【前面展望】伊丹市バス JR北野線49系統 JR伊丹→北野【狭隘路線!!】

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  • Опубліковано 15 січ 2025

КОМЕНТАРІ • 10

  • @柴犬君-o7n
    @柴犬君-o7n 3 роки тому

    昔の札場の辻?から伊丹病院住友前の間の道と比べたらそれほど狭くない気がするな

  • @hiroto1094
    @hiroto1094 7 років тому +2

    この動画もまた個人的に懐かしい!
    やっぱり36年前とは風景が変わってしまってますが、要所要所に懐かしい風景が♪
    春日丘西ってバス停、たしか昔は伊丹病院か市民病院という名前でしたよね
    この路線、一般車を待機させる信号がつく前は、車掌さんが乗ってましたね^^

    • @ほえーる-o4z
      @ほえーる-o4z  7 років тому +1

      人博 おそらく、この道の狭さは36年前から変わっていないと思います。伊丹病院は春日丘にあったそうなので、確かにバス停名もそんな感じだったようですね。
      車掌さんが乗っていたのは、狭い区間での離合をスムーズにするための信号が出来る前でしょうか?
      僕は現役中学生なのでよく分かりませんが、思い出に浸っていただきありがとうございます!

    • @hiroto1094
      @hiroto1094 7 років тому +1

      そうです
      車掌さんが乗ってたのは、狭い区間での離合をスムーズにする信号が出来る前ですよ
      確か1980年か1979年ごろまでは車掌さんが乗ってました

    • @ほえーる-o4z
      @ほえーる-o4z  7 років тому

      人博 あー、やっぱり結構前ですね…
      警備員がいたというのも聞いたことがありますが、それはどうなんでしょうか?

    • @hiroto1094
      @hiroto1094 7 років тому

      警備員がいたというのは残念ながら記憶が無いですね~

    • @msms8412
      @msms8412 5 років тому

      荻野狭い

  • @eidyu2660
    @eidyu2660 4 роки тому +1

    この路線、今ではほとんど免許維持路線のようになっていますけど、北野線はもともと荻野西口線といい、昭和の頃は荻野西口(現・荻野西)を起終点に昼間は概ね1時間に1本走っていました。また、それよりも昔は北野のバス停は鴻池バス停だった時期があり、その頃は荻野西口経由荒牧行きがありました。
    そうそう、昭和54年までは車掌もいました。対向車でどうしようもない時、車掌がバスから降りてバスや乗用車を誘導することもありました。車両も前扉が無い「中乗り中降り」のバスも残ってて、最前面運転席横の座席でかぶりつきをしてた記憶もあります。前扉がある車両でも「前乗り・中乗り中降り」で中扉の脇に車掌の立ちスペースがあって運賃箱もありました。この路線だけは、中扉のドアは「出入口」と書かれていました。
    ほんと懐かしいです。長文失礼しました。

    • @ほえーる-o4z
      @ほえーる-o4z  4 роки тому +1

      hide pon 興味深い貴重なお話をありがとうございます!

  • @nattousenbei
    @nattousenbei 6 років тому +3

    当時は全く狭いと思っていなかったが,改めて見ると狭いなw