最近こちらのチャンネルを拝見し始めた新参者です。「にご穴」が知らない言葉だったので検索したところ、判明しました。先人の知恵と努力の結晶だったのですね。またひとつ勉強しました。
千葉ってディープですね!
お疲れ様です、いつも日本の将来を考えさせられます。
江戸時代の蔵が、こんな人目につかない場所でポツンと残ってるなんてすごいですね。タイムスリップしたかのような感覚になります。
千葉県の廃墟巡り、近ければ今すぐに行きたいくらい魅力的です☺️
サリーさん 大変でしたね
でも楽しかったのではないですか? 旧家は名家ですよ
これからは山城を散策してみたらいかがでしょうか
山城はサリーさんにピッタリ
だと思いますが!?🤔🌸
まさか令和の時代に、自分の事を想像したり廃墟になった家をちゃんと見てくれる人がいるなんて、松本家の方々も思いもしなかったでしょうね❗
なんか、喜ばれるような気がします(*^^*)
お疲れ様です。松本家のご先祖は自然の中で生活したいという事で辺鄙という言葉では足りない場で自給自足をされていたのですね。血清に関しても、ここまで買いに来られていた人達もいた訳で凄いです。しかし今更ながら蔵ってシッカリしていますよね😅
君津は深いですね。サリーさんには脱帽です。
今回は、蔵について考えて見ます。なぜに蔵が百年以上もつか?
①構造物として、壁が厚く開口部(窓・扉)が小さいのは当然ですが「壁内部の構造」が重要に思えます。
現在では鉄筋コンクリートが当たり前ですが蔵の壁も「竹を引っ張り部材」と考えると軽量・充分な強度を持つ昔の鉄筋コンクリート造と考えられます。
②外装の白い漆喰は、熱反射と風雨に耐える現在の塗装に通じます。
③内装の塗壁は、材料は不明ですが湿度調整機能を持つと考えられます。また、区切りの柱状の木材は壁材の収縮を上手く吸収しています。
④最後に瓦は、台風などにたいしては常時の荷重として建物の安定に寄与しており「大きな揺れ」に対しては瓦が落ちて蔵本体に致命的な損傷を与えないと思います。
以上、まとめますと「蔵」は日本の4季の天候に柔軟に対応し「もしかの台風・地震」などに対応する優れた構造物と考えられます。
民家のご主人がご存命の頃に道を聞いて福野へMTBで抜けたことがあります。懐かしいw 確か民家前の分岐から先に5〜6連の廃隧道があるんですよね。アマチュア無線の電波塔や蔵の存在は知ってましたが行ったこと無いので行ってみたいです😊ありがとうございます!
怒田福の線あたりに繋がっていましたよね~(*´▽`*)
今は通行止めになっているらしいですが、あっちの隧道にも興味があります!
ぜひ行ってみてください~!
お疲れ様です。行くまでの道がすごいですね。本当立派ですね
令和3年の石碑があるってことはまだ定期的にここにも来ていらしている可能性もあるってことですかね
お疲れ様です、うあーキョンがいるんですねー、こまわり君に出てた八丈島のキョンって言ってたけど千葉にもいるんですねー!
千葉のキョンは行川アイランドというテーマパークから脱走したものが大繁殖したと言われています…それと同時にヤマビルの繁殖地も拡大していったらしいですねぇ…(;^ω^)
@@sarymotovlogsサリーモトブログス ヤマビルは嫌ですねー、いつ入ってきたのか分からないし違和感感じるとかみついているって事になるのが衝撃です。
キョンは脱走組なんですね。
あの荒道、よくクロスカブで行けましたね…行ったとしても絶対戻れないと思ってました…
サリーさんが蔵までの道のり、コケるどころか落っこちそうで、そっちの方がが見てて怖かったですー
自分も戻れないと思っていました笑
意外といけたのが驚きと言うか…
一回バイクを降りて押して上ったくらいでそんなに大変ではなかったです(*´▽`*)
16:06 の場所でオンタイヤで登れなくてレスキューを読んだ覚えがあります……
松本さんちです
で吹いた😂
自分の地元は久留里なのですが、全く知らなかったです!!
でも、その山奥から麓に降りると松本と言う家が何軒かあるのでひょっとしたらその親戚とか子孫かも知れないです。
どう言う方が住んでたのか想像するのが楽しいですね
お疲れ様
いつも素敵な映像と情報をありがとうございます。
蔵だけどうして残っていたのでしょうか?それほどの良い頑丈なつくりだったのでしょうか?他の家屋はまったくなかったので、どうしてかな?と疑問に思えてしかたありません。
地元だ❗
なぜ、人が簡単に来れないような場所に、誰が、何のために石碑を建てたのでしょうか?
謎です。
サリーさん、すごいところに行きますね!
怖くないですか?
お陰で私はワクワクを頂けますが😁
怖いと言えば怖いですが、興味が勝ってしまうと行っちゃいますね笑
あの石碑は松本家の方が設置されたのではないかと思いっています。
ご先祖の事を忘れないように、知ってもらえるようにという事なんでしょうか…(*´▽`*)
光ファイバーと電気が来てればニート村として再生したいな
最近石碑が出来た関係か、道がすごくよくなりましたね。2012年くらいに行った時は結構アドベンチャーだった記憶があります。
あの辺に引き込み線用の碍子が落ちていたので電気は来ていた様です。
また、石碑と蔵のある御宅の下の方にも二軒ほどあった様ですが、いまは道が雨で掘れていて入って行くのも大変な状態です。(1990年ころの航空写真で既に朧気です)
お疲れさまです。こんな山奥で生活をするのは林業を生業にしていたからでしょうか?血清も作っていたそうですが、前の方のコメントにもあるように、ここまで買いに来る人もいる訳で、血清が間に合うのか、命がけではなかったのか、と思います。昔はここで生活が成り立っていても、時代の流れには逆らえなかったようですね。
それにしても、君津って本当にスゴいですね。
血清なのか分からないですが、常備薬的な感じだったのかなぁと想像しています(*´▽`*)
かなり山奥なので、移動とかどうしていたのかと考えてしまします…
動画とは関係ない話で恐縮ですが 今 天声人語を読んで感じたことを…
時を経て 歌詞の解釈が 自分のなかで変わるって ありますよね。
🎵もしも心が 二つに割れて……
……その半分を君に預けて旅立とう🎵
''君”は 最初 恋人だなぁと思ってましたが 親友かも?
そんなことを考えていたら 以前 サリーさんが お見舞いに行った動画を思いだしてしまいました。
サリーさんの親友は 元気に退院されたのかなぁ~
とりとめのない話しでスミマセン😓 次回の動画 楽しみにしてます
昔は分かったのに、今聞くと意味が分からない曲とかあります…笑
変化はしていくのかなぁとは思いますね~
友人は退院して実家で療養しています(*´▽`*)
ありがとうございます!
家が跡形もないのに蔵が原型を留めているのは、蔵が余程頑丈に作られていたのかもしれません。
まあ江戸時代なら電気、ガスは勿論水道管もありませんから、水や食料、薪のような燃料が確保できるならこういう人気のない山奥でも生活は成り立ったのでしょうね。
石碑には、何が書かれていたのでしょうか?
松本さんの経歴や、この地に移り住んた時期や経緯などが書かれてありました!
写真を撮っておけばよかったですねぇ(´・ω・`)
グーグルマップの方で見ることができますよ!
5:58 車だとジムニーじゃないと無理そう
こんばんは。原山松本家ですね。石碑が出来たという事で行って見たいとは思っていましたので、参考になりました。蔵も1999~2000年初めの頃はしっかりしてましたが、結構来てますね。母屋は数年前までは残滓が有りましたが殆ど無くなりましたね。サリーさんの紹介した2個目の穴は多分、炭焼き窯かと思います。基本、自給自足の生活をされていたのでしょうけど、昔は電気も有り(TV有りますもんね)確か普通車が通れる位の道幅が有った様な記憶が有ります。あの辺は素掘り隧道だらけで川回しの隧道も入れると穴だらけですよ。
近くに川越藩の横尾関所跡と三菱ジープとフォードフェスティバの草ヒロが静かに朽ちていっていますよ。
炭焼き窯!確かにあんな感じですよね~!
奥が少し黒っぽくなっていたので納得です!
ありがとうございます!