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今ベルギーにすんでいるんですが、ちょうどルームメイトのスペイン人の先祖がJapon一家って話を聞きました。お父さんの目がすこし切長だからついた冗談かと思っていたんですが、本当だったんだと今知りました。
スペイン旅行をした時がちょうど慶長遣欧使節団の節目の年だったのでコリアデルリオへも行った。支倉常長の銅像が立っていてその前で写真を撮りました。400年前飛行機も鉄道もバスも無い時代にここまで日本人が来ていたことに感服しました。
まずは、よく難破せずに辿り着いたものだなと感心しています⛵️
スペイン人も同乗していたらしいのでこのころの航海術だったら太平洋横断は比較的楽でした。なぜなら、毎年スペインはメキシコーフィリピン間を貿易のため横断していたからです。
ヨーロッパに着いてからはナンパしたと思うけどね!
アフレコが毎回面白すぎて。大好き。
宮城県には、支倉常長メモリアルパークというのがあります。使節団が使った「サンファンバウティスタ号」のレプリカもありました(老朽化のため撤去)地元でも知られていない話を取り上げてくださり、ありがとうございました!
私もメモリアルパークみました。船のレプリカは素晴らしかったです。東日本大震災で被害を受けて大変な状況になったそうです。
ハセクラがFAXICVRAになっているのには理由があって、17世紀初期の日本ではハ行を「ファ・フィ・フ・フェ・フォ」のように発音してました。「セ」の音も「シェ」のように発音していました。そして当時のスペイン語ではXでshの音を表してましたし、Uの代わりにVを使うことも多かったので、FAXICVRAは「ファシクラ」と呼ばれていた可能性が高いです
私の住む宮城県石巻市では、サンファン館という支倉常長の施設があるんですが、小学生の頃に常長の課外学習なんかをしたのを思い出しました。いつも見てるUA-camにまさか支倉常長が出てくるなんてビックリしましたー!ちなみに、サンファンバウティスタ号(この度、腐食のため取り壊されてしまいましたが…)は、祖父が製作に携わりました。とても感慨深い動画を作っていただきありがとうございました!
お話のテンポが心地よくて、いつも夕飯作りながらキッチンで聞いてます。江戸時代の外交といえば末期の19世紀後半に大きく動いた印象がありますが、その200年前にもこんなに大規模な試みがあったんですね。
昔は海を渡って外国に行くなんて とんでもなく大変だったんでしょうねぇ。またまた興味深いお話しで、面白かったです。来週が待ち遠しいなぁ。
毎回毎回「世界、ふしぎ発見!」って感じで、興味を持って色んなことを学ばせていただいてます。まりんぬさんの博識には驚きです。これからも期待していますね!
だいぶ前に「ヨーロッパに消えたサムライたち」という本を読みました。支倉常長達のことは歴史の授業か何かで知っていましたが、てっきりヨーロッパには東南アジア方面から行っていたと思っていました。まさか江戸幕府が開かれて間もない昔に太平洋を越え、さらに大西洋まで越えていたとは。その本を読んでびっくりしました。当然、当時はパナマ運河がなかったので、陸路メキシコを横断したのですね。凄い旅行。
初めて教皇と謁見した天正遣欧少年使節団の時との温度差が凄い(笑)やっぱり日本での弾圧が知れ渡ってから交渉しても、色々と腹積りがバレててうまくいかなかったんでしょうね~。
当時皇太子殿下だった、天皇陛下が2013年に「日・西交流400周年」で、コリア・デル・リオ迄ご訪問され「ハポン」さんの苗字が多くて、とても感動されていました。因みに長い間ポルトガルの植民地だったマカオに、この26聖人の記念館と絵があるそうです。
今日の髪型めっちゃ可愛い!!
まりんぬさん✨毎回テーマが凄いです❣️学ぶこと満載で、新作が待ち切れないんです😊
オーホーにファクシクラバ!!今回も勉強しながらたくさん笑わせてもらいました!常長がメンタルブレイクせずに日本に帰国できてよかった😭長生きした説を信じたいです、!!
支倉さんが、T村シンジさんに見えます。いつも興味深い内容ありがとうございます😊
この時代多くはないですが日本人がヨーロッパへ渡っている例があるみたいなんですよね。傭兵として渡った人もいたようで、それを題材にした「イサック」という漫画もあります。
今回も面白かったです。知らない歴史もあり勉強になります。歴史的な背景なども分かりやすく解説してくれて助かります。これからも動画を楽しみにしてます。
こうゆう話は大好きです。次回も楽しみにしています。
14:46 この時代のアルファベットの大文字は「U」と「V」を同じ意味で使ってので、この場合の「V」は「U」の発音をします。なので発音は「ファkシクラ」となります。冒頭の「FAXI」の「X」に含まれる「k」の音素は聴こえるか聴こえないかレベルなので当時の人はほぼ「ファシクラ」と発音したと思います。
いつも楽しく拝見してます。歴史は苦手でも、まりんぬさんは面白おかしく、歴史の、気になる部分を載せてくれているので、興味深く見ています。これからも頑張って下さい。
自分は課外学習で支倉が乗ったとされるサンファンバウティスタの船内を見学したことがあります。当時はまだ子供で船内の蝋人形が怖い😭という感想しかなく(笑)歴史などは全く興味ありませんでした。動画半ばで石巻から出発とのことでもしやと調べたらやはりサンファン号のことでおお〜!と。つい興奮しました(笑)まりんぬさんのような面白くも興味を引かれる説明だと楽しんで歴史に触れることができます。今回の動画でまたいつか、サンファンパークにいって当時は理解できなかった歴史を知りたいなと思うことができました。ありがとうございます。今後も応援しています!😌👍
支倉さんの作戦がバレバレなのが すごい。スペイン王室の情報網が優秀だったんですね
というより日本に居るイエズス会が対立するフランチェスコ会のソテロへの嫌がらせとして使節団にとって不利な情報をスペインに流しまくって妨害活動してたんです
毎回 歴史好きのツボをおさえてくるテーマに、びっくりですテレビでは毎回似たようなテーマばかり扱われるから 飽き飽きしてたんで笑
自分が知る海を渡った(欧米)日本人は、ブラジル、ハワイ、アメリカに移住した人くらいしか思い浮かびませんでした。江戸時代の初めに、ヨーロッパに行った人がいたなんてビックリです!しかも、スペイン人が日本に結構な人数いたのもビックリです!もっと、違う時代に欧米に渡った日本人がいるのか気になりました😄
確かにスペイン語はHもJも発音しないので、当時は呼ぶのも覚えるのも大変だったでしょうね。メキシコ史を学んでいる今、今回の内容はとても興味深かったです。ありがとうございます!
Hは発音しませんが、Jは発音します。ちなみに中世スペイン語は今のスペイン語と発音が違います。
とても面白かったです!支倉さんが無事に日本に帰れてよかった。
ドキュメントでやってましたが江戸時代になり、平和になり仕官の口を無くした侍たちはオランダの傭兵になりスペイン軍と戦ったそうで勇猛果敢だったそうです。
地元宮城でも知らないお話しがあったので、興味深かったです。
時々拝見してます!くる度毎に綺麗になってますが。🌹😊
ウル覚えで恐縮ですが2002年にハバナ港に降り立った時にレプリカのような鉄砲がある海岸沿いの広場にサムイの銅像が威風堂々とありました。こんなところに何故?不思議と共に「おぉ~お侍様」異国の地で懐かしい感じを受けました。後にそのお侍さんが支倉常長でありその歴史の経緯を知りました。ハバナでは馬車でヘミングウェイが好んで飲んだであろうハーブ入りのお酒を片手に町中をゆっくり堪能できます。動画の内容を聴きながら偶然にも慶長の使節団と同じような場所を旅した風景と重ねつつ楽しませていただきました。
スペインのJapon姓については聞いたことありましたが、こういう経歴だったんですね!
前に宝塚でエルハポンという作品を見ましたが、劇中で帰国した使節団側のその後はこんなに波乱に満ちてたとは知らなかった…
本当にアレハンドロさんにありがとうとしか言えないですね🥺
支倉の読みですが、中世日本語では「ハセクラ」ではなく「ファシェクラ」もしくは「ファセクラ」のように読んだので、FAXICVRA(FAXECVRAと綴られたものもあります)というローマ字綴りはスペイン人にわかりやすいというより実際の発音の反映なのではないかと思います。
サッカーの本田もオンダと呼ぶそうですよ、ホの発音がむ
まさかの支倉常長‼!伊達家臣団‼!!このチョイスステキ
スペインにいるハポンさんの話は聞いたことがあります。興味深いですね~。宮城県在住なので、楽しく拝見いたしました。「支倉焼」というお菓子もありますよん(笑)
チャンネルが順調に伸びていて嬉しい限りです。
Bravo🙌、Amazing Grace🍒 慶長年間に宮城石巻の船大工は 約500トンの三本マストの帆船を建造出来る技術を持っておりましたね! 其れまでの日本の造船史で最大級の船ですね。 素晴らしい動画に🥰🙇💓
先の春の彼岸の墓参りの時に我が先祖の古い墓石の風化寸前の文字をこすってみたら、慶長の文字が浮き出てきました。驚きました、江戸初期のものですもの。
天正遣欧少年使節の4人の日本の少年も当時のローマ法王に謁見し熱狂的な歓迎を受けました。自分たち以前にバチカンに来ていたこの4人について、支倉常長一行はどう思っていたのでしょうか?
遣欧使節の人選をする時に万が一に備えてわざと藩の要職についてない支倉常長が選ばれたらしいです。役目を終えて帰国して待ち受けてたのは気の毒な処遇(*´・ω・`*)この話を聞くとなんとなく切なくなるんだよね。
江戸時代になり平和になり、日本のサムライたちはオランダの傭兵になりスペイン軍と戦ったのはテレビドキュメントでやってました。オランダ図書館には記録がたくさんあるとか☺
いつも楽しみにしています。待ち遠しいです!!
支倉ってところに住んでいたので常長のお話はいつも胸熱です。
まりんぬ姉貴のチャンネルは本当に勉強になる!感謝します!
頭が悪い自分ですがほんとにわかりやすいです!もうほとんど動画見ちゃいましたチャンネル登録もしました!
楽しく天麩羅を食べていました笑
東北に隠れキリシタンがいたことが不思議だったのですが、そういう歴史があったのですね!
楽しみにしてたから更新嬉しい👍分かりやすく面白いので応援してます^ ^
まりんぬさん、髪の毛のびましたね。ロングにするのかな。
伊達政宗の真の目的はスペインとの軍事同盟とそれによる日本統一だったとか。結局、支倉常長の仕事は実を結ぶことはなかったのですが、東北の田舎の侍が言葉も解らない未知の世界で、必死に任務を遂行しようとする努力は想像を絶するものがあります。宮城県の石巻にあったサン・フアン・バウティスタ号が解体されたのは本当に残念です。大航海時代の船舶のレプリカであり、日本の船大工の技術を後世に残す貴重な資料でもあったのに。
そうなってたらヤバかった、ブラジルみたいな国になってたかもしれませんな
スペインとの軍事同盟説とかいう珍説は歴史学者からは全否定されておりあくまで創作物のネタと考えた方がよろしいですそもそもこの事業は元々徳川家康から伊達政宗に引き継がれて船の造船や施設にも幕府の役人同行してます
主さん絶対ペーパーハウス好きやん
中高の歴史の先生なんか比べ物にならないくらい面白い説明でした。
支倉常長様!北山にお墓ありますね!大郷にもありますね!一応、実家の近所なもんでー!
ハセクラさんの目的に対しキリスト教禁止、日本のイメージが悪いなど逆風が凄すぎて声出して笑ってしまいました。サラリーマンてつらいね。私も頑張る。まりんぬさんいつも楽しい動画ありがとうございます!
ローマやバチカンに慶長使節団が語った日本語が記されているけど、「だてまさむね」ではなく「いだてまさんね」って記されてて、東北訛りで微笑ましいですね。
いつも楽しく見ています!世界の情報が多いのかな?と思ったのですが、ぜひまりんぬさんの観点で日本史もやっていただけたら嬉しいです!
もろにHが含まれる長い苗字なのでスペインの人にはまともに発音してもらえなさそうだ
この時代の外交関係は、日記や教会に残された古い文書の分析が最近になって進んできて、NHKでも特集番組が組まれるなど注目されていますね。1600年に日本に漂着して、徳川家康に外交顧問として仕えたイングランド人ウイリアム・アダムス(三浦按針)が、1588年のアルマダの海戦に参加していて、イングランドがスペインを打ち破ったことを伝えていたことがカギになっているそうです。1609年、スペイン側の前フィリピン総督がメキシコへ向かう途中難破して、日本へ漂着したことから交渉が始まり、貿易&布教交渉の中で三浦按針を切ることを要求したりしています。(日本は拒否)将軍徳川家ではなく、一つ格がおちる伊達家から幕府の許可のもと使節を送ったのもそのあたりが絡んでいるのかも。なお、支倉常長の名前をFaxecvraと綴っているのは、当時の日本人がハ行をファ行で発音していたことの証拠のひとつと言われています。同時代の日本語文献や、西国を中心に布教していたポルトガル人宣教師が作った辞書などにもファ行で発音していたことを示唆する部分があるそうで。
アルファベットの”v”と”u”の区別は1600年代の初めころにはまだ無かったのかもしれませんね。
昔、50年くらい前、東北人はハハオヤをファファ親と発音してました。
Very Good
お疲れ様です。仙台名物支倉焼がここにルーツがあったのは知りませんでした。
うわぁー!動画楽しみにしてました~~ありがとうございます!
長い間、Europeに住んでいた時にSpain で「Japon」と言う名前の人達に会ったことあるよ。日本の慶長使節団の侍の子孫だよ。支倉常長の祈った教会もMadridに残っているよ。Spain,Portugalの王宮にも残っている。今は見せてくれるかな~あ?!
世界不思議発見のキャスター感ありますね。
色々な歴史チャンネルありますがこちらのチャンネルが1番好きです理由は日本語が普通だから(笑)
この話を聞くとスペインに行ったら「ちょっと日本人入ってる?」なんて人もいるのかもしれないですね。
何年か前に日本人の子孫だという人たちのDNA調査をするというニュースを聞いたことがありますがその後にこの話題を一切聞かないので 余り好ましい結果が出なかったんだと思っていました。
ソテロは、禁教令出てるの知ってて何で日本へ帰ったんや…
この人可愛いくて聡明。❤
宣教師の中で、ジョアン・ロドリゲスなどはポルトガルの田舎出身で10代で日本に来て日本語を完全にマスターし方言しか話せないポルトガル語やラテン語より得意だったそうで日本人からとても重用され辞書や文法書を残し当時の日本語とポルトガル語の貴重な資料となっています。
いつもこのチャンネル楽しく拝見してるのですが、1つずっと言いたかったことがあります・・・!!マイクの音質がもっと良いものだと聞きやすいです …!!
まりんぬさんへ、リクエストです!!いつも楽しく動画を拝見してます。日本だと硬いイメージな世界史を、まりんぬさんのわかりやすい解説、絶妙なトピックスやセンスで、大変に興味深く拝聴してます!リクエストなのですが、イングランドとインドの歴史を取り上げていただけないでしょうか。仕事でインドに関わる事が多く、インドに興味を持つとそこにはイングランド(やポルトガル)との関係、歴史が切っても切れないものだと感じます。ヨーロッパご在住のまりんぬさんだからこそわかる情報、視点で、今後是非動画を作成いただけると嬉しいです!
天ぷら好きの小ネタ歴史好きとしては最高🥰
なるほど❗ 支倉常長さんが成果を持ち帰れなかった理由が疑問でした。背景に、ノーウェルカムな状況があったのですね、、。 支倉常長さん。本当にお疲れ様でした。
まりんぬたん可愛い
まりんぬさんの語り方、聞き取りやすく且つ耳に優しいですね🙂独特のセンスの会話シーンも含め、今回も面白かったです。「よっよっ、えっ?」wwww
9:58この世の地獄のシーン
よく調べましたね。これは江戸幕府とは全く感知せぬことで、帰国後脅威に思った徳川が、この船の解体命令を。東北北海道は世界的に稀な大量のゴールド産出地だったので世界的貿易が発達してましたよ。
昔の人は凄いね。
ラテン語系はね~。自分は姓も名もhが入ってるので、フランス行った時に全然別人になってた。
仙台市のスイーツいろいろありますが昔は支倉焼もメジャーでした
スペインでハポンさんに会ったことあります😊
オープンワールドゲームで言うとMAP上でまだグレーになってる未到破の土地をグイグイ進んじゃう感じ❓
石巻のサン・ファンバウティスタ号に行ったことがあります。維持費が大変で解体することになりました。見ていてかわいそうだったのが、宣教師です!伊達政宗助けられたのに、最後は火炙りなんて残酷すぎます。
石巻には教会がありますね、サンファン号が係留してあった近くです。
どうでもいいですが、仙台には支倉焼というお菓子があります。支倉常長から取ったらしいです。
知りませんでした!ありがとうございました。 まりんぬ先生のおかげで、歴史と日本語と同時に学べます!大変勉強になりました!
天ぷらを食べていた徳川家康の紹介が楽しい😄(笑)
十数年前、スペインのハポン姓の子孫の人がミスコン受賞していたけど、仙台出身の鈴木京香のハーフみたいな感じだった。
仙台のお土産に「支倉焼き」っていうお菓子があるけどその支倉さん?知らなかったです!
今日もとっても面白かったです!日本はキリスト教を強く弾圧していましたが、背景には日本人奴隷の貿易があったと聞いています。その実態はどのようなものだったのでしょうか?もしご存知でしたら動画にして頂けると嬉しいです。これからも楽しみにしてます!
海外から来た人ってマジエイリアンだったんだろなー
いや~ぁ、すっきりッ!。支倉常長がフェリペⅢ世に引見、何という因縁ッ!。秀吉の時代はフェリペⅡ世…!、フィリピンの国名になった王様。その野望を砕く為に明王朝へ発進…、秀吉の朝鮮進出となったのでしたよ。支倉常長の足跡が今もマドリードの王宮に残っている史実、唯々有難く感動の極みです。
腹減ってるときの、天ぷら揚げる音は犯罪やで
2回も長い航海してよく辿り着いたなと。江戸時代ともなれば造船技術も航海技術も発展してるだろうけどここまで長いのを乗り切れるんだ。でも教皇が会わなかったのに、そんな大事な宮殿に日本人のフレスコ画を描くってどうしてなんだ?友好的な関係を結んでいたならまだしも門前払いされてるのに。
聞いたことはあったけど・・・よくそんな時代に行ったもんですね。 感心します。
もしかしたら武士と騎士が現役の時代で邂逅していた可能性も・・・?
ボストンのトリニティ教会で侍の絵がありましたよ!
自分の名前はKunio ですが、フランスやポーランド、コロンビアの人は発音できずクニョと呼ばれていました。
歴史に振り回された人々…🥲
今ベルギーにすんでいるんですが、ちょうどルームメイトのスペイン人の先祖がJapon一家って話を聞きました。お父さんの目がすこし切長だからついた冗談かと思っていたんですが、本当だったんだと今知りました。
スペイン旅行をした時がちょうど慶長遣欧使節団の節目の年だったのでコリアデルリオへも行った。
支倉常長の銅像が立っていてその前で写真を撮りました。400年前飛行機も鉄道もバスも無い時代にここまで日本人が来ていたことに感服しました。
まずは、よく難破せずに辿り着いたものだなと感心しています⛵️
スペイン人も同乗していたらしいのでこのころの航海術だったら太平洋横断は比較的楽でした。なぜなら、毎年スペインはメキシコーフィリピン間を貿易のため横断していたからです。
ヨーロッパに着いてからはナンパしたと思うけどね!
アフレコが毎回面白すぎて。大好き。
宮城県には、支倉常長メモリアルパークというのがあります。
使節団が使った「サンファンバウティスタ号」のレプリカもありました(老朽化のため撤去)
地元でも知られていない話を取り上げてくださり、ありがとうございました!
私もメモリアルパークみました。船のレプリカは素晴らしかったです。東日本大震災で被害を受けて大変な状況になったそうです。
ハセクラがFAXICVRAになっているのには理由があって、17世紀初期の日本ではハ行を「ファ・フィ・フ・フェ・フォ」のように発音してました。「セ」の音も「シェ」のように発音していました。そして当時のスペイン語ではXでshの音を表してましたし、Uの代わりにVを使うことも多かったので、FAXICVRAは「ファシクラ」と呼ばれていた可能性が高いです
私の住む宮城県石巻市では、サンファン館という支倉常長の施設があるんですが、小学生の頃に常長の課外学習なんかをしたのを思い出しました。いつも見てるUA-camにまさか支倉常長が出てくるなんてビックリしましたー!
ちなみに、サンファンバウティスタ号(この度、腐食のため取り壊されてしまいましたが…)
は、祖父が製作に携わりました。とても感慨深い動画を作っていただきありがとうございました!
お話のテンポが心地よくて、いつも夕飯作りながらキッチンで聞いてます。江戸時代の外交といえば末期の19世紀後半に大きく動いた印象がありますが、その200年前にもこんなに大規模な試みがあったんですね。
昔は海を渡って外国に行くなんて とんでもなく大変だったんでしょうねぇ。またまた興味深いお話しで、面白かったです。来週が待ち遠しいなぁ。
毎回毎回「世界、ふしぎ発見!」って感じで、興味を持って色んなことを学ばせていただいてます。まりんぬさんの博識には驚きです。これからも期待していますね!
だいぶ前に「ヨーロッパに消えたサムライたち」という本を読みました。支倉常長達のことは歴史の授業か何かで知っていましたが、てっきりヨーロッパには東南アジア方面から行っていたと思っていました。まさか江戸幕府が開かれて間もない昔に太平洋を越え、さらに大西洋まで越えていたとは。その本を読んでびっくりしました。当然、当時はパナマ運河がなかったので、陸路メキシコを横断したのですね。凄い旅行。
初めて教皇と謁見した天正遣欧少年使節団の時との温度差が凄い(笑)やっぱり日本での弾圧が知れ渡ってから交渉しても、色々と腹積りがバレててうまくいかなかったんでしょうね~。
当時皇太子殿下だった、天皇陛下が2013年に「日・西交流400周年」で、コリア・デル・リオ迄ご訪問され「ハポン」さんの苗字が多くて、とても感動されていました。因みに長い間ポルトガルの植民地だったマカオに、この26聖人の記念館と絵があるそうです。
今日の髪型めっちゃ可愛い!!
まりんぬさん✨
毎回テーマが凄いです❣️
学ぶこと満載で、新作が待ち切れないんです😊
オーホーにファクシクラバ!!今回も勉強しながらたくさん笑わせてもらいました!常長がメンタルブレイクせずに日本に帰国できてよかった😭長生きした説を信じたいです、!!
支倉さんが、T村シンジさんに見えます。いつも興味深い内容ありがとうございます😊
この時代多くはないですが日本人がヨーロッパへ渡っている例があるみたいなんですよね。
傭兵として渡った人もいたようで、それを題材にした「イサック」という漫画もあります。
今回も面白かったです。知らない歴史もあり勉強になります。歴史的な背景なども分かりやすく解説してくれて助かります。これからも動画を楽しみにしてます。
こうゆう話は大好きです。次回も楽しみにしています。
14:46 この時代のアルファベットの大文字は「U」と「V」を同じ意味で使ってので、この場合の「V」は「U」の発音をします。なので発音は「ファkシクラ」となります。冒頭の「FAXI」の「X」に含まれる「k」の音素は聴こえるか聴こえないかレベルなので当時の人はほぼ「ファシクラ」と発音したと思います。
いつも楽しく拝見してます。
歴史は苦手でも、まりんぬさんは
面白おかしく、歴史の、気になる部分を載せてくれているので、興味深く見ています。これからも頑張って下さい。
自分は課外学習で支倉が乗ったとされるサンファンバウティスタの船内を見学したことがあります。
当時はまだ子供で船内の蝋人形が怖い😭という感想しかなく(笑)歴史などは全く興味ありませんでした。
動画半ばで石巻から出発とのことでもしやと調べたらやはりサンファン号のことでおお〜!と。つい興奮しました(笑)
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毎回 歴史好きのツボをおさえてくるテーマに、びっくりです
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自分が知る海を渡った(欧米)日本人は、ブラジル、ハワイ、アメリカに移住した人くらいしか思い浮かびませんでした。
江戸時代の初めに、ヨーロッパに行った人がいたなんてビックリです!しかも、スペイン人が日本に結構な人数いたのもビックリです!もっと、違う時代に欧米に渡った日本人がいるのか気になりました😄
確かにスペイン語はHもJも発音しないので、当時は呼ぶのも覚えるのも大変だったでしょうね。メキシコ史を学んでいる今、今回の内容はとても興味深かったです。ありがとうございます!
Hは発音しませんが、Jは発音します。ちなみに中世スペイン語は今のスペイン語と発音が違います。
とても面白かったです!
支倉さんが無事に日本に帰れてよかった。
ドキュメントでやってましたが江戸時代になり、平和になり仕官の口を無くした侍たちはオランダの傭兵になりスペイン軍と戦ったそうで勇猛果敢だったそうです。
地元宮城でも知らないお話しがあったので、興味深かったです。
時々拝見してます!
くる度毎に綺麗になってますが。🌹😊
ウル覚えで恐縮ですが2002年にハバナ港に降り立った時にレプリカのような鉄砲がある海岸沿いの広場にサムイの銅像が威風堂々とありました。
こんなところに何故?不思議と共に「おぉ~お侍様」異国の地で懐かしい感じを受けました。後にそのお侍さんが支倉常長でありその歴史の経緯を知りました。
ハバナでは馬車でヘミングウェイが好んで飲んだであろうハーブ入りのお酒を片手に町中をゆっくり堪能できます。
動画の内容を聴きながら偶然にも慶長の使節団と同じような場所を旅した風景と重ねつつ楽しませていただきました。
スペインのJapon姓については聞いたことありましたが、こういう経歴だったんですね!
前に宝塚でエルハポンという作品を見ましたが、劇中で帰国した使節団側のその後はこんなに波乱に満ちてたとは知らなかった…
本当にアレハンドロさんにありがとうとしか言えないですね🥺
支倉の読みですが、中世日本語では「ハセクラ」ではなく「ファシェクラ」もしくは「ファセクラ」のように読んだので、FAXICVRA(FAXECVRAと綴られたものもあります)というローマ字綴りはスペイン人にわかりやすいというより実際の発音の反映なのではないかと思います。
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まさかの支倉常長‼!
伊達家臣団‼!!
このチョイスステキ
スペインにいるハポンさんの話は聞いたことがあります。興味深いですね~。宮城県在住なので、楽しく拝見いたしました。「支倉焼」というお菓子もありますよん(笑)
チャンネルが順調に伸びていて嬉しい限りです。
Bravo🙌、Amazing Grace🍒
慶長年間に宮城石巻の船大工は
約500トンの三本マストの帆船を建造出来る技術を持っておりましたね! 其れまでの日本の造船史で最大級の船ですね。
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先の春の彼岸の墓参りの時に我が先祖の古い墓石の風化寸前の文字をこすってみたら、慶長の文字が浮き出てきました。驚きました、江戸初期のものですもの。
天正遣欧少年使節の4人の日本の少年も当時のローマ法王に謁見し熱狂的な歓迎を受けました。自分たち以前にバチカンに来ていたこの4人について、支倉常長一行はどう思っていたのでしょうか?
遣欧使節の人選をする時に万が一に備えてわざと藩の要職についてない支倉常長が選ばれたらしいです。役目を終えて帰国して待ち受けてたのは気の毒な処遇(*´・ω・`*)この話を聞くとなんとなく切なくなるんだよね。
江戸時代になり平和になり、日本のサムライたちはオランダの傭兵になりスペイン軍と戦ったのはテレビドキュメントでやってました。
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宮城県の石巻にあったサン・フアン・バウティスタ号が解体されたのは本当に残念です。大航海時代の船舶のレプリカであり、日本の船大工の技術を後世に残す貴重な資料でもあったのに。
そうなってたらヤバかった、ブラジルみたいな国になってたかもしれませんな
スペインとの軍事同盟説とかいう珍説は歴史学者からは全否定されておりあくまで創作物のネタと考えた方がよろしいです
そもそもこの事業は元々徳川家康から伊達政宗に引き継がれて船の造船や施設にも幕府の役人同行してます
主さん絶対ペーパーハウス好きやん
中高の歴史の先生なんか比べ物にならないくらい面白い説明でした。
支倉常長様!
北山にお墓ありますね!
大郷にもありますね!
一応、実家の近所なもんでー!
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ローマやバチカンに慶長使節団が語った日本語が記されているけど、
「だてまさむね」ではなく「いだてまさんね」って記されてて、東北訛りで微笑ましいですね。
いつも楽しく見ています!世界の情報が多いのかな?と思ったのですが、ぜひまりんぬさんの観点で日本史もやっていただけたら嬉しいです!
もろにHが含まれる長い苗字なのでスペインの人にはまともに発音してもらえなさそうだ
この時代の外交関係は、日記や教会に残された古い文書の分析が最近になって進んできて、
NHKでも特集番組が組まれるなど注目されていますね。
1600年に日本に漂着して、徳川家康に外交顧問として仕えたイングランド人ウイリアム・アダムス(三浦按針)が、
1588年のアルマダの海戦に参加していて、イングランドがスペインを打ち破ったことを伝えていたことがカギになっているそうです。
1609年、スペイン側の前フィリピン総督がメキシコへ向かう途中難破して、日本へ漂着したことから交渉が始まり、
貿易&布教交渉の中で三浦按針を切ることを要求したりしています。(日本は拒否)
将軍徳川家ではなく、一つ格がおちる伊達家から幕府の許可のもと使節を送ったのもそのあたりが絡んでいるのかも。
なお、支倉常長の名前をFaxecvraと綴っているのは、当時の日本人がハ行をファ行で発音していたことの証拠のひとつと言われています。
同時代の日本語文献や、西国を中心に布教していたポルトガル人宣教師が作った辞書などにもファ行で発音していたことを示唆する部分があるそうで。
アルファベットの”v”と”u”の区別は1600年代の初めころにはまだ無かったのかもしれませんね。
昔、50年くらい前、東北人はハハオヤをファファ親と発音してました。
Very Good
お疲れ様です。仙台名物支倉焼がここにルーツがあったのは知りませんでした。
うわぁー!動画楽しみにしてました~~
ありがとうございます!
長い間、Europeに住んでいた時にSpain で「Japon」と言う名前の人達に会ったことあるよ。日本の慶長使節団の侍の子孫だよ。支倉常長の祈った教会もMadridに残っているよ。Spain,Portugalの王宮にも残っている。今は見せてくれるかな~あ?!
世界不思議発見のキャスター感ありますね。
色々な歴史チャンネルありますがこちらのチャンネルが1番好きです理由は日本語が普通だから(笑)
この話を聞くとスペインに行ったら「ちょっと日本人入ってる?」なんて人もいるのかもしれないですね。
何年か前に日本人の子孫だという人たちのDNA調査をするというニュースを聞いたことがありますが
その後にこの話題を一切聞かないので 余り好ましい結果が出なかったんだと思っていました。
ソテロは、禁教令出てるの知ってて何で日本へ帰ったんや…
この人可愛いくて聡明。❤
宣教師の中で、ジョアン・ロドリゲスなどはポルトガルの田舎出身で10代で日本に来て日本語を完全にマスターし方言しか話せないポルトガル語やラテン語より得意だったそうで日本人からとても重用され辞書や文法書を残し当時の日本語とポルトガル語の貴重な資料となっています。
いつもこのチャンネル楽しく拝見してるのですが、1つずっと言いたかったことがあります・・・!!マイクの音質がもっと良いものだと聞きやすいです …!!
まりんぬさんへ、リクエストです!!
いつも楽しく動画を拝見してます。日本だと硬いイメージな世界史を、まりんぬさんのわかりやすい解説、絶妙なトピックスやセンスで、大変に興味深く拝聴してます!
リクエストなのですが、イングランドとインドの歴史を取り上げていただけないでしょうか。仕事でインドに関わる事が多く、インドに興味を持つとそこにはイングランド(やポルトガル)との関係、歴史が切っても切れないものだと感じます。
ヨーロッパご在住のまりんぬさんだからこそわかる情報、視点で、今後是非動画を作成いただけると嬉しいです!
天ぷら好きの小ネタ歴史好きとしては最高🥰
なるほど❗ 支倉常長さんが成果を持ち帰れなかった理由が疑問でした。背景に、ノーウェルカムな状況があったのですね、、。
支倉常長さん。本当にお疲れ様でした。
まりんぬたん可愛い
まりんぬさんの語り方、聞き取りやすく且つ耳に優しいですね🙂
独特のセンスの会話シーンも含め、今回も面白かったです。
「よっよっ、えっ?」wwww
9:58
この世の地獄のシーン
よく調べましたね。これは江戸幕府とは全く感知せぬことで、帰国後脅威に思った徳川が、この船の解体命令を。東北北海道は世界的に稀な大量のゴールド産出地だったので世界的貿易が発達してましたよ。
昔の人は凄いね。
ラテン語系はね~。自分は姓も名もhが入ってるので、フランス行った時に全然別人になってた。
仙台市のスイーツいろいろありますが昔は支倉焼もメジャーでした
スペインでハポンさんに会ったことあります😊
オープンワールドゲームで言うとMAP上でまだグレーになってる未到破の土地をグイグイ進んじゃう感じ❓
石巻のサン・ファンバウティスタ号に行ったことがあります。維持費が大変で解体することになりました。見ていてかわいそうだったのが、宣教師です!伊達政宗助けられたのに、最後は火炙りなんて残酷すぎます。
石巻には教会がありますね、サンファン号が係留してあった近くです。
どうでもいいですが、仙台には支倉焼というお菓子があります。支倉常長から取ったらしいです。
知りませんでした!ありがとうございました。 まりんぬ先生のおかげで、歴史と日本語と同時に学べます!大変勉強になりました!
天ぷらを食べていた
徳川家康の紹介が楽しい😄(笑)
十数年前、スペインのハポン姓の子孫の人がミスコン受賞していたけど、仙台出身の鈴木京香のハーフみたいな感じだった。
仙台のお土産に「支倉焼き」っていうお菓子があるけどその支倉さん?知らなかったです!
今日もとっても面白かったです!日本はキリスト教を強く弾圧していましたが、背景には日本人奴隷の貿易があったと聞いています。その実態はどのようなものだったのでしょうか?もしご存知でしたら動画にして頂けると嬉しいです。これからも楽しみにしてます!
海外から来た人ってマジエイリアンだったんだろなー
いや~ぁ、すっきりッ!。
支倉常長がフェリペⅢ世に引見、何という因縁ッ!。
秀吉の時代はフェリペⅡ世…!、フィリピンの国名になった王様。その野望を砕く為に明王朝へ発進…、秀吉の朝鮮進出となったのでしたよ。
支倉常長の足跡が今もマドリードの王宮に残っている史実、唯々有難く感動の極みです。
腹減ってるときの、天ぷら揚げる音は犯罪やで
2回も長い航海してよく辿り着いたなと。
江戸時代ともなれば造船技術も航海技術も発展してるだろうけどここまで長いのを乗り切れるんだ。
でも教皇が会わなかったのに、そんな大事な宮殿に日本人のフレスコ画を描くってどうしてなんだ?
友好的な関係を結んでいたならまだしも門前払いされてるのに。
聞いたことはあったけど・・・
よくそんな時代に行ったもんですね。 感心します。
もしかしたら武士と騎士が現役の時代で邂逅していた可能性も・・・?
ボストンのトリニティ教会で侍の絵がありましたよ!
自分の名前はKunio ですが、フランスやポーランド、コロンビアの人は発音できずクニョと呼ばれていました。
歴史に振り回された人々…🥲