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「空」それは心の静寂だと思います。「こうきたらこうしてやろう」などと考えていては反応が遅くなる。相手の出方に応じた対処法は「息をするほど自然に出てくるよう」身に滲みこませた上でいざことと向き合う際は「空」であれ。
とても良い内容でした。流れる川の水のように絶え間ない努力。いい言葉だなと思いました。とっても聞きやすい話し方です。どうもありがとうございました!
いつもコメントありがとうございます😊より良い動画を出せるように頑張ります!今後ともよろしくお願いします!
とても分かりやすい解説。私なりの解釈だけど、勝負っていうとスポーツみたいだけど、武で負けは死を意味するから、生きるか死ぬかの場面で何の準備もなく、戦略もなく、そしてその場面で優しさなんて持ち合わせてどうするんだってことだよね。だから五輪書が海外でもビジネスの啓発本としても読まれてるよね。現代は武術でなく精神性を付け加えた武道が親しまれているけれど(それは勝負の場面、実践が無くなったからだけど)、例えば弓道では一射絶命といってこの一本を外せば死ぬという心持ちで弓を引き、剣道では負けは死を意味するため勝者は決して喜んではいけないという心があったりと、日本人は脈々と武の心を受け継いできているよね。宮本武蔵の五輪書は、肝心な術の部分、準備、鍛錬、戦略、そして死を直面した時にも動じない不動心を後世が忘れないためにって書いてくれたんだと思うな。
ありがとうございます. I text you from Tota Lake Colombia. I am learning Japanese due to my grandgrandma was from Nagoya.
五輪書読んだ事なかったが未完で終わっているのなら井上雄彦先生はこれで良かったのだと思える。
最も汚い、ある意味、極悪非道こそが「最強」という事なんだろうね。まあ、そうなると精神美とは相反する思想になるわけだから為政者からは嫌われてたかもしれないw でも、武蔵さんの言ってる事はよくわかる。本当の事だと思うし、本物の剣豪だったと思うな~。
コメントありがとうございます!「真剣勝負には、卑怯もクソもない!」って精神は、確かに大事かもしれませんよね!
読みたくなります。
コメントありがとうございます!ぜひ読んでみてください!😄
3:25 物差し→物干し
私が考える空は、それまでの地〜風を十分に理解し極めた上で、日常的にそれらを意識するとこなく囚われることなく赤子のようにまっさらな状態でいることです。自分の内面的な部分、外面的な部分の全てを知ることで、「自分」というものは存在しないんだと気づくための書だと思います。自分が持っている全ての人生観や観念はそれまで生きてきた中で培われたものであって、この世界に生まれた瞬間に脳内に刻み込まれるものではない。人は最初は空であったが、生きているうちに色々な価値観に触れることで自分自身を凝り固めてしまっているということに気づかせるためのものだと思います。
コメントありがとうございます。Na Aoさんの解釈を通してまた一つ勉強させていただきます。
ニッポンの戦後はGHQに作られた綺麗ごとです。しかし現実は負ければ全てを失います。今の時代にこそ大切な思想だと思います。
武蔵の考え方は一匹狼の考え方だと思います。そして一匹狼として生きる厳しさも伝えようとしたのではないでしょうか。誰かの考えのマネではなく自分で考えた事をまとめる厳しさも感じます。
凡人が60戦も命がけの戦いに勝てるわけなかろう。戦いの天才だったことは間違いない。キングダムでいえばカンキやヒョウコウ将軍が近いのかもしれん。
幼少期から無茶苦茶訓練された戦闘マシンやぞその上で綺麗事に拘らず勝つことに手段を選ばなかったから無敗になれたんや
卒なく、適切な配信かな、薄いビジネス指南書みたいと拝見してましたが、お!深いなと。空の巻のコメントです。三浦建太郎様ベルセルク最終直書みたいで、執筆未完成の書だったんだ。空の巻をどう活かしていくか、自分の課題だ!視点が垣間見れました。
凡人凡夫の剣法では、あの時代を勝ち抜いて生き残り名を馳せることは不可能だと判断します。たしかに吉川英治の小説「宮本武蔵」の影響は大きいと思います。しかし、日本刀を一度でも触った事がある人間なら、あんな重たい物を両手に一本ずつ持ってブン回す事がいかに難しいかお分かりだと思います。それを可能にしたのは180cmの、当時にしてはデカい体躯を無視できないと思います。そして、一説によると、武蔵は子どもの頃は左利きだったため、武士として育てる為には不利な為、父無二斎により厳しく矯正されたという逸話も残っています。そんな武蔵にとって、両手を利き腕のように使う事はおそらく造作もなかったでしょう。従って、武蔵にとって両手に刀を持って闘う事は極めて自然な発想だったと思います。また、武蔵左利き説は彼が残したとされる書画や彫刻にもその特徴が窺えます。右利きの人間が描くには難しい構図が多いとされています。つまり、武蔵は勝つ為に合理的且つ効率的、そして肉体的な事も総合的に考えた上で、使える物は使い確実に勝てる選択をしており、その時、その時で最善の策を選びとって闘っていたのだと思います。
いえ宮本武蔵以外にも2刀流で戦った人はいますし、柳生宗矩なども2刀流の扱いに言及したという記録がありますまた細川忠利の命により記した『兵法三十五箇条』には「刀を片手で扱うと最初は重く感じられるが、慣れれば問題ない。弓だって練習しないと上手く引けないじゃん。それと同じ。ただ力は人によって違うから、自分にあったサイズの刀を持つべき。」って書いてる
@@hdaougibliagaglilafb-sl2un 誰も他にいないとは言ってないし、二刀流と言っても、その使い方は様々です。丸目蔵人佐も晩年に二刀流を用いていますが、二刀を操って戦うというより右手に持った小刀投げ付ける、所謂投げ斬りに特化したタイプです。もちろん武蔵も投げ斬りは得意でしたが、伝説に語られるように二刀を両手に持ち攻守に用いた例は武蔵以外聞いたことはありません。
楽しく観させてもらっています。空は、自分的には、事物に固有の本質はないが、そこに固有の本質があるかのような錯覚はある。それが錯覚にすぎないこと気づかせるために、「空」という否定的な響きのある言葉が選びとられたと思います、ただし、空が正しく理解されるというのは、錯覚を錯覚であると気づくこと、それによって煩悩の根源に巣くう概念化(戯論)という心のはたらきから解放されることを意味していると思います。適当なコメントすみません、次の動画も楽しみにしてます。
鈴木さん素晴らしいコメントありがとうございます!大変勉強になりました(^^)これからもよろしくお願いします!
武蔵は自分の息子には勉学を修めさせてるからね未来が見えてるよ
見た目が似てきた好きすぎて
60戦嘘です
巌流島の決闘で、本当の史実では武蔵は定刻通りに来たそうです。遅刻して相手の心を惑わす作戦は小説によるものです。櫂を削って木刀にしたのも嘘。実際は自分であらかじめ作っていた大きい木刀を使用したそうです。あとで武蔵が家老にその時の木刀はどんなものだったのかね?と聞かれこんな感じのものとして渡した木刀が今も残ってます。
そもそも宮本武蔵が本当に巌流島で戦ったどうかは定かではない
武蔵がスライスした千枚漬けを売ったら儲かるやろな。
いーねー
面白いやん!
ありがとうございます!
殺されない為には何でもやるって事か?
武術の根本はそれです。そしてその方法論は、その時代の状況に拠ります。突き詰めると文化となり、思想となります。私も武術やってますが、もしナイフを出されても卑怯とは思いません。ルールのない世界ですから。
そりゃそーだろ。負け=死の世界で生きていた人間にとっては当たり前の思考だろ。
かわいい
2 歳で亡くなったの?
「空」それは心の静寂だと思います。
「こうきたらこうしてやろう」などと考えていては反応が遅くなる。
相手の出方に応じた対処法は「息をするほど自然に出てくるよう」身に滲みこませた上でいざことと向き合う際は「空」であれ。
とても良い内容でした。
流れる川の水のように絶え間ない努力。
いい言葉だなと思いました。とっても聞きやすい話し方です。
どうもありがとうございました!
いつもコメントありがとうございます😊
より良い動画を出せるように頑張ります!
今後ともよろしくお願いします!
とても分かりやすい解説。私なりの解釈だけど、勝負っていうとスポーツみたいだけど、武で負けは死を意味するから、生きるか死ぬかの場面で何の準備もなく、戦略もなく、そしてその場面で優しさなんて持ち合わせてどうするんだってことだよね。だから五輪書が海外でもビジネスの啓発本としても読まれてるよね。
現代は武術でなく精神性を付け加えた武道が親しまれているけれど(それは勝負の場面、実践が無くなったからだけど)、例えば弓道では一射絶命といってこの一本を外せば死ぬという心持ちで弓を引き、剣道では負けは死を意味するため勝者は決して喜んではいけないという心があったりと、日本人は脈々と武の心を受け継いできているよね。宮本武蔵の五輪書は、肝心な術の部分、準備、鍛錬、戦略、そして死を直面した時にも動じない不動心を後世が忘れないためにって書いてくれたんだと思うな。
ありがとうございます. I text you from Tota Lake Colombia. I am learning Japanese due to my grandgrandma was from Nagoya.
五輪書読んだ事なかったが未完で終わっているのなら井上雄彦先生はこれで良かったのだと思える。
最も汚い、ある意味、極悪非道こそが「最強」という事なんだろうね。まあ、そうなると精神美とは相反する思想になるわけだから為政者からは嫌われてたかもしれないw でも、武蔵さんの言ってる事はよくわかる。本当の事だと思うし、本物の剣豪だったと思うな~。
コメントありがとうございます!
「真剣勝負には、卑怯もクソもない!」って精神は、確かに大事かもしれませんよね!
読みたくなります。
コメントありがとうございます!
ぜひ読んでみてください!😄
3:25 物差し→物干し
私が考える空は、それまでの地〜風を十分に理解し極めた上で、日常的にそれらを意識するとこなく囚われることなく赤子のようにまっさらな状態でいることです。自分の内面的な部分、外面的な部分の全てを知ることで、「自分」というものは存在しないんだと気づくための書だと思います。
自分が持っている全ての人生観や観念はそれまで生きてきた中で培われたものであって、この世界に生まれた瞬間に脳内に刻み込まれるものではない。人は最初は空であったが、生きているうちに色々な価値観に触れることで自分自身を凝り固めてしまっているということに気づかせるためのものだと思います。
コメントありがとうございます。
Na Aoさんの解釈を通して
また一つ勉強させていただきます。
ニッポンの戦後はGHQに作られた綺麗ごとです。しかし現実は負ければ全てを失います。今の時代にこそ大切な思想だと思います。
武蔵の考え方は一匹狼の考え方だと思います。そして一匹狼として生きる厳しさも伝えようとしたのではないでしょうか。誰かの考えのマネではなく自分で考えた事をまとめる厳しさも感じます。
凡人が60戦も命がけの戦いに勝てるわけなかろう。戦いの天才だったことは間違いない。
キングダムでいえばカンキやヒョウコウ将軍が近いのかもしれん。
幼少期から無茶苦茶訓練された
戦闘マシンやぞ
その上で綺麗事に拘らず勝つことに
手段を選ばなかったから無敗になれたんや
卒なく、適切な配信かな、薄いビジネス指南書みたいと拝見してましたが、お!深いなと。空の巻のコメントです。三浦建太郎様ベルセルク最終直書みたいで、執筆未完成の書だったんだ。空の巻をどう活かしていくか、自分の課題だ!視点が垣間見れました。
凡人凡夫の剣法では、あの時代を勝ち抜いて生き残り名を馳せることは不可能だと判断します。
たしかに吉川英治の小説「宮本武蔵」の影響は大きいと思います。
しかし、日本刀を一度でも触った事がある人間なら、あんな重たい物を両手に一本ずつ持ってブン回す事がいかに難しいかお分かりだと思います。
それを可能にしたのは180cmの、当時にしてはデカい体躯を無視できないと思います。
そして、一説によると、武蔵は子どもの頃は左利きだったため、武士として育てる為には不利な為、父無二斎により厳しく矯正されたという逸話も残っています。
そんな武蔵にとって、両手を利き腕のように使う事はおそらく造作もなかったでしょう。
従って、武蔵にとって両手に刀を持って闘う事は極めて自然な発想だったと思います。
また、武蔵左利き説は彼が残したとされる書画や彫刻にもその特徴が窺えます。右利きの人間が描くには難しい構図が多いとされています。
つまり、武蔵は勝つ為に合理的且つ効率的、そして肉体的な事も総合的に考えた上で、使える物は使い確実に勝てる選択をしており、その時、その時で最善の策を選びとって闘っていたのだと思います。
いえ
宮本武蔵以外にも2刀流で戦った人はいますし、柳生宗矩なども2刀流の扱いに言及したという記録があります
また細川忠利の命により記した『兵法三十五箇条』には「刀を片手で扱うと最初は重く感じられるが、慣れれば問題ない。弓だって練習しないと上手く引けないじゃん。それと同じ。ただ力は人によって違うから、自分にあったサイズの刀を持つべき。」って書いてる
@@hdaougibliagaglilafb-sl2un 誰も他にいないとは言ってないし、二刀流と言っても、その使い方は様々です。
丸目蔵人佐も晩年に二刀流を用いていますが、二刀を操って戦うというより右手に持った小刀投げ付ける、所謂投げ斬りに特化したタイプです。
もちろん武蔵も投げ斬りは得意でしたが、伝説に語られるように二刀を両手に持ち攻守に用いた例は武蔵以外聞いたことはありません。
楽しく観させてもらっています。
空は、自分的には、事物に固有の本質はないが、そこに固有の本質があるかのような錯覚はある。それが錯覚にすぎないこと気づかせるために、「空」という否定的な響きのある言葉が選びとられたと思います、ただし、空が正しく理解されるというのは、錯覚を錯覚であると気づくこと、それによって煩悩の根源に巣くう概念化(戯論)という心のはたらきから解放されることを意味していると思います。
適当なコメントすみません、
次の動画も楽しみにしてます。
鈴木さん
素晴らしいコメントありがとうございます!
大変勉強になりました(^^)
これからもよろしくお願いします!
武蔵は自分の息子には勉学を修めさせてるからね
未来が見えてるよ
見た目が似てきた好きすぎて
60戦嘘です
巌流島の決闘で、本当の史実では武蔵は定刻通りに来たそうです。
遅刻して相手の心を惑わす作戦は小説によるものです。櫂を削って木刀にしたのも嘘。
実際は自分であらかじめ作っていた大きい木刀を使用したそうです。あとで武蔵が家老にその時の木刀はどんなものだったのかね?と聞かれこんな感じのものとして渡した木刀が今も残ってます。
そもそも宮本武蔵が本当に巌流島で戦ったどうかは定かではない
武蔵がスライスした千枚漬けを売ったら儲かるやろな。
いーねー
面白いやん!
ありがとうございます!
殺されない為には何でもやるって事か?
武術の根本はそれです。
そしてその方法論は、その時代の状況に拠ります。
突き詰めると文化となり、思想となります。
私も武術やってますが、もしナイフを出されても卑怯とは思いません。ルールのない世界ですから。
そりゃそーだろ。負け=死の世界で生きていた人間にとっては当たり前の思考だろ。
かわいい
2 歳で亡くなったの?