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КОМЕНТАРІ • 118

  • @user-mc8gl6vb8x
    @user-mc8gl6vb8x 2 роки тому +103

    ほんのガキのころ、この『花神』を見てしまった者にとって、河井継之助って言ったら、高橋英樹さんなんだよ。カッコよすぎる。

    • @lover7298
      @lover7298 2 роки тому +25

      父も言っていました。一緒に見に行き、感想を聞いたら、「花神を見たことがあったから、期待をしてみたけれど、残念だった。役所広司は名優ではある。ただ、河井継之助を演じるには年を食いすぎてる。それに加えて、演出が悪すぎる」と言っていました。私も同感です。後で「花神」を見たのですが、迫力が桁外れです。映画に1900円を払うなら、こちらを見れば十分でしょう。

    • @user-kz3su8wg3f
      @user-kz3su8wg3f 2 роки тому +13

      原作者の司馬遼太郎さんも絶賛していたそうですよ😀

    • @user-qn4qd8pm5p
      @user-qn4qd8pm5p Рік тому +3

      今の人なら鈴木宗男かな?

    • @user-js3fc3nx6z
      @user-js3fc3nx6z Рік тому +5

      燃えよ剣の映画も見に行こうかと思いましたが、栗塚旭さんの土方歳三見てるので、見ないほうがいいと思い行きませんでした。

    • @AtsushiMizobe
      @AtsushiMizobe 8 місяців тому +5

      私は後年の「翔ぶが如く」の島津久光、「篤姫」の島津斉彬、「花燃ゆ」の井伊直弼を見ましたが、この河井継之助もそれらに勝るとも劣らないと思います。

  • @user-er5tw7ug3n
    @user-er5tw7ug3n Рік тому +66

    いち越後人として、涙なくしては見れないシーンです。

    • @NBST0713
      @NBST0713 5 місяців тому +1

      新発田の裏切り…

    • @user-er5tw7ug3n
      @user-er5tw7ug3n 5 місяців тому +2

      「会津猪・米沢猿で、新発田狐にだまされた」

    • @草莽-b6d
      @草莽-b6d 4 місяці тому +4

      昭和の頃まで、
      「新発田(や三春)から嫁を貰うな/嫁にやるな」
      と言っていた隣接の町村もあると聞きました。

    • @SAmane-qq2hf
      @SAmane-qq2hf Місяць тому +2

      @@NBST0713 私は北米に永住する河合さんの心酔者ですが、「新発田の裏切り」とはなんですか? 初耳です。「’峠」に書かれていましたか?アメリカには本は持って来ませんでしたので、読み返しができません。

  • @ieecjapan708
    @ieecjapan708 3 місяці тому +4

    現在、八丁沖は無く、田んぼになっていますが、記録として残っている見附→漆山→四ツ屋を旧道でバイクで行くと、八丁沖だったであろう場所に出ました。

  • @taka7260
    @taka7260 Рік тому +27

    高橋秀樹さんの演技素晴らしいです。今の大河より迫力ありますね。後世に残したい。

    • @user-ov8mz7oc4s
      @user-ov8mz7oc4s 9 місяців тому

      こんな傑作をNHK は公共放送と言いながら総集編しか残していない。
      情け無いことだ。

  • @user-xb9sf1hc1n
    @user-xb9sf1hc1n Рік тому +34

    高橋さんの口語文朗読が素晴らしい。
    島津久光の演技とはまた違う!
    西やんの山縣は二枚目よりかな?と思ったけどフンドシ姿で慌ててコケちゃうとこだけは西やん(笑)

    • @草莽-b6d
      @草莽-b6d 4 місяці тому +1

      「お前は会津の出身のクセに、なんで長州の山縣なんぞやる? あ?」
      と、故郷では大分糾弾されたらしい。

  • @あとぜき侍
    @あとぜき侍 2 роки тому +58

    長岡藩は実際、ガトリング砲以外にアームストロング砲に炸裂弾を込めて、敵の頭上で爆発させて甚大な被害をもたらしたんだけど、あまり知られていないのが残念だな。朝日山での立見尚文の活躍なども。

    • @TheTaishi1
      @TheTaishi1 2 роки тому +16

      なんと長岡藩がアームストロング砲を使用してたのは知りませんでした!「花神」の上野戦争の回でのアームストロング砲の解説ナレーション「開発国イギリスを除けば地球上で肥前佐賀藩のみが所有していた最新砲である」を信じてましたわ。

    • @user-db9fm5ml6f
      @user-db9fm5ml6f 2 роки тому +8

      すごいな、今ならトマホークミサイルを配備するようなもんだろうな(笑)

    • @user-mc8gl6vb8x
      @user-mc8gl6vb8x 2 роки тому +8

      「朝日山での立見尚文の活躍」だけど、これは総集編だからカットされちゃってるだけ。本編だと、ちゃんと見せ場はありましたよ。遠い過去の記憶だけど……。あ~あ、なんで『花神』はビデオが残ってないんだろ? 翌年に放映された『黄金の日日』なんて、しっかり残っていて、何度か再放送されてるっていうのに……。

    • @user-ox2oe6bm3d
      @user-ox2oe6bm3d Рік тому +10

      立見鑑三郎は日露でも弘前師団を率いてましたね!

  • @mounayamimuyou
    @mounayamimuyou 2 роки тому +51

    河合継之助 高橋英樹さんが演じてる。
    迫力あるなぁ~。

  • @toshiakitakaki5679
    @toshiakitakaki5679 2 роки тому +27

    ガトリング砲、うちの実家の近く通ったらしい。花神のなかで描かれていました。

  • @xmas_turkey_survivor
    @xmas_turkey_survivor Рік тому +22

    官軍も賊軍もない。
    ひとりひとり皆が主役だ。
    だから熱い。

    • @user-jq5fx2me9e
      @user-jq5fx2me9e Рік тому

      官軍は、言わば、テロリス。天皇は勢いのある薩長に、乗り換えだけ。
      卑怯者めが。

  • @lover7298
    @lover7298 2 роки тому +63

    「峠~最後のサムライ~」も、これぐらいの迫力のあるシーンがあったらな、と見ていて思いました。一緒に見に行った父が、「花神の方が面白かった」と言ったのでこうしてこの動画にたどり着いたのですが、これは同感ですね。同じようなシーンは「峠~最後のサムライ~」にもありますが、この「花神」とは比べ物にならないほどショボい。河井継之助の迫力と魅力は、「花神」のほうが遥かに伝わってくる。「俺を越後へ、置いてゆけぇー!」と叫んだ時の迫力、そして亡くなる間際で弱っているはずなのに、力強さを感じる凄い眼力。高橋英樹さんの熱演が光ります。そして何より、西田敏行さんが演じる山縣狂介(有朋)は、「峠~最後のサムライ~」に至っては出番はおろか、名前すら出て来ない。テレビが本気で時代劇を作っていた時代の作品を、映画に残すことはできなかったのでしょうか(まぁ、原作は極厚二冊なので、映画にまとめるには難しかった、と言うのは言えるかもしれませんが・・・)。

    • @nagareboshi_v3
      @nagareboshi_v3 2 роки тому +16

      同感です。「花神」の継之助の部分だけ切り取って作ったので十分ですね。
      山県有朋を出さなかったから、河合継之助の立ち位置が不安定だったとおもいます。

    • @TheTaishi1
      @TheTaishi1 2 роки тому +8

      えっ!映画なら北越戦争も迫力ある映像だろうと期待してたけど、そんなにショボいんですか?
      観ようかと思ってたのにガッカリ。。。

    • @nomi254
      @nomi254 2 роки тому +7

      @@TheTaishi1
      残念ですよ。観てきましたけど

    • @hiro-c0624
      @hiro-c0624 2 роки тому +7

      酷かったですよね。必殺のガトリング砲がショボい玩具みたいでした。演出も馬鹿馬鹿しい。観なきゃ良かった駄作中の駄作です。役所広司が可哀想でした。

    • @nomi254
      @nomi254 2 роки тому +6

      @@hiro-c0624
      長編の峠をあんだけの尺に納めるのは無理がありすぎましたね
      役所広司さんが傷の痛みを耐えながら歌をうたう場面だけ見せ場でしたね

  • @user-hk6ng6dk2f
    @user-hk6ng6dk2f Рік тому +21

    河井継之助も主人公の大村益次郎も共に結局は足の怪我が原因で死ぬとは

    • @daishitajima4834
      @daishitajima4834 Місяць тому

      今でも裏社会の本当に怖い人が刃物を使う時、太ももの動脈を狙うそうです…。
      イノシシの角も、突進してきたときちょうどそこに当たるから致命傷になるとか。

  • @user-cw9yw1nm8x
    @user-cw9yw1nm8x 2 роки тому +20

    高橋英樹さん・・・、
    この時期・・・、他局の時代劇
    「桃太郎侍」と掛け持ちだった頃
    だなッ‼️🤔👊💪

  • @user-xl4ub4kz2n
    @user-xl4ub4kz2n 8 місяців тому +9

    ガトリング砲は今でいう機関銃。分速約200発。50%の命中があれば10分で1部隊を玉砕するほどだ。ただ弾の補充に時間がかかる。手動で一定の早さでうまく回さないと弾がつまることもある。大砲と同じく灰も出るので灰が固まる前に布巾で銃口を一定の時間の間拭かないといけない。長岡藩は国内3門のうち2門配置していた。

  • @guston008
    @guston008 Рік тому +12

    時代劇でガトリング砲が一番効果的に使われたのは「子連れ狼」です。大五郎の乗るベビーカーの下に仕込んで敵をばたばたやっつけましたww。

  • @TheTaishi1
    @TheTaishi1 Рік тому +39

    奇兵隊の中で台頭していくこの陰のある野心家・山縣狂介が、翌年猪八戒と化し「悟空の兄貴〜」「このオタンコ猿とエロ河童が!」と喚いていたのを思い出すと笑ってしまうw

    • @user-mn8yo6ug3j
      @user-mn8yo6ug3j Місяць тому +1

      そして、その2年後に池中玄太、さらに翌年、おんな太閤記で豊臣秀吉!

  • @patariro1964
    @patariro1964 Рік тому +14

    当時は、長岡藩がんばれ河井さんがんばれと思わず応援してしまいました

    • @THE.Everestlist
      @THE.Everestlist Рік тому +3

      たしか、原作ではダブル主人公でした。

  • @user-hk6ng6dk2f
    @user-hk6ng6dk2f Рік тому +21

    これで越後製菓のCMをゲット

  • @Yorimasa-jy4zm
    @Yorimasa-jy4zm 8 місяців тому +5

    私は「松蔵、火をさかんに焚け」と覚えていた。中学2年生で見た。

  • @TEMMYE3003
    @TEMMYE3003 2 роки тому +24

    さすが桃太郎侍!芝居が上手い👍

  • @hn1969OSAKA
    @hn1969OSAKA 2 роки тому +38

    映画より百万倍素晴らしいですね。感動しました!

    • @lover7298
      @lover7298 2 роки тому +12

      映画では「八十里 腰抜け武士の 越す峠」が出てきませんでした。「なんでこの有名な歌を端折るの!」と思いました。

    • @草莽-b6d
      @草莽-b6d 2 роки тому +8

      @@lover7298
      奥只見「河井継之助終焉の地」には彼が死んだ屋敷というものがあります。
      ダムの底に沈むはずだったものを移築したもので、行ったことがありますが(土地の方には申し訳ないが)大変な山奥です。
      ここまで来る峠越えかと思うと、腰抜け武士の越す峠と言う言い方も重いもんがあるなあと思いました。
      河井継之助自身は
      「世の中になくてはならぬ人になるか、あってはならぬ人になれ」
      「羊牛となって人に食われ尽くすか、豺狼となって人を食い尽くすか、どちらかになれ」
      と言っていた由で、必ずしも好きな人物ではありませんが、自分を燃やす火を一晩眺めながら棺桶を作らせていたのは実話だそうで、誰もいない屋敷の中庭を眺めて、ここで棺桶と焚き火を一晩睨んでいたんかなあと思うと、確かにハラワタが引き締まる様な気になったことを今でも覚えています。
      一つ文句を言うならば、
      「おっつけ官軍が来る」
      とは言わなかったのではないかと思います。
      (相手が官軍なら自分らは賊軍となってしまうわけで、西軍と言ったのでは?)
      会津あたりでは昭和の中頃まで「東軍」「西軍」で、西軍の方を「賊軍」と呼ぶ人さえいたと聞きます。

  • @user-ko1oh8os3o
    @user-ko1oh8os3o 3 місяці тому +2

    1:39
    兵を指揮せず逃げる山縣を一瞬侮蔑して頬をピクつかせるさりげない演技。
    今はもうこんな玄人なことができる役者もさせる演出家もいなくなった。

  • @user-sm91r8oak46
    @user-sm91r8oak46 Рік тому +15

    司馬遼太郎の「峠」は近年盛んにドラマや映画化されてるが、継之助を一番原作のイメージ通りに描いてるのはこの作品じゃないだろうか。しかし西田敏行はこの後は会津の家老役が多かったから、長州の山縣を演じてたのは意外だった。

    • @yanamunemr.1629
      @yanamunemr.1629 6 місяців тому +2

      長州人役を引き受けるか悩んで親族に相談したってのは有名な話。西郷頼母役にたどり着くまでに西郷隆盛役まで挟んでるんだからね。

  • @user-kv4le5ih6j
    @user-kv4le5ih6j Рік тому +15

    上杉謙信の再来と言われた河井継之助、その意思が山本五十六に受け継いだ。

    • @user-si3xk9pm1b
      @user-si3xk9pm1b 3 місяці тому

      司馬遼太郎の「峠」前半のひたすら学問を修めようと奮闘するあたり長岡藩の藩政改革のくだりはよかった。北越戦争編は彼の理想とは違う道になり読んでいて辛かった。山本五十六の理想って何だったのだろう?

    • @user-yl9ek9le7m
      @user-yl9ek9le7m Місяць тому

      あの卑怯、無能、臆病、無責任、不真面目で、戦場に出ようとせず部下を刹し、逃げ回っていた男と河井継之助を一緒にしないで。
      河井は越後人の誇りを守ったが、山本は日本人の名誉を深く傷つけた。

  • @user-ox2oe6bm3d
    @user-ox2oe6bm3d День тому +1

    西田狂介が長岡城であたふたしていた頃、白河では西田頼母が撤退し、日本海には薩摩兵を載せて戦場に向かう西田吉之助がいたんですねw

  • @user-xl4ub4kz2n
    @user-xl4ub4kz2n 8 місяців тому +4

    死因は破傷風らしいです。傷だけの痛みではなく全身に筋肉の発作も起きるからかなりしんどい感染病であり河井自身もこれは治らないと悟って松蔵に火を起こさせたのだろう。

  • @user-gi8hh4el7e
    @user-gi8hh4el7e 3 місяці тому +2

    こし抜けには二つの意味があるんだとか
    「腰抜け」と「越抜け」

  • @user-bp9cj2cm1j
    @user-bp9cj2cm1j Рік тому +7

    ウクライナ戦争と同じで当時の兵器の試験場だったな、ガトリング砲は、今の戦闘機の機関砲と同じ

  • @bigkawa1111
    @bigkawa1111 2 роки тому +10

    戊辰戦争、最大の激戦ですからね。

  • @草莽-b6d
    @草莽-b6d Рік тому +12

    死体を埋めるな燃やせ、とは、万が一にも首や髪を敵方に取られでもしたら、武士として恥となるからだ。
    灰にするにも時間がかかる為、追撃が迫っている状況で周囲は気が気ではなかったらしいが、学僕の松蔵は
    「あの旦那さまからあの世で怒られては堪りません」
    と骨の収集を念入りに行ったという。
    サムライとしては、実に見事な人だったのだろう。
    その意味で、好きな人物ではある。
    藩からの動員を拒否せよと塾生に伝え、武士は戦をするものではないのかと反問した者を「何百年前の話をしているのか」と叱りつけたという福沢諭吉なぞより、よほど見事なサムライなのだ。
    ただ、藩政を担う政治家としてはどうなんだろう。
    結果的には長岡藩を滅亡させてしまったのだから。
    そしてまた、河井継之助が目指した様な「一藩独立」にあちこちの藩が追随・成功していたら、近代国家成立どころではなかったろうとも思う。
    会津や長岡や庄内の様な藩がなければ、徳川三百年の武士の世というものは何だったのか、武士の士道のと言ってもしょせんは強いものにつくだけのものだったのかと言う事になり、日本の歴史も相当つまらぬものになっていたろうとは強く思う。
    見るたびに、複雑な気がする。

  • @user-xp7kj6sg6j
    @user-xp7kj6sg6j Рік тому +2

    常に本を持ち歩いていました

  • @sgpin9211
    @sgpin9211 7 місяців тому +1

    今のと違って力の入った大河よ

  • @kpuunya8880
    @kpuunya8880 3 місяці тому +2

    あまり知られていないようですが、長岡の被害は会津以上にひどかった。どうしても白虎隊の印象が大きいようです。

  • @user-dv1oo3ms2n
    @user-dv1oo3ms2n Рік тому +4

    これほどの偉大なもののふ、長岡は大事にしてない、とかつて司馬先生は仰ってた。コメヒヤッビョー小林トラをもてはやしてたからね。

  • @morita0807
    @morita0807 6 місяців тому

    八十里越、河合継之助が越えてからどれだけ時代が経ったことか。ようやく近代的な道路が拓かれようとしています。

  • @垣和夫森
    @垣和夫森 7 місяців тому +1

    司馬さんは河井に関する小説を「峠」と「英雄児」と二つ書いていますけど、英雄児の方が河井の実像を書いていると思いますね。

  • @user-pi4sf8hi6x
    @user-pi4sf8hi6x 8 місяців тому +1

    ワイも家老ヘルメットほしい❤

  • @hikakin_mania440
    @hikakin_mania440 Рік тому +1

    この時代にカメラガトリングもある現代みたい

  • @dream1893
    @dream1893 5 місяців тому

    高橋英樹カッコいい。
    アァーッ!アァーッ!

  • @user-xp7kj6sg6j
    @user-xp7kj6sg6j Рік тому +1

    峠は座右の書籍陽明学に感動

  • @tairanotomomori714
    @tairanotomomori714 Рік тому +6

    アームストロングとガトリング、
    どっちが最強兵器?

    • @user-it6pw1mm8g
      @user-it6pw1mm8g Рік тому +4

      簡単に言えば大砲と重機関銃の違いなんで、最強ってのは別にして、アームストロング砲の方が圧倒的破壊力です。

    • @tairanotomomori714
      @tairanotomomori714 Рік тому +3

      @@user-it6pw1mm8g さん
      ありがとうございます

  • @34299374
    @34299374 4 місяці тому

    越後製菓あぁぁあああ!!

  • @yarinaosu1
    @yarinaosu1 2 роки тому +24

    長岡藩のガトリング砲、新撰組の土方歳三からは「その金でスナイドル銃を300丁買えた」と酷評されている
    実際、長岡藩のガトリング砲は期待されたほどの活躍はしなかった

    • @user-ff9kh8ue2z
      @user-ff9kh8ue2z  2 роки тому +31

      後からは何とでも言えますよ

    • @MASA-sw6tl
      @MASA-sw6tl 2 роки тому +15

      けど、ガトリング砲ってカッコイイな

    • @あとぜき侍
      @あとぜき侍 2 роки тому +28

      僕は土方ファンで佐幕派が大好きですが、お互いにちゃんとした考えがあったんだと思います。
      長岡藩の場合は、武装中立が目的の一つであるから、ガトリング砲のような未知数の強力な兵器を持つことで、外交戦略で優位に立つことを考えたのではないかと思います。
      土方さんは戦術的な考え方で、西軍と対峙すること前提で一つの強力な兵器よりも実用性や弾薬・部品の互換性、運用しやすさなどを重視して考えてたのではないかと思います。
      長文失礼しました。

    • @user-bm6bt6os2w
      @user-bm6bt6os2w 2 роки тому +21

      そもそも長岡は小藩だったのもあるでしょう
      300丁買えてもそれを使う兵がいなければ意味がない
      だからこそ一門で多くの砲撃ができるガトリングガンが効果的だと思ったのではないでしょうか

    • @yarinaosu1
      @yarinaosu1 2 роки тому +11

      @@user-bm6bt6os2w
      長岡藩は全国諸藩の中では兵力の規模は大きいほうで、当時最新鋭のスナイドル銃の導入も順次行っていました。
      ガトリング砲の導入は河井が横浜の武器商人であるスミスの口車に乗せられた説があり、新撰組の土方以外にも、長岡藩の軍事総督を務めた山本義路(河合とは友好関係にあった)などからその金があるならゲベール銃からスナイドル銃への更新費用に使うべきだったとの批判や、城攻めにも有効で新政府軍と旧幕府軍の双方が使用していた四斤山砲の数を増やす資金にするべきだったとの批判が出ていました。
      河井の名誉のために言うと、河井は横浜でガトリング砲だけを購入したわけではなく、スナイドル銃も購入しています(ただし、ガトリング砲の購入費用を捻出するために予定された量のスナイドル銃は購入されませんでした)。
      ガトリング砲は北越戦争の八丁沖の戦いに投入され、当初こそ新政府軍に脅威を与えましたが、「図体が大きくて目立ち、取り回しが悪く、射程距離が短いため敵に接近して射撃する必要があり、弾薬消費が激しく再装填に時間がかかり、打ち手がほぼ丸腰状態になる」という弱点を薩摩藩兵に見破られ、スナイドル銃により中距離から集中射撃をされ射手を務めた河井自身が被弾する結果となりました。

  • @user-nj9lf4wc7e
    @user-nj9lf4wc7e 7 місяців тому

    ガトガトガトガトガトガト!

  • @user-tx9cw7vx8b
    @user-tx9cw7vx8b 23 дні тому

    セリフがどっかの外国語にしか聞こえん
    外国人は日本語をこんな感覚で聞いてんのかな

  • @user-bd8zj8di7h
    @user-bd8zj8di7h Рік тому +2

    足を撃たれたのが致命傷になったの?🤔

  • @fu6576
    @fu6576 Рік тому +4

    山本とはのちの山本五十六を輩出した?

    • @user-yl9ek9le7m
      @user-yl9ek9le7m Рік тому +1

      「輩出」は次々と世に出ることです、

    • @kisyuugunnsou
      @kisyuugunnsou Рік тому +3

      山本帯刀はこの戦で捕虜になりますが、「我!いまだに闘えと命令を受けしも
      敵の軍門に降れとの命令を受けていない」と降伏を拒否して斬首され、山本家は断絶しました。下ること明治になって山本家の再興が認められ、同じく長岡藩家老の家柄であった高野家から養子を取りました。それが山本五十六です。

  • @user-hk6ng6dk2f
    @user-hk6ng6dk2f Рік тому +4

    河井継之助
    死して阪神タイガースとアサヒスーパードライを残す

  • @SAmane-qq2hf
    @SAmane-qq2hf Місяць тому +1

    司馬先生の「峠」を読んで河合さんに心酔しましたが、学んだ学問、兵法、武芸も全て自己流。極めたものは皆無。西洋兵学も大村益次郎や榎本武揚の如く本格的に学んではいない。
    アームストロング砲を5-10門入手したのならともかく、すぐに動作不良となるガトリング機関銃を幾つか入手しただけで、諸藩が時勢の勢いで順次官軍側へ恭順しているにも
    関わらず、近代武装した圧倒的多数の官軍に対して、中立を貫けると信じたのも無手勝流の我意我流の信念に過ぎなかった。佐幕であった土佐藩すら官軍となり、別に佐幕藩でも
    親藩でもなく、長州と仇敵関係にある会津藩ならいざ知らず、官軍と戦をする理由など一切無いにも関わらず、長岡藩を官軍との戦争に敢えて引き込み、長岡城下は壊滅、
    朝敵にしてしまった。