Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
たまたまこの世に生まれて、何を目的に生きれば良いか分からないけど、ラッキーだからせめて楽しみ尽くそうそんな気分で生きてます
私戦前、戦中、戦後と長生きさせて頂いています阿弥陀様のお陰さまですありがたい事です一緒に頑張った身内の旅立ちを見送り皆の懐かしい思い出はわたしの宝物です、明日は分からなくても頂いた大事な命を一生懸命生き抜きます幸せです菊谷先生毎日とても楽しみに拝聴していますありがとうございます感謝です。、
自分は60代なんてすけど私の同級生は退職金で家を新築したのですが最近亡くなりました。建ててからまもなく肺気腫で5ヶ月で去りました。先生の言葉が身に染みます。
悲しいなあ
@@裏バイト りま
しゃないです
家を置いて去らなきゃいけない😢
死生観については、吉田松陰が最も印象的です。松蔭は肉体的な死では無く、むしろ魂の死を恐れるべきとしていました。そして国や人々のために生きてこそ、魂が残ると。私の中で強烈に残っている松蔭の言葉は『世の中には体は生きているが、心が死んでいる者がいる。反対に、体が滅んでも魂が残っている者もいる。心が死んでしまえば生きていても、仕方がない。魂が残っていれば、たとえ体が滅んでも意味がある。』です。この言葉を読んでから、魂に重きを置くようになり、不思議と死への恐怖が無くなりました。また、志を持ち魂を残せるように行動せねばと、私自身の意識も変わったと思ってます。
吉田松陰の言葉 69歳にして初めて伺いました。感動しました🙏教えて頂き感謝します😊
菊谷様何時も良いお話し有り難う御座います。今日のお話も何と素晴らしい教えでしょうか、、、。私は今年60歳ですがお金も有り何の不十も無く日々を過ごしていますが何故か虚しく感じております。今日のお話を聞いて目から鱗が落ちました。有り難うございます🙏
配信ありがとうございました。死の滝つぼを恐れるんじゃなく、それもまた楽しめる心、意味あるものと捉えられる心を持つため、信心決定に向けてばく進しよう。生きてる間ずっと。
死の恐怖もあるけど親より先に死ぬことの申し訳無さが強すぎるから諦めの道を選んだ
ありがとうございます。先生の講義で人生観、価値観がかわりました。自分の人生、他人との人間関係を考えさせられました。
今より少しでも心穏やかに生きることができるようになるために、これからも聴聞していきたいと思います。ありがとうございました。
始まりがあれば終わりも有ると思うのも始まりも終わりも無いと思うも同じ。全ては今一瞬の生に感謝すれば、幸いあり。有り難うございます。
分かりやすいお話ありがとうございます。無常を観ずるは菩提心の一なり。仏の大悲の願船に乗れるようにこれからも精進しようと思います。
ありがとうございます!
トルストイ、懐かしいです。高校時代の愛読書、と思いましたがドストエフスキーでした。生きるのは簡単です、生まれてきた人は幸せです。
”生者必滅、会者定離。”毎晩、「翌朝、必ず目が覚める」と思うから、安心して眠りにつきます。が、いつか目が覚めない時が来ます。知らぬ間に、永眠することを願います。私の母親はいたって健康でしたが、いつもの昼寝をしている間に脳梗塞で83歳でなくなりました。元気なうちはいつも「死」を恐れて、仏教の話を聴きに行っていました。「ピンピンコロリ、出来たら良い」が口癖でしたが、その通りになりました。”大悲の願船”に乗れたと願います。私も”大悲の願船”に乗れるように、仏法を聴きたいと思います。
ありがとうございます。聞法心の途切れない深い仏縁に心より深く感謝します。特にお釈迦様、親鸞聖人、善知識の方々に心より深く感謝申し上げます。只仏法は聴聞に極まることなり。この世を去るまで聞法に精進します。菊谷先生いつも本当にありがとうございます。自然法爾の念仏〜一向専念無量寿仏〜信心正因称名報恩〜南無阿弥陀仏〜三戸拝
生きていると些細でも楽しいことがあります。その楽しいと思える事が人生にかならずあると希望を持ち生きています。
最近わけのわからない不安感が有りましたが、それが何なのかうっすらとわかりました。そしてこのお話で気持ちがだいぶ楽になりました。本当にありがとうございます。
尊い、ご説法、誠に、ありがとうございました。
何時も有難う御座います お話を聞きましてなるほどと 死後の世界はとても嫌な世界にしか想像しませんでした 暗い気持ちが少し明るくなれました。
せっかく生まれて色々事を知る事が出来るのだから最後まで結果を見極める事が出来ることは幸せな事ではないのでしょうか。石で生まれて石で消滅するより何と素晴らし経験を得る事が出来るのではないのでしょうか。私の母の終末のあまりにも穏やかな表情がその気持ちを強くさせてもらった。出来れば私もそのような穏やかな状態で逝ける様になりたいと考えています。本当に母に感謝しております。
いつも、わかりやすくお教え頂き、ありがとうございます。当たり前のことですが、「死」があるからこそ、「生」について考えられる…と思いました。
死の先にも道(光)があるならば、希望を持って今を生きれますね🌅勉強になりました。有難うございます🙏
先生、仏教の教えを、分かり易く教えて頂き、有難うございました。 大悲の願船に乗せてもらえるように、聴聞と勤行に、邁進して、行かねばならない とつくずく思いました。🙏😞
私もいつも思います。必ず死ぬのに圧倒的に苦しみ辛さが多い人生を送るのか。自ら命を絶てば無の世界に入り楽になるのにと思いますがその勇気、決断力がない。それで尚更もやもやがつのる。人生とは実に厄介なものだ。死ねば全て完結するのに。死の恐怖から解放されるのにと。
魂の修行だと聞いた事があります。今世で克服出来なかった課題は、また来世に持ち越されるそうです。
読ませていただき、ハムレットの苦悩を思い出しました。kikuutan.hatenablog.com/entry/hamuretto
無明の闇を破り信心を決定する。仏法は聴聞に極まる🙏ありがとうございます!
まさに今の自分が生きる事に意味を見出せずに悩んでいる状態です先生の話を聞いて少し楽になりました、冊子を見てみたいものですありがとうございました。
生死の迷い苦しみは海のように深く、果てしないが阿弥陀仏の悲願の大船だけが、乗せて必ず浄土に往生させてくださることを支えに生きるだけです😄
ありがとうございました。南無阿弥陀仏🙏
菊谷先生 ありがとうございます。菊谷先生から親鸞聖人の教えを聞かせていただき『因果の道理』の徹底した真理を知ることができました。『自利利他』に生きることで心が救われ、明るい身になれた思いです。また「知らぬ昔には戻せない」安らぎの心の世界があることを教えていただいています。🙏
大悲の願船に乗り替えます否 菊谷先生の仏教を聴聞し続けることで乗れたような気がしています
人生は先がわからないからこそ今を真剣に生きるのだと思います。ドラマでも結末がわかったら白けます。
心身の限界を感じ定年延長を断って昨年リタイアしました。その時の解放感は何とも言えないもので、大袈裟ですがこれで救われたと感じました。しかし、1年が過ぎた今、社会との交わりが減った寂しさ、老後資金の不安が湧いてきます。本当に人間は無いのもねだりの情けない生き物だと思います。又、人に頼らず一人で生きる事は難しいと今更ながら気づかされます。あれやこれや思いながら方丈記の様に終わるのだと思う今日この頃です。
つまりは自ら命を絶つ勇気がないからといつも自分に言い聞かせています。
倉田百三は広島県庄原市出身で、私が郷里を離れてみて、広島県庄原市を大事に思っております。本日この動画に会えて感動しております。
今日もありがとうございます。さまざまユーチューブを見ていますが一番意味のある内容だと痛感しています。感謝致します。
先生、私もいろいろと悩み考え続けておりましたが、ある日「要諦」という言葉に出会い、諦めることが自分を救うことになると思いました。トルストイと似ていますね。
生きる意味を考えるという行為は、無駄に死にたくないと思うエゴがそうさせている気がします。エゴを無くし、損得感情抜きにただ今この瞬間、瞬間を生きるだけ。そしてある日突然、この世とお別れ。ただそれだけ。死ぬことには変わりがないけど、エゴを無くせば虚しさなるものは無い状態で死んでいけるのではないかなと思いますね。なかなか、その境地に達することは難しいですが。
自身の死より、愛する者への、想いが勝る時、死の恐怖から解放され、本当の幸せが訪れます
有難う御座います🙂(悩んで悩んで解決しない事で悩むなんてこと)悩む事をやめる。に至った事もあります😁
なぜ生きる?死ぬ勇気がないだけです
いつも、説法をありがとうございます。非常に有難く、心が、癒され、深く感謝しております。「生きたいのに、死んでしまう人」と「死にたいのに、死ねない人」と、どちらが、幸せなんでしょうか?
生きる? 生意気ですね、人は生かされているだけです。感謝して日々を明日死んでも満足いくように生きればいいんだよ。
つまり、努力するより覚悟を決めろ。ということですかね
必ず死ぬのになぜ生きるとの問いだが、面白い問いだな。何故生きると言っても寿命があるうちは生きていくだろう。寿命が無くなれば生きたいと思っていても死んでしまうということだよ。これは万物の真理ではないか。これを考えることは愚門ということだよ。要は、寿命があるうちに生というものを満喫して後は、天に任せるほか仕方がないだろう。
そも人の幼稚な考えで全てに答えを出そうとするのは思い上がりよ なんか小難しい言葉並べてるけど自然に生きちゃ駄目なのかよなぁ
こ
流石分かってらっしゃる
なるほどなオチでした。要は死を暗いネガティブなものとして生きるか否かですね。
1年前に大切な娘が亡くなりましたこの1年間辛く悲しくどうやって過ごしたか?あっという間に1年経ちましたけど死にたいと思ったくらいですがもう1人娘がいるのでそれもできなくとにかく生きていかなければと必死でした、何か気持ちが楽になるヒントがあれば教えていただきたいです
大変差し出がましいのですが、諸行無常と四苦八苦を調べてみてはいかがでしょうか?特に愛別離苦がご自身の悩みの根幹だと思います。
@@YoshipUtube 心に留めていただいてありがとうございました
我が子をなくすほどの悲しみはない、愛別離苦はないと説かれます。かける言葉もありませんが、こうして聞法を重ねられることで少しでもお気持ちが楽になられれば有難く思います。
@@byBuddhism 先生心にかけて頂いてどうもありがとうございました
もう言葉に出来ないほど悲しくて、何もする気が起きませんよね。私も、昨年の12月に娘を亡くして、命を断とうと思ったほどでした。なんとか、今日まで生きています。自分で命を絶てば、娘がいる天国に行けないと思い、娘が生きたかった1日を噛みしみて生きています。あなたの娘さんも、天国から見守ってくれていると思います!死ぬまで、恥ずかしくない生き方をして、また娘さんに会いましょう!
素晴らしい
素晴らしいですね。
将棋指しです。勝つために学んでいますが、過去の棋譜を見て、先人はどのような思いでこの手をさしたか思いめぐらし、自分の心情と重ねあう事で、勝つこととはまた違ったしみじみとした喜びを感じています。大悲の願船に乗るという事は、こういう心境を言うのでしょうか。
菊谷先生、わたしは、学歴は知恵遅れの特殊学級で、学んだ記憶しか無いのですが、それでも、考えます、死にたいことも、有りました、生きる原動力は、楽な方を選ぶ事が生きる事になり、楽ではなくなると死にたい方を選ぶのが自然界の法則なんだと、感じるようになりました、これは草木も動物も石も水も火も風も地球も銀河系も全ての動く原動力は、楽な方を選んで動いてますね、例えば、腹をすかした動物にエサをやれば、飛び付くのは、食べたら楽になることを選ぶ為で、水は、低い所に行くのも、楽に行けるからで、自殺するのは、生きる苦しみから逃げる為で、年寄りが、生きるのが、苦しくなると、早く迎えにきて欲しいと思うのも楽になりたいからで、働くのは、後で楽な生活をしたいからと、苦しくたも頑張るし、なので、全ては、楽になりたくて行動していると私はたどり着きましたいかがでしゃうかね、この考え方は?
先生、お久しぶりでございます。チャンネル登録しているので、いつでも見れるのですが、高評価タップして、残しました。いつも、心改まる動画、ありがとうございます。📱😌🗾🌈🌅❤️
人は外の価値と内なる自分の価値外の世界での生き方と内なる自分の心の成長常にどんな事でも2つの意味が生きてる以上あるのでその2つの生きる意味と連れ添って生きていくことです。片方だけ生きても幸せにはなりません
つまり 我々は来世を知らないから 嘆いたり するんですよね もしも来世が素晴らし く よ かったら 嘆く必要はないですよね そして永遠に続くとしたら 嘆く どころか 多少の喜びに変わると思いますが😊 ただ死ぬ時は 苦しんで死ぬのはごめんですが 因果応報 だと 思えば 諦めもつきますね😅
菊谷先生、こんばんは、いつもすごいですが、今日のは、百回繰り替えして聴きます。私って、滝つぼが待っている船旅をしているのですね。なのに、その滝つぼ(死)のことを忘れちゃっているのですね。乗り換えしなくちゃ! 焦ります!
有難う御座います。マジ凄いですね。UA-cam と先生に感謝致します。
先生のお話をいつも拝聴させて頂くたびに、自分の考えの掃除、整理をさせて頂いております。大変感謝しております。死についてですが、それが肉体の死なのか魂の死なのかによって内容が違ってくると思います。魂の死の方が深刻であると思われます。肉体の生死に捕らわれている魂のあり方が問題です。本当に生きているということが魂が生き生きとしていることであり、肉体の生の状態に左右されない本当の幸福であると思われます。魂が健康であればそれが肉体に反映してくると思います。また、肉体が死ぬときにも安らかに健康に衰弱して眠るようにいくのではないでしょうか。肉体の事や物質面の諸々に捕らわれない自由な心のあり方に成るために、また、自由な心の状態に成らなければと言う焦りからも自由になるために存在していると思います。
衝撃的でした。死ぬのに生きるのか、今を頑張って生きることについて、少し考えが変わりそうです。すぐそこにあるかもしれない死にどういう気持ちで望むべきか考えていかなくてはいけなさそうです。ありがとうございます。
信心決定を聞いて思いました。キリストがおっしゃった”信じる者は救われる”に単純ですが同じと思いました。僕の座右の銘は良寛和尚の辞世の句です。散る桜残る桜も散る桜さて、このお言葉を不運や不幸の言葉と思いません。本物の愛情を感じ座右の銘にしています。今回は特に素敵なお話ありがとうございました。
自分に嘘をつけるだけじゃないですか?何で無知の未来をそんなに明るいと信じるのかイマイチ理解できません。誰に言われたのですか?結局死にますよね?死んでからはどうなるかわかりませんよね?先生は何で死ぬとわかっているのに頑張らなきゃいけない大事な実現的な答えを言っていません。全部妄想じゃないですか?もし、海外に行かないといけない状況にいるとします。目的地について全く情報が見つからないとしたらとても不安で仕方ないように、私たち人間も死んだらどうなるのかに関して全く何もわからないと不安の気持ちがあるのは当然ですね。この方が言っているのは目的地がどんなところだって大丈夫っしょってことですよね。要するに今だ考えようってこと。理解できません。
@Yama Zaki 私の話しに丁寧に返信いただいている事に共感のような感じを持ちました。ありがとう。確かに、死後は未知です。ですから、今を豊かに生きる為に死後を定めたのです。それが、キリストの言葉"信じる者は「すくわれる」"でありお釈迦様もしと言う未知にどう向き合うかをお考えになり覚りを得たのです。科学的な合理性は地球では十分に機能しますが、無と言う人間の不安には答を出せていません。ここで気付きがあります無を見た事があるかと言うことです。どなたかがお亡くなりになったら生命の無を見るのでしょうが、宇宙から見たら無なんてどこにもないように私は感じています。ですから、死とは何かに変化していると本気で思っています。そうすると無ではないと見えて今が幸福になる。今生きている事を大切にしたいし信じるだけで今が豊かになる。幸福を手にいれられる。これは、本物の合理だと言うことです。死を怖い事はいい意味で学びを与えてくれます。私の信じるは何をしてもいいと言うことではない。今関わっている人々と幸福を模索し、死は変化であるから傷つけてもいいなんて事ではなくて、永遠の中の運命的な偶然を大切にしたいと言う生き方をchoiceしております。
菊谷先生、毎回感謝の言葉しかありません。自分の迷いを見事に整理して下さいます。もっと早くに出会えていればと、悔やむばかりです。私は、思春期前の児童生徒と関わり合う仕事をしています。「ねえ、じゃあ、なんでさ、人を殺しちゃいけないの?オレ、メッチャあいつ殺したいんだけど。」と言う児童、小6くらい、男女共にです。が毎年います。私は、命の大切さと、それは一度失ったら回復できないのだ、あなたはその責任を負えない。などと、説得を試みます。しかし、そんな話は彼らの心に届いたようには見えません。先生にアドバイスアドバイスをお願いできませんでしょうか。情けない話で申し訳ないです。トド
今の生活では日向ぼっこしたり、仲間の食事を作らさてもらう事を喜んで、それだけで生きてます。
「人生は快楽と苦悩の無限ループ」作詞 百武 将智どんな選択をしようとも人生は快楽と苦悩の無限ループお金を持ってる人もそうじゃない人も人生は快楽と苦悩の無限ループ都会に住んでる人も田舎に住んでる人も人生は快楽と苦悩の無限ループ楽しいことは長続きしない辛いことも長続きしない人生は快楽と苦悩の無限ループどんなに時代が変わろうとも人生は快楽と苦悩の無限ループそして人生を終える時「大快楽」が僕らを待っているそれが僕らの生きる意味それが僕らが生まれてきた理由
じゃ何で生まれたのですか?
大悲の願船を目の前に見せてくれたら迷わず乗り込む。でもその船が、(100%おとずれる死のように)明らかなモノとして存在しないから、どうしてもそこへ踏み出せずにいます。こういう教えに基づいて生きていらっしゃる方にお聞きしたいのは、実際にあるかどうかが分からないものをどうやって信じたのかか?という、その具体的な方法です。
「大悲の願船」を具体的に教えて下さい。私は「必ず死ぬのに何故生きる」と言う自分自身の疑問に、若い時から「死にたくないから生きる。同じ活きるのなら世の為人の為」と確信し、今までずっと心から幸せに生きております。若い時からずっと楽しく働き、苦労して頑張り今もまだ働いております。仕事に家族に社会に友人に恵まれ幸せです。まじめな仏教は人に生きる道「宇宙の大法則」を教えているものだと思いますが、残念な事に今の僧侶にはまじめな人が少なく大勢の人は仏教から学ぶ事が少ない現状だと思います。どうぞ益々のご指導を視聴者皆々様によろしくお願いします。ありがとうございます。
死ぬのが怖いから死のうとしないだけ。だから人生が辛くて死ぬのが怖くない人は自殺するし、生きてて楽しい人は自殺したりしない。最終的に死ぬと分かっていたとしても今を生きているのは自分だから、今の自分は未来の自分の為に死んだりしない。
生まれる人死ぬ人の繰り返しだから地球という星が存在するしかない🙎
大悲の願船に乗るには、どうしたら良いのですか?乗ったらどうなるか丁寧に説明してくれていますが、一番知りたい乗り方を教えて下さい。
仏法は聴聞に極まる、聞法の一本道です。
ヘーゲルの「小論理学」の一節、「生あるものは自分自身のうちに死の萌芽を持っている」。現存する肯定的理解のうちに、その必然的没落という否定も構成する立場である弁証法的な世界観に通じるものがありますね。
人生は特別なものではない。犬や猫やウィルスだって生まれ死んでゆく。生物は宇宙を構成する物理現象のひとつである。そう思います。それを前提に生物の特徴は子孫に遺伝子を引き継ぐことである。人は遺伝子に加えて子孫が繁栄しやすい環境を作り引き継ぐのが生きている意味だと思います。私は遺伝子を引き継ぐことができないと知りました。だから種が繁栄できる環境だけでも作り引き継ぎたいと思って日々生きています。淋しいけどね。私は生まれて物心つく前のことは記憶にありません。死とは子孫や文化を次世代に引き継いで生まれる前に戻ることなのでしょう。お釈迦様は輪廻という表現でそのことを私たちに教えてくださったのだと思います。
せめてあの世に行った際には大好き❤な父親と再会できると信じたい。嘘でも良いから自分は、その日が来たら信じたい。そうでもしなかったら残された人生虚しくてやってらんない。
私的に生きる最大の目的は子孫に尽くすことであって、子は親である我々の意志を受け継ぎ、その中で私も生き続けるのです。
要するに人間は動物と何も変わらないですか?
大きな船に乗り換えたとしても根本的な問題は解決していないのではないでしょうか。真の静寂とはこの一尋ほどの体の中にしか無いのだと思います
どうしたら解決できると思いますか?
大変興味を持って拝聴させて頂きました。有難う御座いました。質問ですが、信心決定して大悲の願船に乗り換えると絶対の幸福を得られると理解しましたが、この大悲の願船ってどういう船であり、絶対の幸福とはどんなものなのでしょうか? 宜しくお願い致します。Hiro
大半の人は楽しさの方が多いからなのではなかろうか。こういった問いに対して深刻になる時楽しいと思えなくなっているというサイン。辛いことってあるけどいつかは消えることの方が多いんだから、そこから先は楽しいことの比率が多い。それをなんとなくわかってるから生きようとできる
・(人生は)死刑前夜の晩餐会・料亭の生簀に泳ぐ魚高森先生のご著書で、このふたつの言葉が印象に残っています。必ず死ぬということはどういうことかがよく伝わります。
人生とは、崩壊と絶望であります。一時の人間観の幸せがあっても直ぐに終わります。何故なら人間は一瞬しか生かされてないからです。一瞬の積み重ねが時間となり年数となり人生となります。私自身何故人間に生まれきたか?それはヘレンケラーの奇跡のように、目も見えない耳も聞こえない私が、絶対幸福真実念仏の知恵によって絶対の幸福世界に生かされています。
菊谷隆太さん、死ぬことは仕方ないとして、老いることは落ちぶれることだと思っていませんか?老いてから気づく人生の素晴らしさもあります。死ぬことは価値を失いことではなく、死があるから見出せる人生の面白みもある、こういう論理がこの話にはないように思えます。まだあなたは50歳過ぎでしょう、私は60歳を過ぎていますが、そんなに落ちぶれているとは思えないです。
人生観の相違は、人間の見方考え方価値観によって違って変わってくるものだ。?!🐯🐴🐰🐶🐱🈵🆗🈴👴👵👨👩👦👧👦👧👨👩👴👵🎼🎹🎻🎷🎸🎺♬♪♩~
非常にわかりやすい解説で聞き入ってしまいました。ペットの死を目前にしたり、自分の社会に貢献できない無力さに辟易しており、生きるということに真っ暗なイメージが湧いていましたが生きることという恐怖に感じるメカニズムが少しだけですが理解できました。理解できたら少し気持ちが楽になった気がしますm(_ _)m
生まれたから生きる私は、暇つぶしかもしれない。今は楽しいことも苦しいこともありません。
追伸 大船 信じる人も信じない人もいてよいのだと思います 私は今回は?だなと思いましたが他の回のお話しはお勉強になります
반드시죽는데~왜~?사는가~?그런깊은의미가있었네요많이깨닳고갑니다어려운단어가많어서번역하는시간이길어지겠지만즐거운마음으로공부하겠읍니다선생님항상건강하세요
必ず死ぬのは宿命で、生きるのは死ぬことを目的としていません。藪仏法です。
なぜ生きるのか 私も死は宿命でその時までは生きるのは学び成長する事だと考えています 死の瞬間まで怖れを乗り越えて学びに考えられるといいなぁ
@@銀1028 学んでも意味ないじゃないですか?結局死ぬので。海外へ情報が非常に少ないところに行かないといけない、そのこの所に残りの人生を送る状況にいるとします。目的地についての情報を必死に見つけようとしている人と逆にその無知なところについて何も探せずと全く関係ないことを学んで続けている人、どっちが理性的ですか?死は目的じゃありません。ただ、死について正しい情報をを身に付いてはいけません。
ありがとうございます。こういうお話、毎日、聴きたいです。トルストイで思い出したのですが、小学生の頃読んだ雑誌の中に書いてあったのですが、トルストイの奥さんは怖くて、性格が悪かったけれど、顔が不細工な人のことを責めてもしょうがないことなのと同じように、性格が悪いことを責めてもしょうがないというようなことが書いてあったように覚えていて、妙に納得しました。でも、自殺も考えていたとは、意外でした。これからも、たくさん、聴きたいです。他の動画も、最近拝見していまして、今まで、他力本願という意味もわかっていたつもりでしたが、他の人のおかげや、縁の力のことかなと理解していました。もっともっと聴いていきたいです。南無阿弥陀仏。
親鸞聖人の深い教義についてこちらで限定動画後悔しています。よろしければご検討ください。reiwagobou.com/
一年前の動画ですが、まだ「私を幸せにさせない5つの間違った常識」を頂けるのでしょうか?仏教の教えを少しづつ聞いている最中です
大悲の願船と滝に落ちる小舟の違いは何なのでしょうか?大悲の願船に乗り替えるとは具体的にどういうことで、どうして滝に落ちないのでしょうか。無明の私に光明を頂ければ幸いです。
大悲の願船とは阿弥陀仏の本願のことであり、乗り換えるとは、弥陀の本願力によって絶対の幸福になること、この弥陀の大船は無量光明土に至るので後生暗い滝には落ちません。また重ねてお話ししてまいります。
船を乗り換えるにはどうしたら良いのでしょうか?仏門に入る事でしょうか。
同じく、肝心な部分がわかりませんでした。
いやぁ いつも本当のことを教えてくださりありがとうございます逆説的ですが 生きてる間に船の上がある程度充実してると むなしいですが快適になります私は快楽主義かもしれませんが こうでもしないと精神がおかしくなりますだから私は 健康とお金と仲間や友達を大切にして できるだけ快適に自分に残された時間を過ごしていきます愛別離苦の苦しみも 仲間がいれば少しは軽減されるので もう少しだけ環境を整えてから 人を愛してみます仏が説いた船より 自分が乗る船の方が苦しいこともありますが いまはおもしろいのでもう少し自分の船に乗ってどうしても行き場所がなかったら仏の船に乗ってみます
誰が何と言おうと結局は同じ事でしょう。死の先をどう思うかは人それぞれだと思います。どんなに信心しようがその確証がわからないことは事実ですから。トルストイの方がおそらく人の道としての答えだと思います。
どんな船なのか教えていただけますか?どうすれば教えて頂けるでしょうか?
阿弥陀仏の本願の船であり、これ一つ説かれたのがお釈迦さまでした。こちらで詳しくお話ししていますので、よろしければご検討ください。reiwagobou.com/
子孫がいる人間は、立派で財産もある先祖として往生したり子孫の成長などに関与する事に意義があります。 子孫がいなくても社会的影響力のある人間は同じです。逆にそうでない人間はその限りではありません。
修行の世界である現世で神が与えた課題をこなし、修行を終えるまで現世で生き続ける しかし、ほとんどの人が地獄 中には天国へ行ける方も少ないけど居る 我々はあくまで修行の為に現世に存在する 現世に産まれてくる前に神様から課題を与えられる しかし産まれてくる直前にリセットされます だから何も分からないのです しかし、だからこそ修行なのです
我が人生に悔い無し!!っていう人が たまに居ますよね。そういう人が親鸞聖人の言ってる船に乗ったのと同じ意味なんじゃないかな〜と。んー、でも おおよそ人生に余裕がある内に死を悟る事が出来れば本当に大事な一歩が踏み出せると思うんですよ。大事な一歩って怖いじゃないですか。だけどもう本っ当に死んでも構わない!!って気持ちで ぶつかるのがホントの正解の道なんじゃないかと。ね、それこそ後悔無く生きれたら死ぬのも怖くないんじゃないデスカ?なんて。
重層な課題の洗脳。肉体と魂の永遠性。前以てシナリオ通り仮想空間に試される。魂の成長の為、生かされ掌シルバーコードにてこの世の卒業愛でたし候。逆縁にて疑う事なかれ。
生きる意味など要りません。生まれてしまったから生きるだけ。毎日が充実していれば良いのです。虚しい日々しか送れないから苦しんでいるだけ。
まさに今現在の状況である「死」に直面してる1人の人間我が身のこと真剣に考えている今死癒着場所探し回り考え込み最中日々を過ごしている。答えはない?
答えはあります。お聞きください。
人間ならではの悩みですね同時に、それが我々が人間としてこの世に生まれた最大のチャンスであると教えられてる訳ですね👀
人間は産まれたことが 恐ろしい事だったのですか?あまりに悲しすぎます。私は地球と言う素晴らしい星に生まれた事がとてもラッキーな事だと思っていました。いろんな事あったけど悲しい事も嬉しかった事も全部 消えても 確かにそんな瞬間あったこと。それだけで幸せだと思っていました。私今日から 今までの私でなくなっていく気がします。怖いです。菊池先生 一言でいいです。救われる言葉が欲しいです。宜しくお願いします。😞😢
大丈夫?
大悲の願船に乗って仏の世界に行くと不老不死になると言うことか。絶対幸福とはどういう状態か。心の問題だとしたら総ての人がその境地に辿り着けるのか。信者の方は全員信心決定しているのか。大悲の願船に乗らなければ生きることに意味はないということなのか。一部の人しか存在を知らない大悲の願船が有るとして世界のほとんどの人は意味もなく生きているのか。そうかなぁー。
長文失礼します。いつもありがとうございます。トルストイの本も検索しています。10代のころ今は絶版の「完全自殺マニュアル」を読んでいたこともあります。生きていることが面倒で、死に方を知っていればいつでもいつでも死ねると割り切った考えを持っていた時期もありました。結婚しても、子どもが生まれても自分が死んだら何とか生きていくだろうと無責任な考えであったこともありました。ただ50前にして、家族や友人、知人の死を経験して考えることも増えました。ただ一つ、死ぬこと自体は怖くないというのは変わりせん。楽の極みとしての極楽、この肉体、この世界からの解放です(怠惰の本質は変わっていません)。病気や老い、最期を迎えるまでの妻や子どもたちとの関係など、死ぬまでの過程で苦しむことが怖いのです。だからお年寄りは「ピンピンコロリ」を望むのです。そのため私は、命を使い切るためにはどうすればいいのかを考えています。体を構成する細胞は30兆個、生命活動を行うために組織が構成され、器官となり、その役割を「日々黙々」と果たしてくれています。一部に負担をかけるために器官の故障、再生の限界で能力を低下させ、活動能力を減衰させていきます。体の細胞を満遍なく使いこなすことができれば、電池が切れたように、人生の幕を閉じられるのではないでしょうか。「人」という字は年長者を若者が支えている、これからの日本社会を示しており、年金など社会保障は期待できないなどの文句を言わず、役割を「日々黙々」と果たしてくれる生きている細胞たちに生かされているのです。だから体の隅々の細胞まで代謝を行えるように体を動かし続けることは必要です。命を使いこなして、使い切る、これが私の信心決定です。そして自分以外の人とも関係しなければ生きていけません。「人」の「間」で人間ですから。だから「人」のために「動く」ことで「働く」のです。と、言いことを言っているようですが、文頭の「怠惰」の本質は変わりません。「陰」があれば「陽」もあると考え、それが当たり前でいいんだと思っています。こうして心のバランスは保っています。こうして考えていくと、このようにバランスはとっていても人間(悪人)である限り、何度もこの世に転生して、生と死を繰り返すことは試練であり、その輪廻から解放されることが本当の解放と言っていることもあるのだろうと思えます。昔の人はすごいですね。言葉が残っているから、その意味を考えることもできます。こうした気づきがあることがまた楽しみとして、今日を、今を過ごしています。ありがとうございました。
菊谷先生、大変考え深いお話でした。ありがとうございました。死に対する考えは、年をとるたびに変わってきます。私自身まだまだ未熟ですので、とりあえず、今を一生懸命生きようとがんばっています。(ある意味ごまかしているような、先送りしているような気がしています)。是非、大悲の願船について詳しく教えていただけると幸いです。
たまたまこの世に生まれて、何を目的に生きれば良いか分からないけど、ラッキーだからせめて楽しみ尽くそう
そんな気分で生きてます
私戦前、戦中、戦後と長生きさせて頂いています阿弥陀様のお陰さまですありがたい事です一緒に頑張った身内の旅立ちを見送り皆の懐かしい思い出はわたしの宝物です、明日は分からなくても頂いた大事な命を一生懸命生き抜きます幸せです菊谷先生毎日とても楽しみに拝聴していますありがとうございます感謝です。、
自分は60代なんてすけど私の同級生は退職金で家を新築したのですが最近亡くなりました。建ててからまもなく肺気腫で5ヶ月で去りました。先生の言葉が身に染みます。
悲しいなあ
@@裏バイト りま
しゃないです
家を置いて去らなきゃいけない😢
死生観については、吉田松陰が最も印象的です。
松蔭は肉体的な死では無く、むしろ魂の死を恐れるべきとしていました。そして国や人々のために生きてこそ、魂が残ると。
私の中で強烈に残っている松蔭の言葉は『世の中には体は生きているが、心が死んでいる者がいる。反対に、体が滅んでも魂が残っている者もいる。心が死んでしまえば生きていても、仕方がない。魂が残っていれば、たとえ体が滅んでも意味がある。』です。
この言葉を読んでから、魂に重きを置くようになり、不思議と死への恐怖が無くなりました。また、志を持ち魂を残せるように行動せねばと、私自身の意識も変わったと思ってます。
吉田松陰の言葉 69歳にして初めて伺いました。
感動しました🙏
教えて頂き感謝します😊
菊谷様何時も良いお話し有り難う御座います。今日のお話も何と素晴らしい教えでしょうか、、、。
私は今年60歳ですがお金も有り何の不十も無く日々を過ごしていますが何故か虚しく感じております。今日のお話を聞いて目から鱗が落ちました。有り難うございます🙏
配信ありがとうございました。
死の滝つぼを恐れるんじゃなく、それもまた楽しめる心、意味あるものと捉えられる心を持つため、信心決定に向けてばく進しよう。生きてる間ずっと。
死の恐怖もあるけど親より先に死ぬことの申し訳無さが強すぎるから諦めの道を選んだ
ありがとうございます。
先生の講義で人生観、価値観がかわりました。自分の人生、他人との人間関係を考えさせられました。
今より少しでも心穏やかに生きることができるようになるために、これからも聴聞していきたいと思います。ありがとうございました。
始まりがあれば終わりも有ると思うのも始まりも終わりも無いと思うも同じ。全ては今一瞬の生に感謝すれば、幸いあり。有り難うございます。
分かりやすいお話ありがとうございます。無常を観ずるは菩提心の一なり。仏の大悲の願船に乗れるようにこれからも精進しようと思います。
ありがとうございます!
トルストイ、懐かしいです。
高校時代の愛読書、と思いましたがドストエフスキーでした。
生きるのは簡単です、生まれてきた人は幸せです。
”生者必滅、会者定離。”
毎晩、「翌朝、必ず目が覚める」と思うから、安心して眠りにつきます。
が、いつか目が覚めない時が来ます。知らぬ間に、永眠することを願います。
私の母親はいたって健康でしたが、いつもの昼寝をしている間に脳梗塞で83歳でなくなりました。
元気なうちはいつも「死」を恐れて、仏教の話を聴きに行っていました。
「ピンピンコロリ、出来たら良い」が口癖でしたが、その通りになりました。
”大悲の願船”に乗れたと願います。
私も”大悲の願船”に乗れるように、仏法を聴きたいと思います。
ありがとうございます。聞法心の途切れない深い仏縁に心より深く感謝します。特にお釈迦様、親鸞聖人、善知識の方々に心より深く感謝申し上げます。只仏法は聴聞に極まることなり。この世を去るまで聞法に精進します。菊谷先生いつも本当にありがとうございます。自然法爾の念仏〜一向専念無量寿仏〜信心正因称名報恩〜南無阿弥陀仏〜三戸拝
生きていると些細でも楽しいことがあります。その楽しいと思える事が人生にかならずあると希望を持ち生きています。
最近わけのわからない不安感が有りましたが、それが何なのかうっすらとわかりました。そしてこのお話で気持ちがだいぶ楽になりました。本当にありがとうございます。
尊い、ご説法、誠に、ありがとうございました。
何時も有難う御座います お話を聞きましてなるほどと 死後の世界はとても嫌な世界にしか
想像しませんでした 暗い気持ちが少し明るくなれました。
せっかく生まれて色々事を知る事が出来るのだから最後まで結果を見極める事が出来ることは
幸せな事ではないのでしょうか。
石で生まれて石で消滅するより何と素晴らし経験を得る事が出来るのではないのでしょうか。
私の母の終末のあまりにも穏やかな表情がその気持ちを強くさせてもらった。
出来れば私もそのような穏やかな状態で逝ける様になりたいと考えています。
本当に母に感謝しております。
いつも、わかりやすくお教え頂き、ありがとうございます。
当たり前のことですが、「死」があるからこそ、「生」について考えられる…と思いました。
死の先にも道(光)があるならば、
希望を持って今を生きれますね🌅
勉強になりました。有難うございます🙏
先生、仏教の教えを、分かり易く教えて頂き、有難うございました。
大悲の願船に乗せてもらえるように、聴聞と勤行に、邁進して、行かねばならない
とつくずく思いました。🙏😞
私もいつも思います。必ず死ぬのに圧倒的に苦しみ辛さが多い人生を送るのか。自ら命を絶てば無の世界に入り楽になるのにと思いますがその勇気、決断力がない。それで尚更もやもやがつのる。人生とは実に厄介なものだ。死ねば全て完結するのに。死の恐怖から解放されるのにと。
魂の修行だと聞いた事があります。
今世で克服出来なかった課題は、また来世に持ち越されるそうです。
読ませていただき、ハムレットの苦悩を思い出しました。kikuutan.hatenablog.com/entry/hamuretto
無明の闇を破り信心を決定する。仏法は聴聞に極まる🙏ありがとうございます!
まさに今の自分が生きる事に意味を見出せずに悩んでいる状態です
先生の話を聞いて少し楽になりました、冊子を見てみたいものです
ありがとうございました。
生死の迷い苦しみは海のように深く、果てしないが阿弥陀仏の悲願の大船だけが、乗せて必ず浄土に往生させてくださることを支えに生きるだけです😄
ありがとうございました。
南無阿弥陀仏🙏
菊谷先生 ありがとうございます。
菊谷先生から親鸞聖人の教えを聞かせていただき『因果の道理』の徹底した真理を知ることができました。『自利利他』に生きることで心が救われ、明るい身になれた思いです。また「知らぬ昔には戻せない」安らぎの心の世界があることを教えていただいています。🙏
大悲の願船に乗り替えます
否 菊谷先生の仏教を聴聞し続けることで
乗れたような気がしています
人生は先がわからないからこそ今を真剣に生きるのだと思います。ドラマでも結末がわかったら白けます。
心身の限界を感じ定年延長を断って昨年リタイアしました。
その時の解放感は何とも言えないもので、大袈裟ですがこれで救われたと感じました。
しかし、1年が過ぎた今、社会との交わりが減った寂しさ、老後資金の不安が湧いてきます。
本当に人間は無いのもねだりの情けない生き物だと思います。
又、人に頼らず一人で生きる事は難しいと今更ながら気づかされます。
あれやこれや思いながら方丈記の様に終わるのだと思う今日この頃です。
つまりは自ら命を絶つ勇気がないからといつも自分に言い聞かせています。
倉田百三は広島県庄原市出身で、私が郷里を離れてみて、広島県庄原市を大事に思っております。本日この動画に会えて感動しております。
今日もありがとうございます。さまざまユーチューブを見ていますが一番意味のある内容だと痛感しています。感謝致します。
先生、私もいろいろと悩み考え続けておりましたが、ある日「要諦」という言葉に出会い、諦めることが自分を救うことになると思いました。トルストイと似ていますね。
生きる意味を考えるという行為は、無駄に死にたくないと思うエゴがそうさせている気がします。
エゴを無くし、損得感情抜きにただ今この瞬間、瞬間を生きるだけ。そしてある日突然、この世とお別れ。ただそれだけ。
死ぬことには変わりがないけど、エゴを無くせば虚しさなるものは無い状態で死んでいけるのではないかなと思いますね。なかなか、その境地に達することは難しいですが。
自身の死より、愛する者への、想いが勝る時、死の恐怖から解放され、本当の幸せが訪れます
有難う御座います🙂
(悩んで悩んで解決しない事で悩むなんてこと)悩む事をやめる。に至った事もあります😁
なぜ生きる?
死ぬ勇気がないだけです
いつも、説法をありがとうございます。非常に有難く、心が、癒され、深く感謝しております。
「生きたいのに、死んでしまう人」と「死にたいのに、死ねない人」と、どちらが、幸せなんでしょうか?
生きる? 生意気ですね、人は生かされているだけです。感謝して日々を明日死んでも満足いくように生きればいいんだよ。
つまり、努力するより
覚悟を決めろ。ということですかね
必ず死ぬのになぜ生きるとの問いだが、面白い問いだな。何故生きると言っても寿命があるうちは生きていくだろう。寿命が無くなれば生きたいと思っていても死んでしまうということだよ。これは万物の真理ではないか。これを考えることは愚門ということだよ。要は、寿命があるうちに生というものを満喫して後は、天に任せるほか仕方がないだろう。
そも人の幼稚な考えで全てに答えを出そうとするのは思い上がりよ なんか小難しい言葉並べてるけど自然に生きちゃ駄目なのかよなぁ
こ
流石分かってらっしゃる
なるほどなオチでした。
要は死を暗いネガティブなものとして生きるか否かですね。
1年前に大切な娘が亡くなりましたこの1年間辛く悲しくどうやって過ごしたか?あっという間に1年経ちましたけど死にたいと思ったくらいですがもう1人娘がいるのでそれもできなくとにかく生きていかなければと必死でした、何か気持ちが楽になるヒントがあれば教えていただきたいです
大変差し出がましいのですが、諸行無常と四苦八苦を調べてみてはいかがでしょうか?
特に愛別離苦がご自身の悩みの根幹だと思います。
@@YoshipUtube 心に留めていただいてありがとうございました
我が子をなくすほどの悲しみはない、愛別離苦はないと説かれます。かける言葉もありませんが、こうして聞法を重ねられることで少しでもお気持ちが楽になられれば有難く思います。
@@byBuddhism 先生心にかけて頂いてどうもありがとうございました
もう言葉に出来ないほど悲しくて、何もする気が起きませんよね。
私も、昨年の12月に娘を亡くして、命を断とうと思ったほどでした。
なんとか、今日まで生きています。
自分で命を絶てば、娘がいる天国に行けないと思い、娘が生きたかった1日を噛みしみて生きています。
あなたの娘さんも、天国から見守ってくれていると思います!
死ぬまで、恥ずかしくない生き方をして、また娘さんに会いましょう!
素晴らしい
素晴らしいですね。
将棋指しです。勝つために学んでいますが、過去の棋譜を見て、先人はどのような思いでこの手をさしたか
思いめぐらし、自分の心情と重ねあう事で、勝つこととはまた違ったしみじみとした喜びを感じています。
大悲の願船に乗るという事は、こういう心境を言うのでしょうか。
菊谷先生、わたしは、学歴は知恵遅れの特殊学級で、学んだ記憶しか無いのですが、それでも、考えます、死にたいことも、有りました、生きる原動力は、楽な方を選ぶ事が
生きる事になり、楽ではなくなると死にたい方を選ぶのが自然界の法則なんだと、感じるようになりました、これは草木も動物も石も水も火も風も地球も銀河系も全ての動く原動力は、楽な方を選んで動いてますね、例えば、腹をすかした動物にエサをやれば、飛び付くのは、食べたら楽になることを選ぶ為で、水は、低い所に行くのも、楽に行けるからで、自殺するのは、生きる苦しみから逃げる為で、年寄りが、生きるのが、苦しくなると、早く迎えにきて欲しいと思うのも楽になりたいからで、働くのは、後で楽な生活をしたいからと、苦しくたも頑張るし、なので、全ては、楽になりたくて行動していると私はたどり着きました
いかがでしゃうかね、この考え方は?
先生、お久しぶりでございます。チャンネル登録しているので、いつでも見れるのですが、高評価タップして、残しました
。いつも、心改まる動画、ありがとうございます。
📱😌🗾🌈🌅❤️
人は外の価値と内なる自分の価値
外の世界での生き方と内なる自分の心の成長
常にどんな事でも2つの意味が生きてる以上あるので
その2つの生きる意味と連れ添って生きていくことです。
片方だけ生きても幸せにはなりません
つまり 我々は来世を知らないから 嘆いたり するんですよね もしも来世が素晴らし く よ かったら 嘆く必要はないですよね そして永遠に続くとしたら 嘆く どころか 多少の喜びに変わると思いますが😊 ただ死ぬ時は 苦しんで死ぬのはごめんですが 因果応報 だと 思えば 諦めもつきますね😅
菊谷先生、こんばんは、いつもすごいですが、今日のは、百回繰り替えして聴きます。
私って、滝つぼが待っている船旅をしているのですね。なのに、その滝つぼ(死)のことを忘れちゃっているのですね。乗り換えしなくちゃ! 焦ります!
有難う御座います。マジ凄いですね。UA-cam と先生に感謝致します。
先生のお話をいつも拝聴させて頂くたびに、自分の考えの掃除、整理をさせて頂いております。大変感謝しております。死についてですが、それが肉体の死なのか魂の死なのかによって内容が違ってくると思います。魂の死の方が深刻であると思われます。肉体の生死に捕らわれている魂のあり方が問題です。本当に生きているということが魂が生き生きとしていることであり、肉体の生の状態に左右されない本当の幸福であると思われます。魂が健康であればそれが肉体に反映してくると思います。また、肉体が死ぬときにも安らかに健康に衰弱して眠るようにいくのではないでしょうか。肉体の事や物質面の諸々に捕らわれない自由な心のあり方に成るために、また、自由な心の状態に成らなければと言う焦りからも自由になるために存在していると思います。
衝撃的でした。死ぬのに生きるのか、今を頑張って生きることについて、少し考えが変わりそうです。すぐそこにあるかもしれない死にどういう気持ちで望むべきか考えていかなくてはいけなさそうです。ありがとうございます。
信心決定を聞いて思いました。キリストがおっしゃった”信じる者は救われる”に単純ですが同じと思いました。
僕の座右の銘は良寛和尚の辞世の句です。
散る桜残る桜も散る桜
さて、このお言葉を不運や不幸の言葉と思いません。本物の愛情を感じ座右の銘にしています。
今回は特に素敵なお話ありがとうございました。
自分に嘘をつけるだけじゃないですか?何で無知の未来をそんなに明るいと信じるのかイマイチ理解できません。誰に言われたのですか?結局死にますよね?死んでからはどうなるかわかりませんよね?先生は何で死ぬとわかっているのに頑張らなきゃいけない大事な実現的な答えを言っていません。全部妄想じゃないですか?もし、海外に行かないといけない状況にいるとします。目的地について全く情報が見つからないとしたらとても不安で仕方ないように、私たち人間も死んだらどうなるのかに関して全く何もわからないと不安の気持ちがあるのは当然ですね。この方が言っているのは目的地がどんなところだって大丈夫っしょってことですよね。要するに今だ考えようってこと。理解できません。
@Yama Zaki 私の話しに丁寧に返信いただいている事に共感のような感じを持ちました。ありがとう。
確かに、死後は未知です。ですから、今を豊かに生きる為に死後を定めたのです。それが、キリストの言葉"
信じる者は「すくわれる」"でありお釈迦様もしと言う未知にどう向き合うかをお考えになり覚りを得たのです。
科学的な合理性は地球では十分に機能しますが、無と言う人間の不安には答を出せていません。
ここで気付きがあります無を見た事があるかと言うことです。どなたかがお亡くなりになったら生命の無を見るのでしょうが、宇宙から見たら無なんてどこにもないように私は感じています。ですから、死とは何かに変化していると本気で思っています。そうすると無ではないと見えて今が幸福になる。今生きている事を大切にしたいし信じるだけで今が豊かになる。幸福を手にいれられる。
これは、本物の合理だと言うことです。
死を怖い事はいい意味で学びを与えてくれます。私の信じるは何をしてもいいと言うことではない。今関わっている人々と幸福を模索し、死は変化であるから傷つけてもいいなんて事ではなくて、永遠の中の運命的な偶然を大切にしたいと言う生き方をchoiceしております。
菊谷先生、毎回感謝の言葉しかありません。
自分の迷いを見事に整理して下さいます。
もっと早くに出会えていればと、悔やむばかりです。
私は、思春期前の児童生徒と関わり合う仕事をしています。
「ねえ、じゃあ、なんでさ、人を殺しちゃいけないの?オレ、メッチャあいつ殺したいんだけど。」と言う児童、小6くらい、男女共にです。が毎年います。
私は、命の大切さと、それは一度失ったら回復できないのだ、あなたはその責任を負えない。などと、説得を試みます。しかし、そんな話は彼らの心に届いたようには見えません。先生にアドバイスアドバイスをお願いできませんでしょうか。情けない話で申し訳ないです。トド
今の生活では日向ぼっこしたり、仲間の食事を作らさてもらう事を喜んで、それだけで生きてます。
「人生は快楽と苦悩の無限ループ」
作詞 百武 将智
どんな選択をしようとも
人生は快楽と苦悩の無限ループ
お金を持ってる人も
そうじゃない人も
人生は快楽と苦悩の無限ループ
都会に住んでる人も
田舎に住んでる人も
人生は快楽と苦悩の無限ループ
楽しいことは長続きしない
辛いことも長続きしない
人生は快楽と苦悩の無限ループ
どんなに時代が変わろうとも
人生は快楽と苦悩の無限ループ
そして人生を終える時
「大快楽」が僕らを待っている
それが僕らの生きる意味
それが僕らが生まれてきた理由
じゃ何で生まれたのですか?
大悲の願船を目の前に見せてくれたら迷わず乗り込む。
でもその船が、(100%おとずれる死のように)明らかなモノとして存在しないから、どうしてもそこへ踏み出せずにいます。
こういう教えに基づいて生きていらっしゃる方にお聞きしたいのは、実際にあるかどうかが分からないものをどうやって信じたのかか?という、その具体的な方法です。
「大悲の願船」を具体的に教えて下さい。私は「必ず死ぬのに何故生きる」と言う自分自身の疑問に、若い時から「死にたくないから生きる。同じ活きるのなら世の為人の為」と確信し、今までずっと心から幸せに生きております。若い時からずっと楽しく働き、苦労して頑張り今もまだ働いております。仕事に家族に社会に友人に恵まれ幸せです。まじめな仏教は人に生きる道「宇宙の大法則」を教えているものだと思いますが、残念な事に今の僧侶にはまじめな人が少なく大勢の人は仏教から学ぶ事が少ない現状だと思います。どうぞ益々のご指導を視聴者皆々様によろしくお願いします。ありがとうございます。
死ぬのが怖いから死のうとしないだけ。
だから人生が辛くて死ぬのが怖くない人は自殺するし、生きてて楽しい人は自殺したりしない。
最終的に死ぬと分かっていたとしても今を生きているのは自分だから、今の自分は未来の自分の為に死んだりしない。
生まれる人死ぬ人の繰り返しだから地球という星が存在するしかない🙎
大悲の願船に乗るには、どうしたら良いのですか?乗ったらどうなるか丁寧に説明してくれていますが、一番知りたい乗り方を教えて下さい。
仏法は聴聞に極まる、聞法の一本道です。
ヘーゲルの「小論理学」の一節、「生あるものは自分自身のうちに死の萌芽を持っている」。
現存する肯定的理解のうちに、その必然的没落という否定も構成する立場である弁証法的な世界観に通じるものがありますね。
人生は特別なものではない。犬や猫やウィルスだって生まれ死んでゆく。
生物は宇宙を構成する物理現象のひとつである。そう思います。
それを前提に生物の特徴は子孫に遺伝子を引き継ぐことである。
人は遺伝子に加えて子孫が繁栄しやすい環境を作り引き継ぐのが生きている
意味だと思います。
私は遺伝子を引き継ぐことができないと知りました。
だから種が繁栄できる環境だけでも作り引き継ぎたいと思って日々生きています。
淋しいけどね。
私は生まれて物心つく前のことは記憶にありません。
死とは子孫や文化を次世代に引き継いで生まれる前に戻ることなのでしょう。
お釈迦様は輪廻という表現でそのことを私たちに教えてくださったのだと思います。
せめて
あの世に行った際には
大好き❤な父親と再会できると
信じたい。
嘘でも良いから
自分は、その日が来たら
信じたい。
そうでもしなかったら
残された人生
虚しくてやってらんない。
私的に生きる最大の目的は子孫に尽くすことであって、子は親である我々の意志を受け継ぎ、その中で私も生き続けるのです。
要するに人間は動物と何も変わらないですか?
大きな船に乗り換えたとしても根本的な問題は解決していないのではないでしょうか。真の静寂とはこの一尋ほどの体の中にしか無いのだと思います
どうしたら解決できると思いますか?
大変興味を持って拝聴させて頂きました。有難う御座いました。質問ですが、信心決定して大悲の願船に乗り換えると絶対の幸福を得られると理解しましたが、この大悲の願船ってどういう船であり、絶対の幸福とはどんなものなのでしょうか? 宜しくお願い致します。
Hiro
大半の人は楽しさの方が多いからなのではなかろうか。こういった問いに対して深刻になる時楽しいと思えなくなっているというサイン。辛いことってあるけどいつかは消えることの方が多いんだから、そこから先は楽しいことの比率が多い。それをなんとなくわかってるから生きようとできる
・(人生は)死刑前夜の晩餐会
・料亭の生簀に泳ぐ魚
高森先生のご著書で、このふたつの言葉が印象に残っています。
必ず死ぬということはどういうことかがよく伝わります。
人生とは、崩壊と絶望であります。一時の人間観の幸せがあっても直ぐに終わります。何故なら人間は一瞬しか生かされてないからです。一瞬の積み重ねが時間となり年数となり人生となります。私自身何故人間に生まれきたか?それはヘレンケラーの奇跡のように、目も見えない耳も聞こえない私が、絶対幸福真実念仏の知恵によって絶対の幸福世界に生かされています。
菊谷隆太さん、死ぬことは仕方ないとして、老いることは落ちぶれることだと思っていませんか?老いてから気づく人生の素晴らしさもあります。死ぬことは価値を失いことではなく、死があるから見出せる人生の面白みもある、こういう論理がこの話にはないように思えます。まだあなたは50歳過ぎでしょう、私は60歳を過ぎていますが、そんなに落ちぶれているとは思えないです。
人生観の相違は、人間の見方考え方価値観によって違って変わってくるものだ。?!🐯🐴🐰🐶🐱🈵🆗🈴👴👵👨👩👦👧👦👧👨👩👴👵🎼🎹🎻🎷🎸🎺♬♪♩~
非常にわかりやすい解説で聞き入ってしまいました。
ペットの死を目前にしたり、自分の社会に貢献できない無力さに辟易しており、
生きるということに真っ暗なイメージが湧いていましたが
生きることという恐怖に感じるメカニズムが
少しだけですが理解できました。
理解できたら少し気持ちが楽になった気がしますm(_ _)m
生まれたから生きる
私は、暇つぶしかもしれない。今は楽しいことも苦しいこともありません。
追伸 大船 信じる人も信じない人もいてよいのだと思います 私は今回は?だなと思いましたが他の回のお話しはお勉強になります
반드시죽는데~
왜~?
사는가~?
그런
깊은의미가있었네요
많이
깨닳고갑니다
어려운단어가많어서
번역하는시간이길어지겠지만
즐거운마음으로
공부하겠읍니다
선생님
항상
건강하세요
必ず死ぬのは宿命で、生きるのは死ぬことを目的としていません。藪仏法です。
なぜ生きるのか 私も死は宿命でその時までは生きるのは学び成長する事だと考えています 死の瞬間まで怖れを乗り越えて学びに考えられるといいなぁ
@@銀1028 学んでも意味ないじゃないですか?結局死ぬので。海外へ情報が非常に少ないところに行かないといけない、そのこの所に残りの人生を送る状況にいるとします。目的地についての情報を必死に見つけようとしている人と逆にその無知なところについて何も探せずと全く関係ないことを学んで続けている人、どっちが理性的ですか?死は目的じゃありません。ただ、死について正しい情報をを身に付いてはいけません。
ありがとうございます。こういうお話、毎日、聴きたいです。
トルストイで思い出したのですが、小学生の頃読んだ雑誌の中に書いてあったのですが、トルストイの奥さんは怖くて、性格が悪かったけれど、顔が不細工な人のことを責めてもしょうがないことなのと同じように、性格が悪いことを責めてもしょうがないというようなことが書いてあったように覚えていて、妙に納得しました。でも、自殺も考えていたとは、意外でした。
これからも、たくさん、聴きたいです。
他の動画も、最近拝見していまして、今まで、他力本願という意味もわかっていたつもりでしたが、他の人のおかげや、縁の力のことかなと理解していました。もっともっと聴いていきたいです。南無阿弥陀仏。
親鸞聖人の深い教義についてこちらで限定動画後悔しています。よろしければご検討ください。reiwagobou.com/
一年前の動画ですが、まだ「私を幸せにさせない5つの間違った常識」を頂けるのでしょうか?
仏教の教えを少しづつ聞いている最中です
大悲の願船と滝に落ちる小舟の違いは何なのでしょうか?大悲の願船に乗り替えるとは具体的にどういうことで、どうして滝に落ちないのでしょうか。無明の私に光明を頂ければ幸いです。
大悲の願船とは阿弥陀仏の本願のことであり、乗り換えるとは、弥陀の本願力によって絶対の幸福になること、この弥陀の大船は無量光明土に至るので後生暗い滝には落ちません。また重ねてお話ししてまいります。
船を乗り換えるにはどうしたら良いのでしょうか?仏門に入る事でしょうか。
同じく、肝心な部分がわかりませんでした。
いやぁ いつも本当のことを教えてくださりありがとうございます
逆説的ですが 生きてる間に船の上がある程度充実してると むなしいですが快適になります
私は快楽主義かもしれませんが こうでもしないと精神がおかしくなります
だから私は 健康とお金と仲間や友達を大切にして できるだけ快適に自分に残された時間を過ごしていきます
愛別離苦の苦しみも 仲間がいれば少しは軽減されるので もう少しだけ環境を整えてから 人を愛してみます
仏が説いた船より 自分が乗る船の方が苦しいこともありますが いまはおもしろいのでもう少し自分の船に乗って
どうしても行き場所がなかったら仏の船に乗ってみます
誰が何と言おうと
結局は同じ事でしょう。
死の先をどう思うかは
人それぞれだと思います。
どんなに信心しようが
その確証がわからないことは事実ですから。
トルストイの方がおそらく
人の道としての答えだと思います。
どんな船なのか教えていただけますか?どうすれば教えて頂けるでしょうか?
阿弥陀仏の本願の船であり、これ一つ説かれたのがお釈迦さまでした。こちらで詳しくお話ししていますので、よろしければご検討ください。
reiwagobou.com/
子孫がいる人間は、
立派で財産もある先祖として往生したり子孫の成長などに関与する事に意義があります。
子孫がいなくても社会的影響力のある人間は同じです。
逆にそうでない人間はその限りではありません。
修行の世界である現世で神が与えた課題をこなし、修行を終えるまで現世で生き続ける しかし、ほとんどの人が地獄 中には天国へ行ける方も少ないけど居る 我々はあくまで修行の為に現世に存在する 現世に産まれてくる前に神様から課題を与えられる しかし産まれてくる直前にリセットされます だから何も分からないのです しかし、だからこそ修行なのです
我が人生に悔い無し!!
っていう人が たまに居ますよね。そういう人が親鸞聖人の言ってる船に乗ったのと同じ意味なんじゃないかな〜と。
んー、でも おおよそ人生に余裕がある内に死を悟る事が出来れば本当に大事な一歩が踏み出せると思うんですよ。大事な一歩って怖いじゃないですか。だけどもう本っ当に死んでも構わない!!って気持ちで ぶつかるのがホントの正解の道なんじゃないかと。ね、それこそ後悔無く生きれたら死ぬのも怖くないんじゃないデスカ?なんて。
重層な課題の洗脳。肉体と魂の永遠性。前以てシナリオ通り仮想空間に試される。魂の成長の為、生かされ掌シルバーコードにてこの世の卒業愛でたし候。逆縁にて疑う事なかれ。
生きる意味など要りません。生まれてしまったから生きるだけ。
毎日が充実していれば良いのです。虚しい日々しか送れないから苦しんでいるだけ。
まさに今現在の状況である「死」に直面してる1人の人間我が身のこと真剣に考えている
今死癒着場所探し回り考え込み最中日々を過ごしている。答えはない?
答えはあります。お聞きください。
人間ならではの悩みですね
同時に、それが我々が人間としてこの世に生まれた最大のチャンスであると教えられてる訳ですね👀
人間は産まれたことが 恐ろしい事だったのですか?あまりに悲しすぎます。私は地球と言う素晴らしい星に生まれた事がとてもラッキーな事だと思っていました。いろんな事あったけど悲しい事も嬉しかった事も全部 消えても 確かにそんな瞬間あったこと。それだけで幸せだと思っていました。私今日から 今までの私でなくなっていく気がします。怖いです。菊池先生 一言でいいです。救われる言葉が欲しいです。宜しくお願いします。😞😢
大丈夫?
大悲の願船に乗って仏の世界に行くと不老不死になると言うことか。絶対幸福とはどういう状態か。心の問題だとしたら総ての人がその境地に辿り着けるのか。信者の方は全員信心決定しているのか。大悲の願船に乗らなければ生きることに意味はないということなのか。一部の人しか存在を知らない大悲の願船が有るとして世界のほとんどの人は意味もなく生きているのか。そうかなぁー。
長文失礼します。いつもありがとうございます。トルストイの本も検索しています。
10代のころ今は絶版の「完全自殺マニュアル」を読んでいたこともあります。生きていることが面倒で、死に方を知っていればいつでもいつでも死ねると割り切った考えを持っていた時期もありました。結婚しても、子どもが生まれても自分が死んだら何とか生きていくだろうと無責任な考えであったこともありました。ただ50前にして、家族や友人、知人の死を経験して考えることも増えました。
ただ一つ、死ぬこと自体は怖くないというのは変わりせん。楽の極みとしての極楽、この肉体、この世界からの解放です(怠惰の本質は変わっていません)。病気や老い、最期を迎えるまでの妻や子どもたちとの関係など、死ぬまでの過程で苦しむことが怖いのです。だからお年寄りは「ピンピンコロリ」を望むのです。そのため私は、命を使い切るためにはどうすればいいのかを考えています。
体を構成する細胞は30兆個、生命活動を行うために組織が構成され、器官となり、その役割を「日々黙々」と果たしてくれています。一部に負担をかけるために器官の故障、再生の限界で能力を低下させ、活動能力を減衰させていきます。
体の細胞を満遍なく使いこなすことができれば、電池が切れたように、人生の幕を閉じられるのではないでしょうか。
「人」という字は年長者を若者が支えている、これからの日本社会を示しており、年金など社会保障は期待できないなどの文句を言わず、役割を「日々黙々」と果たしてくれる生きている細胞たちに生かされているのです。だから体の隅々の細胞まで代謝を行えるように体を動かし続けることは必要です。命を使いこなして、使い切る、これが私の信心決定です。そして自分以外の人とも関係しなければ生きていけません。「人」の「間」で人間ですから。だから「人」のために「動く」ことで「働く」のです。と、言いことを言っているようですが、文頭の「怠惰」の本質は変わりません。「陰」があれば「陽」もあると考え、それが当たり前でいいんだと思っています。こうして心のバランスは保っています。
こうして考えていくと、このようにバランスはとっていても人間(悪人)である限り、何度もこの世に転生して、生と死を繰り返すことは試練であり、その輪廻から解放されることが本当の解放と言っていることもあるのだろうと思えます。
昔の人はすごいですね。言葉が残っているから、その意味を考えることもできます。こうした気づきがあることがまた楽しみとして、今日を、今を過ごしています。ありがとうございました。
菊谷先生、大変考え深いお話でした。ありがとうございました。死に対する考えは、年をとるたびに変わってきます。私自身まだまだ未熟ですので、とりあえず、今を一生懸命生きようとがんばっています。(ある意味ごまかしているような、先送りしているような気がしています)。是非、大悲の願船について詳しく教えていただけると幸いです。