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ピューロランドができたばかりで、まだ自分も幼った頃に初めてピューロランドに行ったこと、スターライトパレードを見たこと、その思い出は今でも宝物です。当時のピューロランドは本当に優しさと思いやりに満ちていました。スターライトパレードの途中にキティちゃんの袋に入ったお菓子を子供たちに配ってくれたことがあって、子供心に感激したのを覚えています。初代社長は子供たちを喜ばせたい一心でピューロランドを設立したのだと思います。今でも自分の中ではどのパレードよりスターライトパレードが一番好きです。これ以上愛と夢を詰め込んだパレードはないと思っています。自分にとって幻のような奇跡のような存在にまた会えた事、涙が止まりません。アップしてくださり、本当にありがとうございます…!
コメントありがとうございます!私の住む街のテーマパークでもキティちゃんに会う事が出来ますが、ピューロランドでの思い出が一番印象深いです。今でもキティちゃんを見るとスターライトパレードの曲が脳内再生されます…w。
@gacchon1 様あなた様のコメントに私、感激しましてこうして返信を書いております。(連投になってはいけないと思い、かなり間隔を開けました)あなた様が幼い頃に訪れたサンリオピューロランドで、スターライトパレードも含めて沢山の思い出を記憶して下さっている事に、感謝します!コメント欄にも書きましたが、この私はこの演目のスターライトパレード(まさにこの撮影日の当日も含めて)や当時のピューロの演目に携わったスタッフの1人です。あなた様がおっしゃる通り、「愛と夢の国 サンリオピューロランド」を創られた辻信太郎さん(サンリオ創業者であり、ハローキティの父)は、ご自身の人生と社運を賭けてピューロランドを開設されました。あなた様がお感じになった様に、辻さんは、子供や大人も楽しめるパークを創ろうとしたと共に、愛と夢が人間にとって不可欠である事や、人と人とが親愛を持って接する事や表現する事の意味を、こうした演目から感じ取って欲しいと願って当時の持ちうるサンリオの力とノウハウの全てを投入しました。この映像が今の時代にも当時の姿が紛れもなく妥協の無かった時代の中のピューロ(ランド)が、如何に全力投球で一つの演目を観客にお見せしていたか、が理解されると思います。昔を振り返って思うのは、こんな小さな1人の私も、スタッフとしてピューロランドのパレードの歴史の始まりである貴重な演目に携われた事、その出来事と経験に感謝をしている次第です。ご覧頂いた通り、この初代パレードは30年以上前の演目ですが、メルヘンでファンタジックで不思議で素敵で品のある表現が随所に盛り込まれています。ダンサーの衣装の良さ、音響の良さ、照明と特殊効果の良さ、そして、キャラクターと観客の一体感、そして何より、沢山の人々を取り囲む様に位置する知恵の木のたたずまい・・・それらが渾然一体となって織りなす非日常的な空間と演目、それが、サンリオピューロランドの真髄でした。
テーマパークに於いて、一つの演目を公演するには多数のスタッフや関係者が力を結集する必要があります。このVideoの「サンリオスターライトパレード」に於いては、当時のサンリオピューロランドに於けるスタッフの全勢力がこの演目に結集していた、と云っても過言ではなかったのが実際でした。それは時に、ダンサーの数やキャラクターの数の多さではなく、照明、音響、衣装、メイク、進行、そして出演者など、多岐に渡るスタッフの総力があったからこそ実現出来た演目であります。今から30数年前の昔の時代、まだ生まれて間もなかった頃の「赤ちゃんだったサンリオピューロランド」が、当時、如何に純粋無垢で、明るい夢と希望と理想を掲げて歩き出したか、そしてその「明るい夢と希望」をゲストに伝えたかったか、それらがこのVideoに記録されています。そう云った意味に於いても、このVideoが今の時代に伝えてくれる「昔のピューロランドの姿の一部」は大変貴重であると共に、改めてこのVideoに私は感謝致します。30数年経ち、「ああ、あの時、私が現場で送り出したあのパレードを、あの日、撮っていた方がやっぱりいらっしゃったのだ」と感じる事が出来て、私はとても幸せです。何故ならそれは、私を含めた当時のスタッフの皆が、誠心誠意頑張った結果が「Video」の形で確かにこの世の中に残っていた事が自分の眼で確認出来たからです。本当に、ありがとうございました。そしてこれからも、どうぞ宜しくお願い致します。
コメント感激です!当時 知人がサンリオに勤務しており「今度こんな遊園地が出来るねん」と招待状を頂いたのがきっかけでハマってしまいました。(ただ遠方と言う事もあり実際は年2回程度しか行けませんでしたが…。)子供が大きくなってからは足も遠のいてしまいましたが @asakusataroさんのコメントを見て また行きたいと思います。こちらこそよろしくお願いします、ありがとうございました。
この映像を、現代の若い人達が視聴すると「うわっ!!」と思う点が多々あると思いますが、これがまさに当時のサンリオピューロランドで、元々、ピューロランドは「音楽と唄と踊りで表現をする事」が演出の要だった為、説明台詞が無い代りに音楽と動き(と踊り)がこの演目の全てでした。演目は設定上の夕方から開始し、真夜中を経て、明け方に終る...と云う流れで、途中でライトダウンし(照明をほぼ真っ暗に暗転させる)真夜中の演出の中でピューロの村の住人たちや妖精やピューロキャラクターもサンリオキャラクターも踊りますが、ああした演出は屋外パークの東京ディズニーランドでは出来なかったパレード演出として当時注目を浴びました。(やがてその演出も改訂されましたが演出全般が貴重でした)この映像が伝えてくれる当時のピューロランドの姿は、その原点がどう云った演出や表現に在るか、を明確に教えてくれる、貴重なVideoです。
そんな素敵な意図があったんですね。私は2005年生まれなのでこのパレードを実際に見たことはないのですが、館内BGMにこのパレードの曲が残っていたりして懐かしさも感じます。良いことが知れました。素敵なコメントありがとうございます。
コメントありがとうございます!確かにパレードと舞台演出が融合した今まで観た事の無いショーでした。最初に企画した演出家、現場スタッフの皆さんのご苦労には頭が下がります…。パントマイムでの進行も印象的でしたね。
2コメ。「昔のこと」を忘れない内に伝えたくてコメント投稿しました。公開のVideoが1991年8月12日撮影と云う事で、まさに、このVideoが撮影された当日は私がこの「サンリオスターライトパレード」の現場スタッフの一人として当時関わりました。もう時効(?)なので昔のことを記述しますが、この「サンリオスターライトパレード」は当初、1日1回(1パレ)の公演でしたが次第に公演回数が増え、2パレが定着し、この1991年夏は「1日3パレ」(1日3回公演)が行われていた時期です。1日のタイムスケジュールの中で1公演約27分間の演目を3回行う事はかなりハードで、出演者も我々現場スタッフも正直ヘトヘトでした。が、私も含め、初期スタッフの我々は皆、「来園してくれる小さな子たちに喜んでもらおう!!」の意気で演目制作に当りました。公開して下さっているこのVideoを視聴すると、まさに「あの頃あの時代のピューロランド」のテイストと現場の空気と香りとエネルギーが、私の記憶と共にプレイバックされリアルに甦って来ます。→
>「来園してくれる小さな子たちに喜んでもらおう!!」その後の人生に影響を与えていますよw😅
(連投すみません(;´∀`)) この映像が撮影された当時(当日)の「メモ」を引っ張り出して確認。1年前、この映像の初見で「おやっ?」と思った通り、映像に登場している"キキ"(リトルツインスターズ)は、紛れもなく当時の私達の仲間が演技者として出演した時の姿です。→ 踊り方と独特の「味」で確信した通りでした。もう時効?なので書けますが、初期のスターライトパレードはキングハッピーの口上の前からピューロの村の住人たちが何処からともなく徒歩で現れ、沿道の観客(ゲスト)に挨拶をする...と云う流れで、既にそこからパレードは始まっており、そうした"演出"が、ディズニーでは出来ない演出、と云う事でこの演目はプロデュースされていました。そしてキングハッピーの口上があり、いよいよ以て「始まり始まり」で、ジャーン♪とパレードが始まる、あのワクワク感はピューロランド独特の味わいでした。ボクたちスタッフは、ビレッジワーカーソング(ピューロの村の住人たちが踊り唄う最初の歌)が鳴り響く中、ファクトリーの背後に位置する隠れたエリアでキャラクターやフロートの最終点検を行い、ディレクターのキューを静かにジッと待ちました。そして、ディレクターがキューを出すと扉が開き、フロートが静かに出発しました。この映像でアップで映されている通り、準備エリアの扉の向こう側に沢山の子供達が、目をキラキラとさせて沿道で待ち構えている姿が見えると、鼓動が高鳴り、「どうか無事故で無事に帰って来てね」と祈りながらフロートを送り出しました。時には「グッ!!」と親指を立てて合図をすると、無言で応えるピューロキャラクターあれば、手を振って応えるキャラクターもあれば、うんうんと頷くキャラクターもあれば、様々でしたが、あの瞬間は、数々の仕事の中でも生涯忘れられない瞬間でした。そうして送り出したフロートとドライバーとキャラクターが、こうしてACTして、沢山の人々に数え切れない思い出を投げ掛けていたと思うと、私はとても幸せです。大変な仕事だったけど、当時は微塵も辛いと思う事はありませんでした。一生懸命に、懸命に仕事をして、お客様に喜んで頂くと云う事を教えてくれたのは、紛れもなく当時のこの演目とサンリオピューロランドでした。(長文すみません)ちなみに・・・フロートの「プレゼントボックス」から、勢いよく登場するサンリオキャラクター達は、前出の準備エリアから既に「箱」に入ってジッと(箱の)中で飛び出す瞬間を待ってますが、実は箱の中にしゃがんで待ってた為、(←腰を掛ける仕組みではなかった。辛い!!)かなりの重圧と闘ってました。音響はガンガン鳴ってるし、飛び出す瞬間はタイトで限られてるし、真っ暗な中から飛び出してゲストの前で全力で踊る...様々な点で粗削りですが、まさに当時のピューロランドその物でした。
1コメ。大変懐かしいです!ありがとうございます。映像の冒頭、「キングハッピーの口上」の尺が長い最初期版ですね。私がスタッフを担当していた際の演目です。(後に追記)
ピューロランドができたばかりで、まだ自分も幼った頃に初めてピューロランドに行ったこと、スターライトパレードを見たこと、その思い出は今でも宝物です。当時のピューロランドは本当に優しさと思いやりに満ちていました。スターライトパレードの途中にキティちゃんの袋に入ったお菓子を子供たちに配ってくれたことがあって、子供心に感激したのを覚えています。初代社長は子供たちを喜ばせたい一心でピューロランドを設立したのだと思います。今でも自分の中ではどのパレードよりスターライトパレードが一番好きです。これ以上愛と夢を詰め込んだパレードはないと思っています。自分にとって幻のような奇跡のような存在にまた会えた事、涙が止まりません。アップしてくださり、本当にありがとうございます…!
コメントありがとうございます!
私の住む街のテーマパークでもキティちゃんに会う事が出来ますが、ピューロランドでの思い出が一番印象深いです。
今でもキティちゃんを見るとスターライトパレードの曲が脳内再生されます…w。
@gacchon1 様
あなた様のコメントに私、感激しましてこうして返信を書いております。(連投になってはいけないと思い、かなり間隔を開けました)あなた様が幼い頃に訪れたサンリオピューロランドで、スターライトパレードも含めて沢山の思い出を記憶して下さっている事に、感謝します!コメント欄にも書きましたが、この私はこの演目のスターライトパレード(まさにこの撮影日の当日も含めて)や当時のピューロの演目に携わったスタッフの1人です。あなた様がおっしゃる通り、「愛と夢の国 サンリオピューロランド」を創られた辻信太郎さん(サンリオ創業者であり、ハローキティの父)は、ご自身の人生と社運を賭けてピューロランドを開設されました。あなた様がお感じになった様に、辻さんは、子供や大人も楽しめるパークを創ろうとしたと共に、愛と夢が人間にとって不可欠である事や、人と人とが親愛を持って接する事や表現する事の意味を、こうした演目から感じ取って欲しいと願って当時の持ちうるサンリオの力とノウハウの全てを投入しました。この映像が今の時代にも当時の姿が紛れもなく妥協の無かった時代の中のピューロ(ランド)が、如何に全力投球で一つの演目を観客にお見せしていたか、が理解されると思います。昔を振り返って思うのは、こんな小さな1人の私も、スタッフとしてピューロランドのパレードの歴史の始まりである貴重な演目に携われた事、その出来事と経験に感謝をしている次第です。ご覧頂いた通り、この初代パレードは30年以上前の演目ですが、メルヘンでファンタジックで不思議で素敵で品のある表現が随所に盛り込まれています。ダンサーの衣装の良さ、音響の良さ、照明と特殊効果の良さ、そして、キャラクターと観客の一体感、そして何より、沢山の人々を取り囲む様に位置する知恵の木のたたずまい・・・それらが渾然一体となって織りなす非日常的な空間と演目、それが、サンリオピューロランドの真髄でした。
テーマパークに於いて、一つの演目を公演するには多数のスタッフや関係者が力を結集する必要があります。このVideoの「サンリオスターライトパレード」に於いては、当時のサンリオピューロランドに於けるスタッフの全勢力がこの演目に結集していた、と云っても過言ではなかったのが実際でした。それは時に、ダンサーの数やキャラクターの数の多さではなく、照明、音響、衣装、メイク、進行、そして出演者など、多岐に渡るスタッフの総力があったからこそ実現出来た演目であります。今から30数年前の昔の時代、まだ生まれて間もなかった頃の「赤ちゃんだったサンリオピューロランド」が、当時、如何に純粋無垢で、明るい夢と希望と理想を掲げて歩き出したか、そしてその「明るい夢と希望」をゲストに伝えたかったか、それらがこのVideoに記録されています。そう云った意味に於いても、このVideoが今の時代に伝えてくれる「昔のピューロランドの姿の一部」は大変貴重であると共に、改めてこのVideoに私は感謝致します。30数年経ち、「ああ、あの時、私が現場で送り出したあのパレードを、あの日、撮っていた方がやっぱりいらっしゃったのだ」と感じる事が出来て、私はとても幸せです。何故ならそれは、私を含めた当時のスタッフの皆が、誠心誠意頑張った結果が「Video」の形で確かにこの世の中に残っていた事が自分の眼で確認出来たからです。本当に、ありがとうございました。そしてこれからも、どうぞ宜しくお願い致します。
コメント感激です!
当時 知人がサンリオに勤務しており「今度こんな遊園地が出来るねん」と招待状を頂いたのがきっかけでハマってしまいました。(ただ遠方と言う事もあり実際は年2回程度しか行けませんでしたが…。)
子供が大きくなってからは足も遠のいてしまいましたが @asakusataroさんのコメントを見て また行きたいと思います。
こちらこそよろしくお願いします、ありがとうございました。
この映像を、現代の若い人達が視聴すると「うわっ!!」と思う点が多々あると思いますが、これがまさに当時のサンリオピューロランドで、元々、ピューロランドは「音楽と唄と踊りで表現をする事」が演出の要だった為、説明台詞が無い代りに音楽と動き(と踊り)がこの演目の全てでした。演目は設定上の夕方から開始し、真夜中を経て、明け方に終る...と云う流れで、途中でライトダウンし(照明をほぼ真っ暗に暗転させる)真夜中の演出の中でピューロの村の住人たちや妖精やピューロキャラクターもサンリオキャラクターも踊りますが、ああした演出は屋外パークの東京ディズニーランドでは出来なかったパレード演出として当時注目を浴びました。(やがてその演出も改訂されましたが演出全般が貴重でした)この映像が伝えてくれる当時のピューロランドの姿は、その原点がどう云った演出や表現に在るか、を明確に教えてくれる、貴重なVideoです。
そんな素敵な意図があったんですね。私は2005年生まれなのでこのパレードを実際に見たことはないのですが、館内BGMにこのパレードの曲が残っていたりして懐かしさも感じます。良いことが知れました。素敵なコメントありがとうございます。
コメントありがとうございます!
確かにパレードと舞台演出が融合した今まで観た事の無いショーでした。
最初に企画した演出家、現場スタッフの皆さんのご苦労には頭が下がります…。
パントマイムでの進行も印象的でしたね。
2コメ。「昔のこと」を忘れない内に伝えたくてコメント投稿しました。公開のVideoが1991年8月12日撮影と云う事で、まさに、このVideoが撮影された当日は私がこの「サンリオスターライトパレード」の現場スタッフの一人として当時関わりました。もう時効(?)なので昔のことを記述しますが、この「サンリオスターライトパレード」は当初、1日1回(1パレ)の公演でしたが次第に公演回数が増え、2パレが定着し、この1991年夏は「1日3パレ」(1日3回公演)が行われていた時期です。1日のタイムスケジュールの中で1公演約27分間の演目を3回行う事はかなりハードで、出演者も我々現場スタッフも正直ヘトヘトでした。が、私も含め、初期スタッフの我々は皆、「来園してくれる小さな子たちに喜んでもらおう!!」の意気で演目制作に当りました。公開して下さっているこのVideoを視聴すると、まさに「あの頃あの時代のピューロランド」のテイストと現場の空気と香りとエネルギーが、私の記憶と共にプレイバックされリアルに甦って来ます。→
>「来園してくれる小さな子たちに喜んでもらおう!!」
その後の人生に影響を与えていますよw😅
(連投すみません(;´∀`)) この映像が撮影された当時(当日)の「メモ」を引っ張り出して確認。1年前、この映像の初見で「おやっ?」と思った通り、映像に登場している"キキ"(リトルツインスターズ)は、紛れもなく当時の私達の仲間が演技者として出演した時の姿です。→ 踊り方と独特の「味」で確信した通りでした。もう時効?なので書けますが、初期のスターライトパレードはキングハッピーの口上の前からピューロの村の住人たちが何処からともなく徒歩で現れ、沿道の観客(ゲスト)に挨拶をする...と云う流れで、既にそこからパレードは始まっており、そうした"演出"が、ディズニーでは出来ない演出、と云う事でこの演目はプロデュースされていました。そしてキングハッピーの口上があり、いよいよ以て「始まり始まり」で、ジャーン♪とパレードが始まる、あのワクワク感はピューロランド独特の味わいでした。ボクたちスタッフは、ビレッジワーカーソング(ピューロの村の住人たちが踊り唄う最初の歌)が鳴り響く中、ファクトリーの背後に位置する隠れたエリアでキャラクターやフロートの最終点検を行い、ディレクターのキューを静かにジッと待ちました。そして、ディレクターがキューを出すと扉が開き、フロートが静かに出発しました。この映像でアップで映されている通り、準備エリアの扉の向こう側に沢山の子供達が、目をキラキラとさせて沿道で待ち構えている姿が見えると、鼓動が高鳴り、「どうか無事故で無事に帰って来てね」と祈りながらフロートを送り出しました。時には「グッ!!」と親指を立てて合図をすると、無言で応えるピューロキャラクターあれば、手を振って応えるキャラクターもあれば、うんうんと頷くキャラクターもあれば、様々でしたが、あの瞬間は、数々の仕事の中でも生涯忘れられない瞬間でした。そうして送り出したフロートとドライバーとキャラクターが、こうしてACTして、沢山の人々に数え切れない思い出を投げ掛けていたと思うと、私はとても幸せです。大変な仕事だったけど、当時は微塵も辛いと思う事はありませんでした。一生懸命に、懸命に仕事をして、お客様に喜んで頂くと云う事を教えてくれたのは、紛れもなく当時のこの演目とサンリオピューロランドでした。(長文すみません)
ちなみに・・・フロートの「プレゼントボックス」から、勢いよく登場するサンリオキャラクター達は、前出の準備エリアから既に「箱」に入ってジッと(箱の)中で飛び出す瞬間を待ってますが、実は箱の中にしゃがんで待ってた為、(←腰を掛ける仕組みではなかった。辛い!!)かなりの重圧と闘ってました。音響はガンガン鳴ってるし、飛び出す瞬間はタイトで限られてるし、真っ暗な中から飛び出してゲストの前で全力で踊る...様々な点で粗削りですが、まさに当時のピューロランドその物でした。
1コメ。大変懐かしいです!ありがとうございます。映像の冒頭、「キングハッピーの口上」の尺が長い最初期版ですね。私がスタッフを担当していた際の演目です。(後に追記)