「東大寺山古墳と謎の鉄刀」『天理参考館のこころ』(33)

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  • Опубліковано 23 січ 2014
  • 天理参考館の収蔵品を紹介しながら、ものを通して垣間見える〝こころ〟にふれます。

КОМЕНТАРІ • 15

  • @user-qn9yt5wk5q
    @user-qn9yt5wk5q 3 роки тому +5

    未盗掘だったみたいですね。
    朱塗もされてた?鉄分の赤?
    手裏剣みたいなのは
    デザイン性が高くて感動。
    凄い謎〜。

  • @takakogane1031
    @takakogane1031 2 роки тому +2

    此の中平刀には個人的な思い出がある。西谷先生金関先生ありがとうございました。

  • @user-th4ug3yo7n
    @user-th4ug3yo7n 3 роки тому +2

    とても興味深いですねー

  • @laozionoff
    @laozionoff 4 роки тому +6

    中平なので卑弥呼より前ですね。中平は黄巾の乱の時代です。その後遼東を独立状態にした公孫氏、そして和邇氏と漢の関係が気になります。

    • @mattsu42
      @mattsu42 2 роки тому +2

      興味深いコメント、勉強になります。公孫氏は扶余と共に近畿のヤマト政権の成立に大きな役割をしたとの話もあり、気になります。
      ところで、和邇氏ですが、因幡の白兎の逸話にワニが出てくることと何か関係があるのでしょうか。思いつきで恐縮ですが、何かの暗喩では無いかと…もしお心当たりがありましたら、ご教示いただけると、助かります。

    • @laozionoff
      @laozionoff 2 роки тому +3

      @@mattsu42 この逸話は完全にスルーしてました。確かにワニは和邇と書かれてますね。すみません。なんとも言えないです。

    • @mattsu42
      @mattsu42 2 роки тому +2

      @@laozionoff 様、忙しい中、思いつきにコメント頂き、ありがとうございました。

    • @laozionoff
      @laozionoff 2 роки тому +2

      @@mattsu42 因幡の白兎に気づいた点がありましてご報告します。これは渡来人間の対立の話ではないかと思いました。渡来人の倭での政治的立場は自分を遣わした本国の後ろ盾の政治事情に依存します。本国の後ろ盾が衰退したのが兎で、新たな後ろ盾から遣わされたのが和邇なのではないでしょうか。
      南北朝の中国の政治事情の移り変わりの速さを調べていてそう思いました。

  • @user-nx8pw8vn2v
    @user-nx8pw8vn2v 3 роки тому

  • @kazuomoriya348
    @kazuomoriya348 3 роки тому +10

    素晴らしい遺物ですね。しかし、卑弥呼様とは関係ないと思います。
    別のストーリーを考えて下さい。

    • @user-wi2go5yy7i
      @user-wi2go5yy7i 2 роки тому +4

      纏向の辺りも宮がたくさんあった、奈良の遺物をなんでもかんでも卑弥呼、っていうのはあきれる、って考古学の森教授がおっしゃってました…。

  • @user-bv1do4ph2i
    @user-bv1do4ph2i 2 роки тому +3

    大和は卑弥呼とは関係無いです。これ常識。この遺跡と関係ある人物と言えば神功皇后。

  • @8e38ky5w
    @8e38ky5w Рік тому

    記録に無いが・・・卑弥呼以外にも・・・複数人いてもおかしくない    どんな方々か?? まさにロマン