モニター屋根が残った車両もいましたね。😄
@@yoshi7927 いましたね。3077に入ってた3611と3150に入ってた3600はモニタ屋根残っていたかな?
@@ItamiMaki あとは今津線の3076F??や、能勢電の3100系にも、パンタ下にモニター屋根が残っていました。😃
確かに、昔は熱くて当たり前でしたね😅初めて5000系に乗った時は感動しました。新車とクーラーの混ざった匂い❗たまらんかった🤗
子供時代からかなりの乗車経験がありますし、馴染みのある電車です。昔は神戸線御影に住んでいたので、通過していくWヘッドマークの特急が印象的でした。中間車の昔ながらの運転台、エアー解放音、ドアの開閉音、更新前のコンプレッサーがいかにも昔の阪急らしかったですし、最近では伊丹に住んでからは通勤、お出かけで伊丹線でお世話になりました。
阪急3000系長い間ご苦労様でした。
3000系は塚口の祖父母の家に行く時によく当たりました。方向幕化した車両は比較的コンディションが良好でした。あんなに沢山走っていたのに保存車両などなく全車解体されたのは残念でした。コロナ禍の引退だったためにお別れ運転のない寂しい幕引きとなってしまいましたね…
私の小さい頃から、伊丹線で3000系と3100系が走っているのを見ながら育ってきました。
そして時間がたってインターネットを見ていると3000系が引退したというサイトを見つけたときは本当にショックを受けました。3100系が引退したのは知っていたのですが、これを見たときは本当にショックを受けました。
今さら言うのもあれなんですが、
ありがとう3000系。
by伊丹市民
館長旧1000系も語って❗大好きだったので!晩年はクーラー付けたり変化していきましたけど近代阪急の礎を築いた車両だと思います❗😊
阪急沿線に住んでて、電車を好きになった形式です☺️
趣味の移行などで電車から離れた生活をしていましたので、いつの間にか全部いなくなってたのを知ってかなりショックでした
フルマルーンの5100や3300等走っていますが、やっぱり3000系が一番思い入れのある車両でした
パンフレット買いました☺️
明石方面からの通学の帰り、この3000系に乗り換えたくて、毎日のようにわざわざ山陽電鉄線の須磨浦公園駅で途中下車して、待っていた記憶があります。なつかしい。
3000系もさることながら、途中に現れた、本来宝塚線用のC#6104の須磨浦公園行き特急(しかも6連)の画像は貴重ですね
学生アルバイトでお世話になりました。
担当の駅も住んでいた最寄り駅も、今津北線で3000系は学生ながら公私共に身近な存在でした。
地方から出てきた私に御社の社員様は都市交通としての鉄道を教えていただき、その時のかけがえのない思い出の車両が3000系です。
今は同業他社局で従事しておりますが、今でも当時の経験や思い出は活きております。
この情勢で、さよなら運転も無く残念に思っておりましたがこのような動画を制作していただき、感謝しております。
本当にありがとう、阪急電鉄3000系。
館長さんの思い出いっぱいの、3000系列電車なのですね!😉
この車両が幅をきかせていた頃、私は近鉄沿線に住んでいた(今は阪急沿線住まい)ため、あまり3000系のイメージは無いのですが、製造が1964年と聞き、同い年と言うことに感銘を受けました。阪急電鉄さんもそうですが、関西私鉄各社さん、非常に古い車両を大事に使われてますね。裏をかえすと、各鉄道会社さんの技術力が素晴らしいということですね。
2000系車両の中間車が組み込まれた編成に乗ったことが記憶に特に残っています。2000系側の妻面が3000系に合わせて一部埋められているところが印象に残っています。
2013年あたりに神戸本線での運用が終わった記憶がありますが、その当時UA-cam上に公開されていたものに3000系で運用されていた特急を撮影しようと一時罵声大会の様相を呈していた当時の阪急梅田駅でのホームの様子を撮影されていた動画がありましたが、夕方のラッシュ時間帯だと順繰りで運用される列車が来ることもあり、待てば必ず撮影できるのにと感じたことがあります。
その原理を使って、同じく神戸本線から撤退し今津北線に活躍の場を移した5000系や元2200系・元6000系の車両に乗れました。
自分が生きてなかったのに名車と思えるぐらい名車だと思う。伊丹で最後までありがとう。
私は、阪急京都線ユーザーでしたので、3000系はブレーブスの試合を観戦しに今はなき西宮球場に行くとき位しか利用する機会が無かったのですが、阪急沿線から離れる前の小学6年生や中学1年生の時は、月に何回か自分の小遣いを使い、最寄り駅の総持寺から高速神戸や新開地まで、阪急電車に乗る事を目的として往復していましたが、その当時は3000系も特急運用の主力として 冷房改造車、非冷房車が入り混じって活躍していたのを懐かしく想います。最後まで残ったC3054ですが、神戸線で8連で活躍した最後の編成でしたね。神戸線から引退する直前は、早朝から、有馬道踏切等で撮影しました。館長デザインのヘッドマーク、ファンミーティングの際、実物を拝見し手に取ることも出来、大変感動しましたが、実際に車両に掲出し走行している姿を目に焼き付けることが出来なかったのが残念でなりません。何らかの機会に展示等をしていただきたいですね。3000系は引退しましたが、ファンの方々の心にはいつまでも残っていると思います。素敵な動画をありがとうございました。次回作も期待しております。
大学時代の通学で伊丹線の3000系にはお世話になりました。子どもの頃はまだ1000系が走っており、2000系に世代交代、それから3000系の時代が長かったです。さよなら運転の企画がなくなってしまったのは残念ですが、今でも3000系が元気に走っている姿が目に焼き付いています。ちなみに運行標識板で最後まで運転していた3000系がいたのも伊丹線でしたね。
懐かしいなぁと拝見させて頂きました☺️
もう30年くらい前になりますか…当時宝塚沿線に住んでおり、その日は父と宝塚ファミリーランドに遊びに行こう(個人的には当時園内に有った電車館がとても楽しみでした)と3000系の急行に乗っておりました。
車掌室前でちびっ子カメラマンやってると、当時の車掌さんに「ぼく?特別やで😊」と車掌室内に案内されました…今この様な事は完全にアウトなのですが、当時はまだおおらか時代…緊張するのあまり車掌室内でキョロキョロしながら車掌さんの仕事されている姿をず〜っと見ていたのを今でもしっかり覚えております。
ファミリーランドも無くなり、あの時神宝線にたくさん走っていた3000系も既に過去帳要り…
今は全く別の場所で当時ぼく?特別やで😊と言って入れてくれた方と同じ様な仕事をしていますが、やり方は違えどお客様を大切にする と言う気持ちは忘れない様にしよう…と毎日励んでいるつもりです。
阪急電車と3000系にとても大切な事を教えてもらった幼少期。沿線にいた頃はc#3054×8は平井所属。よく乗りました。
3000系、本当にありがとう。
長文失礼いたしました。
3000系の揺れは一癖も二癖もありましたね。
ロデオマシーンのような印象すら受けました。
6000系のように行先標字幕、種別表示灯改造され他のを見たとき、一瞬「おぉっ‼」ってなった後、「何か違うなぁ、何だろう?」と感じたことを思い出しました。
8連口の晩期、当時販売されていたスルッと関西3dayパスを使ってよく撮りに行きました。2010年頃でしたかね。
神戸線からぼちぼち落ちると聞いて朝ラッシュの西宮北口で8200なんかと一緒に撮影させていただきました。
宝塚線のスカート付きや箕面線や伊丹線の原型顔も懐かしいですね。
阪急神戸線は各駅停車でもかっ飛ばして走るので好んで3000や5000を狙って利用してました。
8歳程の時、発車よしで川西能勢口から先に進めず、
川西能勢口駅の駅長さんにコツを聞きにいきました。
駅長室に通して下さり、「お尻で感じる」とアドバイス頂きました笑
2002年頃だと思いますが、今でもはっきり覚えています。社会人になりましたが、私も倣い、子供に夢を与えられる仕事を出来るよう、頑張って行こうと思います。
能勢電鉄のUA-camで,3120Fについて,導入当時,単車制御の1700・1500系(元2000系列)と違って,M-Mユニットで1制御器(いわゆる「おしどり制御」)だから,もし駆動系統で故障を起こしたら自走で車庫に戻れないので心配だったものの,運行を開始してから引退まで,しっかりと故障することなく走ってくれた,とコメントされてました.
3000系のほうも,積んでいる170kW/基の阪急史上最強クラスの直流モーターからの含蓄ある響きは,今でも録音を聞くとあの力走と勇姿を思い出されます.
3000系はいろいろな意味で最後の車両でした。
1 阪急在籍車で600ボルト走行した
2 阪急在籍車で金属ばね台車
3 神戸線宝塚線の大型パンタグラフ
4 神戸線宝塚線の白色車番文字
わたしとしては、600ボルト車もついに無くなったのが感慨深く感じていました。
箕面線に走っていた3100系によく乗りました。桜井から牧落に向かうカーブの音が印象的でした。懐かしい!
幼少期に非冷房車両2000系や3000系で須磨浦公園行き特急や高速神戸行きに乗車させて頂きました。窓を開けて爆走してましたからカナブンや蜂が車両に入ってきた時は悲鳴あげてました。
うわああああこの人の運転手時代子供の頃見てたあああああああ
興奮し過ぎました…
実は3000に最後乗ったのは平日深夜の快速急行新開地行でした…それからは乗れる機会が無く、休みにスジで探すも見当たらなかったですね。
いや、見付けられなかっただけであったかもしれません…。
あとはどっちか忘れてますけど毎年4両がフェスティバル川西能勢口の日に爆走爆走爆走と面白すぎました笑。
更に言えばあの頃はまだ看板車が多く、甲陽線の2000や8連の2300も見れてた事が良い思い出になりました。
3300は恐らくリニューアルしたので淡路要塞が出来る頃…までは走ると思われますが、車齢的にごっそり減るかと思います。
何なら6300の廃車も再開されそうかと。
3000の56年間、お疲れ様でした、そして今まで沢山の乗客を輸送…ありがとうございました!!
扉が閉まった後に「プシュッ」っと鳴る音が好きでした。
あと、芦屋川〜夙川の間で車両が縦に揺れて酔ってしまったのもいい思い出。
ありがとう3000系。1964年なので、僕と同じ歳です。伊丹線と箕面線乗りに行って写真も撮りました。
3000系は、仕事で伊丹市に行った時の通勤途中の伊丹線の往復で利用しました。
神戸高速沿線民にとって、水色の丸看板は懐かしいな・・・
私も、3000.5000が幕付き顔に改造されるのはあまり好きではなかった口です、
やっぱりスカートなしのすっきりした顔が好きだった。
赤、黄、緑の特急、急行、準急の電光掲示も懐かしいですね。
水色の看板は、1980年代にはてっきり見なくなってしまいましたね。ほかにも区間各停の紺色の方向版もいつの間にかなくなった感じがあります…
1100系の非冷房や3000系の非冷房は懐かしい。
自分が幼稚園の頃に6000系がデビューしたな。
8000系が出た時にはまだ2100系がまだ走っていた。
2000系なら能勢電にいるからいいけど。
僕は動画を全部拝見しました僕は関西なので阪急電車がとっても大好き❤です京都と行くにも神戸に行くにも阪急電車が乗れることがとってもだーいすきです
今津北線で走ってる3000系好きだったなぁ
近々5000系系列も廃車されそうでちょっと寂しい
トップナンバーは、編成単位で廃車されてしまいましたね…
10年程前、朝ラッシュ時に、通勤特急や特急の優等種別に入る3052、3054を友人と撮影した思い出。一番の思い出は、幼少期に今津線の中間運転台で車掌ごっこしたことです~😆
阪急は古い車両もよくメンテして外装もピカピカでシートはフカフカ。
私は小3で宝塚沿線に引っ越してきたので、国電との違いに驚いたのを覚えています。
当時は3000系が一番多くて、旧1000系と5000系が続く感じ。夏場は5000系の冷房比率が高くて「当たり!」と思いました。(その後、3000系だけでなく1000系までも冷房化されましたが)
ヘッドマークも懐かしいですね。売店でミニチュア売っていて、父親と梅田に出かけた時には毎回1枚ずつ買ってもらいました。お気に入りだったのが、もみじデザインの箕面準急でした。もし残していれば貴重だったなと思います。
伊丹線民です。3077と3054の最終日に立ち会えました。唸るCP、独特な緩解音、全てが体に染み込んでます。廃車回送で自分の目の前を去っていく愛車の姿は何か来るものがありました…ちゃんと見送ることが出来なかったのが唯一の悔みかな…車体はなくとも何かイベントが開催されてくれれば嬉しいです。
長文失礼いたしました。
去年引退した能勢電3100系が神宝線の3000系統の大トリを務めたと理解してます。まだ先輩の2000系(能勢電1700系)が車齢60年の還暦を迎えてもまだまだ現役バリバリにやってるのは脱帽です😅🚃🛤
ちっちゃい頃は乗ったことあります 母の実家に行ったときに乗りました
神戸線運用の特急[須磨浦公園行]は4M2Tの強力編成~~加速力は抜群だった(当時高校生)。
3000系は真冬にシートが暖かく暖房がよく聴くイメージがありました。
モーター音も良かったです!
神戸線沿線で育ったので
3000系は
すごく懐かしい
私の中では
3000系=the阪急電鉄です
西武新宿線と京王線の沿線で生まれ育ちましたが、3000系=the京王電鉄で有りました。
1993年の神戸訪問の際には表題の3000系に混じりながらも山陽電鉄さんの3000系が六甲まで乗り入れていました。
ちなみに京王線は1963年に1500ボルトに昇圧していました。
伊丹線は終の棲家線と言われたほど古豪が活躍していたあの頃が懐かしくてたまりません。首都圏の私鉄が30年満たないうちに廃車になるなど激しい世代交代にはついていけませんね。3000系は、土曜日の夕方に東京へ撮り鉄とサイクリング旅行にいく時に伊丹線で乗ったのが思い出ですね。
私1968年(昭和43年)生まれです。当時川西市にすんでいた私、この3000系は既に冷房改造されていました。小学生当時、豊中の歯科医院へ行く時3000系と一部の1100系が冷房化されていた中、能勢電鉄へ譲渡されるまで非冷房だった2100系に乗ったいやな思い出しかありませんでした。館長のコメントに3000系に表示幕はつけてもらいたくない気持ちはわかります。あの車両はそのままにしてもらいたかった、長年阪急沿線で育った私も同じ気持ちですね。
3000系は、よく揺れるが素直な電車なんですね!運転士目線の感想も聞けて楽しいです!ガタンゴトン♪
伊丹線で乗りました。ピカピカの電車に感激しました。
阪急電車のフロントマスクを見るとどうしても似て非なる東武2000系を思い出します。阪急と東武の社長が仲良しでその流れでアルナ工機に車両製造を依頼していたとどこかで読んだ記憶がありますが真実はどうなのやら。東武2万系列の窓配置が阪急2800系を彷彿とさせるものがあるのでやはりそうなのかなと。
阪急公式グッズですけど車両の主張が強くて手が出しにくいかなと。ANAが販売しているような、座席の(ゴールデンオリーブ?)色の、タグを見て初めて阪急公式のものと分かるような、仮眠にも使える長めのブランケットがあれば多分買ってしまうと思います(保管兼予備を含めて最低2枚は)。いかがでしょうか。
惜別イベントができなかったのは残念です…
3000系は自分も子供の頃によく乗って
お世話になった車両で完全引退が決まった
ときは寂しかったですが時代の流れかと…
写真の幕が特急/須磨浦公園なのも感慨深いです‼️
同年代となる、京王電鉄の3000系は惜別イベントが行われており、幸せな車両でも有りました。
伊丹線で通学時に乗っていた記憶が懐かしく思い出されます
素敵な動画をありがとうございます
はじめまして。
関東在住のもので阪急には馴染みがあまりないのですが2006年の年末に神戸方面に行った時に今津線で運用してた3000系にまだ看板車が残ってたのかと思い撮影したのを覚えてます。
地元が塚口で、小学校の頃から登下校時に伊丹線を走る3000系を見ていました
いつの間にか少しずつ減っていき、いつのまにか3054Fだけになっていたのを覚えています
そして中学卒業と同じ年の2020年の5月の廃車回送を撮って最後のお別れをしたのを今でも覚えています
コロナ禍で惜別イベントがないなか動画配信、ありがとうございます。
同年代となる、京王電鉄さんの3000系は2014年に全廃となりましたが、この時は惜別イベントが行われており、有終の美を飾っていました。
半世紀以上に渡って活躍した3000系列だが最も輝いていた時期と言えば昭和50年代の半ばから昭和63年頃までの全編成が8連だった時期かと思います。それ以降は順次編成短縮されて支線へ転用が進んで更にその後新車投入で徐々に廃車されながらも細々と長く活躍していたのはすごいです。
山陽乗り入れの頃や、3100系が本線の優等列車に充当されていた頃が、輝いていた時代でしょうね。😃
宝塚線出身ですから.3016Fに良く乗車してました😊。ガタンゴトンではなく、「チャリンチャリン」と金属音を奏でながら走るのと、いつまでも耳に残る「プシユ~」と言う音が独特で大好きでした✨。
伊丹線で毎日お世話になりました。
3000系と言えば、電動車の梅田方の扉付近にいると、扉が開いたときに下から『コン』と音がして、閉まった時には『プシュ‼️』と音がしたのが好きでした
車掌スイッチは頭の上にあり、ノールックで操作していたのが印象的でした
惜別。この読みを知るまでおしべつって呼んでた
阪急の歴史から見たらまだまだ若い私に
とって3000系と言われて真っ先に出て
きたのは、映画で力走し廃車になるまで
原型顔で居続けた3058Fですかね。
今津北(西宝)線で走っていた時代に
乗れた事は今でも忘れません!
3000系そして3100系…子供の頃からお世話になった車両でした。
3000系に対して3100系は女性的な優しいモーター音だったのも印象的でした。
神戸線の特急でかっ飛ばしてる時の東芝製モーター音は、2000系同様これぞ阪急!とも思わされてました。
非冷房で残ってた両系式が8連化される時に、運転台が残ったままの2021系先頭車が組み込まれてたことも覚えていて、特に3152Fと3154Fに組成された2028と2030は、電装解除しての組成でしたので印象が強かったです。
夜学の高校生になって帰宅する時、大阪梅田から豊中市内へ帰宅する時に、決まって3000系が運用に入る各駅停車に乗ってたのも一つの思い出でしたし、
2006年の秋に、箕面線沿線へ転居した時は、非表示幕の3100系に再びお世話になった事も…
あの映画阪急電車~片道15分の軌跡~の撮影には、今津線の名優3058Fだけやなく、
箕面線の3157Fに組成されてた、3554も使われてたとかでしたね。
今回も素敵な動画をありがとうございました。
2021系編成が消滅する頃には2028と2030の他に2077と2079も運転台が残った状態で3000系列の編成に組み込まれていました。その後、2030は本来能勢電鉄に譲渡されるはずだった2154が六甲事故で大破した2050の代替えとなった為阪急で冷房改造されずに能勢電鉄に譲渡されています。その為2071系の2180は欠番となっており3154Fには2171が組み込まれました。
3054Fと言えば3000系最後の8連運用車でもありました。震災後に6連から8連化されて神戸本線運用に返り咲いたのは印象深かったです。パンタグラフの予備確保の為か暫くの間M車のパンタが片方撤去されたままの状態で本線運用されていて驚いたのを覚えています。高速運転時のあの爆走感は今の車両ではもう味わえませんね。
平成一桁生まれの3000系の思い出は映画阪急電車が一番印象に残っています。
映画阪急電車が公開された頃はまだかろうじて本線系統にも走っていました。
実際の車齢以上に綺麗で整備されている印象を持ちました。
車掌スイッチは楕円形のタイプがお洒落で好きでした
3000系に限りませんが、非冷房車が当たり前の時代は他社では見られない鎧戸に感心していました。
真夏の暑い日に窓を全開、眩しさよけに鎧戸を閉めても風邪が良く抜けて快適でした。
小雨程度なら雨も降り込まずに風だけが車内に吹き込んでくるので梅雨時でも他の電車よりは快適でした。
良い思い出です。
京王電鉄でも同年代となる3000系は途中の3714Fから冷房車となり、それ以前の編成も冷房改造を受けましたが、2014年までに全廃となりました。
DVDの私鉄沿線「阪急にのって」を昔自分が幼い時からよく見てて、その時は阪急3000系もまだ神戸線系統で映ってました(多分2008〜9年頃のやつです)
今でもまだDVD持ってます もうそんな懐かしい時代になったのかと
3000系がなくなる
伊丹線に何の要もなくなる
ホントに大事な存在を
失ってしまった
3000系といえば、C#3058映画「阪急電車 片道15分の奇跡」の劇車でしたね。
その模型をつくりたいなぁ…と思っていたところにCMコーナーのパンフに図面の付録が!
えぇ、もちろん購入いたしました。
う〜ん、館長さん買わせ上手。
宝塚線の車両にはスカートが付いていたのが印象的でした。5100系にはなくて3000系にはなぜあるのだろうかと思ってました。
3000系は神宝線の600V→1500V昇圧即応用として電動車2両がペアを組んで登場しましたね。
2000系のような定速度制御といった特別な装備はありませんでしたが、170Kw、30%弱め界磁の大出力モータの高速域での加速は豪快で、遅れ気味になりやすいラッシュ時の各駅停車に使用されると、神崎川~岡本の駅間では簡単に110Km/hで恢復走行していたのを思い出します。
後年、支線区で力を持て余してゆっくり走っているのを見ると、隔世の感がありました。
京都線の6M1T編成の3300系とともに印象深い形式の車両でした。
3000系は高速走行時はモーターが爆音でしたね。
3000系は高校の頃友人と遊ぶために今津線でよく乗った思い出のある車両
高校卒業してからは一気に数が減ってなんだか寂しく思えた…
今でも今津線と言えば3000系のイメージが強いですね!
3000系がいないと今津線ぽくないな〜といつも思います。
小4くらいまでほぼ毎日のように乗ってたので…5000が来た時は「新車が入った」と思いましたが、やっぱり今津線といえば3000のイメージが自分の中にまだ残ってるのかなと思いました。
私は世代ではないですが、UA-camの動画を見ていると今津線は南北分断前の、810系・1010系・5200系等々がいた頃が良かったと思います。😄
最後まで残った方向板車の3077Fが印象に残ってます。4両編成で3000系、3100系、2071系の三形式が混じった凄い編成でしたね。車両はなくなっても正雀工場でトップナンバー の3000号、3100号の貫通扉が保存されてるので、それで楽しむことができますね。
出来れば現在阪急最古参である3300系の動画も出してほしいですねー
3000系に最初に出会ったのは伊丹線ですね~生まれが平成ということもあり、3000系とは縁は浅いですが、とても貴重な車両だったんだなぁ…と今更思ってしまいました。😳
懐かしい、3000系電車!
もの語ごろ付いた時からの、お馴染みの電車!
近年まで、営業運転していたのですね!
お疲れ様でございました。(ノД`)シクシク
宝塚線8連で前にスカート付きの走行シーンが懐かしいよ
3000系めっちゃ懐かしいね。
僕は2016年6月、家族で箕面行ったときに箕面線の3066Fと3074Fに乗りました😄その後5100系の置き換えで引退した記憶もありました。
箕面線に乗った頃は側面表示幕が3054Fとは違う位置にあったのが一番の印象でした🚃😃
側面方向幕の位置とクーラーの取り付け間隔は冷房改造と同時に取り付けた編成と冷房改造後に取り付けた編成とで異なります。3066Fと3074Fは冷房改造後の方向幕取り付けでクーラー間隔が広く3054Fは冷房改造と同時に方向幕を取り付けていてクーラー間隔が狭くなっています。詳細はレイルロード出版阪急3000に記されています。
3000系は宝塚線と今津線でお世話になりました。特に3078は思い出があり宝塚向きの車両が3029で自分の誕生日が3/29だったので嬉しかったです✨
阪急3000系は阪急2000系を
べース車両ですね。
連結部は初めて開き扉が付きましたね。
表示幕は2300系と同じ位置に
あった車両がありましたね。
宝塚線はスカートも付いていましたね。
最後は伊丹線でラストランしましたね。
2020年に3000系、3100系は
廃車になりましたが、
能勢電鉄の3100系が唯一残って
いましたが、2021年4月に3100系が引退されて
正式に3000系、3100系グループは完全に引退しましたね。
2300系と同じく保存して欲しかったですね。
館長さん貴重な編集ありがとうございます。
原型顔で運行板掛けて走っていた頃に、何度も乗りました。本線を高速で駆ける優等運用、支線でゆっくりと各駅に停まる運用と、どちらもおなじみでしたっけ。
側面には、2000系と同様の電照式種別表示。特急(赤)・急行(黄)・準急(緑)の表示は、当時精一杯の案内装置だったようですね。
阪急3000系は通学の時に今津北線で良く乗っていた思い出があります。
今津北線と言ったら3000系のイメージが強かったりやっぱ阪急電車の片道15分の旅の主役の電車でもあり。思い出が詰まった車両ですよね(^^)
3000系乗ってましたよ!
方向幕ではなくて、運行板のやつ。
亡くなったのは寂しいですね。
3300系がどうなるかですね。
3300系は現状8連2本と7連5本が在籍しますが、最近また1300系が増備されたようなので、また3300系に廃車が出そうな予感がします。😓
よく揺れたのは確か。宝塚本線のスピードではそうではないですが、神戸本線で乗ると半端じゃなかったです。モーター音も凄まじく。神戸本線のスピード感感じるなら最強の車両だったでしょう。
阪急電車の近代化への功労者(車)ではあったが、5000系以降との格差は大きかったですね。21世紀に入ったあたりから、本線運用車はカッコいいものの、ここからは早く引退させて...とは思ってました。支線なら問題ないので。
今津線で非表示幕車が映画のシンボルの一つになり、引退寸前に大人気を博したのは嬉しかったです。
決して批判じゃなくて、むしろ味があっていいと思ってるのですが(笑)「オシャレで垢抜けした阪急」イメージに比してのこの動画の垢抜け無さ、バンカラさ加減が逆にいいですよね。3000系は確かミンデンドイツ式台車を履いていて、標準軌と狭軌の差はありますが同じミンデンドイツ式台車を履いていたのは南海7000系電車との理解です。その同じミンデンドイツ式で南海のには空気バネがありましたが阪急のは空気バネではなくコイルバネでした。この決定は「阪急は線形がそんなに悪くはない」ことで「別に空気バネにしなくても乗り心地は悪くならない」判断があったと聞きましたが正しいでしょうか。3000系最後にちょっと不思議に思ったのが「LEDライトに装換された車両」が出ました。そう長くもなく廃車を見通す時期ならLEDにしなくとも従来ランプでとも思うのですが、この判断にはLEDは他車両にも転用が出来て無駄にはならない等々見通しがあってのことだったのでしょうか。
阪急は大手私鉄の中では空気バネ台車の採用には慎重な方だったと思います。2800系の一部編成で試験的に採用されてはいましたが、本格的に空気バネ台車の採用が始まったのは1967年、3300系のFS369台車からでした。
3000系は10年前までは8連の本線運用編成もありましたが、館長も言うように高速運転時の揺れはなかなか凄まじく、つり革を持っていないと立ってられない程。お世辞にも乗り心地が良いとは言えないものでした。
(軸バネが金属バネ+オイルダンパーからメンテナンス性を考慮したエリゴバネに交換されてから乗り心地が悪化した可能性もありますが)
LEDヘッドライトへの改造基準は?ですね。未だに未改造のまま本線運用している編成もありますし。
3000系まで車掌スイッチ乗務員扉上にありましたね❗
震災復興関連の組み替えで誕生した二代目3022も印象に残っています。
3000系はダントツな性能でしたね。170kwの大出力モータで近鉄特急と実際互角な性能でした。横揺れは阪急車の癖でしょう。
京都線3300系も、名車でした。
まだ現役なんで、過去形はやめてね💦
@@giantnioinoba2023
だいぶリニューアルされたり、7両に…
館長さん、こんばんは🤚😄今回、3000系の特集、特に「特急・須磨浦公園」の背景写真と運行表示版、懐かしく見せてもらいました🤚😄
私は、3000系といえば、神戸線で、各駅停車で使われていたり、伊丹線や今津線の車両で使われていて、乗車したのが印象に残っています😊
神戸線で最後に見たのは確か平日朝の10両編成の通勤急行だったかな。もう10年くらい前だけど。当時まだ関西に住んでいて毎日阪急を見ていた。3000系も10両編成の通勤急行も今となっては過去のものになってしまったな。
3003、ひとつ前に引退した3007。整備が行き届いており古さを感じるどころか、なぜ引退するのかわかりませんでした。神戸線では最後のフルマルーン。阪急らしい電車でした。今は5000系の長い活躍を願います。
3000系といえば2000系列をブラッシュアップして阪急電車のイメージを形作る形式だったので寂しいです。
車両の冷房化と言えば、パイオニアとしては5200系のような気がしますね(試作車ですけど)
3000系と言えば、3054が最後に廃車された車で、そのひとつ前に廃車されたのが3062でしたね。
共にこの2編成は晩年、伊丹線運用を中心に3054は一度だけ乗務員訓練に充当したのが印象深いです。
3000系全体としては、今津北線を6連で走ってるイメージがありますね...(3054の6連時代や、3074のイメージがあります)
また3000系と3100系と言えば、独特なブレーキ緩解音ですね...
廃車回送を撮影した時は涙が出そうでした...
3000・3100系で震災被害での廃車を除けば、一番最初に廃車した車両が能勢電に行き、結果的に阪急在籍の全車両が廃車解体される中、最後まで生き残ったのが、能勢電に移籍した3170(元3156)Fというのは、皮肉でしたね。3000系は私と同い年。無くさないで欲しかったけどね💦
素晴らしい動画ありがとうございます!
僕の3000系の思い出は6012Fが約1年ぶりに伊丹線運用に復帰した日に臨時で伊丹駅から塚口駅まで回送された3054Fが幕を回しながら塚口駅に入線したので最後の三宮幕を撮れた事です!僕が最初で最後に撮影出来た三宮幕だったので凄く嬉しかったです!
歴史と言えば先日GWに池田市の小林一三記念館へ行って来たんですが一三さんの邸宅や展示物を見て改めて一三さんや阪急が我々の生活を変え街や文化を創って来た事を改めて復習させられました。あそこは阪急ファンならば訪れるべき場所やね🎵あと館長にリクエストとしてぜひ小林一三記念館の紹介をやって頂きたいッス🙏
神戸線で活躍していた3000系は迫力がありました。2011年頃ですかね。
懐かしいです!!
最後に乗ったのは2018年だったと思います。
館長さん、こんばんは
3000系は阪急で一番好きな車両でした。
学生時代、晩年は箕面線で過ごした3080Fは神戸線所属でしたが、宝塚線と神戸線を行ったり来たりしていて、特急で爆走していた時が懐かしく感じます。
3054Fも阪神淡路大震災後でしたか、一時的に6両編成で今津北線で運用していましたが、須磨浦公園乗り入れ終了後の臨時運転で、3054Fが予備車に充てられていたとかいないとか?
幕車になった、3000系の須磨浦公園乗り入れを一目見たかったです。
私は3000系の思い出と言えば
よく揺れたことを覚えていますね。
当時、私は北千里駅近くに住んでいて
3300系をよく乗りました。
この二者はいろいろ違いがあって
興味深いところです。
できたら3300系も紹介して下さい。
私の知っているところは台車が
全然違うしモーター音の違いがわかって
いますが他に何かあるのでしたら
また、教えてほしいですね。
ありがとうございました😊
神宝線の3000系列と京都線の3300系とでは、車体の幅が違います。その為神宝線の3000系列は、検査明けの試運転等で京都本線を走れても、3300系は神宝線を走ることは出来ません。また、3300系は原型だと前面に手動幕が付いて、地下鉄堺筋線乗り入れ時に使用されていました。他には、3300系は地下鉄乗り入れ用に作られたため、地下線内での故障に備えてM車の比率が高く取られているのも、神宝線の3000系列との違いですね。😄
@@yoshi7927 いろいろ教えて頂き
ありがとうございました😊
神宝線と京都線とは興味深いですね。
同じ3000番台なのに中身は別物
なんですね。
ありがとうございました😊
アメリカ大使絶賛のシートの秘密紹介もお願いします。
神戸線、宝塚線の3000系は、惜しまれつつ引退、さよなら運転もコロナ禍出来なかったんですね、
千里線は、まだ3300系が元気に走行していますが、内装も新型車輌のようになってるのも見かけます、
いずれ、さよならする時が、来るのでしょうか❓️3300系、5000系、7000系、8000系、1000系が走る千里線、好きやわ~、
今津線で走っていた方向幕ではなく、板の車が印象に残ってます!
3000系は味があって、好きでした!
阪急はどの車両も好きです!!
実家が宝塚線にありますが、帰省して阪急電車に乗りたくなりました笑
改造の時期によってクーラーキセの位置が違ったり側面幕の大きさが違ったりと趣味的にも面白い電車でした。
”昭和の阪急”っぽさが残る方向幕未改造車保存して欲しかったなぁ…なんて思ったりもしてたけど2301がいるからいっか。(おい。)
趣味的に面白かったのは4両編成なのに4両とも出自が異なる3077の編成と2071系運転台撤去車2両含んでた3064の編成かなー。3072は見たことないです。2842も2代目3022も気づいた頃には廃車になってました。
2300も3000もいなくなってFS345の乗り心地を味わえるのは能勢電鉄1700系だけになってしまった。こっちもいつまで走るのやら。
中にはパンタ車で、パンタの下部分に非冷房時代の、モニター屋根が残った車両もいましたね。😄
@@yoshi7927 いましたね。3077に入ってた3611と3150に入ってた3600はモニタ屋根残っていたかな?
@@ItamiMaki
あとは今津線の3076F??や、能勢電の3100系にも、パンタ下にモニター屋根が残っていました。😃