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夏の疲れなど 十分に注意して無理はせずに、がんばってほしいです。
お心遣いありがとうございます😊
これは個人的に中国人に聞いた話ですが、水墨とは水の滲みと墨の綾を利用した技法(水暈墨章 (すいうんぼくしょう))と、その醸しだす雰囲気を持つ絵についての、一種の形容詞的な表現だったそうです。それが清の時代の終わりごろ、つまり近代の近くになって水墨「画」と便宜的に呼ばれたそうですが、中国画は工筆画と写意画だけであって、水墨画は具体的なジャンルではないということでした。ですから、いまでも中国では、色がついていても水墨画とも言いますし、墨彩というのは日本発の言葉です。日本の歴史は、特に近代史が歪められたり隠されたりしてるので、正確なことはわかりませんが、日本画というものは近代以後のもので、前近代日本美術から水墨文人画を取り去って、近代西洋画と合体させたものを日本画と呼ぶのだ、と個人的には理解しています(技法的には18手の線描と呼ばれる東アジアの絵画の毛筆文化の基礎技術の多様な線描の組み合わせが西洋画の明暗法とかち合うので削除されて鉄線描などの線だけが残った)。恐らくそのころから、日本では水墨「画」という言葉が、日本画と分ける意味で常用され始めたのではないでしょうか?ですから今日、水墨画と日本画はまったくの別物で、公的には分けて考えないと怒られてしまうようです(私は日本画の先生に、日本画家の描いた明らかな水墨作品を水墨「画」と言ったら、それは日本画家の描いたものだから水墨画と呼んではならない、日本画であるとたしなめられました)。
わかりやすい解説で理解できました。なんでもかんでも中国からとは、本当かな?と子供の頃から思ってました。本当は日本が発症ではないのかと。漢字は日本の方が画数が多くて、中国が少ないので、単純に中国では難しいので略して作ったものが、中国漢字だと考えています。例えば、東→东とか、門→门とか。日本では気は元々、氣と書いていて、中国語では气です。 日本語は世界一難しいので、中国人は略したがるのでは。世界中からパクリ文化ですし、今だに。
夏の疲れなど 十分に注意して無理はせずに、がんばってほしいです。
お心遣いありがとうございます😊
これは個人的に中国人に聞いた話ですが、水墨とは水の滲みと墨の綾を利用した技法(水暈墨章 (すいうんぼくしょう))と、その醸しだす雰囲気を持つ絵についての、一種の形容詞的な表現だったそうです。それが清の時代の終わりごろ、つまり近代の近くになって水墨「画」と便宜的に呼ばれたそうですが、中国画は工筆画と写意画だけであって、水墨画は具体的なジャンルではないということでした。ですから、いまでも中国では、色がついていても水墨画とも言いますし、墨彩というのは日本発の言葉です。日本の歴史は、特に近代史が歪められたり隠されたりしてるので、正確なことはわかりませんが、日本画というものは近代以後のもので、前近代日本美術から水墨文人画を取り去って、近代西洋画と合体させたものを日本画と呼ぶのだ、と個人的には理解しています(技法的には18手の線描と呼ばれる東アジアの絵画の毛筆文化の基礎技術の多様な線描の組み合わせが西洋画の明暗法とかち合うので削除されて鉄線描などの線だけが残った)。恐らくそのころから、日本では水墨「画」という言葉が、日本画と分ける意味で常用され始めたのではないでしょうか?ですから今日、水墨画と日本画はまったくの別物で、公的には分けて考えないと怒られてしまうようです(私は日本画の先生に、日本画家の描いた明らかな水墨作品を水墨「画」と言ったら、それは日本画家の描いたものだから水墨画と呼んではならない、日本画であるとたしなめられました)。
わかりやすい解説で理解できました。なんでもかんでも中国からとは、本当かな?と子供の頃から思ってました。本当は日本が発症ではないのかと。漢字は日本の方が画数が多くて、中国が少ないので、単純に中国では難しいので略して作ったものが、中国漢字だと考えています。例えば、東→东とか、門→门とか。日本では気は元々、氣と書いていて、中国語では气です。 日本語は世界一難しいので、中国人は略したがるのでは。世界中からパクリ文化ですし、今だに。