あほうは神ののぞみ(大教会長の神殿講話) 2024.11.21 | 天理教繁藤大教会

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  • Опубліковано 14 гру 2024

КОМЕНТАРІ • 4

  • @Michi-6783
    @Michi-6783 7 днів тому +1

    こうまんの心、あほうは神の望み😊 とてもわかりやすくて勉強になりました

  • @hon-aigrandchurch1680
    @hon-aigrandchurch1680 23 дні тому +4

    いつも良いお話をありがとうございます✨😊

    • @shigeto-tenrikyo
      @shigeto-tenrikyo  22 дні тому +1

      ご視聴ならびに嬉しいコメントありがとうございます✨

    • @隆太田-q1r
      @隆太田-q1r 9 днів тому

      法然上人ほ「一枚起請文」に「愚鈍の身になして」というのがありまして、最初の部分で観念や勉強をして理解をする念仏でないと。何はともかく理屈抜きで「南無阿弥陀仏」と唱えなさい。愚鈍とは単なるバカでなく、「すなお」であることであります。これはこと天理教だけでなく、宗教すべてに言えます。しかし、「プライド」というのが、なかなかうざいものあります。良く言えば「誇り」であり、悪く言えば「埃」にもなる諸刃の剣であります。
      しかし「バカ」になるのはいざかいも起こらず、「和」であります。高慢は自と他を区別する地獄であり、自と他を平等にするのは極楽であります。この世を極楽にするのは天理教のいう「ようきぐらし」でしょう。空海は「それ仏法遥かにあらず心中即ち近し。真如いずくんぞ求めん。」