じいちゃんにまた会える日

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  • Опубліковано 3 жов 2024
  • じいちゃんにまた会える日
    埼玉県在住  関根 健一
    先日、立て続けに親戚や知人の訃報が届きました。人が亡くなるというだけでも悲しいことですが、まだ私と同年代の50代の知人や、私よりも若い人、特に娘の同級生の訃報を聞いた時には、同じ親として何とも言えない気持ちになりました。
    親戚の葬儀は天理教式で執り行われました。天理教を信仰していない参列者も多く、開式前に葬儀業者が式次第や作法などを丁寧に説明してくれました。亡くなった親戚は80代でしたが、家族にとってはいくつであっても悲しい気持ちに変わりはありません。悲しみの中にも、故人の人柄同様の温かさに包まれた葬儀になり、無事に送り出すことができました。
    天理教式の葬儀では、故人の生い立ちや人柄について書かれた「誄詞」というものを読み上げます。故人と参列者との関係性はそれぞれ違いますが、どんな人だったのかをより詳しく知ることで、祈る気持ちも深くなる気がします。
    そしてもう一つ、天理教式の葬儀を特徴的にしているのが「出直し」の教理だと思います。天理教では、人の死を「出直し」と呼び、親神様からの「かりもの」である身体をお返しすることだと教えられています。死は再生の契機であり、新しい身体を借りてこの世に帰ってくる、「生まれ替わり」のための出発点でもあるのです。
    以前、ある天理教の教会長さんから、「葬儀は天理教を信仰していない人も多く参列する貴重な機会です。故人との別れを惜しむ人たちに、少しでも前向きな気持ちになってもらえるように、必ず出直しの教理についてお話しさせて頂きます」と聞かせてもらったことがあります。死は「永遠の別れ」だと思っていた人が、出直しについてのお話を聞いて、心が前向きになる場合もあるとのことでした。
    二十数年前、57歳だった父が亡くなりました。当時25歳だった私は、何も分からない中、言われるがままに喪主を務めることになりました。鳶職人だった父を偲んで多くの方が弔問に来てくださり、皆さんへの対応をするので精一杯でした。
    当時、一番上の姉の子供で、小学一年生の姪と幼稚園に通う甥がいました。父にとっては初孫と二人目の孫で、父は二人をとても可愛がり、姪と甥も「じいちゃん、じいちゃん」と慕っていました。
    そのじいちゃんが突然亡くなったのです。小学一年生の姪は父の亡骸と対面するなり、目を真っ赤にして泣き始めました。
    その一方で、甥の方はというと、まだ人の死を理解することができないのか、「じいちゃん何で寝てるの?」と不思議そうな顔をしていました。周囲もその姿を見て、まだ理解できないことで却って傷つかないで済むだろうと、ちょっとホットした気持ちになりました。
    自宅で数日亡骸を安置した後、式場に向かうために納棺をする時のことです。棺に納められた父の姿を見た甥が、突然大きな声で泣き出したのです。
    「じいちゃん!じいちゃん!どこに行っちゃうの?」
    家中に響き渡る甥の泣き声に、たちまち大人たちも涙を誘われました。送り出す準備が整い、家族がひと通り父に声をかけ終わっても、甥が泣き止む様子はありません。見かねた二番目の姉が、「じいちゃんはね、一度お空に行って、また身近な誰かのお腹に戻ってくるんだよ」と言うと、それまで泣いていたのが嘘のようにピタッと泣き止み、「ほんと?」と聞きます。
    家族みんなで「ホントだよ」と答えると、甥は納得した様子で、それからは泣くことはありませんでした。式場での姪と甥は、「いい子にしてたら、じいちゃんが戻ってくるからね」とみんなに声を掛けられ、大人でも退屈になりがちな葬儀の時間を、きょうだい揃ってお利口に過ごしてくれました。
    そして葬儀が終わり、火葬場に移動しました。火葬炉の前に父の亡骸が到着すると、最後のお別れに参列者のすすり泣く声が父の周囲を埋めていきます。そんな中、甥を中心に最前に並んだ私たち家族にもう涙はありません。
    「さあ、じいちゃんがお空に飛び立つぞ!」
    「じいちゃん、また帰ってきてね!」
    姪と甥に聞かせるように大人たちが声に出します。
    火葬炉の扉が閉まり、参列者のすすり泣く声がピークに達すると同時に、カウントダウンが始まりました。
    「5、4、3、2、1、0!」
    最後は甥の「出発、進行!」の声に見送られ、父は旅立って行ったのでした。
    葬儀が終わり、私たちは父のいない日常に戻りました。父が亡くなってから葬儀が終わるまでの間は、目まぐるしく時が過ぎ、悲しむ暇もありませんでした。ですが、日常に戻り、ふと、いつも居た場所に父がいないことに気づくと、涙があふれてきました。
    そんな中、「じいちゃんにまた会える日」を楽しみに元気よく過ごす甥の姿が、私たちに希望を与えてくれました。
    教祖から教えて頂いた「出直し」の教理が、父の死という大きな節を、我が家の希望に変えてくれたのでした。
    くちわにんけん心月日や
    天理教は、元の神・実の神である親神様が、いち農家の主婦であった当年四十一歳の中山みき様、私たちは「おやさま」とお呼びしてお慕いしていますが、その教祖の身体に入り込まれ、教祖が親神様の話を取り次ぐ「月日のやしろ」とお定まりくだされたことにより、始まった教えです。すなわち、教祖のお心は親神様のお心そのままですが、お姿は私たち人間と何ら変わるところはありません。
    このことを、直筆による「おふでさき」に、
      いまなるの月日のをもう事なるわ  くちわにんけん心月日や (十二 67)
      しかときけくちハ月日がみなかりて  心ハ月日みなかしている (十二 68)
    と記されています。
    また、『天理教教典』には、
    「教祖の姿は、世の常の人々と異るところはないが、その心は、親神の心である。しかし、常に、真近にその姿に接し、その声を聞く人々は、日頃の心安さになれて、その話に耳をかそうとしないばかりか、或は憑きものと笑い、或は気の違った人と罵った。」
    とあります。
    とかく私たちは、理解できないものに対して警戒心を抱き、時にそれを否定し、排除しようとします。浅はかな人間思案とはいえ、それはむしろ当然のことと言えるかも知れません。
      いまゝでハをなじにんけんなるよふに  をもているからなにもハからん (七 55)
    何も知らない人々に納得を与え、真実の道へ導こうとされる教祖のご苦労は、並大抵のことではなかったでしょう。その深い親心たるや、まさしく一れつ人間の親である所以です。そのご苦労に思いを馳せ、次のお言葉をかみしめたいと思います。
    「神の話というものは、聞かして後で皆々寄合うて難儀するような事は教えんで。言わんでな。五十年以来から何にも知らん者ばかし寄せて、神の話聞かして理を諭して、さあ/\元一つの理をよう忘れんように聞かし置く。さあ/\それでだん/\成り立ち来たる道。」(M21・8・9)
    (終)

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