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バラバラのピースが次々にはまっていく感覚で聞かせていただきました。日本で暮らすうちに、いつか同胞と国を再建したいという当初の想いよりも、日本に同化していく方を選んだのですね。すっきり出来たことが沢山あります。有り難うございました。
『アマテラスの暗号』というダ・ヴィンチ・コードのような歴史ミステリー小説に、古代ユダヤとの関係が詳しかったです。小説としても秀逸でした。
田中英道先生のお話は、信用できるので、よく聴いています。目から鱗の情報もあり、とても面白いです。勉強になります。ありがとうございます。
先生の書籍を買入してこのUA-camで目が覚めた一人です。昨年は諏訪大社巡りへ家族で行きましたが、今回の講義を聞く事が出来て感無量です。感謝。一部の家系が羊太夫に関係していそうです。
諏訪に住む者です。15年ほど前から、諏訪ユダヤ人同祖説を考えていました。地元人しか知らない場で、ジャコッパラという地があります。ジェウコブが原、ヤコブ原が語源だと、私は考えています。ヤコブはイサクの子です。ヤコブは天使と相撲をして勝ち、イスラエルの名を神から貰いました。面白いことに、この場で鎌倉時代、武芸オリンピックが行われたようです。源、北条は一連のことを知っていたかも知れません。
イサクと佐久にも何か関係がありそうな気がしますがどうでしょうか?諏訪に耕す土地がなくなり山を越えて佐久に入植した話もありますしね。
@@大久保正昭 イサクは確かイスラエルとは関係なかったと思います
@@ptwjhbeamjgtwda イサクはヤコブ(イスラエル)の親ですよね、イスラエルに関係ないとは仰る意味が分かりません。
@@大久保正昭 入力が違いました。すみません、佐久は特にイサクからきているわけではないと言うことを言いたかったのです。佐久の由来は新開と言うのが、有力というみたいですよ。申し訳ありません。仰るなんて、小さな事はしません。ただ何でも付けてしまうのは正しくないと思ったのですが、誤解してしまう入力は私の間違えでした。すみませんでした。
@@ptwjhbeamjgtwda 新開というのは知ってました、新海三社神社がありますから、諏訪から入植した話も聞いたことあります。佐久とイサクを結びつけたのは私の勘です、佐久→諏訪→ユダヤからの連想です。仰る(おっしゃる)なんて小さな…からの文章の意味がわかりません、すみません。ちなみに新海誠監督は出身地の新海三社神社から名前をつけたみたいですね、本名は新津ですね。
田中先生のお話は、非常に面白かったです。諏訪大社の総代の方の名字が濱(ハマ)というのですが、これはヘブライ語のハマーという灌漑都市の名前と読みが同じであり、灌漑技術を持った人間が諏訪地方に渡来したという田中先生のお話と、総代の方の名字が妙にリンクしていて、スゴイな、時代を超えて、名前が由来しているのかも…と思いました。
久しぶりにご講義に接する事ができて、非常に嬉しく存じます!気合いを入れて拝聴します。
先生のユダヤと日本の関係のお話しは素晴らしいです。大地溝帯の北端のガリラヤ湖から流れるヨルダン川と、日本の中央構造線の北に位置する諏訪湖から流れる天竜川。古代、日本を訪れたユダヤ人はこの風景に共通する何かを感じたのかもしれませんね。
本日の話は是非とも体型的に纏めてください。小生は30年ほど前に静岡に勤務したことあり、静岡よりも白村江の戦いに船を1艘建造したこと(全体で八百余船)を知りました。何故日本から百済救済に出陣したのかなど、腑に落ちないと思っておりました。そのうち、本日先生の話の「ミシャクジ」が静岡に多数あり(233社)(他に、長野県750社、愛知県229社など)、派遣の背景であること、一部ユダヤと関係がある事を知り、日猶同祖論関係の本をいくつか読みました。最近は先生の講義を多数回拝聴し、朝鮮と日本の関係のkeywordは秦氏の存在であると理解できます。歴史的な事実であると思われるため、しっかりと文献にして下さい。
大変素晴しい番組だと思います。歴史ファンにとっては田中先生のお話はたまらないです。皇居が焼けなかった。天皇にユダヤ人の血が流れているからではないでしょうか?鷲鼻が証明しています。
素晴らし、菅江真澄・信濃の旅/紹介動画、有り難うございます✨菅江の奥州・平泉での稚児神楽の記述を思い出しました☀️有り難うございました🎵
湿地帯を開墾灌漑し整地する土木技術に長けた人達と言うと、出雲からの大国主命が右手に持っている打出小槌のハンマーが連想されますが、似た条件であったであろう大和との共通点が思い浮かぶのが面白いと思いました。ユダヤ系の人たちは相当古くから、または最初から日本の国土形成に共に深く携わっていた様ですね。とてもそうは思えない出雲に実は沢山の技術を持った帰化人たちが同化していた。というのは、驚きでした。
諏訪の透明な黒曜石が珍しくて縄文時代の日本各地の人々はそれを求めてやって来たってNHKでやってたの思い出した…
昨夏、洩矢資料館にて天竜川の戦いの話しを知りました。先生の須佐之男がユダヤ人という事で、多賀神社のおしゃもじ、おたまじゃくしは蛙の子の意味がわかりました。You Tubeの情報発信で歴史を見直すきっかけになります。先生、これからも色々と教えて下さい。
国譲りでタケミナカタが諏訪に追いやられたイメージがありましたが、もっと肯定的な意味があったのですね。勉強になります。
ソロモン神殿と諏訪御柱祭の関係性に驚きました。御柱祭はお祭りとして魅了されますが、昔から諏訪一帯の住人は長野県の中では異なっていると聞いたことがあります。歴史は面白いです。
はい、そう感じてます
言霊の見地からも、天災時にはスサノオを祀っている氷川神社に避難すると大丈夫とあります。
先日、善光寺と諏訪大社に行ってきました。御柱が、なぜ樅ノ木なのかな~っと不思議でしたが、お話を聞いて、府に落ちました。善光寺のご本尊も無縁ではなさそうですね。
栃木県小山市粟宮のある阿波神社の境内に樅の木群があります ここが国道4号沿いなんですが、ここから北側方面に走ると小銅鐸が出土したゴルフ場があります。つまり小山市は茨城県結城市に抜ける経由地であったと思われます。
@@横田エリザベス 標高の高い所でしょうね。樅の木はとても美しい。日本特有だなんてこの年まで知りませんでした。土地に根付いた情報ありがとうございました!
ご存じでしょう。縄文海進7000年前、6000年前海の海面の高さが、140mから120m高さがあった。3000年前でも、50m~60mエジプト、パレスチナも今のよりも、豊かな自然環境、サハラ砂漠も緑豊かな環境、パレスチナの死海も今よりも3倍くらい広い湖、エジプトとパレスチナとの境のスエズ運河地帯も葦の原湖沼も多く、大湿地帯だったらしい。ソロモン王のタルシシ船団は、紅海からインド洋、東アジアまで、航海していた。友人のヒラムの船団は、地中海貿易、中心になるのはフェニキュア人で、陸路シルクロードも砂漠地帯ではなくて、オアシスや湖沼河川も多く、シルクロードの中心になるのはアラム人、ヘブライ人もフェニキュア人もアラム人も一部は三位一体的な関係・・海のシルクロードの中心になるフェニキュア人のタルシシ船団、陸のシルクロードの中心になるのはアラム系のユダヤ人でしょう。古事記の伊津面イヅモ⇒出雲は、島根の出雲ではありません。阿波徳島の河南市四国の吉野川海岸は、当時は海面も高く、海岸縁、辺を、ヘブライ語で、イヅモと言う、海岸縁辺、河南市・・美馬地域、鶴亀山剣山ツルギ山ツルとは、ヘブライ語で、岩と言う意味。素戔嗚スサノハァ王:スサノハァはヘブライ語で、良い住まい住吉に期待すると言う意味らしい。古事記、天照大神アマテラスは、太陽、月読みは、月の・・これは太陰暦こよみ。素戔嗚スサノハァ王は、阿波徳島の海岸部伊津面イヅモ⇒出雲の初代王・・オオクニヌシノミコト大国主命も古事記の舞台では、阿波徳島だ相応しい。美馬は小倭ヤマト、倭大國魂神社あり。耶馬壹ヤマト國倭イ=伊予二名島東を伊国西を予国・・紀伊水道の紀ノ國と伊の国、伊は猪、井・・鼻は端、辺、頭は中心部・・須賀は沼地・・蛭の形の吉野川の沼地を「蛭子蛭の住む沼地と言う」阿波は、粟の多いくに。葦原の葦で、葦船を作る・・阿波徳島は海洋民族の国だった。初代入植植民地移住して、ユダヤ系移民と高天原⇒美馬へ素戔嗚スサノハァ王の親戚の天孫人種族の瓊瓊杵尊系が美馬から阿波徳島から徳島東海岸部河南市に「イヅモ伊津面イヅモ⇒出雲国建設」・・淡路島の大和大國魂神社対岸の紀ノ川上流の吉野川のから奈良盆地入植植民地移住して、大和大國座魂神社・・本家本元元祖は阿波徳島の美馬の耶馬壹ヤマト國倭イが、奈良盆地の分家筋が商売繫盛の大倭国⇒大和朝廷⇒日本へ大発展したのでしょう。名前のレプリカ・・アメリカのイギリスのニューヨーク等と言ったところ、邪馬台国の台は、耶馬壹ヤマト國倭イの壹:ウ冠の中を読むと豆トゥとよむのが日本語の常識、台タイとは読めない。ヤマト・・ミマは「大祓祝詞の皇御孫命すめミマのみことの美馬ですね。」出雲大社は、明治4年に「杵築神社が出雲大社の格上げ、改名した。」島根は、当時は古事記に地名はありません。日本は多民族国家海洋国家でしたね。
河南市は阿南市の誤りではないですか?
田中先生の縄文のお話をアップしましたので、こちらもどうぞよろしくお願いいたします。田中英道先生に聞く#2★縄文文明とは何か?日本は水の文明大国!火焔土器ではなく水紋土器!今こそ縄文を再認識!ua-cam.com/video/6Uh7wluxsk8/v-deo.html
ナガスネヒコ=脛が長い!今まで、その様な考え方をしたことがありませんでした。ウサギが、並んだサメの背中を踏んで渡る、という神話も、言われてみればサメの背中にはセビレがあるしツルツルして滑りそうだし、足場が悪そうです。実はワニだった、と考える方がスッキリしますね!
宮崎弁と青森弁がよく似ていると言われていますね。繋がりが見えてきたような気がしています。
ありがとうございました😊アイヌのことから勉強してとてもとても感謝してます。
諏訪大社上社の宮大工一族の家系に生まれ、上社の杜に住む者です。30年ほど前、アメリカのSeattleから訪れた友人に、諏訪を英語に似せてスワと言ったら「英語でsewerに聞こえるが、それはは下水道のことだ。」と言われて驚きました。先生が、諏訪には太古の昔に既に灌漑事業があったと言われましたが、それと何か関係があるのでしょうか。偶然の一致感も否めませんが、自分でも調べたいと思っています。
ラテン語でソーは縫う(ソーイング)って意味も。網のように張り巡らした配水や井戸とイメージは合致します。地下水脈の事か。縦の糸と横の糸で機織りにも通じます。秦氏ですし。
諏訪大社は宝亀10年に阿波国名方郡諏訪の多祁御奈刀弥神社から移遷されています。現在の名方郡は名西、名東の二郡にわかれていますが、建御名方神の土地なので名方郡だったのです。鹿島神宮、香取神社も阿波の人々と共に阿波から移って行っています。古代の阿波を無視しないでください。
とても興味深いお話でした。出雲にはユダヤ民族がいたんですね。そうすると製鉄技術なんかもあちら由来なのでしょうか。ところで全般通して聞くと、日本のクリスチャンが好みそうな話ですね。つまり、日ユ同祖論的な感じがするのですが、知り合いの牧師さんが聞いたら泣いて喜びそうです。
はい。真実の目が必要です。
そう思います
素戔嗚が灌漑の祖とするなら納得いくところです。八岐大蛇の伝説、これは治水と思われます。諏訪も、物部の地と考えます。埋め立ての過去もありますが、逆流のその意味
建御名方とは「ケイン女方(オンナ方)、あるいはオンナホ」に音読み、訓読みでそれぞれ意味を掛けてあります。建御名方とはケインの血統の女性、つまり娘であると伝えているのです。古事記の作者は時の天皇ではなく、内情に詳しかった稗田阿礼と太安万呂であったのは稗田阿礼とは礼阿田稗「レア、ダビ(デ)」だったからです。稗田はヒエタではなくヒダであり飛騨なのです。太安万呂とは呂万安太、つまり「ローマ、アンダ」です。ただ聖書には、ダビデ王はユダヤ人ではありますが悪を倒した羊飼いの少年がダビデ王となったとありますので、帝の直系ではないとも考えられます。では帝の直系とは誰かずばり「運慶」つまり慶運、ケインなのです。いろは歌が最後に「ん京」と付けるのは「京ん」つまりケインを表しているのです。いろは歌を原文の漢字で読めば秘密が多数暴露されていますよ。(読み方も①普通に右上から下に、②右上から左横に、③角だけ選んで、と読める様に漢字を選んで(音訓入り交ぜて)意味を伝えているのです。作者(筆記者)の太安万呂の立場になって紐解いていくと核心が少しずつ見えてきますよ。
鰐について。日本にも野生の鰐がいたことが鰐の化石が発掘されたことで明らかになりましたね。
なるほど‼️面白いお話です。
自分は24年前に読んだ足立育郎著書「真 地球の歴史」の中で現日本人のルーツについて記述があって、それは超古代文明の破滅後、約5000年くらい前、プレアデス星の某惑星系にルーツを持つ一団が、中近東から途中(インドや中国)を飛び越えて土着の日本縄文人の住む中部地方に降り立ち、同化して高度な文化圏を築いた、とあることを思い出しました。一気に日本を目指したのは超古代文明の遺産である世界地図と世界的な文化交流の記憶を基に飛行物体を利用し一気に目指したということです。なぜ日本へ? これは田中先生のお話しで勉強を深めて楽しんでゆきたいと思います。
三内丸山遺跡の巨大な支柱や古代の出雲大社の支柱、そして、諏訪の御柱祭。なにか、結びつく気がします。いや、ただの願望、妄想、ロマンでしかありませんが。
河勝の言われたら、納得できる。ユダヤ人の技術集団が昔より日本に来ていたから代々に伝承していた。と思われる。
「シャムライ」はアラム語の「戦人」と聞いています。
縄文時代は海の水位が高かったのでそこに信仰の場所がありそこにちなんでできる神社も高台になった?沢山の同系列の神社は情報網だった?
2021/06/04[諏訪の祭りと同化ユダヤ人]の講義大変興味をもって聞かせていただきました。参考になりました。有難うございます。先生の講義、シリーズを追っ掛けたいと思っております。宜しく願いします。09/04の講義内容に1ケ所疑義が有ります。沼地の水利等工事には秦河勝の名が出ておりました。河勝は西暦500年前後の人、ここは徐福が連れ来た人達と考えるのは無理でしょうか。
先生、京都大学の理工学は強いですよねぇ。特に土木に関しては特出していると個人的には思うのですが・・・
このような日本国の歴史をアメリカは学んでほしいです、あまりにも訳の分からないことを言うことはよく考えてください、日本国の歴史は古いですアメリカとは資格にもなりません、これはイギリスがお分かりです、コロンブスがアメリカ大陸を発見したと騒ぎ立てるが日本とは資格にもなりません、わからない国がなんだかんだということはあまりよくないのでは日本国の歴史は大変なものです、朝鮮も日本の縄文時代にはまだ朝鮮半島には無人の国です縄文人がいたり来たりで住でいました、このように日本国の歴史は古いです。
先生、深謝す、😊
過去に「群馬の羊太夫」について出版された本(前橋市の本屋さんだったかな?)を見て中をペラペラ捲った事がありました。
先生の教えをうけたかった、都の西北にいかず東北へ、悔やまれてならず、
動画で久保有政、池袋キリスト教会牧師も同じような事云ってました
諏訪の「ハットリ時計」を精密工業)というより、諏訪大社の祭神と「服部」という漢字の面の関係で把握すべきです。「服部」を何故、「ハットリ」と呼称するのか?ヒント:一、諏訪大社の祭神は「モリヤ」という山です。二、物部氏は「神道」で、「原始キリスト教」の秦氏と新和性があったのです。物部氏の家来だったのが「服部」なわけで、「ハットリ」は「ハタオリ」の訛った発音でしょう。
私はタケミナカタと大国主の親子関係に不信感は有りました。それは性格、諏訪と島根の人間性が全く違うんですよね。島根は穏やかな方が多く、諏訪は違うんですよね。人柄は神様に反映されます。又エジプトから日本に来たのは皇室や、九州の海部氏、海人系になると思います。蘇我連は朝鮮、韓国系だと聞いてます。日本は北、南と2つに分かれていたように思います。蘇我氏は竹内宿禰、秦氏ですよね。 不思議なんですよね。全てがこの方々が開拓と言うか開いたように書かれて居たのが。始めてです。しかし、神様には役割は有ります。そして、今のユダヤ、北のイスラエル、昔のユダヤ、北イスラエルは別ですよね。歴史は真実は1つなので、平和に神様を穏やかに祀りたいですね。
過去に「群馬の羊太夫」について出版された本(前橋市の本屋さんだったかな?)を見て中をペラペラ捲った事がありました。スイスのユダヤ人?と諏訪に逃げ込んだ建御名方神とどんな関係がありますか?思い付きの推論の連続では説得力は零です。
旧約聖書約束の地を求めて守矢の地へ参ったモーセと民たちその時日本では縄文文化の中心は諏訪地方新約聖書キリストの青年期何十年間はどこかに修行に行き、帰ってきてから奇蹟を起こす。その何十年間は日本で修行し縄文信仰(ミシャクジ)と融合していたのではないでしょうか。
ソロモンの神殿の柱はレバノンから引いてきたと記されていますね。
諏訪大社の南側にある「守屋山(モリヤ)」は「マリア」の名前から付けられています。因みに「有馬」も「マアリ」を逆読みにして付けられた名前ですよ。ただし、マリアの名前に限らず本物と成り済ましが存在しますので注意する必要があります。
【諏訪】とは。「諏」とは、聚(あつま)って謀ること。神意にはかる。ことの是否を問う。謀(手段)を問う。詛(誓い)と通じ祈ること。「訪」とは、人の所へたずねて行く。おとずれる。そこへ行って探し求める。だから「諏訪」とは、熟慮の末、神意によって探し求められた土地。
su wa/スワ、何語なんでしょうか❓️
樋口中将、尊敬す、
聖徳太子はキリスト教徒であった。
ユダヤ選民思想、天が与えるたものか、日本対抗姿勢として、人類の繁栄を、
でもアブラハムの忠節に免じて、すんでのところで神は止めさせるんです❗😀
いつも思うんだが田中英道氏はヘブライ語がどれくらい達者なんですか。
読めない、喋れない❓
信長ユダヤの六芒星の旗あげる、知っていたのではないか、皇室守りし意味ふかし、
ユダヤ人は何人くらい来たのかな
こういう独自の推論で歴史を語る人何人かいるけど、推論に推論重ねてるだけだからね?楽しく聞くには需要あるんであろうけど史実とは実証されてない事は理解して聞かないと。信じ込んだら駄目だよ
「結局のところ」が多すぎ。結局、今の「日本」にたどり着く。
大国主命はインドから来た説があるらしいのですがどうなんでしょうか?
柱を閉じ込めて、骨抜きにした。のですよ。
今の技術なら、DNA鑑定すれば、わかるはずです... この観点が正しいかどうか
イヤホンマイクできくと、うめき声に聞こえます。技術者集団がユダヤ人の特徴ですね。
想像や表面的付合の話しで結論付けて学問的でない。
毎度、時代の時系列が無視。。
訂正二、物部氏は「神道」で、「原始キリスト教」の秦氏と新和性があったのです。↓二、物部氏は「神道」で、「原始キリスト教」の秦氏と親和性があったのです。
アスカリアン??
田中さんは、渡来したユダヤ人の宗教は、日本の宗教文化(神仏混合文化)と「同化」したと言うが、ちょっと腑におちない。何故なら、「同化」というのは平和的な側面を持って融和したというようなことだと思うが、「暗殺」などによる反論の抑圧、封殺による歴史改竄という「悪事の仕上」は「同化」とは異なると思うから。
いやいや……フツーに喧嘩も戦争も裏切りもあったでしょうよ。当たり前です。そうして互いの強さや度量の広さを認めあった上での同化です。相撲やプロレスの面白さと同じですね。皆、喧嘩しながら、その違い(摩擦)を楽しんでいます。
同化などという生易しいものでなく、異文化のいいとこ取り。日本語をフイルターにして、異文化の「浮華」は捨て去ってきた。
縄文時代にユダヤ人っていたの?
もう少し、体系的に話してくださると有り難い。
みんなが知ってるとこを自慢げに話す田中教授。
知っていませんよ。
おっちゃんのだらだらトークでなに言ってるのかさっぱりわからん。
歴史嫌いですか
バラバラのピースが次々にはまっていく感覚で聞かせていただきました。日本で暮らすうちに、いつか同胞と国を再建したいという当初の想いよりも、日本に同化していく方を選んだのですね。すっきり出来たことが沢山あります。有り難うございました。
『アマテラスの暗号』というダ・ヴィンチ・コードのような歴史ミステリー小説に、古代ユダヤとの関係が詳しかったです。小説としても秀逸でした。
田中英道先生のお話は、信用できるので、よく聴いています。
目から鱗の情報もあり、とても面白いです。
勉強になります。
ありがとうございます。
先生の書籍を買入してこのUA-camで目が覚めた一人です。昨年は諏訪大社巡りへ家族で行きましたが、今回の講義を聞く事が出来て感無量です。感謝。一部の家系が羊太夫に関係していそうです。
『アマテラスの暗号』というダ・ヴィンチ・コードのような歴史ミステリー小説に、古代ユダヤとの関係が詳しかったです。小説としても秀逸でした。
諏訪に住む者です。15年ほど前から、諏訪ユダヤ人同祖説を考えていました。地元人しか知らない場で、ジャコッパラという地があります。ジェウコブが原、ヤコブ原が語源だと、私は考えています。ヤコブはイサクの子です。ヤコブは天使と相撲をして勝ち、イスラエルの名を神から貰いました。面白いことに、この場で鎌倉時代、武芸オリンピックが行われたようです。源、北条は一連のことを知っていたかも知れません。
イサクと佐久にも何か関係がありそうな気がしますがどうでしょうか?
諏訪に耕す土地がなくなり山を越えて佐久に入植した話もありますしね。
@@大久保正昭 イサクは確かイスラエルとは関係なかったと思います
@@ptwjhbeamjgtwda イサクはヤコブ(イスラエル)の親ですよね、イスラエルに関係ないとは仰る意味が分かりません。
@@大久保正昭 入力が違いました。すみません、佐久は特にイサクからきているわけではないと言うことを言いたかったのです。佐久の由来は新開と言うのが、有力というみたいですよ。申し訳ありません。
仰るなんて、小さな事はしません。
ただ何でも付けてしまうのは正しくないと思ったのですが、誤解してしまう入力は私の間違えでした。すみませんでした。
@@ptwjhbeamjgtwda 新開というのは知ってました、新海三社神社がありますから、諏訪から入植した話も聞いたことあります。佐久とイサクを結びつけたのは私の勘です、佐久→諏訪→ユダヤからの連想です。
仰る(おっしゃる)なんて小さな…からの文章の意味がわかりません、すみません。
ちなみに新海誠監督は出身地の新海三社神社から名前をつけたみたいですね、本名は新津ですね。
田中先生のお話は、非常に面白かったです。諏訪大社の総代の方の名字が濱(ハマ)というのですが、これはヘブライ語のハマーという灌漑都市の名前と読みが同じであり、灌漑技術を持った人間が諏訪地方に渡来したという田中先生のお話と、総代の方の名字が妙にリンクしていて、スゴイな、時代を超えて、名前が由来しているのかも…と思いました。
久しぶりにご講義に接する事ができて、非常に嬉しく存じます!気合いを入れて拝聴します。
先生のユダヤと日本の関係のお話しは素晴らしいです。大地溝帯の北端のガリラヤ湖から流れるヨルダン川と、日本の中央構造線の北に位置する諏訪湖から流れる天竜川。古代、日本を訪れたユダヤ人はこの風景に共通する何かを感じたのかもしれませんね。
本日の話は是非とも体型的に纏めてください。小生は30年ほど前に静岡に勤務したことあり、静岡よりも白村江の戦いに船を1艘建造したこと(全体で八百余船)を知りました。何故日本から百済救済に出陣したのかなど、腑に落ちないと思っておりました。そのうち、本日先生の話の「ミシャクジ」が静岡に多数あり(233社)(他に、長野県750社、愛知県229社など)、派遣の背景であること、一部ユダヤと関係がある事を知り、日猶同祖論関係の本をいくつか読みました。最近は先生の講義を多数回拝聴し、朝鮮と日本の関係のkeywordは秦氏の存在であると理解できます。歴史的な事実であると思われるため、しっかりと文献にして下さい。
大変素晴しい番組だと思います。歴史ファンにとっては田中先生のお話はたまらないです。皇居が焼けなかった。天皇にユダヤ人の血が流れているからではないでしょうか?鷲鼻が証明しています。
素晴らし、菅江真澄・信濃の旅/紹介動画、有り難うございます✨菅江の奥州・平泉での稚児神楽の記述を思い出しました☀️有り難うございました🎵
湿地帯を開墾灌漑し整地する土木技術に長けた人達と言うと、出雲からの大国主命が右手に持っている打出小槌のハンマーが連想されますが、似た条件であったであろう大和との共通点が思い浮かぶのが面白いと思いました。ユダヤ系の人たちは相当古くから、または最初から日本の国土形成に共に深く携わっていた様ですね。とてもそうは思えない出雲に実は沢山の技術を持った帰化人たちが同化していた。というのは、驚きでした。
諏訪の透明な黒曜石が珍しくて縄文時代の日本各地の人々はそれを求めてやって来たってNHKでやってたの思い出した…
昨夏、洩矢資料館にて天竜川の戦いの話しを知りました。先生の須佐之男がユダヤ人という事で、多賀神社のおしゃもじ、おたまじゃくしは蛙の子の意味がわかりました。You Tubeの情報発信で歴史を見直すきっかけになります。先生、これからも色々と教えて下さい。
国譲りでタケミナカタが諏訪に追いやられたイメージがありましたが、もっと肯定的な意味があったのですね。勉強になります。
ソロモン神殿と諏訪御柱祭の関係性に驚きました。御柱祭はお祭りとして魅了されますが、昔から諏訪一帯の住人は長野県の中では異なっていると聞いたことがあります。歴史は面白いです。
はい、そう感じてます
言霊の見地からも、天災時にはスサノオを祀っている氷川神社に避難すると大丈夫とあります。
先日、善光寺と諏訪大社に行ってきました。御柱が、なぜ樅ノ木なのかな~っと不思議でしたが、お話を聞いて、府に落ちました。
善光寺のご本尊も無縁ではなさそうですね。
栃木県小山市粟宮のある阿波神社の境内に樅の木群があります ここが国道4号沿いなんですが、ここから北側
方面に走ると小銅鐸が出土したゴルフ場があります。つまり小山市は茨城県結城市に抜ける経由地であったと思われます。
@@横田エリザベス 標高の高い所でしょうね。樅の木はとても美しい。
日本特有だなんてこの年まで知りませんでした。
土地に根付いた情報ありがとうございました!
ご存じでしょう。縄文海進7000年前、6000年前海の海面の高さが、140mから120m高さがあった。
3000年前でも、50m~60mエジプト、パレスチナも今のよりも、豊かな自然環境、サハラ砂漠も緑豊かな
環境、パレスチナの死海も今よりも3倍くらい広い湖、エジプトとパレスチナとの境のスエズ運河地帯も葦の原湖沼
も多く、大湿地帯だったらしい。ソロモン王のタルシシ船団は、紅海からインド洋、東アジアまで、航海していた。
友人のヒラムの船団は、地中海貿易、中心になるのはフェニキュア人で、陸路シルクロードも砂漠地帯ではなくて、
オアシスや湖沼河川も多く、シルクロードの中心になるのはアラム人、ヘブライ人もフェニキュア人もアラム人も一部は
三位一体的な関係・・海のシルクロードの中心になるフェニキュア人のタルシシ船団、陸のシルクロードの中心になる
のはアラム系のユダヤ人でしょう。古事記の伊津面イヅモ⇒出雲は、島根の出雲ではありません。阿波徳島の河南市
四国の吉野川海岸は、当時は海面も高く、海岸縁、辺を、ヘブライ語で、イヅモと言う、海岸縁辺、河南市・・
美馬地域、鶴亀山剣山ツルギ山ツルとは、ヘブライ語で、岩と言う意味。素戔嗚スサノハァ王:スサノハァはヘブライ語で、
良い住まい住吉に期待すると言う意味らしい。古事記、天照大神アマテラスは、太陽、月読みは、月の・・これは太陰暦こよみ。
素戔嗚スサノハァ王は、阿波徳島の海岸部伊津面イヅモ⇒出雲の初代王・・オオクニヌシノミコト大国主命も
古事記の舞台では、阿波徳島だ相応しい。美馬は小倭ヤマト、倭大國魂神社あり。耶馬壹ヤマト國倭イ=伊予二名島東を伊国
西を予国・・紀伊水道の紀ノ國と伊の国、伊は猪、井・・鼻は端、辺、頭は中心部・・須賀は沼地・・蛭の形の吉野川の
沼地を「蛭子蛭の住む沼地と言う」阿波は、粟の多いくに。葦原の葦で、葦船を作る・・阿波徳島は海洋民族の国だった。
初代入植植民地移住して、ユダヤ系移民と高天原⇒美馬へ素戔嗚スサノハァ王の親戚の天孫人種族の瓊瓊杵尊系が美馬から
阿波徳島から徳島東海岸部河南市に「イヅモ伊津面イヅモ⇒出雲国建設」・・淡路島の大和大國魂神社対岸の紀ノ川上流の
吉野川のから奈良盆地入植植民地移住して、大和大國座魂神社・・本家本元元祖は阿波徳島の美馬の耶馬壹ヤマト國倭イ
が、奈良盆地の分家筋が商売繫盛の大倭国⇒大和朝廷⇒日本へ大発展したのでしょう。名前のレプリカ・・
アメリカのイギリスのニューヨーク等と言ったところ、邪馬台国の台は、耶馬壹ヤマト國倭イの壹:ウ冠の中を読むと
豆トゥとよむのが日本語の常識、台タイとは読めない。ヤマト・・ミマは「大祓祝詞の皇御孫命すめミマのみことの美馬ですね。」
出雲大社は、明治4年に「杵築神社が出雲大社の格上げ、改名した。」島根は、当時は古事記に地名はありません。
日本は多民族国家海洋国家でしたね。
河南市は阿南市の誤りではないですか?
田中先生の縄文のお話をアップしましたので、こちらもどうぞよろしくお願いいたします。
田中英道先生に聞く#2★縄文文明とは何か?日本は水の文明大国!火焔土器ではなく水紋土器!今こそ縄文を再認識!
ua-cam.com/video/6Uh7wluxsk8/v-deo.html
ナガスネヒコ=脛が長い!
今まで、その様な考え方をしたことがありませんでした。
ウサギが、並んだサメの背中を踏んで渡る、という神話も、言われてみればサメの背中にはセビレがあるしツルツルして滑りそうだし、足場が悪そうです。
実はワニだった、と考える方がスッキリしますね!
宮崎弁と青森弁がよく似ていると言われていますね。繋がりが見えてきたような気がしています。
ありがとうございました😊
アイヌのことから
勉強してとてもとても
感謝してます。
諏訪大社上社の宮大工一族の家系に生まれ、上社の杜に住む者です。30年ほど前、アメリカのSeattleから訪れた友人に、諏訪を英語に似せてスワと言ったら「英語でsewerに聞こえるが、それはは下水道のことだ。」と言われて驚きました。先生が、諏訪には太古の昔に既に灌漑事業があったと言われましたが、それと何か関係があるのでしょうか。偶然の一致感も否めませんが、自分でも調べたいと思っています。
ラテン語でソーは縫う(ソーイング)って意味も。網のように張り巡らした配水や井戸とイメージは合致します。地下水脈の事か。縦の糸と横の糸で機織りにも通じます。秦氏ですし。
諏訪大社は宝亀10年に阿波国名方郡諏訪の多祁御奈刀弥神社から移遷されています。
現在の名方郡は名西、名東の二郡にわかれていますが、建御名方神の土地なので名方郡だったのです。
鹿島神宮、香取神社も阿波の人々と共に阿波から移って行っています。
古代の阿波を無視しないでください。
とても興味深いお話でした。出雲にはユダヤ民族がいたんですね。そうすると製鉄技術なんかもあちら由来なのでしょうか。
ところで全般通して聞くと、日本のクリスチャンが好みそうな話ですね。つまり、日ユ同祖論的な感じがするのですが、知り合いの牧師さんが聞いたら泣いて喜びそうです。
はい。真実の目が必要です。
そう思います
素戔嗚が灌漑の祖とするなら納得いくところです。
八岐大蛇の伝説、これは治水と思われます。
諏訪も、物部の地と考えます。
埋め立ての過去もありますが、逆流のその意味
建御名方とは「ケイン女方(オンナ方)、あるいはオンナホ」に音読み、訓読みでそれぞれ意味を掛けてあります。
建御名方とはケインの血統の女性、つまり娘であると伝えているのです。
古事記の作者は時の天皇ではなく、内情に詳しかった稗田阿礼と太安万呂であったのは稗田阿礼とは礼阿田稗「レア、ダビ(デ)」だったからです。
稗田はヒエタではなくヒダであり飛騨なのです。
太安万呂とは呂万安太、つまり「ローマ、アンダ」です。
ただ聖書には、ダビデ王はユダヤ人ではありますが悪を倒した羊飼いの少年がダビデ王となったとありますので、帝の直系ではないとも考えられます。
では帝の直系とは誰か
ずばり「運慶」つまり慶運、ケインなのです。
いろは歌が最後に「ん京」と付けるのは「京ん」つまりケインを表しているのです。
いろは歌を原文の漢字で読めば秘密が多数暴露されていますよ。(読み方も①普通に右上から下に、②右上から左横に、③角だけ選んで、と読める様に漢字を選んで(音訓入り交ぜて)意味を伝えているのです。
作者(筆記者)の太安万呂の立場になって紐解いていくと核心が少しずつ見えてきますよ。
鰐について。日本にも野生の鰐がいたことが鰐の化石が発掘されたことで明らかになりましたね。
なるほど‼️面白いお話です。
自分は24年前に読んだ足立育郎著書「真 地球の歴史」の中で現日本人のルーツについて記述があって、それは超古代文明の破滅後、
約5000年くらい前、プレアデス星の某惑星系にルーツを持つ一団が、中近東から途中(インドや中国)を飛び越えて土着の日本縄文人の住む
中部地方に降り立ち、同化して高度な文化圏を築いた、とあることを思い出しました。一気に日本を目指したのは超古代文明の遺産である
世界地図と世界的な文化交流の記憶を基に飛行物体を利用し一気に目指したということです。なぜ日本へ? これは田中先生のお話しで勉強を
深めて楽しんでゆきたいと思います。
三内丸山遺跡の巨大な支柱や古代の出雲大社の支柱、そして、諏訪の御柱祭。
なにか、結びつく気がします。いや、ただの願望、妄想、ロマンでしかありませんが。
河勝の言われたら、納得できる。ユダヤ人の技術集団が昔より日本に来ていたから
代々に伝承していた。と思われる。
「シャムライ」はアラム語の「戦人」と聞いています。
縄文時代は海の水位が高かったのでそこに信仰の場所がありそこにちなんでできる神社も高台になった?沢山の同系列の神社は情報網だった?
2021/06/04[諏訪の祭りと同化ユダヤ人]の講義大変興味をもって聞かせていただきました。参考になりました。有難うございます。
先生の講義、シリーズを追っ掛けたいと思っております。宜しく願いします。09/04の講義内容に1ケ所疑義が有ります。
沼地の水利等工事には秦河勝の名が出ておりました。河勝は西暦500年前後の人、ここは徐福が連れ来た人達と考えるのは無理でしょうか。
先生、京都大学の理工学は強いですよねぇ。特に土木に関しては特出していると個人的には思うのですが・・・
このような日本国の歴史をアメリカは学んでほしいです、あまりにも訳の分からないことを言うことはよく考えてください、日本国の歴史は古いですアメリカとは資格にもなりません、これはイギリスがお分かりです、コロンブスがアメリカ大陸を発見したと騒ぎ立てるが日本とは資格にもなりません、わからない国がなんだかんだということはあまりよくないのでは日本国の歴史は大変なものです、朝鮮も日本の縄文時代にはまだ朝鮮半島には無人の国です縄文人がいたり来たりで住でいました、このように日本国の歴史は古いです。
先生、深謝す、😊
過去に「群馬の羊太夫」について出版された本(前橋市の本屋さんだったかな?)を見て中をペラペラ捲った事がありました。
先生の教えをうけたかった、都の西北にいかず東北へ、悔やまれてならず、
動画で久保有政、池袋キリスト教会牧師も同じような事云ってました
諏訪の「ハットリ時計」を精密工業)というより、諏訪大社の祭神と「服部」という漢字の面の関係で把握すべきです。
「服部」を何故、「ハットリ」と呼称するのか?
ヒント:
一、諏訪大社の祭神は「モリヤ」という山です。
二、物部氏は「神道」で、「原始キリスト教」の秦氏と新和性があったのです。
物部氏の家来だったのが「服部」なわけで、「ハットリ」は「ハタオリ」の訛った発音でしょう。
私はタケミナカタと大国主の親子関係に不信感は有りました。それは性格、諏訪と島根の人間性が全く違うんですよね。
島根は穏やかな方が多く、諏訪は違うんですよね。人柄は神様に反映されます。
又エジプトから日本に来たのは皇室や、九州の海部氏、海人系になると思います。
蘇我連は朝鮮、韓国系だと聞いてます。日本は北、南と2つに分かれていたように思います。蘇我氏は竹内宿禰、秦氏ですよね。 不思議なんですよね。全てがこの方々が開拓と言うか開いたように書かれて居たのが。始めてです。しかし、神様には役割は有ります。そして、今のユダヤ、北のイスラエル、昔のユダヤ、北イスラエルは別ですよね。歴史は真実は1つなので、平和に神様を穏やかに祀りたいですね。
過去に「群馬の羊太夫」について出版された本(前橋市の本屋さんだったかな?)を見て中をペラペラ捲った事がありました。スイスのユダヤ人?と諏訪に逃げ込んだ建御名方神とどんな関係がありますか?思い付きの推論の連続では説得力は零です。
旧約聖書
約束の地を求めて守矢の地へ参ったモーセと民たち
その時日本では縄文文化の中心は諏訪地方
新約聖書
キリストの青年期
何十年間はどこかに修行に行き、帰ってきてから奇蹟を起こす。
その何十年間は日本で修行し縄文信仰(ミシャクジ)と融合していたのではないでしょうか。
ソロモンの神殿の柱はレバノンから引いてきたと記されていますね。
諏訪大社の南側にある「守屋山(モリヤ)」は「マリア」の名前から付けられています。
因みに「有馬」も「マアリ」を逆読みにして付けられた名前ですよ。
ただし、マリアの名前に限らず本物と成り済ましが存在しますので注意する必要があります。
【諏訪】とは。
「諏」とは、聚(あつま)って謀ること。神意にはかる。ことの是否を問う。謀(手段)を問う。詛(誓い)と通じ祈ること。
「訪」とは、人の所へたずねて行く。おとずれる。そこへ行って探し求める。
だから「諏訪」とは、熟慮の末、神意によって探し求められた土地。
su wa/スワ、何語なんでしょうか❓️
樋口中将、尊敬す、
聖徳太子はキリスト教徒であった。
ユダヤ選民思想、天が与えるたものか、日本対抗姿勢として、人類の繁栄を、
でもアブラハムの忠節に免じて、すんでのところで神は止めさせるんです❗😀
いつも思うんだが田中英道氏はヘブライ語がどれくらい達者なんですか。
読めない、喋れない❓
信長ユダヤの六芒星の旗あげる、知っていたのではないか、皇室守りし意味ふかし、
ユダヤ人は何人くらい来たのかな
こういう独自の推論で歴史を語る人何人かいるけど、推論に推論重ねてるだけだからね?楽しく聞くには需要あるんであろうけど史実とは実証されてない事は理解して聞かないと。信じ込んだら駄目だよ
「結局のところ」が多すぎ。結局、今の「日本」にたどり着く。
大国主命はインドから来た説があるらしいのですがどうなんでしょうか?
柱を閉じ込めて、骨抜きにした。のですよ。
今の技術なら、DNA鑑定すれば、わかるはずです... この観点が正しいかどうか
イヤホンマイクできくと、うめき声に聞こえます。技術者集団がユダヤ人の特徴ですね。
想像や表面的付合の話しで結論付けて学問的でない。
毎度、時代の時系列が無視。。
訂正
二、物部氏は「神道」で、「原始キリスト教」の秦氏と新和性があったのです。
↓
二、物部氏は「神道」で、「原始キリスト教」の秦氏と親和性があったのです。
アスカリアン??
田中さんは、渡来したユダヤ人の宗教は、日本の宗教文化(神仏混合文化)と「同化」したと言うが、ちょっと腑におちない。何故なら、「同化」というのは平和的な側面を持って融和したというようなことだと思うが、「暗殺」などによる
反論の抑圧、封殺による歴史改竄という「悪事の仕上」は「同化」とは異なると思うから。
いやいや……フツーに喧嘩も戦争も裏切りもあったでしょうよ。当たり前です。
そうして互いの強さや度量の広さを認めあった上での同化です。
相撲やプロレスの面白さと同じですね。
皆、喧嘩しながら、その違い(摩擦)を楽しんでいます。
同化などという生易しいものでなく、異文化のいいとこ取り。日本語をフイルターにして、異文化の「浮華」は捨て去ってきた。
縄文時代にユダヤ人っていたの?
もう少し、体系的に話してくださると有り難い。
みんなが知ってるとこを自慢げに話す田中教授。
知っていませんよ。
おっちゃんのだらだらトークでなに言ってるのかさっぱりわからん。
歴史嫌いですか