【ゆっくり解説】南太平洋海戦

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  • Опубліковано 16 жов 2024
  • 今回は南太平洋海戦を解説してみました。
    ここで、解説できませんでしたが、
    コメントより、
    有馬さんが翔鶴を囮にして前進しようとしたが、
    草鹿さんに、「飛行甲板が大破した空母で戦えるか!」
    と、言われ、トラックに帰った後も、黒島亀人参謀に、
    「そうでしょうなーあんたのところは北上したがっていたから、
    追撃は出来なかったんでしょうねー」
    と、言われてしまったりしてました。
    でも、人の悪口は書くな、って、言われてしまったので、、、、
    御免なさい。

КОМЕНТАРІ • 48

  • @yugureyamanaka2730
    @yugureyamanaka2730 2 роки тому +5

    製作者さん、搭乗員の気持ちが表現された大作をありがとう。現場の搭乗員が頑張ったから空母ホーネットが沈められたことが、良くわかる動画でした。次の作品も期待しています。あの次の第三次ソロモン海戦の動画の、また後のプラン構想があったら教えてください。リクエストの参考御意見を、送る時の参考にします。加藤中尉のエピソードの、ほっこりエピソードは人間味が出ていて感動出来ました。リクエストに応えてくれてありがとう。それにしても、米軍はホーネット(すずめばち)とか、艦艇の名前が独特ですよね。これも日米両軍の差ですね。

    • @ゆっくり戦争資料館
      @ゆっくり戦争資料館  2 роки тому +1

      コメントありがとうございます!
      モチベーションが上がってきました。
      第三次ソロモン海戦の後は、ルンガ沖海戦を予定しています。

  • @ライヘナウヘルマン
    @ライヘナウヘルマン Рік тому +4

    エンタープライズは大戦末期に周りがエセックス級空母だらけになる中、唯一のヨークタウン級空母として戦線に参加していた。沖縄戦で特攻機の命中でエレベーターが吹き飛ばされてようやく離脱して、本土に帰り、そのまま終戦になりエンタープライズの戦争は終わった。

    • @肝山豚之助
      @肝山豚之助 Рік тому +4

      今エンタープライズが着工されたらしい。フォード級です。

  • @伊藤宏憲-f6t
    @伊藤宏憲-f6t Рік тому +2

    第17軍司令官百武晴吉中将ですね。この海戦で日本軍は空母ホーネットを撃沈しましたが、その代わりに、多数の歴戦の熟練飛行搭乗員を失いました。それにしても、敵空母ながら、しぶとく生き残るエンタープライズのしたたかさですね。

  • @肝山豚之助
    @肝山豚之助 Рік тому +9

    隼鷹は終戦時に残存してました。

    • @やまびこ太郎-w7i
      @やまびこ太郎-w7i 2 місяці тому

      機関部損傷のため復員船とならず惜しくも解体…

  • @Manaka_Pettan
    @Manaka_Pettan Рік тому +5

    ずいおおとりってなんやねん…

  • @ノアッチードラゴン
    @ノアッチードラゴン 2 роки тому +1

    いつも観てます頑張ってください!

  • @レスター-d6t
    @レスター-d6t 5 місяців тому +1

    南雲としても前回のミッドウェー海戦で山本の作戦に置いては敵艦隊攻撃用の部隊を残して置くようにと言った命令破り全機陸上攻撃装備にしてしまった事で米艦隊への対応が遅れ虎の子の空母艦隊を全艦を失った負い目があったから山本の命令に逆らう事が出来なかったんだろう

  • @yugureyamanaka2730
    @yugureyamanaka2730 2 роки тому +1

    追加のリクエスト●製作者さん言い忘れていましたが南太平洋海戦で損傷した空母エンタープライズが、第三次ソロモン海戦に飛び入り参加していたことも、動画で説明出来たらお願いします。なんと、空母エンタープライズは搭載機の発艦は出来るが着艦は故障で出来ないという損傷状態で参加していました。時系列ですが、1942年の10月30日、損傷していたエンタープライズは真珠湾には戻らず、11月11日までニューカレドニアのヌメアで応急修理を実施した。しかし、ガダルカナル島の守りが危険な状態に陥ったため、工作艦ヴェスタルの修理要員を臨時で載せたまま急行し、第三次ソロモン海戦に参加した。この時のエンタープライズの状況は、第1エレベーターが使用不可能状態であり、着艦エリアの甲板が膨張して、母艦に戻ってくる飛行機の着艦が困難だった。そんな状況で、11月13日8時23分にエンタープライズからTBF15機、F4F6機が発艦し、ヘンダーソン飛行場に向かった。(ようするに、空母エンタープライズの修理が完全に終わるまでの間は、空母搭載機が臨時で陸上飛行場に移動した。)11月12日から13日にかけて第三次ソロモン海戦の第1夜戦が行われており、両軍に大きな損害がでていた。ヘンダーソン飛行場に向かったエンタープライズ飛行隊は偶然にも、その道中で比叡を発見したため、雷撃を行った。そして、ヘンダーソン飛行場への到着後、海兵隊のSBD6機、護衛の戦闘機8機と共に、エンタープライズ隊からも6機が選抜されて再び共同出撃した。戦果としては、戦艦比叡に追加損害を与えて、安全海域までの離脱を阻止した。戦艦比叡は修理が進まずに、その後は結果的に沈没に追い込まれた。11月14日は、スコールで空母エンタープライズからの発艦作業に支障が出たが、前日に飛び立てなかった搭載機が次々と発艦していった。午前中に合計SBD27、F4F10機が発艦し、ガダルカナルへ接近する日本軍輸送船団と、前日夜にガダルカナルを、攻撃し退避する日本軍砲撃部隊(日本軍の巡洋艦と軽巡洋艦の部隊)への攻撃に向かった。エンタープライズ隊は、ヘンダーソン飛行場の陸上機と共同で、巡洋艦「衣笠」を、撃沈した。そして、軽巡洋艦の五十鈴と、巡洋艦の鳥海と巡洋艦の摩耶に損害を与えた。摩耶については被弾したエンタープライズ所属のドーントレスの体当たりにより損傷を受けている。輸送船団への攻撃では輸送船11隻中6隻を撃沈、1隻を後退に追い込んだ。●そのために、日本軍の輸送船団は、輸送船が残り4隻となった。攻撃に向かったエンタープライズ発艦機は、全て陸上のヘンダーソン飛行場に送られ、ヘンダーソン飛行場の航空戦力を一気に強化した。空母エンタープライズには護衛目的の「F4F」が18機のみ残された。その後、ハルゼー提督より空母エンタープライズに対して後方安全地帯に向けた帰還命令が出された。その日の夜には戦艦同士の砲撃戦による第三次ソロモン海戦の第2夜戦があった。翌日11月15日に、ヘンダーソン飛行場に移ったエンタープライズ隊と基地の陸上機の共同攻撃により、日本軍の輸送部隊の責任者である「田中司令官」による特別命令で、ガダルカナル島の浅瀬に強硬的に座礁させられた状態で食料と武器の揚陸作業を必死にしていた残りの輸送船4隻も破壊された。この第3次ソロモン海戦により、日本軍の大規模なガダルカナルへの攻勢は難しくなった。11月18日、空母エンタープライズはヌメアに寄港して残りの修理を行った。そして、12月4日までに修理を完全に終えた。すると、活躍したエンタープライズ隊は、陸上のヘンダーソン飛行場より母艦のエンタープライズに帰艦した。

    • @ゆっくり戦争資料館
      @ゆっくり戦争資料館  2 роки тому

      ありがとうございますー

    • @yugureyamanaka2730
      @yugureyamanaka2730 2 роки тому

      ●●日本軍から見た時系列だとこうなります。11月13日午前5時40分、第七戦隊はショートランド基地を出港した。14日午前2時、第七戦隊の重巡洋艦鈴谷、摩耶がヘンダーソン基地の砲撃に成功する。消耗主砲弾数は鈴谷主砲504発、摩耶485発で、午前2時37分「飛行機の観測したるところ損害相当ありしものと認む」と各艦隊に報告した。だが重巡洋艦の20cm砲で複数の滑走路をもつヘンダーソン飛行場を使用不能にすることは困難であり、実際の戦果は航空機全壊18機、損傷32機におさえられ、飛行場の機能はすぐに回復した。 第七戦隊は、第八艦隊主隊「重巡洋艦鳥海、衣笠、軽巡洋艦五十鈴で編成されていた」の第八艦隊主隊とニュージョージア島南方で合流し、北上退避行動に入った。夜明けと共に、米軍側のヘンダーソン基地から敵の偵察機が出動し、攻撃終了後の北上中である日本艦隊(帰ろうとしている)を発見する。そして、米軍の飛行機による攻撃が開始された。

    • @ゆっくり戦争資料館
      @ゆっくり戦争資料館  2 роки тому +1

      @@yugureyamanaka2730 いつもありがとうございます!

    • @yugureyamanaka2730
      @yugureyamanaka2730 2 роки тому

      ●返信ありがとうございます。製作者さんが、第三次ソロモン海戦の動画の途中で、エンタープライズを飛び入り参加させるタイミングを楽しみにしておきます!!初心者でも理解できるように、飛び入り参加の経緯を大胆に解説してみてください。本当に、この第三次ソロモン海戦は、第1夜戦と、第2夜戦の途中とか、その夜戦後でも、調べると意外なエピソードが多いです。

    • @ゆっくり戦争資料館
      @ゆっくり戦争資料館  2 роки тому

      @@yugureyamanaka2730 第1夜戦の時の夕立の艦長の吉川さんの話しを入れたいです!

  • @マスオオオタ
    @マスオオオタ Рік тому +3

    本編とは関係ありませんが、吉田満著『戦艦大和ノ最後』のなかで「大和」は停泊時でも駆逐艦30隻分の燃料を消費すると書かれていました。3隻ではなく30隻です。吉田満さんを疑うつもりは全くありませんが30隻分というのは本当ですか。

    • @ゆっくり戦争資料館
      @ゆっくり戦争資料館  Рік тому +2

      すみません、あまり詳しく存じません。
      乗員が使う電気発電のために大量に消費すると思いますが、
      期間にもよると思います。

    • @yugureyamanaka2730
      @yugureyamanaka2730 Рік тому

      ある軍事サイト運営者の人が計算した資料を見ると、例えば駆逐艦の「朝潮」と比較すると、
      ●大和の燃費は駆逐艦「朝潮」の約4隻分です。
      ●それから、戦艦「大和」は、駆逐艦15隻分の燃料を搭載できるようです。
      戦艦大和の理論値の燃料搭載量は、6千300百トン(実際は燃料タンクの構造上、実際に使用できるのは約6千トン)です。
      当時の駆逐艦の燃料搭載量は、 400トンから650トンの間であり幅が広いようです。
      ●燃費については、空母「赤城」は、かなり燃費が悪いです。
      航空母艦 赤城 0.395t/km
      航空母艦 瑞鶴 0.223t/km
      戦艦 大和 0.262t/km
      戦艦 扶桑 0.233t/km
      戦艦 金剛 0.349t/km
      巡洋艦 利根 0.145t/km
      巡洋艦 長良 0.135t/km
      駆逐艦 陽炎 0.067t/km
      駆逐艦 朝潮 0.068t/km
      航空母艦赤城の燃費、なんと大和の5割増しです。
      同じ戦艦の金剛は、大和より33%ほど高燃費です。金剛の排水量は大和の半分しかないのにという、計算を、私は他の人のサイトで見ました。

    • @ゆっくり戦争資料館
      @ゆっくり戦争資料館  Рік тому

      @@yugureyamanaka2730 扶桑なりに燃費いいですね。

  • @person7215
    @person7215 6 місяців тому

    対空火器の槍衾に突っ込んでいくのに防弾設備の無さがあとあと響いていく。運用で勝てたようなものだし。

  • @CX-EURO400
    @CX-EURO400 Рік тому +4

    サウスダコタに命中弾を与えた山川新作氏の著作「空母艦爆隊」の中で、加賀から隼鷹に配置換えとなり、移乗するために乗った内火艇が誤って舷側に衝突したら舷側が凹んでしまい、こんな艦で大丈夫かと心配になったそうで、まさか終戦まで戦い抜くとは思わなかったと書いている。
    ちなみに加藤中尉が最後の攻撃に出る前の休憩中?に艦爆隊の隊員たちはカルピスを飲んでいたそうだ。

  • @mkat2087
    @mkat2087 8 місяців тому +1

    日本の機動部隊はガ島の陸軍支援が目的だったが、第二師団の攻撃は失敗した訳で戦略的には敗戦だよね。

  • @りか後藤
    @りか後藤 Рік тому

    2:30から始まるBGMは、カッコいいですね。そのBGMのタイトルを教えて頂けたら幸いですね。

  • @takasukesakai9320
    @takasukesakai9320 8 місяців тому +2

    角田少将のような素晴らしい方を機動部隊の総司令官にできていれば、南太平洋海戦やマリアナ沖海戦で日本は勝てたと思います。もちろん連合艦隊は壊滅していたかもですが

  • @yugureyamanaka2730
    @yugureyamanaka2730 2 роки тому

    ●リクエストですが、第三次ソロモン海戦の輸送部隊について、「田中頼三司令官」と上司の第八艦隊司令長官「三川中将」の間での方針対立(11月15日午前2時の日本軍輸送船を計画的にガダルカナル島の海岸に座礁させることに反対か賛成かの対立)に触れると、日本軍の現実がもっと見えてくると思いました。そして、田中頼三司令官が、第三次ソロモン海戦での悲惨な結果にめげずに、次の戦場でのルンガ沖夜戦で、大活躍する闘志をみせる予告の伏線にしたら面白いと思いました。ようするに、田中頼三司令官を、第三次ソロモン海戦に動画に登場させることで、次のルンガ沖夜戦の動画で人間味のある田中頼三司令官が描きやすくなると思いました。●●以下が資料になります。基本的に、輸送船の船長は基本的に船を座礁させることは懲罰対象になります。しかし、田中頼三司令官が、飢えているガダルカナルの陸軍の兵士のために特別な指示を出したことで、上司の第八艦隊司令長官「三川中将」と意見対立します。具体的には、輸送部隊指揮官の田中頼三少将は、日米双方の艦隊が夜戦の混戦の末にガダルカナル島とサボ島近海から離脱したのを確認した。輸送船団を指揮していた田中少将は、混乱した状況に活路を見出し、残存する輸送船4隻を揚陸地点の浅瀬に座礁させるという強硬策に出る]。実は、日本海軍は、座礁させた艦長を処罰対象していたが、それをふまえての決断(奇策)だった。 田中司令官は輸送船4隻(廣川丸、山浦丸、鬼怒川丸、山東丸)をガ島タサファロング泊地に座礁させて揚陸すると決断し、各方面に予告で通知した。連合艦隊と現場の前進部隊(第2艦隊)も田中の判断を妥当としたが、外南洋部隊指揮官(第八艦隊司令長官三川中将)は、前回の10月中旬揚陸作戦の経験から輸送船の擱座揚陸に反対し、なるべく通常の揚陸を行うよう通知した。しかし田中は三川中将の通知を無視する形で座礁揚陸を敢行した。こうして、輸送船4隻は座礁した。時系列では、11月15日午前2時、輸送船団は、ガダルカナル島タサファロンガの海岸にのりあげた。(座礁した。)それから、護衛の駆逐艦9隻は、午前2時30分にガダルカナル島を離れた。海岸に座礁した輸送船4隻は揚陸作業を続けたが、兵員2,000名と弾薬360箱(軽火砲や山砲用の砲弾)、米1,500俵の揚陸を終えたところで、午前6時以降のアメリカ軍機による爆撃と、陸上部隊からの砲撃により船団は炎上した。揚陸した量については、、輸送船団は2000人の将兵、260箱の弾薬、1600袋の米を揚陸したという別の説もあるようです。どちらにしろ、どちらの説でも弾薬は、少数しか現場に届きませんでした。

    • @yugureyamanaka2730
      @yugureyamanaka2730 2 роки тому

      製作者様、●これは、用語の補足になります。座礁(ざしょう)とは、広い意味での解釈では、座礁には想定外の衝突パターンと、船長や指揮官が覚悟したうえでの、乗り揚げ(擱座(かくざ)や浅海乗り揚げ)がある。 衝突では、船体に凹損や亀裂などのダメージが生じる。 乗り揚げ擱座(かくざ)では、 船舶が荒天時や減速時に風圧や波浪の影響を受け、船体がほぼ完全に、岩礁や砂州の上に押し上げられることになる。軽微な座礁は、大潮の満潮時を利用してタグボートにより離礁させることもあるが、重度の座礁は、波打ち際で解体するなどの措置が採られる。 戦後の日本では外国船舶が座礁放置されることが多数あり、地元自治体が多額の費用を払って撤去することを余儀なくされる例も見られたことから、2004年には船舶所有者への保険加入の義務付け、無保険船への入港禁止を盛り込む形で油濁損害賠償保障法が改正され、船舶油濁損害賠償保障法となった。

    • @yugureyamanaka2730
      @yugureyamanaka2730 2 роки тому

      製作者様に補足ですが、 錨(いかり)とは、船を一定の場所に留めるおもりです。綱や鎖をつけて水底に落として使用する水具のことです。なので、(第八艦隊司令長官三川中将)は、ガダルカナル島の海底(かいてい)に輸送船の錨をおろす形式での通常の揚陸を希望したのだと思います。ようするに、大事な輸送船の再度の利用も想定していた。一方で、田中司令官が米軍は、場合によっては、夜空に月が出ている時も攻撃しようとする執念深いところがあることを知っていた。ガダルカナル島の夜の現実では、ガダルカナルで安全に揚陸できる夜とは、 「月の光が出ない闇夜(やみよ)の日である 。そして、1日の24時間の内、で、安全に使えるのは深夜から夜明けまでの4時間程度である。 1万トンの輸送船でも4時間で揚陸できるのは240トンである。」田中司令官はガダルカナルの夜の現実を知っていて、輸送船を座礁させる行為(すなわち輸送船の喪失を覚悟したのでは、ないかと思われます。)上司の三川中将も、現場で輸送船に指示する田中さんも両方とも真剣に考えた結果として意見対立したと思われます。基本的に、輸送船が海に沈没した場合は、塩水の海水でビショビショに濡れた、食料や弾薬は、ダメージを受けて備蓄できなくなります。海水は、食料や弾薬にとっては大敵です。田中司令官は、食料や弾薬の海没を避けるために、悩んだ末に、強硬的な、座礁揚陸を決断したように思います。

    • @yugureyamanaka2730
      @yugureyamanaka2730 2 роки тому

      ●製作者さん、アメリカ軍が月の出る夜にも攻撃していた事例があります。ドイツとの大西洋での戦いなのですが、1944年の4月10日の夜に、アメリカ軍の護送船団が再びドイツのUボートを、大西洋のアゾレス諸島沖で発見する。浮上したドイツ潜水艦の「U68」はアゾレス諸島南方300マイルの海上で月夜に照らされていた。アメリカ軍の護送船団(護衛空母も参加していた)は、これに、ロケット弾及び爆雷での攻撃を行い撃沈した。なので、月の出る夜は、ドイツ軍の潜水艦にとっても、油断できない夜になっていました。

    • @yugureyamanaka2730
      @yugureyamanaka2730 2 роки тому

      追加●製作者さんに補足の資料になります。実は、大型船が錨を下ろすことができるのは海底が泥や砂で覆われている場所です。例として、たとえば岩場のような凄く硬い場所には錨を下ろせないのです。錨を下ろした大型船を繋ぎ止めているのは、海底に打たれた錨の力が半分で、もう半分は錨までに至る鎖なのです。 鎖が海底に長く下ろされ、その鎖の重量・抵抗が錨と力を合わせることで、船を止めているのです。 「力強そうな錨の形状」を見ると、嵐の中で船を守っているのは錨だけにも思えてしまいます。 しかし、実は「錨に繋がる長い鎖」も人知れず・けれど力強く船を支えているのです。 ●なので、日本軍は、ガダルカナル島でも、海底の状態を調べて、日本軍は輸送作戦を計画していたわけです。

  • @kobayashitommy6521
    @kobayashitommy6521 7 місяців тому

    トップをねらえ!だっけ