【法話】初めて浄土に頷いた日~死んだらどうなる?の問いに対して浄土真宗的味わい~
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- Опубліковано 13 жов 2024
- 前回アップした「死んだらどうなるの?」という問題。この問いはなかなか一言では解決しえないし、納得もしがたい問題です。そんな中で、私の知識や経験では解決がつかないからこそ、仏法を聞かせて頂くのだというのが前回の結論だったとすれば、そのお釈迦様のお示しに私自身が「あ~、そうか」と初めて頭が垂れた時のことを振り返って少しお取次ぎしてみました。
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浄土真宗本願寺派 両徳寺住職
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舟川師の本動画が1番納得しました。というより、腑に落ちてスッキリしました。
ワタシは遺伝性の難病を複数罹患し、大量の処方薬を飲む毎日で、今の状態では復職すら叶いません。もちろん、薬の影響で胎児に重篤な影響・死産が起こる事が分かっているので、子供を持つという選択肢もありません。そんな中、自分自身の生き方の方針を再構築するために宗派を問わず仏教関連のyoutubeを拝見して来ました。
非常にシンプルな2択だったのですね。それに気付かされただけでも、大収穫の動画でした。ありがとうございます。
切んの ヤバイネギ うまいさん、こんにちは^^
お返事大変遅くなってしまい、すみません💦
腑に落ちて良かったです。
私たち僧侶自身も、やっぱり生身の存在で生きている以上、頭で納得するということと、自分自身の腑に落ちるということは別問題です。それぞれが示された教義をどう消化できるのか、試行錯誤しているんですね。その中で、あぁそういうことかと自分が深く頷けたところが、結局一番人にも共感してもらえるのではないかということで、この話をしました。今でも浄土の話をする時にはこの話をする時がありますが、ここのところはみんな納得感が強いように感じます。
ありがとうございます✨
こんにちわ。毎回 有難い法話ありがとうございます。この動画のコメントを拝見させて頂くと、やはり身内の方が亡くなられて聞法を拝聴されるきっかけになられた方が多いようですね〜実は私も父が亡くなってから、法事を執り行って行く毎に仏法をきちんと知って参らなければ……とは思いつつ年月が経っていきました。子供の頃、親の言うがままに毎週、日曜日の朝、6時にお寺さんへ正信偈を参りに行っていました。(今考えると、正信偈がお経だと思っていたのは、この事が影響していたかも…)父は厳しい面が多々ありましたが、慈悲深い人で毎朝、お仏壇に手を合わせて🙏いる姿を見て育ちましたから、阿弥陀様がお迎えに来られた後は、お浄土で又、手を合わせて修行してると思っています。そんな中、七回忌を終えた頃に友人の坊守さんから、毎月の聞法を共に参りに行かないか…と誘われて「信心」という深い味わいを知らせていただきました。当初は聞法は聞けば聞くほど、難しくて。しかし生老病死のお話や往生浄土の法話だけは何故かスーと入ってきたのです。でも、他の法話は今だにチンプンカンプンなんです(~_~;)💦そして昨年、コロナ禍の影響?でお坊さんUA-camが多くの動画配信されましたが舟川住職さんの動画にたどり着いて縁をもたせて頂きました。お世辞抜きで本当に分かりやすく心込めてお話される聞法に感謝のみです。今後も有り難く拝聴させて頂きますので宜しくお願いします。
kawaguchiさん、こんばんは^^
遅くなりましたm(_ _)m
やっぱりこうして読ませて頂くと、kawaguchiさんも子どもの頃からご縁があったのですね。うちのチャンネルを見て下さっている他の方もそうですが、結構子どもの頃に多少なりとも仏縁があった方ってやっぱり多いんですよね。その心象風景とか、ご両親・祖父母の皆さん方が大切にしてきた姿に影響を受けて今があるといえるんでしょうね。ありがたいことです。
僕は法話の中でも、本当に「子どものことを思うならば、何もなせないではなく、自分たちが大切にしていることの後姿を見せることが一番大事なんじゃないですか」という話をさせて頂く時がありますが、そういう皆さん方が後姿を通してご教化して下さったことに本当に深く感謝感謝です☆彡
分かりやすいことが全てではないんですが、やっぱり分かってもらえるように話したいということは思います。そして分かるように話さないと、自分が話していて迷子になってしまうので^^;今後もよろしくお願いいたしますね^^
こんにちは、なまんだぶ。
今私がご聴聞したり、お参りしたりして阿弥陀様の事を少しでも知ろうとしているのは、
まさに肉親の還相回向のお陰と思います。
青天井さん、こんばんは🌙
家族との別れは寂しいことですけど、遺していってくれるものがあるんですよね。そして今なおはたらいて下さっている。南無阿弥陀仏
前回と話しが被り自分事で恐縮ですが、一人っ子同士の夫婦で、4人介護しております。
そのせいか、親が死んでしまった時やお葬式の場面等を想像して、涙が溢れる事があります。
生まれる=死ぬという事、これをわかっていながらも、1日も長く生きていてほしい、そして自分の命ですら生きる事への執着がありますが、舟川住職さんの動画を聴聞して行くうちに ほんのわずかかもしれませんが、阿弥陀様へお任せできる安心感が 芽生えつつあるような…?気がします^ ^:
とは、申しましても こんな自分程 あてにならない物はありません。
もっともっと 阿弥陀様に触れ、呼びかけを お聴きし 信心を頂きたいと思います。
今日は お疲れ様でした🍵
聞いていないけど、場所を伝えてくださる方がいる…という事で私は広島県です😊笑
改めて 宜しくお願い致します。
髪型のお話しの時、「一緒にグダグダ〜略〜語れるようなお坊さん」とっても素敵な理由だと思いました。
有難う御座いました。
🙏南無阿弥陀仏✨
今日は昼間から夜までありがとうございました^^
他チャンネルのファンが多い中、応援して下さっているのが伝わり、心強かったです。
人間ですから、自分の命への執着というのはこの命尽きるまでなくなることはないんですよね。でも、そうやって自分への執着も離れがたいし、両方の両親の介護をしていると思ってはならないことも頭をよぎったりしませんか?その私を丸抱えして下さるというのが阿弥陀さまの心ですね。
阿弥陀さまに触れていることがもう「信心」の生活なんですよ^^
広島、だいぶ近いですね^^
髪型の話、松崎さんとのコラボ動画でもう少し長く話してるかな?良かったらご覧ください、来週木下明水さんとのコラボ動画をアップしますが、だいぶ自然体の対話になっていますので、お楽しみに☆
ライブ配信も考えていきます(`・ω・´)b
@@funafuna-houwa さん
それが…何もお役に立ててないのですが、舟川住職さんの素敵な法話を皆様にお聴聞して頂きたいなぁと思う気持ちがつい…^ ^:
はい、松崎さんのコラボ動画 拝見させて頂きますね。
その他のコラボ動画、チャット配信等、楽しみにさせて頂く事が目白押しいようで嬉しです。
いつも親切なお返事を下さり、 私は嬉しいばかりですが、私は舟川住職さんに 声が届くだけでも嬉しいので どうぞご無理のないよう宜しくお願い致します☺️✨
🙏南無阿弥陀仏✨
初めまして、登録しました。そして僕の母親が、2年前、肝臓癌で旅立ちました。そして僕の所も、浄土真宗なので、母はお浄土に行きました。毎日、仏壇に、南無阿弥陀仏と唱えてます。
コメント、そしてチャンネル登録ありがとうございます。お母様ご逝去の事、お寂しいことですね。このチャンネルを始めてまだ3か月ですが、私のチャンネルは大切なご家族を亡くされた方からのコメントを多く見かけます。それだけ家族を亡くした悲しみを抱えながら生きている人がたくさんいるんだということでしょうが、その私たちの抱える悲しみに向かって、仏教の教えは説かれてあるのだと思います。明日から9月ですが、9月はお彼岸の月でもありますから、彼岸=浄土にちなんだ話を何本かアップしていこうと思っております。またご視聴下さいm(_ _)m
大変、わかりやすい法話ありがとうございます、中西智海先生の友人です。ありがとうございました。
コメントありがとうございます😊
もう見られているかもしれませんが、先日アップした「掌の中に還り来る人」というご法話では中西先生の言葉を引用させて頂いております。併せて味わって頂けたらと思います。今後もどうぞお聴聞下さいませ(^人^)
お釈迦様が「あなたの命は、消えてなくなる命ではない。お浄土に生まれる命なんだよ。」と
お示しくださったということですが、それはどの経典のどこに書かれているのか、ぜひ
知りたいです。
さとしさん、こんばんは🌙
コメントありがとうございます☆
まず今回書いてくださっている言葉はどこかの経典に書かれている言葉ではないんです。というのも、お経とは一体どういうものなのか?を教えてくれる言葉に「指月のたとえ」というのがあります。お経というのは月を指す指のようなものだというのです。指の目的は月を見てもらうこと。つまりお経を読むときに大事なのは、言葉そのものではなく、その言葉が何を言わんとしているかということを聞くことが大事だということです。
そんな中で、なぜお釈迦様が「あなたの命は、消えてなくなる命ではない。お浄土に生まれる命なんだよ。」と仰ったといったかと言いますと、お釈迦さまは私たちの命の行方の話をされているからです。例えば私は『仏説阿弥陀経』というお経の解説法話を17回にわたってしています。良かったらご覧頂けたらとも思いますが、この阿弥陀経というお経はお釈迦さまが79歳の時に説かれたと言われています。お釈迦さまは80歳でこの世を去っていきますから、その半年前に説かれたんですね。その話の中で何を話していくのかと言いましたら、去り行く(お弟子の)舎利弗尊者に向かって、「お浄土とはこんな世界だよ」と語っていきます。そして、そこは「また遇える世界」であり、「その世界に生まれることを願え」という話をされています。もっと言うならば、「そのお浄土には阿弥陀仏の願力によって生まれることが出来る」という話をされている訳です。それを踏まえて、今回の動画では、お釈迦様は「あなたの命は、消えてなくなる命ではない。お浄土に生まれる命なんだよ。」と仰ったと言っているわけです。
阿弥陀経の話はお浄土のこと(浄土のすがた、浄土への生まれ方、浄土の主・阿弥陀様のこと等)が中心にありますし、先日ようやく最後まで話し終わったので、良かったらご覧ください(^▽^)/
@@funafuna-houwa 早速のご返信、ありがとうございます。ほかの動画を全部見せていただいたわけでは
ないのですが、単刀直入に、たずねさせていただきます。「一切衆生、必得往生」ということなんでしょうか?
@@さとし-v5m おはようございます☆そうですね、基本的には阿弥陀仏の願いから言えば「一切衆生、必得往生」でいいと思いますよ
@@funafuna-houwa 私は可能性の問題として言っているのではありませんよ。
浄土真宗の教えを聞いたこともないし、そして念仏を1回でもとなえこともないし、もちろん仏さまのこころも知らない。そんな人でも、この生が終わったら即時に浄土に往生するのですか。もっと言えば、キリスト教徒でもイスラム教徒でも、その他ほかの宗教の信者でも、無神論者でも、唯物論者でも、みんな往生するっていうんでしょうか。それっておかしくないですか。
さとしさん、こんばんは^^
まず私が書いているのは、「基本的には阿弥陀仏の願いから言えば」ということです。阿弥陀様のご本願は「十方衆生(生きとし生けるもの)みな救う」という誓いです。この世に生きているものすべてを救いたいという願いだから、その願いからはキリスト教の方もイスラム教の方も漏れることはありません。他の宗教は、信じたものだけ救うです。信じないものは最初から問題にしていないのですが、そこは違うということです。これは私も聞いた話ですが、世界宗教者会議という各宗教団体のトップが集まる世界的な会合で、前の西本願寺のご門主さまは「キリスト教の方にも、イスラム教の方にも阿弥陀さまがおはたらきになっています」と言われたそうです。そんな話が出来るのはきっと浄土真宗だけでしょうし、これが私たちの基本姿勢です。
ただ、その救いを拒むものがいます。それはこの私自身です。浄土真宗の教えにおいて一番否定されるものは何かというと、「疑い心」です。「そんなことあるものか」と最初から否定し、聞く耳をもたない人もたくさんいます。その姿というのは、言えば手を差し伸べられているのに振り払っているようなものです。そうやって、否定されている人たちがどうなるかまで私は分かりませんが、お経のお示しを頂くと、たとえ浄土に生まれたとしてもお浄土の閉じた蓮の花びらの中でじっとしていることしかできないとなります。自分の思考の迷宮に閉じこもっている人は、浄土に生まれても閉じられた所に生まれるだけだと。でも、それでは生まれた甲斐もないですよね。だから自分勝手に物事を決めてかからずに、耳を傾けなさいということを言っている訳です。
正直なところ、このような仮定はあまり意味がないと私は思います。宗教というものは最終的に理論・理屈で納得をするようなものではないし、私がこの仏さまと向き合うかどうかの話です。「どのように生きたものも救う」と言われて、本当に仏さまを想うこと、お念仏を申すこともなく、自分勝手に生きているのならば、本当の意味で仏教に出会ったとはいえないでしょう。
私は良く言われるように、お浄土に行ったことはないので、この命尽きてどうなるかはわかりません。ただ大事なことは「浄土に生まれ往く命だよ」と聞いて、その命の行く先を見据えながら生きる今の時間が大事だと思います。どうせ「消えてなくなるいのち」と思っている人間は、最終的にどうせ死ぬんだからと自分勝手な振る舞いに走ります。自分が良ければいいという考えにたってしまいます。でも、「この命は浄土に生まれて仏となる命」と聞かせて頂いている身としては、そのような自分勝手な生きざまでは申し訳ないという想いが生まれてくると思います。そこが大事な分かれ目だと考えています。
せっかくこのような質問をしてくださるのですから、ぜひ仏法を我がこととして言って下さいませm(_ _)m
気になっていました🤭
産まれた生年月日を意識してその方の何ゆえを観る現代の生活がありますが🤔亡くなって逝く又この世に生まれ変わるモノとされる?命の姿に…(命日)と謂うモノがありますが…その日の申す通りの形に産まれ変わるモノと想像して宜しいのでしょうか?
十分にご質問を咀嚼できていないかもしれませんが、、
その人(本人)がそう思った姿に生まれていくという訳ではないんですよね。
私自身は自分の命の終わった後の姿は分かりませんが、その後のありさまを知っている仏さま(阿弥陀さま)が浄土生まれさせ、仏にすると仰るから、「そうなんだ」と受け取らせて頂いているのです。