東京物語(1953)

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  • Опубліковано 6 січ 2025

КОМЕНТАРІ • 16

  • @mizusawa-hidenari
    @mizusawa-hidenari Місяць тому +1

    2:27
    これは「住吉神社の石灯籠」です。
    15歳の原田知世さんが映画「時をかける少女」の撮影の際に宿泊した住吉浜そばのホテル「尾道ロイヤルホテル」の真正面にあります。
    同映画の中に現れる「西方寺普明閣の石灯籠」は、この場面のオマージュです。

  • @三山祐次
    @三山祐次 29 днів тому +2

    原節子は昭和39年に若くして引退したのでアイドル女優だったのかと思いましたが、映画「晩春」をみて考えが変わりました。私は昭和31年生まれ。この映画でも品もあるし美貌だし現代の女優さんにない魅力があり当時人気だった訳がわかりました。

  • @mizusawa-hidenari
    @mizusawa-hidenari Місяць тому +1

    2:47
    これは、尾道市東久保町の「浄土寺」です。
    1741年当時広島藩尾道町奉行であった「平山角左衛門」のお墓は、浄土寺の境内にあります。
    このカメラアングルは、現在の松本病院・尾道漁協辺りから撮影されたものです。
    信じ難いことですが、大林宣彦監督は、1991年公開の映画「ふたり」のラストシーンにおいて、尾道市東久保町の坂道からちょうどこのカメラアングルとは真逆のアングルでもって松本病院・尾道漁協の辺りを映し込んでいるのです。
    それに加え、制服姿の石田ひかりさんが坂下から現れた地点は、小津安二郎監督が1953年8月に尾道市立筒湯小学校の旧木造校舎を撮影するためカメラをセットしたポジションそのものです。

  • @mizusawa-hidenari
    @mizusawa-hidenari Місяць тому +1

    2:34
    「栗吉材木店の看板」が設けられた倉庫の跡地は、現在、尾道市本庁舎前の公用車専用駐車場になっています。
    この場面が撮影されたのは1953年8月のことですが、その28年後の1981年、小津監督のカメラアングルとはちょうど真逆の方向で映画「転校生」のラストシーンが大林宣彦監督によって撮影されています。
    それは、小林聡美さんが演じた斉藤一美(1966年7月12日生)がトラックを追って走って行くシーンのことです。
    信じ難いことですが、「1982転校生のラストシーン」は、大林監督とそのスタッフによって意図的に「1953東京物語のオープニングシーン」へと繋げられていたのです。

  • @水澤秀成
    @水澤秀成 4 місяці тому +3

    1:41:23
    この場面のロケ地は「尾道市東久保町6番街区」です。
    「平山周吉の家」と「市立筒湯小学校」からは少し離れた場所です。

  • @mizusawa-hidenari
    @mizusawa-hidenari Місяць тому

    1:55:12
    信じられないと思いますが、敬三がぼんやり眺めている先にあるものは「タイル小路」です。

  • @mizusawa-hidenari
    @mizusawa-hidenari Місяць тому

    1:52:53
    信じられないと思いますが、平山周吉が1953年8月に発した「あぁ、今日も暑うなるぞ。」に対して、女優の中嶋朋子さんが演じた千津子が1990年10月に「寒くなってきたね。」と返しています。
    ただ、2024年11月1日と2日、尾道とその周辺地区は、台風21号から変わった温帯低気圧の影響によって季節外れの大雨が降りました。

  • @mizusawa-hidenari
    @mizusawa-hidenari Місяць тому

    3:454:044:20
    香川京子さんが演じた筒湯小学校教師の平山京子は、オープニングで「行って参ります」を3回連続で両親に告げています。
    そのセリフは、大林宣彦監督によってパロディ化され、1983年7月16日劇場公開の映画「時をかける少女」で尾美としのりさんが演じた堀川吾朗にオマージュされています、「俺、ションベン行ってくる」に。
    1:41:13
    2:05:35、2:05:59
    念のため、用を足すために席を外したのは周吉でした。
    1:57:57

  • @水澤秀成
    @水澤秀成 4 місяці тому +2

    2:10:55
    「時計」で思い出すのは、映画「転校生」の最後の場面で小林聡美さんの背後に「仁井時計店の看板」が映り込んでいたことです。
    海岸通りの「料亭旅館魚信」の反対に「仁井時計店」があるのは本当ですが、どうして大林監督は、小林聡美さんの背後にその看板を映し込んだのでしょうか。
    斉藤一夫を演じた尾美としのりさんの背後に「浄土寺山」が映し込まれていることと併せて考えてみれば、これは意図的な演出であって、「東京物語」の冒頭シーンに映し込まれた「栗吉材木店の看板」のオマージュであったと考えるのが自然です。

  • @水澤秀成
    @水澤秀成 4 місяці тому +2

    1:56:26
    映画「時をかける少女」で「タイル小路」とされたロケ地を訪問した時、1983年4月に芳山和子が通った場所は、1953年7月に平山とみの葬儀が執り行われた寺院「福善寺」のすぐ隣の敷地であることを知り、私はたいへん驚きました。

  • @水澤秀成
    @水澤秀成 4 місяці тому +1

    2:12:44
    ここです、京子先生の背後に「1953年7月の暦」が映り込むシーンは。
    その12日が「日曜日」なんです。
    大林宣彦監督は、こんなに細かいことまでチェックしていたということです。
    実は、この場面は、1991年劇場公開の映画「ふたり」中、千津子の部屋で執り行われた3回忌法要のシーンで模倣されています。
    神永青年の背後に掲げられたカレンダーは「1987年10月の暦」です。
    その直前のシーンで、かやの女子学園文化祭が「1989年9月30日(土曜日)」であったことを示す看板が現れますので、千津子の部屋のカレンダーは事故以来、ずっとめくられていないことが示されているのです。
    そのことから、北尾実加が尾道市東久保町の坂道で事故に遭ったのは「1987年10月27日(火曜日)」の朝であったことがわかるのです。

  • @水澤秀成
    @水澤秀成 4 місяці тому +1

    2:11:58
    これは、1953年8月当時存在した「尾道市立筒湯小学校」の木造校舎です。
    1991年劇場公開の映画「ふたり」の冒頭には、藤田弓子さんが演じたご婦人が幼少の頃の千津子と実加と出会う場面があります。
    映画の中では明らかにされていませんが、幼少の千津子と実加が通っていたのが筒湯小学校であり、平山京子先生が勤務していた学校なのです。
    同校は2000年3月に廃校となり、今日に至っています。
    「千津子の事故現場」へ続く坂道を高校生になった実加が登って来る場面がラストシーンにあります。
    これは驚くべきことですが、実加を演じた石田ひかりさんが坂下から現れた地点は、1953年8月、小津安二郎監督が筒湯小学校の木造校舎を撮影するためにカメラをセットしたポジションそのものなんです。

  • @potimori
    @potimori 3 місяці тому +1

    御前様・・・

    • @水澤秀成
      @水澤秀成 2 місяці тому +1

      1:57:59
      映画「時をかける少女」で尾美としのりさんが演じた堀川悟朗は、不自然に3度も「ションベンに行ってくる」というセリフを発していますが、それはこの場面で笠智衆さん演じる平山周吉が席を外して用を足しに行ったからではないでしょうか。
      ちなみに、香川京子さんが演じた平山京子は、映画の中で3度、「行って参ります」と告げて勤務先である「尾道市立筒湯小学校」へ出勤します。
      特に、最初の場面では連続3回で「行って参ります」と告げます。

  • @kayanokatsumi
    @kayanokatsumi 6 місяців тому

    原節子って有名だが昭和33年生まれのオレは名前しか知らん。今日初めて見て、欧米かぶれな外見が受けたのが残念。