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つい、最後まで聞き入ってしまいました。ありがとうございます。
希代のエンタテーナーでした。ここまで伝統芸を破壊した人もすくない。多分時代がそうさせたんでしょう。後代の受けた影響は計り知れぬ。還暦を過ぎた頃の、この人の古典落語が聴きたかった。KSK2006tokoroさん、貴重な映像をアップロードしてくれてありがとう御座います。
初代 林家三平といえばテレビ放送時代からリアルタイムで見ていたのでとても懐かしい。当時は「昭和の爆笑王」とか「立体落語家」とか言われていて、あの頃笑点の演芸コーナーの常連だった記憶がある。また高座のメクリで笑いがおきる唯一の“噺家”だったので、高座では大御所の後のトリを務めていたとか。聞くところによると途中の出演だと場内を引っ搔き回してしまってトリの噺家の前に客が大勢帰ってしまうからだと聞いたことがある。落し噺を得意とする一枚看板の偉大な噺家を親に持つプレッシャーからか、鷹が鳶を生んだと揶揄されたためなのか立ちながらのワンパターンの漫談連発芸や高座でタブーの歌を歌ったりとかで新宿末廣亭や上野鈴本の席亭に出れない時もあったと聞く。なのでこの音源を聞くと高座のイメージとはまた違う噺家の隠された素質が見え隠れする話芸を聞くことができた。古今亭志ん生師匠の「林家三平真打披露口上」の UA-cam 音源を聞くと初代 三平の真打昇進当時の悩みがよく分かるし噺の達人志ん生師匠のやさしい人柄がにじみ出ていて泣けてくる。根岸の都内最大銭湯「萩の湯」へよく行くが、子供を連れた二代目 三平氏や好楽師匠とよく出会う。「 ドーもスイません」にちなんで (土)(水)(日)のみ開堂日の「ねぎし三平堂」が至近にるあるだけでなく、初代の結婚のキューピット役だった三代目三遊亭金馬師匠の自宅も近くの御行の松不動尊の隣だったし、根岸界隈はは根岸の里じゃなくて噺家の里に思える。
懐かしいなぁ🙇関東の咄家さんで、好きやったなぁ👌親父が三平さん嫌いで居たら見られへんけど、オカンだけやったら8チャン、よう見られたわ😅😅😅
初代三平さん、すごいですね^^上方の米朝さん、枝雀さんとも全然違うスタイル・・・お若い全盛時代のものなのでしょうね。貴重な映像、どうもありがとうございました。
コメントありがとうございます。昭和の爆笑王と言われた方でしたね。
@@KSK2006tokoroあれだけ芸人がひしめいていた中で昭和の爆笑王と言われそれに異を唱えることもなく今に伝わることがどれだけすごいか今より厳しいお客さんや師匠にそして時代に揉まれてきた昭和の芸人さんはやっぱり違いますね
三平師匠みて思うけど私はやっぱり心底昭和の笑いが好きなんだなと心から笑えますもの
品がある艶噺やな🤭これぞ大人の会話や
年増のよろめき&間男のくだり。洋服ダンスを開けたら先客が3人いて、ようこそ!4人で麻雀しましょう!って面白すぎる‼️
こりゃ凄い!弾けまくってるのに全然下品じゃない。素晴らしい!!
さは
三平師匠、カワイイ!!最後まで見てしまいました。どうもスミマセンです。この動画を見ていると、師匠の周囲の人たちに対する気配りが素晴らしいと感じました。それだからこそ、未だに愛され続けるのだと思います。途中、二人のお姉さん方が演じられたのは宴会芸とかいうやつでしょうか。昔、地区の慰安旅行がありましたが、地区の長老の方が似たような踊りをされました。現代の地上波ではオンエア出来ないのでしょうね。
映ってる二人の旦那のために演じてるのかしら。ホームビデオにしてはキレイに撮れてるし、「お座敷での芸」という設定でプロが撮影したっぽい。しかし三平師匠の「品の良さ」が生きてますね。
いや凄い・・いま三平師匠のような噺家さんはいませんよね。そして、皆さん若かった。
こんなに笑える落語家はいない。天才と言っても誰も文句は言はないだろう。
料亭での落語は粋で面白い
天才、初代 林家三平師匠!!
初代三平さんをよく知らないけど、スゲーなって思いながら見ました。2代目の三平さんも意外と好きなので……
(^^)ノ コメントありがとうございます。ほかの三平さんの動画を うpしてましたが100万再生を越したところで怒られますたw
いいねぇ。一生に一度くらいこんなお大臣あすびしてみたいもんでげす。
昔、TBSでやった「昭和の爆笑王」って特集番組(志ん生その他の秘蔵映像集)もってるひといたらぜひUPしていただきたい。林家三平の笑いの「狂気性」みたいなものが横溢してた
面白い😅わ
よしこさん😆♪♪
沈黙が怖いからしゃべり続ける天才落語家‼️
すご喋りの妙🎉コレ アドリブなんか?
これを見ると息子らは彼の夫人であるモンペ母の威圧で今の地位にいるのかが分かりますな。
天才と言われる芸人さんは垂れ目の人が多いみたい、志村けんさん、萩本欽一さん、とか。
ご健在だったら、九代目正蔵襲名、落語協会会長歴任、紫綬褒章・叙勲を受けておられたかもしれませんね。
こんばんは、メッセージありがとうございます。そうですね、同感です。昭和の爆笑王と呼ばれた方ですからね。僕たちは、三平さんのことを忘れないでいる事とこんな面白い人がいたことをみんなに伝えていきたいです。
それどころか息子ら(特に現三平)はモンペ母の威圧で地位に居らず厳しい稽古で実力が付き芸のレベルが格段に違っていたのでは。
周りによいしょ、お客様によいしょ、サービス精神のなせる業か。その場を取り持って盛り上げる、太鼓でも封間でも一八でもいいけれど、とにかく三平面白い、大爆笑だ。三平死んだのは惜しい、円生死んだのも惜しい、この二人だけはホントに惜しい。
息子二人は自分に才能が受け継がれていないのに。情けない息子の姿惨めな話。
目付きが寺山修司さんに似てるなあ。
息子らと比べちゃイカンよw
これ80年代に東宝業務用で出ていたビデオの映像? だとしたら貴重。
こんにちは。これは東宝名人会シリーズで定価1万円で発売された物ですョ。82~3年だったと思います。。。
間違っても古典落語を漫談または色物と一緒にしてはならない。
これが上方に行くと落語が色物扱い。やはり、上方=漫才なんですね。笑いの文化の違いと言われてしまえばそれまでですが、戦後、上方落語が一時期廃れたというのも納得が行きます。
息子に芸能力は遺伝しなかったな!
急にお座敷
セツ子は弟弟子・圓蔵の嫁さんだよ。
落語好きの変な小学生だった私は林家三平が大嫌いだった。カセットテープに録音していた寄席番組の中から三平の落語は全部丁寧に消していた。多分テレビのCMなどに出まくって、古典落語をきちんとやっていない(ようにみえた)のが嫌いだった理由だろう。それでその後三平が脳卒中を患い亡くなっても何とも思わなかった。むしろ三遊亭圓生が亡くなったのにパンダが死んだニュースの方を大きく扱うマスコミを呪っていた。ところが高校生の時、深夜番組でスネークマンショーが三平の物まねコントをやっているのを聴くと、急に涙が出てきて三平の噺が無性に聞きたくなったが、その時は既に時遅しだった。三平がきちんと古典も練習していたこと、そして息子のこぶ平には短い期間徹底的に古典落語を叩き込んだことを知って、落語の裾野を大きく広げることに尽力していたことに気がついたからだろう。このような長い噺をアップしていただき、有り難うございました。
hirochandosue2さん、コメントありがとうございます。スネークマンショーは懐かしいですね、確か伊武雅刀さんがやっていたんじゃなかったかな。YMOの坂本龍一さんが大フアンだそうで、僕のもう一つの三平さんの投稿作品の制作にかかわっていると聞いたことがあります。作品のエンディングに流れるBALLET MECANIQUEという曲は坂本さんが提供したものらしいです。このエンディングを見ると涙があふれてしまいます。よかったら見てください。
もうちょっとマシな芸妓はいなかったのかな
酷い‼️
よー日本一の提灯もち!
ま
つい、最後まで聞き入ってしまいました。ありがとうございます。
希代のエンタテーナーでした。ここまで伝統芸を破壊した人もすくない。多分時代がそうさせたんでしょう。後代の受けた影響は計り知れぬ。還暦を過ぎた頃の、この人の古典落語が聴きたかった。
KSK2006tokoroさん、貴重な映像をアップロードしてくれてありがとう御座います。
初代 林家三平といえばテレビ放送時代からリアルタイムで見ていたのでとても懐かしい。当時は「昭和の爆笑王」とか「立体落語家」とか言われていて、あの頃笑点の演芸コーナーの常連だった記憶がある。また高座のメクリで笑いがおきる唯一の“噺家”だったので、高座では大御所の後のトリを務めていたとか。聞くところによると途中の出演だと場内を引っ搔き回してしまってトリの噺家の前に客が大勢帰ってしまうからだと聞いたことがある。
落し噺を得意とする一枚看板の偉大な噺家を親に持つプレッシャーからか、鷹が鳶を生んだと揶揄されたためなのか立ちながらのワンパターンの漫談連発芸や高座でタブーの歌を歌ったりとかで新宿末廣亭や上野鈴本の席亭に出れない時もあったと聞く。なのでこの音源を聞くと高座のイメージとはまた違う噺家の隠された素質が見え隠れする話芸を聞くことができた。古今亭志ん生師匠の「林家三平真打披露口上」の UA-cam 音源を聞くと初代 三平の真打昇進当時の悩みがよく分かるし噺の達人志ん生師匠のやさしい人柄がにじみ出ていて泣けてくる。
根岸の都内最大銭湯「萩の湯」へよく行くが、子供を連れた二代目 三平氏や好楽師匠とよく出会う。「 ドーもスイません」にちなんで (土)(水)(日)のみ開堂日の「ねぎし三平堂」が至近にるあるだけでなく、初代の結婚のキューピット役だった三代目三遊亭金馬師匠の自宅も近くの御行の松不動尊の隣だったし、根岸界隈はは根岸の里じゃなくて噺家の里に思える。
懐かしいなぁ🙇
関東の咄家さんで、好きやったなぁ👌
親父が三平さん嫌いで居たら見られへんけど、オカンだけやったら8チャン、よう見られたわ😅😅😅
初代三平さん、すごいですね^^
上方の米朝さん、枝雀さんとも全然違うスタイル・・・
お若い全盛時代のものなのでしょうね。
貴重な映像、どうもありがとうございました。
コメントありがとうございます。
昭和の爆笑王と言われた方でしたね。
@@KSK2006tokoro
あれだけ芸人がひしめいていた中で
昭和の爆笑王と言われそれに異を唱えることもなく今に伝わることがどれだけすごいか
今より厳しいお客さんや師匠にそして時代に揉まれてきた昭和の芸人さんはやっぱり違いますね
三平師匠みて思うけど
私はやっぱり心底昭和の笑いが好きなんだなと
心から笑えますもの
品がある艶噺やな🤭これぞ大人の会話や
年増のよろめき&間男のくだり。洋服ダンスを開けたら先客が3人いて、ようこそ!4人で麻雀しましょう!って面白すぎる‼️
こりゃ凄い!弾けまくってるのに全然下品じゃない。素晴らしい!!
さは
三平師匠、カワイイ!!
最後まで見てしまいました。どうもスミマセンです。
この動画を見ていると、師匠の周囲の人たちに対する気配りが素晴らしいと感じました。それだからこそ、未だに愛され続けるのだと思います。
途中、二人のお姉さん方が演じられたのは宴会芸とかいうやつでしょうか。昔、地区の慰安旅行がありましたが、地区の長老の方が似たような踊りをされました。現代の地上波ではオンエア出来ないのでしょうね。
映ってる二人の旦那のために演じてるのかしら。ホームビデオにしてはキレイに撮れてるし、「お座敷での芸」という設定でプロが撮影したっぽい。しかし三平師匠の「品の良さ」が生きてますね。
いや凄い・・いま三平師匠のような噺家さんはいませんよね。そして、皆さん若かった。
こんなに笑える落語家はいない。天才と言っても誰も文句は言はないだろう。
料亭での落語は粋で面白い
天才、初代 林家三平師匠!!
初代三平さんをよく知らないけど、スゲーなって思いながら見ました。
2代目の三平さんも意外と好きなので……
(^^)ノ コメントありがとうございます。
ほかの三平さんの動画を うpしてましたが100万再生を越したところで怒られますたw
いいねぇ。一生に一度くらいこんなお大臣あすびしてみたいもんでげす。
昔、TBSでやった「昭和の爆笑王」って特集番組(志ん生その他の秘蔵映像集)もってるひといたらぜひUPしていただきたい。林家三平の笑いの「狂気性」みたいなものが横溢してた
面白い😅わ
よしこさん😆♪♪
沈黙が怖いからしゃべり続ける天才落語家‼️
すご喋りの妙🎉
コレ アドリブなんか?
これを見ると息子らは彼の夫人であるモンペ母の威圧で今の地位にいるのかが分かりますな。
天才と言われる芸人さんは垂れ目の人が多いみたい、志村けんさん、萩本欽一さん、とか。
ご健在だったら、九代目正蔵襲名、落語協会会長歴任、紫綬褒章・叙勲を受けておられたかもしれませんね。
こんばんは、メッセージありがとうございます。
そうですね、同感です。昭和の爆笑王と呼ばれた方ですからね。
僕たちは、三平さんのことを忘れないでいる事とこんな面白い人がいたことをみんなに伝えていきたいです。
それどころか息子ら(特に現三平)はモンペ母の威圧で地位に居らず厳しい稽古で実力が付き芸のレベルが格段に違っていたのでは。
周りによいしょ、お客様によいしょ、サービス精神のなせる業か。その場を取り持って盛り上げる、太鼓でも封間でも一八でもいいけれど、とにかく三平面白い、大爆笑だ。三平死んだのは惜しい、円生死んだのも惜しい、この二人だけはホントに惜しい。
息子二人は自分に才能が受け継がれていないのに。情けない息子の姿惨めな話。
目付きが寺山修司さんに似てるなあ。
息子らと比べちゃイカンよw
これ80年代に東宝業務用で出ていたビデオの映像? だとしたら貴重。
こんにちは。これは東宝名人会シリーズで定価1万円で発売された物ですョ。82~3年だったと思います。。。
間違っても古典落語を漫談または色物と一緒にしてはならない。
これが上方に行くと落語が色物扱い。
やはり、上方=漫才なんですね。
笑いの文化の違いと言われてしまえばそれまでですが、戦後、上方落語が一時期廃れたというのも納得が行きます。
息子に芸能力は遺伝しなかったな!
急にお座敷
セツ子は弟弟子・圓蔵の嫁さんだよ。
落語好きの変な小学生だった私は林家三平が大嫌いだった。カセットテープに録音していた寄席番組の中から三平の落語は全部丁寧に消していた。多分テレビのCMなどに出まくって、古典落語をきちんとやっていない(ようにみえた)のが嫌いだった理由だろう。それでその後三平が脳卒中を患い亡くなっても何とも思わなかった。むしろ三遊亭圓生が亡くなったのにパンダが死んだニュースの方を大きく扱うマスコミを呪っていた。ところが高校生の時、深夜番組でスネークマンショーが三平の物まねコントをやっているのを聴くと、急に涙が出てきて三平の噺が無性に聞きたくなったが、その時は既に時遅しだった。三平がきちんと古典も練習していたこと、そして息子のこぶ平には短い期間徹底的に古典落語を叩き込んだことを知って、落語の裾野を大きく広げることに尽力していたことに気がついたからだろう。このような長い噺をアップしていただき、有り難うございました。
hirochandosue2さん、コメントありがとうございます。スネークマンショーは懐かしいですね、確か伊武雅刀さんがやっていたんじゃなかったかな。YMOの坂本龍一さんが大フアンだそうで、僕のもう一つの三平さんの投稿作品の制作にかかわっていると聞いたことがあります。作品のエンディングに流れるBALLET MECANIQUEという曲は坂本さんが提供したものらしいです。このエンディングを見ると涙があふれてしまいます。
よかったら見てください。
もうちょっとマシな芸妓はいなかったのかな
酷い‼️
よー日本一の提灯もち!
ま