Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
動画配信に感謝。本来なら三遊亭小遊三という名前は次に三遊亭遊三の名跡を継ぐための名前なのだが、三代目三遊亭遊三が健在のまま、小遊三師匠はもう77歳と。
流石はマムシさんだわ〜小遊三師匠を相手に掛け合いみたいなトークで面白いな山梨県の地元トークも勉強になって楽しかった
小遊三師匠、全然お変わりなくて嬉しいですね!!!
爺二人で軽快にすっとぼけた馬鹿な話してる笑頼もし過ぎる😆
しかしマムシさんも小遊三師匠も元気で見ていると嬉しくなってくる😃
このお二人は子供の頃から好きだなぁ〜😊
小遊三こと、天野さんがまむしさんのチャンネルでてくれてるの、うれしいです!毒蝮さんの芸名の由来が、初代笑点司会者の談志さんに、お前は毒をつけろと言われてそうなったそうですね。木久扇さんが、85か86ですが、まむしさんが88でまだ健在ですごいです。天野さんは、うちの母が74だから、78かな?年上ですがまだ元気ですごいと思います。地元大月を、笑点ではネタにしてますが、聖火ランナーとして、高3のとき、東京オリンピックで、地元を走ったと聞いたことがあって、ずっと卓球やってきたからさすがだと思いました。
笑点の大喜利で下ネタと言えば小遊三師匠😮
こうした話を噺家さんと出来る、マムシさん粋としか😄此からも楽しみにしています。
小遊三師匠のお囃子が見たくて笑点を見てたまである少年時代の思い出が蘇ります。その当時と面影全く変わって無くてビックリです。終始マムちゃんと小遊三師匠から飛び出す話が、言葉が、小気味よくて面白くて、ずっと爆笑しながら見てました😂🤣
さすが〜マムシさんと小遊三師匠の次から次へと飛び出すトークがユーモアたっぷりでとっても楽しかったで〜す❣️👏
小遊三さん、さすがヨネスケさんと、野球選手の形態模写を、やっていたから野球にくわしい(星野仙一氏、ビートたけしさんと明治大学の同級生)落語家でひょうきん族にでた最初のひと、(さんまさんもそうだが)あとMBSテレビの5分番組世界ものしり館もやっていた。(声優の小宮和枝さんと一緒に)林家たい平さんとの大月、秩父の罵倒合戦はオモロイ
Oh!! 『笑点』メンバーそろい踏み!!私も知らなかったけど、アラシ(フルハシ)隊員が座布団運んでたのは驚きです!!
今度はまさかの小遊三師匠⁉️⁉️😳😳😳
マムちゃんねる #毒蝮三太夫さん三遊亭小遊三/前編ですね三遊亭小遊三ちゃんと山梨県の思い出話をする笑点では懐かしの仲ですね落語芸術協会所属、同協会参事1964年の東京オリンピックでは聖火ランナーに抜擢される素晴らしいスポーツマンですね.
笑点の、新旧メンバーですね。
笑点コンビ
好楽師匠と共に笑点に無くては・なら無い存在で有ります・・便所で御尻を拭く(副)会長や食い逃げ(笑)等・・色々有りますが(林家)たい平師匠との大月と秩父の罵り合いバトルは・・かつての故・桂歌丸師匠と故・円楽(楽太郎)師匠とのバトルと同じくらい面白いで有りますね。
いつも、笑点でたい平から大月って言われてたから 初めの大月って言われるとビクって反応したから笑いそうになったwww 😂
「ミュージックプレゼント」と「ミュージックキャラバン」、TBSラジオ二大公開番組揃い踏みすね😊中三のとき、小遊三師匠のミュージックキャラバンに出ました😊その日発売の松田聖子の新曲掛けられてウルトラCコース玉砕😅 ポケットラジオ貰えず、三井物産の詰め合わせ貰って帰りました😂
都留高校が甲子園にでた時は、矢頭さんがピッチャー、西村さんがキャッチャーでした。お二人とも60代で亡くなられたのが残念です
恐ろしい。野沢さんといい、まむしさんといい、88の人が未だにご健在というのが。笑ってりゃいいのか…そうか88だもんなハッハー!!(笑)
悠々ワイドの蝮さんのミュージックプレゼントのピンチヒッターの時に、悠里さんから本名で呼ばれて「身も蓋もなくなっちゃうからやめて」って言ってた(笑)
天野幸夫さん
流石の反射神経
林家木久扇師匠の弟弟子の林家正雀師匠は三遊亭小遊三師匠のご近所で小学校中学校の後輩さんだそうですね😊
ボルタリングのような階段を見たいです。後編は落語の話になるのでしょうか。
マムシ師匠がもしも平成生まれだったら、あっという間に芸能界引退に追い込まれてただろうなw
蝮さん我が母校の後輩育成ドラフト2位指名堀江正太郎くん宜しくお願いします。
立川ぜん馬師匠の訃報心よりお悔やみ申し上げます。
中央特快、大月行
“笑点”は、小圓遊さんが亡くなられて小遊三さんにバトンタッチしたのだったかな?
いや、古今亭朝次さん(現、桂才賀さん)です。その2、3年後朝次さんと交代したんじゃないかな。朝次さんはピンクの着物、三遊亭好楽さん(当時林家九蔵さん)が、いまの小遊三さんの水色の着物でした。それが、小遊三さんに変わって、九蔵さんが、ピンク、小遊三さんが水色に、また小遊三さんは、若いとき好楽さんの実家に居候というか、下宿されてました。好楽さんは8人兄弟で、大家族、一人増えても気にならなかったそうです。
動画配信に感謝。本来なら三遊亭小遊三という名前は次に三遊亭遊三の名跡を継ぐための名前なのだが、三代目三遊亭遊三が健在のまま、小遊三師匠はもう77歳と。
流石はマムシさんだわ〜小遊三師匠を相手に掛け合いみたいなトークで面白いな
山梨県の地元トークも勉強になって楽しかった
小遊三師匠、全然お変わりなくて嬉しいですね!!!
爺二人で軽快にすっとぼけた馬鹿な話してる笑
頼もし過ぎる😆
しかしマムシさんも小遊三師匠も元気で見ていると嬉しくなってくる😃
このお二人は子供の頃から好きだなぁ〜😊
小遊三こと、天野さんがまむしさんのチャンネルでてくれてるの、うれしいです!
毒蝮さんの芸名の由来が、初代笑点司会者の談志さんに、お前は毒をつけろと言われてそうなったそうですね。木久扇さんが、85か86ですが、まむしさんが88でまだ健在ですごいです。天野さんは、うちの母が74だから、78かな?年上ですがまだ元気ですごいと思います。地元大月を、笑点ではネタにしてますが、聖火ランナーとして、高3のとき、東京オリンピックで、地元を走ったと聞いたことがあって、ずっと卓球やってきたからさすがだと思いました。
笑点の大喜利で下ネタと言えば小遊三師匠😮
こうした話を噺家さんと出来る、マムシさん粋としか😄此からも楽しみにしています。
小遊三師匠のお囃子が見たくて笑点を見てたまである少年時代の思い出が蘇ります。その当時と面影全く変わって無くてビックリです。
終始マムちゃんと小遊三師匠から飛び出す話が、言葉が、小気味よくて面白くて、ずっと爆笑しながら見てました😂🤣
さすが〜マムシさんと小遊三師匠の次から次へと飛び出すトークがユーモアたっぷりでとっても楽しかったで〜す❣️👏
小遊三さん、さすがヨネスケさんと、野球選手の形態模写を、やっていたから野球にくわしい(星野仙一氏、ビートたけしさんと明治大学の同級生)落語家でひょうきん族にでた最初のひと、(さんまさんもそうだが)あとMBSテレビの5分番組世界ものしり館もやっていた。(声優の小宮和枝さんと一緒に)林家たい平さんとの大月、秩父の罵倒合戦はオモロイ
Oh!! 『笑点』メンバーそろい踏み!!
私も知らなかったけど、アラシ(フルハシ)隊員が座布団運んでたのは驚きです!!
今度はまさかの小遊三師匠⁉️⁉️😳😳😳
マムちゃんねる
#毒蝮三太夫さん
三遊亭小遊三/前編ですね
三遊亭小遊三ちゃんと
山梨県の思い出話をする
笑点では懐かしの仲ですね
落語芸術協会所属、同協会参事
1964年の東京オリンピックでは
聖火ランナーに抜擢される
素晴らしいスポーツマンですね
.
笑点の、新旧メンバーですね。
笑点コンビ
好楽師匠と共に笑点に無くては・なら無い存在で有ります・・便所で御尻を拭く(副)会長や食い逃げ(笑)等・・色々有りますが(林家)たい平師匠との大月と秩父の罵り合いバトルは・・かつての故・桂歌丸師匠と故・円楽(楽太郎)師匠とのバトルと同じくらい面白いで有りますね。
いつも、笑点でたい平から大月って言われてたから 初めの大月って言われるとビクって反応したから笑いそうになったwww 😂
「ミュージックプレゼント」と「ミュージックキャラバン」、TBSラジオ二大公開番組揃い踏みすね😊
中三のとき、小遊三師匠のミュージックキャラバンに出ました😊
その日発売の松田聖子の新曲掛けられてウルトラCコース玉砕😅 ポケットラジオ貰えず、三井物産の詰め合わせ貰って帰りました😂
都留高校が甲子園にでた時は、矢頭さんがピッチャー、西村さんがキャッチャーでした。お二人とも60代で亡くなられたのが残念です
恐ろしい。野沢さんといい、まむしさんといい、88の人が未だにご健在というのが。
笑ってりゃいいのか…そうか88だもんなハッハー!!(笑)
悠々ワイドの蝮さんのミュージックプレゼントのピンチヒッターの時に、悠里さんから本名で呼ばれて「身も蓋もなくなっちゃうからやめて」って言ってた(笑)
天野幸夫さん
流石の反射神経
林家木久扇師匠の弟弟子の林家正雀師匠は三遊亭小遊三師匠のご近所で小学校中学校の後輩さんだそうですね😊
ボルタリングのような階段を見たいです。後編は落語の話になるのでしょうか。
マムシ師匠がもしも平成生まれだったら、あっという間に芸能界引退に追い込まれてただろうなw
蝮さん
我が母校の後輩
育成ドラフト2位指名
堀江正太郎くん宜しくお願いします。
立川ぜん馬師匠の訃報
心よりお悔やみ申し上げます。
中央特快、大月行
“笑点”は、小圓遊さんが亡くなられて小遊三さんにバトンタッチしたのだったかな?
いや、古今亭朝次さん(現、桂才賀さん)です。その2、3年後朝次さんと交代したんじゃないかな。朝次さんはピンクの着物、三遊亭好楽さん(当時林家九蔵さん)が、いまの小遊三さんの水色の着物でした。それが、小遊三さんに変わって、九蔵さんが、ピンク、小遊三さんが水色に、また小遊三さんは、若いとき好楽さんの実家に居候というか、下宿されてました。好楽さんは8人兄弟で、大家族、一人増えても気にならなかったそうです。