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教授の「反抗期」があったからこそ、YMOも教授のソロも面白かった。とは言え細野さんだけ残された今、最後は3人良い関係に戻れたのは本当に良かったと心から思います。
大人になった坂本さんが「あの頃の自分に会ったら、バーンと殴ってやりますよ」と言った際、高橋氏と細野氏が爆笑したのが心に残ってる。3人が並んでいるどの画も、生涯の宝物です。
千のナイフ、B-2ユニット、BGM、テクノデリックは当時レコードではなくカセットを買いました。懐かしい思い出です
riot in lagosは武道館ライブの1曲目の印象が強く「YMOにないこの曲はなんだろう?」と思っていた中学生でした。「B-2 UNIT」「BGM」「テクノデリック」どれも大好きなアルバムです。ポップスサイドでは幸宏さんの「WHAT, ME WORRY?」や、あっこさんの「ごはんができたよ」といった名盤が出続けた数年間、自分の音楽遍歴が形成された貴重な時代でした!
YMO、いろいろあっても、やはり、大好きです!🕊️🌈
お金の無い高校生にとって、レコードを買うのは一大イベントでしたが、左うでの夢やテクノデリックを買って正直打ちひしがれた懐かしい思い出。おかげで音楽に対する理解は深まりました。
細かい情報ありがとうございます ていうかYMOの問題作についての情報まだまだ知らないこと教えてもらってありがとうございます!!!
尖ってたymo大好きでした。ウインターLive良かったです。
YMO,何があっても大好きです。🎉😊🌸
私は、YMOの曲でどの曲が1番好きか?と聞かれたら、真っ先に「Music Plans」と答えます。こんなに前のめりで、攻撃的で且つギリギリYMOである曲は今聴いてもカッコよく感じてしまいます。この頃の教授はスランプで、思うように曲が作れなかったために、他の教授曲は、千のナイフとハッピーエンドのアレンジバージョンでしたが、Music Plans だけでもかなりの秀逸な曲だと思います。教授が、「フロントラインの方がMusic Plansよりも100倍良く出来てる」と言ってましたが、フロントラインはもっとポップに、やんわりとなってしまっているので、やっぱり私はMusic Plansの方が好きですね。
同じく。
同梱です♪歌詞も歌い方も大好きです。特に、「いつまで夢を見ているのか!一日一回は白紙に戻すのだ」のところです。
何たって後にMJがこの曲をヒントにスムースクリミナルを作ったくらいですからね。
当時中学生でしたがBGM以前の路線が好みだった人達は丁度MTVやベストヒットUSAの影響から洋楽を聴く様になった人も多かったです。今思うと丁度ビートルズの中期や同じ頃のペットサウンズからスマイリースマイル辺りのビーチボーイズと似た様な匂いを感じたのは確かです。BGMでの千のナイフはケミブラやアンダワ、プロディジーのサウンドの原点と言えるかも知れません。中学生なのにどハマりしていました。
カムフラージュで幸宏さんが好きになりました。幸宏さんがキーボードで作ってるところを想像しちゃうとなぜかワクワクしちゃいます。😅😅
「BGM」の発売日にラジオ関東だったかで曲をかけてリスナーに電話で感想を聞くというのをやってた。電話に出た小学生は黙りこくってしまったのを覚えてる。わはは。
5:25 「磁性紀 - 開け心-」のオリジナルは「謎のモノラル録音」と言う触れ込みで、その通りモノラルで発表されましたね。後に、「UC YMO」で初CD化されたときにはステレオにミックスされ直しています。なぜ、オリジナルがモノラルだったのかを調べてみると、1 音質を悪くしてわざと聞き取り難くするたにめモノラルでトラックダウンしたという説 (これは後に述べることに合致しています。)2 当初はテレビCM専用に使われる予定の曲だったので予算カットしてステレオ録音しなかった説(YMO起用に予算がカットされることなど考え難い!)などがあるようですが、考えてみれば、この曲は、YMOだからGoサインが出たものの、通常ならば、ノイズだらけのお世辞にも一般受けからかけ離れた出だしと、丸で幼児が鼻歌で即興で歌ったかのような単調(あえて言うと稚拙)なメロディーラインであり、とても天下のFUJI CASETTEのCMにはそぐわないのは明らかでしょう。(しかし、これはある種の計算された戦略だと確信しています。だって、一度聴いたらどんな人でもこの「ドードーミーミーファーソードーー」のメロディーは頭にこびりついて離れないと思うからです。ちょっと大げさかもしれませんが、ベートーヴェンの第9交響曲に於ける「歓喜の歌」と同じ発想に感じられます。)また、YMOの他のFUJI CASETTEはじめとするCMに於ける楽曲のこれ以外のすべてがいわゆる「ヒット曲」を採用しており、もちろん通常のステレオだったことを鑑みるに、音質も、メロディーも、歌詞(?)の、「あ~も~イヤ、だ~け~ど~仕事、さっ。」に象徴される、一種の反抗(=意地悪)だったのかもしれませんね。BGMの中では、個人的に「Rap Phenomena」と「Loom/来るべきもの」が好きなのですが、「Loom」に至っては、ビートもメロディーもない、フジイさんの仰るように、もはや実験音楽・現代音楽の領域で、PopsやTechnoの領域をはるか超越した感があると感じています。しかしながら、石野卓球氏は自身のDJプレイ・セットで頻繁に「Loom」を使用していますね!
主様の通りだと思います、坂本さんは最近、細野さんと険悪な関係がとけたと言い、雪解けと表現してますがYMOのBGMを坂本さんはあれは元々細野さんのアルバムだからとインターネットも無い雑誌に答えてました、
今でも歯を磨く時「BGM」のジャケットを思い出してしまう私が居ます。
B -2前にシングル版のwar headと開け心で次作はこの路線かなっと勝手に予想してBGMを聴いた時の衝撃といったら!まぁ5回聴いてどのアルバムよりも中毒になりましたが😅
YMO三昧の中三の頃、この「BGM」聴いてさらにずっぱり。拗らせ中学生の出来上がりって感じでしたw。同じ年の「テクデリック」、幸宏ソロの「二ウロマンティック」、教授のソロ「左うでの夢」と共にこの時期のYMOは神懸かっていたと思う。
Bー2UNIT当時買いました。一曲目のディファレンシアから早くもビックリ😅勿論BGMもテクノデリックも持っていますが余りにもソリッド〜からすると離れている感は有りましたがまさに2枚とも最高傑作だと今でも思います。やはりどのバンドにもあるように売れすぎてしまうと違う方向へ行きたくなるのは理解できます😢
個人的に「BGM」好きです🥰ジャケットが味があって良いです細野さん、坂本さん、高橋さんの音楽性のこだわりがありますね✨
当時中1だった私。BGMを初めて聴いた時は心底ガッカリしたというか、裏切られた感じがしました。今にして思えば、それがメンバーの狙いだったんですけど。でも今は一番好きなアルバムで、スマホの中に入ってます。
ymoが他のバンドと違い伝説のグループにまでなったのは、売れ線から敢えて実験音楽に向かえたからなんですよね。 普通のバンドは飽きられるまで売れ線路線で行きがちだもん。
BGMの千のナイフのイントロのドラム、幸宏がTR808と格闘して出来た素晴らしくカッコいいリズムなのよね
テクノデリックもBGMもソリッドステイトサバイバーも浮気なぼくらも全部好き結局はその時の気分
ymo楽曲の解説をありがとうございます。中学生の時に初めて聞いて以来大好きな音楽です。ソリッドステートサバ イバー、BGM どちらも好きなアルバムです✨昨今改めてymoを聴く中で、当時はよく知らなかったテクノデリックも興味深いと思いました。
私は、BGM最高傑作だと思います。
リアルタイム経験のある方の貴重な感想がきけてうれしいです。お風邪だいじになさってください。
ありがとうございます。ごめんなさい、言い忘れてましたが自分は微妙にリアルタイムでは無いんです。1983年散開の時YMO好きになって結局BGMを初めて聴いたのは1985年頃だったと思います。なので大半の事は後追いで調べて喋ってます、その辺りご容赦ください。
riot in lagosの曲は、細野さんが坂本さんに、ワンコードでカッコいい曲出来ないかな、と言う言葉がきっかけだった、と言う文章をどこかで読んだ。
千のナイフ細野さんが、BGMに入れるから千のナイフみたいな曲を作ってよと坂本さんに頼んでできた曲
みたいな曲・・ていう依頼に反発してそのまんまの曲のリアレンジにしたんだよね。
この時期の解説での教授の活動は何となく見た事がある程度であまり追いかけていませんでした。BGMは音楽性が高いのは理解しつつも当時はユキヒロのソロやクラフトワークやVISAGE、ウルトラボックスの方を好んで聴いていましたね。テクノデリックの方が個人的には独自性のある別世界の音楽観で好きです。
BGM、YMOの中で一番好きなアルバムですそれ以前のアルバムもキャッチーでありながら実験的な内容でしたがBGMはがっつり実験的な内容。自分がプログレが好きなのもあるんでしょうが、不思議と馴染むのも早かったですwウィンターライブも既存曲はかなりアレンジが入ってて楽しいです(ディストーション風かかりまくりのCosmic Surfinとか)
投稿お疲れ様です。ライブの公的抑圧が売れたので、レコード会社はパート2を企画していて、実際に当時の音楽雑誌でもそんな告知がなされていたと記憶しています。ところが出たのは増殖だったので「え?」と思っていました。その後、色々と確執があった話を聞いて、あれはそういう事だったのかと納得出来ました。
ymoが他のバンドと違うところが正にソレ。普通ならレコード会社からあった初のオリコン1位が取れたライブアルバムの続編の要望にそのまま乗るところを、敢えてソレを良しとせずに更なる高みに向かう・・ていう。
テクノデリックのポートレート版のジャケットの格好良さは異常!完全にアートの域
あの3人それぞれの前衛的な写真のやつですかね。あれめちゃくちゃカッコイイですよね。ポスターにして売って欲しいです。
いい意味でファンの期待を裏切り続けたYMOですがテクノデリックの後、浮気なぼくら→サーヴィスと続くことになります。サーヴィスは私の中にあった「YMOは二度同じ事をやらない」という定義を覆され愕然としました。この二作から散開までのお話しを聞かせて頂ければ有り難いです。
聞きやすいのはソリステまでだけど単純にかっこいいのはBGM、テクノデリックだと思う
ユキヒロさんがいなければ早々に解散してたんやろなぁ
ご自身も太鼓持ちだって言ってましたよね。天才と奇才の間の凡才とも。でも幸宏さんこそ器用過ぎるほどオールマイティな天才で、3人グループとしては1番の貢献者と言えるでしょう!時には神経症が悪化するほどの気遣いをしたのでしょうね。。R.I.P🙏🏻🌹
細野さんも教授もユキヒロを人間としてもドラマーとしても好きだったんですね。
幸宏さんがいなかったら細野さんのソロプロジェクトみたいになったんじゃないかな。元々メンバーは流動的にするつもりだったというし。教授も細野さんと揉める前に脱退したかも。
ラップ現象は何万回も聞きました。
ありがとうございます。
10:00 「千のナイフ」細野「千のナイフみたいな曲ない?」に、開き直った坂本龍一が「ぢゃああげるよ」と言い放ってalbum収録に至った話しは一般的には意外と知られていないハナシ
Phewの終曲のシングル盤、曲が長すぎて使っていたオートリターンプレーヤーだと途中でアームが戻ってしまってエンディングまで聴けなかったことを思い出しました😅
私はPhew のデビュー前に パティ・スミスとかフーの曲でドラム叩かされていたけどライブ前日にやめた。それでドラムが死んでるあのスタイルになったのだった。大阪はあのころ、INUの町田がいて後に作家で芥川賞 イヌのギターの北田君のアジトには羽毛田マサシ氏がいてNHKの番組 地球に乾杯などのテーマ曲をやっている。
ジ・エンドオブ・ヨーロッパは聴くと病む…。
マスが最高傑作と思います。
CUEとUTが好きだったなあ❗リアタイでスコア買っちゃったよ❗ドレミとか書いたなあ😁
CUEが完成したときあまりにも素晴らしい出来だったので、細野さんと幸宏で記念撮影したという😂
自分もBGM、テクノデリックの方が好きですね。ライディーンとテクノポリスは別格ですが。胸キュンも好き❤
小学生の頃おはスタでプレゼントがあったハズレたので駅前の貸しレコードからダビングした
「BGMとテクノデリック」はかなりリスナーを選び切り捨てる作品、何度も聴いたが理解に至らなかった。自分はようするにYMOファンではなく、莫迦なミーハーだった。教授と細野さんの足並みの乱れ、ユキヒロが頑張っていることだけは音の向こうから伝わってきた。
なんやかんや言ってるけど、当時の俺等にしてみたら、「やりたいことをやれなかったYMOで、自分が本当にやりたいことをB-2UNITでやった」。そんなふうに思ってたわ。
やっぱ、何でも程があるのかな?身の丈にあったて言う言葉、身にしみます。😊
中学生でした。当時わかってるふりしてましたねえ、おこちゃまのくせに。
自分はテクノデリック最推し
B2unit の中ではRiot in Lagos がいいな
やっぱりテクノデリックの方が好きだな、BGMより。教授が言ってる通り、曲は良いけど、音色が嫌いBGMは。
アナログに一旦録ってからデジタルにプリントする手法に坂本さんは落胆したようですね。ラップ現象は「あまり上手くいかなかった」と細野さん自身が発言してましたw 1000のナイフみたいな曲を作ってほしいとリーダーから依頼され、あのバージョンになってしまったのは有名な話ですよね(汗)ミックスにも教授は立ち会わず相当危ない関係だったんじゃないでしょうか・・
確かに只でさえ重い楽曲をそんな加工を施したら一般に受け入れられないだろう!てコトで反発したじゃないかな? 教授はあぁ見えて実はサービス精神が有る人だから。
ky
聴きたひ
😂スコラに出たときでさえ、仲が良くなかったように思う。
めんどい奴だったんだね😅
教授の「反抗期」があったからこそ、YMOも教授のソロも面白かった。とは言え細野さんだけ残された今、最後は3人良い関係に戻れたのは本当に良かったと心から思います。
大人になった坂本さんが「あの頃の自分に会ったら、バーンと殴ってやりますよ」と言った際、高橋氏と細野氏が爆笑したのが心に残ってる。3人が並んでいるどの画も、生涯の宝物です。
千のナイフ、B-2ユニット、BGM、テクノデリックは当時レコードではなくカセットを買いました。懐かしい思い出です
riot in lagosは武道館ライブの1曲目の印象が強く「YMOにないこの曲はなんだろう?」と思っていた中学生でした。
「B-2 UNIT」「BGM」「テクノデリック」どれも大好きなアルバムです。
ポップスサイドでは幸宏さんの「WHAT, ME WORRY?」や、あっこさんの「ごはんができたよ」といった名盤が出続けた数年間、自分の音楽遍歴が形成された貴重な時代でした!
YMO、いろいろあっても、やはり、大好きです!🕊️🌈
お金の無い高校生にとって、レコードを買うのは一大イベントでしたが、左うでの夢やテクノデリックを買って正直打ちひしがれた懐かしい思い出。おかげで音楽に対する理解は深まりました。
細かい情報ありがとうございます ていうかYMOの問題作についての情報まだまだ知らないこと教えてもらってありがとうございます!!!
尖ってたymo大好きでした。
ウインターLive良かったです。
YMO,何があっても大好きです。🎉😊🌸
私は、YMOの曲でどの曲が1番好きか?と聞かれたら、真っ先に「Music Plans」と答えます。
こんなに前のめりで、攻撃的で且つギリギリYMOである曲は今聴いてもカッコよく感じてしまいます。
この頃の教授はスランプで、思うように曲が作れなかったために、他の教授曲は、千のナイフとハッピーエンドのアレンジバージョンでしたが、Music Plans だけでもかなりの秀逸な曲だと思います。
教授が、「フロントラインの方がMusic Plansよりも100倍良く出来てる」と言ってましたが、フロントラインはもっとポップに、やんわりとなってしまっているので、やっぱり私はMusic Plansの方が好きですね。
同じく。
同梱です♪歌詞も歌い方も大好きです。
特に、「いつまで夢を見ているのか!一日一回は白紙に戻すのだ」のところです。
何たって後にMJがこの曲をヒントにスムースクリミナルを作ったくらいですからね。
当時中学生でしたがBGM以前の路線が好みだった人達は丁度MTVやベストヒットUSAの影響から洋楽を聴く様になった人も多かったです。今思うと丁度ビートルズの中期や同じ頃のペットサウンズからスマイリースマイル辺りのビーチボーイズと似た様な匂いを感じたのは確かです。BGMでの千のナイフはケミブラやアンダワ、プロディジーのサウンドの原点と言えるかも知れません。中学生なのにどハマりしていました。
カムフラージュで幸宏さんが好きになりました。
幸宏さんがキーボードで作ってるところを想像しちゃうとなぜかワクワクしちゃいます。😅😅
「BGM」の発売日にラジオ関東だったかで曲をかけてリスナーに電話で感想を聞くというのをやってた。電話に出た小学生は黙りこくってしまったのを覚えてる。わはは。
5:25 「磁性紀 - 開け心-」のオリジナルは「謎のモノラル録音」と言う触れ込みで、その通りモノラルで発表されましたね。
後に、「UC YMO」で初CD化されたときにはステレオにミックスされ直しています。
なぜ、オリジナルがモノラルだったのかを調べてみると、
1 音質を悪くしてわざと聞き取り難くするたにめモノラルでトラックダウンしたという説 (これは後に述べることに合致しています。)
2 当初はテレビCM専用に使われる予定の曲だったので予算カットしてステレオ録音しなかった説(YMO起用に予算がカットされることなど考え難い!)
などがあるようですが、考えてみれば、この曲は、YMOだからGoサインが出たものの、通常ならば、ノイズだらけのお世辞にも一般受けからかけ離れた出だしと、丸で幼児が鼻歌で即興で歌ったかのような単調(あえて言うと稚拙)なメロディーラインであり、とても天下のFUJI CASETTEのCMにはそぐわないのは明らかでしょう。
(しかし、これはある種の計算された戦略だと確信しています。だって、一度聴いたらどんな人でもこの「ドードーミーミーファーソードーー」のメロディーは頭にこびりついて離れないと思うからです。ちょっと大げさかもしれませんが、ベートーヴェンの第9交響曲に於ける「歓喜の歌」と同じ発想に感じられます。)
また、YMOの他のFUJI CASETTEはじめとするCMに於ける楽曲のこれ以外のすべてがいわゆる「ヒット曲」を採用しており、もちろん通常のステレオだったことを鑑みるに、音質も、メロディーも、歌詞(?)の、「あ~も~イヤ、だ~け~ど~仕事、さっ。」に象徴される、一種の反抗(=意地悪)だったのかもしれませんね。
BGMの中では、個人的に「Rap Phenomena」と「Loom/来るべきもの」が好きなのですが、「Loom」に至っては、ビートもメロディーもない、フジイさんの仰るように、もはや実験音楽・現代音楽の領域で、PopsやTechnoの領域をはるか超越した感があると感じています。
しかしながら、石野卓球氏は自身のDJプレイ・セットで頻繁に「Loom」を使用していますね!
主様の通りだと思います、坂本さんは最近、細野さんと険悪な関係がとけたと言い、雪解けと表現してますがYMOのBGMを坂本さんはあれは元々細野さんのアルバムだからとインターネットも無い雑誌に答えてました、
今でも歯を磨く時「BGM」のジャケットを思い出してしまう私が居ます。
B -2前にシングル版のwar headと開け心で次作はこの路線かなっと勝手に予想してBGMを聴いた時の衝撃といったら!まぁ5回聴いてどのアルバムよりも中毒になりましたが😅
YMO三昧の中三の頃、この「BGM」聴いてさらにずっぱり。拗らせ中学生の出来上がりって感じでしたw。同じ年の「テクデリック」、幸宏ソロの「二ウロマンティック」、教授のソロ「左うでの夢」と共にこの時期のYMOは神懸かっていたと思う。
Bー2UNIT当時買いました。一曲目のディファレンシアから早くもビックリ😅勿論BGMもテクノデリックも持っていますが余りにもソリッド〜からすると離れている感は有りましたがまさに2枚とも最高傑作だと今でも思います。やはりどのバンドにもあるように売れすぎてしまうと違う方向へ行きたくなるのは理解できます😢
個人的に「BGM」好きです🥰
ジャケットが味があって良いです
細野さん、坂本さん、高橋さんの音楽性のこだわりがありますね✨
当時中1だった私。BGMを初めて聴いた時は心底ガッカリしたというか、裏切られた感じがしました。今にして思えば、それがメンバーの狙いだったんですけど。でも今は一番好きなアルバムで、スマホの中に入ってます。
ymoが他のバンドと違い伝説のグループにまでなったのは、売れ線から敢えて実験音楽に向かえたからなんですよね。 普通のバンドは飽きられるまで売れ線路線で行きがちだもん。
BGMの千のナイフのイントロのドラム、幸宏がTR808と格闘して出来た素晴らしくカッコいいリズムなのよね
テクノデリックもBGMもソリッドステイトサバイバーも浮気なぼくらも全部好き
結局はその時の気分
ymo楽曲の解説をありがとうございます。中学生の時に初めて聞いて以来大好きな音楽です。ソリッドステートサバ イバー、BGM どちらも好きなアルバムです✨昨今改めてymoを聴く中で、当時はよく知らなかったテクノデリックも興味深いと思いました。
私は、BGM
最高傑作だと思います。
リアルタイム経験のある方の貴重な感想がきけてうれしいです。
お風邪だいじになさってください。
ありがとうございます。
ごめんなさい、言い忘れてましたが自分は微妙にリアルタイムでは無いんです。1983年散開の時YMO好きになって結局BGMを初めて聴いたのは1985年頃だったと思います。なので大半の事は後追いで調べて喋ってます、その辺りご容赦ください。
riot in lagosの曲は、細野さんが坂本さんに、ワンコードでカッコいい曲出来ないかな、と言う言葉がきっかけだった、と言う文章をどこかで読んだ。
千のナイフ
細野さんが、BGMに入れるから千のナイフみたいな曲を作ってよと坂本さんに頼んでできた曲
みたいな曲・・ていう依頼に反発してそのまんまの曲のリアレンジにしたんだよね。
この時期の解説での教授の活動は何となく見た事がある程度であまり追いかけていませんでした。
BGMは音楽性が高いのは理解しつつも当時はユキヒロのソロやクラフトワークやVISAGE、ウルトラボックスの方を好んで聴いていましたね。テクノデリックの方が個人的には独自性のある別世界の音楽観で好きです。
BGM、YMOの中で一番好きなアルバムです
それ以前のアルバムもキャッチーでありながら実験的な内容でしたが
BGMはがっつり実験的な内容。自分がプログレが好きなのもあるんでしょうが、不思議と馴染むのも早かったですw
ウィンターライブも既存曲はかなりアレンジが入ってて楽しいです(ディストーション風かかりまくりのCosmic Surfinとか)
投稿お疲れ様です。
ライブの公的抑圧が売れたので、レコード会社はパート2を企画していて、実際に当時の音楽雑誌でもそんな告知がなされていたと記憶しています。ところが出たのは増殖だったので「え?」と思っていました。その後、色々と確執があった話を聞いて、あれはそういう事だったのかと納得出来ました。
ymoが他のバンドと違うところが正にソレ。
普通ならレコード会社からあった初のオリコン1位が取れたライブアルバムの続編の要望にそのまま乗るところを、敢えてソレを良しとせずに更なる高みに向かう・・ていう。
テクノデリックのポートレート版のジャケットの格好良さは異常!完全にアートの域
あの3人それぞれの前衛的な写真のやつですかね。
あれめちゃくちゃカッコイイですよね。
ポスターにして売って欲しいです。
いい意味でファンの期待を裏切り続けたYMOですがテクノデリックの後、浮気なぼくら→サーヴィスと続くことになります。サーヴィスは私の中にあった「YMOは二度同じ事をやらない」という定義を覆され愕然としました。この二作から散開までのお話しを聞かせて頂ければ有り難いです。
聞きやすいのはソリステまでだけど単純にかっこいいのはBGM、テクノデリックだと思う
ユキヒロさんがいなければ早々に解散してたんやろなぁ
ご自身も太鼓持ちだって言ってましたよね。天才と奇才の間の凡才とも。でも幸宏さんこそ器用過ぎるほどオールマイティな天才で、3人グループとしては1番の貢献者と言えるでしょう!時には神経症が悪化するほどの気遣いをしたのでしょうね。。R.I.P🙏🏻🌹
細野さんも教授もユキヒロを人間としてもドラマーとしても好きだったんですね。
幸宏さんがいなかったら細野さんのソロプロジェクトみたいになったんじゃないかな。
元々メンバーは流動的にするつもりだったというし。
教授も細野さんと揉める前に脱退したかも。
ラップ現象は何万回も聞きました。
ありがとうございます。
10:00 「千のナイフ」
細野「千のナイフみたいな曲ない?」に、開き直った坂本龍一が「ぢゃああげるよ」と言い放ってalbum収録に至った話しは一般的には意外と知られていないハナシ
Phewの終曲のシングル盤、曲が長すぎて使っていたオートリターンプレーヤーだと途中でアームが戻ってしまってエンディングまで聴けなかったことを思い出しました😅
私はPhew のデビュー前に パティ・スミスとかフーの曲でドラム叩かされていたけどライブ前日にやめた。それでドラムが死んでるあのスタイルになったのだった。大阪はあのころ、INUの町田がいて後に作家で芥川賞 イヌのギターの北田君のアジトには羽毛田マサシ氏がいてNHKの番組 地球に乾杯などのテーマ曲をやっている。
ジ・エンドオブ・ヨーロッパは聴くと病む…。
マスが最高傑作と思います。
CUEとUTが好きだったなあ❗
リアタイでスコア買っちゃったよ❗
ドレミとか書いたなあ😁
CUEが完成したときあまりにも素晴らしい出来だったので、細野さんと幸宏で記念撮影したという😂
自分もBGM、テクノデリックの方が好きですね。ライディーンとテクノポリスは別格ですが。胸キュンも好き❤
小学生の頃おはスタでプレゼントがあった
ハズレたので駅前の貸しレコードからダビングした
「BGMとテクノデリック」はかなりリスナーを選び切り捨てる作品、何度も聴いたが理解に至らなかった。自分はようするにYMOファンではなく、莫迦なミーハーだった。教授と細野さんの足並みの乱れ、ユキヒロが頑張っていることだけは音の向こうから伝わってきた。
なんやかんや言ってるけど、当時の俺等にしてみたら、「やりたいことをやれなかったYMOで、自分が本当にやりたいことをB-2UNITでやった」。
そんなふうに思ってたわ。
やっぱ、何でも程があるのかな?
身の丈にあったて言う言葉、身にしみます。😊
中学生でした。当時わかってるふりしてましたねえ、おこちゃまのくせに。
自分はテクノデリック最推し
B2unit の中ではRiot in Lagos がいいな
やっぱりテクノデリックの方が好きだな、BGMより。教授が言ってる通り、曲は良いけど、音色が嫌いBGMは。
アナログに一旦録ってからデジタルにプリントする手法に坂本さんは落胆したようですね。ラップ現象は「あまり上手くいかなかった」と細野さん自身が発言してましたw 1000のナイフみたいな曲を作ってほしいとリーダーから依頼され、あのバージョンになってしまったのは有名な話ですよね(汗)ミックスにも教授は立ち会わず相当危ない関係だったんじゃないでしょうか・・
確かに只でさえ重い楽曲をそんな加工を施したら一般に受け入れられないだろう!てコトで反発したじゃないかな? 教授はあぁ見えて実はサービス精神が有る人だから。
ky
聴きたひ
😂スコラに出たときでさえ、仲が良くなかったように思う。
めんどい奴だったんだね😅