Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
まさか拓馬さんが天国へのカウントダウンの最後の名場面の灰原哀のセリフを仰るとは、、、コナンオタクにはたまらんですよ、、笑
今の科学と聖書に乖離があるのはむしろ、科学が聖書に追いついていないからだと思います。もっと科学が進めば、聖書に追いつくのではないでしょうか?ちなみに私は大学で分子生物、人間の体の仕組みを学び、そのすごさに圧倒されたのが、創造の神を信じたきっかけの一つでした。
面白かったです❤ありがとうございました。
信仰とは何で、信仰でないことはなんだろうと考える内容でした。
夫は物理学先攻。一晩中私には理解できない数式をといていました。高校の数学の担任がクリスチャンで夫は聖書を読んでましたが真理がわからないと、いいました。セカンドチャンスはありませんので もうすこし、時間があったらよかったと、悔いています。
ためになる配信をありがとうございます。科学と聖書の関係性をもっともっと多くの人に知ってほしいですね。聖書的創造(創造論)を広める働きのお手伝いをさせてもらっていますが、福音派のクリスチャンでも天地創造を聖書通り信じていない人が多いと言う事実があります。信仰に値しない「科学」を神格化して信じていることに気づいてほしいです。
創造科学コンサートという本に、科学と信仰は別ですよね。信仰さえあればいいじゃないですか?なんでややこしく科学と無理矢理接点を繋げようとしますか?と、著者の学者にダメ出しコメントを飛ばすクリスチャンがそこそこ居たと。
ケプラーが行ったのはオーストラリアではなく、オーストリアのグラーツだと思います。
オーストリアです。グラーツは
神学や信仰があり、それをベースに科学が進歩していった。確かに信じる心で全てを受け入れるという考えも有りですが、やはり現在は科学的根拠もありながらの聖書の素晴らしさや神の凄さに感銘を受ける方が受け入れやすいですね。少なくとも私にとっては。前回、今回ともに興味深いネタで楽しみました。
・『盲目的に指導者(の価値観)に従うと、逆に神から離れる(信仰してるようでしてない)状況になることもある』ということかなと思いました。・とはいえ、常に指導者にメンチ切ってるのも、神から離れる(信仰してるようでしてない)に繋がる可能性有るので…健全な信仰者で居続けるのは、難しいんだなとも思いました。 *見極めが非常に難しい ⇓人それぞれ聖化に繋がる道は違う(クリスチャンとして光る方法は違う)ようなので、こうすれば`ずれない`という答えは…。各々のやり方で、神から離れない方法を実践するしかないかもですね…。 *最悪、神からの巨大ビンタがあるので…その時気付くのもあり…かな?(汗)
すばらしい科学者たちの信仰の証をありがとうございました。人間は盲目的信仰ではなくて、論理的実証的なものでなければ受け入れて信じることは難しいですものね。
分かりやすくまとめられてとても素晴らしいです。逆に、歴史観としていつから宗教と科学は対立関係と思われるようになったと感じますか。11世紀~ 十字軍14世紀~ ルネサンス15世紀~ 大航海時代16世紀 宗教革命17世紀~ 啓蒙主義18世紀~ 産業革命確信はありませんが、十字軍でアリストテレス回帰が芽生えて、啓蒙主義で脱宗教的な視点が出てきたのかなぁ~?とも感じます。如何思われますか?
理学部・数学科を中退したので、ともみんの物理学のお話は、再確認した感じです。
科学は分析するものであり 神を証明するものではない科学で神を証明できない神は信じるものであり聖書を信じることであると考えます でなければ到底よみがえりを受け入れられない 子どものように素直に聖書を信じることだと考えます
まさか拓馬さんが天国へのカウントダウンの最後の名場面の灰原哀のセリフを仰るとは、、、
コナンオタクにはたまらんですよ、、笑
今の科学と聖書に乖離があるのはむしろ、科学が聖書に追いついていないからだと思います。もっと科学が進めば、聖書に追いつくのではないでしょうか?ちなみに私は大学で分子生物、人間の体の仕組みを学び、そのすごさに圧倒されたのが、創造の神を信じたきっかけの一つでした。
面白かったです❤
ありがとうございました。
信仰とは何で、信仰でないことはなんだろうと考える内容でした。
夫は物理学先攻。一晩中私には理解できない数式をといていました。高校の数学の担任がクリスチャンで夫は聖書を読んでましたが
真理がわからないと、
いいました。
セカンドチャンスはありませんので もうすこし、時間があったらよかったと、悔いています。
ためになる配信をありがとうございます。
科学と聖書の関係性をもっともっと多くの人に知ってほしいですね。
聖書的創造(創造論)を広める働きのお手伝いをさせてもらっていますが、福音派のクリスチャンでも天地創造を聖書通り信じていない人が多いと言う事実があります。信仰に値しない「科学」を神格化して信じていることに気づいてほしいです。
創造科学コンサートという本に、科学と信仰は別ですよね。信仰さえあればいいじゃないですか?なんでややこしく科学と無理矢理接点を繋げようとしますか?と、著者の学者にダメ出しコメントを飛ばすクリスチャンがそこそこ居たと。
ケプラーが行ったのはオーストラリアではなく、オーストリアのグラーツだと思います。
オーストリアです。グラーツは
神学や信仰があり、それをベースに科学が進歩していった。確かに信じる心で全てを受け入れるという考えも有りですが、
やはり現在は科学的根拠もありながらの聖書の素晴らしさや神の凄さに感銘を受ける方が受け入れやすいですね。少なくとも私にとっては。
前回、今回ともに興味深いネタで楽しみました。
・『盲目的に指導者(の価値観)に従うと、逆に神から離れる(信仰してるようでしてない)状況になることもある』ということかなと思いました。
・とはいえ、常に指導者にメンチ切ってるのも、神から離れる(信仰してるようでしてない)に繋がる可能性有るので…健全な信仰者で居続けるのは、難しいんだなとも思いました。
*見極めが非常に難しい
⇓
人それぞれ聖化に繋がる道は違う(クリスチャンとして光る方法は違う)ようなので、こうすれば`ずれない`という答えは…。各々のやり方で、神から離れない方法を実践するしかないかもですね…。
*最悪、神からの巨大ビンタがあるので…その時気付くのもあり…かな?(汗)
すばらしい科学者たちの信仰の証をありがとうございました。人間は盲目的信仰ではなくて、論理的実証的なものでなければ受け入れて信じることは難しいですものね。
分かりやすくまとめられてとても素晴らしいです。
逆に、歴史観としていつから宗教と科学は対立関係と思われるようになったと感じますか。
11世紀~ 十字軍
14世紀~ ルネサンス
15世紀~ 大航海時代
16世紀 宗教革命
17世紀~ 啓蒙主義
18世紀~ 産業革命
確信はありませんが、十字軍でアリストテレス回帰が芽生えて、啓蒙主義で脱宗教的な視点が出てきたのかなぁ~?とも感じます。如何思われますか?
理学部・数学科を中退したので、ともみんの物理学のお話は、再確認した感じです。
科学は分析するものであり 神を証明するものではない
科学で神を証明できない神は信じるものであり聖書を信じることであると考えます でなければ到底よみがえりを受け入れられない 子どものように素直に聖書を信じる
ことだと考えます