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1位から発表は、新鮮だな
何故おすすめの動画に、
山口県の山間部には、山の頂上あたりまで棚田が続いてたとこがありましたよ。さすがに、減反では真っ先に槍玉に上がり、後継者もいないから元の山に戻りつつありますがね。
ぴーまん ちなみに去年から減反は廃止になりました。
うち広島ですけど山の最前線にいるにでよくわかります。。。森がそこまで迫ってきてる
いきなり1位から発表って素敵だわ。興味本位で好奇心をあおるベスト10形式に慣らされているから、逆に新鮮に映る。調査方法による細かな順位に差はあるかもしれないが、学術書ではなくyoutubeの動画なので、大局が判ればそれでいい。ほとんどが西日本なんだね。現在の都道府県の勢力図と全く違う。地方再生の糸口は、こんなところにあるかもしれない。
koala jackie 西日本は勢力が強い大名ばかりだったからね
家康が関ヶ原の戦いで貢献した外様大名を加増するかわりに江戸から遠い西国に飛ばしたからだろ
@@雑草という草はない 西国に飛ばしたも何も、豊臣恩顧の大名はほぼすべてが濃尾以西出身それから、当時は西国=豊かで先進的、東国=ど田舎、辺境、貧乏秀吉自身含め、結構関東以東に関してははっきりと馬鹿にされてるよ今の九州と同じ立ち位置こういう基本的なことを理解してないというか、受け入れないやつが多いんよな
なんとも都合の良い議論だな。伊達の仙台より南、東北南部〜関東甲信越〜東海〜大阪までは天領だらけだからランキングに出てこないだけ。戦国時代のランキングなら関東東海の上杉氏、後北条氏、徳川氏が上位に入るんだから意味のない議論だよ
BGMを教えていただけますでしょうか?
島津藩は、実際は35万石くらいしかとれなかった。台風、桜島の噴煙被害、などの借金などがあり追い付かなかったとされる。それで、琉球に目をつけたとされる。
長州は、下関を基地にした密貿易して実質150万石位だったらしい。金がなきゃ幕府相手に戦争できないわな
tuboi uepon 大内氏の時代から貿易は盛んだったし、それを受け継いだ毛利は貿易で稼いでいた。
大虫虫たろう 奪い取ったと言った方が正しいかなw
佐賀藩が出てなかったと思うが、佐賀藩は表石は35万石ほどだが実石は72万石にもなっていたといわれる薩摩藩も支配下に置いていた琉球を加えれば90万石を超えていたと言われているなまあ、譜代は表石と実石の差は少ないが外様は表石と実石の差が大きかったようだ譜代大名は幕府の要職に関わる事が出来たってのが大きかったのでしょうね石高が大きい譜代大名はそれだけ高い役職にもつけたし三万石を超えれば老中、一万石以上なら若年寄になれたもの
各藩とも密貿易で蓄財していたようですが、浜田藩(島根県)も密貿易が発覚して、処分を受けています。すっぱ抜いたのは、あの間宮林蔵。間宮は公儀のスパイのような役だったらしく、有名なシーボルト事件にも関わっています。シーボルトの伊能図海外持ち出し発覚は、偶然ではありません。間宮のもとにシーボルトから手紙が届きます、内容は、間宮が蝦夷で収集した標本を見せてほしいというものでしたが、間宮は私的な外国人との交流が禁じられている事を理由に開封せず幕府に届け出ます。これが発端となり、シーボルトと天文方の高橋景保との交際が発覚。高橋が、シーボルトにご禁制の伊能図を渡したことは、事前に幕府につかまれていました。
薩摩の密貿易も凄いけど、加賀前田藩の貿易推進も凄い。まず西回り航路、東回り航路に使われる港の藩に投資をして港湾整備をさせ、一部では銭による税収を得て、ほとんど現代かの様な進んだ藩だった。
残念ながら、明治維新では…存在感なしでした😅
幕府に200年かけて調教されてるからな
@@畑野よしゆき 新政府は長州と薩摩が中心で、加賀藩は最初幕府側についたからね。もっと歴史を勉強した方がいいよ。
@@さく-l7e 加賀藩が明治維新で存在感なし と書き込んだんだよ。
@@畑野よしゆき 幕府を倒したのは加賀藩じゃなくて、長州と薩摩を中心とした新政府軍。長州や薩摩が存在感あるの当たり前じゃん(笑)それで最初に幕府側についた加賀藩が目立ってたらオカシイだろ(笑)もっと歴史を勉強した方がいいよ。
秋田藩表高二十万五千石、実高五十万石。肥沃な藩は新田藩分家として従えてる。唐津表高七万石ながら実高二十万石。米沢藩表高十五万石、実高三十万石。
で?
津藩はミエを張って実高より多い表高を申告してたんじゃないか?
津藩と言うのは藤堂藩ですよね?
三重…見栄…
理解されるのにずいぶん時間がかかったな。笑
座布団2枚❗️😸
@@st-cg2tr さん。 山田くーん 吉村悠太さんの座布団 全部持ってちゃえ❗️😣💦⤵️
尾張藩は濃尾平野抱えてるから強いな。信長が拡大できた源であるし、今川が度々織田領に侵攻したのもこの濃尾平野が狙いだったとも。
150万石近くあったらしい
薩摩藩て日向諸県郡も有してなかったっけ?秀吉の頃?
自分幼い頃漫画で石高を「いしだか」と認識してしまいました。江戸時代の毛利家が表高が実高よりも大幅に多いのは毛利輝元さんの功績によるものでしょうか?話しは変わりますがこの動画で使用したbgm名は何でしょうか?ずっと前から気になっています。
毛利重就期の功績が一番大きいんじゃないですかね撫育方設置したりなど
土佐は幕末に活躍したがそれなりの物産があったのだ
BGMの名前気になる
家紋もまた面白い。
土佐の山内氏より佐賀の鍋島氏、岡山の池田氏、越前の松平氏の方が石高は上かと思っていたので意外でした。
加賀はデカいのに、幕末で全く出てこんね? 藩主は遊んでたのかな?
加賀藩の石高がぶっちぎり!
これが現在の都道府県別なら結果は結構変わってくるやろ。
御三家は意外に石高は低いですが身分は全国の大名の中で最高位でしたね。水戸中納言は他の二家に劣っているかもしれませんね。
水戸家は、江戸定府という紀州家や尾張家に無い待遇を受けていました。参勤交代の義務が無いので財政的には負担が軽いという待遇です。
御三家は普請を免除されるなどの特権が許されていたので、負担は比較的に軽かった理由もあるでしょうそれに御三家の扱いは微妙なところがあり。幕政に参加する事は認められてないが徳川を名乗る事が許され、全国の大名のトップの地位が与えられて、さらに本家に後継者がいなければ将軍の後継になる権利まであったがそうは言っても大名の中核として石高をあまり高くすれば、それこそ加賀藩などの有力大名を凌ぐ国力をあたえれば御三家の存在が幕府の脅威となるしかし弱すぎたら、いざとなったら幕府を支える事ができないそうした事情から強すぎず、かといってあまり弱すぎずの待遇を与えたわけだ
やっぱり格式が約束されてる大藩は、表高を少なめに見積もってるケースが多いなぁ。そういう意味では御三家があんまり差がなかったり、水戸藩みたいに無理してるのが面白い。っていうか支藩込みだろうけど、長州藩えげつな。
水戸藩は格式を重視して実石より表石の方が常に多かった御三家は普請とか免除されるなどの特権があったので、石高を低めに出す必要はなかったのだろう譜代大名は幕府の要職に携わる事が出来たから、表石が大きい方が評価されやすく、役職につきやすかったとかそういう理由があるのでしょうね。表石と実石の差はそうはないようだ
長州の実高と表高の比率が目を引きます。ついで土佐。私の故郷も、表高12万石に対し、主に干拓事業で、幕末には実高30万石はあったと言われています。
長州藩は実石は幕末には70万石どころか100万石を超えていたと言われているあなたの故郷は表石が12万石なら、国主とまではいかない城主格くらいかな
江戸の町民は、日本一のお金持ちは将軍様、次に仙台の伊達侯と噂してたようです。古代ローマでは子供を叱る時に「ハンニバルが攻めて来るぞ」というのが常套句だったようですが、江戸では「伊達が攻めて来るぞ」という噂が初代政宗の晩年まで続いたそうで、幕府が取り潰さなかったのは不思議なほどです。一国一城令も事実上無視して、幕府許可の仙台城、白石城の他にも百近い要害、城郭が館名目で中世のまま維持され、政宗の隠居所と称して若林城まで新造したほどです。
その実、政宗は外様の中でも徳川家への忠義が篤かったと言われる。将軍を仙台に招ねいてのおもてなしが悲願だったけれど存命中ついに叶わなかった。自藩の権勢を見せつけて牽制(ダジャレではない)する思惑もあったんだろうけど。
鍋島藩はどうでしたか
①各藩が新田開発して収入が上がる②生産過多→米価下落③商品作物の栽培を推奨するようになるって感じだったよな。幕府がしくじったのは元禄検地以降全国検地をしなかった事だ。
忠臣蔵の浅野家は、何番目位ですか?
徳川幕府は800万石とか。
kusafugu oniokoze それは表向き
400万石じゃなかったか?
徳川幕府は400万石、他に直参旗本や御家人などが幕府に仕えていたので、全体で700万~800万石となります。
予想はしてたけど徳川幕府だけ、飛び抜けているね。
1:05 この曲の詳細が知りたい。すごくいい曲です
和テイストというフリーBGMです。
一石は一人を1年間養える量です。
福岡藩の領地に筑後国が入ってますが久留米藩ですね
米中心の単一経済だから米余りで逆に価格低下してしまうので各地で日本酒が作られることになります…
表高より実高が低い場合は、江戸城内での家格付のため。水戸は御三家の為、実高より高い表高になっている。藤堂家は外様ではあるが、家祖の藤堂高虎が家康の側近で準譜代扱いで表高が高い。表高が高いことに何の意味があるかと言えば、江戸城内での詰めの間とかの待遇が違うのと、譜代の場合は老中とかの幕府の役職に就ける家格の格付け。外様は幕府内の役職とか関係ないので、実高のほうが高い場合が多い。大名の中には高い役職に付きたくて実高より高い表高を提出して、領内で苛斂誅求を行って一揆を起こされた馬鹿も居た。
水野忠邦とか。(実高25万石の唐津藩から15万石の浜松藩へ)
あれ~、佐賀鍋島が入ってない。幕末武器などガンガン持ってたのに。石高実質80万石をこえてたとおもいますが。
そういえば昔「600万石の男」ってマンガがあったな。
薩摩は幕末裏で、奄美諸島の砂糖や密貿易で30~40万歳入があったらしい。
一方で、大名貸しの債務が最大5百万両…鳥羽伏見の戦い~戊辰戦争~西南戦争には、これらを一気に清算する目論見があったのかもしれない
薩摩は支配下におさめていた琉球が大陸との貿易を行っていた。大陸との貿易は表向きは長崎の出島が行う以外は対馬の宗氏が許されているくらいだから琉球の大陸との貿易は貴重だったよ琉球を加えると実際の石高は90万石を超えていたそうだ
越前藩 召し上げを食らう前は、相当な石高だったのでは。
見栄っ張り水戸藩。情けない。黄門様が泣きますぞ。いや黄門様の時から見栄っ張りだったと聞いてます。😭
水戸藩は光圀の時代から財政難で元々痩せた土地である上に冷害や大日本史編纂に多額の費用をかけた事が追い討ちをかけた感じですね。
動画では常陸国一国が領地になっているが、実際は、常陸国の中部と北部だけで北部は阿武隈山脈で米どころじゃないので30万石は妥当。格式をあげるため実高にあわない35万石にしちゃったり、藩主は江戸住みで水戸になんか来ないし、参勤交代は免除とはいえ家臣らは江戸と水戸の二重生活もかなり財政を圧迫したという。追い打ちに光圀が始めた大日本史編纂事業。まぁ、そんな小さな藩が御三家までになれたのは、その見栄っ張りのおかげじゃないかと思う。
光圀が名君と言うのは武士にとっての名君で、領民からしてみれば自身の道楽のために八公二民なんて重税を課したとんでもない殿様なわけですよ。母の実家が茨城なんですが、今でも慕われてるのは徳川ではなく佐竹様だったりするわけで。
@@bikkururi さん。 偕楽園の造成の為に増税したとか……造成で増税❗️ 失礼しました😅
@@bikkururi さん。 8公2民❗️ もはや暴政😱😵😭💥
最初のbgm好きできれば名前を教えてください。
実石高が高いと維新で活躍してるなぁ
加賀100万石は、明治維新では…存在感なしでした😅 藤堂37万石 (津市)は、1868年伏見の戦いの途中で幕府側を裏切って 官軍勝利に貢献しました😅
藤堂は裏切る、幕府でさえそう認識されるぞ
藤堂家の領地は伊勢の真ん中と伊賀一国ですよ。
本来御三家と呼ばれる中には水戸藩は入ってなかった。将軍家、尾張藩、紀伊藩の三家が将軍を出せる家柄で御三家。水戸藩は現代でいう監査役みたいな家柄。だから江戸在府で所謂副将軍と呼ばれたのもそのせい。ちなみに家康が尾張藩と紀伊藩に与えた最大の財産は木曾の山林と新宮和歌山の山林。この材木が両藩に石高以上の莫大な富をもたらしていた。
長州藩は実際には長州藩と長府藩と岩国藩に分かれていたら実高はずっと少ない。
支藩な
こくだか を セキコウ って読んで開いてしまった石巻高校OBです。
実質石高は100万石の仙台藩!
幕末に実石高を増やした藩の政策は次の二つ。1.事実上の海外貿易で利益を揚げる。 (薩摩藩の琉球政策だね)2.干拓、開拓によって生産高を増やす。 (長州藩だな)この2つの政策が明治維新後国外に展開されたのは周知の通り。また、この両藩が維新の推進役だったことも周知の通り。依って、我国は19世紀的国家戦略を江戸期初頭(17世紀)から持っていた稀有の国だと再確認したいと思う。日本の近代は決して間違っていないのである。
長州 石高100萬 貿易100萬 四境戰爭後 小倉藩 處雲石見 長州藩實質控制 (100萬) 四境戰爭後 長州藩實質收入300萬石
尾張徳川家、紀伊徳川家はともに中納言ではなく、大納言ですが?
尾張家にしろ紀伊家にしろ歴代藩主が必ずしも大納言に受任されたとは限らない中納言どまりだった藩主も普通に居たりする
@@nisannurupo7883 でも最高権大納言だから大納言表記にしたらどうやちなみに大名で内大臣とかいませんよね
@@nisannurupo7883 そんなことを言ったら、加賀前田家にしたって半分くらいは参議(宰相)になれていない。それよりも3人ほど生前に権中納言になってる人もいる(利家は含まない)。
従二位・大納言・右近衞大将が尾張徳川家・紀伊徳川家の極官だっただけ。
あってもなかってもどうでもいいような官職だと思います
補足を読んで下さい。
尾張藩の税率はほかのところに比べると低いらしい。
尾張は元々豊かな地域らしいね。作物もよく取れる上に商業も盛んだった。
尾張藩・徳川宗春さんの頃に税率を下げたらしいですね。 当時の将軍・徳川吉宗さんへの 当て付けらしいですね。
薩摩藩は、琉球で栽培された砂糖の日本全国での販売を一手に握っていたので、実数は100万石に届いていたのでは?
現金収入と石高は関係ないやろ
絹織物や木材等の特産品の売り上げも含めて、石高に直しているのが、実数石高で、これは各藩のトップシークレットに当たります。単純に田圃から取れるお米の量では在りません。因みに一石とは、大人が一年間に消費するお米の量を言います。例えば、加賀百万石とは、加賀藩が百万人の人口を養うことが出来るだけの収入が在ることを意味しています。商品経済が発達した幕末では、純粋な石高よりも、特産品の売り上げによる収入の方が多い小藩も沢山在りました。
実数石高とは、現在で言うところのGDPが、一番近いですね。幕藩体制下までの日本は、米本位制なので、GDPを石高で表したのです。因みに、藩士達や旗本達の給料も、幕末まで一貫してお米で支払われていました。
この動画で言っている石高は単純な米の生産量でしょう。独自に拡張した解釈を語るのはまあ好きにしたらとしか
米将軍の渾名で有名な経済音痴の吉宗は、新田開発などで、天領のお米の収穫量を増やしましたが、需要と供給の概念が理解できていなかったため、旗本達の実質収入が少なくなってしまい、彼等の生活を困窮させたのが有名です。また、質素倹約を奨励し、幕府の支出を抑えたただけでなく、庶民達にも消費活動を抑えさせたため、デフレが進行して、旗本達だけで無く江戸の庶民達の生活も圧迫した挙げ句、幕府の財政基盤を破壊寸前まで持っていきました。
いい加減だな。尾張藩は尾張と三河。福岡藩は筑前、筑後、豊前が領地になっている。
石高ってなんですか?
出直してこい
当たり前のことだが 石高の全てが 大名家に入るわけではない。 大名家に入るのは 税収 ぶんだけ
水戸藩ておよそいいイメージ無いよね…水戸黄門は実像と離れすぎててほとんど架空の人物だし。
フィクションなのに「架空」は草
水戸藩って、元々の表高24万石くらいだったのに「御三家の中でも異常に低い」事が歴代のコンプレックスだったらしく江戸時代中頃に幕府に強引に頼み込んで相当無理な計算で35万石にしたらしい。幕府から命じられる負担や儀式での負担は表高が基準になるので、大見得切った水戸藩は重い負担に苦しめられる事になったそうで、城の修繕すらままなからなかったとも言われています。幕府や他藩は税率4~5割の所を水戸藩の税率は8割と超高額で、庶民も苦しめられる事になりましたとさ。当時の武士って見栄ばかり張ってて、現代人には理解出来ないな。実高が表高を上回れば、それだけ藩には利益になったんだけどね。現代人なら「負担は減るからラッキー」って思う所なんだけどね。
水戸藩は唯一の江戸定府の大名であり、参勤交代は免除されていたそれに御三家は普請、つまり公共事業の負担も免除されていたからな苦しいながらもなんとかなったのでしょう。家光の頃までは幕府は外様大名の取り潰に躍起になっていたから外様大名たちは何とか幕府に気に入られようと、島原藩のように無理な石高を申し出た藩も存在した島原藩は、島原の乱の後で調べてみれば、実際の石高は幕府に届け出た石高の三分の一にも満たなかったそうだだから領民は九割は年貢として納めねばならない悲惨ぶりだったとか
いやあああああああああ 為になります 有難う御座います❤(ӦvӦ。)
こうやって見てみると、芸州藩って意外と石高高かったんじゃな〜笑笑早い段階で薩長と共に倒幕盟約を結んどったのに、大政奉還派に行ってしまったけぇ、薩長から反感買って、歴史の表舞台から消えてしまったんよね(´・ω・`)
官軍に見方したから 県庁都市と県名は一緒ですよ。 幕府に見方した地区は 県庁都市と県名は別名です。 →岩手県盛岡市、栃木県宇都宮市、茨城県水戸市、香川県高松市、愛媛県松山市 等々。
畑野よしゆき いや知ってますよ笑そうじゃなくて本来ならもっと歴史の表舞台、内閣とかにに芸州藩出身の人が多く輩出されてたかもなって思っただけです。
@@bot-bi3cn さん。 失礼しました。 確かに 明治政府に芸州出身者少ないですね。 しかし、芸州出身には、宮沢喜一氏や亀井静香氏がいるじゃないですか⁉️
畑野よしゆき 薩長に比べたら雲泥の差ですよ。宮沢喜一は福山なんで芸州ではありません。福山藩のエリアです。亀井静香は庄原なんで芸州では無いと思います。
@@bot-bi3cn 初めて知りました😅
尾張と紀州は大納言じゃね?
大納言だべ。
高い官職あっても意味ないわ
表石高より実石高が低いといえば、江戸時代に唯一打ち首になったあの大名のことも言ってほしかったな。最も幕末における石高だから出てこないのは仕方ないんだけど。
あの踊りは悪趣味すぎですよねぇ。
加賀藩や仙台藩は石高トップなのに、幕末の騒乱や明治維新では、目立った活躍をしませんでしたね。考えようによっては、賢かったということなのかな?
Silver Surfer どちらも家系存続を優先させて世渡りをした藩ですね前田家もそのおかげで未だに残ってますし結果としてある意味徳川家も同じかと
よく誤解している人いるが外様大名は徳川の家臣ではなく豊臣の家臣なので徳川家と同格天皇からの位も従四位以上
家康の前に豊臣が全国統一しているから徳川家一門や元々の家臣以外は全部外様大名ってことになるんですな
どこの家臣かというよりか、豊臣政権時に天皇が大名に叙任する習慣と官位の相場も確立していたので、それが江戸時代にも踏襲されていたということなんじゃないですかね。
外様も結局は徳川家の家臣となっている。例外は喜連川藩の足利家。これは足利幕府の生き残り。天皇陛下の家臣であり、徳川家と同格。僅か5000石で大名あつかいではないのが普通ではあるが、江戸城詰めでは前田家と同格。徳川家の家臣ではないので、参勤交代の義務がなかったりする。その他、いろいろと特殊な立場にある。
@@wawiuwewo 「足利」といっても将軍義昭の子孫でなく鎌倉副将軍の末裔。事あるごとに室町幕府と対立していた分家筋。豊臣秀吉が足利に敬意を示す形で喜連川家として保護され、江戸時代は徳川を頼り、明治維新を機に足利に戻した。どういうわけか、一族発祥の地(現足利市)から微妙に離れた土地(さくら市喜連川町)を領有。格付は大名だが、本職は…街道整備と宿の経営、そして仙台伊達家の見張り役!?
「よく誤解している人がいるが」は草
普通、10位から発表しないか?
私もランキングは一位から発表したほうが良いと思います。10位から発表されても飛ばすし
はい、加賀百万石最強
土佐のおネズミ様説なら土佐藩は124万石
徳川幕府も紹介しないとね。まあ数百万石だろうけど。そこそこ正確な数字をね。
先祖は明石藩の家臣でした✨🙇
全て嘘仙台伊達藩は実高200万石越えてると言う話江戸の米はほとんど仙台米でまかなえた長州も楽に100万石は越えてた薩摩藩は桜島のシラス台地で米は実高30万石から40万石ぐらいしか取れなかった
伊達藩はフカヒレとかアワビの高級食材を扱っていたらしい、海岸線に貞山堀運河を造って海運に力を入れていた。津波の被害でかなり運河やられたが。
いい時は200万石を超えることもあったため、一気に借財を返済なんてこともしてたそうだ。
山内家って戦国時代江戸前期に居城進呈以外にめぼしい実績ないのに10位まで食いこんでるっておそろしい大名や。。。
昔は農作物や海産物、布などを税として直接徴収して、よく国が運営出来るなぁって思うんだよなぁ。その上、平安時代みたいに貴族が優雅に遊べるんだから。
はい。やりなおし~
紀州の「表石」が55万石もあっただなんて、想像だにしていませんでした。なんせ紀伊山地があるんで。でも今の和歌山県とかいうと、ついつい山間の「みかん」等が浮かんじゃって、とうてい稲作の感覚がありませんでした。認識を変えないといけないかも…(?)もっとも、日本全国山バッカといえば、そうかもですね。
江戸末期も長いから何年基準か示して欲しい。薩摩に限らず財政危機があって乗り越えたか、まだ危機の中かによって違うし。各藩が独立国家みたいなもんだから、税率も違う。藩が納める石高が高くても、庶民がほとんど飢えてるようではねえ。外様は最初から納める石高のハードルが高いからねえ。その不満が幕末で一挙に爆発
薩摩藩は凄いよ!厳しい参勤交代してもしっかり政治を行った
菊地一正 日本語おかしいよ
仙台藩は、宮城県の刈田郡(現在の白石市・七ヶ宿町・蔵王町)と福島県の新地町も入ります。ちゃんと作り直しましょうね!片倉小十郎の城下町が仙台藩に入ってないとか可哀想杉ます!!
薩摩、なかざきいろいろなイケメンいます。宜しくお願いします。全国ためにですツアー人お願いします。
1分間の補足説明の後、いきなり1位かよ!拍子抜けするわ。
前田利家ー
Chi I u
加賀藩、今の石川県と富山県考えると、それだけじゃ石高そんな稼げなそうだけど、農地、人口そんな多かったのかな? 尾張とか温暖で平地が多い場所のが収穫ありそうだけど
まあ石高は単純な土地換算ですから。
江戸から離れたところばかりなのは見る前からわかる。だからつまらない。
1位から発表は、新鮮だな
何故おすすめの動画に、
山口県の山間部には、山の頂上あたりまで棚田が続いてたとこがありましたよ。
さすがに、減反では真っ先に槍玉に上がり、後継者もいないから
元の山に戻りつつありますがね。
ぴーまん ちなみに去年から減反は廃止になりました。
うち広島ですけど山の最前線にいるにでよくわかります。。。
森がそこまで迫ってきてる
いきなり1位から発表って素敵だわ。興味本位で好奇心をあおるベスト10形式に慣らされているから、逆に新鮮に映る。調査方法による細かな順位に差はあるかもしれないが、学術書ではなくyoutubeの動画なので、大局が判ればそれでいい。ほとんどが西日本なんだね。現在の都道府県の勢力図と全く違う。地方再生の糸口は、こんなところにあるかもしれない。
koala jackie 西日本は勢力が強い大名ばかりだったからね
家康が関ヶ原の戦いで貢献した外様大名を加増するかわりに江戸から遠い西国に飛ばしたからだろ
@@雑草という草はない
西国に飛ばしたも何も、豊臣恩顧の大名はほぼすべてが濃尾以西出身
それから、当時は西国=豊かで先進的、東国=ど田舎、辺境、貧乏
秀吉自身含め、結構関東以東に関してははっきりと馬鹿にされてるよ
今の九州と同じ立ち位置
こういう基本的なことを理解してないというか、受け入れないやつが多いんよな
なんとも都合の良い議論だな。
伊達の仙台より南、東北南部〜関東甲信越〜東海〜大阪までは天領だらけだからランキングに出てこないだけ。
戦国時代のランキングなら関東東海の上杉氏、後北条氏、徳川氏が上位に入るんだから意味のない議論だよ
BGMを教えていただけますでしょうか?
島津藩は、実際は35万石くらいしかとれなかった。台風、桜島の噴煙被害、などの借金などがあり追い付かなかったとされる。それで、琉球に目をつけたとされる。
長州は、下関を基地にした密貿易して実質150万石位だったらしい。金がなきゃ幕府相手に戦争できないわな
tuboi uepon 大内氏の時代から貿易は盛んだったし、それを受け継いだ毛利は貿易で稼いでいた。
大虫虫たろう
奪い取ったと言った方が正しいかなw
佐賀藩が出てなかったと思うが、佐賀藩は表石は35万石ほどだが
実石は72万石にもなっていたといわれる
薩摩藩も支配下に置いていた琉球を加えれば90万石を超えていたと言われているな
まあ、譜代は表石と実石の差は少ないが
外様は表石と実石の差が大きかったようだ
譜代大名は幕府の要職に関わる事が出来たってのが大きかったのでしょうね
石高が大きい譜代大名はそれだけ高い役職にもつけたし
三万石を超えれば老中、一万石以上なら若年寄になれたもの
各藩とも密貿易で蓄財していたようですが、浜田藩(島根県)も密貿易が発覚して、処分
を受けています。すっぱ抜いたのは、あの間宮林蔵。間宮は公儀のスパイのような役だった
らしく、有名なシーボルト事件にも関わっています。シーボルトの伊能図海外持ち出し発覚
は、偶然ではありません。間宮のもとにシーボルトから手紙が届きます、内容は、間宮が
蝦夷で収集した標本を見せてほしいというものでしたが、間宮は私的な外国人との交流が禁
じられている事を理由に開封せず幕府に届け出ます。これが発端となり、シーボルトと天文方
の高橋景保との交際が発覚。高橋が、シーボルトにご禁制の伊能図を渡したことは、事前に
幕府につかまれていました。
薩摩の密貿易も凄いけど、加賀前田藩の貿易推進も凄い。
まず西回り航路、東回り航路に使われる港の藩に投資をして港湾整備をさせ、一部では銭による税収を得て、ほとんど現代かの様な進んだ藩だった。
残念ながら、明治維新では…存在感なしでした😅
幕府に200年かけて調教されてるからな
@@畑野よしゆき
新政府は長州と薩摩が中心で、加賀藩は最初幕府側についたからね。
もっと歴史を勉強した方がいいよ。
@@さく-l7e
加賀藩が明治維新で存在感なし と書き込んだんだよ。
@@畑野よしゆき
幕府を倒したのは加賀藩じゃなくて、長州と薩摩を中心とした新政府軍。長州や薩摩が存在感あるの当たり前じゃん(笑)
それで最初に幕府側についた加賀藩が目立ってたらオカシイだろ(笑)
もっと歴史を勉強した方がいいよ。
秋田藩表高二十万五千石、実高五十万石。肥沃な藩は新田藩分家として従えてる。唐津表高七万石ながら実高二十万石。米沢藩表高十五万石、実高三十万石。
で?
津藩はミエを張って実高より多い表高を申告してたんじゃないか?
津藩と言うのは藤堂藩ですよね?
三重…見栄…
理解されるのにずいぶん時間がかかったな。笑
座布団2枚❗️😸
@@st-cg2tr さん。
山田くーん 吉村悠太さんの座布団 全部持ってちゃえ❗️😣💦⤵️
尾張藩は濃尾平野抱えてるから強いな。信長が拡大できた源であるし、今川が度々織田領に侵攻したのもこの濃尾平野が狙いだったとも。
150万石近くあったらしい
薩摩藩て日向諸県郡も有してなかったっけ?秀吉の頃?
自分幼い頃漫画で石高を「いしだか」と認識してしまいました。江戸時代の毛利家が表高が実高よりも大幅に多いのは毛利輝元さんの功績によるものでしょうか?
話しは変わりますがこの動画で使用したbgm名は何でしょうか?ずっと前から気になっています。
毛利重就期の功績が一番大きいんじゃないですかね
撫育方設置したりなど
土佐は幕末に活躍したがそれなりの物産があったのだ
BGMの名前気になる
家紋もまた面白い。
土佐の山内氏より佐賀の鍋島氏、岡山の池田氏、越前の松平氏の方が石高は上かと思っていたので意外でした。
加賀はデカいのに、幕末で全く出てこんね? 藩主は遊んでたのかな?
加賀藩の石高がぶっちぎり!
これが現在の都道府県別なら結果は結構変わってくるやろ。
御三家は意外に石高は低いですが
身分は
全国の大名の中で最高位でしたね。
水戸中納言は他の二家に劣っているかもしれませんね。
水戸家は、江戸定府という紀州家や尾張家に無い待遇を受けていました。
参勤交代の義務が無いので財政的には負担が軽いという待遇です。
御三家は普請を免除されるなどの特権が許されていたので、負担は比較的に軽かった理由もあるでしょう
それに御三家の扱いは微妙なところがあり。幕政に参加する事は認められてないが
徳川を名乗る事が許され、全国の大名のトップの地位が与えられて、さらに本家に後継者がいなければ将軍の後継になる権利まであったが
そうは言っても大名の中核として石高をあまり高くすれば、それこそ加賀藩などの有力大名を凌ぐ国力をあたえれば
御三家の存在が幕府の脅威となる
しかし弱すぎたら、いざとなったら幕府を支える事ができない
そうした事情から強すぎず、かといってあまり弱すぎずの待遇を与えたわけだ
やっぱり格式が約束されてる大藩は、表高を少なめに見積もってるケースが多いなぁ。そういう意味では御三家があんまり差がなかったり、水戸藩みたいに無理してるのが面白い。っていうか支藩込みだろうけど、長州藩えげつな。
水戸藩は格式を重視して実石より表石の方が常に多かった
御三家は普請とか免除されるなどの特権があったので、石高を低めに出す必要はなかったのだろう
譜代大名は幕府の要職に携わる事が出来たから、表石が大きい方が評価されやすく、役職につきやすかったとか
そういう理由があるのでしょうね。表石と実石の差はそうはないようだ
長州の実高と表高の比率が目を引きます。ついで土佐。
私の故郷も、表高12万石に対し、主に干拓事業で、幕末には実高30万石はあったと言われています。
長州藩は実石は幕末には70万石どころか100万石を超えていたと言われている
あなたの故郷は表石が12万石なら、国主とまではいかない
城主格くらいかな
江戸の町民は、日本一のお金持ちは将軍様、次に仙台の伊達侯と噂してたようです。
古代ローマでは子供を叱る時に「ハンニバルが攻めて来るぞ」というのが常套句だったようですが、江戸では「伊達が攻めて来るぞ」という噂が初代政宗の晩年まで続いたそうで、幕府が取り潰さなかったのは不思議なほどです。
一国一城令も事実上無視して、幕府許可の仙台城、白石城の他にも百近い要害、城郭が館名目で中世のまま維持され、政宗の隠居所と称して若林城まで新造したほどです。
その実、政宗は外様の中でも徳川家への忠義が篤かったと言われる。
将軍を仙台に招ねいてのおもてなしが悲願だったけれど存命中ついに叶わなかった。
自藩の権勢を見せつけて牽制(ダジャレではない)する思惑もあったんだろうけど。
鍋島藩はどうでしたか
①各藩が新田開発して収入が上がる
②生産過多→米価下落
③商品作物の栽培を推奨するようになる
って感じだったよな。
幕府がしくじったのは元禄検地以降全国検地をしなかった事だ。
忠臣蔵の浅野家は、何番目位ですか?
徳川幕府は800万石とか。
kusafugu oniokoze それは表向き
400万石じゃなかったか?
徳川幕府は400万石、他に直参旗本や御家人などが幕府に仕えていたので、
全体で700万~800万石となります。
予想はしてたけど徳川幕府だけ、飛び抜けているね。
1:05 この曲の詳細が知りたい。すごくいい曲です
和テイストというフリーBGMです。
一石は一人を1年間養える量です。
福岡藩の領地に筑後国が入ってますが久留米藩ですね
米中心の単一経済だから米余りで逆に価格低下してしまうので各地で日本酒が作られることになります…
表高より実高が低い場合は、江戸城内での家格付のため。水戸は御三家の為、実高より高い表高になっている。藤堂家は外様ではあるが、家祖の藤堂高虎が家康の側近で準譜代扱いで表高が高い。
表高が高いことに何の意味があるかと言えば、江戸城内での詰めの間とかの待遇が違うのと、譜代の場合は老中とかの幕府の役職に就ける家格の格付け。外様は幕府内の役職とか関係ないので、実高のほうが高い場合が多い。大名の中には高い役職に付きたくて実高より高い表高を提出して、領内で苛斂誅求を行って一揆を起こされた馬鹿も居た。
水野忠邦とか。(実高25万石の唐津藩から15万石の浜松藩へ)
あれ~、佐賀鍋島が入ってない。幕末武器などガンガン持ってたのに。石高実質80万石をこえてたとおもいますが。
そういえば昔「600万石の男」ってマンガがあったな。
薩摩は幕末裏で、奄美諸島の砂糖や密貿易で30~40万歳入があったらしい。
一方で、大名貸しの債務が最大5百万両…鳥羽伏見の戦い~戊辰戦争~西南戦争には、これらを一気に清算する目論見があったのかもしれない
薩摩は支配下におさめていた琉球が大陸との貿易を行っていた。
大陸との貿易は表向きは長崎の出島が行う以外は対馬の宗氏が許されているくらいだから
琉球の大陸との貿易は貴重だったよ
琉球を加えると実際の石高は90万石を超えていたそうだ
越前藩 召し上げを食らう前は、相当な石高だったのでは。
見栄っ張り水戸藩。情けない。黄門様が泣きますぞ。いや黄門様の時から見栄っ張りだったと聞いてます。😭
水戸藩は光圀の時代から財政難で元々痩せた土地である上に冷害や大日本史編纂に多額の費用をかけた事が追い討ちをかけた感じですね。
動画では常陸国一国が領地になっているが、実際は、常陸国の中部と北部だけで北部は阿武隈山脈で米どころじゃないので30万石は妥当。
格式をあげるため実高にあわない35万石にしちゃったり、藩主は江戸住みで水戸になんか来ないし、参勤交代は免除とはいえ家臣らは江戸と水戸の二重生活もかなり財政を圧迫したという。
追い打ちに光圀が始めた大日本史編纂事業。
まぁ、そんな小さな藩が御三家までになれたのは、その見栄っ張りのおかげじゃないかと思う。
光圀が名君と言うのは武士にとっての名君で、領民からしてみれば自身の道楽のために八公二民なんて重税を課したとんでもない殿様なわけですよ。
母の実家が茨城なんですが、今でも慕われてるのは徳川ではなく佐竹様だったりするわけで。
@@bikkururi さん。 偕楽園の造成の為に増税したとか……造成で増税❗️ 失礼しました😅
@@bikkururi さん。 8公2民❗️ もはや暴政😱😵😭💥
最初のbgm好き
できれば名前を教えてください。
実石高が高いと維新で活躍してるなぁ
加賀100万石は、明治維新では…存在感なしでした😅 藤堂37万石 (津市)は、1868年伏見の戦いの途中で幕府側を裏切って 官軍勝利に貢献しました😅
藤堂は裏切る、幕府でさえそう認識されるぞ
藤堂家の領地は伊勢の真ん中と伊賀一国ですよ。
本来御三家と呼ばれる中には水戸藩は入ってなかった。将軍家、尾張藩、紀伊藩の三家が将軍を出せる家柄で御三家。水戸藩は現代でいう監査役みたいな家柄。だから江戸在府で所謂副将軍と呼ばれたのもそのせい。
ちなみに家康が尾張藩と紀伊藩に与えた最大の財産は木曾の山林と新宮和歌山の山林。この材木が両藩に石高以上の莫大な富をもたらしていた。
長州藩は実際には長州藩と長府藩と岩国藩に分かれていたら実高はずっと少ない。
支藩な
こくだか を セキコウ って読んで開いてしまった石巻高校OBです。
実質石高は100万石の仙台藩!
幕末に実石高を増やした藩の政策は次の二つ。
1.事実上の海外貿易で利益を揚げる。
(薩摩藩の琉球政策だね)
2.干拓、開拓によって生産高を増やす。
(長州藩だな)
この2つの政策が明治維新後国外に展開されたのは周知の通り。
また、この両藩が維新の推進役だったことも周知の通り。
依って、我国は19世紀的国家戦略を江戸期初頭(17世紀)から持っていた稀有の国だと再確認したいと思う。
日本の近代は決して間違っていないのである。
長州 石高100萬 貿易100萬 四境戰爭後 小倉藩 處雲石見 長州藩實質控制 (100萬) 四境戰爭後 長州藩實質收入300萬石
尾張徳川家、紀伊徳川家はともに中納言ではなく、大納言ですが?
尾張家にしろ紀伊家にしろ歴代藩主が必ずしも大納言に受任されたとは限らない
中納言どまりだった藩主も普通に居たりする
@@nisannurupo7883 でも最高権大納言だから大納言表記にしたらどうやちなみに大名で内大臣とかいませんよね
@@nisannurupo7883 そんなことを言ったら、加賀前田家にしたって半分くらいは参議(宰相)になれていない。
それよりも3人ほど生前に権中納言になってる人もいる(利家は含まない)。
従二位・大納言・右近衞大将が尾張徳川家・紀伊徳川家の極官だっただけ。
あってもなかってもどうでもいいような官職だと思います
補足を読んで下さい。
尾張藩の税率はほかのところに比べると低いらしい。
尾張は元々豊かな地域らしいね。作物もよく取れる上に商業も盛んだった。
尾張藩・徳川宗春さんの頃に税率を下げたらしいですね。 当時の将軍・徳川吉宗さんへの 当て付けらしいですね。
薩摩藩は、琉球で栽培された砂糖の日本全国での販売を一手に握っていたので、実数は100万石に届いていたのでは?
現金収入と石高は関係ないやろ
絹織物や木材等の特産品の売り上げも含めて、石高に直しているのが、実数石高で、これは各藩のトップシークレットに当たります。単純に田圃から取れるお米の量では在りません。因みに一石とは、大人が一年間に消費するお米の量を言います。例えば、加賀百万石とは、加賀藩が百万人の人口を養うことが出来るだけの収入が在ることを意味しています。商品経済が発達した幕末では、純粋な石高よりも、特産品の売り上げによる収入の方が多い小藩も沢山在りました。
実数石高とは、現在で言うところのGDPが、一番近いですね。幕藩体制下までの日本は、米本位制なので、GDPを石高で表したのです。因みに、藩士達や旗本達の給料も、幕末まで一貫してお米で支払われていました。
この動画で言っている石高は単純な米の生産量でしょう。独自に拡張した解釈を語るのはまあ好きにしたらとしか
米将軍の渾名で有名な経済音痴の吉宗は、新田開発などで、天領のお米の収穫量を増やしましたが、需要と供給の概念が理解できていなかったため、旗本達の実質収入が少なくなってしまい、彼等の生活を困窮させたのが有名です。また、質素倹約を奨励し、幕府の支出を抑えたただけでなく、庶民達にも消費活動を抑えさせたため、デフレが進行して、旗本達だけで無く江戸の庶民達の生活も圧迫した挙げ句、幕府の財政基盤を破壊寸前まで持っていきました。
いい加減だな。
尾張藩は尾張と三河。
福岡藩は筑前、筑後、豊前が領地になっている。
石高ってなんですか?
出直してこい
当たり前のことだが 石高の全てが 大名家に入るわけではない。 大名家に入るのは 税収 ぶんだけ
水戸藩ておよそいいイメージ無いよね…
水戸黄門は実像と離れすぎててほとんど架空の人物だし。
フィクションなのに「架空」は草
水戸藩って、元々の表高24万石くらいだったのに「御三家の中でも異常に低い」事が歴代のコンプレックスだったらしく江戸時代中頃に幕府に強引に頼み込んで相当無理な計算で35万石にしたらしい。幕府から命じられる負担や儀式での負担は表高が基準になるので、大見得切った水戸藩は重い負担に苦しめられる事になったそうで、城の修繕すらままなからなかったとも言われています。幕府や他藩は税率4~5割の所を水戸藩の税率は8割と超高額で、庶民も苦しめられる事になりましたとさ。
当時の武士って見栄ばかり張ってて、現代人には理解出来ないな。実高が表高を上回れば、それだけ藩には利益になったんだけどね。現代人なら「負担は減るからラッキー」って思う所なんだけどね。
水戸藩は唯一の江戸定府の大名であり、参勤交代は免除されていた
それに御三家は普請、つまり公共事業の負担も免除されていたからな
苦しいながらもなんとかなったのでしょう。
家光の頃までは幕府は外様大名の取り潰に躍起になっていたから
外様大名たちは何とか幕府に気に入られようと、島原藩のように無理な石高を申し出た藩も存在した
島原藩は、島原の乱の後で調べてみれば、実際の石高は幕府に届け出た石高の三分の一にも満たなかったそうだ
だから領民は九割は年貢として納めねばならない悲惨ぶりだったとか
いやあああああああああ 為になります 有難う御座います❤(ӦvӦ。)
こうやって見てみると、芸州藩って意外と石高高かったんじゃな〜笑笑
早い段階で薩長と共に倒幕盟約を結んどったのに、大政奉還派に行ってしまったけぇ、薩長から反感買って、歴史の表舞台から消えてしまったんよね(´・ω・`)
官軍に見方したから 県庁都市と県名は一緒ですよ。 幕府に見方した地区は 県庁都市と県名は別名です。 →岩手県盛岡市、栃木県宇都宮市、茨城県水戸市、香川県高松市、愛媛県松山市 等々。
畑野よしゆき
いや知ってますよ笑
そうじゃなくて本来ならもっと歴史の表舞台、内閣とかにに芸州藩出身の人が多く輩出されてたかもなって思っただけです。
@@bot-bi3cn さん。 失礼しました。 確かに 明治政府に芸州出身者少ないですね。 しかし、芸州出身には、宮沢喜一氏や亀井静香氏がいるじゃないですか⁉️
畑野よしゆき
薩長に比べたら雲泥の差ですよ。宮沢喜一は福山なんで芸州ではありません。福山藩のエリアです。亀井静香は庄原なんで芸州では無いと思います。
@@bot-bi3cn 初めて知りました😅
尾張と紀州は大納言じゃね?
大納言だべ。
高い官職あっても意味ないわ
表石高より実石高が低いといえば、江戸時代に唯一打ち首になったあの大名のことも言ってほしかったな。最も幕末における石高だから出てこないのは仕方ないんだけど。
あの踊りは悪趣味すぎですよねぇ。
加賀藩や仙台藩は石高トップなのに、幕末の騒乱や明治維新では、目立った活躍をしませんでしたね。
考えようによっては、賢かったということなのかな?
Silver Surfer
どちらも家系存続を優先させて世渡りをした藩ですね
前田家もそのおかげで未だに残ってますし
結果としてある意味徳川家も同じかと
よく誤解している人いるが外様大名は徳川の家臣ではなく豊臣の家臣なので徳川家と同格
天皇からの位も従四位以上
家康の前に豊臣が全国統一しているから徳川家一門や元々の家臣以外は全部外様大名ってことになるんですな
どこの家臣かというよりか、豊臣政権時に天皇が大名に叙任する習慣と官位の相場も確立していたので、それが江戸時代にも踏襲されていたということなんじゃないですかね。
外様も結局は徳川家の家臣となっている。
例外は喜連川藩の足利家。
これは足利幕府の生き残り。
天皇陛下の家臣であり、徳川家と同格。
僅か5000石で大名あつかいではないのが普通ではあるが、江戸城詰めでは前田家と同格。
徳川家の家臣ではないので、参勤交代の義務がなかったりする。
その他、いろいろと特殊な立場にある。
@@wawiuwewo
「足利」といっても将軍義昭の子孫でなく鎌倉副将軍の末裔。事あるごとに室町幕府と対立していた分家筋。
豊臣秀吉が足利に敬意を示す形で喜連川家として保護され、江戸時代は徳川を頼り、明治維新を機に足利に戻した。
どういうわけか、一族発祥の地(現足利市)から微妙に離れた土地(さくら市喜連川町)を領有。格付は大名だが、本職は…街道整備と宿の経営、そして仙台伊達家の見張り役!?
「よく誤解している人がいるが」は草
普通、10位から発表しないか?
私もランキングは一位から発表したほうが良いと思います。10位から発表されても飛ばすし
はい、加賀百万石最強
土佐のおネズミ様説なら土佐藩は124万石
徳川幕府も紹介しないとね。
まあ数百万石だろうけど。そこそこ正確な数字をね。
先祖は明石藩の家臣でした✨🙇
全て嘘
仙台伊達藩は実高200万石越えてると言う話
江戸の米はほとんど仙台米でまかなえた
長州も楽に100万石は越えてた
薩摩藩は桜島のシラス台地で
米は実高30万石から40万石ぐらいしか取れなかった
伊達藩はフカヒレとかアワビの高級食材を扱っていたらしい、海岸線に貞山堀運河を造って海運に力を入れていた。
津波の被害でかなり運河やられたが。
いい時は200万石を超えることもあったため、一気に借財を返済なんてこともしてたそうだ。
山内家って戦国時代江戸前期に居城進呈以外にめぼしい実績ないのに10位まで食いこんでるっておそろしい大名や。。。
昔は農作物や海産物、布などを税として直接徴収して、
よく国が運営出来るなぁって思うんだよなぁ。
その上、平安時代みたいに貴族が優雅に遊べるんだから。
はい。やりなおし~
紀州の「表石」が55万石もあっただなんて、想像だにしていませんでした。なんせ紀伊山地があるんで。でも今の和歌山県とかいうと、ついつい山間の「みかん」等が浮かんじゃって、とうてい稲作の感覚がありませんでした。認識を変えないといけないかも…(?)もっとも、日本全国山バッカといえば、そうかもですね。
江戸末期も長いから何年基準か示して欲しい。
薩摩に限らず財政危機があって乗り越えたか、まだ危機の中かによって違うし。
各藩が独立国家みたいなもんだから、税率も違う。藩が納める石高が高くても、庶民がほとんど飢えてるようではねえ。外様は最初から納める石高のハードルが高いからねえ。その不満が幕末で一挙に爆発
薩摩藩は凄いよ!厳しい参勤交代してもしっかり政治を行った
菊地一正 日本語おかしいよ
仙台藩は、宮城県の刈田郡(現在の白石市・七ヶ宿町・蔵王町)と福島県の新地町も入ります。ちゃんと作り直しましょうね!片倉小十郎の城下町が仙台藩に入ってないとか可哀想杉ます!!
薩摩、なかざきいろいろなイケメンいます。宜しくお願いします。全国ためにですツアー人お願いします。
1分間の補足説明の後、いきなり1位かよ!拍子抜けするわ。
前田利家ー
Chi I u
加賀藩、今の石川県と富山県考えると、それだけじゃ石高そんな稼げなそうだけど、農地、人口そんな多かったのかな? 尾張とか温暖で平地が多い場所のが収穫ありそうだけど
まあ石高は単純な土地換算ですから。
江戸から離れたところばかりなのは見る前からわかる。だからつまらない。