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楽しみにしていますありがとうございました
いつも、楽しみにしてます🎵よろしくお願いします🙇
こちらこそいつもありがとうございます!ゆっくりなペースですが、今後ともよろしくお願いします!
穀物庫の鼠になれたものの、更に餌を求めて蛇に呑まれてしまったのだなぁ。
大変良いチャンネルです古代中国大好きな儂にとって最高のチャンネルだし勉強になります 有難う御座います😊
ありがとうございます。そう言っていただけると嬉しいです!これからもよろしくお願いいたします♪
うぽつ!リクエストに応えていただきありがとうございます!!凄腕丞相だったのに、どうして…どうして…😅
いつもありがとうございます!人らしい人だと感じます。なんとも言えない最期が・・・
夏王朝 殷王朝 周王朝 の時代の解説出来ませんか?いつも わかりやすいので、勉強になってます
ありがとうございます!やりたいと思っております!少しお時間いただくと思いますが、楽しみにしていただければ幸いです!
●リクエストで、劉邦の側室で皇帝を産んだ「薄姫」(はくき)のシンデレラのような巨運の物語をお願いします。薄氏の母の魏氏は、魏の王族の生まれだった。成人後、秦の滅亡後に西魏王になった「魏豹」の後宮に側室として迎えられるが、この時に彼女の人相を占った許負は彼女を見て「あなた様は天子をお生みなさるでしょう」と言ったと伝わる。後に、項羽方に寝返った魏豹が劉邦に敗れて捕らえられると、薄氏は劉邦の後宮に側室として迎えられることとなった。薄氏は同僚となった側室の女官たちに「誰が寵愛を受けることになってもお互いを忘れずにいましょう」と言い合っていたが、自身が劉邦から寵愛されることはなく、もっぱら機織などの雑用に従事し、周囲の笑い者となった。それを知った劉邦は不憫に思い、彼女を自身の寝所に召し入れた。そののち薄氏は妊娠し、高祖4年(前203年)に劉恒(後の文帝)を産むが、以後も薄氏が劉邦の寵愛を得ることは少なかった。劉恒が代王に封じられると、自身も代王太后として、弟の薄昭・代国の丞相として高祖から附けられた傅寛らとともに任国に赴いた。そのため、高祖の没後に実権を握った呂后による、高祖の側室や彼女らの産んだ皇子たちへの迫害にも巻き込れずに済んだ。●高后8年(前180年)、呂氏一族が陳平・周勃・劉章らのクーデターにより皆殺しにされ(呂氏の乱)、代王劉恒が皇帝に迎えられると、薄氏も皇太后として長安に迎えられる。 文帝4年(前176年)に、地方へ左遷で赴任させられた元丞相の「周勃」に謀反の兆しがあるとの伝えが届き、文帝は周勃を牢に入れた。その話を聞いた「薄姫」(偉くなってからは薄太后)は文帝を呼びつけ、文帝に対して自分の頭にかぶるような頭巾を投げつけ「周勃将軍は呂氏を打倒する際に皇帝の璽を預かり、北軍を統率していながら反乱しなかったのに、どうして小さな県にいるだけの今になって謀反を起こしましょうか?」と叱りつけた。その後、周勃は牢から出され、復職した。また文帝13年(前167年)、文帝自ら指揮して匈奴を討つと言いだし、家臣が諫めても聞かなかったが、薄太后が諫めると撤回している。文帝自ら薄太后の毒味役を務めたとも伝えられ、類を見ない親孝行の皇帝であると、『二十四孝』に記されることとなった。●「薄姫」(はくき)の尽力で、牢屋から解放された、周勃は、釈放された。その際に、「自分は、かつては百万の軍勢を指揮したことがあったが、牢獄の獄吏にこのような力があるとは知らなかった」と述べ、その後は領地で静かに暮らし、晩年を送ったと言われています。
有難く読ませて頂きました もう十分に説明されリクエストの必要もないように思われますが😅個人的にその周勃が牢に入れられてる時に無実を訴えてた(でも文帝の行き過ぎた見送りには注意した)正義感が強く筋を通す直言の士・袁央が好きです❤
@@akirakitahara3752 さん、袁央と親交があった劇 孟(げき もう)も興味深い人物ですね。
@@yugureyamanaka2730 いかにも中国の侠客という感じで酒宴の様子が容易に想像できますね😁
器が小さい為に身を滅ぼした。
うぽつ!
あざす!!!!!
私は、なんやかんや悪者というイメージですね。
確かに!!ただ、なんやかんやなんですよね!
歴史的に見れば始皇帝の代わりに汚名を引き受けた側面は大いにあるよね。
個人的には能力は素晴らしいけど、性格面は人間的だなと・・・総じて不運だったなと言う印象です。
性善説と性悪説どちらが正解か今になっては解釈によって違いますね 本当はどちらかなぁー
戦乱の世は法家、統一後の治世には儒家と求められるものが変化するように時代次第なのかなと思う。
上蔡東門狡兎肥,李斯何事忘南歸。功成不解謀身退,直待雲陽血染衣。
李斯から学んだ事は便所の鼠より食糧庫の鼠になっても腰斬の刑にされたら最悪だから変な野望持たずに平平凡凡に生きて天寿をまっとうしようね←これやなwww
賢い人材じゃあなく、小賢しい奴だった為趙高にしてやられた。自分の事しか頭に無い。韓非の一件がよい例で、その際の行動がこの男の本性。その最期は、悲劇じゃ無く自業自得で喜劇のようなもの。自分で選んだ結末。
焚書坑儒は罪深い
荀子は礼と言った先の現代では、禮と教えるからね🌟122代目の天皇は❤さてどんな応えを出すことやら🌟楽しみだ🌟グーニーズ🌟
👍👍👍
三国志に突入するなら、一応李信もスポット当ててあげて欲しいです。キングダムから来た人も沢山居ると思うので。
確かにそうですね!リクエスト承りました!
ある意味自業自得だな...丞相にまで上り詰める程の才能があったのにまさかの處世術で失敗してしまうとはね...刑も車裂き並に悲惨
韓国は新羅の建国を金氏の王朝が始まる3世紀としているのではなかったかな?
kawaii
😂
あもしろかつた
楽しみにしています
ありがとうございました
いつも、楽しみにしてます🎵よろしくお願いします🙇
こちらこそいつもありがとうございます!
ゆっくりなペースですが、今後ともよろしくお願いします!
穀物庫の鼠になれたものの、更に餌を求めて蛇に呑まれてしまったのだなぁ。
大変良いチャンネルです古代中国大好きな儂にとって最高のチャンネルだし勉強になります 有難う御座います😊
ありがとうございます。
そう言っていただけると嬉しいです!
これからもよろしくお願いいたします♪
うぽつ!リクエストに応えていただきありがとうございます!!
凄腕丞相だったのに、どうして…どうして…😅
いつもありがとうございます!
人らしい人だと感じます。なんとも言えない最期が・・・
夏王朝 殷王朝 周王朝 の時代の解説出来ませんか?
いつも わかりやすいので、勉強になってます
ありがとうございます!
やりたいと思っております!
少しお時間いただくと思いますが、楽しみにしていただければ幸いです!
●リクエストで、劉邦の側室で皇帝を産んだ「薄姫」(はくき)のシンデレラのような巨運の物語をお願いします。薄氏の母の魏氏は、魏の王族の生まれだった。成人後、秦の滅亡後に西魏王になった「魏豹」の後宮に側室として迎えられるが、この時に彼女の人相を占った許負は彼女を見て「あなた様は天子をお生みなさるでしょう」と言ったと伝わる。
後に、項羽方に寝返った魏豹が劉邦に敗れて捕らえられると、薄氏は劉邦の後宮に側室として迎えられることとなった。薄氏は同僚となった側室の女官たちに「誰が寵愛を受けることになってもお互いを忘れずにいましょう」と言い合っていたが、自身が劉邦から寵愛されることはなく、もっぱら機織などの雑用に従事し、周囲の笑い者となった。それを知った劉邦は不憫に思い、彼女を自身の寝所に召し入れた。そののち薄氏は妊娠し、高祖4年(前203年)に劉恒(後の文帝)を産むが、以後も薄氏が劉邦の寵愛を得ることは少なかった。
劉恒が代王に封じられると、自身も代王太后として、弟の薄昭・代国の丞相として高祖から附けられた傅寛らとともに任国に赴いた。そのため、高祖の没後に実権を握った呂后による、高祖の側室や彼女らの産んだ皇子たちへの迫害にも巻き込れずに済んだ。
●高后8年(前180年)、呂氏一族が陳平・周勃・劉章らのクーデターにより皆殺しにされ(呂氏の乱)、代王劉恒が皇帝に迎えられると、薄氏も皇太后として長安に迎えられる。 文帝4年(前176年)に、地方へ左遷で赴任させられた元丞相の「周勃」に謀反の兆しがあるとの伝えが届き、文帝は周勃を牢に入れた。その話を聞いた「薄姫」(偉くなってからは薄太后)は文帝を呼びつけ、文帝に対して自分の頭にかぶるような頭巾を投げつけ「周勃将軍は呂氏を打倒する際に皇帝の璽を預かり、北軍を統率していながら反乱しなかったのに、どうして小さな県にいるだけの今になって謀反を起こしましょうか?」と叱りつけた。その後、周勃は牢から出され、復職した。また文帝13年(前167年)、文帝自ら指揮して匈奴を討つと言いだし、家臣が諫めても聞かなかったが、薄太后が諫めると撤回している。文帝自ら薄太后の毒味役を務めたとも伝えられ、類を見ない親孝行の皇帝であると、『二十四孝』に記されることとなった。●「薄姫」(はくき)の尽力で、牢屋から解放された、周勃は、釈放された。その際に、「自分は、かつては百万の軍勢を指揮したことがあったが、牢獄の獄吏にこのような力があるとは知らなかった」と述べ、その後は領地で静かに暮らし、晩年を送ったと言われています。
有難く読ませて頂きました
もう十分に説明されリクエストの必要もないように思われますが😅
個人的にその周勃が牢に入れられてる時に無実を訴えてた(でも文帝の行き過ぎた見送りには注意した)
正義感が強く筋を通す直言の士・袁央が好きです❤
@@akirakitahara3752 さん、袁央と親交があった劇 孟(げき もう)も興味深い人物ですね。
@@yugureyamanaka2730
いかにも中国の侠客という感じで酒宴の様子が容易に想像できますね😁
器が小さい為に身を滅ぼした。
うぽつ!
あざす!!!!!
私は、なんやかんや悪者というイメージですね。
確かに!!
ただ、なんやかんやなんですよね!
歴史的に見れば始皇帝の代わりに汚名を引き受けた側面は大いにあるよね。
個人的には能力は素晴らしいけど、性格面は人間的だなと・・・
総じて不運だったなと言う印象です。
性善説と性悪説どちらが正解か今になっては解釈によって違いますね 本当はどちらかなぁー
戦乱の世は法家、統一後の治世には儒家と求められるものが変化するように時代次第なのかなと思う。
上蔡東門狡兎肥,李斯何事忘南歸。
功成不解謀身退,直待雲陽血染衣。
李斯から学んだ事は便所の鼠より食糧庫の鼠になっても腰斬の刑にされたら最悪だから変な野望持たずに平平凡凡に生きて天寿をまっとうしようね←これやなwww
賢い人材じゃあなく、小賢しい奴だった為趙高にしてやられた。自分の事しか頭に無い。韓非の一件がよい例で、その際の行動がこの男の本性。その最期は、悲劇じゃ無く自業自得で喜劇のようなもの。自分で選んだ結末。
焚書坑儒は罪深い
荀子は礼と言った先の現代では、禮と教えるからね🌟122代目の天皇は❤さてどんな応えを出すことやら🌟楽しみだ🌟グーニーズ🌟
👍👍👍
あざす!!!!!
三国志に突入するなら、一応李信もスポット当ててあげて欲しいです。
キングダムから来た人も沢山居ると思うので。
確かにそうですね!
リクエスト承りました!
ある意味自業自得だな...
丞相にまで上り詰める程の才能があったのにまさかの處世術で失敗してしまうとはね...刑も車裂き並に悲惨
韓国は新羅の建国を金氏の王朝が始まる3世紀としているのではなかったかな?
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😂
あもしろかつた