【ブッダの瞑想】慈悲の瞑想フルバージョン「業の観察」への違和感|ブッダの智慧で答えます
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- Опубліковано 18 вер 2024
- 2020年4月26日(日)アルボムッレ・スマナサーラ長老の初期仏教Q&A@ゴータミー精舎に寄せられた質問と長老の答えをピックアップしました。(字幕作成:関口玲さん)
00:00 慈悲の瞑想フルバージョン「業の観察」への違和感
慈悲の瞑想フルバージョンについての質問です。
全ての生命は、自分の業を相続します。
自分の業に管理されて生きています。
各生命が受ける幸不幸は、その生命の業の力によるものです。
ですから、私は私より豊かな人を見るたびに、
過去に善行為をした人であると思い、喜びを感じます。
私より不幸に思える人を見ると、
生命は無明のせいで罪を犯すのだと理解し、
自分が罪を犯さないようにと気をつけます。
不幸に陥っている生命に対して、憐れみの気持ちを抱きます。
協力する、助ける気持ちを起こします。
前半はいいのですが、「私より不幸に思える人を見ると、生命は無明のせいで罪を犯すのだと理解し、自分が罪を犯さないようにと気をつけます。」というところに抵抗を感じてしまいます。
以前読んだアビダルマの本では、生命の状況は、心・種子・気候(環境)・業という複数の要因によって決まるとされていました。生命の因縁は複雑なので、これが原因だと決めつけることはできないと。そういう考え方はすごく科学的だなと思ったのですけど、「生命の幸不幸は過去生の業のせい」という『慈悲の瞑想』のフレーズは、それに比べてすごく宗教っぽく、迷信的に感じます。
また、誰かを助けようとするときに、「この人は過去の業のせいで不幸になっています。自業自得です。でも、あえて憐れみの気持ちを起こして助けてあげなくては」となると、自分の心が汚れるような気がしますし、相手にも失礼に思います。なぜ、このようなフレーズが「慈悲の瞑想」に入っているのか、その意図について教えていただきたいと思います。
聞き手:佐藤哲朗(日本テーラワーダ仏教協会編集局長)
※生き方についての悩み、初期仏教への疑問など、長老にお聞きしたいことがある方はメール(info@j-theravada.net)または協会HPの質問BBSまでお寄せください。
■回向の文(動画を見終わってからお唱えください。)
「あらゆる生命に憐れみをもって真理を説かれた
本師釈迦牟尼佛陀の聖なる教えに従い、
我々がここまで積んだすべての功徳を、
神々、先祖、祖父母、両親、親族、恩師をはじめとし、
一切の生きとし生けるものに、回向いたします。
この功徳によって、生きとし生けるものすべてが幸福に暮らせますように。
そして、解脱を得られますように。」
■スマナサーラ長老の仏教法話Twitter
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■スマナサーラ長老のプロフィール
アルボムッレ・スマナサーラ長老(Alubomulle Sumanasara Thero)
テーラワーダ仏教(上座仏教)長老。1945年4月スリランカ生まれ。13歳で出家得度。国立ケラニヤ大学で仏教哲学の教鞭をとる。1980年に国費留学生として来日。駒澤大学大学院博士課程を経て、現在は日本テーラワーダ仏教協会で仏教伝道と瞑想指導に従事する。他にNHK教育テレビ「心の時代」出演、朝日カルチャーセンター講師などを務める。『ブッダの幸福論』『無常の見方』『怒らないこと』(和文)『Freedom from Anger』(英文)など著書多数。
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神にすがらないと生きていけない悲しい人間
人間は、電磁波スペクトルのうち、ほんの一部しか認識できない。
そのように、人間は、心の状態について、ほんの一部しか認識できない。
個性、才能などに、差があるようにしか見えない。
自分よりも恵まれていると見えると嫉妬し、自分の方が優れていると見えると優越感を感じる。
人間のきわめて限られた狭い認識の外側に無限の因果法則が広がっている、無限の因果法則の立場から見ればみんな同じというのが釈尊の教え。