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公孫瓚以外を傷付けてはならないって言うなら、そもそも戦争すべきではない…
自分は悪逆非道な公孫瓚とは違うんだ、の度が過ぎていつの間にか聖人アピールすることが目的になってしまった印象出兵しておいてその命令は無理があるってのも分からなくなるぐらいに
戦下手というよりは舐めプの方ではないかと
公孫瓚とかいう蛮族に全部ぶっ壊された可哀想な人のイメージしかなかったけど公孫瓚絶対頃すマンになった割に思い切りが足りな過ぎるという欠点もあったんですね
2:57 自分で自分の妨害したみたいになっちゃってる
劉虞は人徳では劉備にも引けを取らなかったが、劉備と違い乱世を生き残る才に欠けていたのが致命的だった。
主人公補正の無い演義劉備が実際乱世に存在したらこんな感じになる印象
建文帝は劉虞の生まれ変わり
優しい、人徳と言ってる割に進言した程諸を遠ざけるのではなくぶっ殺してるし、は?と思う。
乱世の感覚と現代の感覚は違うからなあ。劉虞も平和な時代なら名君だったんだろうけど、戦争仕掛けて二の足踏んでいたらそりゃ負けますわな。
日本の三国志作品で当時の劉氏たちの活動をフィーチャーしたのってあまりないですよね前漢後漢の流れを見てもワンチャンないかなと野心を持って行動してた人が多いように思います
乱世においては優しすぎた男、劉虞乱世において名は残したが器が小さかった男、公孫瓚まるで北斗の拳のトキとジャギのようだ…となるとラオウ枠は曹操様だな
徳と言うか、略奪で目的が達成されたから、罪に問わないに乗っかったように見えます
本人は清廉潔白な行動を貫徹したものの妾たちは贅沢な生活をしているところを見ると、名声と行動が一致していないように思える。果たして本当に徳行の人だったのだろうか?
公孫瓚の仕込みだった可能性もあるけどな
諸葛亮も清貧にはほど遠いぐらいに財産を持ち合わせてる。『初、亮自表後主曰「成都有桑八百株、薄田十五頃、子弟衣食、自有餘饒。至於臣在外任、無別調度、隨身衣食、悉仰於官、不別治生、以長尺寸。若臣死之日、不使内有餘帛、外有贏財、以負陛下。」 及卒、如其所言。』(諸葛亮伝)十五頃は現在だと東京ドーム11個分に相当だからね。これを持ち合わせてる諸葛亮に対して、陸遜は…家には余財が無かった。『時年六十三、家無餘財。』(陸遜伝)さて諸葛亮は清廉潔白だったのか?諸葛亮はそれでも清廉潔白のキャラになってるが、劉虞には何故か厳しい評価になる。
劉虞は光武帝の長男の子孫だったので、袁紹らから皇帝に擁立されそうになった事もあった。
章帝の子孫でないと即位が出来ないという慣習があったから、章帝の子孫ではない劉虞は皇帝には成れない。宗正をやってた劉虞はちゃんとその辺りを理解しているからこそ拒んでいる。韓馥はせめて承制でもと食い下がるが、それも拒否している。
さすがに現皇室から遠すぎて正統性がなさすぎましたね現役の諸侯王ならまだしもそうではなく、列侯位を世襲できない程度の傍流劉虞が皇帝名乗っていいなら劉氏はみんな皇帝名乗ってっていいってことになるレベルです乱世が極まった建安末期ならまだしもこの時期の劉虞擁立は暴挙もいいところでしょう
4:07 情報を情報してきた?🤔5:45 ここは霊夢がまだ話の途中だった様な?お疲れ様です…🥹
公孫瓚以外を傷付けてはならないって言うなら、そもそも戦争すべきではない…
自分は悪逆非道な公孫瓚とは違うんだ、の度が過ぎて
いつの間にか聖人アピールすることが目的になってしまった印象
出兵しておいてその命令は無理があるってのも分からなくなるぐらいに
戦下手というよりは舐めプの方ではないかと
公孫瓚とかいう蛮族に全部ぶっ壊された可哀想な人のイメージしかなかったけど
公孫瓚絶対頃すマンになった割に思い切りが足りな過ぎるという欠点もあったんですね
2:57 自分で自分の妨害したみたいになっちゃってる
劉虞は人徳では劉備にも引けを取らなかったが、劉備と違い乱世を生き残る才に欠けていたのが致命的だった。
主人公補正の無い演義劉備が実際乱世に存在したらこんな感じになる印象
建文帝は劉虞の生まれ変わり
優しい、人徳と言ってる割に進言した程諸を遠ざけるのではなくぶっ殺してるし、は?と思う。
乱世の感覚と現代の感覚は違うからなあ。劉虞も平和な時代なら名君だったんだろうけど、戦争仕掛けて二の足踏んでいたらそりゃ負けますわな。
日本の三国志作品で当時の劉氏たちの活動をフィーチャーしたのってあまりないですよね
前漢後漢の流れを見てもワンチャンないかなと野心を持って行動してた人が多いように思います
乱世においては優しすぎた男、劉虞
乱世において名は残したが器が小さかった男、公孫瓚
まるで北斗の拳のトキとジャギのようだ…
となるとラオウ枠は曹操様だな
徳と言うか、略奪で目的が達成されたから、罪に問わないに乗っかったように見えます
本人は清廉潔白な行動を貫徹したものの妾たちは贅沢な生活をしているところを見ると、名声と行動が一致していないように思える。
果たして本当に徳行の人だったのだろうか?
公孫瓚の仕込みだった可能性もあるけどな
諸葛亮も清貧にはほど遠いぐらいに財産を持ち合わせてる。
『初、亮自表後主曰「成都有桑八百株、薄田十五頃、子弟衣食、自有餘饒。至於臣在外任、無別調度、隨身衣食、悉仰於官、不別治生、以長尺寸。若臣死之日、不使内有餘帛、外有贏財、以負陛下。」 及卒、如其所言。』(諸葛亮伝)
十五頃は現在だと東京ドーム11個分に相当だからね。これを持ち合わせてる諸葛亮に対して、陸遜は…家には余財が無かった。
『時年六十三、家無餘財。』(陸遜伝)
さて諸葛亮は清廉潔白だったのか?
諸葛亮はそれでも清廉潔白のキャラになってるが、劉虞には何故か厳しい評価になる。
劉虞は光武帝の長男の子孫だったので、袁紹らから皇帝に擁立されそうになった事もあった。
章帝の子孫でないと即位が出来ないという慣習があったから、章帝の子孫ではない劉虞は皇帝には成れない。
宗正をやってた劉虞はちゃんとその辺りを理解しているからこそ拒んでいる。韓馥はせめて承制でもと食い下がるが、それも拒否している。
さすがに現皇室から遠すぎて正統性がなさすぎましたね
現役の諸侯王ならまだしもそうではなく、列侯位を世襲できない程度の傍流
劉虞が皇帝名乗っていいなら劉氏はみんな皇帝名乗ってっていいってことになるレベルです
乱世が極まった建安末期ならまだしもこの時期の劉虞擁立は暴挙もいいところでしょう
4:07 情報を情報してきた?🤔
5:45 ここは霊夢がまだ話の途中だった様な?お疲れ様です…🥹