三菱重工⑥|岩崎彌太郎物語3|海運王まで上り詰めた三菱財閥|永井みつるの企業紹介チャンネル

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  • Опубліковано 24 кві 2024
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    概要
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    ■社名を三川商会に変更
    九十九商会→三川商会に変更(完全な民営)
    名前:代表3人の名字に川がつくから
    川田小一郎:藩士の次男 第3代日本銀行総裁
    石川七財:九十九商会の監視役から寝返る
    中川亀之助:不明
    理由:旧土佐藩の協同組合的にするほうが
       船の払い下げなどしやすかった。
      (旧藩の幹部 後藤、板垣、林の判断)
    彌太郎が3人に指示を出す形でスタート
    このあたりで、彌之助は象二郎の娘と結婚
    ■社名を三菱商会に変更
    ついに彌太郎が本気になる。
    巨大一家を興起するということで
    社名を三川→三菱に変更
    由来:ロゴマーク|家紋(重ね三階菱)
    主要事業:海運業(8隻保有)
    その他:銅山、樟脳事業、製糸業、炭坑
    ■ライバル 日本国郵便蒸気船会社と外国
    日本国郵便蒸気船会社:政府+三井系
    政府から貢米と郵便物の仕事をもらう
    勝負を分けるのは、東京と大阪の荷積問屋
    熾烈な戦いのなか
    東京の荷積問屋組合が三菱一択になる。
    貢米制度廃止、日本国郵便蒸気船会社は縮小
    ■三菱を地位を決定づけた台湾出兵 
    明治7年(1874年)
    沖縄の船が台湾に漂流、船員5人が殺害される
    これにより台湾出兵を決定。台湾を攻める
    しかし、物資を運んでくれるところがない
    英国、米国:断られる
    日本国郵便蒸気船会社:断られる(国内重視)
    三菱商会:OK!(社名三菱汽船会社に変更)
    海運以外三菱商会(国あっての三菱|商業止める
    船足りないので、政府が10隻かって貸す。
    →莫大な利益を生み、政府と太いパイプができる
    ■日本一の海運会社へ!
    台湾出兵で海運事業の危うさが浮き彫りに
    政府が国としての海運のあり方を検討
    明治8年 内務省の前島が動く!
    彌太郎が本当に信用できるか面談
    前島:君は海運の実績はないが大丈夫か?
    彌太郎:確かにない。しかし、漢の初代皇帝
        を見ていてください。彼は一人の男
        で、周りの助けがなければ成功し
        なかった。彼は人材をうまく統率で
        きたらこそ初代皇帝になれた。
        私もそうだ。経験のある人を登用し
        うまく使えば、海運業は難しいこと
        ではない。
    前島:まさにそのとおりだ!
       君に一人することにするよ!
    ■海運改革の3つの案と7つの制約
    1.100%民営にする
    2.政府の保護のもと民間会社を育成
    3.100%政府の運営にする
    前島は2つ目の案を提案(三菱に任せるたい)
    これにより三菱は破格の待遇を受ける
    ・12隻の汽船を無償でもらう
    ・運用の助成金も毎月もらう
    社名を「郵便汽船三菱会社」
    7つの制約を受ける
    1.郵便物及び官物を託送すること
    2.政府の命令による航路を開設せよ
    3.政府が必要とするときは社船を徴用せよ
    4.商船学校を開設し、海員を養成せよ
    5.政府は会社の会計を監督する
    6.会計は今後別とせよ
    7.本社名で海運以外の事業をすることは禁止
    →政府の保護あり、日本一安定した海運会社に
    →日本国郵便蒸気船会社解体、18隻もらう
    ■海外勢にも対抗
    米国:パシフィック・メイル会社
      →値下げで対抗してきたが、三菱も応戦
       日本でするメリットが無くなったため
       三菱が船、倉庫などを買うことで
       日本から撤退することになる。
    英国:ピーオー汽船会社
      →三菱の独占に反感をもった
       大阪荷積問屋組合が手を組む
       政府は外国船の手続きを厳しくし
       三菱を応援。
       最終的に三菱が荷主にお金を貸す
       特殊ローンサービスをすることで
       大阪荷積問屋組合が三菱側に寝返る
    これにより最強の海運会社となる。
    ■岩崎家として事業の多角化
    郵便汽船三菱会社としては海運以外の事業はNG
    事業を進める中で必要なものもでてきたため、
    岩崎家として事業展開をする。
    ・東京海上保険(特殊ローン対応)
    ・鉱山
    ・三菱製鉄所(船の修理用)
    ・樟脳事業→独占禁止でその後廃業
    ・三菱商船学校(政府との約束)
    ・三菱為替店(汽船営業の補助として)
    ・倉庫業
    ・水道
    ■優秀な人材を採用(大卒エリート)
    ・慶應義塾大学(福沢諭吉となかよし)
    ・東大生
    ・外国人(グラバーさんの紹介など)
    明治9年日本人1351名、外国人388名
    ■三菱が財を成すきっかけ
    1.台湾出兵(明治7年)
    2.西南戦争(明治10年)
    西南戦争
    西郷隆盛を中心に起こった士族による反乱
    西郷隆盛は征韓論を掲げるが、明治政府に
    却下される。ふてくされて田舎に帰る。
    明治政府が士族に対して、かなり厳しかった
    ・徴兵制の開始
    ・廃刀令
    ・秩禄(ちつろく)処分
    →士族の地位が下がった。
    起こった士族がいろいろと反乱を起こし、
    その中で最後で最大の反乱が西南戦争!
    三菱は定期航路の運航を休止し、
    社船38隻を政府側の軍事輸送に注ぎ込んだ。
    →これにより莫大な利益を生む
    西南戦争で政府を助けたことで、船を下賜され、合計61隻になり、国の汽船総トン数の73%
    3.高島炭坑を買う(後にドル箱)
    後藤象二郎は征韓論で政府に敗れて
    政治家から実業家に転換していた。
    高島炭坑はグラバー商会が持っていたが、
    破産して政府が国有化。それを象二郎に
    売ったことで、炭坑の経験は象二郎になる。
    このときジャーディン・マセソン商会に借金
    象二郎は商売の才能がなく、借金がかさむ。
    ジャーディン・マセソン商会が怒り心頭。
    福沢諭吉が手を差し伸べ、彌太郎に相談。
    さらに弟彌之助も説得に(妻が象二郎の娘)
    彌太郎は拒否するが、大隈重信がでてきて
    渋々買うことに。しかも、超高額でかわされる
    →が後に、この炭坑がドル箱となり
     三菱の経営を支える!
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    参考にしたもの
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    ■Web|コーポレートサイト (グループ)
     www.mitsubishi.com/ja/
    ■Web|コーポレートサイト (三菱重工)
     www.mhi.com/jp
     
    ■本|岩崎弥太郎と三菱四代
     amzn.to/3VA6n0x
    ■本|明治の巨人岩崎弥太郎
     amzn.to/3TWqG6T
    ■本もう一人の「三菱」創業者、岩崎弥之助
     amzn.to/3VBlM0n
    ■本|岩崎小彌太 三菱のDNAを創り上げた四代目
     amzn.to/3vo4cm5
    ■本|三菱重工ものづくり百年の大計
     amzn.to/4aeuari
    ■本|技術ひとすじ: 三菱重工と私
     amzn.to/4abVlD5
    ■本|三菱航空エンジン史: 大正六年より終戦まで
     amzn.to/3vIv4x0
    ■本|日本の本当の黒幕
     amzn.to/3VEuXgF
    ■本|三菱重工長崎造船所のすべて
     amzn.to/4aBFsFY
    ■本|造船ものがたり―三菱重工業の巻
     amzn.to/3IYU1r6
    ■本|三菱もうひとつの素顔
     amzn.to/3xdwBvI
    ■本|三菱の百年
    ■本|海に陸にそして宇宙へ2(三菱重工業社史)
    ■本|週刊東洋経済 2020年3/21特大号(三菱財閥)
     amzn.to/4abnuu7
    ■ニュース|日経新聞
     www.nikkei.com/
    ■ニュース|NewsPicks
     newspicks.com/
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