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そうですね。正しい教科書を子どもたちに。その通りです。私は日本人で自分の国の事を知りたいと思い、今、楽しく切なく色々と見ています。自分の中の血脈を信じて。悪者のように教わった蘇我氏や大彦命(長髄彦)のことを思うと胸が痛くなります。ありがとうございます。
素晴らしい考察!質の高い映像!相当な時間をかけて調べたであろう貴重な情報を、このような形で共有してくださることに心から感謝致します。神旅様の動画からは、いつも歴史や文化への真摯な思いが伝わってきます。次回も心待ちにしています。
胸が熱くなりました!後は日本で紀元前くらいのたたら場の遺跡が見つかる事を願うだけですね。たたらの事が分かりやすく誰かに教えたくなります🙏
ありがとうございます!
チョコ様、ありがとうございます。
神話が史実をつたえているかもですが、スサノヲがヤマタノオロチの退治の時、その尾のなかに鉄剣を見つけた話しは、既に鉄が神話時代にあったと、いうことですね、こんな、判りやすい話し、視点を変えれば、歴史はますます楽しいです、ありがとうございました
アナトリア半島にその昔😅ヒッタイト人が住んでいた、その中心都市はハッティと呼ばれた。😂秦氏とは、ハッティの人なんじゃないかなぁ🤔
製鉄が何処で最初に行われたか…いつ始まったか…色々なお説があり、これからもまだまだ情報は出て来ると思います。多くの地域で多くの人たちの営みが重なって作られる歴史ですので、何が正しくて、こうでなければならないと言ったことは申しませんが、出雲族に限って紐解いてゆけば、鉄との関わりはとても大きかっただろうと思います。渡来したのが4000年以上前と言われ、王国が出来たのは、伝承を素直に受け入れれば紀元前7世紀ごろということでしょう。王国になるにはそこまで熟す必要があり、稲作という農耕が普及していたと思われます。初代皇后の名が【稲田姫】と言うのもそれを物語っています。日本列島に入ってからも移動し続けた出雲族は、斐伊川の砂鉄があったからこそ、そこを拠点に王国を形成し、少なくとも紀元前7世紀以前から、製鉄も稲作も行う弥生時代になっていたと推察されます。新しい年代方式が紀元前10世紀から弥生時代になっていたというもの十分考えられると思います。製鉄炉が見つかっていなくても、現在では想像もできない方法で砂鉄を加工している可能性もありますし、もっと低い温度で可能なやり方があったのではないかと推測しています。ただそれはわたしが証拠としてあげることはできませんけれど、これからまだまだ新しい発見があるかも知れないですし、専門家の方々の研究が益々深まってゆくことを楽しみにしています。添付してくださったタタラ製鉄についての動画も楽しく背景しました。おっしゃるように、世界中で製鉄が行われるようになっても、日本の製鉄が【玉鋼】を作り出す高度な技術へと発展していったことは、世界に誇るべき先人たちの努力の成果であろうと思います。その貴重な技術が絶えそうになったとき、復興運動が起こったのは嬉しいですね。ちょうど葛木御歳神社でも、宝剣【高照丸】の復元を行っており、同じような光景を見せていただきました。神社の御神体山の砂鉄と吉備の砂鉄を合わせて作るようです。古代から中世、更に現代へと引き継がれてゆく《命》をゆらゆらと燃え盛る炎🔥の中に観たような気がします。ありがとうございました。💟
自分には内容が難しく的外れだったら申し訳ないんですが、いくつか疑問があります。①インドから鉄の文化を伝えたのに、なぜ製鉄方法が日本独自のたたら製鉄なのか。別の製鉄方法からたたら製鉄に変化したのか、または他の国にもかつてはたたら製鉄があったのか。②最古の鉄器が九州、古代の鉄器ネットワークの中心地が淡路島。なぜ出雲ではないのか。③20:30~の説明は、「どこにだって鉄に興味を持って製鉄開発しようとするヤツはいるんだから製鉄技術が中国から伝わったんだって言い切れないよね」って事だと理解しましたが、それだと同時に出雲族がインドから鉄の文化を伝えたというのも言い切れなくなりませんか?鉄に興味を持った奴が独自に製鉄方法を開発出来るのであれば、インドの鉄文化など知っている必要はないですよね?インドから日本に来るまでに各地に製鉄方法を伝えてきたという方がまだ納得できるのですが。新しい発見があれば定説は覆るというのはわかりますが、だから四千年前にインドから日本にやってきたというのは少し飛躍しているように感じました。内容は非常に面白いので今後も動画楽しみにしています。動画内でどこが本の内容なのか動画主さんの意見かよくわからなかったので、言い掛かりのようになっていたらごめんなさい。
結論ありきの考察は考察じゃないんだよね、学者ならちゃんとそこに存在する事実に基づいて解明して行ってほしいし、辻褄が合わなくてわからないことを分かった風にいうのは不誠実だよなまだ何なのかわからないものはむやみに否定するよりわからないものと紹介するほうが誠実だと思う
日本の古代史は、出雲口伝(富氏のご子孫の口伝、大元出版の一連の書)が、最も整合性が取れていると感じています。これらを読んで、欠史八代、神武東征、邪馬台国論争に興味がなくなりました。
ヒッタイトは単純に、鉄器を戦闘用の武具として大量生産を可能にしただけという説が現在有力の様ですね。それ以前にヒッタイトの出身地とされる中央ユーラシアでは鉄の生産が行われていた、ただし当時の鉄は銅に比べ武器としての用途としてはあまり役に立たなかった為、主武器として他の文明では使われる事がなかっただけという様ですね。それと、ヒッタイトの製鉄は隕鉄を利用した為に精度の高い鉄を作れた様です。
ヒッタイト→ハットゥーシャ→ハタソバタ土器がキーワード。ラピュタが古ケルトとなりどこで文明を築きどこへ向かったのか。その流れが日本史であり古代オリエント史なのだと思います。出雲口伝だけでは無理ゲーです。
安来鋼で有名な「安来節」は川魚のドジョウを掬っているのではなく😅砂鉄が入った「土壌」を掬っていたという話がある😅真偽は兎も角😅面白い🤣
そうですね。正しい教科書を子どもたちに。その通りです。私は日本人で自分の国の事を知りたいと思い、今、楽しく切なく色々と見ています。自分の中の血脈を信じて。悪者のように教わった蘇我氏や大彦命(長髄彦)のことを思うと胸が痛くなります。ありがとうございます。
素晴らしい考察!質の高い映像!
相当な時間をかけて調べたであろう貴重な情報を、このような形で共有してくださることに心から感謝致します。神旅様の動画からは、いつも歴史や文化への真摯な思いが伝わってきます。次回も心待ちにしています。
胸が熱くなりました!
後は日本で紀元前くらいのたたら場の遺跡が見つかる事を願うだけですね。
たたらの事が分かりやすく誰かに教えたくなります🙏
ありがとうございます!
チョコ様、ありがとうございます。
神話が史実をつたえているかもですが、スサノヲがヤマタノオロチの退治の時、その尾のなかに鉄剣を見つけた話しは、既に鉄が神話時代にあったと、いうことですね、こんな、判りやすい話し、視点を変えれば、歴史はますます楽しいです、ありがとうございました
アナトリア半島にその昔😅ヒッタイト人が住んでいた、その中心都市はハッティと呼ばれた。😂秦氏とは、ハッティの人なんじゃないかなぁ🤔
製鉄が何処で最初に
行われたか…
いつ始まったか…
色々なお説があり、
これからも
まだまだ情報は出て来ると思います。
多くの地域で
多くの人たちの営みが
重なって作られる歴史ですので、
何が正しくて、
こうでなければならない
と言ったことは申しませんが、
出雲族に限って紐解いてゆけば、
鉄との関わりは
とても大きかっただろうと思います。
渡来したのが4000年以上前と言われ、
王国が出来たのは、
伝承を素直に受け入れれば
紀元前7世紀ごろ
ということでしょう。
王国になるには
そこまで熟す必要があり、
稲作という農耕が普及していたと
思われます。
初代皇后の名が
【稲田姫】と言うのも
それを物語っています。
日本列島に入ってからも
移動し続けた出雲族は、
斐伊川の砂鉄があったからこそ、
そこを拠点に王国を形成し、
少なくとも
紀元前7世紀以前から、
製鉄も稲作も行う
弥生時代になっていたと
推察されます。
新しい年代方式が
紀元前10世紀から
弥生時代になっていたというもの
十分考えられると思います。
製鉄炉が見つかっていなくても、
現在では想像もできない方法で
砂鉄を加工している可能性もありますし、
もっと低い温度で
可能なやり方が
あったのではないかと
推測しています。
ただそれは
わたしが証拠としてあげることは
できませんけれど、
これからまだまだ
新しい発見があるかも知れないですし、
専門家の方々の研究が
益々深まってゆくことを
楽しみにしています。
添付してくださった
タタラ製鉄についての動画も
楽しく背景しました。
おっしゃるように、
世界中で製鉄が行われるようになっても、
日本の製鉄が
【玉鋼】を作り出す
高度な技術へと
発展していったことは、
世界に誇るべき
先人たちの努力の成果であろうと
思います。
その貴重な技術が絶えそうになったとき、
復興運動が起こったのは
嬉しいですね。
ちょうど
葛木御歳神社でも、
宝剣【高照丸】の復元を行っており、
同じような光景を
見せていただきました。
神社の御神体山の砂鉄と
吉備の砂鉄を合わせて
作るようです。
古代から中世、
更に現代へと
引き継がれてゆく《命》を
ゆらゆらと燃え盛る炎🔥の中に
観たような気がします。
ありがとうございました。💟
自分には内容が難しく的外れだったら申し訳ないんですが、いくつか疑問があります。
①インドから鉄の文化を伝えたのに、なぜ製鉄方法が日本独自のたたら製鉄なのか。別の製鉄方法からたたら製鉄に変化したのか、または他の国にもかつてはたたら製鉄があったのか。
②最古の鉄器が九州、古代の鉄器ネットワークの中心地が淡路島。なぜ出雲ではないのか。
③20:30~の説明は、「どこにだって鉄に興味を持って製鉄開発しようとするヤツはいるんだから製鉄技術が中国から伝わったんだって言い切れないよね」って事だと理解しましたが、それだと同時に出雲族がインドから鉄の文化を伝えたというのも言い切れなくなりませんか?
鉄に興味を持った奴が独自に製鉄方法を開発出来るのであれば、インドの鉄文化など知っている必要はないですよね?
インドから日本に来るまでに各地に製鉄方法を伝えてきたという方がまだ納得できるのですが。
新しい発見があれば定説は覆るというのはわかりますが、だから四千年前にインドから日本にやってきたというのは少し飛躍しているように感じました。内容は非常に面白いので今後も動画楽しみにしています。
動画内でどこが本の内容なのか動画主さんの意見かよくわからなかったので、言い掛かりのようになっていたらごめんなさい。
結論ありきの考察は考察じゃないんだよね、学者ならちゃんとそこに存在する事実に基づいて解明して行ってほしいし、辻褄が合わなくてわからないことを分かった風にいうのは不誠実だよな
まだ何なのかわからないものはむやみに否定するよりわからないものと紹介するほうが誠実だと思う
日本の古代史は、出雲口伝(富氏のご子孫の口伝、大元出版の一連の書)が、最も整合性が取れていると感じています。これらを読んで、欠史八代、神武東征、邪馬台国論争に興味がなくなりました。
ヒッタイトは単純に、鉄器を戦闘用の武具として大量生産を可能にしただけという説が現在有力の様ですね。
それ以前にヒッタイトの出身地とされる中央ユーラシアでは鉄の生産が行われていた、ただし当時の鉄は銅に比べ武器としての用途としてはあまり役に立たなかった為、主武器として他の文明では使われる事がなかっただけという様ですね。
それと、ヒッタイトの製鉄は隕鉄を利用した為に精度の高い鉄を作れた様です。
ヒッタイト→ハットゥーシャ→ハタ
ソバタ土器がキーワード。ラピュタが古ケルトとなりどこで文明を築きどこへ向かったのか。その流れが日本史であり古代オリエント史なのだと思います。出雲口伝だけでは無理ゲーです。
安来鋼で有名な「安来節」は川魚のドジョウを掬っているのではなく😅砂鉄が入った「土壌」を掬っていたという話がある😅真偽は兎も角😅面白い🤣