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■チャンネル登録していただきありがとうございます★下記本動画のタイムテーブルとなります。▶タイムテーブル0:00 最強の剣豪とは0:51 生涯無敗の剣豪3:43 上野国一本槍6:35 戦国一の自由人9:09 鬼滅のモデル?12:27 誰が好きでしたか?
7
上泉信綱が一番尊敬しております、
11:36 信綱が印可状を与えたことが確認できる人物は、印可状が現存してる者だけでも宗厳以外に、宝蔵院胤栄と丸目蔵人佐がいます。他にも一番弟子と言われる疋田豊五郎や、古参の高弟である鈴木意伯ももらっていると考えるのが自然かと。
ブルース・リ-も日本の剣術家を研究し、塚原卜伝もその一人でした戦わずして勝つ、このエピソードは映画、燃えよドラゴンで描かれていましたね。
燃えよドラゴンでそんなシーンがあったのですね!?面白いお話ありがとうございます😭
大石進種次の身長は大牟田にある石碑に七尺と刻まれています。七尺は約210cmになりますが、大石進種次の玄孫に当たる私の師匠も初めは疑念があったそうです。しかし、親戚の家で伝わっていた話に「その家の長押(あるいは鴨居)の上に置いた餅を大石進種次は余興として背伸びをせずに食べていた。」というものがあったそうなのです。長押と鴨居では10cm位の差がありますが、鴨居の上には餅を置くスペースを取りにくいので長押だと考えられます。 オーストラリア支部長の身長は約195cmです。当時の大石家の親戚の武家屋敷は現存しないので、萩と、松江の武家屋敷でマイケルに立ってもらい試してみました。いずれも鴨居と長押の高さは同じでした。マイケルが普通に立って口の高さから鴨居までは約5cm、長押までは約15cmでした。 したがって、大石進種次の身長は長押と考えればちょうど210cmで石碑に刻まれた通り七尺、鴨居と考えても200cmあることになります。
塚原卜伝と上泉信綱は剣豪を超えた剣聖デス👍
剣聖って響きかっこいいですね✨
最強論では、必ずこのふたりの2強になりますね。
剣聖 👍️ いいね~ ジャッキーチェンの 拳精❗ (笑) 👍️ m(__)m
一刀流について知りたかったので、とりかかりの一歩になりました!ありがとうございます。チャンネル登録いたしました♬
上泉さんて流派を後世に有名・普及する為に柳生を後継者にしたとこが頭良い
普及を目指したのは素晴らしいですよね!
他の強い弟子は禄のない従者と下級武士だったからね。領地のある石舟斎に新陰流の正統を伝えたのは当然だと思う。力量からいえば、丸目や疋田の方が上だっただろう。
柳生を後継者にしたというのは(尾張)柳生の伝説で、根拠になる史料や、他の新陰流他派に伝わる話には全く無いので信憑性は微妙。
ナレーションの声どこか大塚芳忠さんっぽいけど少し意識したりしてます?(笑)
地声が似てるのが大きいですが、普段からこんな感じでナレーションさせていただいております😊
御本人?
JR西日本で駅員さんしてたりしました?
塚原卜伝に置き去りにされた男は後に、俺は塚原卜伝が唯一戦うことを避けた男だとして自分の名を売る手段にしていそう。伊藤一刀斎が海を渡った話は、数百年後に吉川晃司いう男が広島から東京まで泳いでやってきたという話があります。
私的には塚原卜伝がやっぱり一番好き
柳生宗厳が立ち合ったのは上泉信綱ではなくて弟子の疋田文吾では?放浪時代、上泉信綱本人が立ち合う事はほとんど無く、疋田文吾か神後伊豆が無双していたはず。柳生宗厳は丸目蔵人と同格かやや下とみられていたけど新陰流の跡目を継げたのは5千石の国人領主で基盤が強くて政治力があったから。剣術以外のステータスも必要ということ事。
疋田文五郎の「それは悪し」のくだりが抜けてましたねにしてもいい声だ
宗厳と立ち会った人物は諸説あって、一番古い宗厳のひ孫が残した文書だと「鈴木意伯(神戸伊豆)」、江戸中期に書かれた読み物だと「疋田豊五郎」、昭和に書かれた柳生家の子孫は上泉本人としています。
内容もさながらナレーションの声めっちゃくちゃカッコイイすね!羨ましいです
恐縮です🥲ありがとうございます💦
芳忠さんかと思いました@@ura-rekishi-journey
伊藤一刀斎かっこいい😎ワイルド最強
伊藤一刀斎、上泉信綱、塚原卜伝、そしてここで詰まるかな
詰まっております😭
2:11 武田軍の軍師「今川義元」の息子「今川氏真」ってどういうこと?w
山本勘助の名前が抜けておりました!ご指摘ありがとうございます💦💦
@@ura-rekishi-journey つまり、今川氏真は山本勘助の息子だった・・・?
土佐守と伊勢守は別格だわ
コメントありがとうございます♪
塚原卜伝と上泉信綱の同一人物説の真実知りたいけど、ロマンは暴かない方がいいのか
いずれやります🐴
@@ura-rekishi-journey おもしろいのが、2人のゆかりの神社、鹿島神宮と香取神宮に祀られている神様同士も因縁があったりするし対とされてることが多いんですよね。
何れにしても!? 宮本武蔵などは? どの位置に成るのですかネ゙❓その辺を、解説して欲しいですナ❤❓宜しくお願いします🙇
負けたら死、だから生き残りゃ剣豪で良い。
たしかに☝️
やはり上泉信綱こそ全てにおいて最高
真理谷円四郎、小笠原長治を是非特集して下さいませんか?
かしこまりました!リサーチしてみます!
個人的には丸目長恵が居ても面白いと思う
ありがとうございます😊次の剣豪企画で取り上げてみます!!
卜伝こと塚原新右衛門高幹は、鹿島神道流を収め、家人の山崎左門をお供として回国修業したと歴史小説家、津本陽は数々の剣術勝負を描いています。無敗を誇った卜伝ながら、大和国櫻井、三輪の剣客、浅山太兵衛との枇杷の木刀での試合では、回国修業中、唯一、相打ちとなったと記していますよ!
負けではない…ですね😭コメントありがとうございます♪
示現流の開祖、東郷重位も忘れずに。
無刀取りは新陰流が柳生新陰流になってから生まれたものではないかと言われてます。上泉信綱の強さは間違いないですが、無刀取り柔か現在の合気道の原型の組み合わせによって柳生で生まれたものと思ってます。
ありがとうございます♪どこでそれは見られたのでしょうか?
@@ura-rekishi-journey 小説ですが、影武者徳川家康です。
@@pharosnearco1713上泉信綱はすでに無刀を工夫していたと思います。新陰流を少しやってる者ですが、無刀取は各技法の延長上にあるようで、何か特殊な秘密があるわけではないです。呼吸やタイミングが難しい。できないです。隆慶一郎や津本陽や司馬遼の小説は大変面白いですが、剣術の細部となるとやはりフィクションが入っている印象です。
柳生新陰流からは柔道の源流になった起倒流や良移心当流流祖、柳生心眼流などの柔術諸流派が生まれていますね。体術に独自の工夫があったことは間違いないと思います。
塚原卜伝が一番かと剣聖ですね。👧🍀😌🍀
え?なんで富田勢源がいないの?伊藤一刀斎が入るなら当然富田勢源でしょ。一刀斎の師匠にして小太刀を極めし実戦最強。
コメントいただきありがとうございます!今度まとめてみます!
間違いないです。盲目の剣豪
一刀斎の師匠じゃない師匠の鐘捲自斎の師匠が富田勢源。
岩本虎眼は流れ星の構えで柳生宗厳に負けを悟らせてたけど…フィクションなんだよね~😢
面白いお話ありがとうございます😭
柳生宗厳と初めて立ち会ったのは疋田景兼!
調べてみます!
塚原卜伝は、3本勝負で松本備前守に剣術で負けてます。体術では勝ったようですが。
剣豪は何人もいると思いますが、塚原卜伝は頭一つ抜け出ているのではないでしょうか。塚原卜伝は達人レベルだったみたいですから。
塚原卜伝強そうですね‼️
私の「霧薙一刀斎」はここから来ていたのか・・・・・
コメントいただきありがとうございます😊
卜伝と信綱がツートップだと思います。
宮本武蔵はどこにいったんでしょう⁉️彼は5番目だったのでしょうか⁉️
武蔵は別枠で投稿したかったので、外しております🛜
塚原卜伝は隠居した後。桃太郎の育ての親のお爺さん
剣聖塚原卜伝が一番だろ。刃牙は宮本武蔵推しだが、二刀流は二階堂平法と思う。近藤無一は、コンドーム始めましではない。冷やし中華かよ。柳生烈堂、卑怯随一。暗器、変態曲げ手裏剣(カーブする手裏剣)となんでもあり。
柳生新陰流を編み出したのは宗厳だが、それを更に発展させて【完成】させたのが子の宗矩徳川幕府お墨付きのもとに大名家に多数の門下を送り込んだのも宗矩しかし、柳生の名を後世に一番残したのが宗厳でも宗矩でもなく十兵衛(三厳)という皮肉
それは面白い話ですね🤣コメントありがとうございます😊
ちょっと待って‼️宗矩も十兵衛も江戸の柳生、新陰流の正統は尾張の柳生(石舟斎の甥、兵庫助が受け継いだ)で、兵庫助の息子連也斎は、柳生最高の天才と言われたのです。 十兵衛も強かったのでしょうが、もっぱら、講談の中で有名になり、それが、柳生の名を広めたとも言えると思います。
すみません、先の文中、兵庫助を石舟斎の甥と書いてますが、孫です。宗矩の甥です。興奮して入力したら途中ぶっ飛びました。失礼。
@@healerM(講談とかそういう類も含めて)後世に1番残したのが十兵衛だという皮肉を言ってるので間違ってませんよ。最強とは言ってません
十兵衛は柳生の中では中の上くらいの腕前だったらしく、尾張柳生に比べればそう強くはなかったらしい。(あくまで尾張柳生に比べれば、だが)それがあそこまでバケモノ扱いされたのは20歳の時に仕えていた将軍家光の勘気に触れて小姓を首になり柳生庄に引っ込んていた10数年の消息がほとんどわからず謎だったところからきている。それを後世の講談や小説が幕府隠密として活動していたと面白おかしく作り上げた。ちなみに右目の眼帯も単なる飾りで本当は見えてたらしい。
塚原卜伝。常陸の国の住人、塚原新右衛門高幹、鹿島の太刀にて、お相手つかまつる。
声って大塚芳忠さんかな
ありがとうございます😭
剣豪のドラマが出てこないかな?😅
弥助はおらんの?最強だったらしいけど。
さすがデータ少佐、地球暦中世日本の、剣豪と言われた人物まで詳しいとは。
元ネタが分からず申し訳ございません😰
@@ura-rekishi-journey ナレーターさんの声が大塚芳忠さんに似てまして・・・ホーチューさんの持ちキャラで、新スタートレックのエンタープライズ艦第2副長兼技術士官のデータ少佐はアンドロイドで、何事にも詳しい設定です。
富田勢源が1番好き❤️❤️👍
今川義元 武田軍の軍師になる
なに気取った語りやってんだ!普通にやらんかい!
各流祖の解説ですな。
一人も知ってる人がいなかった、真っ先にでてきたのは、やはり宮本武蔵だけど、ここには出てこなくてびっくりしました。
実は宮本武蔵には書籍あり決して剣術に優れた人では無かったみたいです。最近では兵法に優れた人との見方もあります。ちなみに兵法には剣術の方を示す平方も有りますがここでは兵法となってます。そして佐々木小次郎なる剣士も実はぃません。居たかもしれませんが武蔵の書き記した書には乗っていません。
武蔵が入っていたらチャンネル登録したろうに。
逆に武蔵を入れるとありきたりなものになってしまうと思ったのであえて入れませんでした!ご視聴だけでもありがたいです!
バガボンドの画像を使ってるけど、権利関係大丈夫なんですか?
宮本武蔵がいねえ
あえて小次郎と武蔵は出しませんでした🥲
宮本武蔵は結構卑怯な戦法を使ったから評価は低くなる。スター性は随一だけど、例えるなら井上尚弥は神泉信綱、山中慎介は氏家卜全、具志堅用高は柳生宗厳、宮本武蔵は辰吉丈一郎(笑)
柳生兵庫助と柳生連也斎
私も少しそれは感じてしまいました🥲
@@藤巻雅澄 新陰流の本流は尾張柳生 とりわけ直ったる身の位をあみだした伊豫守(兵庫助)剣では宗矩を凌駕してたのではないか。その子厳包(連也斎)はまさに天才。遺伝子的にみても父方の曽祖父は柳生石舟斎宗厳で母方の祖父は猛将島左近(石田治部三成の軍師)
剣豪では一番は宮本武蔵、二番、佐々木小次郎、三番伊藤一刀さ
宮本武蔵、忘れてませんか?
今回はあえて外しました!違う動画で取り上げさせてもらっています!
やはり最強剣豪は、柳生宗則、柳生十兵衛、柳生兵庫の助ではないかと思いますこの3人でないかと、思います
柳生がお好きなんですね😊
名前が元ソフトバンクの宗リンになっとるが
塚原卜伝の弟子ですよね。
十兵衛のそれは講談です@@vtkarz
@@taglroth十兵衛が現代でも有名なのは講談の影響が大ですが、講談の材料にされたのも江戸柳生の技法を現代風に改変したり、太平の世に応じて杖術を新たに作り上げたりと、剣術の上で実績があったことが前提はあります。
柳生石舟斎が上泉信綱の弟子だったとは驚いた。しかも、ただ一人の免許皆伝者とは、さすが柳生石舟斎。そして無刀取りを生み出したのが上泉信綱というのも初めて知った。有り難い。
石舟斎は宗矩のことですね。上泉信綱の弟子は他にも山田浮月斉とかも。
宗矩は石舟斎の息子です。また石舟斎が立ち合ったのは信綱の高弟で歯が立たなかったと言われてます。弟子には片山伯耆守、丸目蔵人介がいます。
石舟斎が立ち会ったのは疋田豊五郎です!信綱は石舟斎に無刀取りを作るように言い、その後石舟斎が完成させた!
@@ura-rekishi-journey 漫画バガボンドでは若かりし頃の柳生石舟斎と宝蔵院胤栄が二人して上泉信綱に完封されてたシーンがありましたが剣豪ではないかもしれませんが胤栄は弟子ではなかったのでしょうか?
■チャンネル登録していただきありがとうございます★
下記本動画のタイムテーブルとなります。
▶タイムテーブル
0:00 最強の剣豪とは
0:51 生涯無敗の剣豪
3:43 上野国一本槍
6:35 戦国一の自由人
9:09 鬼滅のモデル?
12:27 誰が好きでしたか?
7
上泉信綱が一番尊敬しております、
11:36 信綱が印可状を与えたことが確認できる人物は、印可状が現存してる者だけでも宗厳以外に、宝蔵院胤栄と丸目蔵人佐がいます。
他にも一番弟子と言われる疋田豊五郎や、古参の高弟である鈴木意伯ももらっていると考えるのが自然かと。
ブルース・リ-も日本の剣術家を研究し、塚原卜伝もその一人でした
戦わずして勝つ、このエピソードは映画、燃えよドラゴン
で描かれていましたね。
燃えよドラゴンでそんなシーンがあったのですね!?面白いお話ありがとうございます😭
大石進種次の身長は大牟田にある石碑に七尺と刻まれています。七尺は約210cmになりますが、大石進種次の玄孫に当たる私の師匠も初めは疑念があったそうです。しかし、親戚の家で伝わっていた話に「その家の長押(あるいは鴨居)の上に置いた餅を大石進種次は余興として背伸びをせずに食べていた。」というものがあったそうなのです。長押と鴨居では10cm位の差がありますが、鴨居の上には餅を置くスペースを取りにくいので長押だと考えられます。
オーストラリア支部長の身長は約195cmです。当時の大石家の親戚の武家屋敷は現存しないので、萩と、松江の武家屋敷でマイケルに立ってもらい試してみました。いずれも鴨居と長押の高さは同じでした。マイケルが普通に立って口の高さから鴨居までは約5cm、長押までは約15cmでした。
したがって、大石進種次の身長は長押と考えればちょうど210cmで石碑に刻まれた通り七尺、鴨居と考えても200cmあることになります。
塚原卜伝と上泉信綱は剣豪を超えた剣聖デス👍
剣聖って響きかっこいいですね✨
最強論では、必ずこのふたりの2強になりますね。
剣聖 👍️ いいね~
ジャッキーチェンの 拳精❗
(笑) 👍️
m(__)m
一刀流について知りたかったので、とりかかりの一歩になりました!ありがとうございます。
チャンネル登録いたしました♬
上泉さんて流派を後世に有名・普及する為に柳生を後継者にしたとこが頭良い
普及を目指したのは素晴らしいですよね!
他の強い弟子は禄のない従者と下級武士だったからね。領地のある石舟斎に新陰流の正統を伝えたのは当然だと思う。力量からいえば、丸目や疋田の方が上だっただろう。
柳生を後継者にしたというのは(尾張)柳生の伝説で、根拠になる史料や、他の新陰流他派に伝わる話には全く無いので信憑性は微妙。
ナレーションの声どこか大塚芳忠さんっぽいけど少し意識したりしてます?(笑)
地声が似てるのが大きいですが、
普段からこんな感じでナレーションさせていただいております😊
御本人?
JR西日本で駅員さんしてたりしました?
塚原卜伝に置き去りにされた男は後に、俺は塚原卜伝が唯一戦うことを避けた男だとして自分の名を売る手段にしていそう。
伊藤一刀斎が海を渡った話は、数百年後に吉川晃司いう男が広島から東京まで泳いでやってきたという話があります。
私的には塚原卜伝がやっぱり一番好き
柳生宗厳が立ち合ったのは上泉信綱ではなくて弟子の疋田文吾では?
放浪時代、上泉信綱本人が立ち合う事はほとんど無く、疋田文吾か神後伊豆が無双していたはず。
柳生宗厳は丸目蔵人と同格かやや下とみられていたけど新陰流の跡目を継げたのは5千石の国人領主で基盤が強くて政治力があったから。剣術以外のステータスも必要ということ事。
疋田文五郎の「それは悪し」のくだりが抜けてましたね
にしてもいい声だ
宗厳と立ち会った人物は諸説あって、一番古い宗厳のひ孫が残した文書だと「鈴木意伯(神戸伊豆)」、江戸中期に書かれた読み物だと「疋田豊五郎」、昭和に書かれた柳生家の子孫は上泉本人としています。
内容もさながら
ナレーションの声
めっちゃくちゃカッコイイすね!
羨ましいです
恐縮です🥲ありがとうございます💦
芳忠さんかと思いました@@ura-rekishi-journey
伊藤一刀斎かっこいい😎ワイルド最強
伊藤一刀斎、上泉信綱、塚原卜伝、そして
ここで詰まるかな
詰まっております😭
2:11 武田軍の軍師「今川義元」の息子「今川氏真」ってどういうこと?w
山本勘助の名前が抜けておりました!ご指摘ありがとうございます💦💦
@@ura-rekishi-journey つまり、今川氏真は山本勘助の息子だった・・・?
土佐守と伊勢守は別格だわ
コメントありがとうございます♪
塚原卜伝と上泉信綱の同一人物説の真実知りたいけど、ロマンは暴かない方がいいのか
いずれやります🐴
@@ura-rekishi-journey
おもしろいのが、2人のゆかりの神社、鹿島神宮と香取神宮に祀られている神様同士も因縁があったりするし対とされてることが多いんですよね。
何れにしても!? 宮本武蔵などは? どの位置に成るのですかネ゙❓
その辺を、解説して欲しいですナ❤❓
宜しくお願いします🙇
負けたら死、だから生き残りゃ剣豪で良い。
たしかに☝️
やはり上泉信綱こそ全てにおいて最高
真理谷円四郎、小笠原長治を是非特集して下さいませんか?
かしこまりました!
リサーチしてみます!
個人的には丸目長恵が居ても面白いと思う
ありがとうございます😊
次の剣豪企画で取り上げてみます!!
卜伝こと塚原新右衛門高幹は、鹿島神道流を収め、家人の山崎左門をお供として回国修業したと歴史小説家、津本陽は数々の剣術勝負を描いています。無敗を誇った卜伝ながら、大和国櫻井、三輪の剣客、浅山太兵衛との枇杷の木刀での試合では、回国修業中、唯一、相打ちとなったと記していますよ!
負けではない…ですね😭
コメントありがとうございます♪
示現流の開祖、東郷重位も忘れずに。
無刀取りは新陰流が柳生新陰流になってから生まれたものではないかと言われてます。上泉信綱の強さは間違いないですが、無刀取り柔か現在の合気道の原型の組み合わせによって柳生で生まれたものと思ってます。
ありがとうございます♪
どこでそれは見られたのでしょうか?
@@ura-rekishi-journey 小説ですが、影武者徳川家康です。
@@pharosnearco1713上泉信綱はすでに無刀を工夫していたと思います。
新陰流を少しやってる者ですが、無刀取は各技法の延長上にあるようで、何か特殊な秘密があるわけではないです。呼吸やタイミングが難しい。できないです。
隆慶一郎や津本陽や司馬遼の小説は大変面白いですが、剣術の細部となるとやはりフィクションが入っている印象です。
柳生新陰流からは柔道の源流になった起倒流や良移心当流流祖、柳生心眼流などの柔術諸流派が生まれていますね。体術に独自の工夫があったことは間違いないと思います。
塚原卜伝が一番かと剣聖ですね。👧🍀😌🍀
え?なんで富田勢源がいないの?伊藤一刀斎が入るなら当然富田勢源でしょ。一刀斎の師匠にして小太刀を極めし実戦最強。
コメントいただきありがとうございます!
今度まとめてみます!
間違いないです。
盲目の剣豪
一刀斎の師匠じゃない師匠の鐘捲自斎の師匠が富田勢源。
岩本虎眼は流れ星の構えで柳生宗厳に負けを悟らせてたけど…フィクションなんだよね~😢
面白いお話ありがとうございます😭
柳生宗厳と初めて立ち会ったのは疋田景兼!
調べてみます!
塚原卜伝は、3本勝負で松本備前守に剣術で負けてます。体術では勝ったようですが。
剣豪は何人もいると思いますが、塚原卜伝は頭一つ抜け出ているのではないでしょうか。塚原卜伝は達人レベルだったみたいですから。
塚原卜伝強そうですね‼️
私の「霧薙一刀斎」はここから来ていたのか・・・・・
コメントいただきありがとうございます😊
卜伝と信綱がツートップだと思います。
宮本武蔵はどこにいったんでしょう⁉️
彼は5番目だったのでしょうか⁉️
武蔵は別枠で投稿したかったので、外しております🛜
塚原卜伝は隠居した後。桃太郎の育ての親のお爺さん
剣聖塚原卜伝が一番だろ。
刃牙は宮本武蔵推しだが、二刀流は二階堂平法と思う。
近藤無一は、コンドーム始めましではない。冷やし中華かよ。
柳生烈堂、卑怯随一。暗器、変態曲げ手裏剣(カーブする手裏剣)となんでもあり。
柳生新陰流を編み出したのは宗厳だが、それを更に発展させて【完成】させたのが子の宗矩
徳川幕府お墨付きのもとに大名家に多数の門下を送り込んだのも宗矩
しかし、柳生の名を後世に一番残したのが宗厳でも宗矩でもなく十兵衛(三厳)という皮肉
それは面白い話ですね🤣
コメントありがとうございます😊
ちょっと待って‼️
宗矩も十兵衛も江戸の柳生、新陰流の正統は尾張の柳生(石舟斎の甥、兵庫助が受け継いだ)で、兵庫助の息子連也斎は、柳生最高の天才と言われたのです。
十兵衛も強かったのでしょうが、もっぱら、講談の中で有名になり、それが、柳生の名を広めたとも言えると思います。
すみません、先の文中、兵庫助を石舟斎の甥と書いてますが、孫です。宗矩の甥です。興奮して入力したら途中ぶっ飛びました。失礼。
@@healerM(講談とかそういう類も含めて)後世に1番残したのが十兵衛だという皮肉を言ってるので間違ってませんよ。最強とは言ってません
十兵衛は柳生の中では中の上くらいの腕前だったらしく、尾張柳生に比べればそう強くはなかったらしい。(あくまで尾張柳生に比べれば、だが)それがあそこまでバケモノ扱いされたのは20歳の時に仕えていた将軍家光の勘気に触れて小姓を首になり柳生庄に引っ込んていた10数年の消息がほとんどわからず謎だったところからきている。それを後世の講談や小説が幕府隠密として活動していたと面白おかしく作り上げた。ちなみに右目の眼帯も単なる飾りで本当は見えてたらしい。
塚原卜伝。
常陸の国の住人、塚原新右衛門高幹、鹿島の太刀にて、お相手つかまつる。
声って大塚芳忠さんかな
ありがとうございます😭
剣豪のドラマが出てこないかな?😅
弥助はおらんの?
最強だったらしいけど。
さすがデータ少佐、地球暦中世日本の、剣豪と言われた人物まで詳しいとは。
元ネタが分からず申し訳ございません😰
@@ura-rekishi-journey ナレーターさんの声が大塚芳忠さんに似てまして・・・ホーチューさんの持ちキャラで、新スタートレックのエンタープライズ艦第2副長兼技術士官のデータ少佐はアンドロイドで、何事にも詳しい設定です。
ありがとうございます😭
富田勢源が1番好き❤️❤️👍
今川義元 武田軍の軍師になる
なに気取った語りやってんだ!普通にやらんかい!
各流祖の解説ですな。
一人も知ってる人がいなかった、真っ先にでてきたのは、やはり宮本武蔵だけど、ここには出てこなくてびっくりしました。
実は宮本武蔵には書籍あり決して剣術に優れた人では無かったみたいです。最近では兵法に優れた人との見方もあります。ちなみに兵法には剣術の方を示す平方も有りますがここでは兵法となってます。そして佐々木小次郎なる剣士も実はぃません。居たかもしれませんが武蔵の書き記した書には乗っていません。
武蔵が入っていたらチャンネル登録したろうに。
逆に武蔵を入れるとありきたりなものになってしまうと思ったのであえて入れませんでした!
ご視聴だけでもありがたいです!
バガボンドの画像を使ってるけど、権利関係大丈夫なんですか?
宮本武蔵がいねえ
あえて小次郎と武蔵は出しませんでした🥲
宮本武蔵は結構卑怯な戦法を使ったから評価は低くなる。スター性は随一だけど、例えるなら井上尚弥は神泉信綱、山中慎介は氏家卜全、具志堅用高は柳生宗厳、宮本武蔵は辰吉丈一郎(笑)
柳生兵庫助と柳生連也斎
私も少しそれは感じてしまいました🥲
@@藤巻雅澄 新陰流の本流は尾張柳生 とりわけ直ったる身の位をあみだした伊豫守(兵庫助)剣では宗矩を凌駕してたのではないか。その子厳包(連也斎)はまさに天才。遺伝子的にみても父方の曽祖父は柳生石舟斎宗厳で母方の祖父は猛将島左近(石田治部三成の軍師)
剣豪では一番は宮本武蔵、二番、佐々木小次郎、三番伊藤一刀さ
宮本武蔵、忘れてませんか?
今回はあえて外しました!
違う動画で取り上げさせてもらっています!
やはり最強剣豪は、柳生宗則、柳生十兵衛、柳生兵庫の助ではないかと思いますこの3人でないかと、思います
柳生がお好きなんですね😊
名前が元ソフトバンクの宗リンになっとるが
塚原卜伝の弟子ですよね。
十兵衛のそれは講談です@@vtkarz
@@taglroth十兵衛が現代でも有名なのは講談の影響が大ですが、講談の材料にされたのも江戸柳生の技法を現代風に改変したり、太平の世に応じて杖術を新たに作り上げたりと、剣術の上で実績があったことが前提はあります。
柳生石舟斎が上泉信綱の弟子だったとは驚いた。
しかも、ただ一人の免許皆伝者とは、さすが柳生石舟斎。
そして無刀取りを生み出したのが上泉信綱というのも初めて知った。
有り難い。
コメントありがとうございます♪
石舟斎は宗矩のことですね。上泉信綱の弟子は他にも山田浮月斉とかも。
宗矩は石舟斎の息子です。また石舟斎が立ち合ったのは信綱の高弟で歯が立たなかったと言われてます。弟子には片山伯耆守、丸目蔵人介がいます。
石舟斎が立ち会ったのは疋田豊五郎です!信綱は石舟斎に無刀取りを作るように言い、その後石舟斎が完成させた!
@@ura-rekishi-journey 漫画バガボンドでは若かりし頃の柳生石舟斎と宝蔵院胤栄が二人して上泉信綱に完封されてたシーンがありましたが剣豪ではないかもしれませんが胤栄は弟子ではなかったのでしょうか?