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セイパイで県三位になった頃を思い出した。もう40年前ですけど笑糸東流空手がオリンピック競技になるのを夢見てた。
素晴らしい形、見させて頂きました、ありがとうございました!Thank you for the wonderful shape!
そうですね!
毎日真剣に鍛錬を積み、この大会に臨んできた人達を、何の努力もしていない人間が上から目線でとやかく文句を言うのはいかがなものか多少かじったくらいの人間がその道を極めた人達に勝るものなど欠片もない武道を習って何を勉強してきたんだろうね
ある程度の段位を持ってる人なら、この人達が、如何に凄い人達なのかは分かってますよ。でも採点基準がわかりにくいから、一般的には何がどう凄いのかわからない。10箇所の採点基準があるけど、実際には、、、経験者なら意味わかりますよね。
日本舞踊をオリンピック競技にした方が、形よりも採点しやすいし、見ていて優劣がわかりやすい
@@syber4935やりゃいいじゃん。
私も幼稚園の年長から小6まで空手をしてました。(糸東流で)5年生の冬には初段、黒帯になり6年生の時には県大会で3位になったな。その時の負けた相手はその年の全国大会優勝しました😊
この動画の最初めっちゃカッコいいな
小学生の頃に同級生が茶帯でパッサイ小、大とよく見せてくれたけど全然違う型といっても緩急や力の入れ具合で全然違ったものに見えるねカッコイイ
3人掛けの演武が気持ちいいくらい迫力あるね〜!
壮大なBGMでカッコいい!BGMの詳細を教えて下さい!
Every detail is perfect. I was drunk as if admiring art. We applaud you. In Korea...your fan, David Kim 나는 당신의 팬입니다. 완벽한 품세에 뜨거운 박수를 보냅니다. 파이팅~ (김다윗)
Thanks from Brazilian Amazon region, oss!
俺がガキの頃習ってた空手が糸東流でよかったと40手前になっても思うのです。
拙者もそう思う所存にございまする
流派が同じでござんす
自分和道流でやんす
自分は禅道会w
ワイは硬式空手でござんす。
Last kata was so impressiv.
空手の形は、国際大会で行うべきでない。審判に空手の真髄を理解している者がいない。また、形に関しては、空手の奥義、資質のない者に安易に伝授すべきでない。組手でスポーツしてれば十分です。
認知度がまだ低いせいなのか終わっても拍手すらないのが非常に残念
なんかこういう動作をしてる別のものを見さされてる気になる。順位を決めるために差別化しようとすると、こうなるのかな。
kata, the soul of karate, a container full of information for the practitioner, reduced to a ridiculous ballet without meaning to entertain an ignorant audience that applauds what they don't even understand.
沖縄本部流空手習ってたけどやめたことに今後悔オリンピックに出たくて習ってたけど競技になかって諦めて辞めた
クソ勿体ないやん、武術は一生もんだぞ
Better comfort and Breathing For Aka.
流派によって得点に差がつくな
清水さん,強そー!(今までの努力のオーラがやばすぎて強そうとしか言えないんだけどwwwww/(*〜*)
Oss!
Parece que eu estou vendo uma onda de vitrine, será que alguém quer ser o meu oponente 🤭☕☕
本土の伝統派の形は、上手い人は、柔らかく撓る身体の使い方を身に着けているのでよいと思うのですが、気迫を前面に押し出して、険しい表情を作り、大声で気合を発声するのは、ちょっと見せる為のアピールをしすぎに思えます。形の競技化の弊害ではないでしょうか。
こんにちわ。 形に入り込むと自然に顔が締まりませんか? それが元々なんでしょうが、競技が国際化するにつれサムライ映画やマンガで日本を知った外国人選手により、動きも表情もよりドラマチックになったと思います。それを超えるためには、基本に加えた何かが必要なのではないでしょうか。確実に言えるのは、日本人選手の軸の強さ。全身で戦っている緊張感。外国人選手の形を見ていると上手だし力強いのですが、体の前、視線の先でだけ戦っているように見えます。背後、横にも対戦相手の存在を感じられる形を打つのは、やはり日本人の選手の方が圧倒的に多いと思います。それがあのような表情になっていると自分は思いたいですね。 故意に作っているのではなくて。
@@yukikokikuchi9525 こんばんは。伝統派の形競技は、"見せる為のもの" になってしまっていると思います。海外の選手にその傾向が顕著なら、それに引きずられてはいけないのではないでしょうか。空手の型・形は、種類により違いはあると思いますが、本来は"見せること"ではなく"鍛錬"が目的の筈です。同じ形でも習得段階によってどういった点が大事になるのかは変わってゆくはずですが、身体操作・重心操作・呼吸…、などを身につけるために行うのが本来のかたちです。そこで、先生は生徒の行う形のどこを見るのか、その中で、どこを指導しどこ評価するのか…というのが形を見る際にそもそも大事なことだったのではないでしょうか。その先に、上級者の、手本になるような形演舞があります。では一方、現在の形競技の審査員・審判はどこを評価して採点するのでしょうか。競技である以上、数ある中から優劣をつける必要が出てきますが、上級者の形・型・套路は、個人差・個性も出てくるもので、高いレベルで複数そろったそれらに対して順位をつける事自体が無意味です。そこから、より優位になるべく余計なものを足していくのは、弊害や形骸化に進む事のように思えます。形は、"鍛錬"のほか、実用を想定した面もありますが、その中で行う空突き・空蹴りに、打法や威力が備わっているかどうかは大事ですが、"想定した相手と戦う"として同じ形を同じかたちで繰り返すやり方は間違いではないかと思います。実用を想定するなら、同じ形を様々な違った行い方を試すほうがいいです。競技で評価を得る為の形ばかりを繰り返していると、融通が利かなくなってしまうと思います。形競技の選手が普段空手の稽古の中のどんなものを行っているのかは知らないのですが、形競技ばかりに特化しては、空手で強くはなれないと思います。空手が形成された沖縄の、かつての琉球王国時代の空手の稽古は、(昔は、那覇手や首里手など、"手"と呼んだそうですが) 士族と平民で環境に差はあっと思いますが、琉球を支配していた薩摩藩の武士に見つからないように空手の稽古を行う必要があったため、大声で気合を発することは無かったそうです。気合を発するのは、本土に伝わった後、本土の武道の影響を受けて取り入れられたものだと思います。同じ本土のフルコンタクト系の空手では、気合を発する箇所はありますが、怖い表情を作りながら型を行うことはありません。黙々と行います。空手・手 の源流の中国武術でも、鍛錬の為の套路は黙々と行うと思います。形は"強くなるため"に行うものであり、"強く見せよう"と行うのは、ちょっと恥ずかしいです。
"唐手"が本土に上陸し発展をしていく過程で"唐手"は"空手"ではなくなってしまった。本土ではすでに柔道が盛んであり柔道と差別化する目的で"唐手"には本来存在していた"投げ技"や"関節技"を完全に禁止し"立ち技"のみ"突き" "蹴り"のみの本来の"唐手"とは別物への道へ進まざるをえなかった。さらに長い年月、紆余曲折、を経て1964年に空手の統一と普及をめざして"全日本空手道連盟"が設立された。しかし空手が統一された訳では決してない。元々、流派が多数あり流派の中にも派閥があり主義主張も様々…という具合なので空手を統一する事など不可能である。そんな中でももう1つの目的である普及という面ではかなり達成されていると言える。先に述べたように流派が多数存在し主義主張も様々な空手界を統一及び普及させる為には打撃中心の危険な空手をスポーツ化し"安全"で"健全"な武道という認識を国内外に発信していく必要があった。そこで"全日本空手道連盟"独自の試合ルールが生まれた。"型"のルール"組手"のルール国内試合や国際試合によって非常に細かく決められている。その中で端的に言えば"組手"は"寸止め""型"は"緩急"共に共通しているのは スピード技の極め気合いである。これはかなり大雑把な表現であるけれど全空連ルールで試合した経験がある人はわかって頂けるかと思う。組手ルールも型ルールもスポーツ化した空手のルールと打突ありの空手とは当然の事ながら違ってくる。全日本空手道連盟のルールでは"型"は見せる観せる魅せるいかに迫力があり審判や観客に見せ感動を与え魅了させられるか❔という方向性の競技になっている。しかしわたくしは全日本空手道連盟のルールや型についてなんら否定するものではない。型の話とは別になるが全日本空手道連盟の空手が"伝統派"と呼ばれている意味がわからない。空手発祥の歴史やルーツを探って行くと余計に"伝統派"とはなんぞや❔という疑問と非常に大きな壁にぶち当たってしまうのだ。
@@水銀燈第1ドール 空手は、明治以前の琉球王国時代には、"手(テイ)"と呼ばれ分類された流れがいくつかあったはずですよね。その中の"唐手(トウデイ)"は、比較的に近年に中国大陸から入ってきた技術が色濃い系統で、この表記の読みが、琉球語の"トウデイ"から、本土の読み方の"カラテ"と直されて伝わり、のちに字が"空手"とあらためられた、という呼び方の変化の経緯があります。"手(テイ)"には、"唐手(トウデイ)" "那覇手(ナーファデイ)" "首里手(スイデイ)" "泊手(トマリデイ)" "御殿手(ウドンデイ)" などが有名な、いくつかの系統があり、それぞれ鍛錬法も身体の使い方も型も違いがあります。広く知られていない流派もたくさんあったそうです。本土に初めに手を伝えた船越義珍は首里手の人で、本土伝統派の松濤館はその首里手系だそうです。松濤館からは、朝鮮併合で来日し修行をした人によってテコンドーが派生しました。フルコンタクト空手を創始した大山倍達は主に那覇手系の本土伝統派の剛柔流を学んだそうです。空手は、本土伝統派では他では糸東流や和道流が有名な流派です。それらとは別の系統の玄制流や拳道会という有名な流派もあります。沖縄系では、防具着用の試合ルールを採用している流派もあります。フルコンタクト系は殆どが極真会館からの派生ですが、少林寺拳法から派生した白蓮会館といった流派もあります。フルコンタクト系は、琉球の頃から続いている現在の沖縄の流派とは、身体の使い方がだいぶ違っています。沖縄の琉球からの技術が多くは伝わっていないのではないかという部分と、フルコンタクト形式の競技が続いてきた中で独自の進歩を遂げた部分とがあると思います。他の武術から取り入れられた技術もあります。背足やスネでの蹴りはムエタイから。後ろ回し系はテコンドーから。中国武術の立站という鍛錬法を取り入れている道場もあります。組手試合の競技化は、普及と、競技人全体の技術向上をもたらすという良い面がありますよね。一方、寸止めにしても顔面手技無しフルコンタクトにしても、ルールの中に欠けている要素があり、それがそれぞれのルールのスタイルに長所と短所を生み出します。競技志向の稽古をするか、実用志向の稽古をするか、選択は最終的には個人しだいですが、スポーツ的な競技として大会に挑む機会は若い時期のほうが得やすいと思います。ただ、若さと体力だけをたよりにした内容のものをトレーニングしても、"武道"という考え方からは遠ざかったものを身につける事になってしまいますが。型競技は、フルコンタクト系では少ないです。伝統派の形競技は(伝統派は"形"と表記しますよね)、個人的には「これはどうなんだろう?」と思う点は多々あります。数人で同じ形を同時に行う団体形など、何の意味があるのか…と思います。シンクロナイズの美しさを追求して、どうしようというのか?大人数で整列して基本や型を同時に行うのは、少人数の指導員が大人数の生徒を指導する為に生まれた形式です。それを、演武として披露するのは分かるのですが、競技にしてしまったのは、いったい誰のどんな感性なのか。観せる、魅せる、感動を与える…などというのも、余計なことだと思います。型には、見て分かりやすいものも、わかりづらいものもあります。それを、わざわざ空手を知らない人に、わかりやすく美しく見せることに、修行上の利点は全くありません。美しさを追求すれば、型はダンスに質が変わります。舞踊を装って修行する武術はありますが、それらとは正反対の事をやることになります。今の伝統派の形競技は、行う人の空手を弱くしてしまうでしょう。ちなみに、「伝統派」という括りかたは、普及していた全空連の競技スタイルに対して、新たに発生したフルコンタクトの競技スタイルが登場してから生まれた、分類の為の単語・ことばではないでしょうか。
もうその部分くらいでしか差が出ない所まで行きついているからではないでしょうか?顔や所属名隠して判定するなら別ですが。
特に「バッサイ」などは流派ごとにかなり動きが違い、同じ型に見えないものもある。それを特定の流派のバッサイを「正」として指定してしまうのは如何なものかねぇ、と思う。松濤館・糸東流・少林流、全部動きが違うぞ。立ち方も違うし。だけど全空連空手で育った人達は、それに疑問を抱かない。何故なら決まり事を守らないと試合に勝てないから。
私の所は松濤館です
麻雀パイみたいな名前ねw
大阪の銀メダル保持者の彼女、当然の敗北でした。胴着にガバガバとノリが付いてて、貴女に動きが隠れました。やはり、金メダリストの動きは力強く、実に切れが良く、力強さを感じました。
空手やってるのに意味分からんwwwwww
ち
ダンスしとらんと戦えよwww
形の試合見ても違いがわからない。はたして、これはスポーツなのだろうか?空手の形の競技が正式種目になるなら殺陣もラジオ体操も太極拳も正式種目になっても不思議でない。
そんなこと言ったら体操とか審査員が点数決める競技全部そうだよ?
@@ある-z4v そうでしょ
@@ぷら天-s2i ごめん意味がわからない
@@ある-z4v 少林寺拳法も合気道も日本舞踊もエアロビクスもオリンピック競技になるな。
組み手めっちゃ弱いんやろうな
ダンスが上手い人なら練習すれば同じくらいできるのではないかと思う。
それはない。ただ動きを真似するだけでは形にはならないよ
@@ある-z4v なるでしょ
@@ぷら天-s2i やったことあるの?空手ないなら論外。あるなら何も学んでないじゃん
なめてんの?
練習の度合いにもよるけど空手の基礎がなければ切れは出ません
セイパイで県三位になった頃を思い出した。
もう40年前ですけど笑
糸東流空手がオリンピック競技になるのを夢見てた。
素晴らしい形、見させて頂きました、ありがとうございました!
Thank you for the wonderful shape!
そうですね!
毎日真剣に鍛錬を積み、この大会に臨んできた人達を、何の努力もしていない人間が上から目線でとやかく文句を言うのはいかがなものか
多少かじったくらいの人間がその道を極めた人達に勝るものなど欠片もない
武道を習って何を勉強してきたんだろうね
ある程度の段位を持ってる人なら、この人達が、如何に凄い人達なのかは分かってますよ。でも採点基準がわかりにくいから、一般的には何がどう凄いのかわからない。10箇所の採点基準があるけど、実際には、、、経験者なら意味わかりますよね。
日本舞踊をオリンピック競技にした方が、形よりも採点しやすいし、見ていて優劣がわかりやすい
@@syber4935
やりゃいいじゃん。
私も幼稚園の年長から小6まで空手をしてました。(糸東流で)
5年生の冬には初段、黒帯になり6年生の時には県大会で3位になったな。
その時の負けた相手はその年の全国大会優勝しました😊
この動画の最初めっちゃカッコいいな
小学生の頃に同級生が茶帯でパッサイ小、大とよく見せてくれたけど全然違う
型といっても緩急や力の入れ具合で全然違ったものに見えるねカッコイイ
3人掛けの演武が気持ちいいくらい迫力あるね〜!
壮大なBGMでカッコいい!
BGMの詳細を教えて下さい!
Every detail is perfect. I was drunk as if admiring art. We applaud you. In Korea...your fan, David Kim
나는 당신의 팬입니다. 완벽한 품세에 뜨거운 박수를 보냅니다. 파이팅~ (김다윗)
Thanks from Brazilian Amazon region, oss!
俺がガキの頃習ってた空手が糸東流でよかったと40手前になっても思うのです。
拙者もそう思う所存にございまする
流派が同じでござんす
自分和道流でやんす
自分は禅道会w
ワイは硬式空手でござんす。
Last kata was so impressiv.
空手の形は、国際大会で行うべきでない。審判に空手の真髄を理解している者がいない。また、形に関しては、空手の奥義、資質のない者に安易に伝授すべきでない。組手でスポーツしてれば十分です。
認知度がまだ低いせいなのか
終わっても拍手すらないのが非常に残念
なんかこういう動作をしてる別のものを見さされてる気になる。
順位を決めるために差別化しようとすると、こうなるのかな。
kata, the soul of karate, a container full of information for the practitioner, reduced to a ridiculous ballet without meaning to entertain an ignorant audience that applauds what they don't even understand.
沖縄本部流空手習ってたけどやめたことに今後悔
オリンピックに出たくて習ってたけど競技になかって諦めて辞めた
クソ勿体ないやん、武術は一生もんだぞ
Better comfort and Breathing For Aka.
流派によって得点に差がつくな
清水さん,強そー!
(今までの努力のオーラがやばすぎて強そうとしか言えないんだけどwwwww/(*〜*)
Oss!
Parece que eu estou vendo uma onda de vitrine, será que alguém quer ser o meu oponente 🤭☕☕
本土の伝統派の形は、上手い人は、柔らかく撓る身体の使い方を身に着けているのでよいと思うのですが、気迫を前面に押し出して、険しい表情を作り、大声で気合を発声するのは、ちょっと見せる為のアピールをしすぎに思えます。形の競技化の弊害ではないでしょうか。
こんにちわ。 形に入り込むと自然に顔が締まりませんか? それが元々なんでしょうが、競技が国際化するにつれサムライ映画やマンガで日本を知った外国人選手により、動きも表情もよりドラマチックになったと思います。それを超えるためには、基本に加えた何かが必要なのではないでしょうか。確実に言えるのは、日本人選手の軸の強さ。全身で戦っている緊張感。外国人選手の形を見ていると上手だし力強いのですが、体の前、視線の先でだけ戦っているように見えます。背後、横にも対戦相手の存在を感じられる形を打つのは、やはり日本人の選手の方が圧倒的に多いと思います。それがあのような表情になっていると自分は思いたいですね。 故意に作っているのではなくて。
@@yukikokikuchi9525 こんばんは。
伝統派の形競技は、"見せる為のもの" になってしまっていると思います。海外の選手にその傾向が顕著なら、それに引きずられてはいけないのではないでしょうか。
空手の型・形は、種類により違いはあると思いますが、本来は"見せること"ではなく"鍛錬"が目的の筈です。同じ形でも習得段階によってどういった点が大事になるのかは変わってゆくはずですが、身体操作・重心操作・呼吸…、などを身につけるために行うのが本来のかたちです。そこで、先生は生徒の行う形のどこを見るのか、その中で、どこを指導しどこ評価するのか…というのが形を見る際にそもそも大事なことだったのではないでしょうか。その先に、上級者の、手本になるような形演舞があります。では一方、現在の形競技の審査員・審判はどこを評価して採点するのでしょうか。競技である以上、数ある中から優劣をつける必要が出てきますが、上級者の形・型・套路は、個人差・個性も出てくるもので、高いレベルで複数そろったそれらに対して順位をつける事自体が無意味です。そこから、より優位になるべく余計なものを足していくのは、弊害や形骸化に進む事のように思えます。
形は、"鍛錬"のほか、実用を想定した面もありますが、その中で行う空突き・空蹴りに、打法や威力が備わっているかどうかは大事ですが、"想定した相手と戦う"として同じ形を同じかたちで繰り返すやり方は間違いではないかと思います。実用を想定するなら、同じ形を様々な違った行い方を試すほうがいいです。競技で評価を得る為の形ばかりを繰り返していると、融通が利かなくなってしまうと思います。形競技の選手が普段空手の稽古の中のどんなものを行っているのかは知らないのですが、形競技ばかりに特化しては、空手で強くはなれないと思います。
空手が形成された沖縄の、かつての琉球王国時代の空手の稽古は、(昔は、那覇手や首里手など、"手"と呼んだそうですが) 士族と平民で環境に差はあっと思いますが、琉球を支配していた薩摩藩の武士に見つからないように空手の稽古を行う必要があったため、大声で気合を発することは無かったそうです。気合を発するのは、本土に伝わった後、本土の武道の影響を受けて取り入れられたものだと思います。同じ本土のフルコンタクト系の空手では、気合を発する箇所はありますが、怖い表情を作りながら型を行うことはありません。黙々と行います。空手・手 の源流の中国武術でも、鍛錬の為の套路は黙々と行うと思います。
形は"強くなるため"に行うものであり、
"強く見せよう"と行うのは、ちょっと恥ずかしいです。
"唐手"が本土に上陸し発展をしていく過程で"唐手"は"空手"ではなくなってしまった。
本土ではすでに柔道が盛んであり柔道と差別化する目的で"唐手"には本来存在していた
"投げ技"や"関節技"を
完全に禁止し
"立ち技"のみ
"突き" "蹴り"のみの
本来の"唐手"とは別物への道へ進まざるをえなかった。
さらに長い年月、紆余曲折、を経て1964年に
空手の統一と普及をめざして
"全日本空手道連盟"が設立された。
しかし空手が統一された訳では決してない。
元々、流派が多数あり流派の中にも派閥があり主義主張も様々…
という具合なので空手を統一する事など不可能である。
そんな中でも
もう1つの目的である普及という面ではかなり達成されていると言える。
先に述べたように流派が多数存在し主義主張も様々な空手界を統一及び普及させる為には打撃中心の危険な空手をスポーツ化し
"安全"で"健全"な武道という認識を国内外に発信していく必要があった。
そこで
"全日本空手道連盟"
独自の試合ルールが生まれた。
"型"のルール
"組手"のルール
国内試合や国際試合によって非常に細かく決められている。
その中で端的に言えば
"組手"は"寸止め"
"型"は"緩急"
共に共通しているのは
スピード
技の極め
気合い
である。
これはかなり大雑把な表現であるけれど全空連ルールで試合した経験がある人はわかって頂けるかと思う。
組手ルールも
型ルールも
スポーツ化した空手のルールと打突ありの空手とは当然の事ながら違ってくる。
全日本空手道連盟の
ルールでは"型"は
見せる
観せる
魅せる
いかに迫力があり審判や観客に見せ感動を与え魅了させられるか❔
という方向性の競技になっている。
しかし
わたくしは全日本空手道連盟のルールや型についてなんら否定するものではない。
型の話とは別になるが
全日本空手道連盟の空手が"伝統派"と呼ばれている意味がわからない。
空手発祥の歴史やルーツを探って行くと余計に"伝統派"とはなんぞや❔という疑問と非常に大きな壁にぶち当たってしまうのだ。
@@水銀燈第1ドール
空手は、明治以前の琉球王国時代には、"手(テイ)"と呼ばれ分類された流れがいくつかあったはずですよね。
その中の"唐手(トウデイ)"は、比較的に近年に中国大陸から入ってきた技術が色濃い系統で、この表記の読みが、琉球語の"トウデイ"から、本土の読み方の"カラテ"と直されて伝わり、のちに字が"空手"とあらためられた、という呼び方の変化の経緯があります。
"手(テイ)"には、"唐手(トウデイ)" "那覇手(ナーファデイ)" "首里手(スイデイ)" "泊手(トマリデイ)" "御殿手(ウドンデイ)" などが有名な、いくつかの系統があり、それぞれ鍛錬法も身体の使い方も型も違いがあります。広く知られていない流派もたくさんあったそうです。
本土に初めに手を伝えた船越義珍は首里手の人で、本土伝統派の松濤館はその首里手系だそうです。
松濤館からは、朝鮮併合で来日し修行をした人によってテコンドーが派生しました。
フルコンタクト空手を創始した大山倍達は主に那覇手系の本土伝統派の剛柔流を学んだそうです。
空手は、本土伝統派では他では糸東流や和道流が有名な流派です。
それらとは別の系統の玄制流や拳道会という有名な流派もあります。
沖縄系では、防具着用の試合ルールを採用している流派もあります。
フルコンタクト系は殆どが極真会館からの派生ですが、少林寺拳法から派生した白蓮会館といった流派もあります。
フルコンタクト系は、琉球の頃から続いている現在の沖縄の流派とは、身体の使い方がだいぶ違っています。
沖縄の琉球からの技術が多くは伝わっていないのではないかという部分と、フルコンタクト形式の競技が続いてきた中で独自の進歩を遂げた部分とがあると思います。
他の武術から取り入れられた技術もあります。
背足やスネでの蹴りはムエタイから。
後ろ回し系はテコンドーから。
中国武術の立站という鍛錬法を取り入れている道場もあります。
組手試合の競技化は、普及と、競技人全体の技術向上をもたらすという良い面がありますよね。
一方、寸止めにしても顔面手技無しフルコンタクトにしても、ルールの中に欠けている要素があり、それがそれぞれのルールのスタイルに長所と短所を生み出します。
競技志向の稽古をするか、実用志向の稽古をするか、選択は最終的には個人しだいですが、スポーツ的な競技として大会に挑む機会は若い時期のほうが得やすいと思います。
ただ、若さと体力だけをたよりにした内容のものをトレーニングしても、"武道"という考え方からは遠ざかったものを身につける事になってしまいますが。
型競技は、フルコンタクト系では少ないです。
伝統派の形競技は(伝統派は"形"と表記しますよね)、個人的には「これはどうなんだろう?」と思う点は多々あります。
数人で同じ形を同時に行う団体形など、何の意味があるのか…と思います。
シンクロナイズの美しさを追求して、どうしようというのか?
大人数で整列して基本や型を同時に行うのは、少人数の指導員が大人数の生徒を指導する為に生まれた形式です。それを、演武として披露するのは分かるのですが、競技にしてしまったのは、いったい誰のどんな感性なのか。
観せる、魅せる、感動を与える…などというのも、余計なことだと思います。
型には、見て分かりやすいものも、わかりづらいものもあります。それを、わざわざ空手を知らない人に、わかりやすく美しく見せることに、修行上の利点は全くありません。美しさを追求すれば、型はダンスに質が変わります。舞踊を装って修行する武術はありますが、それらとは正反対の事をやることになります。
今の伝統派の形競技は、行う人の空手を弱くしてしまうでしょう。
ちなみに、「伝統派」という括りかたは、普及していた全空連の競技スタイルに対して、新たに発生したフルコンタクトの競技スタイルが登場してから生まれた、分類の為の単語・ことばではないでしょうか。
もうその部分くらいでしか差が出ない所まで行きついているからではないでしょうか?
顔や所属名隠して判定するなら別ですが。
特に「バッサイ」などは流派ごとにかなり動きが違い、同じ型に見えないものもある。それを特定の流派のバッサイを「正」として指定してしまうのは如何なものかねぇ、と思う。松濤館・糸東流・少林流、全部動きが違うぞ。立ち方も違うし。だけど全空連空手で育った人達は、それに疑問を抱かない。何故なら決まり事を守らないと試合に勝てないから。
私の所は松濤館です
麻雀パイみたいな名前ねw
大阪の銀メダル保持者の彼女、
当然の敗北でした。
胴着にガバガバとノリが付いてて、貴女に動きが隠れました。
やはり、金メダリストの動きは力強く、実に切れが良く、力強さを感じました。
空手やってるのに意味分からんwwwwww
ち
ダンスしとらんと戦えよwww
形の試合見ても違いがわからない。
はたして、これはスポーツなのだろうか?
空手の形の競技が正式種目になるなら殺陣もラジオ体操も太極拳も正式種目になっても不思議でない。
そんなこと言ったら体操とか審査員が点数決める競技全部そうだよ?
@@ある-z4v そうでしょ
@@ぷら天-s2i ごめん意味がわからない
@@ある-z4v
少林寺拳法も合気道も日本舞踊もエアロビクスもオリンピック競技になるな。
組み手めっちゃ弱いんやろうな
ダンスが上手い人なら練習すれば同じくらいできるのではないかと思う。
それはない。ただ動きを真似するだけでは形にはならないよ
@@ある-z4v なるでしょ
@@ぷら天-s2i やったことあるの?空手
ないなら論外。あるなら何も学んでないじゃん
なめてんの?
練習の度合いにもよるけど空手の基礎がなければ切れは出ません