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私はこの作品と曲が好きです♪当時私が12才の今でも色褪せない想い出の作品です…♪🌠
私は、映画「時をかける少女」で描かれた「1983年4月16日(土曜日)の世界」と「1994年4月16日(土曜日)の世界」は、「2022年4月16日(土曜日)の世界」へ続く伏線であると考えていました。その理由は、大林宣彦監督が映画「時をかける少女」で描いた本編(とされたストーリー)は、その全部が「エンドロールへ続く伏線」となっていたからです。私は、2022年4月16日(土曜日)午後2時に尾道市立長江小学校の校庭片隅にある階段のところで「あの三人組」が保健室から下校するのを待ち構えていましたが、結局、その現場では何もありませんでした。同月17日(日曜日)午前10時27分(9:87)には、「芳山和子の家」とされた西久保町の旧K濱邸で誰かが現れるのを待ち構えていましたが誰にも会えませんでした。同月18日(月曜日)午後4時30分には、「深町一夫の家」とされた長江一丁目の門前で「あの曲」を心の中で合唱しましたが、私の目の前でその歌を歌う人は誰も現れませんでした。信じてもらえないかもしれませんが、これはウソではありません。主役を演じた原田知世さんも、尾美としのりさんも、みんなすべてのことを忘れてしまったのでしょうね。「時間は過ぎ去るものでなく、やってくるものなんだよ」というセリフを吐いた高柳さん本人までもがそのことを忘れてしまったのでしょう。
2022年11月28日に原田知世さんは55歳になりました。そこで、私は、その記念に同年12月1日に再び「深町一夫の家」へ行ってみたのですが、その際、旅館「山城戸荘」前の通りの角でとんでもない工事看板を見つけてしまいました。それは福山市内の配管工事業者が設置した工事看板でしたが、その表面に「1枚の住宅地図」が貼ってあったのです。な、な、な、な、な、な、な、な、なんと、その住宅地図には「半田安弘さん」の居宅が示されていたのです。半田さんは、尾道三部作で「地元コーディネーター」を担当された方の名です。39年もタイムリープしていたんですよ、半田さんの名が。信じてもらえないと思いますが、これはウソではありません。
エンドロールの最後を注視してください、「未開花の桜」と「西方寺普明閣の石灯籠」が映し込まれています。気づきましたか。「西方寺普明閣の石灯籠」は尾道の「住吉神社の石灯籠」のオマージュであって、それは小津安二郎監督の象徴です。テレポーテーションとタイムリープの原理について、芳山和子がニセの深町一夫から説明を受けたのが「西方寺普明閣の石灯籠」でした。では、「未開花の桜」は、いったい誰の象徴なのでしょうか。2033年4月16日(土曜日)、原田知世さんは、米国の映画「猿の惑星」で主役を演じたチャールトン・ヘストンさんの存在を遥かに超えます。人類の映画史において、半世紀を超えてその「続編」が発表されたことは過去に一度もありません。信じられませんか。では、思い出してください。「時間は過ぎ去るものでなく、やってくるものなんだ」っていうニセの深町のセリフを。
ラストで成長した和子が深町くんと廊下ですれ違うシーン、流れる音楽、とても切ないエンディングですね😢
1994年4月16日(土曜日)からちょうど30年に当たる本年2024年4月16日(火曜日)、あなたはどこにいましたか。わたくしは、福山大学の構内にいました。「時をかける少女」の本編とされたストーリーは、そのすべてがエンドロールのための伏線であったと評価して差し支えないと思います。ということは、当然、1994年4月16日(土曜日)の物語も伏線でしょう。2033年4月16日(土曜日)に注目してください。
「時をかける少女」の本編とされた映画のストーリーは、そのすべてが「エンドロールのための伏線」、そして「女優業を始めたばかりの知世さんの将来人生の伏線」であったと断言しても差し支えないはずです。ということは、合理的に考えて「1994年4月16日(土曜日)の物語」もきっと「伏線」であったはずです。いったいいつなのでしょうか、その伏線が回収されのは。私の考えによれば、それは「2033年4月16日(土曜日)」にやってきます。「どうして時間は過ぎ去っていくの?」、「過ぎ去っていくものではなく、時間はやって来るものなんだ」という二人の会話の意味を思い出してください。ところで、大林宣彦監督は、どうして「1983年4月16日(土曜日)」という特定の日を設定したのでしょうか。実は、その前日である「1983年4月15日(金曜日)」は東京ディズニーランドの開園日だったのです。その50周年記念日は国民的な記念イベントが行われることでしょう。大林監督の狙いはそこだったはずです。
お互いが別々で振り替える、そして和子の足音ジーンとしましたそしてその後の展開は?吾郎ちゃんもいい人だし、複雑な気分にもなりました。
@@ammtk48 返信ありがとうございます成る程ちかいうちにDVD見直してみますもうすぐ知世さんの誕生日でもありますしその辺りでゆっくりと見ることを楽しみに過ごします
@@飯田雄一-j3z 吾朗は、ハンカチを顔の上に載せる際、いったん後ろを振り返って誰も居ないことを確認した後、ハンカチを顔の上に載せて深呼吸をしました。その場面を目撃したのは「映画の視聴者だけ」であって、和子はその場面を見ていません。しかし、和子は、吾朗に「ありがとう。ごめんなさい。」と告げてから実験室へ向かい、そこでニセの深町一夫と会ったのです。和子は、吾朗の気持ちを何となく察していたはずです。二人は長い間一緒に居たのですから、当然、言葉にしてもらわなくてもその気持ちは理解できるのです。だから、2033年4月16日(土曜日)にどうぞ注目してください。私は、エンドロールの列車の中で和子が吾朗に手渡したものが気にかかっています。ニセの深町一夫に「菜の花」を手渡した後、和子は、吾朗に何か白い包みを手渡しています。
このエンディングは、当時斬新でとても話題になりましたね。驚きと楽しさという映画の醍醐味を味わさせてくれた大林宣彦監督は偉大です。🎉
知世さんの背後にある桜はどうして咲いてないのですか。2033年4月16日は何曜日ですか。その時、この映画は「猿の惑星」を超えます。
3:06原田知世さん演じる芳山和子が列車の中で堀川悟朗に手渡した「白い包み」はいったい何なのですか。その直前、和子がニセの深町一夫に手渡した「菜の花」とはどんな関わりがあるのでしょうか。これは、ひょっとして「2033年4月16日(土曜日)の物語」のシナリオなのではありませんか。
なんとも思ってなかった角川娘の一人だったのに、この映画で一発で大ファンになった。それほどの衝撃でした。
1983年4月17日(日曜日)9:87に目覚めた芳山和子は、母から「寝てた方がいいんじゃないの?」と告げられたにもかかわらず、前日借りたハンカチを堀川悟朗に返すために堀川醤油醸造所へ向かいます。悟朗は和子のクラスメイトですから、わざわざ日曜日に返しに行かなくてもよかったはずです。しかし、和子は、前日4月16日(土曜日)午後1時の異常な体験を悟朗にどうしても話したかったのでしょう。ところで、この場面で原田知世さんが演じた和子の手前に「物干し竿」と「洗濯物」が映し込まれますが、変だと思いませんでしたか。なぜでしょうか。また、次の場面で和子は「石の階段」で遊ぶ「二人の男の子」に出会います。なぜでしょうか。実は、前者は「東京物語」のワンシーンのオマージュであり、後者は「裸の島」に登場した太郎と次郎のオマージュなんですよ。1953年公開の「東京物語」の監督は小津安二郎さん、1960年公開の「裸の島」の監督は新藤兼人さんでした。翌日4月18日(月曜日)の一時限目は体育でした。あれっ、和子は「白いブルマ」を履いてますね。おかしいなと思いませんでしたか。だって、16日(土曜日)は生理中だったはずなのに。と思って見ていると、その日の放課後、弓道部の練習に参加した和子の背後には、なんと「赤いブルマ」を着用した女子バレーボール部員がたくさん現れるのでした。衝撃的なシーンでしたね。
大林宣彦監督作品は、とても好きで見に行きました。知世ちゃんも今も立派な女優さんで活躍されておりますね。当時が懐かしく思います😊🙇
信じられないことがこの私の目の前で起こりました。映画「35年目のラブレター」のクランクインの時刻ですが、それは2024年2月17日(土曜日)9:87でした。ウソではありません、本当のことです。
原田知世さん…可愛い😮
木下惠介監督・高峰秀子さん主演の「二十四の瞳」は、大林宣彦監督の映画「時をかける少女」の数々の場面で模倣されているのではないでしょうか。世間の人々によって広くは語られていませんが、「修学旅行の船上での香川マスノによる浜辺の歌独唱」は、原田知世さんがエンドロールの列車の中で歌う場面において忠実に再現されていると思います。オープニングシーンの「菜の花」と「桜の花」もそうです。また、大石先生が修学旅行先で偶然再会した「松江」の後ろ姿については、女優の根岸季衣さんが演じた立花先生の後ろ姿によって「松江が抱いたはずの真逆の感情」が忠実に再現されていると思います。大林監督は、その3年後に発表した映画「彼のオートバイ、彼女の島」で、知世さんの実姉である原田貴和子さんを主役に、そして、「二十四の瞳」で盲目の磯吉(ソンキ)を演じた田村高廣さんのことを「岩子島小学校の元校長」としてそれぞれ起用しているので、まず間違いないと思います。ただ、その一方で、深町家の温室の中で歌う「桃栗三年柿八年」の大林監督創作部分の歌詞が「二十四の瞳」のストーリーにまったく符合していないことだけは気にかかります。いかがでしょうか。
原田知世さんは私の中の南アルプスの天然水です!😍この声を聞くだけで、身体じゅうが浄化されてスーっとクールダウンします!最高です🤩
エンドロールの列車の中で、芳山和子は堀川悟朗に「白い包み」を手渡します。ニセの深町一夫に「菜の花」を渡した直後です。「白い包み」は、おそらく生前の大林宣彦監督が完成させていた「2033年4月16日(土曜日)の物語」のシナリオだったのでしょう。映画「時をかける少女」のストーリーはまだ終わっていません。
尾美としのりさんが演じた堀川吾朗は、どうして3度も「俺、ションベン行ってくる」と言うのでしょうか。もちろん映画「転校生」で尾美さんが演じた斉藤一夫は御袖天満宮の境内で小便を垂れました。しかし、その回数は3度もありませんでした。世間の人々によって多くは語られていませんが、これは小津安二郎監督の映画「東京物語」のパロディー系オマージュです。笠智衆さんが演じた平山周吉が家族との食事の席を外してトイレへ発ったこと、そして香川京子さんが演じた教師の平山京子が勤務先である尾道市立筒湯小学校へ出勤する都度、家族に対して「行って参ります」と告げたことです。平山京子は、異なる3つの場面で「行って参ります」と告げています。特に最初の場面では3回連続で「行って参ります」をごく自然に連発しています。
とっても可愛い。作者、ユーミン、そしてこの子、大好きです。
エンドロールの世界の中の芳山和子は、列車の中で何か「白い包み」を堀川吾朗に手渡しています。それは「駅弁」のようにも見えますが、何か文字が書かれているように見えます。いったい何なのでしょうか。和子がニセの深町一夫に手渡した菜の花は「早春」の象徴でしょうけれども、紐で包まれた「白い包み」が何だったのかについては一切の説明がありません。
@@mizusawa-hidenari 本当、何でしょうか。映画を高画質で見てみたいです。古いNHKドラマ『タイムトラベラー』も原作が『時をかける少女』だそうで、見てみたいです。
正直に言って、最初に観たときは、たいして面白くなかった。 しかし、その後、何年もたって観たら、良さがわかり、大好きになりました。
「菜の花や、月は東に、日は西に」の「菜の花」とは、木下惠介監督の映画「二十四の瞳」のことです。また、「月は東に、日は西に」とは「尾道水道を含む瀬戸内海」のことです。ウソではありません。4月中旬の夕方に向島の「兼吉の丘」へ行って尾道水道を眺めてみてください。
堀川醤油醸造所の煙突は、「二十四の瞳」のワンシーンのオマージュです。
高校時代にこの映画見た。今聴くと泣ける。もう58才。
まだまだ58歳ですよ!頑張って人生楽しみましょ!
まだまだ58歳ですよ!人生楽しみましょ!
1:17ここを左手に鋭角に曲がると「千光寺コーポ」及び「尾道海技学院」へ行けます。2024年11月2日に通行してみました。道幅は50cmほどしかない細い細い小路です。小路わきの竹藪が荒れ放題でした。県立尾道北高等学校の生徒さんでさえも、こんなに細く荒れた小路は通行しないと思います。
58歳ということは、「堀川吾朗」を演じた尾美としのりさんと同じ年齢ですね。また、映画「転校生」で小林聡美さんが演じた「斉藤一美」と同じ年齢です。一美の15歳の誕生日は「1981年7月12日(日曜日)」でしたから、一美の生年月日は「1966年7月12日生まれ」の渡辺美里さんと同一です。ところで、「堀川吾朗」は、どうして映画「時をかける少女」で3度も「俺、ションベン行ってくる」と言うのかご存知ですか。実は、このセリフは、小津安二郎監督の映画「東京物語」のパロディー系オマージュなんですよ。笠智衆さんが「東京物語」で演じた平山周吉は、用を足す目的で家族との食事の席を一度だけ外すのですが、香川京子さんが演じた平山京子は、勤務先である「尾道市立筒湯小学校」へ出勤する都度、家族に対して「行って参ります」と3度告げていたからなんです。特に最初の場面で、平山京子は「行って参ります」のセリフを連続3回ごく自然に発しています。「笠智衆さんの演技」と「香川京子さんのセリフ」を足し合わせて大林監督はパロディー化しているのです。ちなみに、「尾道市立筒湯小学校」の裏口に当たる場所が「北尾千津子の事故現場」とされた場所です。尾道市東久保町の坂道を登って来る石田ひかりさんが現れた地点、正にその場所に小津安二郎監督はカメラをセットし、1953年8月に筒湯小学校の木造校舎を撮影したのです。
映画「東京物語」を見る機会があれば、教師の平山京子が筒湯小学校の窓から汽車を見送る場面を注視してください。京子先生の背後には教室のカレンダーが映り込んでいます。その「12日」はいったい何曜日でしょうか。私は、この事実に40年以上気づかなかったのですが、京子先生の背後にあるカレンダーは「1953年7月の暦」です。「1953年7月12日(日曜日)」というのは、東山千榮子さんが演じた「平山とみ」が尾道で亡くなった日です。大林監督とそのスタッフが「斉藤一美」の15歳の誕生日を「1981年7月12日(日曜日)」に設定した理由は、「斉藤一美」が「平山とみ」の生まれ変わりであることを主張したかったからなのです。映画「東京物語」に登場する人物の会話を注意深く観察していると、平山周吉と妻のとみが東京から尾道に帰ったのが「1953年7月10日(金曜日)」であったことがわかります。
本編撮影時点で歌流してコレ撮ってたんだよなぁ。最初に見た時はマジで驚いた。
「本編」とされた映画のストーリーは、実は、そのすべてが「エンドロールのための伏線」だったのです。ということは、合理的に考えて「1994年4月16日(土曜日)の物語」も何らかの伏線であると理解するのが自然です。
私は、映画「時をかける少女」のストーリーはまだ終わっていないと考えています。その理由は、次の2つです。(1)エンドロールの列車の中で芳山和子は何か「白い包み」を堀川吾朗に手渡していること。(2)エンドロールの最後で知世さんの背後に「未開花の桜」がおそらく意図的に映し込まれていること。
いやー面白かった。今年GEOで初めてDVD借りて視聴しました。(≧∀≦)
2:38この場面で、芳山和子はニセの深町一夫に「菜の花」を手渡していますが、その直後、堀川悟朗に何らかの「白い包み」を手渡しています。この「白い包み」はいったい何なのでしょうか、分かる人がいたら教えてください。ところで、尾美としのりさんが演じた堀川悟朗は不自然に「俺、ションベンに行って来る」と3回も告げます。これは、小津安二郎監督の映画「東京物語」のパロディーなんですよ。笠智衆さんが演じた平山周吉は、妻とみの葬儀後、用を足すために家族との食事の席を一時的に外すのです。ただ、平山周吉が席を外した時は無言でしたし、しかもそれは1回だけです。どうして「3回」なのか気づいた人はいますか。その答えは、香川京子さんが演じた平山京子のセリフにあるのです。「(勤務先である筒湯小学校へ)行って参ります。」と3回告げたのは、京子先生でした。
「芳山和子、立花先生、福島先生」の3人が福島先生着用のネクタイについて語る場面は、どういうわけか立花先生を演じた根岸季衣さんの背後から撮影されています。あれっ?これと似た場面を映画「二十四の瞳」で見たことがありませんでしたか。「まっちゃんこと川本松江、大石先生、田村先生」が日帰り修学旅行先の大衆食堂で偶然再会した場面です。でも、「木下監督アングル」と「大林監督アングル」が真逆ですよね。これは、「立花先生の嬉しくて嬉しくてたまらない心情」と「まっちゃんの悲しくて悲しくてたまらない心情」とが真逆であることを視覚的に表現したオマージュだったはずです。また、「堀川醤油醸造所の煙突」が現れる場面の描写は、筒井康隆さんの原作にはありません。これは、「大石久子先生の家」が「小豆島の醤油屋の煙突」のそばにあったことを想起させるための大林監督による演出でしょう。
日曜夕方の笑点で当時の三遊亭円楽さんがこの映画にインスパイアされて「ラベンダーマン」とポーズまで付けてなされていたのを懐かしく思い出します。
世間の人々によって広く語られていませんが、大林宣彦監督の映画「時をかける少女」に現れる「菜の花」、「桜の花」及び「桃栗三年柿八年の歌」は、木下惠介監督の映画「二十四の瞳」に対する強烈な敬愛の念が込められたオマージュであると思います。「天ぷら一丁」という女児の声に反応して大石先生が「松江」と偶然に再会する場面は、とても印象深いものです。その後、「他人どんぶり一丁」っていうセリフもありますしね。「松江」を演じた12歳の女の子の悲しい悲しい後ろ姿は、根岸季衣さんが演じた立花先生の喜びを表す後ろ姿によってオマージュされていると思います。福島先生が着用したネクタイについて、芳山和子が立花先生の目の前で「素敵ですねって言いたかったんです、昨日。」と告げる場面です。真逆の感情のオマージュなのでわかりづらいと思いますが、その証拠に、大林宣彦監督は、「時をかける少女」の劇場公開から3年後、原田知世さんの姉である貴和子さんを主役に抜擢して「彼のオートバイ、彼女の島」を発表しています。「岩子島小学校の元校長」の役を演じたのが田村高廣さん(盲目の磯吉を演じた俳優)であることから、間違いないと思います。
天文館の映画館で観ました。今はたこ焼き府に住んでいますがリバイバル上映して欲しいです。映画の後半で深町くんの住む時代は人口が多いように言ってましたが、リアルの未来はどうなるんでしょうか?月日は百代の過客にして行きかふ年も又旅人なり
3:20西方寺普明閣の境内に「未開花の桜」が映し込まれているのはなぜですか。どうぞあなたのお考えを教えてください。ところで、「菜の花や、月は東に、日は西に」の「菜の花」とは、木下惠介監督の映画「二十四の瞳」のことです。また、「月は東に、日は西に」とは「尾道水道を含む瀬戸内海」のことです。ウソではありません。4月中旬の夕方に向島の「兼吉の丘」へ行って尾道水道を眺めてみてください。映画「転校生」で一美と一夫が家出する場面に綺麗な夕陽が現れるのは、小津安二郎監督の映画「東京物語」に出演した笠智衆さんのセリフ「あぁ、綺麗な夜明けだった。あぁ、今日も暑うなるぞ。」に直接的な関係があります。
クラスメートとともに歌を歌う場面は、木下監督の「に十四の瞳」のオマージュです。
原田知世さんと尾美としのりさんは現在も活躍してますが、深町くんが出てこない。
2011年5月7日(土曜日)の「大林・原田・高柳3氏共同宣言」を私は鵜呑みにしていました。当時は、2011年3月11日(金曜日)の原発事故直後であったため、世間の人々は動揺しており、「大林・原田・高柳3氏共同宣言」は、さほど注目を浴びませんでしたが、2011年4月16日も実は「土曜日」だったのです。「1994年4月16日(土曜日)の物語」は、「2022年4月16日(土曜日)の物語」への伏線だろうと私は考えていました。
信じられないと思いますが、「時をかける少女」の1番と2番の間には50年もの時間的な隔たりがあります。奇妙に感じませんでしたか、「時をかける少女」の2番目の歌詞。だって、原田知世さんが演じた芳山和子が足がもつれて、もつれて、会いたい人に会えなかった場面なんてありませんでした。また、それが理由で、涙で枕を濡らした場面なんてありませんよね。どういうことなのでしょうか。 >ゆうべの夢は金色 幼い頃に遊んだ庭 >ただずむあなたのそばへ走ってゆこうとするけれど >もつれてもつれて涙枕を濡らすの >時をかける少女 >空は宇宙の海よ >褪せた写真のあなたのかたわらに飛んでゆく実は、この問題のヒントは、1986年公開の映画「彼のオートバイ、彼女の島」にありました。田村高廣さんは、1954年に木下惠介監督の映画「二十四の瞳」で盲目のそんきを演じた俳優です。「菜の花」というのは高峰秀子さん主演の「二十四の瞳」のことで、「月は東に、日は西に」というのは「瀬戸内海」のことだったのです。「涙で枕を濡らした少女」、それは大石久子先生が修学旅行先の大衆食堂で偶然再会した「まっちゃん」こと松江のことだったのです。
ちょっと何言ってるかわからねっす😢
@@harasama1029 映画「時をかける少女」のクランクアップは、昭和58年(1983年)4月4日だったそうです。そして、木下惠介監督の映画「二十四の瞳」の冒頭の日は、昭和3年(1928年)4月4日でした。これは単なる偶然だったのでしょうか。また、昭和62年(1987年)11月28日(知世さんの20歳の誕生日)にCBSソニーから発売された「From T」のジャケット写真の知世さんは、制服姿で手には「ステッキ」を持っています。20歳なのに制服姿?変ですよね。そして、複数の少年少女がその傍らで撮影風景を見守っています。どこかで見たことがありませんか、この風景。昭和8年(1933年)秋の日帰り修学旅行の船上で香川マスノが「浜辺の歌」を独唱した時、彼女は制服姿でした。また、「ステッキ」は、12人の児童たちと会った時、大石久子先生が手にしていた「松葉杖」のことを想起させるための演出だったのではありませんか。
@@harasama1029 「小石先生(大石先生のこと)の家、あの醤油屋の煙突の近く」っていうセリフに気づきましたか。
レットイットビーに似てる
私はこの作品と曲が好きです♪当時私が12才の今でも色褪せない想い出の作品です…♪🌠
私は、映画「時をかける少女」で描かれた「1983年4月16日(土曜日)の世界」と「1994年4月16日(土曜日)の世界」は、「2022年4月16日(土曜日)の世界」へ続く伏線であると考えていました。
その理由は、大林宣彦監督が映画「時をかける少女」で描いた本編(とされたストーリー)は、その全部が「エンドロールへ続く伏線」となっていたからです。
私は、2022年4月16日(土曜日)午後2時に尾道市立長江小学校の校庭片隅にある階段のところで「あの三人組」が保健室から下校するのを待ち構えていましたが、結局、その現場では何もありませんでした。
同月17日(日曜日)午前10時27分(9:87)には、「芳山和子の家」とされた西久保町の旧K濱邸で誰かが現れるのを待ち構えていましたが誰にも会えませんでした。
同月18日(月曜日)午後4時30分には、「深町一夫の家」とされた長江一丁目の門前で「あの曲」を心の中で合唱しましたが、私の目の前でその歌を歌う人は誰も現れませんでした。
信じてもらえないかもしれませんが、これはウソではありません。
主役を演じた原田知世さんも、尾美としのりさんも、みんなすべてのことを忘れてしまったのでしょうね。
「時間は過ぎ去るものでなく、やってくるものなんだよ」というセリフを吐いた高柳さん本人までもがそのことを忘れてしまったのでしょう。
2022年11月28日に原田知世さんは55歳になりました。
そこで、私は、その記念に同年12月1日に再び「深町一夫の家」へ行ってみたのですが、その際、旅館「山城戸荘」前の通りの角でとんでもない工事看板を見つけてしまいました。
それは福山市内の配管工事業者が設置した工事看板でしたが、その表面に「1枚の住宅地図」が貼ってあったのです。
な、な、な、な、な、な、な、な、なんと、その住宅地図には「半田安弘さん」の居宅が示されていたのです。
半田さんは、尾道三部作で「地元コーディネーター」を担当された方の名です。
39年もタイムリープしていたんですよ、半田さんの名が。
信じてもらえないと思いますが、これはウソではありません。
エンドロールの最後を注視してください、「未開花の桜」と「西方寺普明閣の石灯籠」が映し込まれています。
気づきましたか。
「西方寺普明閣の石灯籠」は尾道の「住吉神社の石灯籠」のオマージュであって、それは小津安二郎監督の象徴です。
テレポーテーションとタイムリープの原理について、芳山和子がニセの深町一夫から説明を受けたのが「西方寺普明閣の石灯籠」でした。
では、「未開花の桜」は、いったい誰の象徴なのでしょうか。
2033年4月16日(土曜日)、原田知世さんは、米国の映画「猿の惑星」で主役を演じたチャールトン・ヘストンさんの存在を遥かに超えます。
人類の映画史において、半世紀を超えてその「続編」が発表されたことは過去に一度もありません。
信じられませんか。
では、思い出してください。
「時間は過ぎ去るものでなく、やってくるものなんだ」っていうニセの深町のセリフを。
ラストで成長した和子が深町くんと廊下ですれ違うシーン、流れる音楽、とても切ないエンディングですね😢
1994年4月16日(土曜日)からちょうど30年に当たる本年2024年4月16日(火曜日)、あなたはどこにいましたか。
わたくしは、福山大学の構内にいました。
「時をかける少女」の本編とされたストーリーは、そのすべてがエンドロールのための伏線であったと評価して差し支えないと思います。
ということは、当然、1994年4月16日(土曜日)の物語も伏線でしょう。
2033年4月16日(土曜日)に注目してください。
「時をかける少女」の本編とされた映画のストーリーは、そのすべてが「エンドロールのための伏線」、そして「女優業を始めたばかりの知世さんの将来人生の伏線」であったと断言しても差し支えないはずです。
ということは、合理的に考えて「1994年4月16日(土曜日)の物語」もきっと「伏線」であったはずです。
いったいいつなのでしょうか、その伏線が回収されのは。
私の考えによれば、それは「2033年4月16日(土曜日)」にやってきます。
「どうして時間は過ぎ去っていくの?」、「過ぎ去っていくものではなく、時間はやって来るものなんだ」という二人の会話の意味を思い出してください。
ところで、大林宣彦監督は、どうして「1983年4月16日(土曜日)」という特定の日を設定したのでしょうか。
実は、その前日である「1983年4月15日(金曜日)」は東京ディズニーランドの開園日だったのです。
その50周年記念日は国民的な記念イベントが行われることでしょう。
大林監督の狙いはそこだったはずです。
お互いが別々で振り替える、そして和子の足音
ジーンとしました
そしてその後の展開は?
吾郎ちゃんもいい人だし、複雑な気分にもなりました。
@@ammtk48
返信ありがとうございます
成る程ちかいうちにDVD見直してみます
もうすぐ知世さんの誕生日でもありますしその辺りでゆっくりと見ることを楽しみに過ごします
@@飯田雄一-j3z
吾朗は、ハンカチを顔の上に載せる際、いったん後ろを振り返って誰も居ないことを確認した後、ハンカチを顔の上に載せて深呼吸をしました。
その場面を目撃したのは「映画の視聴者だけ」であって、和子はその場面を見ていません。
しかし、和子は、吾朗に「ありがとう。ごめんなさい。」と告げてから実験室へ向かい、そこでニセの深町一夫と会ったのです。
和子は、吾朗の気持ちを何となく察していたはずです。
二人は長い間一緒に居たのですから、当然、言葉にしてもらわなくてもその気持ちは理解できるのです。
だから、2033年4月16日(土曜日)にどうぞ注目してください。
私は、エンドロールの列車の中で和子が吾朗に手渡したものが気にかかっています。
ニセの深町一夫に「菜の花」を手渡した後、和子は、吾朗に何か白い包みを手渡しています。
このエンディングは、当時斬新でとても話題になりましたね。驚きと楽しさという映画の醍醐味を味わさせてくれた大林宣彦監督は偉大です。🎉
知世さんの背後にある桜はどうして咲いてないのですか。
2033年4月16日は何曜日ですか。
その時、この映画は「猿の惑星」を超えます。
3:06
原田知世さん演じる芳山和子が列車の中で堀川悟朗に手渡した「白い包み」はいったい何なのですか。
その直前、和子がニセの深町一夫に手渡した「菜の花」とはどんな関わりがあるのでしょうか。
これは、ひょっとして「2033年4月16日(土曜日)の物語」のシナリオなのではありませんか。
なんとも思ってなかった角川娘の一人だったのに、この映画で一発で大ファンになった。
それほどの衝撃でした。
1983年4月17日(日曜日)9:87に目覚めた芳山和子は、母から「寝てた方がいいんじゃないの?」と告げられたにもかかわらず、前日借りたハンカチを堀川悟朗に返すために堀川醤油醸造所へ向かいます。
悟朗は和子のクラスメイトですから、わざわざ日曜日に返しに行かなくてもよかったはずです。
しかし、和子は、前日4月16日(土曜日)午後1時の異常な体験を悟朗にどうしても話したかったのでしょう。
ところで、この場面で原田知世さんが演じた和子の手前に「物干し竿」と「洗濯物」が映し込まれますが、変だと思いませんでしたか。
なぜでしょうか。
また、次の場面で和子は「石の階段」で遊ぶ「二人の男の子」に出会います。
なぜでしょうか。
実は、前者は「東京物語」のワンシーンのオマージュであり、後者は「裸の島」に登場した太郎と次郎のオマージュなんですよ。
1953年公開の「東京物語」の監督は小津安二郎さん、1960年公開の「裸の島」の監督は新藤兼人さんでした。
翌日4月18日(月曜日)の一時限目は体育でした。
あれっ、和子は「白いブルマ」を履いてますね。
おかしいなと思いませんでしたか。
だって、16日(土曜日)は生理中だったはずなのに。
と思って見ていると、その日の放課後、弓道部の練習に参加した和子の背後には、なんと「赤いブルマ」を着用した女子バレーボール部員がたくさん現れるのでした。
衝撃的なシーンでしたね。
大林宣彦監督作品は、とても好きで見に行きました。知世ちゃんも今も立派な女優さんで活躍されておりますね。当時が懐かしく思います😊🙇
信じられないことがこの私の目の前で起こりました。
映画「35年目のラブレター」のクランクインの時刻ですが、それは2024年2月17日(土曜日)9:87でした。
ウソではありません、本当のことです。
原田知世さん…可愛い😮
木下惠介監督・高峰秀子さん主演の「二十四の瞳」は、大林宣彦監督の映画「時をかける少女」の数々の場面で模倣されているのではないでしょうか。
世間の人々によって広くは語られていませんが、「修学旅行の船上での香川マスノによる浜辺の歌独唱」は、原田知世さんがエンドロールの列車の中で歌う場面において忠実に再現されていると思います。
オープニングシーンの「菜の花」と「桜の花」もそうです。
また、大石先生が修学旅行先で偶然再会した「松江」の後ろ姿については、女優の根岸季衣さんが演じた立花先生の後ろ姿によって「松江が抱いたはずの真逆の感情」が忠実に再現されていると思います。
大林監督は、その3年後に発表した映画「彼のオートバイ、彼女の島」で、知世さんの実姉である原田貴和子さんを主役に、そして、「二十四の瞳」で盲目の磯吉(ソンキ)を演じた田村高廣さんのことを「岩子島小学校の元校長」としてそれぞれ起用しているので、まず間違いないと思います。
ただ、その一方で、深町家の温室の中で歌う「桃栗三年柿八年」の大林監督創作部分の歌詞が「二十四の瞳」のストーリーにまったく符合していないことだけは気にかかります。
いかがでしょうか。
原田知世さんは私の中の南アルプスの天然水です!😍
この声を聞くだけで、身体じゅうが浄化されてスーっとクールダウンします!最高です🤩
エンドロールの列車の中で、芳山和子は堀川悟朗に「白い包み」を手渡します。
ニセの深町一夫に「菜の花」を渡した直後です。
「白い包み」は、おそらく生前の大林宣彦監督が完成させていた「2033年4月16日(土曜日)の物語」のシナリオだったのでしょう。
映画「時をかける少女」のストーリーはまだ終わっていません。
尾美としのりさんが演じた堀川吾朗は、どうして3度も「俺、ションベン行ってくる」と言うのでしょうか。
もちろん映画「転校生」で尾美さんが演じた斉藤一夫は御袖天満宮の境内で小便を垂れました。
しかし、その回数は3度もありませんでした。
世間の人々によって多くは語られていませんが、これは小津安二郎監督の映画「東京物語」のパロディー系オマージュです。
笠智衆さんが演じた平山周吉が家族との食事の席を外してトイレへ発ったこと、そして香川京子さんが演じた教師の平山京子が勤務先である尾道市立筒湯小学校へ出勤する都度、家族に対して「行って参ります」と告げたことです。
平山京子は、異なる3つの場面で「行って参ります」と告げています。
特に最初の場面では3回連続で「行って参ります」をごく自然に連発しています。
とっても可愛い。作者、ユーミン、そしてこの子、大好きです。
エンドロールの世界の中の芳山和子は、列車の中で何か「白い包み」を堀川吾朗に手渡しています。
それは「駅弁」のようにも見えますが、何か文字が書かれているように見えます。
いったい何なのでしょうか。
和子がニセの深町一夫に手渡した菜の花は「早春」の象徴でしょうけれども、紐で包まれた「白い包み」が何だったのかについては一切の説明がありません。
@@mizusawa-hidenari 本当、何でしょうか。映画を高画質で見てみたいです。古いNHKドラマ『タイムトラベラー』も原作が『時をかける少女』だそうで、見てみたいです。
正直に言って、最初に観たときは、たいして面白くなかった。 しかし、その後、何年もたって観たら、良さがわかり、大好きになりました。
「菜の花や、月は東に、日は西に」の「菜の花」とは、木下惠介監督の映画「二十四の瞳」のことです。
また、「月は東に、日は西に」とは「尾道水道を含む瀬戸内海」のことです。
ウソではありません。
4月中旬の夕方に向島の「兼吉の丘」へ行って尾道水道を眺めてみてください。
堀川醤油醸造所の煙突は、「二十四の瞳」のワンシーンのオマージュです。
高校時代にこの映画見た。
今聴くと泣ける。もう58才。
まだまだ58歳ですよ!頑張って人生楽しみましょ!
まだまだ58歳ですよ!人生楽しみましょ!
1:17
ここを左手に鋭角に曲がると「千光寺コーポ」及び「尾道海技学院」へ行けます。
2024年11月2日に通行してみました。
道幅は50cmほどしかない細い細い小路です。
小路わきの竹藪が荒れ放題でした。
県立尾道北高等学校の生徒さんでさえも、こんなに細く荒れた小路は通行しないと思います。
58歳ということは、「堀川吾朗」を演じた尾美としのりさんと同じ年齢ですね。
また、映画「転校生」で小林聡美さんが演じた「斉藤一美」と同じ年齢です。
一美の15歳の誕生日は「1981年7月12日(日曜日)」でしたから、一美の生年月日は「1966年7月12日生まれ」の渡辺美里さんと同一です。
ところで、「堀川吾朗」は、どうして映画「時をかける少女」で3度も「俺、ションベン行ってくる」と言うのかご存知ですか。
実は、このセリフは、小津安二郎監督の映画「東京物語」のパロディー系オマージュなんですよ。
笠智衆さんが「東京物語」で演じた平山周吉は、用を足す目的で家族との食事の席を一度だけ外すのですが、香川京子さんが演じた平山京子は、勤務先である「尾道市立筒湯小学校」へ出勤する都度、家族に対して「行って参ります」と3度告げていたからなんです。
特に最初の場面で、平山京子は「行って参ります」のセリフを連続3回ごく自然に発しています。
「笠智衆さんの演技」と「香川京子さんのセリフ」を足し合わせて大林監督はパロディー化しているのです。
ちなみに、「尾道市立筒湯小学校」の裏口に当たる場所が「北尾千津子の事故現場」とされた場所です。
尾道市東久保町の坂道を登って来る石田ひかりさんが現れた地点、正にその場所に小津安二郎監督はカメラをセットし、1953年8月に筒湯小学校の木造校舎を撮影したのです。
映画「東京物語」を見る機会があれば、教師の平山京子が筒湯小学校の窓から汽車を見送る場面を注視してください。
京子先生の背後には教室のカレンダーが映り込んでいます。
その「12日」はいったい何曜日でしょうか。
私は、この事実に40年以上気づかなかったのですが、京子先生の背後にあるカレンダーは「1953年7月の暦」です。
「1953年7月12日(日曜日)」というのは、東山千榮子さんが演じた「平山とみ」が尾道で亡くなった日です。
大林監督とそのスタッフが「斉藤一美」の15歳の誕生日を「1981年7月12日(日曜日)」に設定した理由は、「斉藤一美」が「平山とみ」の生まれ変わりであることを主張したかったからなのです。
映画「東京物語」に登場する人物の会話を注意深く観察していると、平山周吉と妻のとみが東京から尾道に帰ったのが「1953年7月10日(金曜日)」であったことがわかります。
本編撮影時点で歌流してコレ撮ってたんだよなぁ。最初に見た時はマジで驚いた。
「本編」とされた映画のストーリーは、実は、そのすべてが「エンドロールのための伏線」だったのです。
ということは、合理的に考えて「1994年4月16日(土曜日)の物語」も何らかの伏線であると理解するのが自然です。
私は、映画「時をかける少女」のストーリーはまだ終わっていないと考えています。
その理由は、次の2つです。
(1)エンドロールの列車の中で芳山和子は何か「白い包み」を堀川吾朗に手渡していること。
(2)エンドロールの最後で知世さんの背後に「未開花の桜」がおそらく意図的に映し込まれていること。
いやー面白かった。今年GEOで初めてDVD借りて視聴しました。(≧∀≦)
2:38
この場面で、芳山和子はニセの深町一夫に「菜の花」を手渡していますが、その直後、堀川悟朗に何らかの「白い包み」を手渡しています。
この「白い包み」はいったい何なのでしょうか、分かる人がいたら教えてください。
ところで、尾美としのりさんが演じた堀川悟朗は不自然に「俺、ションベンに行って来る」と3回も告げます。
これは、小津安二郎監督の映画「東京物語」のパロディーなんですよ。
笠智衆さんが演じた平山周吉は、妻とみの葬儀後、用を足すために家族との食事の席を一時的に外すのです。
ただ、平山周吉が席を外した時は無言でしたし、しかもそれは1回だけです。
どうして「3回」なのか気づいた人はいますか。
その答えは、香川京子さんが演じた平山京子のセリフにあるのです。
「(勤務先である筒湯小学校へ)行って参ります。」と3回告げたのは、京子先生でした。
「芳山和子、立花先生、福島先生」の3人が福島先生着用のネクタイについて語る場面は、どういうわけか立花先生を演じた根岸季衣さんの背後から撮影されています。
あれっ?
これと似た場面を映画「二十四の瞳」で見たことがありませんでしたか。
「まっちゃんこと川本松江、大石先生、田村先生」が日帰り修学旅行先の大衆食堂で偶然再会した場面です。
でも、「木下監督アングル」と「大林監督アングル」が真逆ですよね。
これは、「立花先生の嬉しくて嬉しくてたまらない心情」と「まっちゃんの悲しくて悲しくてたまらない心情」とが真逆であることを視覚的に表現したオマージュだったはずです。
また、「堀川醤油醸造所の煙突」が現れる場面の描写は、筒井康隆さんの原作にはありません。
これは、「大石久子先生の家」が「小豆島の醤油屋の煙突」のそばにあったことを想起させるための大林監督による演出でしょう。
日曜夕方の笑点で当時の三遊亭円楽さんがこの映画にインスパイアされて「ラベンダーマン」とポーズまで付けてなされていたのを懐かしく思い出します。
世間の人々によって広く語られていませんが、大林宣彦監督の映画「時をかける少女」に現れる「菜の花」、「桜の花」及び「桃栗三年柿八年の歌」は、木下惠介監督の映画「二十四の瞳」に対する強烈な敬愛の念が込められたオマージュであると思います。
「天ぷら一丁」という女児の声に反応して大石先生が「松江」と偶然に再会する場面は、とても印象深いものです。
その後、「他人どんぶり一丁」っていうセリフもありますしね。
「松江」を演じた12歳の女の子の悲しい悲しい後ろ姿は、根岸季衣さんが演じた立花先生の喜びを表す後ろ姿によってオマージュされていると思います。
福島先生が着用したネクタイについて、芳山和子が立花先生の目の前で「素敵ですねって言いたかったんです、昨日。」と告げる場面です。
真逆の感情のオマージュなのでわかりづらいと思いますが、その証拠に、大林宣彦監督は、「時をかける少女」の劇場公開から3年後、原田知世さんの姉である貴和子さんを主役に抜擢して「彼のオートバイ、彼女の島」を発表しています。
「岩子島小学校の元校長」の役を演じたのが田村高廣さん(盲目の磯吉を演じた俳優)であることから、間違いないと思います。
天文館の映画館で観ました。今はたこ焼き府に住んでいますがリバイバル上映して欲しいです。映画の後半で深町くんの住む時代は人口が多いように言ってましたが、リアルの未来はどうなるんでしょうか?
月日は百代の過客にして行きかふ年も又旅人なり
3:20
西方寺普明閣の境内に「未開花の桜」が映し込まれているのはなぜですか。
どうぞあなたのお考えを教えてください。
ところで、「菜の花や、月は東に、日は西に」の「菜の花」とは、木下惠介監督の映画「二十四の瞳」のことです。
また、「月は東に、日は西に」とは「尾道水道を含む瀬戸内海」のことです。
ウソではありません。
4月中旬の夕方に向島の「兼吉の丘」へ行って尾道水道を眺めてみてください。
映画「転校生」で一美と一夫が家出する場面に綺麗な夕陽が現れるのは、小津安二郎監督の映画「東京物語」に出演した笠智衆さんのセリフ「あぁ、綺麗な夜明けだった。あぁ、今日も暑うなるぞ。」に直接的な関係があります。
クラスメートとともに歌を歌う場面は、木下監督の「に十四の瞳」のオマージュです。
原田知世さんと尾美としのりさんは現在も活躍してますが、深町くんが出てこない。
2011年5月7日(土曜日)の「大林・原田・高柳3氏共同宣言」を私は鵜呑みにしていました。
当時は、2011年3月11日(金曜日)の原発事故直後であったため、世間の人々は動揺しており、「大林・原田・高柳3氏共同宣言」は、さほど注目を浴びませんでしたが、2011年4月16日も実は「土曜日」だったのです。
「1994年4月16日(土曜日)の物語」は、「2022年4月16日(土曜日)の物語」への伏線だろうと私は考えていました。
信じられないと思いますが、「時をかける少女」の1番と2番の間には50年もの時間的な隔たりがあります。
奇妙に感じませんでしたか、「時をかける少女」の2番目の歌詞。
だって、原田知世さんが演じた芳山和子が足がもつれて、もつれて、会いたい人に会えなかった場面なんてありませんでした。
また、それが理由で、涙で枕を濡らした場面なんてありませんよね。
どういうことなのでしょうか。
>ゆうべの夢は金色 幼い頃に遊んだ庭
>ただずむあなたのそばへ走ってゆこうとするけれど
>もつれてもつれて涙枕を濡らすの
>時をかける少女
>空は宇宙の海よ
>褪せた写真のあなたのかたわらに飛んでゆく
実は、この問題のヒントは、1986年公開の映画「彼のオートバイ、彼女の島」にありました。
田村高廣さんは、1954年に木下惠介監督の映画「二十四の瞳」で盲目のそんきを演じた俳優です。
「菜の花」というのは高峰秀子さん主演の「二十四の瞳」のことで、「月は東に、日は西に」というのは「瀬戸内海」のことだったのです。
「涙で枕を濡らした少女」、それは大石久子先生が修学旅行先の大衆食堂で偶然再会した「まっちゃん」こと松江のことだったのです。
ちょっと何言ってるかわからねっす😢
@@harasama1029
映画「時をかける少女」のクランクアップは、昭和58年(1983年)4月4日だったそうです。
そして、木下惠介監督の映画「二十四の瞳」の冒頭の日は、昭和3年(1928年)4月4日でした。
これは単なる偶然だったのでしょうか。
また、昭和62年(1987年)11月28日(知世さんの20歳の誕生日)にCBSソニーから発売された「From T」のジャケット写真の知世さんは、制服姿で手には「ステッキ」を持っています。
20歳なのに制服姿?変ですよね。
そして、複数の少年少女がその傍らで撮影風景を見守っています。
どこかで見たことがありませんか、この風景。
昭和8年(1933年)秋の日帰り修学旅行の船上で香川マスノが「浜辺の歌」を独唱した時、彼女は制服姿でした。
また、「ステッキ」は、12人の児童たちと会った時、大石久子先生が手にしていた「松葉杖」のことを想起させるための演出だったのではありませんか。
@@harasama1029
「小石先生(大石先生のこと)の家、あの醤油屋の煙突の近く」っていうセリフに気づきましたか。
レットイットビーに似てる