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頼朝の父義朝は長男なのに父為義から廃嫡され、弟の義賢が先に官職(東宮帯刀先生)を得ているので、この時点での源氏の嫡流は義賢であるのは間違いない。結局、義賢は甥の義平(悪源太)に討たれてしまうが、子は木曽に逃れて義仲となる。大河で、義仲が行家から「そなたこそ、本来の源氏の嫡流」と蜂起をけしかけられているのも、あながち根拠のない話ではない
廃嫡じゃなくて、義朝は妾かなんかそこいらの子どもだから嫡男になったことすらないだろ義賢が廃嫡されたあとは保元の乱で処刑される頼賢が嫡男になったはずで義朝が嫡流なんて無理筋官位だけてみても摂津源氏の頼政のが全然上だし
@@のまのま組合 妾かなんかの娘?母親は淡路守藤原忠清の娘じゃねーの?義朝が庶長子で嫡子は義賢、次いで頼賢という説があるのは知ってる。源三位頼政の話はまあいい
西岡徳馬さんは、太平記では長崎高資、北条時宗では足利泰氏で、どちらも主人公に相対する勢力の人間として出演してたね。
やな役が上手いですからね。私は『北条時宗』と『太平記』を繋げて考えてるので西岡徳馬さんは北条顔なのだと思って見てます。北条と交配を繰り返した為に泰氏が生まれ得宗家の御身内人として北条家の傍流と交配した為、高資が生まれたというね。
投稿はあまり無理をなさらずになさってください。ゆっくりと待っています。
分かりやすく勉強になりました。
貴重な投稿主、ゆっくり投稿していってね
急にザックリしたテーマできましたねw何だかんだ今でもブランドイメージありますよね、足利。
歴史は連続している、っていう当たり前の事をつくづく実感するような話だった
足利義兼が運慶に作らせたという大日如来像がこの夏に足利市に久々に戻って公開されてますね
『風雲児たち』が幕末を描くためにいろいろ遡って描かなきゃー。という発想から江戸時代の始まりからスタートしたことを思い出したwさらに途中でもっと遡りたくなってたwそりゃ人間の寿命じゃ足りないよ…
これだけ日本史に詳しいとは素晴らしいです。今回の動画も興味深く見ることができました。
15:50室町クラスタなら、たとえ鎌倉時代を知らなくても「本来なら嫡流だったという気持ちを抱きながら」っていうフリでどの家か察せる説
うるせーんだよ家時
とても興味深い内容でした。ありがとうございました。次回も楽しみにしています。
足利の最下層分家の細川氏の最下層分家の和泉守護家が最終的に大名になってるのは面白いな
大名になっただけでなく内閣総理大臣の座も手に入れました
アッハッハッ!そうそう!細川護熙さんとかな。
@@kinnginnrimeiku 今は、五摂家にも養子いれてんだよな
なんなら近年の研究では、肥後細川氏はいわゆる一門成り(足利一門ではないものに足利一門の名字を与えて優遇する室町幕府後期のシステム)で細川を名乗っただけで、実は佐々木源氏だってのが通説だから、本来なら足利一門かどうかすらあやしい
@@y8e-k2n ですよね。別系統な可能性が高いまあ女系では繋がってますけどね、、
清和源氏発祥の地の多田の庄(:今の多田神社とその周辺)を継承した、頼綱以降の 多田と称した一族のことですが、頼朝が 源氏嫡流を主張する都合上 他の源氏(:木曽武田佐竹)を潰していった話を語る時、その時代の多田家当主である多田行綱が源頼朝に潰されたことが挙げられないのは、多田の地の民としては寂しく思います。(源経基-満仲(嫡子)-頼光(長子)-頼国(長男)-頼綱(五男) )多田神社は、その後、徳川家が清和源氏を詐称する為に保護したので復興した、という話が良く語られるのですが、実は、足利家の歴代将軍たちの分骨も祀られています。徳川だけでなく、足利家も多田神社を利用して源氏嫡流を主張しようとしたのかな?
足利家と北条得宗家がここまで蜜月だと時行くんが尊氏にあれだけヘイトを傾けるのも納得ですわ。
足利義氏、泰氏。頼氏、貞氏、足利尊氏の息子の義詮と足利本家当主の母は北条家の娘。分家も斯波、渋川等も北条家が滅びるまでは北条家の娘を母として生まれた人が当主となっている。これだけ濃い血縁関係。北条時行からすれば裏切られたと憎むのも分かる。
今月の逃げ若でいよいよ火蓋が切られた感じだね、戦場にいながら中央の大問題に気づいてしまった...
詳細な解説に、歴史の変遷の事象に驚きながら聞き入りました。楽しみに拝聴しています。
大変興味深く拝見しています。これからも楽しみにしています。
うーんやっぱり解り易くて知的興奮も味わえる、高評価連打ですぅ~♪
15:57斯波義将が好きなので斯波氏の発祥が分かって嬉しいです!17:291ヶ月でも3ヶ月でも半年でもずーっとずーっと待っていますので、こちらこそ今後も宜しくお願い致します
やはり「鎌倉殿の十三人」に足利家の人がでてほしかったですね
・畠山室が再嫁して畠山の名跡を残す、と言及・院宣が揃ったシーンで小四郎のボデーが名前を隠すwもうウォーリーを探せならぬ足利を探せ、でしたね
15:14 北条得宗に遠慮して廃嫡された足利家氏だが、実は北条得宗はじめ北条一門と非常に親密だった、準北条一門扱いまでされていたことは留意しなければならない。
いろいろ勉強になりました。
お久しぶりの解説、楽しませていただきました。 解説リクエストです。源平藤橘の姓から足利新田などの氏が家名として確立して行く過程の解説が聞きたいです。所領名や八幡賀茂新羅みたいな呼び名や源氏の棟梁云々言ってた(言っていない?)鎌倉殿が摂家将軍や宮将軍のときの姓や氏はどうなっていたのよ?とか、武田の嫡男なのに一条なの?みたいなことです
足利氏と北条氏が蜜月でないと尊氏の反乱の効果も薄くなるのでそのあたりも大事ですね。
細川や仁木の家格が低い理由が初めてよくわかった
足利義兼が大好きです!大河の主人公になれるくらいドラマチックです。父は早く亡くなり鎌倉創設に手伝い頼朝と相婿、奥さん時子を愛してたのに蛭子伝説、入定。子孫は室町幕府を開くこれは1年やれます!
待ってましたーー!!これは嬉しいテーマです(^^)
すばらしいな・・・世界史のメラニキに対し、日本史は太田うしいちニキが頭ひとつもふたつも飛びぬけてるな
このあたりは、北条政子&泰時VS北条義時&政村&三浦義村という破綻迎える前に義時が死んで開戦しなかった対立において、足利義氏は伯母の政子派として泰時支援していたような感じはありますねー。泰時は本来嫡流になれない家でしたし
平安末から鎌倉初期の頃は氏の枠組みが形骸化しつつも家の枠組みは形成途上だったので、嫡流というのはそれより後世からみて論じた面が強いんでしょうね。氏ということであれば鎌倉時代を通じて村上源氏に比肩すべくもなく、それを凌駕したのは氏長者の地位を奪った義満のときですね。
この辺り(平安末期&鎌倉初期)の事情を知ってると後の室町、戦国、江戸といった各時代がより見えてくるんですよね。特に家格について。例えば、なんで吉良(上野介)義央が高家肝煎に任じられてたとか。
斯波 は3管領の中でも細川・畠山よりも家格が高いと言われている理由が分かってありがたい
『北条時宗(大河)』の足利家はドロッドロやったなぁ
河内源氏の源頼信流より源頼光流の摂津源氏の嫡流ちゃうのんって思っちゃう
ゆっくり投稿していってね
生き残った源氏の中で頼朝公や北条氏に気に入られ、家格が良かったのが足利氏だったということだと思いました
源氏の嫡流がゲシュタルト崩壊を始めて運転しながら笑ってしまったでも東海線を行ったり来たりはそれこそ平安末期から続く武家のテンプレでそこから東北に行って消えてしまう者九州まで行って大復活する者京から西に行くつもりが謀反に遭う者など派生する多様な運命に歴史の面白さがありますね。さあ続きに戻ります。
6:13 藤姓足利氏も平家側じゃなかったっけ?
複雑な権力バランス。こんな時代に生きていたら長生きできないね。
結局のところ、世の中は勝者のプロパガンダによって成り立っている。
成程、斯波氏の家格の理由が解った
誰かの動画で源氏の嫡流は多田源氏ではないかというのを聞いた気がします。やはり正義が勝つではなく、勝ったものが正義ですよね。
勝てば官軍負ければ賊軍w 歴史は勝者が作るwww
@@orion6016足利氏は勝ったのにも関わらず最近まで賊軍扱いでした。
頼朝が嫡流ってのも後からだから言えるだろうけど当時は誰が嫡流かというのも曖昧なんて話も聞くしなぁ
甲斐源氏→武田、一条など信濃源氏→木曾、海野など近江源氏→佐々木、山本など河内源氏→源...ジャスト源?(この辺の認識がいい加減)
そも尊氏の頃の源氏長者が北畠という・・・そんで北畠も成り上がりという・・源氏は武家だけではなく公家もあるので頼朝が「源氏の嫡流!」って名乗ったら京都「wwww」なんじゃなかろか
@@naoki080808河内源氏の嫡流は頼朝かもしれないですね ただ頼朝の子孫が途絶えたので尊氏が幕府を開いたのでその時点で足利が嫡流になったのでは ? 何れにしても時代によって嫡流が変わるということじゃないですか?
義清が早死にしなければ広沢、仁木、細川、戸賀崎はどうなっていたのかな
こんばんは。とても興味のある動画ありがとうございます。我が家は、泰氏の非嫡流の家系で2代の時足利性ではなく現性を名乗るようになりその後没落して行った家系と聴いています。その泰氏自体もやらかした人物、代々やらかした家計の様です。
足利にも色んな源流がありますね。
漫画【北条時宗】にちょい役で出てきた家氏。斯波氏の祖だったのですね。
家氏の子孫が伊達家の性質を輩出した大崎氏や最上氏です。伊達みきおの一番近い男系祖先の伊達尚宗の外祖父は6代将軍義教から偏諱を受けた大崎教兼です。尚宗は政宗の高祖父です。
@@nozomu6 さん、そうだったのですか。ご教授ありがとうございます。
足利泰氏は北条時宗の大河でも得宗家と対立する役回りでしたねいいポジションにいたのにいったい何が不満だったのか?
鎌倉初期の足利義兼の母は熱田神宮の宮司家の人(頼朝の従姉、祖父の養女になったので義理の叔母)その点だけでも頼朝に大切に扱われる理由となる。だからこそ、時政の娘が嫁いだのだ。そして、北条の血が入っている源氏として鎌倉時代を通して大切に扱われた。家系図は自分の家以外の物を見ることは難しいので、大切に扱われた足利氏の源氏嫡流の主張を誰も疑わなかったと思われる。
おもしろいチャンネルだけど、イヤホンつけた時にBGMが五月蝿く感じる。
まあ、幕末の漫画を書くはずが、そうなるまでの前提条件を説明するために、結局関が原からはじめた漫画家もいましたからねえ。なお、肝心の幕末は、途中で未完になってしまった模様。
(定説の義親子説だと)為義の兄貴が為義よりはるかに高位に昇ってるから義家系の中でも特別感ってのさあんまり無いのよね為義流源家
義兼、義氏、義清が大好きのでとても嬉しいです!義兼は頼朝と相婿の地位を得ているので、他の御家人より特別、というイメージでした。なので、大河ドラマにはとっくに出てきてもいいはず、と思うのですが…未だに足利の影も出てこないんですよねぇ。
義兼公は御門葉という立場にあったのじゃよ。じゃからその認識で良いのじゃ。
やる夫鎌倉幕府で足利氏が好きになったから、詳しい説明はありがたい。
鎌倉時代、縁戚関係と所領の集積によって家格を上げた一族…それが足利。ただ幕府の中枢にはいなかった。そんな感じ。
評定衆とか全然呼ばれてないようだしね
俺の母方の祖先は以仁王の随臣だったから、足利とは共闘してたのか。父方は足利尊氏に臣従したから、父方母方ともに縁があったんだなー。
見ようぜ!やる夫鎌倉
義清と義兼の兄弟愛が良かったですね。義清の最期が泣けました😢
うしいちさんの去年の配信でも、今年の大河の予習に最適ってコメント多かったですもんね
あれは名作ですよ。治承・寿永の乱から宝治合戦まで分かりやすく見れました。あのスレで興味をもって足利市にも行ってきましたw
実際には、室町時代半ば過ぎまでは斯波を名乗って無く、武衛家と称され名乗りは足利のママです。(志和を名乗った人もいますが確か一代のみのハズ)。あと足利氏一門で本家以外に家格が一番高いのが吉良家なのに南北朝時代に家督争いが起きて没落してしまったのが何とも言えないです。細川、仁木、今川、一色、等はみんな吉良家の分家筋なのに!まぁ三河は高氏の拠点だったから高氏と対立したりすれば仕方ないのか?
歴史は苦手でよくわからないけど、今でいう従兄弟や再従兄弟やらで主権争いをずっとやってたってことでしょうか?
鎌倉後期はそれなりの立ち位置の御家人だと思ってましたね足利氏
そういえば、と、思わず嫡流の語源を調べてしまったw長男筋だから?母親の格も必要?ただでさえ縁者は多くそれぞれ言い分はあるので、結局声も力も大きい人がなってしまうんでしょうか。何が必要か、何が足りないのか、鎌倉時代を通じて足利氏は学ぶのでしょうか。
頼朝一族と血縁近いのに、鎌倉殿と13人に全然出てこない。
北条兄弟もまだ3人しか出てきてないし(これから時房が加わるけど)
名前だけ出てきませんでしたっけ?記憶違いでしたらすみません。
現代の認識に置き換えると 北条家が自民党で 足利家が 公明党のポジション 名門でもあり 有力な御家人ではあるけれど 北条にとって変われるほどの 力があるわけではない だからこそ 鎌倉時代の歴代の当主は高氏の代まで親北条路線を貫いた
沼の三管領家歌うマジカル天狗👺さまはアクティブなんだけど斯波畠山たるお二人は本職が忙しそう当たり前だけど優秀な投稿者は本職でも有能な筈だから 視聴者も待つしかないな。兵農分離編を再々再々再訪するか、大内義興公の華々しい活躍を眺めるか論文を読もう回をまとめて観るか、、、
そもそも頼朝の流れが源氏の正嫡かあ?って感じ
そもそも「源氏嫡流」なる概念も鎌倉後期以降、あるいはなんなら室町幕府初期あたりに成立した概念であって、頼朝の時代にはそんな概念なかった
平氏は桓武天皇の流れが中心だけど、源氏って色んな流れがありますね。
ここに出てくる源氏は佐々木判官(宇多源氏)を除きだいたい清和源氏だよ
細川町に住んでまして仁木町も隣りですが歴史的な物がほとんどありません
斯波氏は足利氏だったですね。知り合いに佐野というかたが、足利の親戚と言ってたのを、思い出した。そう、佐野ラーメンは足利ラーメンだったかもね。足利の親戚て、有名人がいそう。
下野国の武士だった佐野氏は確かに足利氏の分家に当たりますが、室町幕府を開いた源氏の足利氏ではなくて、この足利氏は藤原氏でした。元々下野足利庄は藤姓足利氏が荘官でした。
畠山ときくと、どうしても畠山鈴香思い出すーw
足利はいつから源氏の嫡流になったのか?要するに、天皇家の「正統」と同じようなものかなぁ?
楽しみにしてました。後半に語られるかもですが、太平記における足利と新田が同格と語られる部分、家康が足利一門目当てに徳川を称したとなると、少なくとも家康には太平記の認識が通じてない事になりそうですが、どうなんだろうと疑問に思ってます。徳川の世になったところで、太平記の新田同格説の認識が徳川によってより強まったとかなんですかね?
新田氏を名乗ったのは家康の祖父の清康が初めです。大樹寺の五重の塔の柱に書かれていたモノの後世の写しでそのことは知られていましたが、疑問視されてもいたので一般的に知られていませんが、近年調査の結果実際に書かれていた(正確には一部読み取れないのですが)ので間違い無く清康が自称していたのが判明しています。
だって三河って吉良さん始め足利一族が沢山いるんだぞ。足利の子孫なんて言ったら偽物って速攻でバレるじゃないか。
徳川が同じ源氏の中でも敢えて足利より格下の新田流を名乗ったのも、家康の「これからは足利に代わり新田の流れである徳川が世を治める」というメッセージだったのですね
@@アウトローという者 いや、偽物の癖に足利なんて三河で名乗ったら、周りの吉良さん達リアル足利一族に抹殺されるからだ。
@@戸田賢司さん なるほど!『忠臣蔵』で有名な吉良上野介義央とか、やたらと厚遇されてましたね
鎌倉江戸に比べ影が薄いイメージ
新田が嫡流を争うライバルで敵なら問題無いけど、新田が足利一門で本家に逆らって敵についていたら武家の棟梁としては立場ないからそれを隠せるのが足利の1番のメリットやない?南北が始まったころはまだ足利内での内ゲバも始まってないし。
徳川は自称源氏だから戦国時代でシャフルされて有象無象大名ばかりで源氏云々て意味ないよなw まあ系図詐称で一応源氏やら藤原氏などなど自称は大名はしていたけどなwww
0:15 佐々木源氏はそもそも宇多源氏であって、清和源氏ではない。源義光流の武田とか佐竹を持ち出す方がまだふさわしい。
私の母方も足利氏の嫡流の末裔なので記念カキコ
カキコ_φ(゚ー゚*) 久しぶりに見ました❗️
8:45 あれ?鎌倉殿の13人だとけっこう「自称嫡流」wを感じられたんだけどなあ。普通はそうでもないのかな?
近年の説を重用してるのかもですね。頼朝も尊氏も源氏の嫡流と名乗っていたのは幕府を創る上でのプロパガンダに過ぎないということですね。
「源」の名前しか誇れるものがないのが源氏。地域に根付き武力をもったものが 木曽・武田・佐竹・新田・足利・・・伊東に流され伊東の力を得られていたのなら伊東をなのったかもしれないが監視下の流人の立場でしかなく 「介殿」と完食しか取り柄のない男あつかいされてたのが頼朝。北条を嫁にもらい北条の支援得られ鎌倉に拠点得られたことで 「鎌倉殿」と呼ばせ地に根付いた力を持ったぞとなのってる・・・平氏も「中央の権力の一部」のひとは平氏のままだが地方兵器地方に根付き権力もったものは土地の名前名乗ってる。
アッ、下痢漏らしちゃいました😵!
頼氏は泰氏の息子ではないのですか?
足利氏と新田氏の違いについては、確かに諸説あるみたい。自分が昔習った時に聞いたのは名門の新田氏で、実力の足利氏って教わった。うろ覚えだが足利氏は平家を打倒した時に源頼朝に臣従したけど、新田氏は積極的には参加しなかったため、鎌倉時代は冷や飯を食ったって聞かされた。血統だけで言うと新田氏の方が格上だけど、実力人気は足利氏ってイメージだったな。けど後年自分で書物を読んだ時は実力、格ともに足利氏の方が上だって読んだことがある。だからその時点で一体どう考えたらいいのか疑問だった。
佐々木氏は、宇多天皇の系譜だから、宇多源氏ですね。清和源氏ではないですね。土岐氏は、美濃源氏で、清和源氏ですね。嫡流になったのは、3代将軍実朝が死んでからだと思いますが、違いますかね?
どうなんでしょう?頼朝の妻の北条政子が承久の乱の時に甥の足利義氏に源氏嫡流に伝わる三太刀を譲っています。この時期の源氏の総領は北条政子ですからその政子が嫡流の証の三太刀を譲ったということはこの時点で足利氏が源氏の嫡流になったという事では?
だって結城さんは、俵藤太の子孫という由緒正しい藤原氏武士だからな。
ただ俵藤太自身が藤原氏ではないという説もありますね。
足利と聞くと毎回ノンキャリの刑事を連想する。その心は足で利(理)を得ます。
大河で誰が足利を演じるのか今から楽しみ!足利好きの自分はその為だけに見てると言っても過言じゃないので。
義兼出てこないし、妻の時子(政子、義時の妹)の姿も透明化してるし。草燃えるにはちょこっと義兼が出てきたんだけど
『草燃える』では、承久の乱直前のシーンで義清が出てます。初代の義康ば『新・平家物語』に登場しています。『北条時宗』と『太平記』で、泰氏〜尊氏〜義詮まで繋がります。
@@翁竹取義清って 佐々木義清?義氏は草燃えるで、泰氏は北条時宗で、家時、貞氏、尊氏、義詮は太平記でみた。
@@かがみ純 わたしのミスです。義清ではなく、義氏でした。3代将軍義滿、4代義持、5代義量はいまだ登場せず。6代義教、7代義勝、8代義政、9代義尚、10代義材(義稙)、11代義遐(義澄)は『花の乱』ですね。義稙は『毛利元就』にも出てきました。12代義晴も未登場。13代義輝と15代義昭の2人は、戦国ものに頻出ですが、14代義栄は『麒麟がくる』が初登場でしたね。
@@翁竹取 徳川将軍は全員映像化されてるはずだが、大御所家斉(11代)は多くの映画やチャンバラ時代劇にちょこっと出てくるが、大河には1回も出ていない。大河未見の徳川将軍はこの人だけのはず。時代が半端だからだろうけど
いつの時代も武士は何かにつけ、血筋ガー家柄ガーなんですね😅
努力なんてしなくていいから、次々進んでくれないかぁ!!
中身は素晴らしいがナレーションの声が低すぎる 聞きにくい
ナレーションが聞きヅライ?
頼朝の父義朝は長男なのに父為義から廃嫡され、弟の義賢が先に官職(東宮帯刀先生)を得ているので、この時点での源氏の嫡流は義賢であるのは間違いない。結局、義賢は甥の義平(悪源太)に討たれてしまうが、子は木曽に逃れて義仲となる。大河で、義仲が行家から「そなたこそ、本来の源氏の嫡流」と蜂起をけしかけられているのも、あながち根拠のない話ではない
廃嫡じゃなくて、義朝は妾かなんかそこいらの子どもだから嫡男になったことすらないだろ
義賢が廃嫡されたあとは保元の乱で処刑される頼賢が嫡男になったはずで義朝が嫡流なんて無理筋
官位だけてみても摂津源氏の頼政のが全然上だし
@@のまのま組合 妾かなんかの娘?母親は淡路守藤原忠清の娘じゃねーの?
義朝が庶長子で嫡子は義賢、次いで頼賢という説があるのは知ってる。源三位頼政の話はまあいい
西岡徳馬さんは、太平記では長崎高資、北条時宗では足利泰氏で、どちらも主人公に相対する勢力の人間として出演してたね。
やな役が上手いですからね。
私は『北条時宗』と『太平記』を繋げて考えてるので西岡徳馬さんは北条顔なのだと思って見てます。
北条と交配を繰り返した為に泰氏が生まれ得宗家の御身内人として北条家の傍流と交配した為、高資が生まれたというね。
投稿はあまり無理をなさらずになさってください。ゆっくりと待っています。
分かりやすく勉強になりました。
貴重な投稿主、ゆっくり投稿していってね
急にザックリしたテーマできましたねw
何だかんだ今でもブランドイメージありますよね、足利。
歴史は連続している、っていう当たり前の事を
つくづく実感するような話だった
足利義兼が運慶に作らせたという大日如来像がこの夏に足利市に久々に戻って公開されてますね
『風雲児たち』が幕末を描くためにいろいろ遡って描かなきゃー。という発想から江戸時代の始まりからスタートしたことを思い出したw
さらに途中でもっと遡りたくなってたw
そりゃ人間の寿命じゃ足りないよ…
これだけ日本史に詳しいとは素晴らしいです。
今回の動画も興味深く見ることができました。
15:50
室町クラスタなら、たとえ鎌倉時代を知らなくても「本来なら嫡流だったという気持ちを抱きながら」っていうフリでどの家か察せる説
うるせーんだよ家時
とても興味深い内容でした。ありがとうございました。次回も楽しみにしています。
足利の最下層分家の細川氏の最下層分家の和泉守護家が最終的に大名になってるのは面白いな
大名になっただけでなく内閣総理大臣の座も手に入れました
アッハッハッ!
そうそう!
細川護熙さんとかな。
@@kinnginnrimeiku
今は、五摂家にも養子いれてんだよな
なんなら近年の研究では、肥後細川氏はいわゆる一門成り(足利一門ではないものに足利一門の名字を与えて優遇する室町幕府後期のシステム)で細川を名乗っただけで、実は佐々木源氏だってのが通説だから、本来なら足利一門かどうかすらあやしい
@@y8e-k2n ですよね。別系統な可能性が高い
まあ女系では繋がってますけどね、、
清和源氏発祥の地の多田の庄(:今の多田神社とその周辺)を継承した、頼綱以降の 多田と称した一族のことですが、頼朝が 源氏嫡流を主張する都合上 他の源氏(:木曽武田佐竹)を潰していった話を語る時、その時代の多田家当主である多田行綱が源頼朝に潰されたことが挙げられないのは、多田の地の民としては寂しく思います。
(源経基-満仲(嫡子)-頼光(長子)-頼国(長男)-頼綱(五男) )
多田神社は、その後、徳川家が清和源氏を詐称する為に保護したので復興した、という話が良く語られるのですが、実は、足利家の歴代将軍たちの分骨も祀られています。徳川だけでなく、足利家も多田神社を利用して源氏嫡流を主張しようとしたのかな?
足利家と北条得宗家がここまで蜜月だと時行くんが尊氏にあれだけヘイトを傾けるのも納得ですわ。
足利義氏、泰氏。頼氏、貞氏、足利尊氏の息子の義詮と足利本家当主の母は北条家の娘。分家も斯波、渋川等も北条家が滅びるまでは北条家の娘を母として生まれた人が当主となっている。これだけ濃い血縁関係。北条時行からすれば裏切られたと憎むのも分かる。
今月の逃げ若でいよいよ火蓋が切られた感じだね、戦場にいながら中央の大問題に気づいてしまった...
詳細な解説に、歴史の変遷の事象に驚きながら聞き入りました。楽しみに拝聴しています。
大変興味深く拝見しています。
これからも楽しみにしています。
うーんやっぱり解り易くて知的興奮も味わえる、高評価連打ですぅ~♪
15:57斯波義将が好きなので斯波氏の発祥が分かって嬉しいです!
17:291ヶ月でも3ヶ月でも半年でもずーっとずーっと待っていますので、こちらこそ今後も宜しくお願い致します
やはり「鎌倉殿の十三人」に足利家の人がでてほしかったですね
・畠山室が再嫁して畠山の名跡を残す、と言及
・院宣が揃ったシーンで小四郎のボデーが名前を隠すw
もうウォーリーを探せならぬ足利を探せ、でしたね
15:14 北条得宗に遠慮して廃嫡された足利家氏だが、実は北条得宗はじめ北条一門と非常に親密だった、準北条一門扱いまでされていたことは留意しなければならない。
いろいろ勉強になりました。
お久しぶりの解説、楽しませていただきました。 解説リクエストです。源平藤橘の姓から足利新田などの氏が家名として確立して行く過程の解説が聞きたいです。所領名や八幡賀茂新羅みたいな呼び名や源氏の棟梁云々言ってた(言っていない?)鎌倉殿が摂家将軍や宮将軍のときの姓や氏はどうなっていたのよ?とか、武田の嫡男なのに一条なの?みたいなことです
足利氏と北条氏が蜜月でないと尊氏の反乱の効果も薄くなるのでそのあたりも大事ですね。
細川や仁木の家格が低い理由が初めてよくわかった
足利義兼が大好きです!大河の主人公になれるくらいドラマチックです。父は早く亡くなり鎌倉創設に手伝い頼朝と相婿、奥さん時子を愛してたのに蛭子伝説、入定。子孫は室町幕府を開く
これは1年やれます!
待ってましたーー!!
これは嬉しいテーマです(^^)
すばらしいな・・・
世界史のメラニキに対し、日本史は太田うしいちニキが頭ひとつもふたつも飛びぬけてるな
このあたりは、北条政子&泰時VS北条義時&政村&三浦義村という破綻迎える前に義時が死んで開戦しなかった対立において、足利義氏は伯母の政子派として泰時支援していたような感じはありますねー。泰時は本来嫡流になれない家でしたし
平安末から鎌倉初期の頃は氏の枠組みが形骸化しつつも家の枠組みは形成途上だったので、嫡流というのはそれより後世からみて論じた面が強いんでしょうね。氏ということであれば鎌倉時代を通じて村上源氏に比肩すべくもなく、それを凌駕したのは氏長者の地位を奪った義満のときですね。
この辺り(平安末期&鎌倉初期)の事情を知ってると後の室町、戦国、江戸といった各時代がより見えてくるんですよね。特に家格について。
例えば、なんで吉良(上野介)義央が高家肝煎に任じられてたとか。
斯波 は3管領の中でも細川・畠山よりも家格が高いと言われている理由が分かってありがたい
『北条時宗(大河)』の足利家はドロッドロやったなぁ
河内源氏の源頼信流より源頼光流の摂津源氏の嫡流ちゃうのんって思っちゃう
ゆっくり投稿していってね
生き残った源氏の中で頼朝公や北条氏に気に入られ、家格が良かったのが足利氏だったということだと思いました
源氏の嫡流がゲシュタルト崩壊を始めて
運転しながら笑ってしまった
でも東海線を行ったり来たりは
それこそ平安末期から続く武家のテンプレでそこから東北に行って消えてしまう者
九州まで行って大復活する者
京から西に行くつもりが謀反に遭う者など
派生する多様な運命に歴史の面白さが
ありますね。さあ続きに戻ります。
6:13 藤姓足利氏も平家側じゃなかったっけ?
複雑な権力バランス。こんな時代に生きていたら長生きできないね。
結局のところ、世の中は勝者のプロパガンダによって成り立っている。
成程、斯波氏の家格の理由が解った
誰かの動画で源氏の嫡流は多田源氏ではないかというのを聞いた気がします。やはり正義が勝つではなく、勝ったものが正義ですよね。
勝てば官軍負ければ賊軍w 歴史は勝者が作るwww
@@orion6016足利氏は勝ったのにも関わらず最近まで賊軍扱いでした。
頼朝が嫡流ってのも後からだから言えるだろうけど当時は誰が嫡流かというのも曖昧なんて話も聞くしなぁ
甲斐源氏→武田、一条など
信濃源氏→木曾、海野など
近江源氏→佐々木、山本など
河内源氏→源...ジャスト源?(この辺の認識がいい加減)
そも尊氏の頃の源氏長者が北畠という・・・
そんで北畠も成り上がりという・・
源氏は武家だけではなく公家もあるので
頼朝が「源氏の嫡流!」って名乗ったら
京都「wwww」なんじゃなかろか
@@naoki080808
河内源氏の嫡流は頼朝かもしれないですね ただ頼朝の子孫が途絶えたので尊氏が幕府を開いたのでその時点で足利が嫡流になったのでは ? 何れにしても
時代によって嫡流が変わると
いうことじゃないですか?
義清が早死にしなければ広沢、仁木、細川、戸賀崎はどうなっていたのかな
こんばんは。
とても興味のある動画ありがとうございます。
我が家は、泰氏の非嫡流の家系で2代の時足利性ではなく現性を名乗るようになり
その後没落して行った家系と聴いています。
その泰氏自体もやらかした人物、代々やらかした家計の様です。
足利にも色んな源流がありますね。
漫画【北条時宗】にちょい役で出てきた家氏。
斯波氏の祖だったのですね。
家氏の子孫が伊達家の性質を輩出した大崎氏や最上氏です。伊達みきおの一番近い男系祖先の伊達尚宗の外祖父は6代将軍義教から偏諱を受けた大崎教兼です。尚宗は政宗の高祖父です。
@@nozomu6 さん、そうだったのですか。ご教授ありがとうございます。
足利泰氏は北条時宗の大河でも得宗家と対立する役回りでしたね
いいポジションにいたのにいったい何が不満だったのか?
鎌倉初期の足利義兼の母は熱田神宮の宮司家の人(頼朝の従姉、祖父の養女になったので義理の叔母)その点だけでも頼朝に大切に扱われる理由となる。だからこそ、時政の娘が嫁いだのだ。そして、北条の血が入っている源氏として鎌倉時代を通して大切に扱われた。家系図は自分の家以外の物を見ることは難しいので、大切に扱われた足利氏の源氏嫡流の主張を誰も疑わなかったと思われる。
おもしろいチャンネルだけど、イヤホンつけた時にBGMが五月蝿く感じる。
まあ、幕末の漫画を書くはずが、そうなるまでの前提条件を説明するために、結局関が原からはじめた漫画家もいましたからねえ。
なお、肝心の幕末は、途中で未完になってしまった模様。
(定説の義親子説だと)為義の兄貴が為義よりはるかに高位に昇ってるから義家系の中でも特別感ってのさあんまり無いのよね為義流源家
義兼、義氏、義清が大好きのでとても嬉しいです!
義兼は頼朝と相婿の地位を得ているので、他の御家人より特別、というイメージでした。
なので、大河ドラマにはとっくに出てきてもいいはず、と思うのですが…未だに足利の影も出てこないんですよねぇ。
義兼公は御門葉という立場にあったのじゃよ。じゃからその認識で良いのじゃ。
やる夫鎌倉幕府で足利氏が好きになったから、詳しい説明はありがたい。
鎌倉時代、縁戚関係と所領の集積によって家格を上げた一族…それが足利。ただ幕府の中枢にはいなかった。そんな感じ。
評定衆とか全然呼ばれてないようだしね
俺の母方の祖先は以仁王の随臣だったから、足利とは共闘してたのか。
父方は足利尊氏に臣従したから、父方母方ともに縁があったんだなー。
見ようぜ!やる夫鎌倉
義清と義兼の兄弟愛が良かったですね。
義清の最期が泣けました😢
うしいちさんの去年の配信でも、今年の大河の予習に最適ってコメント多かったですもんね
あれは名作ですよ。治承・寿永の乱から宝治合戦まで分かりやすく見れました。
あのスレで興味をもって足利市にも行ってきましたw
実際には、室町時代半ば過ぎまでは斯波を名乗って無く、武衛家と称され名乗りは足利のママです。(志和を名乗った人もいますが確か一代のみのハズ)。
あと足利氏一門で本家以外に家格が一番高いのが吉良家なのに南北朝時代に家督争いが起きて没落してしまったのが何とも言えないです。細川、仁木、今川、一色、等はみんな吉良家の分家筋なのに!
まぁ三河は高氏の拠点だったから高氏と対立したりすれば仕方ないのか?
歴史は苦手でよくわからないけど、今でいう従兄弟や再従兄弟やらで主権争いをずっとやってたってことでしょうか?
鎌倉後期はそれなりの立ち位置の御家人だと思ってましたね足利氏
そういえば、と、思わず嫡流の語源を調べてしまったw長男筋だから?母親の格も必要?ただでさえ縁者は多くそれぞれ言い分はあるので、結局声も力も大きい人がなってしまうんでしょうか。何が必要か、何が足りないのか、鎌倉時代を通じて足利氏は学ぶのでしょうか。
頼朝一族と血縁近いのに、鎌倉殿と13人に全然出てこない。
北条兄弟もまだ3人しか出てきてないし(これから時房が加わるけど)
名前だけ出てきませんでしたっけ?
記憶違いでしたらすみません。
現代の認識に置き換えると 北条家が自民党で 足利家が 公明党のポジション 名門でもあり 有力な御家人ではあるけれど 北条にとって変われるほどの 力があるわけではない だからこそ 鎌倉時代の歴代の当主は高氏の代まで親北条路線を貫いた
沼の三管領家
歌うマジカル天狗👺さまは
アクティブなんだけど
斯波畠山たるお二人は本職が忙しそう
当たり前だけど優秀な投稿者は
本職でも有能な筈だから
視聴者も待つしかないな。
兵農分離編を再々再々再訪するか、
大内義興公の華々しい活躍を眺めるか
論文を読もう回をまとめて観るか、、、
そもそも頼朝の流れが源氏の正嫡かあ?って感じ
そもそも「源氏嫡流」なる概念も鎌倉後期以降、あるいはなんなら室町幕府初期あたりに成立した概念であって、頼朝の時代にはそんな概念なかった
平氏は桓武天皇の流れが中心だけど、源氏って色んな流れがありますね。
ここに出てくる源氏は佐々木判官(宇多源氏)を除きだいたい清和源氏だよ
細川町に住んでまして仁木町も隣りですが
歴史的な物がほとんどありません
斯波氏は足利氏だったですね。知り合いに佐野というかたが、足利の親戚と言ってたのを、思い出した。
そう、佐野ラーメンは足利ラーメンだったかもね。
足利の親戚て、有名人がいそう。
下野国の武士だった佐野氏は確かに足利氏の分家に当たりますが、室町幕府を開いた源氏の足利氏ではなくて、この足利氏は藤原氏でした。元々下野足利庄は藤姓足利氏が荘官でした。
畠山ときくと、どうしても畠山鈴香思い出すーw
足利はいつから源氏の嫡流になったのか?
要するに、天皇家の「正統」と同じようなものかなぁ?
楽しみにしてました。
後半に語られるかもですが、
太平記における足利と新田が同格と語られる部分、
家康が足利一門目当てに徳川を称したとなると、少なくとも家康には太平記の認識が通じてない事になりそうですが、どうなんだろうと疑問に思ってます。
徳川の世になったところで、太平記の新田同格説の認識が徳川によってより強まったとかなんですかね?
新田氏を名乗ったのは家康の祖父の清康が初めです。
大樹寺の五重の塔の柱に書かれていたモノの後世の写しでそのことは知られていましたが、疑問視されてもいたので一般的に知られていませんが、近年調査の結果実際に書かれていた(正確には一部読み取れないのですが)ので間違い無く清康が自称していたのが判明しています。
だって三河って吉良さん始め足利一族が沢山いるんだぞ。足利の子孫なんて言ったら偽物って速攻でバレるじゃないか。
徳川が同じ源氏の中でも敢えて足利より格下の新田流を名乗ったのも、家康の「これからは足利に代わり新田の流れである徳川が世を治める」というメッセージだったのですね
@@アウトローという者
いや、偽物の癖に足利なんて三河で名乗ったら、周りの吉良さん達リアル足利一族に抹殺されるからだ。
@@戸田賢司さん なるほど!『忠臣蔵』で有名な吉良上野介義央とか、やたらと厚遇されてましたね
鎌倉江戸に比べ影が薄いイメージ
新田が嫡流を争うライバルで敵なら問題無いけど、新田が足利一門で本家に逆らって敵についていたら武家の棟梁としては立場ないからそれを隠せるのが足利の1番のメリットやない?南北が始まったころはまだ足利内での内ゲバも始まってないし。
徳川は自称源氏だから戦国時代でシャフルされて有象無象大名ばかりで源氏云々て意味ないよなw まあ系図詐称で一応源氏やら藤原氏などなど自称は大名はしていたけどなwww
0:15 佐々木源氏はそもそも宇多源氏であって、清和源氏ではない。源義光流の武田とか佐竹を持ち出す方がまだふさわしい。
私の母方も足利氏の嫡流の末裔なので記念カキコ
カキコ_φ(゚ー゚*) 久しぶりに見ました❗️
8:45 あれ?鎌倉殿の13人だとけっこう「自称嫡流」wを感じられたんだけどなあ。普通はそうでもないのかな?
近年の説を重用してるのかもですね。
頼朝も尊氏も源氏の嫡流と名乗っていたのは幕府を創る上でのプロパガンダに過ぎないということですね。
「源」の名前しか誇れるものがないのが源氏。地域に根付き武力をもったものが 木曽・武田・佐竹・新田・足利・・・伊東に流され伊東の力を得られていたのなら伊東をなのったかもしれないが監視下の流人の立場でしかなく 「介殿」と完食しか取り柄のない男あつかいされてたのが頼朝。北条を嫁にもらい北条の支援得られ鎌倉に拠点得られたことで 「鎌倉殿」と呼ばせ地に根付いた力を持ったぞとなのってる・・・平氏も「中央の権力の一部」のひとは平氏のままだが地方兵器地方に根付き権力もったものは土地の名前名乗ってる。
アッ、下痢漏らしちゃいました😵!
頼氏は泰氏の息子ではないのですか?
足利氏と新田氏の違いについては、確かに諸説あるみたい。自分が昔習った時に聞いたのは名門の新田氏で、実力の足利氏って教わった。
うろ覚えだが足利氏は平家を打倒した時に源頼朝に臣従したけど、新田氏は積極的には参加しなかったため、鎌倉時代は冷や飯を食ったって聞かされた。
血統だけで言うと新田氏の方が格上だけど、実力人気は足利氏ってイメージだったな。
けど後年自分で書物を読んだ時は実力、格ともに足利氏の方が上だって読んだことがある。だからその時点で一体どう考えたらいいのか疑問だった。
佐々木氏は、宇多天皇の系譜だから、宇多源氏ですね。清和源氏ではないですね。土岐氏は、美濃源氏で、清和源氏ですね。嫡流になったのは、3代将軍実朝が死んでからだと思いますが、違いますかね?
どうなんでしょう?
頼朝の妻の北条政子が承久の乱の時に甥の足利義氏に源氏嫡流に伝わる三太刀を譲っています。
この時期の源氏の総領は北条政子ですからその政子が嫡流の証の三太刀を譲ったということはこの時点で足利氏が源氏の嫡流になったという事では?
だって結城さんは、俵藤太の子孫という由緒正しい藤原氏武士だからな。
ただ俵藤太自身が藤原氏ではないという説もありますね。
足利と聞くと毎回ノンキャリの刑事を連想する。その心は足で利(理)を得ます。
大河で誰が足利を演じるのか今から楽しみ!
足利好きの自分はその為だけに見てると言っても過言じゃないので。
義兼出てこないし、妻の時子(政子、義時の妹)の姿も透明化してるし。草燃えるにはちょこっと義兼が出てきたんだけど
『草燃える』では、承久の乱直前のシーンで義清が出てます。初代の義康ば『新・平家物語』に登場しています。『北条時宗』と『太平記』で、泰氏〜尊氏〜義詮まで繋がります。
@@翁竹取義清って 佐々木義清?
義氏は草燃えるで、泰氏は北条時宗で、家時、貞氏、尊氏、義詮は太平記でみた。
@@かがみ純 わたしのミスです。義清ではなく、義氏でした。
3代将軍義滿、4代義持、5代義量はいまだ登場せず。6代義教、7代義勝、8代義政、9代義尚、10代義材(義稙)、11代義遐(義澄)は『花の乱』ですね。義稙は『毛利元就』にも出てきました。12代義晴も未登場。13代義輝と15代義昭の2人は、戦国ものに頻出ですが、14代義栄は『麒麟がくる』が初登場でしたね。
@@翁竹取 徳川将軍は全員映像化されてるはずだが、大御所家斉(11代)は多くの映画やチャンバラ時代劇にちょこっと出てくるが、大河には1回も出ていない。大河未見の徳川将軍はこの人だけのはず。時代が半端だからだろうけど
いつの時代も武士は何かにつけ、血筋ガー家柄ガーなんですね😅
努力なんてしなくていいから、次々進んでくれないかぁ!!
中身は素晴らしいがナレーションの声が低すぎる 聞きにくい
ナレーションが聞きヅライ?